説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

7月11日【説教要旨】

2010-07-17 22:02:18 | 説教要旨
2010年7月11日【説教要旨】 使徒の働き 9章10~20節

(9:1~9)クリスチャンたちを殺そうとどこまでも追いかけて進んでいたサウロ(のちのパウロ)がダマスコに行く途中、神の光に照らされ倒されました。そして3日の間目が見えず、飲み食いをしませんでした。サウロは自分は神に仕えていると思い、つき進んでいましたが、それはみこころの歩みではありませんでした。自分の義に立ち、律法に立っていたのです。ここで神によってストップがかけられました。迫害まっしぐらという中でも神の計画は進んでいたのです。
(9:10~16)サウロのところに行って祈りなさいと神に語られたアナニヤは、教会を迫害していたパウロを警戒していました。それでも神は「行きなさい」「彼は選びの器だ」と語られたのです。パウロがまだ迫害者の時にすでに神は選び導いておられました。どんなにかたくなな人でも大きく変わる時があります。神は時をもって選びをもってこれから多くの方々を救っていかれます。
(7:56~60,8:1)「この罪を彼らに負わせないでください」と言って殉教していくステパノをサウロは見ていました。ステパノの殉教を通してユダヤ、サマリヤにクリスチャンが散らされ、そしてサウロが救われ、そのことを通して全世界に福音が伝えられていきました。ステパノの殉教はその時には実を結んでいませんでしたが、後で実が結ばれていったのです。その一つがサウロの救いです。そして世界宣教に用いられていきました。神の真実は変わりません。実が結ばれる時が来ます。今、私たちの教会の群れからパトモス・テサロニケチームが出ていますが、ある「時」が来ています。リバイバルの働きが始まり、これから実が結ばれていくのです。さらに神に従って宣教の備えをなしていきましょう。                      (文責・木本)
(写真はテサロニケの聖デメテリオス教会、デメテリオが殉教した所に建てられた教会)