花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、創価学会~~未来に向かって、花百蓮のブログ

花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、(はなももれん)のブログです。池田先生から頂いた福智は私の信心の原点です。

パ-ト2の4・少年部のときに目のあたりにみた片足のおじさんの折伏

2017-06-22 23:33:16 | 日記
私の少年部のときは地区が、もう学会家族でした。いい時代でしたね。ちょうど高度成長期のときでした。

私が友達とゴムだんで平屋の前の広場で遊んでいると地区のCちゃんのおじちゃんが、広場の前の平屋の中のある一軒家に入っていきました。

しばらくすると、中から、おばさんとその男の子にCちゃんのおじちゃんが、体をどつかれておじちゃんは地面に倒れました。

Cちゃんのおじちゃんは片足をなくし、両方のわきで、松葉杖を使い歩いていつもいたのです。壮年部の幹部でもあり、いつもニコニコしていました。

私はおじちゃんが、どつかれてド~ンと音がしてびっくりしてして倒れたおじちゃんの側まで走っていきました。すると、どついたおばさんが、その子供の息子に【塩】をもってきて~~といって、息子が一キロ以上のたくさんの塩をもっておばさんにわたしました。

倒れたおじちゃんは一人ではすぐには立てないのです。そのおじちゃんに向かって、折伏されたおばさんは自分の息子にこのジジイの姿はナメクジだから、お塩をなげつけて、消えてしまえと言いなさい、とたくさんの【塩】を頭から、ドサッと、投げつけました。こんなのは人間じゃないんだからね、というと、

倒れたおじちゃんは、その息子さんに向かって、ぼっちゃん、いいこだね、ぼっちゃんのことや、ご両親の幸せをいつも願ってるからね~と、いったのです。

私の友達はおばさんが怖くて逃げ出してしまい、私は倒れたおじちゃんを起こしてあげました。

その後、この親子は7年後に創価学会に入会しました。

続く

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パ-ト2の3・来年で創価学会・入会、60年、私の生きてきた人生はくいはない

2017-06-22 02:16:29 | 日記
来年の夏で、創価学会に入会して、60年になります。私の生きてきた人生に悔いはありません。


たくさんの同志の方々の功徳の体験談と自分の体験談。


生まれて、7ヶ月での入信(そのときは寺院での入信、創価学会と日蓮正宗が、和合僧だったから)

たて線も、経験、よこせんも経験して、宿業の嵐にも、負けないで、私自身が逃げないで、人間サンドバッグになって信心でも、人生でもまけないできました。


いまこうして、過去世からの大聖人様とのお約束で生きさせていただいています。

ありがとうございます。御本尊様。池田先生。

続く

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パ-ト2の2・創価学会には現実で希望、励まし、未来があります、現実の生活の上で宗教を

2017-06-14 07:32:02 | 日記
創価学会では現実の生活の上での希望、夢、などの可能性を信仰で開き現実に生きる人間のための生きた宗教をしています。 ◆法華講員のある人のように、仕事を社員に任せきりにし、創価学会員は地獄にいく、地獄に墜ちると、わめきながら、全国を歩き回る恥じかき人間になっては、かえって日蓮大聖人様の【法】を下げるだけですねぇ。◆創価学会員はましてや、男性ならば(女性もですが) 、会社の社長ならば、社員の何倍も、売上などに仕事をするでしょう、日蓮正宗法華講員というのは、仕事をほったらかしにし、売上は社員に任せ、自分は社長だからと、全国を駆け回り、創価学会員をおどしている愚か者もいます。
◆御書は大事ですが、励ましもない、希望も与えない、心から喜びの信心の一念もない、 創価学会員をののしるだけの世界の法華講はかわいそうである。◆現実の生活の上での真実は私も、仕事は2倍以上(1日に4つ掛け持ちしてきた)・しながら、その中で、会合を無理なく、疲れたら休み、折伏、御書、お題目、歩きながら、胸中題目もしながら、そのほかをやってきました。◆もう、宿業の嵐の中、一歩も疲れきって、心身ともに立てない、限界をとおり越していたときに、仕事を終え、玄関をあけて、足が疲れで、その場でくずれ座ったときに玄関ポストに入れてくれていた、地区の1枚の同志の 私に対する励まし、激励だよね、を書いてくださいました、1枚のメモが、どれだけうれしかったか、どれだけ・勇気がでたか、どれだけ、希望をもてたか、 続く

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パ-ト2の1・私の生きざま、人間サンドバッグの人生。学会員だから負けなかった

2017-06-13 22:48:54 | 日記
人間サンドバッグでのタイトルではたくさん書いてきましたが、私は少年部の時が信心の原点です。創価学会に入会したのは私が赤ちゃんの7ヶ月のときです。来年は入会して、60年になりますね。信心は年月ではありませんが、この私でも、娘や孫に語っていくことが、まだまだ、たくさんあります。生き証人の年齢になりましたからね。
◆たて線から、よこせん、宗門と創価学会が一緒のときは、大御本尊様に御開扉を正本堂ができるまでは、奉安殿で赤ちゃんのときから、私は母が毎月、大石寺に小学生4年まで、連れて行ってくれて、そのあとは私は当時の女子部の方方々といき、結婚してからも毎年、申し込んで、1年に数回行き平成2年の創価学会で、最期の登山で、大御本尊様の御開扉は(回数ではありませんが)・128回、受けることができました。 ◆母は途中で私が小学生4年の時に学会を退転しましたが、こんなに多く連れて行ってくれたことに感謝していますと同時に 正本堂のときのご供養にその当時のお給料の7ヶ月分を父も含め母の仕事の分と併せて、ご供養したことが、ずっと、お仕事に困ることはなかったと、いまでも 母が語っています。◆御開扉はどういう一念で受けるのか、との池田先生のご指導を私はずっと守って平成2年まで、うけてきました。◆私は、第一次宗門問題のときはまだ若く、52年のときは、19歳で、私はもう結婚していたときです、主人は1年半は創価学会がきらいでしたので、私が、21歳のときに自分から、創価学会に入会すると言って、一緒に座談会に参加できるうれしさは、ものすごい功徳と感謝のお題目をあげましたね。ちょうど、54年のときでした。 続く

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コメントに対しての私の答え

2017-06-01 01:31:27 | 日記
前田大志さんへ

お数珠は大切なものです。◆また、私は池田先生から、お数珠を頂いております。桐の箱に入ってました。

ヤフオクで出品されているのが貴方にはそんなに欲しいのですか。私は出品されているのなんて、欲しくありませんね。また、私個人としてはお数珠は値段などにも関係なく自分で買ったお数珠を大切に毎日、私は小学生5年生から、身に付けてこんにちまで、役・半世紀、身に付けてきています。 ◆私が少年部の時に担当だった女子部の方が、いつも身に付けていたのを私はこの目でみていて、私も、それから学校に行くにもどこへ行くにも、常に小さい、お経本とともに身に付けてきています。◆お数珠はコレクションではありません。仏のごとく、と日蓮大聖人様は言われています。
◆私が小学生のときにはこの担当だった女子部の方に私がいつも、質問をしていて、お数珠のことも、人間の形、姿をしていること、広げるとね、四菩薩のことや親玉の意味も、そのほか意味のあることを私は教えてもらいました。◆三大秘法が、六大秘法に開くこと、そして、一大秘法になる意味も教えてもらったのです。◆当時の担当の女子部はまだ、二十歳前の人でした。私が、中学になって、その少年部担当の女子部の方は成人式を向かえたのです。◆私はこの女子部の方にはお世話になり、一番尊敬していました。◆本当に信心も強盛だし、目が澄んでいて、きれいでした。しっかりしていたとおもいます。◆私が、中学1年のときにこの女子部の方が、大石寺の総本山に1泊で、連れていくために私の母の許可を得るために母の1回帰宅する時間を教えると、自宅にその時間にきてくれて、母の怒声や罵声にも、めげずに一生懸命に話し、毎日、通ってきてくれて、私の母は10日目にその女子部の熱意におれて、許可をだしてくれました。◆御扉開はまだ、奉安殿でした。ちょうど、正本堂の工事中でしたね。 ◆いまでは、私の母の罵声を1回きいただけで、次の日に通ってきてくれる女子部の人はいますかね? ◆当時のこの女子部の方は常にお題目を根本・御書根本の方でした。続く

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