生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

パスカルの賭け:神の実在を期待する/衣食足りて礼節を知ろう

2010年08月31日 12時19分54秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月31日-1
パスカルの賭け:神の実在を期待する/衣食足りて礼節を知ろう

 石浦章一『遺伝子が明かす脳と心のからくり』(2004: 255-256頁)に、次のようなことが述べられている。同じ述語になるようになど、比較しやすいように、表現は改変した。

 A1. 神を信じる人にとって、神が存在するならば、幸福な生活が得られる[利得をaとする]。
 A2. 神を信じる人にとって、神が存在しないならば、何も起こらない[?=幸福な生活も不幸な生活も得られない。利得は0]。
 A3. よって、神を信じる人は、平均すると幸福な生活が得られる[a+0 = a/2 >0]。


 B1. 神を信じない人にとって、神が存在するならば、地獄に落ちる[→不幸な生活が得られる。利得を-bとする]。
 B2. 神を信じない人にとって、神が存在しないならば、何も起こらない[?=幸福な生活も不幸な生活も得られない。利得は0]。
 B3. よって、神を信じない人は、平均すると不幸な生活が得られる[-b+0 = -b/2 <0。bは正の数だとする]。


 パスカルは、この両者を比較して考えると、神は信じた方がいいと結論したらしい。
 石浦(2004: 256頁)は、

  「この論理のおかしいところは、「神は存在する」と「神は存在しない」が五分五分の確率だと考えているところですね」

と言う。はてな?

 []内に注釈したように、神が存在する、あるいはしないが、五分五分の確率でなくとも、パスカルの論理は成立する。五分五分でなく、神が存在する確率をpとし、神が存在しない確率をqとする。ここで、神は存在するかしないかのどちらかだと仮定すると、p+q=1である。(神は遍在し、かつ偏在するとか、、神は無限であり、かつ有限であるだとかを仮定した場合は、p+qはどうなるのか、分かりません。)
 また、利得は神の存在確率を掛けることで算出されると仮定すると(神にどんな性質を与えるかで話は変わるだろうが)、

  神を信じる人の利得は、p x a
  神を信じない人の利得は、q x (-b)
     pa > -qb

 左辺は正であり、右辺は負である。このことは、pとqがどちらも非負(=>0)である限り成立する。
 バスカルの論理がおかしいとしても、それは、神が存在するしないが五分五分の確率であることではない。

 ウィキペディアによれば、パスカルの賭け(『パンセ』233節)では、利得を無限大にしているが、有限でも上記の論理は成立する。

 さて。
 問題は、われわれが住む地球という世界に、苦痛や悲劇が満ちているように見えることである。食糧生産(速度)は60数億人分に余っているとすれば、場所と時間の分配の問題であり、不足するように見えるのは、浪費が多いということだろう。先進国では、食品廃棄率が高いようである。不足しているのは、公平な分配である。

 苦悩を通じて歓喜へ、がこれまでの人間と、これからしばらくの人間の課題であったとすれば(事例として、Ludwig van Beethoven)、そして、地球を含めた宇宙そのものが神であると定義すれば(いかなるときも、定義は自由である)、苦痛が与えられることは恩寵である。すなわち、苦痛(そのように取った場合であるが)を歓喜へと変換することが、人間の可能性であり、栄光である。

 人間の可能性……。しかし、まずは衣食住性遊といった生活上の必要を満たすこと。分業制を取るのであれば、そのように供給すること。基底は健康である。明示的に、衣食住性健遊としておくのが良いかもしれない。
 人生を楽しく送る。しかし、この今の世界で不足しているのは、正義であろう。むろん、正義は一つの概念である。それを少しでも実現しよう。

 
[I]
石浦章一.2004.7.遺伝子が明かす脳と心のからくり:東京大学超人気講義録.羊土社.[y1,680]


原子力発電所が無くても、賄える/より簡素な生活へ

2010年08月30日 18時27分58秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月30日-4
原子力発電所が無くても、賄える/より簡素な生活へ

 広瀬(2010: 179頁)の図64では、最大電力はこの10年くらいは、火力発電だけで賄えることを示している。
 実際、多くの原子力発電所が止まっても、停電にはならなかったと、論じている(広瀬 2010: 178-182頁)。

  1. 東京電力では2003年4月15日、福島・柏崎刈羽の原発17基がすべて停止し、真夏の電力危機が喧伝されたが、停電は起こらなかった(広瀬 2010: 181頁)。
  2. 2007年7月16日の新潟県中越沖地震が起きて、柏崎刈羽原発の7基がすべて停止したが、その後停電は起こらなかった(広瀬 2010: 181-182頁)。
  3. 2009年8月11日の駿河湾地震が起きて、中部電力の浜岡原発5号機は停止したが、中部経済圏ではその後に停電は起きていない(広瀬 2010: 182頁)。

 そして、不安のない電力の安定供給のために、原発からの脱却を説いている。
 家庭に一台で住むような発電装置と、公共的あるいは企業的にエネルギーを大量に使うような場合で、企業ごと、市町村ごと、あるいは地域ごとぐらいでの発電装置を設けるのがよいだろう。新しい発想の発電システムは出てこないものだろうか。
 もちろん、エネルギーを消費しない、より簡素な生活に移行していくことが望まれる。不要な事務手続きとかは、簡素なシステムにすることで、かなりのエネルギーと時間が節約できるのではないだろうか。


[H]
広瀬隆.2010.7.二酸化炭素温暖化説の崩壊.222pp.集英社新書.[y700+]

絵画公募展の審査体制

2010年08月30日 15時19分47秒 | 美術/絵画
2010年8月30日-3
絵画公募展の審査体制

 『芸術センター』2010 August Vol.53の19頁に、

  日本芸術センター第4回絵画公募展

の募集案内が載っている。16頁から18頁にある、東京と神戸でのピアノコンクールや映像グランプリと同様に、審査員は公募であり、「芸術センター顕彰委員会は公募展の審査に加わらず、審査員の決定のみを行〔な〕います。」(19頁)とある。

また、審査方法として、

  「 ・ 審査委員会、審査委員長は設けず、各審査員が独立して審査を行〔な〕います。
  ・ 応募者の氏名・所属・学歴等の情報は一切公表せず、エントリーナンバーによって審査していただきます。
  ・ 審査員は公募により選出し、事前には公表せず、審査結果発表後に発表いたします。」
(http://www.art-center.jp/)

とある。公平性と(審査員に依存する)客観性が担保される体制となっているようだ。

 また、25頁を見ると、芸術センター顕彰委員会は絵画作品の買い上げもやっているらしい。ひょっとして、金賞から銅賞までの賞金(100万円~30万円)は、買い上げのものかと思ったが、そうではなかった。公募要項には、「作品の買い上げは行〔な〕いません」とあった。

 
 神戸芸術センターは、

  1階~6階  芸術センター(芸術劇場、音楽ホール、貸し展示スペース、貸しスタジオ、貸しアトリエ)と、商業施設(スーパーマーケットなど)・フィットネスクラブ・医療モール

  7階~37階  高級賃貸住宅(24類型の全172戸)

となっているらしい。

 日本芸術センターは株式会社で、東京芸術センターは有限会社らしい。

 席巻する芸術 日本芸術センター常設展/神戸芸術センター 2階と3階(JR新神戸駅から徒歩4分)/400円、を今やっているようだ。


西洋医学医療とホメオパシー医療の評価の公平性

2010年08月30日 13時48分30秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月30日-2
西洋医学医療とホメオパシー医療の評価の公平性


 朝日新聞2010年8月26日大阪版34面によれば、

  「原中会長は「ホメオパシーが新興宗教のように広がった場合、 非常に多くの問題が生じるだろうという危機感を持っている」と、賛同の理由を話した」

とある。

http://kosonews.blog135.fc2.com/blog-entry-169.html
によれば、

  「日本医学会の……高久史磨会長……は、「科学的根拠はないということで一致した。ホメオパシーに頼り、通常医療を受けずに亡くなった人がいるという被害が出ている」と指摘し、学術会議の会長談話に賛同する姿勢を示した。」

とある。「西洋医学医療に頼り、ホメオパシー医療を受けずに亡くなった人がいるという被害が出ている」という言明との比較をしなければ、公平ではないだろう。
 
http://www.asahi.com/health/news/TKY201008280197.html

http://www.imj.or.jp/
にある【2010/08/26】:ホメオパシーに対するの〔ママ〕日本統合医療学会理事長の見解 のpdf

によれば、統合医療学会は、ホメオパシーに科学的根拠がないとした日本学術会議の会長談話に対して、「実態と異なる内容が含まれ、誤解を生む」として、学術会議に公開討論会の開催を呼びかけるらしい。
 同学会の見解では、

  「諸外国に於いては、ホメオパシーの有効性の報告が多くあり、ホメオ
パシーは研究の対象であると考えられている。……

  今回、問題となった「ホメオパシーの療法」は、助産師の職権を逸脱した医療行為であり、しかも、独断で正当な医療を排除したとすれば、それは正に犯罪行為であり、処罰されるべきである。」(「ホメオパシーに対するの〔ママ〕日本統合医療学会理事長の見解」pdf)

とある。
 なお、日本ホメオパシー医学会と、「問題となっている」日本ホメオパシー医学協会とは別団体らしい。

 上記pdfでの、「統合医療および代替医療について」では、

  「 医療としては、科学的エビデンスのある近代西洋医学を中心に進める べきであり、代替医療は、それを補うものとして利用すべきである。がんの末期や難病など、現在の近代西洋医学が治療不可能なものに対しては、患者とのコンセンサスの下に代替医療の利用を検討する必要があると考えている。」

とあるから、統合医療学会によれば、代替医療とは近代西洋医学の補助にとどまるものらしい。


美術修行2010年8月28日(土)

2010年08月30日 12時05分24秒 | 美術/絵画
2010年8月30日-1
美術修行2010年8月28日(土)

 淀屋橋駅下車。iPhoneでナビる。途中、ネットで名前を見たことのあるような二つの画廊の存在を発見。後で寄ることにしよう。目的地を行き過ぎた。芸術・文化支援交流倶楽部「蜂の巣会」の表示あり。しかし、ギャラリー菊の表示は見当たらなかった(後によく探すとあった)。

  2010年8月28日(土)。こどものことば絵本 きらきらvol.3 出版記念展/上村照ピアノ演奏会、15:10くらいから約30分/ギャラリー菊/最寄り駅は淀屋橋。
 10分くらい後に小学校1年生児童が約20人、前方の敷物にくつを脱いで座った。後部の7x4列の丸椅子には25人ほど。南側に立っている人が5人ほど。チャイコフスキーの短い曲ごとに、A3版くらいの絵が一枚ずつ譜面台に交換される。トロイメライとは、夢心地という意味だとの説明があった。
 ここは一番奥の部屋で、およそ6x6m。それとつながっている奥の1.8x3.5mの左半分にグランドピアノが置いてある。

 冷珈琲を実飲しながら、コーヒーの入れ方を聞いた。今回の催しで、このギャラリーと提携している珈琲豆屋さんによる。ドリッパー〔滴出器。わが造訳語〕には、一つ穴と三つ穴がある。四つ穴は無い(二つ穴も無かったかな?)。一つ穴は、濾紙の上際まで入れれば良いと簡単。三つ穴は、日本的に入れ方を楽しむ。粉の真ん中に小さく90度くらい(100度はダメ。雑味が出る)の湯を注ぎ、しばし蒸らし、さらに泡が沈まないように注ぐ。注ぐとき、大きく「の」の字を描いてはいけない。人数定量分の抽出量がサーバー〔給仕器〕に溜まったら、まだ濾紙に抽出途中のものが残っていても、それは捨てるか、あるいは好かん人にその分を飲ませる(冗句ですね)。
 
 
 このおよそ東西の通りは先月通ったようだ。確かめるために、東の方へと歩いた。この通り近辺には、古美術の店があちこちある。

  2010年8月28日(土)。藤井路夫 三嶋哲也 二人展/瀧川画廊。どうも古美術品には見えなかったので、訊くと、現代美術の店だった。

  2010年8月28日(土)。トゥールビヨン Ⅷ (part1)たなかかずや 中西哲治展/Oギャラリーeyes。メインルームは約3.8x5.1mで、ゲストメーム有り、貸しは月~土の6日間。

 2010年8月28日(土)。〔白井〕「翔」作品展/大阪現代画廊。パステルでの速描きは、明るい無邪気さが感じられた。帯広という縁からなのか、帰りに御菓子を数個包んでくれた(一部は翌日の昼食になった)。後で案内葉書きと「翔の記憶」という冊子を見ると、作者は亡くなられていた。ご冥福を祈ります。

 2010年8月28日(土)。高本英里 展/番画廊。少し面白いのがあったが、奥の部屋から煙草の煙の臭いがしてきたので、退散した。
 
 2010年8月28日(土)。山沖由里 木版画展 ーみあげてわらうー/乙画廊。ビールはいかがと訊かれた。お茶をいただいた。ワインが出てきたので頂いた。訊くと、オープニング・パーティーなのだった。後で案内葉書きを見ると、オープニングパーティーは初日夕方となっていた。すると、作家がおれば、随時祝宴をしているのか。刷った後の和紙をパネルに張ってあると、やはりそのパネルの厚みからか(側面も刷面)、存在感が出る。「ed.8」とは8枚刷ったということを意味するとのこと。和紙の風合いを活かしている。和紙に墨で描いたのもあった。それは壁にピンを刺して、それに結えるようになっていた。

 三谷 豊 展/ギャラリー風/北浜。最終から30分過ぎていたが、4点を再掲してくれた。墨的。「有頂天」と「滝登り」の構図と感触(透明な感じのところがある)が良い。ちらしによれば、アートフェアーではアート大阪(=アートフェア大阪?)に出展しているとのこと。

 
 2010年8月28日(土)。がけっプチ escarpe'展/ギャラリー香 2F。大阪芸術大学の同期生6人。いずれも水準は高い。1/1とあった(筆でおそらく墨を使った部分は手書きだから、これは1枚限りということらしい)版画(おそらく西山美晴氏)の金色の極細の葉脈がとりわけ良かった。

 2010年8月28日(土)。万華鏡アートへの模索 井上誠一と仲間たち展/ギャラリー香 3F。井上誠一、豊富多恵子、大島ゆみ、土井伸子、佐保真珠子の万華鏡作品。「翔」作品展にいくつか展示してあったのを見て、ここで丁度やっていると教えていただいた。様々な形態のがある。美しい工芸品。ゆっくりと変化するのは、油を入れてある。(故)倉垣和子氏の絹糸の刺繍絵の最も左の作品は美しい。

 〔赤ワインの〕1978年 & 1988年 飲み比べセット/高島屋大阪店/4,725円。10年の違いわからず。香りは良いと感じるが、渋みが好きではないのか美味しいと感じない。しばらくして、男の人が、同じセットを注文し、味わいを述べる。わが味蕾は壊れているか、未熟に違いないか、脳内配線がよろしくないのだろう。あるいは途中の変換器か。
 かって、泊まったホテルで貰った入場料無料券で訪れた千日前の或るビル内の、5種類の日本酒が1000円で飲めるところに行ったことがある。しばらくして、男の人が来て、200種類ほどの銘柄を当てることができると言う。その人は濃厚芳醇な或る銘柄が好きだとのこと(走書きは行方不明)。あたいには、味覚芸術修行は無理みたい(韻を踏みましたい)。

 8時2分前。500円引きの寿司。
 
===

 京都の法然院講堂で、個展が開かれている。11:00-18:00。

 [これからの予定]9月18日(土)~26日(日) 9:00~16:00/弘誓寺 抽象画展 古刹と抽象画:美のコラボレーションー石井豊太と仲間たち/JR琵琶湖線能登川駅(大阪から新快速で68分)から近江バス生き活き館前下車、徒歩5分。
 弘誓寺本堂柱間に飾られる、7人による抽象画ということである。
 [これからの予定]9月18日(土)14:00~15:30/〔出展作家による〕ギャラリートーク「抽象画ってどんなん?」/弘誓寺 本堂。


 [これからの予定]2010年9月20日(月祝)、16:00~18:30/シンポジウム「"大阪現代アートフェアー"から"gallerism"まで 27年の意義とこれから」/さいかくホール/谷町4丁目。

 [これからの予定]2010年9月18日~11月7日、10:00~19:30/草間彌生展 ワタシというナニモノかへの問い/武蔵野市立吉祥寺美術館/100円。草間彌生の1970年以降のコラージユと版画。

 [これからの予定]2010年9月4日~12月12日/川村記念美術館/1,500円。バーネット・ニューマンの作品約30点が紹介される。


地球温暖化脅威論と柏崎刈羽原子力発電所

2010年08月26日 23時32分11秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月26日-8
地球温暖化脅威論と柏崎刈羽原子力発電所

 2010年8月26日、京阪三条近くの古本屋にて、4冊を購入。

 『IPCC地球温暖化第二次レポート』の、環境庁地球環境部長の浜中弘徳氏による「はじめに」には、

  「今回の第二次評価報告書においては、……1990年以降に得られた地球温暖化問題に関する新たな知見が集大成されている。特に注目すべき点は、
 (1) 人間活動に影響による地球温暖化が既に起こりつつあることが確認されたこと、
 (2) 大気中の温室効果ガス濃度を安定化し、地球温暖化の進行を止めるためには温室効果ガスの排出量を将来的に1990年の排出量を下回るまで削減する必要があること、
 (3) 省エネルギーなどの経済的な利得を得ながら、かなりの温室効果ガス排出削減が可能となる技術があること、
である。
 これらの科学的情報は現時点で人類が入手しうる最も確からしい知見であり……」

とある。2010年の時点において、わたしの判断では、
  (1) は、確認されたとは言えない。むしろ、反確証されにくい言明に言い換えてきたのではないか。それはもちろん、地球温暖化が起こりつつあることが確認された、ということにはならない。
   肝要なのは、予測モデルの信頼性であり、そのためには、理論かにの予測を行ない、(地球は一つしかないことはもっともではあるが)実験や(経験的)テストを様々に行なってそれらの間での合致または不合致を見るしかない。
  (2) は、石油消費を削減することは望ましく、そのおおよその指標として二酸化炭素排出量を採用するのは良いとしても、それは地球温暖化の進行を止めることが必要であるからではない。日本にとっては、少なくとも相対的には(つまり多くの他国よりも)温暖化による利得は大きいのではないか? 言うまでもなくこれは、別側面の問題が絡む。
  (3) は、技術があっても、実行困難であることは、確かである。また、現時点では、逆に排出量は増加している。国際的にも、(他の諸要素が絡んで)実現困難である。(核分裂型の)原子力発電の運転は危険であり、また、放射性廃棄物の生産をすることは、今そこにある危機である。
  2007年7月16日に起きた新潟県中越沖地震によって、柏崎刈羽原子力発電所のすべての原子炉が緊急停止した。ウィキペディアから抜き書きして、配列変更すると、

  1985年9月 1号機営業運転開始。
  1990年9月 2号機営業運転開始。
  1993年8月 3号機営業運転開始。
  1994年8月 4号機営業運転開始。
  1990年4月 5号機営業運転開始。
  1996年11月 6号機営業運転開始。
  1997年7月 7号機営業運転開始。
  2003年4月 福島第一原発他での不祥事発覚により東京電力の原子力発電所全17基停止。
  2003年5月 6号機運転再開。
  2007年7月 運転中の2、3、4、7号機が、自動緊急停止。
  2009年12月、7号機が地震から2年5カ月ぶりに営業運転を再開。
  2010年1月、6号機が地震後2年半ぶりに営業運転を運転再開。

 で、現在止まったままなのは、2、3、4号機なのか? 

210.250.7.21/company/corp-com/annai/shiryou/report/.../ts100202-j.pdf
の「柏崎刈羽原子力発電所の現状について」によれば、

  「1、5号機は耐震強化工事を終了しております。また、1号機では平成21年12月18日に、5号機では平成22年1月24日に、それぞれ燃料の原子炉への装荷を終え、系統単位の健全性を確認する試験(系統機能試験)を実施しております。2~4号機については、点検・復旧作業、耐震強化工事を着実に進めております。」

とある。地震発生からすでに3年。



[G]
グラハム,ジョン・D. &・ジョナサン・B.(菅原努監訳 1998.11
)リスク対リスク:環境と健康のリスクを減らすために.ix+272+v pp.昭和堂.[ISBN 9784812298336] [y2,500+] [b20100722= y200*]

[H]
原司郎・酒井泰弘(編著).1997.11.生活経済学入門. xiii+204pp.東洋経済新報社.[ISBN 9784492312447] [y1,900+] [b20100722= y200*]

[I]
IPCC[気候変動に関する政府間パネル](編).(環境庁地球環境部監修、北野康・天野明弘・西岡秀三監訳 1996.7).IPCC地球温暖化第二次レポート.〔図版〕2+iv+128pp.中央法規出版.[ISBN10 4805814829] [y1,800+] [b20100722= y200*]

[K]
関西倫理学会(編).2008.4.倫理学研究 第38号:シンポジウム総題「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」.168pp.晃洋書房.[ISBN 9784771019522] [y1,890] [b20100722= y105*]

美術修行2010年8月24日(火)

2010年08月26日 18時01分42秒 | 美術/絵画
2010年8月26日-7
美術修行2010年8月24日(火)

 2010年8月24日。第60回記念モダンアート新人展/埼玉県立近代美術館 地下(北浦和)/無料。
 出品目録に、東京都美術館の改修工事で2年間使えないために分散しての開催となったが、「分散4会場での受賞者20名の作品と会友作品全て、および一般入選者作品全てを、……一同に会して展示するものです。」、また、受賞者20名、会友40名、一般出品者117名、とある。
 
 絵画で興味引かれたのは。
  阿部沙也香「金魚舞奏」。細線での画面構成が生きている。近くでないとわからないが、小さなヒビが画面に入っていて、(意図しなくとも結果的に)効果的に位置している。
  風間虹樹「無。開展、、、(無限形而上実験)」。少し傾けるかどうかで議論になったらしい。拡がり、または広がり、をもたせようとするならば、四隅の白点は無くすべき。墨も5~7種類使ったら面白いかも。半分失敗作。今度は菱形で挑戦してもらいたい。
  甲斐野弘幸「跫’10」。おそらく水彩だと思うが、そのようには見えないほどの存在感がある。しわをつくって、後で削り出しているのだろう。形の配置が独特。
  轡田倉満「かけら」。図録で興味引かれたが、実物はさらに良かった。数層を重ねているのではないかと思うが、その二倍を重ねると面白くなるかも。中央にドンと物を置くとか、大きくして四隅を残すような構図ではなくて、全面展開の場合は、層を厚くして深みを出す以外になにか無いのだろうか?
  小泉里美「ただ今、不在」。ひょうきんで面白い。下部の蓮の華の台のようなものを無くして、手を立体的にでも増やす、つまり碁盤のようなものの内部にも描くと、どうなるのだろうか。(ぶちこわしになる怖れがあるが)けむくじゃらの手もあっていいのではないか。
  堀江淳一「化石の杜」。全面に多くのガーゼ布を張って画面分割的に彩色。ゆえに、クレー的。F100という境界が決まり、面の大きさが決まり、それを色面分割する。或る複雑さを加えるために、網目を利用する。この方向での展開はどうなるのだろう。興味深い。
 
 スペースアート部門の一つ。吉田多恵「笑待夢(ショータイム)」。透明度の異なる面を、裏表から作っている。色の薄いところ、または重なりが少ないところは、光が通る。表と裏の図柄が異なる。それを支える透明板は、台に置かれ、しかし天井から吊るされていて、触ると転倒するかもしれないということからか、結界を張られていた。太ロープの結界は、ポールパーティションというらしい。「結界」は業界言葉なのかな。

 来年のモダンアート新人展は、横浜で行なわれるとのこと。

 
 2010年8月24日。MOMASコレクション[II]/埼玉県立近代美術館 常設展示室/200円。
 光と風の贈り物 区画。2005年作のF130の油彩が少し良かった(作者失念)。
 箱のなかに入り、約6分の光色彩の変化を立って頭を入れたような姿勢で体験した。京都近代美術館での体験の後なので、どうとも感じなかった。連続的色彩変化はもう慣れているし、点滅的部分はどちらかというと嫌。
 瑛九「青の中の黄色い丸」は、1957-58年作。はがき大の説明カードに、「瑛九は……その後、具象的なモチーフにとらわれない独自の絵画に向かうことになりました。この作品は、微細な点でカンヴァスを埋め尽くした、晩年の作品群の先駆けをなすものです。……宇宙的で流動的な空間をつくりあげています」とあった。
 モンドリアン的設計の椅子などに座った。

 2010年8月24日。藤本壮介展 山のような建築 雲のような建築 森のような建築 建築と東京の未来を考える2010/ワタリウム美術館(外苑駅3番出口から)/1000円。
 大きな美術館かと思っていたが、違った。
 2階。吹き抜けの展示室。仮設展示 installation。およそ10cm直径で、15cmから2mの凹凸縁六角形断面の透明ポリカーボネートを要素(部品)として、それらを縦に置いて6mくらいにしたり、横に連結して、空間を半透明に仕切ったり、空所を作ったり。凹凸縁六角形をつなげるとハニカム構造で、そのうえに板を置けば、テーブルになる。
 説明文によれば、巣と洞窟とは対極的に捉えて得ると言う。
 骨格的発想(concept)での対極的な軸設定はなんだろう? 自然を日常生活で擬似的に部分的にでも体験することによって、どういう狙いなのか。
  原始的←→近代的?
  機能的←→無駄的
  効率的、利便的←→非効率的、不便的
  知性的?、観念的?←→身体的、体験的?

 3階。透明立方体を置き重ねる、これは使えそうだ。
 4階。8月13日2010年3月17日行なわれたらしいオープニングトークのビデオを見た(約20分)。
 「山のような」とかは、ベタな言葉だそうである。この「ベタな」の意味または用法がわからなかった。「「平凡な」「月並みな」……」「ひねりのない,誰にでも言えそうな」(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1923068.html)といった意味らしい。
 地下で買ったのは、林道郎(2009.8)。シリーズ7回目で最後のもの。新幹線車内で少し読んだ。
http://www.arttrace.org/seminar/hayashi/hayashi.html

 外苑駅近くのギャラリーを一つ見学した。

 
[H]
林道郎.2009.8.絵画は二度死ぬ、あるいは死なない 7 ロス・ブレックナー Ross Bleckner.81pp.ART TRACE.[y1,260]


地球温暖化音頭2/グラフで誘導する (IPCC報告書に見られる技法 technique:グラフ篇)

2010年08月26日 17時13分08秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月26日-6
地球温暖化音頭2/グラフで誘導する
(IPCC報告書に見られる技法 technique:グラフ篇)

 〔以下の記述は走書きなので、ええ加減。〕

 広瀬(2010)は、IPCC報告書に見られる表現方法について、いくつか指摘している。

 1. 単調増加と見せるために、全体の回帰直線を(太く)引く。
  たとえば20年くらい単位で水準が上がったり下がったりしているのかもしれないのを、数十年一緒くたにして、 単調増加する直線を書き込んで、そのように誘導する。(これはわたしの考え。他の人も指摘しているだろう。)
  また、その傾向を強調するために、低温期は無かったことにする。(広瀬 2010: *頁)
  データ改竄もしたという疑惑がある。

 2. 上昇する時間範囲のデータだけを取り上げる。
  過去まで時間範囲を拡げると、下降部分がある。
  例。IPCC第4次評価報告書の海水面の変化のグラフ。(広瀬 2010: 108頁)

 3. 当初は大きな数値で注目させ、だんだん小さな数値に変えていく。
  IPCC1次次報告書から4次報告書での、温度上昇の予測値。

 4. 比率尺度のグラフで、0点ではなく、途中の数値から目盛る。
  例。二酸化炭素の増加を示す図。(広瀬 2010: 111頁)
   1960年に315ppm、2000年に368ppm。40年間に53ppm増加。
  註。広瀬(2010: 110頁)は、「過去半世紀で、空気中の分子の一万粒のうち三粒が四粒に近づいて、それほど、地球が激変すると考えるほうがおかしい」というが、それはわからない。

[H]
広瀬隆.2010.7.二酸化炭素温暖化説の崩壊.222pp.集英社新書.[y700+]


音の彫刻 sound sculpture / 楽譜の意味論

2010年08月26日 16時54分19秒 | 美術/絵画
2010年8月26日-5
音の彫刻 sound sculpture / 楽譜の意味論


 固体、たとえば石材を彫り刻めば、彫刻作品ができる。
 海では、海自体が時々刻々の液体彫刻である。
  繰り返し的な波動である。

 気体を彫り刻めば、気体という素材を使った彫刻作品ができる。
 風が音を奏でていれば、それを風による演奏であるとも、また彫刻作品であるとも見立てることができる。

 或るCDの交響曲を再生すれば、それは、うたかたに消える、わたしの仮設作品である。
 それは、わたしの世界への泡沫愛である。
 藍は、黄金色。

 場=しきつめられた基底物。
  コイロンの泡の踊り(あるいは)舞い。

 
 とういうわけで、或る音楽作品を演奏すれば、それは気体を彫刻しているのだ。

 演奏。それは、創造的になり得る。
 楽譜とは、『作者』による絶対指定では無いとするとき、数多くの自由度が開ける。
 演奏は、自由であり、楽譜はきっかけ(契機)である。

 だれだ? わが彫刻作品を揺らすものは?
 だれだ? わが愛の結晶を扇ぎ飛ばすものは?

 騒音は愉快だ。
 巻環にすれば、差分的に誘拐される。

 ……………………

 言葉は楽譜なのでしょうか?
 あるいは、夢のなかの夢なのでしょうか?

 
 かくて、
     鉄鈴、は 風 に、鳴り響く………………

 
http://www.k4.dion.ne.jp/~rainbow3/kigou/teture.htm

2010年8月29日某所にて即興的初演予定。


ホメオパシー、叩いて埃はどれだけか

2010年08月26日 14時41分33秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月26日-4
ホメオパシー、叩いて埃はどれだけか

 日本学術会議は、(たぶん)2010年8月24日、「「ホメオパシー」についての会長談話」を公表した。
http://www.scj.go.jp/

 この文書は、科学哲学、科学史、科学政治社会技術論、科学交達論、など、様々な観点からの分析とその総合または統合のためのきっかけとすることができる、絶好の文書であろう。

 本質的な論点としては、たとえば、
  西洋医学の理論体系
   個々の病気の分類と同定(診断)
    それらへの対処法の体系(西洋医学理論体系からの処方箋)
     理論的帰結と実際の対処との差異

など、理論と実践との間の様々な段階で、人がやることによる誤りがある。

 たとえば、火傷への対処法としての秘伝があったとする。その秘伝の有効性を守るためには、秘伝を体得し、その理論体系による対処の変異についても熟知し、かつ、実際のやり方も習熟していなければならない。そうすると難しくて、継ぐ人がいなくなるかもしれない。かくて、秘伝の(一部の範囲の人の間で)名声は守られ、秘伝(体得者)は絶滅する。

 明治期以後の東洋医学や民間療法の排撃。保険制度の問題。


  「こうした過去の歴史を知ってか知らずか、最近の日本ではこれまでほとんど表に出ることがなかったホメオパシーが医療関係者の間で急速に広がり、ホメオパシー施療者養成学校までができています。このことに対しては強い戸惑いを感じざるを得ません。その理由は「科学の無視」です。」

 或る仮定のもとにであるが、暗黒物質が存在することが妥当と考えられるようになり、その正体あるいは性質がわかっていないことがわかったのに、

  「「水が、かつて物質が存在したという記憶を持っているため」と説明しています。当然ながらこの主張には科学的な根拠がなく、荒唐無稽としか言いようがありません。」

とか、「科学的」という形容詞を使って可能性を否定することは、できるのか? 「物質が存在しないのに」と言えるのか? 

 むろん、水に「記憶が伝達される」?という事態は、(ホメオパシーの本を読んでいないので)どういうことかわからないが、医療ということなら、それで治ればよい。(理論の展開としては、作用メカニズムが解明されるのがよいが。)
 また、或る病気での対象方法では効き目が薄いが、他の病気では西洋医学では対象外ならば、治らなくてもともと、という段階では採用するもあり、だろう。

 偽薬効果で治るならば、かつ副作用が無いならば、それは理想の薬である。

 一個人からは、西洋医学は一つの(しかし税金による資金援助の大きい)選択肢である。医者不足のなか、医者だって過労になるかもしれない。他人の助けを必要としないことが、時間の節約にもなり、よろしい。

 20数年くらい前か、ホメオパシー薬を売ったのだったか、札幌で薬事法違反で一人の男が捕まった。数年前までは、ホメオパシー薬はたとえばイギリスから輸入するしかなかったのだが、今ではあちこちに店もある。薬事法関係ではうまくやったようだ。
 ホメオパシー叩きに賛成だが、公平に同様の叩きを西洋医学にもやるべきである。犯罪的な医者がいても、西洋医学体系そのものとは関係が無い。処方ミスをしても、処方体系とは関係が無い(だから誤りが無いように実践的な工夫がなされる。それでも、ボンベを付け間違ったり、投与対象を間違ったりと、ミスは起こる。これには、理論体系の改訂ではなく、処方の実際運営体系の改訂が防止の一つとなるだろう)。

 などなど、論点は超大盛りである。なにせ、現実が関わるので。

 
 →二重盲検法 double blind testと偽薬効果(プラセボ効果)。帰無仮説の取り方。

 →事例研究。笑いで、なにかの病気は治るのか?
 →事例研究。丸山ワクチン。
 →信じる人は救われる、ならば、どうする?


美術修行2010年8月25日(水)

2010年08月26日 13時01分45秒 | 美術/絵画
2010年8月26日-2
美術修行2010年8月25日(水)

 大阪の地下鉄で谷町九丁目で下車。北と南を取り違えていたため、すぐには場所がわからなかったが、2010年8月25日、SOHOアートギャラリーを見学。奥行きは7.2m、幅はおよそ半分が2.5mで、半分が3.5m。CASO終了後に作ったと思われる、小畑亮平氏の小冊子(A4版1枚を三つ折り)と「第二回現代美術展」冊子を入手した。
 また、頂いたPEACE SUMMERの冊子中に、未訪問のギャラリー菊(淀屋橋駅から北へ徒歩約7分)でピアノ演奏会が8月28日の15:00~15:30にあることを発見した。
 ギャラリー菊のウェッブ頁に、
http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/02gal.pak/03gal-tikamiti/03rental-gal/15-kiku-hp/01-kiku.html

  「美術、音楽といった芸術の「発表の場と交流の場」を
   さらに活性化するために素敵な空間をお貸し致します。」

とあった。グランドピアノが置いてあるようだ。

 谷町9丁目から野田阪神から尼崎へ。

 2010年8月25日。美術の中の動物たち/尼崎市総合文化センター/600円。
 売店で2冊、石浦(2004)と日髙(2007)を購入。
 第63回尼崎市展の募集要項を入手。市長賞各部門1点の賞金は3万円、特選全部門10点 1万円、そして奨励賞全部門10点 5千円、とある。部門は、洋画、日本画、書、写真、彫塑・立体・工芸、の計5部門だろう。すると賞金としての支出合計額は、15万円+10万円+5万円で、計30万円になる。作品応募料は、1点が800円、2点なら1,600円とある。
http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/welcome_mayor/004photo/004h21_10.html
によれば、第62回尼崎市展では、
  「応募者数293人、応募作品点数411点の中から、194点の入賞・入選作品が選ばれました。」
とあるから、411x800円で、328,800円だから、賞金支出総額とほぼ同じ。

 尼崎からは直通の普通列車で難波へ。4時の3分前に昼割?の切符ですべり込む(金券売り場がすぐ近くにある。当初は食事界隈が並んでいるところを少しのんびり徘徊しようとおもったが、ついすべり込んでしまった。美味しい蛸焼きを食い損なったかもしれない。人間万事塞翁が馬)。駅構内で、鰹節、鯖節、うるめ節?の生蕎麦y400。かけそばなら、210円だったのだが、つい。

 
 高島屋美術画廊。少しおしゃれなのがあった。では、膠絵(「日本画」)で洋風よりは、逆に、アクリルまたは油絵で、日本(絵)画的精神性は表現できないものか。

 
[H]
日髙敏隆.2003(文庫版 2007.9).動物と人間の世界認識:イリュージョンなしに世界は見えない.筑摩書房.ちくま学芸文庫.[y680] [B20100825]

[I]
石浦章一.2004.7.遺伝子が明かす脳と心のからくり:東京大学超人気講義録.羊土社.[y1,680] [B20100825]

メカニズムの図解 (graphical) illustration / using diagrams

2010年08月26日 12時03分12秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月26日-3
メカニズムの図解 (graphical) illustration / using diagrams

 石浦章一(2004: 41頁)の図4は、ストレスが起きたときの体内での関与する活動の過程の図解である。
 ここでは、視床、脳下垂体、そして副腎皮質が、関与している部位であり器官である。そして、関与する(作用する)物質は、コロチコトロピン放出ホルモン(CRH)と副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)とコルチゾールである。したがって、下記のような図4では、

   CRH     ACTH
 視床ーー→脳下垂体ーー→副腎皮質ーー→コルチゾール
  ↑     ↑              ||
  |      ーーーーーーーーーーーーーー |
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

コルチゾールの表示位置が他とは異なっている。コルチゾールは、身体部位または器官ではない。一貫した表示にすると、

 視床⇒[CRH]→脳下垂体⇒[ACTH]→副腎皮質⇒[コルチゾール]
  ↑       ↑                ↓↓
  ↑        ←←←←←←←←←←←←←←←← ↓
   ←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←← 

 ⇒の左は[]内の物質を出す部位(ここでは器官)。
 []内には、器官から放出される物質名を表示した。
 →、↓、←、↑は、いずれも物質が移動する方向を示す。
 
と、なるだろう。
 すると、さらに、物の運搬または空間移動の仕組みとして、血管系にコルチゾールが放出されて、視床に到達して、作用(または相互作用)
するらしいから、

  [コルチゾール]→血管系

を加えることになる。血管系はコルチゾールを放出るすわけではないが、便宜的にそう見なして、あるいは両側に同一物質名が位置すれば、運搬経路だと解釈することに約束することにすると良いかもしれない。この場合は、⇒ではなく、→を使うことでも区別できる。すると、

 視床⇒[CRH]→脳下垂体⇒[ACTH]→副腎皮質⇒[コルチゾール]
  ↑     ↑                  ↓↓
  ↑      ←[コルチゾール]←←血管系←←←← ↓
   ←←←←←←←[コルチゾール]←←血管系←←←←← 

となる。(しかし、視床から脳下垂体と、脳下垂体から副腎皮質への物質移動も、血管経由か。)
 しかし、メカニズムの説明図としては、⇒と→の仕組みを明示してこそメカニズムの説明図であろう。

 さらに言えば、『ストレス』を明示しなければならない。制御について物質的構造を考えれば、おそらく少なくとも2階の構造となる。そのことを表示するには、入れ子状の図を採用するとしても、必ず制御の記号を加えておかなければならない。


[I]
石浦章一.2004.7.遺伝子が明かす脳と心のからくり:東京大学超人気講義録.羊土社.[y1,680] [B20100825]

地球温暖化(脅威)論の行方

2010年08月26日 11時07分53秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月26日-1
地球温暖化(脅威)論の行方

 広瀬(2010: 71頁)は、2009年10月17日のシンポジウムで、赤祖父俊一氏と明日香壽川氏との議論で、
  「IPCC側の教授は、……赤祖父氏に何の反論もできず、……子供でも言える退屈きわまりない話を一時間も続けて逃げまくった。」(広瀬 2010: 71頁)。

と、赤祖父氏が勝利したように書いている。

 
 しかし、「(09.10.19)」という日付から、2009年10月17日に行なわれた同じシンポだと思うが、正反対の評価をしている場合があった。それは、

http://www.yuiyuidori.net/jcpskd-harada/html/menu2/2009/20091019183329.html

で、「赤祖父俊一VS明日香壽川 環境博覧会で温暖化懐疑論にメス 山田区長は悔し紛れかアナウンサーに八つ当たり」
と題する、原田あきら氏(杉並区議会議員)のページである。

  「コーディネーターからこうした両者の意見に関してどう思うかと問われた区長の反応が大人気なかった。赤祖父氏の分が悪いと見たのか、自分の持論を展開すればいいものを環境問題を政治問題にすり替えているとか、コーディネーターのくせにしゃべりすぎだとかいったような八つ当たりまで行う始末…」

  「質問で、区長がHPで“IPCCは役人の集まり(だから内容に信憑性がない)”と言っていることに関してその認識はどうなのかと問われたとき、区長は結局役人の集まりだと断言し、赤祖父氏もそれに乗っかりました。そこで明日香氏が“科学者の集まり”であるとし、理由もしっかり述べて両者の意見を一刀両断にしたのは痛快でしたね。」

  「質問で、区長がHPで“IPCCは役人の集まり(だから内容に信憑性がない)”と言っていることに関してその認識はどうなのかと問われたとき、区長は結局役人の集まりだと断言し、赤祖父氏もそれに乗っかりました。そこで明日香氏が“科学者の集まり”であるとし、理由もしっかり述べて両者の意見を一刀両断にしたのは痛快でしたね。」

  「明日香氏は国内の排出量取引と国際的排出量取引を勘違いしていると区長をたしなめ、二酸化炭素排出に新たな規制を加える概念であると指摘しました。うーん、力量が違いすぎる…」

 
と、ほぼ明日香氏側の勝利と見ている。
 引用しなかったその他の箇所でもそうだが、「科学」をかさにきた権威主義的なところが「正直鼻につ」いた。一つ言えば、IPCCの報告書は、間違った箇所があったことはIPCC自身が認めているし、そうなったのは、政治的な振る舞いの結果であったことは、歴然としていると思う。

 さて、小松久子杉並区議会議員も、

  「私には「温暖化問題は基本的に南北問題です。」と言った明日香氏のひとことが一番深く胸の中に納まりました。私的にはこのバトルは断然、明日香氏のほうが勝っていたと思います。」
http://komatsu.seikatsusha.net/back/item/all/1255795589.html

と、明日香氏側の勝利と見ている。

 人によって、ここまで大きく判定が異なるとは!?。
 立場が違えば、見方が違い、重要視するところや、解釈としたがって評価も、異なってしまうということだろう。

 関連事項
[ウクライナからの3000万トン排出量の購入]
http://www.my-sapporo.com/environment/saveenergy/post_216.html

http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/65100162.html

 なお、渡辺正氏への反論として、

増田耕一.2010[.6?].地球温暖化の考え方.化学 65 (6): 58-63?? [未入手]

がある。また、

増田耕一・明日香壽川・吉村純・河宮未知生.2006.地球温暖化への懐疑論に関する考察.日本の科学者 41: 492-497.
http://web.sfc.keio.ac.jp/~masudako/publ/geosci/kaigiron.html

というのもある。


地球温暖化音頭1/プレゼンの極意

2010年08月24日 00時31分22秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月24日-1
地球温暖化音頭1/プレゼンの極意


 広瀬(2010: 71頁)によると、2009年10月17日に東京で、赤祖父俊一氏と明日香壽川氏が対決するかのようなシンポジウムがあったらしい。

  「IPCC側の教授は、……赤祖父氏に何の反論もできず、……子供でも言える退屈きわまりない話を一時間も続けて逃げまくった。最後に聴衆が見えないほどのスピードで反論資料と称するものを一瞬だけ出して、「これは江守さんのものです」と言って自分でグラフを説明できないままであった。」(広瀬 2010: 71頁)。

 2010年4月30日の日本学術会議主催の公開シンポジウム「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)問題の検証と今後の科学の課題」で、明日香壽川氏と思われる人が発言している。

  <質問者「……東北大学の明日香と申します。……

まあいわゆる不確実性はたくさんあると思うんですね。その時にどう対応するかっていうのは価値判断の話だと思います。カーブで車で運転していて、カーブをどれくらい曲がっているか分からないと。その時にスピードを上げるか上げないかという話だと思うんですけど、もちろんここにいる人は一人ともたぶんスピードを上げるっていう人はいないと思うんですけれど、

今まで議論しているのは、分からないからスピードを上げてもいいじゃないかという、個人の行動原理とは違うことを社会に求めてると。それはどうしてかというと、自分は良い、大丈夫だと思ってる人は多いと思うんです。

たぶん30年ぐらい後にはこの方は半分くらい、いないと思いますので、だからそういう問題でやってるのを温暖化問題、特に温暖化の何をするべきかということに関しては問題だということを認識していただければなと思います。」>(100430_nihongakujutu_06_paneldiscussion.pdf, 28-29頁)

 
 なにを言っているのか、言おうとしているのか、全然理解できない。カーブ道で車を運転する場合をたとえとして出しているらしいが、何についての不確実性で、何が対応しているのか? 
 車種によって違うだろうが、カーブではアクセルを踏めば、きついカーブを回りやすいかもしれない。
 しかしそもそもその道は曲がっているのか、曲がっているとしても左に右にではないか、など、喩えあるいはモデルが問題としていることがらを考える上で妥当かどうかである。
 それはともかく、予防原則を持ち出したいのなら(そうなのかどうかわからないが)、温暖化に即して言えばいいことである。
 後のほうでは、30年後にはシンポ会場の人々の半分くらいは生きていないということを言っているのかなと思うが、そのことがどのようにして「だから」と続くのか、そしてその後の発言は、何が主語で、どれがどれに関係しているのか、皆目わからない。

[H]
広瀬隆.2010.7.二酸化炭素温暖化説の崩壊.222pp.集英社新書.[y700+]