この田舎の広範囲の地域でも、まだ当時は創価学会員はおばさんの家が一人だけでした。昭和45年から、46年頃で、まだ大石寺では正本堂が工事中で出来る前の当時・からのおばさんと私は中学1年の夏休みに はじめて会えました。おばさんはお仏壇の横にある御書をとりだして、花百蓮ちゃん、御書持ってるか?と聞いてきたので、うん、少年部からお金を貯めて、2年ちかくかかって買えて持ったばかりだよ、お金がちょっと貯まると、いろいろと出ていったり、大変だったけど。おばさんはうんだか、というと御書は本当に大事だべ。オレは御書を読むときズウズウ弁だけどよ、村でよ、オレがたった1人の創価学会のよ~~、婦人部だからよ、村で創価学会員だということだけで、仲間外れされたんだ、村で葬式があってよ、お手伝いしようと行ってもよ、みながよ、学会員は来るな!帰れ! と言われてな、悲しかったよ。◆でもよ、池田先生の指導をよ、胸に刻んで、御書をわからなくてもよ、御本尊様の前で泣きながらよ、発音が上がったり下がったりしながらよ、読んでいったんだ。と話して、御書の一生成仏抄の一節を読んでくれました。続く
あのよ、座談会はよ、米沢までいくべっちゃ~。え~っ、ここから米沢まで行くの? んだ。行くよ。あのよ~~、創価学会員がよ、この村で、オレが(ここの地方では女性でも自分のことをオレといいます) オレひとりだからよ、でもよ、他の村合わせてもよ、オレひとりしかいなくてよ~~。私はそれじゃ、雪が降った日は? 冬はたいへんだよね、聖教新聞も届くの? うんだべっちゃ、でもよ、雪が降ってもよ、聖教新聞がちゃ~~んと、オレのうちさ届けてくれんだよ、ありがたくてよ。え~~~すごいね~~、雪は私も冬休みに田舎に来てるけど、いとこのうちは完全に1階が雪で埋まり、2階から出入りしなくちゃならないの知ってるから、私はびっくりしました。続く
私は地面に植えてあるおしきみの木を見たのははじめてでした。こんなに大きくなるんだね、と言うと、おばさんはもっと背丈はのびるみたいだよ、と教えてくれて、おしきみの実になること、その実から種があって種をとってまた種を蒔いて育ててるとのことでした。部屋にもどっておばさんと話してると聖教新聞があったので、見せてもらいました。私の家では母が信心反対するようになったので聖教新聞は私が結婚するまで取れませんでした。新聞を手にとるとしみじみとすみからすみまで私は見ました。おばさんは花百蓮ちゃん家では母ちゃんが(私の母のこと)信心反対するようになったんか、と聖教新聞も取れなくてかわいそうになぁ~といってくれて、いっしょに新聞を読んで、池田先生の話しをしてくれたりしました。私はおばさんに会合のことを聞きました。座談会はどこに行くの? 続く
私ね、自分が体験してきたことをこのブログに書いてきてますが、体験ほど自分で納得のできるものはなかったです。◆私の場合はお金があって、御書講義とか書籍を買ったのではなく、ないときに、ないときのほうが書籍を買えていました。不思議なんだけど。書籍が創価千葉文化会館で一昨年ぐらいまでは売ってありましたが、その時まで東京から仕事して帰宅の途中・夜、お金がないときも、いつも千葉文化会館によって、書籍を見ていました。そして帰宅していました。仕事の休みの日は昼間・会館に行って(昼過ぎじゃないと書籍がやってなく) ました。今はもう数冊しかないですが、私が20代のヤングミセスの地区責任者の時から、書籍係もしていたので、日蓮大聖人御書講義を買っていましたが、本当にすばらしい講義です。いまはもう、残ってる以外は絶版になりました。 続く
お仏壇の前でおばさんといっしょに題目三唱して、花百蓮ちゃん、勤行とすきなだけお題目をあげていいからね、といって引き出しからお数珠をだしてくれましたが、私はいつもお数珠は身に付けてもっていたので自分ので、夕の勤行をさせてもらいました。いとこの子は私より年齢が下で小学生5年生で、私が勤行中おばさんと畑に行っていました。勤行と唱題を終わらせ私はこの山奥におしきみが供えてあったので畑から帰宅したおばさんにどこで買ってるのか聞いてみました。◆すると花百蓮ちゃんこっちへ、来い、と外へ出ました。すると庭のほうへまわるとなんと地面に私ぐらいの背丈のおしきみの木が植えてありました。 え~~~これは~~、と言うとおばさんが創価学会に入会して、はじめて登山したときにおしきみをなん本か買ってきたのを庭に植えたのだそうです。おしきみはその木から切って供えているのがわかりました。続く