お樒を売っているおじさんが泣いてしまいました。遠いところから歩いてよくきたねぇ~と泣くんです。私は泣いてるおじさんのことを気にするよりも、1本のお樒の中から、ほんの少し切ってくれたお樒をもらったことがうれしくて、うれしくて、もう、も~~~~う~~~~~う~~~~~~うれしくて、さっさか、お店を出ていました。当然子供ですから時計はもっておりません。正確な時間もわからないですが、もしかしたら片道の時間が1時間40分くらいではなく、2時間半以上かかってたようにもおもいます。でも、私はもらったお樒がうれしくて、うれしくて、帰りはスキップするような気持ちで歩いて帰ったのです。小さいほんの少しのお樒を御本尊様にお供えできる、うれしさが、うれしくて。入れるのは小さな家にあった唯一の小さなグラスに入れて供えました。続く
今日の夜の地区座談会はいつものとおり時間厳守で終わりました。すばらしい活動体験3つがあり歓喜して帰宅しました。さて、樒の話しになりますが、私には小学生のときに樒の思いでがあります。ちょうど、5、6年生の時でしたが、少年部担当だった女子部の人にお樒は日本しかない、とそのときは聞いたのです。それからどこに行けば買えるのか聞き自宅から歩いて売っているところまで行きました。片道1時間40分くらいかかりました。やっと教えてもらったところは小さい仏壇店で、そのお店の外と中にバケツにお樒が入ってありました。私はずっと樒を見つめて出てきたお店のおじさんが、どのお樒がいい、と聞かれたのですが、返事ができず、しばらくしてから、また来ます、と行って帰りました。3回目に行ったときに私はそんなに、・・・1本もいらないんです、ほんの少しがほしくって、と言うと、お店のおじさんはニコニコ笑って、わかった、じゃ、これくらいでいいかな?と言って1のお樒から少し切ってくれました。これはね、お嬢ちゃんにあげるよ、と私に渡してくれたのです。どこから来たの?と言われたので、○町から歩いてきたの、と言うとおじさんは、え~~~と言って泣きそうな顔になりました。続く
答えはいつも、御書の中に書いてありました。私が悩みが出てきたときは勿論、お題目をあげきることが答えです。それプラス・指導を受けますし、御本尊様の前で御書を開き拝読し、通解・講義を通して拝読します。そして池田先生のご指導と新・人間革命を読むと必ずそこには明確な悩んでいる答えとして、載っているのです。★★相手は鏡であり、自分も鏡。自分がかわる、良く変わる。なんのためにこの信心をしているか。人が教えてもらうのではなく、自分がどうしていくのか。自分が鏡にどう向かっていくのか。おしきみも私はきらさずに小学生から買って、御本尊に供えてきました。自分は樒(しきみ)には思いでがあるのです。今も自由です。造花樒でもいいし。でも、私は旅行は行っても、おしきみは買わない、なんてしません。たった一本、200円です。一本千円になったとしても、その一本をお供えいたします。
続く
続く