花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、創価学会~~未来に向かって、花百蓮のブログ

花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、(はなももれん)のブログです。池田先生から頂いた福智は私の信心の原点です。

3・御書をずっと抱きしめて、私の白い、お数珠のおもいで

2016-11-30 16:39:31 | 日記
私は少年部・小学生5年になる前から、少ないおこずかいの中から御書を買うために小銭をためていましたが、貯まると、父が病院から抜け出して来て近所の酒屋さんで、身体が悪いのにお酒をつけで、つ・け・で、呑み・酒屋さんの人が支払いを言いにくるので、私がまた(何十回もありました)・ 小学生の私が酒屋さんに出向いて、あやまって父が呑んだお酒代を折角貯めたお金から、御書を買うために貯めたお金から酒代を払い続けました。酒屋さんのおじさんは小学生の私を気の毒に思っていたようで、いつもお嬢ちゃんは偉いねぇ~と言ってくれるんですが私は悲しい思いで、すぐに帰ってきました。中学1年の夏から事情を学校の先生に話し、友人の家が喫茶店をしていたので、学校が終るとその喫茶店でお皿洗いのアルバイトをしながら、お金をためて、やっと、やっと買えた御書◆やっと、やっと、買えた、御書・◆私の御書◆それはそれは、御書を買えたとき、私は泣いた・泣いた・その場で抱きしめて、泣いたんです。ぼうだの涙でした。◆少年部時代に私は大人にまじって、唱題会も出ていました。少年部時代から一緒に会合に出ていた、私と仲のよかった家は会場になっており、その唱題のときに御書を知り私もほしいと思い、ためてきたのです。その少年部で一緒だった友は副運があるから、親御さんに御書を買いたい、と言ったらすぐにお金をくれて、私よりも早く、すぐに買って、買った御 書を私に見せてくれていました。◆僻みではなく、正直に私は買えるまでには年月がかかったのと、自分で、中1でアルバイトした お金で、御書を買えた、重みが、うれしくて、御書を最初、開く前から、ドキドキしました。1ペ-ジ開くたびにドキドキしたのです。続く

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2・御書を買えたとき泣いた・私の白い、お数珠のおもいで

2016-11-30 15:56:36 | 日記
私がお数珠を少年部時代から1日も離さずに身に付けてきたのは途中から信心を仕事のためにやめると言い出した母が、御本尊様も返して創価学会もやめると言ってから、お数珠も捨てれてしまうと私は恐れていたからです。その時にそう言った母に私はいつも勤行、唱題していたときに仕事から帰ってきた母に虐待されながらお題目もあげていたし、抵抗していましたが、今とちがい、きゃしゃな私が母に立ち向かっていきました。小さいお仏壇の中の御本尊様を私は両手を広げて、一人っ子の私は母に向かい、この御本尊様は私が必要だから、お母ちゃんがやめても私は創価学会をやめない。御本尊様は私のお母ちゃんだ。お父ちゃんは体が弱くていつも一緒に住めなくて、病院に入院してるけど、お父ちゃんが早く良くなるように祈ってるんたから、絶対に御本尊様は渡さない、と 、私は少年部でよく言えたといまでも思い出します。こうして護ってきました。何回も書きますが、◆御書を少年部から小銭でためてやっと買えたのは中1のときで、学会と和合の時の登山したときに大石寺の書店の売店で御書を買ったときに私は◆私はうれしくて、やっとやっと・・御書が、と両手で御書を抱きしめて、その場で泣きました。ずっと泣きました。続く

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1・私の白い・お数珠のおもいで

2016-11-30 01:15:18 | 日記
私の小学生4年からの勤行の時のお数珠は最初は家にあった、黒い色を使っていました。それからオレンジ色ぽい色の数珠・そして、白い色のお数珠にしてからはずっと、少年部時代から、離さずにどこへ行くにも、肌身離さずにお数珠を48年間・身に付けています。◆いついかなる時でも・仕事の帰宅中で、災害などがあったときでも、常にお数珠はバッグに入れていたので万全にしています。ですから仕事をしていたときは夜の本幹同時中継に仕事を終えそのまま参加して必ず私はお数珠をして題目三唱してきました。この写真の白いお数珠にはたくさんの私の信仰とともに折伏してきた おもいでがあります。いまでは高級なお数珠もたくさん持っておりますが、この白いお数珠は私の好きな色でもありますが、私の忘れられない、お数珠になりました。続く

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4・打たれても・叩かれても・向かっていく者だけが、私は向かっていった

2016-11-30 00:50:14 | 日記
私は小学生から温かい家族の生活がほしかったのです。
身体はすごく父に似て弱かった。
続く

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4・雨音・10000回だめでも10001回目は何かかわるかもとは、戯れ言である、現実体験はちがう

2016-11-25 01:40:09 | 日記
あるツィッタ-をみたんですが、現実に負けない人生を生きてきた私には10000回だめでも、10001回目は何かかわるかもしれない、などという言葉は戯れ言です。◆人生とは現実の人生とはそんな甘い・頭で考えるような甘いものではない。
◆何かかわるかもしれない・ではおそいことが多い。現実ではおそい。現実では待ってはくれない。◆私の経験からでは頭だけの現実離れにしか聞こえない。◆どん底のならまだ、しあわせである。だれにも頼らずに・なにもないなかから・裸一貫で、人生に立ち向かい・最悪の悪辣な環境の中でも、真面目に生きて、環境・状況に負けず・信心も負けず・環境に支配されず・その中で希望ももち・倒れても・叩かれても・またたちあがったら、また、叩かれる・また、立ち向かい・立ち上がってきた人間にとっては(私)・何かかわるかもしれない・の言葉は現実離れの言葉です。◆人間・生きていれば必ず、目標達成をしたければ・絶対に達成するとの強い意志がでるからです。◆信心も、同じ。苦しかったら、時間がなかったら、必死に胸中の中でも歩きながら胸中でもお題目をするでしょう。◆生きるか、死ぬかになったら1秒でも多くお題目を唱える。◆常に真剣の人生の人は・かもしれない・何かかわるかも・はない。絶対にかわる。絶対に現実にする、できると、強い意志・決意・行動があります。続く
コメント (2)
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