花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、創価学会~~未来に向かって、花百蓮のブログ

花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、(はなももれん)のブログです。池田先生から頂いた福智は私の信心の原点です。

折伏で頑張りましょう

2011-09-29 12:22:38 | 日記
Mちゃん、10月上旬にはまた、○○ルネッサンス大会・仏法セミナーがありますね(^-^)/
ご友人を連れて参加されるんですね。よかったですね、(^^)vすばらしい内容ですので、私も近隣の方にお話しています。毎日貴重な時間を無駄にしないでお互いに広宣流布の使命を果たしてまいりましょうね。
○○ルネッサンス大会の会合当日・お会いしましょう(^^)v

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3・末法の御本仏

2011-09-27 12:38:39 | 日記
Mちゃんから、メールをもらいましたので、ちょっと話がそれます。※染浄の二法からですが。
★一念には染浄の二法があるでしょう。汚れた生命で、煩悩・業・苦に左右されてるときは、迷いの法で染浄といいますよね。もう一つは、清浄な法で、煩悩、業、苦に左右されない悟りの法で浄法といいます。十界の上からみると、染浄は九界であり、浄法は、仏界です。染浄は無明で、浄法は法性。染法が働くならば迷いとなるし、不幸な人生になっていきます。逆に浄法が働けば悟りとなって、幸福な人生になっていくけれども、染浄と浄法といっても、別々にあるのではなく、同じ生命のなかの変化であり、しかも、法性真如の一理に帰するといいます。法性真如の一理とは、衆生に本来そなわっている真実の絶対真理であり、妙法蓮華経のことなのです。

続く

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2・末法の御本仏

2011-09-26 13:10:40 | 日記
※報恩抄にいわく、「一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」と。
※観心本尊抄にいわく「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」と。釈尊は脇士に連なっているのが、大御本尊の厳然たる相貎で、中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」としたためてあって、釈迦・多宝等は脇士となってます。★本尊問答抄の「此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず」との御文からみれば、★「本門寿量品の教主釈尊」とは、末法の南無妙法蓮華経所持の仏、すなわち日蓮大聖人様のことです。
★★「正法」とは法本尊であり、★★「正師」とは、人本尊であり、この人法一箇の大御本尊(御本尊)を信じて信心していくから、当体蓮華を証得できるんだとあります。

実相・・・自身が何を証得するかが大事ですね。地獄の証得ではなく、仏の証得を大聖人は教えてられていますね。仏界の証得であり、人間として、ありのままの凡夫としての最高の境涯。
★★

続く

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末法の御本仏

2011-09-26 12:17:23 | 日記
※顕仏未来記のP507の10行~P507の18行

※疑って云く何を以て之をしるて汝を末法の法華経の行者なりと云うことを、答えて云く法華経に云く「況んや滅度の後をや」(中略)

日蓮大聖人様こそ、末法に出現した御本仏であることが明かされています。御本仏として末法に出現しなかったならば、法華経にある仏語がすべて虚妄になることをいいきってます。
また、※「所詮妙法則蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子旦那等の父母所生の肉身是なり」

とは、ありのままの人間・妙法を信じたときにそれが即、妙法蓮華の当体とあらわれる。※肉体を離れて生きた人間の存在はなく、「父母所生の肉身」を否定して、いかに尊厳を説こうとも、それは観念論となります。

また、とびとびに書きますが、本門寿量の教主については、内証の寿量品、本因妙の教主日蓮大聖人の御事です。これに対して、本門寿量品の教主とは在世の本門寿量品の教主であって、どうして末法の日蓮大聖人をもって本門寿量品の教主となすのかと反論がありますが、日蓮大聖人こそ、その内証は久遠元初の自受用報身如来であり、即、末法下種の主師親として後五百歳の世に出現し、初めて、事の一念三千の大御本尊を弘宣せられたのです。末法に凡夫僧として、御出現された日蓮大聖人であることは歴然としています。

続く

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※戸田先生の遺言

2011-09-25 19:48:04 | 日記
※戸田先生の遺言です。
※戸田先生は、三代会長を守りなさい、というのが遺言だと聞いております。
※どんなことがあっても、守っていくのが弟子であり、学会活動をしないで、ないがしろにし、ネット上の中でしか、物事を言えない輩が、戸田先生、戸田先生と言っているのは、そういう輩は三代会長を守りきれていないことになると、私はご指導を受けてきました。1番大切なのは、信心の血脈が大事です。
ネット上の中でしかものごとを言えないのは、おかしいということです。池田先生の弟子ならばどこまでも先生の信心の指導を求めていくのが弟子であるとおもいます。

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