~ 夢の途中 ~

強い?弱い?上手い?下手?そんなの関係ない!
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あいつらしく・・・・

2016年12月21日 | 久商野球部

同じ時間を共有し

同じ出来事に涙し

同じ出来事に笑い

同じ出来事に苦しみ

同じ出来事に歓喜し

同じ出来事を耐え抜き



そして同じ目標を追いかけていた仲間が逝った。



春先に腰やお腹に張りを感じ、近くの小さなクリニックで診察してもらい痛み止めを処方してもらっていた「らしい」

10月になりどうしても痛みが治まらず大きな病院で精密検査を受けた「らしい」

そこで余命1ヶ月と云う非情な宣告を受けた「らしい」

もうすでに葬儀まで済ませた「らしい」


「久商野球部のヤツラにこんなみっともない姿は見せたくない。絶対に病気の事は言わないでくれ」そう親父さんに言っていた「らしい」

「オレの死に顔は絶対に野球部のヤツラには見せないで欲しい。葬式が終わるまで絶対に言わないでくれ」そうお袋さんに言っていた「らしい」



悔しい。すべて「らしい」でしか話せない。

みっともなくてもいいじゃないか。カッコ悪いくらいもがいてもいいじゃないか。

オレらの関係ってそんなもんなのか。

みっともなかろうが格好悪かろうがそんな全てを飲み込んで来た仲間だろ。

なんでそこまで強がれるんだ。なんでそこまで耐えられたんだ。

最後くらい弱味を見せて欲しかった。

最後くらい別れを言わせて欲しかった。

最後くらい・・・



高校時代からいつもエエ格好しいだったあいつ。

自分の弱味を見せる事を嫌っていたあいつ。

何に対しても頑固だった。頑固過ぎるくらい自分の考えを曲げないヤツだった。その頑固さのせいで何度も衝突した。



まだ小学生の子供を二人残していく、さぞ苦しかっただろう。さぞ悔しかっただろう。

どれだけ心残りだろうか。どれだけ口惜しかっただろうか。

誰かに本当の心の内を明かせていたんだろうか。

誰にも告げずひとりで旅立つ事を選択し寂しくなかったんだろうか。



最後の最後まであいつらしく逝った。

これで旅立った仲間は二人になった。

今頃向こうでキャッチボールでもやってるだろう。


いつかは俺らもそっちへ行く。全員揃ったら紅白戦でもやろう。

それまでにしっかり肩を作っといてくれ。




じゃあ・・・またな。

一刀両断

2016年12月20日 | せつない話

「えっ?オレいつこんな投稿したっけ?」

新聞の片隅にある読者相談。



自分自身、常にこんな気持ちで、ある意味ポジィティブに過ごしている。


しかしそのアンサーが余りにもシュール過ぎた。


バッサリと斬りつけている。



幻想って・・・・

勘違いって・・・・

気を付けよう。

ドバイへ! Vol.3

2016年12月17日 | 日記

いよいよ最終日。厳密に言えば明日までなんだが帰国する便が朝の7時30分発なので実質本日が最終日なんである。


AMに簡単な研修及び病院見学が終わると颯爽と街へ飛び出す。

その国を知るには地元の方々が暮らす住宅地を知るのが一番。と言う事でどの国へ行っても必ず住宅地を訪問する。そこから各国の・・・と偉そうな言い方をしたが実質ドバイが5カ国目で、そのうちの一つがアメリカ・・・・っていってもハワイなんで大した経験なんぞないんだが・・・。

まずはメトロに乗り込む。
まずはこのチケットを購入。日本で言うキップみたいなヤツでこのカードを購入し行きたいトコまでの金額をチャージする。金額は3種類で3つのゾーンに別れていてゾーンごとの金額設定となっていた。
とりあえずレギュレーチッケットを購入・・・・



近未来的な駅構内






目的地を決めずに乗り込み駅の雰囲気を感じ降りる事に・・・そんな無鉄砲な計画だった。いや、もはや計画とも言えまい。


まずはここで降りる。まずは腹ごしらえ・・・とりあえずラクダ肉のハンバーガーにチャレンジしてみる。




味は・・・あっけないほど普通。


さぁ地元住民と触れ合おう。これが悲劇の始まりだった。以降迷子となり3時間ほど涙目で彷徨っていた。



人がいない。



もっと路地裏へ・・・・さらなる悲劇を招く。


どんどん怖くなって行き





とりあえず日本を見つけホッとするも・・・



路地が入り組み過ぎてGoogle mapも役に立たず翻訳アプリととびっきりの笑顔だけが頼みの綱だった。



やっとホテルに辿り着けたのは申し込んでいた『デザートサファリツアー』出発の5分前になんとか滑り込めた。

ひたすら砂漠を目指す。





















途中でこんな集団見たときは少しビビったが・・・



自分探しのためドバイの地で学んだのは・・・


日本の力を感じた事。




そして・・・ポイ捨てしちゃダメだって事。







アラブってのは治安が悪くって・・・みたいに勝手にバイアスかけて見ていた事を反省です。



ドバイ最後の夜を目に焼き付け・・・








帰国後に聞いたのは寂しいニュースだった。

ドバイへ! Vol.2

2016年12月13日 | 日記

自転車から49時間後、やっとの思いでمطار دبي الدولي 到着。(Dubai International airport)
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到着は現地時間で早朝5時。Dubai支社のanyi(チュニジア人)さんが出迎えてくれ、まずはホテルへチェックイン。
 

ホテルの真ん前が世界一高いブルジェ・ハリファ、隣が世界一広いドバイ・モールと云うオイルバブル臭全開の『ザ パレス ジ オールド タウン』






部屋の窓から見る景色、プールの向こうにブルジェ・ハリファとドバイ・モール。




プールを渡った反対側からの景色。ホテルの向こうに見える高層ビル郡に圧倒される。



研修まで2時間ほどがあるのでとりあえずドバイ・モールへ。

説明では東京ドーム50個分って言う事だったがモールの中には


こんなのホッケーのリンクや、


なにやら有名らしい水族館。これを見てもなお『美ら海水族館』に勝る水族館はないと思っているし、クロマグロが回遊する『葛西臨海水族館』より美味しそうな水族館は存在しないと思っている。

ちなみにドバイでもPL学園ベイTで通そうと思ったがやはり宗教は怖いのでモールから出たと当時に着替えた。



そして初日の研修へ・・・いかにもアラブ圏ってぽい建造物







カタコトの、それも久留米弁なまりの英語なんぞ通用するハズもなく、ましてや聞き取れる単語を何とかつなぎ合わせて行ってるだけで撃沈。
後は適当に流す。



この病院で研修。

そして終了。



もう書くのも恥ずかしいし面倒くさいんで2日目以降は記憶・記録ともなし。そんなこったから今日この現在もレポートなんぞ完成していないのは言うまでもない。


そして本日のメインイベントは世界一の展望台で夕日見学。
なるほど・・・世界一高い展望台は入場料もベラボーに高かったがそれ以上の見返りは充分に頂いた。








夜はこのままマディナト ジュメイラでのディナーへ突入。









たまたま同じホテルでドバイ国際映画祭が開催されていた。
そこには凄まじいまでに顔が小さい男女の白人さんが入り乱れて、中でもエヴァ ロンゴリアさんを直接目の当たりにしたのは感激!
「怖そうな方々が写真は撮るな!」みたいな感じで叫んでいたんで写真は撮れなかったがしっかりと目に焼き付けてきた。




めっちゃ高そうなワインを頂いたが、個人的には『赤玉パンチ』が一番美味いと思う。


~以降VOL.3に続く~

ドバイへ! Vol.1

2016年12月10日 | 日記

هذا آيلو 

今日はアラビア語で「こんにちわ」から始める。


前回予告した通り自分探しの旅にドバイへと発つ・・・はずだった。

初めてのUAE(アラブ首長国連邦)、しかもそれがドバイと云う世界のセレブが集まる国で胸が弾みっぱなし。
ちなみにUAEとは『アブダビ』、『アジュマーン』、『フジャイラ』、『シャールジャ』、『ドバイ』、『ラアス・アル=ハイマ』、『ウンム・アル=カイワイン』と7つの首長国から構成される連邦国家です。

土曜の早朝6時に家を出る→
8時過ぎから糸島で壮行会ならぬ走行会で100キロほど自転車を漕ぐ→
JAL福岡19時発羽田行きに乗り20時30分に羽田着→
軽く食事をして待つって事で生3杯と焼酎4杯飲みながら深夜0時30分発Dubai行きを待つ→




23時に欠航が決まる




完全に酔いが醒める→
羽田で次の便を探すが2日に1便。48時間羽田で過ごす訳にも行かず成田便への振り替え依頼をする→
翌日の深夜23時発を何とか押さえる(エミレーツ航空に感謝する)→
高速バスで成田に移動→
深夜2時にホテル日航成田着→
18時間ホテルで過ごす→



やっと出国出来た。



~以降VOL.2に続く~

発つ

2016年12月03日 | ステキな話

いよいよ自分探しの旅に出る。

聞きつけた仲間達が壮行会ならぬ走行会を催してくれた。
なんの因果で飛行機に乗る前に自転車に乗らないといけないのか今一つ理解出来ぬまま100キロほど漕ぎまくった。


全身に乳酸が溜まった体を海鮮丼が癒してくれる。



いつもと違物憂げな表情の海。別れを惜しんでいるようにも見える。

どれだけ旅をしたらホントの自分に出逢えるんだろうか。

どれだけの時間をかけたら・・・

答えは見つからないのかも知れない。
ホントの自分なんていないのかも知れない。

いや、もしかしたら今いる自分がホントの自分かも知れない。

いつ帰国出来るんだろうか?

もしかしたらもう日本の地はもう踏めないかもしれない。

今日食べた海鮮丼が日本で食べた、文字通り最後の晩餐になるかも知れない。

もし日本に帰ってくる日があれば笑顔で帰って来れるんだろうか?

いつか笑顔で帰れる日を夢見て、


世界の金持ちが集まる国へ、


4泊6日の旅に出る。

二度目の・・・

2016年12月01日 | 悲しい話

衝撃を与えたASKAさんの二度目の逮捕劇。

やはり一度覚えた快楽は忘れらないんだろうか?


高三の冬、初めて買った16万円のシルビアを乗り回し初めて交通キップ切られた時にカセットテープから流れていたのは彼等が唄うモーニングムーンだった。

奇しくもその日のプロ野球ニュースを独占したのは、初めてのプロ野球キャンプに参加し、フリーバッティングで何本も柵越えを連発した清原選手だった。

偶然とは怖いモンだが清原さんには立ち直って欲しいんだが・・・・。


しかし朝からワイドショーではタクシー内でのASKAさんの映像が垂れ流している。

この映像はタクシー会社が提供したしか考えられないがそんな事して大丈夫なんだろうか?
個人情報保護法について詳しい事は分からないが抵触しないんだろうか?たぶんアウトなんでは・・・。

一方のTV局はどうなんだろう?。恐らくは違法であろう映像を流すことでBPO(放送倫理・番組向上機構)あたりに引っかかってこないんだろうか?

視聴率が取れるなら・・・報道の自由の名の下だったら多少の違法は許されるんだろうか?

今週末はこんな怖い日本を飛び出し自分探しの旅をする事にしよう。

砂漠でアラジンの魔法のランプを探す旅に出よう。文明の力なぞ全てほっぽらかし、未開の地を歩く。


しかしASKAさん、警察に「盗聴されている。盗撮されている。」と自分で通報していたらしい。

もうこの時点で「あぁ~ASKAさんまたヤッてるんだな」そう思っていたが・・・・


ホントにタクシーで盗撮されていたんだな。
ASKAさんの証言「オレは薬物なんかやっていない。キフハブと云う組織に盗撮されているんだ」そんな言葉も手放しでは笑えなくなってくる。