生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

地球温暖化脅威論と柏崎刈羽原子力発電所

2010年08月26日 23時32分11秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月26日-8
地球温暖化脅威論と柏崎刈羽原子力発電所

 2010年8月26日、京阪三条近くの古本屋にて、4冊を購入。

 『IPCC地球温暖化第二次レポート』の、環境庁地球環境部長の浜中弘徳氏による「はじめに」には、

  「今回の第二次評価報告書においては、……1990年以降に得られた地球温暖化問題に関する新たな知見が集大成されている。特に注目すべき点は、
 (1) 人間活動に影響による地球温暖化が既に起こりつつあることが確認されたこと、
 (2) 大気中の温室効果ガス濃度を安定化し、地球温暖化の進行を止めるためには温室効果ガスの排出量を将来的に1990年の排出量を下回るまで削減する必要があること、
 (3) 省エネルギーなどの経済的な利得を得ながら、かなりの温室効果ガス排出削減が可能となる技術があること、
である。
 これらの科学的情報は現時点で人類が入手しうる最も確からしい知見であり……」

とある。2010年の時点において、わたしの判断では、
  (1) は、確認されたとは言えない。むしろ、反確証されにくい言明に言い換えてきたのではないか。それはもちろん、地球温暖化が起こりつつあることが確認された、ということにはならない。
   肝要なのは、予測モデルの信頼性であり、そのためには、理論かにの予測を行ない、(地球は一つしかないことはもっともではあるが)実験や(経験的)テストを様々に行なってそれらの間での合致または不合致を見るしかない。
  (2) は、石油消費を削減することは望ましく、そのおおよその指標として二酸化炭素排出量を採用するのは良いとしても、それは地球温暖化の進行を止めることが必要であるからではない。日本にとっては、少なくとも相対的には(つまり多くの他国よりも)温暖化による利得は大きいのではないか? 言うまでもなくこれは、別側面の問題が絡む。
  (3) は、技術があっても、実行困難であることは、確かである。また、現時点では、逆に排出量は増加している。国際的にも、(他の諸要素が絡んで)実現困難である。(核分裂型の)原子力発電の運転は危険であり、また、放射性廃棄物の生産をすることは、今そこにある危機である。
  2007年7月16日に起きた新潟県中越沖地震によって、柏崎刈羽原子力発電所のすべての原子炉が緊急停止した。ウィキペディアから抜き書きして、配列変更すると、

  1985年9月 1号機営業運転開始。
  1990年9月 2号機営業運転開始。
  1993年8月 3号機営業運転開始。
  1994年8月 4号機営業運転開始。
  1990年4月 5号機営業運転開始。
  1996年11月 6号機営業運転開始。
  1997年7月 7号機営業運転開始。
  2003年4月 福島第一原発他での不祥事発覚により東京電力の原子力発電所全17基停止。
  2003年5月 6号機運転再開。
  2007年7月 運転中の2、3、4、7号機が、自動緊急停止。
  2009年12月、7号機が地震から2年5カ月ぶりに営業運転を再開。
  2010年1月、6号機が地震後2年半ぶりに営業運転を運転再開。

 で、現在止まったままなのは、2、3、4号機なのか? 

210.250.7.21/company/corp-com/annai/shiryou/report/.../ts100202-j.pdf
の「柏崎刈羽原子力発電所の現状について」によれば、

  「1、5号機は耐震強化工事を終了しております。また、1号機では平成21年12月18日に、5号機では平成22年1月24日に、それぞれ燃料の原子炉への装荷を終え、系統単位の健全性を確認する試験(系統機能試験)を実施しております。2~4号機については、点検・復旧作業、耐震強化工事を着実に進めております。」

とある。地震発生からすでに3年。



[G]
グラハム,ジョン・D. &・ジョナサン・B.(菅原努監訳 1998.11
)リスク対リスク:環境と健康のリスクを減らすために.ix+272+v pp.昭和堂.[ISBN 9784812298336] [y2,500+] [b20100722= y200*]

[H]
原司郎・酒井泰弘(編著).1997.11.生活経済学入門. xiii+204pp.東洋経済新報社.[ISBN 9784492312447] [y1,900+] [b20100722= y200*]

[I]
IPCC[気候変動に関する政府間パネル](編).(環境庁地球環境部監修、北野康・天野明弘・西岡秀三監訳 1996.7).IPCC地球温暖化第二次レポート.〔図版〕2+iv+128pp.中央法規出版.[ISBN10 4805814829] [y1,800+] [b20100722= y200*]

[K]
関西倫理学会(編).2008.4.倫理学研究 第38号:シンポジウム総題「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」.168pp.晃洋書房.[ISBN 9784771019522] [y1,890] [b20100722= y105*]

美術修行2010年8月24日(火)

2010年08月26日 18時01分42秒 | 美術/絵画
2010年8月26日-7
美術修行2010年8月24日(火)

 2010年8月24日。第60回記念モダンアート新人展/埼玉県立近代美術館 地下(北浦和)/無料。
 出品目録に、東京都美術館の改修工事で2年間使えないために分散しての開催となったが、「分散4会場での受賞者20名の作品と会友作品全て、および一般入選者作品全てを、……一同に会して展示するものです。」、また、受賞者20名、会友40名、一般出品者117名、とある。
 
 絵画で興味引かれたのは。
  阿部沙也香「金魚舞奏」。細線での画面構成が生きている。近くでないとわからないが、小さなヒビが画面に入っていて、(意図しなくとも結果的に)効果的に位置している。
  風間虹樹「無。開展、、、(無限形而上実験)」。少し傾けるかどうかで議論になったらしい。拡がり、または広がり、をもたせようとするならば、四隅の白点は無くすべき。墨も5~7種類使ったら面白いかも。半分失敗作。今度は菱形で挑戦してもらいたい。
  甲斐野弘幸「跫’10」。おそらく水彩だと思うが、そのようには見えないほどの存在感がある。しわをつくって、後で削り出しているのだろう。形の配置が独特。
  轡田倉満「かけら」。図録で興味引かれたが、実物はさらに良かった。数層を重ねているのではないかと思うが、その二倍を重ねると面白くなるかも。中央にドンと物を置くとか、大きくして四隅を残すような構図ではなくて、全面展開の場合は、層を厚くして深みを出す以外になにか無いのだろうか?
  小泉里美「ただ今、不在」。ひょうきんで面白い。下部の蓮の華の台のようなものを無くして、手を立体的にでも増やす、つまり碁盤のようなものの内部にも描くと、どうなるのだろうか。(ぶちこわしになる怖れがあるが)けむくじゃらの手もあっていいのではないか。
  堀江淳一「化石の杜」。全面に多くのガーゼ布を張って画面分割的に彩色。ゆえに、クレー的。F100という境界が決まり、面の大きさが決まり、それを色面分割する。或る複雑さを加えるために、網目を利用する。この方向での展開はどうなるのだろう。興味深い。
 
 スペースアート部門の一つ。吉田多恵「笑待夢(ショータイム)」。透明度の異なる面を、裏表から作っている。色の薄いところ、または重なりが少ないところは、光が通る。表と裏の図柄が異なる。それを支える透明板は、台に置かれ、しかし天井から吊るされていて、触ると転倒するかもしれないということからか、結界を張られていた。太ロープの結界は、ポールパーティションというらしい。「結界」は業界言葉なのかな。

 来年のモダンアート新人展は、横浜で行なわれるとのこと。

 
 2010年8月24日。MOMASコレクション[II]/埼玉県立近代美術館 常設展示室/200円。
 光と風の贈り物 区画。2005年作のF130の油彩が少し良かった(作者失念)。
 箱のなかに入り、約6分の光色彩の変化を立って頭を入れたような姿勢で体験した。京都近代美術館での体験の後なので、どうとも感じなかった。連続的色彩変化はもう慣れているし、点滅的部分はどちらかというと嫌。
 瑛九「青の中の黄色い丸」は、1957-58年作。はがき大の説明カードに、「瑛九は……その後、具象的なモチーフにとらわれない独自の絵画に向かうことになりました。この作品は、微細な点でカンヴァスを埋め尽くした、晩年の作品群の先駆けをなすものです。……宇宙的で流動的な空間をつくりあげています」とあった。
 モンドリアン的設計の椅子などに座った。

 2010年8月24日。藤本壮介展 山のような建築 雲のような建築 森のような建築 建築と東京の未来を考える2010/ワタリウム美術館(外苑駅3番出口から)/1000円。
 大きな美術館かと思っていたが、違った。
 2階。吹き抜けの展示室。仮設展示 installation。およそ10cm直径で、15cmから2mの凹凸縁六角形断面の透明ポリカーボネートを要素(部品)として、それらを縦に置いて6mくらいにしたり、横に連結して、空間を半透明に仕切ったり、空所を作ったり。凹凸縁六角形をつなげるとハニカム構造で、そのうえに板を置けば、テーブルになる。
 説明文によれば、巣と洞窟とは対極的に捉えて得ると言う。
 骨格的発想(concept)での対極的な軸設定はなんだろう? 自然を日常生活で擬似的に部分的にでも体験することによって、どういう狙いなのか。
  原始的←→近代的?
  機能的←→無駄的
  効率的、利便的←→非効率的、不便的
  知性的?、観念的?←→身体的、体験的?

 3階。透明立方体を置き重ねる、これは使えそうだ。
 4階。8月13日2010年3月17日行なわれたらしいオープニングトークのビデオを見た(約20分)。
 「山のような」とかは、ベタな言葉だそうである。この「ベタな」の意味または用法がわからなかった。「「平凡な」「月並みな」……」「ひねりのない,誰にでも言えそうな」(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1923068.html)といった意味らしい。
 地下で買ったのは、林道郎(2009.8)。シリーズ7回目で最後のもの。新幹線車内で少し読んだ。
http://www.arttrace.org/seminar/hayashi/hayashi.html

 外苑駅近くのギャラリーを一つ見学した。

 
[H]
林道郎.2009.8.絵画は二度死ぬ、あるいは死なない 7 ロス・ブレックナー Ross Bleckner.81pp.ART TRACE.[y1,260]


地球温暖化音頭2/グラフで誘導する (IPCC報告書に見られる技法 technique:グラフ篇)

2010年08月26日 17時13分08秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月26日-6
地球温暖化音頭2/グラフで誘導する
(IPCC報告書に見られる技法 technique:グラフ篇)

 〔以下の記述は走書きなので、ええ加減。〕

 広瀬(2010)は、IPCC報告書に見られる表現方法について、いくつか指摘している。

 1. 単調増加と見せるために、全体の回帰直線を(太く)引く。
  たとえば20年くらい単位で水準が上がったり下がったりしているのかもしれないのを、数十年一緒くたにして、 単調増加する直線を書き込んで、そのように誘導する。(これはわたしの考え。他の人も指摘しているだろう。)
  また、その傾向を強調するために、低温期は無かったことにする。(広瀬 2010: *頁)
  データ改竄もしたという疑惑がある。

 2. 上昇する時間範囲のデータだけを取り上げる。
  過去まで時間範囲を拡げると、下降部分がある。
  例。IPCC第4次評価報告書の海水面の変化のグラフ。(広瀬 2010: 108頁)

 3. 当初は大きな数値で注目させ、だんだん小さな数値に変えていく。
  IPCC1次次報告書から4次報告書での、温度上昇の予測値。

 4. 比率尺度のグラフで、0点ではなく、途中の数値から目盛る。
  例。二酸化炭素の増加を示す図。(広瀬 2010: 111頁)
   1960年に315ppm、2000年に368ppm。40年間に53ppm増加。
  註。広瀬(2010: 110頁)は、「過去半世紀で、空気中の分子の一万粒のうち三粒が四粒に近づいて、それほど、地球が激変すると考えるほうがおかしい」というが、それはわからない。

[H]
広瀬隆.2010.7.二酸化炭素温暖化説の崩壊.222pp.集英社新書.[y700+]


音の彫刻 sound sculpture / 楽譜の意味論

2010年08月26日 16時54分19秒 | 美術/絵画
2010年8月26日-5
音の彫刻 sound sculpture / 楽譜の意味論


 固体、たとえば石材を彫り刻めば、彫刻作品ができる。
 海では、海自体が時々刻々の液体彫刻である。
  繰り返し的な波動である。

 気体を彫り刻めば、気体という素材を使った彫刻作品ができる。
 風が音を奏でていれば、それを風による演奏であるとも、また彫刻作品であるとも見立てることができる。

 或るCDの交響曲を再生すれば、それは、うたかたに消える、わたしの仮設作品である。
 それは、わたしの世界への泡沫愛である。
 藍は、黄金色。

 場=しきつめられた基底物。
  コイロンの泡の踊り(あるいは)舞い。

 
 とういうわけで、或る音楽作品を演奏すれば、それは気体を彫刻しているのだ。

 演奏。それは、創造的になり得る。
 楽譜とは、『作者』による絶対指定では無いとするとき、数多くの自由度が開ける。
 演奏は、自由であり、楽譜はきっかけ(契機)である。

 だれだ? わが彫刻作品を揺らすものは?
 だれだ? わが愛の結晶を扇ぎ飛ばすものは?

 騒音は愉快だ。
 巻環にすれば、差分的に誘拐される。

 ……………………

 言葉は楽譜なのでしょうか?
 あるいは、夢のなかの夢なのでしょうか?

 
 かくて、
     鉄鈴、は 風 に、鳴り響く………………

 
http://www.k4.dion.ne.jp/~rainbow3/kigou/teture.htm

2010年8月29日某所にて即興的初演予定。


ホメオパシー、叩いて埃はどれだけか

2010年08月26日 14時41分33秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月26日-4
ホメオパシー、叩いて埃はどれだけか

 日本学術会議は、(たぶん)2010年8月24日、「「ホメオパシー」についての会長談話」を公表した。
http://www.scj.go.jp/

 この文書は、科学哲学、科学史、科学政治社会技術論、科学交達論、など、様々な観点からの分析とその総合または統合のためのきっかけとすることができる、絶好の文書であろう。

 本質的な論点としては、たとえば、
  西洋医学の理論体系
   個々の病気の分類と同定(診断)
    それらへの対処法の体系(西洋医学理論体系からの処方箋)
     理論的帰結と実際の対処との差異

など、理論と実践との間の様々な段階で、人がやることによる誤りがある。

 たとえば、火傷への対処法としての秘伝があったとする。その秘伝の有効性を守るためには、秘伝を体得し、その理論体系による対処の変異についても熟知し、かつ、実際のやり方も習熟していなければならない。そうすると難しくて、継ぐ人がいなくなるかもしれない。かくて、秘伝の(一部の範囲の人の間で)名声は守られ、秘伝(体得者)は絶滅する。

 明治期以後の東洋医学や民間療法の排撃。保険制度の問題。


  「こうした過去の歴史を知ってか知らずか、最近の日本ではこれまでほとんど表に出ることがなかったホメオパシーが医療関係者の間で急速に広がり、ホメオパシー施療者養成学校までができています。このことに対しては強い戸惑いを感じざるを得ません。その理由は「科学の無視」です。」

 或る仮定のもとにであるが、暗黒物質が存在することが妥当と考えられるようになり、その正体あるいは性質がわかっていないことがわかったのに、

  「「水が、かつて物質が存在したという記憶を持っているため」と説明しています。当然ながらこの主張には科学的な根拠がなく、荒唐無稽としか言いようがありません。」

とか、「科学的」という形容詞を使って可能性を否定することは、できるのか? 「物質が存在しないのに」と言えるのか? 

 むろん、水に「記憶が伝達される」?という事態は、(ホメオパシーの本を読んでいないので)どういうことかわからないが、医療ということなら、それで治ればよい。(理論の展開としては、作用メカニズムが解明されるのがよいが。)
 また、或る病気での対象方法では効き目が薄いが、他の病気では西洋医学では対象外ならば、治らなくてもともと、という段階では採用するもあり、だろう。

 偽薬効果で治るならば、かつ副作用が無いならば、それは理想の薬である。

 一個人からは、西洋医学は一つの(しかし税金による資金援助の大きい)選択肢である。医者不足のなか、医者だって過労になるかもしれない。他人の助けを必要としないことが、時間の節約にもなり、よろしい。

 20数年くらい前か、ホメオパシー薬を売ったのだったか、札幌で薬事法違反で一人の男が捕まった。数年前までは、ホメオパシー薬はたとえばイギリスから輸入するしかなかったのだが、今ではあちこちに店もある。薬事法関係ではうまくやったようだ。
 ホメオパシー叩きに賛成だが、公平に同様の叩きを西洋医学にもやるべきである。犯罪的な医者がいても、西洋医学体系そのものとは関係が無い。処方ミスをしても、処方体系とは関係が無い(だから誤りが無いように実践的な工夫がなされる。それでも、ボンベを付け間違ったり、投与対象を間違ったりと、ミスは起こる。これには、理論体系の改訂ではなく、処方の実際運営体系の改訂が防止の一つとなるだろう)。

 などなど、論点は超大盛りである。なにせ、現実が関わるので。

 
 →二重盲検法 double blind testと偽薬効果(プラセボ効果)。帰無仮説の取り方。

 →事例研究。笑いで、なにかの病気は治るのか?
 →事例研究。丸山ワクチン。
 →信じる人は救われる、ならば、どうする?


美術修行2010年8月25日(水)

2010年08月26日 13時01分45秒 | 美術/絵画
2010年8月26日-2
美術修行2010年8月25日(水)

 大阪の地下鉄で谷町九丁目で下車。北と南を取り違えていたため、すぐには場所がわからなかったが、2010年8月25日、SOHOアートギャラリーを見学。奥行きは7.2m、幅はおよそ半分が2.5mで、半分が3.5m。CASO終了後に作ったと思われる、小畑亮平氏の小冊子(A4版1枚を三つ折り)と「第二回現代美術展」冊子を入手した。
 また、頂いたPEACE SUMMERの冊子中に、未訪問のギャラリー菊(淀屋橋駅から北へ徒歩約7分)でピアノ演奏会が8月28日の15:00~15:30にあることを発見した。
 ギャラリー菊のウェッブ頁に、
http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/02gal.pak/03gal-tikamiti/03rental-gal/15-kiku-hp/01-kiku.html

  「美術、音楽といった芸術の「発表の場と交流の場」を
   さらに活性化するために素敵な空間をお貸し致します。」

とあった。グランドピアノが置いてあるようだ。

 谷町9丁目から野田阪神から尼崎へ。

 2010年8月25日。美術の中の動物たち/尼崎市総合文化センター/600円。
 売店で2冊、石浦(2004)と日髙(2007)を購入。
 第63回尼崎市展の募集要項を入手。市長賞各部門1点の賞金は3万円、特選全部門10点 1万円、そして奨励賞全部門10点 5千円、とある。部門は、洋画、日本画、書、写真、彫塑・立体・工芸、の計5部門だろう。すると賞金としての支出合計額は、15万円+10万円+5万円で、計30万円になる。作品応募料は、1点が800円、2点なら1,600円とある。
http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/welcome_mayor/004photo/004h21_10.html
によれば、第62回尼崎市展では、
  「応募者数293人、応募作品点数411点の中から、194点の入賞・入選作品が選ばれました。」
とあるから、411x800円で、328,800円だから、賞金支出総額とほぼ同じ。

 尼崎からは直通の普通列車で難波へ。4時の3分前に昼割?の切符ですべり込む(金券売り場がすぐ近くにある。当初は食事界隈が並んでいるところを少しのんびり徘徊しようとおもったが、ついすべり込んでしまった。美味しい蛸焼きを食い損なったかもしれない。人間万事塞翁が馬)。駅構内で、鰹節、鯖節、うるめ節?の生蕎麦y400。かけそばなら、210円だったのだが、つい。

 
 高島屋美術画廊。少しおしゃれなのがあった。では、膠絵(「日本画」)で洋風よりは、逆に、アクリルまたは油絵で、日本(絵)画的精神性は表現できないものか。

 
[H]
日髙敏隆.2003(文庫版 2007.9).動物と人間の世界認識:イリュージョンなしに世界は見えない.筑摩書房.ちくま学芸文庫.[y680] [B20100825]

[I]
石浦章一.2004.7.遺伝子が明かす脳と心のからくり:東京大学超人気講義録.羊土社.[y1,680] [B20100825]

メカニズムの図解 (graphical) illustration / using diagrams

2010年08月26日 12時03分12秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月26日-3
メカニズムの図解 (graphical) illustration / using diagrams

 石浦章一(2004: 41頁)の図4は、ストレスが起きたときの体内での関与する活動の過程の図解である。
 ここでは、視床、脳下垂体、そして副腎皮質が、関与している部位であり器官である。そして、関与する(作用する)物質は、コロチコトロピン放出ホルモン(CRH)と副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)とコルチゾールである。したがって、下記のような図4では、

   CRH     ACTH
 視床ーー→脳下垂体ーー→副腎皮質ーー→コルチゾール
  ↑     ↑              ||
  |      ーーーーーーーーーーーーーー |
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

コルチゾールの表示位置が他とは異なっている。コルチゾールは、身体部位または器官ではない。一貫した表示にすると、

 視床⇒[CRH]→脳下垂体⇒[ACTH]→副腎皮質⇒[コルチゾール]
  ↑       ↑                ↓↓
  ↑        ←←←←←←←←←←←←←←←← ↓
   ←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←← 

 ⇒の左は[]内の物質を出す部位(ここでは器官)。
 []内には、器官から放出される物質名を表示した。
 →、↓、←、↑は、いずれも物質が移動する方向を示す。
 
と、なるだろう。
 すると、さらに、物の運搬または空間移動の仕組みとして、血管系にコルチゾールが放出されて、視床に到達して、作用(または相互作用)
するらしいから、

  [コルチゾール]→血管系

を加えることになる。血管系はコルチゾールを放出るすわけではないが、便宜的にそう見なして、あるいは両側に同一物質名が位置すれば、運搬経路だと解釈することに約束することにすると良いかもしれない。この場合は、⇒ではなく、→を使うことでも区別できる。すると、

 視床⇒[CRH]→脳下垂体⇒[ACTH]→副腎皮質⇒[コルチゾール]
  ↑     ↑                  ↓↓
  ↑      ←[コルチゾール]←←血管系←←←← ↓
   ←←←←←←←[コルチゾール]←←血管系←←←←← 

となる。(しかし、視床から脳下垂体と、脳下垂体から副腎皮質への物質移動も、血管経由か。)
 しかし、メカニズムの説明図としては、⇒と→の仕組みを明示してこそメカニズムの説明図であろう。

 さらに言えば、『ストレス』を明示しなければならない。制御について物質的構造を考えれば、おそらく少なくとも2階の構造となる。そのことを表示するには、入れ子状の図を採用するとしても、必ず制御の記号を加えておかなければならない。


[I]
石浦章一.2004.7.遺伝子が明かす脳と心のからくり:東京大学超人気講義録.羊土社.[y1,680] [B20100825]

地球温暖化(脅威)論の行方

2010年08月26日 11時07分53秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月26日-1
地球温暖化(脅威)論の行方

 広瀬(2010: 71頁)は、2009年10月17日のシンポジウムで、赤祖父俊一氏と明日香壽川氏との議論で、
  「IPCC側の教授は、……赤祖父氏に何の反論もできず、……子供でも言える退屈きわまりない話を一時間も続けて逃げまくった。」(広瀬 2010: 71頁)。

と、赤祖父氏が勝利したように書いている。

 
 しかし、「(09.10.19)」という日付から、2009年10月17日に行なわれた同じシンポだと思うが、正反対の評価をしている場合があった。それは、

http://www.yuiyuidori.net/jcpskd-harada/html/menu2/2009/20091019183329.html

で、「赤祖父俊一VS明日香壽川 環境博覧会で温暖化懐疑論にメス 山田区長は悔し紛れかアナウンサーに八つ当たり」
と題する、原田あきら氏(杉並区議会議員)のページである。

  「コーディネーターからこうした両者の意見に関してどう思うかと問われた区長の反応が大人気なかった。赤祖父氏の分が悪いと見たのか、自分の持論を展開すればいいものを環境問題を政治問題にすり替えているとか、コーディネーターのくせにしゃべりすぎだとかいったような八つ当たりまで行う始末…」

  「質問で、区長がHPで“IPCCは役人の集まり(だから内容に信憑性がない)”と言っていることに関してその認識はどうなのかと問われたとき、区長は結局役人の集まりだと断言し、赤祖父氏もそれに乗っかりました。そこで明日香氏が“科学者の集まり”であるとし、理由もしっかり述べて両者の意見を一刀両断にしたのは痛快でしたね。」

  「質問で、区長がHPで“IPCCは役人の集まり(だから内容に信憑性がない)”と言っていることに関してその認識はどうなのかと問われたとき、区長は結局役人の集まりだと断言し、赤祖父氏もそれに乗っかりました。そこで明日香氏が“科学者の集まり”であるとし、理由もしっかり述べて両者の意見を一刀両断にしたのは痛快でしたね。」

  「明日香氏は国内の排出量取引と国際的排出量取引を勘違いしていると区長をたしなめ、二酸化炭素排出に新たな規制を加える概念であると指摘しました。うーん、力量が違いすぎる…」

 
と、ほぼ明日香氏側の勝利と見ている。
 引用しなかったその他の箇所でもそうだが、「科学」をかさにきた権威主義的なところが「正直鼻につ」いた。一つ言えば、IPCCの報告書は、間違った箇所があったことはIPCC自身が認めているし、そうなったのは、政治的な振る舞いの結果であったことは、歴然としていると思う。

 さて、小松久子杉並区議会議員も、

  「私には「温暖化問題は基本的に南北問題です。」と言った明日香氏のひとことが一番深く胸の中に納まりました。私的にはこのバトルは断然、明日香氏のほうが勝っていたと思います。」
http://komatsu.seikatsusha.net/back/item/all/1255795589.html

と、明日香氏側の勝利と見ている。

 人によって、ここまで大きく判定が異なるとは!?。
 立場が違えば、見方が違い、重要視するところや、解釈としたがって評価も、異なってしまうということだろう。

 関連事項
[ウクライナからの3000万トン排出量の購入]
http://www.my-sapporo.com/environment/saveenergy/post_216.html

http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/65100162.html

 なお、渡辺正氏への反論として、

増田耕一.2010[.6?].地球温暖化の考え方.化学 65 (6): 58-63?? [未入手]

がある。また、

増田耕一・明日香壽川・吉村純・河宮未知生.2006.地球温暖化への懐疑論に関する考察.日本の科学者 41: 492-497.
http://web.sfc.keio.ac.jp/~masudako/publ/geosci/kaigiron.html

というのもある。