花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、創価学会~~未来に向かって、花百蓮のブログ

花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、(はなももれん)のブログです。池田先生から頂いた福智は私の信心の原点です。

12・美浜区役所です・

2017-03-30 19:14:29 | 日記
そんなわけで、2ヶ月でオムツがとれました。脊髄を傷めて病院から抜け出してきて自宅で自分の努力で、必ず治すと日々、努力しました。歩けないから、どうしようじゃないし、私は少年部時代から、なんでも一人でしてきたし、いえ、やらなきゃいけなかった、自分と御本尊様だけだったからね。大病しても、あ~~どうしよう、と家族に心配かけたことはないです。家族がかわいそうだもの。同じ病だろうと、なんだろうと、こんなものに負けるものか~~~が、私らしい、生き方です。いろいろ嘆いたところで、なにも進展しないしね、なら、また、今世での挑戦をして、この大聖人様の信心の偉大さを証明できるうれしさを私の信心を通して、語ろう、だから、負けるものか、と、リングはロ-プを張ったリングだけじゃないから、人生の中でのリングの中でも、勝つんだと、決めて努力しました。いまは、このとおり、昨年の12月に運転免許の書き替えで、もちろん、自宅から、自転車で、海浜幕張をとおり、運転免許センタ-まで、自転車で行きました。この道は真っ直ぐなんですが、いっぱい思いでがあるのです。暴走族との私、一人対・8、9人との戦い、前にブログで書きましたが、その戦った、暴走族の男が、昨年、私を覚えていて、なんと検見川浜駅前で、声をかけてきて、あのときはと、いったのです。私は忘れていたので、続く

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11・(2)・京葉線検見川浜駅です・あのとき努力しなかったら今・車椅子だった

2017-03-30 12:18:08 | 日記
いまこうして、この年齢と脊髄を傷めていても、バスケットや格闘技や音楽・ディスコダンス・ローラスケ-トやスケボ-などできるのは重症の椎間板を損傷し、3回入院し、完全に腰から下が麻痺し、オムツをしていて入院してたとき、1日中、大きな注射と薬づけで、私はこのまま何ヵ月も入院し、薬漬けにされるなら、外泊許可を1日もらい、もう、病院に行かないで、自宅で、努力して、絶対に快復して、オムツもとるんだ、絶対に自転車にも乗れるように自分で努力するんだと、決めて、外泊許可をもらい、タクシ-に抱えて乗せてもらい、また抱えて玄関に入れてもらい帰宅しました。◆帰宅した私はまず、御本尊様まで、ほふく全身で進み・自動扉のボタンを押し、御本尊様・花百蓮、病院から戻ってきました。これから、御本尊様の前でまた、お題目を唱えられて、うれしいです、必ず、腰から下の麻痺を自分の努力で治しますから、また、歩けて、格闘技などもできる、そして、広宣流布のために自転車にも乗れて、折伏に行かれますように、とお題目を唱え、帰宅したその日から、ほふく前進で、うでの力は鍛えていたので、あるので、うでだけで、なんの感覚もない、腰から下も、うでだけで、動きまわり◆孫ふたりが来たときは、心配させないように笑わせるために、おとなしく布団から這い出して、いもむし、ゴ-ロゴロと(苦笑) 転がって笑わせたものです。◆あのまま、病院で毎日、大量の薬漬けの日々をしていたら、整形外科の先生の言うように私は椎間板にボルトを何本か入れて手術しなければ歩けなく、一生、車椅子の生活と宣言されたとおりになっていたとおもいます。◆現に私より、全然、軽い、軽いと言っても、入院したかたですので重いんですけど、その人は駅前で会ったときに退院しても、いまも車椅子生活を送っているのです、その方は入院しているときにオムツもしていませんでした。続く

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10・京葉線検見川浜駅です、バスケット・空手・格闘技・音楽・ローラスケ-ト・スケボ-・ディスコ...

2017-03-30 11:01:05 | 日記
いつも出没してるところです。4月から法戦ですが、忙しい中、折伏も含め・自分の好きな格闘技は脊髄を傷めててもしてますが、バスケットはムリをしない程度にこれからもやっていきます。◆あのときに 続く

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9・たてせんの時の両親におぶって帰った記憶・城東支部のとき

2017-03-27 02:13:02 | 日記
私がまだ幼い頃、覚えているのはまだ創価学会が、たて線のときに会合の帰り電車がなくなり両親が夜遅く私を代わる代わるおぶって暗い道を歩いて帰宅していることを思いだします。入院する前の病弱な父と母はそのときは、信心を頑張っていたのです。城東支部というところに所属していて、両親は最初の役職は組長・組担という役職で次に班たんとかいうのかな、城東支部の役職の小さな賞状みたいなのが、実家の仏壇の中にあってそう書いてありました。折伏もたくさん実らせていたのです。◆私は両親からきいた・私が登山した回数と平成2年の創価学会で行ける最後の登山で、合計、128回登山し・大石寺に御開扉を受けたことは両親にとくに、途中から反対する母になったけど、私を赤ちゃんのときから一緒に、数多く登山してくれた ことは感謝しています。正本堂ができる前の御開扉もよく覚えていますし、正本堂が出来てからも、多く私は登山してきました。けっして回数ではないですけど。外見は若く見られて功徳ですけど、自分の歴史の生き証人なので見てきたことを孫たちにも伝えていこいとおもいます。 続く

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8・創価元分県副青年部長が真言のマントラを拝んだ・ふざけるな!結婚して6回引っ越した私でもわか...

2017-03-26 19:59:17 | 日記
いろいろと書きますが、今日はいろいろと主人のタブレットを借りて検索していたら、元とついていたから、創価を脱会した人のことだからいいけど、まだ、脱会する前にいくら鬱病になったからといっても、謗法になる邪宗のマントラを拝んだと本人が言っている動画をみました。マントラなんて邪宗をいくらなんでも拝みますかね。しかも、この役職だよ。◆だから、私は役職で人をずっと小さい頃から見てはこなかったです。◆私は結婚してから、6回・千葉から東京間を仕事の関係で、引っ越しし、役職も、副白ゆり長から、また、副白ゆり長を引っ越ししたたんび、経験してきています。こんな末端の私でさえ、マントラに向かって拝むなんて、大謗法です。◆私が少年部のときは担当の女子部の方はまだ、10代でした。でも、信心の面でも、人生の面でも、しっかりしていましたし、大人の考えでしたね。◆いまは確かに、21世紀になって、先生が、お神輿も地域友好も大事だから、かついでいいよ、と言ってくれたんですと、会合で聞いてきましたが、私・個人としては担ぎません。◆かつがなくても、私は普段から、自分は創価学会員として、日蓮大聖人様の信仰をして、誇りにおもってますと、いいつづけてきていますから、きちんと、担がない理由を言ったからと、近所でも、付き合いがなくなるわけでも、友達をなくす訳でもありません。続く

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