花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、創価学会~~未来に向かって、花百蓮のブログ

花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、(はなももれん)のブログです。池田先生から頂いた福智は私の信心の原点です。

61・黄金の3年間・両親が縦せんのときの城東支部・思い出す訪ねて来た草創期の壮年の人

2016-05-09 14:41:32 | 日記
そのおじさんはずっとお題目をあげ続けていました。結局、父は夜、9時すぎごろに帰ってきたのですが、それまでずっと寒い中、正座しお題目をあげつづけていました。私の両親は仙台と山形から仕事のため東京に出てきて、墨田に勤めていて結婚し、最初は墨田区のアパ-トに住み、私も墨田区で生まれました。それから江戸川区に住んで葛飾区に住むようになりました。後から父に聞いたのですがその訪ねて来た知らないおじさんは両親が縦せん時代に所属していた城東支部の人だったことがわかりました。私が強烈に覚えていることはそのおじさんがお題目をあげ続けていたこと、仏壇を掃除してくれたこと、お留守番してて偉いねぇと言ってくれたこと、そのおじさんの目が澄んでいてきれいだったこと。私は人生の中で、目がとっても澄んでいてきれいな人を見たのはこの城東支部のおじさんを含めて、3人しかいません。 父の帰宅後、1時間ぐらい父とおじさんは話して帰りました。あとで父から聞いたのですが、あのおじさんは歩いて帰宅したのだそうです。ありがとう、あのときのおじさん。続く

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60・黄金の3年間・思い出す・小学生の低学年の時に訪ねて来た草創期の壮年の人

2016-05-09 12:56:16 | 日記
この頃、思い出すんですが、私が小学生の低学年の時に夜、一人で留守番してるときにトントンとドアの叩く音がして(昔はブザ-がない) 玄関を開けました。開けると知らないおじさんがいて、お父さんはいますか?と、何時ごろ帰るかな?といったので8時半ごろと言うと、そのおじさんはそれならお父さんが帰ってくるまであがらせてもらってお題目を唱えていいかな?というので私は訳もわからずにあがらせていました。私はコタツの中に入って横になって4本足のアンテナのついたテレビを見ていました(昔はテレビに足がついてて) おじさんのほうを見ると自分のカバンから白いタオルを出して、仏壇を拭かせてもらってもいいかな?というので、私はうなづきました。水道でそのタオルをぬらして絞ったあと、おじさんは小さな仏壇を上から丁寧に拭いていきました。その後、1番小さい、私のうちのろうそくにマッチでつけてお題目をあげていました。私の父親は一度病院から退院してた貴重な時でした。続く

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1・180度ちがう・自分にはできないとおもってた・格闘技をやったのはやはり、意味のあることでした

2016-05-09 12:00:32 | 日記
私はもともと、父親に似て体が弱いほうでした。小学生時代の昭和40年代の小学校は必ず朝の朝礼というのがあって、私は背が低いのでいつも1番まえか、2番目でした。当然・学校の座る机も1番前が多かったですね。1年を通しての朝の朝礼で貧血などでよく倒れて意識を失って、授業をうけずにそのまま帰宅することもよくありました。保健室に4時間は横になっていたこともよく覚えています。遠足の日にこうていで説明を聞きこれから出発というときにも倒れて友達に起こされてそのまま帰宅して、1日寝ていました。とにかく身体が弱かったです。スポーツは自分には向いてないと、ムリだなぁ~というのが私の思いでした。性格もおとなしかったし((苦笑)) 続く

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