~ 夢の途中 ~

強い?弱い?上手い?下手?そんなの関係ない!
全員が全力疾走!そんな『何か』を感じさせてくれるチームを応援します!

ただの中傷ってのはいただけないな・・・。

2011年11月22日 | プロ野球


ネット社会の恐ろしさである。

今・・・・野球関係のコラムやブログといった割かしマトモなサイトから、2チャン系のサイトまで熱く燃えている。

一つはCSと日本シリーズで全く打てなかった谷繁バッシング、

もう一つはハム拒否を表明した菅野バッシングだ。

まったくもって悲しい話である。

確かにシリーズでの谷繁さんのブレーキは凄まじかった。いや・・・・神レベルのストッパーだった。

いや、打てなかったのは谷繁さんだけではなく、中日打者全員が金縛り状態でありシーズンチーム打率が・228ってのは伊達じゃなかった。

しかしあの戦力でセ・リーグのペナントを取ったのは投手力以外何者でもないと思っていたら・・・彼がいた。

日本シリーズ第7戦で本多が刺された盗塁、彼はスタートから2塁ベースタッチまで3.24秒。同じく成功した松田は3.25秒のクロスプレー(アウトって言われても文句が言えないぐらいギリ)。

谷繁、恐るべしです。キャーミにボールが触れてからの計測は毎回1.92秒~2.11秒と言う高速タイムも驚きだが、もっと凄いのがコントロールである。

ベース上にピタッと投げれるコントロールは惚れ惚れしちゃうし、あれ見せられたら中々スタート切れないでしょう。

ちなみに松田成功の送球は野手のベルト付近に浮いたためタッチの時間を要したためセーフでした。

解説者気取りのジャニタレが「両チームの戦力は互角ですね!」な~んて言ってノムさんを呆れさせてたが、ドコをどーみて互角なんて思うんだろうか?

ハッキリ言って圧倒的な戦力差があった。もしSBが1・2戦の延長を取っとけば4勝0敗で終わってたシリーズです。

明日なき戦いでローテを組むしかなかったDと、シーズン通りの間隔で投げたSB投手陣、ブルペンを比べてみてもDで信頼出来るのは浅尾さんのみ、対して森福・防具・金澤とSBには3枚いました。

これだけでも雲泥なのに攻撃では常に川崎・本多・松田が足でのプレッシャーをかけ(ん?カワサキ、ホンダ、マツダって何かのレースみたい)対するDは井端のみ・・・・。

これだけでもみても相当な戦力差であるが、この差を埋めて見た目接戦に持ち込めたのは谷繁さんの配球の妙であり、彼の二塁送球である。

ある意味SB最強の武器を封じられたが故に7戦まで戦えたのがDです。

何とか7戦目に持ち込んだDと予定通りの余裕で7戦目を戦ったSB、個人的には谷繁さんに敢闘賞を進呈したいぐらいです。

しかし落合監督の一挙手一投足にはいちいちムカつく。やはり嫌いだと再認識しました。

が・・・・嫌いだけど評価してます。ホンッとによくあの戦力でCS・Nシリーズと戦ってきたモンです。大っ嫌いだが評価しないわけにはいきません。

『モバ・ゲイスターズ』さん、ここは落合さんに早急に監督依頼すべきです。


で・・・・・菅野投手ですが「最初に想い描いてた『夢』を追い続け叔父の原監督と野球がしたい」だそうです。

これはこれで立派です。巨人は、ってか巨人のやり方は万死に値しますが、菅野投手の言葉、決断は認めざるを得ません。(今でも勿体ない、ハムで勝負したほうがいい、浪人はリスクが高すぎると思いますが)

実際浪人経験のある江川さんは「想像以上にきつい。1年のブランクを取り戻すのにさらに丸2年を要した」とおっしゃってた。

「江川の現役はたった9年」といろんな書籍で否定的に紹介されます。今日のニッカンにもご本人が「浪人のブランクを取り戻すのはきつい」と語っているようです。ですが、菅野投手本人にとって大切なことって、そこじゃないですよね?

江川さんが「浪人して巨人に行ったのは間違いだった」と言っているなら別ですが。

江川さんが「過去に戻れるなら阪急ブレーブスに素直に入団して20年ぐらい現役で300勝はしたかった」もしもそう仰っているなら、人生の先輩として菅野投手の参考になるのかもしれませんが、そうじゃないんじゃないですか?

いかん。グチが止まらない。ここらで〆よう。

彼に対し「金の亡者」だの「自己中心的だ」あるいは「夢を持つことは素晴らしい」なんて無責任且つ、もっともらしくブーてれる人は・・・・

「夢をあきらめるな」なんて言葉は今後一切口にできないはずだ。


あれはなに?

2011年11月22日 | ステキな話
 

今日は朝から感動するお話など・・・・。

母が認知症になった。

施設には入れずに、自宅で介護を続けてきた。

施設の見学には行ったが、母をそこに入れることが不憫に思えた。

・・・・3年後。

懸命な介護にもかかわらず母の認知症は進んだ。

その頃には私も介護に疲れ、少しのことでイラつくようになっていた。

ある日、家の庭に野良猫がやってきた。

母は猫を指差し、「あれは何だい?」と訪ねてきた。

私は「あれは猫だよ。」と、少し冷たく答えた。

母は1分もしないうちに私に訪ねた。

「あれは何だい?」

「母さん。さっき言っただろ?あれは猫だよ。」

私は少しイライラしていた。

母はまたすぐに言った。

「ねぇ、あれは何?」

私は感情にまかせて母を怒鳴った。

「母さん!何度も言ってるだろ!あれは猫だよ!!分からないの!!」

母は恐れるような眼で私を見つめ、それからは黙っていた。

その後すぐに、私は母を施設に入れることにした。

母の荷物をまとめるために部屋を整理していると、古いノートが何冊も出てきた。

パラパラとめくって中身を見ると、それは母の日記で、

私を産んでから数年間、毎日のように書かれたものであった。

私はハッとした。

それを読んでも母を施設に入れる気持ちは変わらないと思ったが、

なんだか申し訳ない気持ちになって、なんとなく読み始めていた。


内容はありふれたもので、

『私が初めて〇〇をした。』というようなことがほとんどであった。

私は大した感動をすることもなく1冊目を読み終えると、2冊目の日記を読み始めた。


6月3日。

もうすぐ4歳になる息子と公園に行くと、1羽のハクセキレイが目の前に飛んできた。


息子は「あれは何て言う鳥?」と、私に何回も何回も訊いてきた。

私はその度に「あれはセキレイって言うんだよ。」と、言って息子を抱きしめた。

何度も訊いてくれることが、私をこんなに穏やかにしてくれるなんて。

この子が生まれてきてくれてよかった。 ありがとう。



読み終わった私の目には涙があふれ、

母のもとに駆け寄り、やさしく抱きしめながら泣きじゃくった。

母は、そんな私をただやさしく撫でていた。

いい話ですね~。

以前、敬愛する長淵剛さんがTVの中で「オレは親が生きてる間は子供よりも親を大事にする。なんたってオレが生きているのは、かーちゃんのお陰だし、俺の子供が今生きてるのは、やっぱかーちゃんのお陰だからね。」

この話を聞いたときは、私の心の奥のほうにある鐘をガンガン打ち鳴らされました。

そーですね。子供が宝物ってのは当たり前ですが、『親も私の宝物』って事を当たり前すぎて見失ってた気がします。

自分の両親は勿論の事、嫁さんの母親(義父は25年前に他界)も大事にしていかないと。

なんたって彼女の両親がいなければ、彼女は勿論、私達の子供も存在してない訳ですから・・・。