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美術修行2010年8月24日(火)

2010年08月26日 18時01分42秒 | 美術/絵画
2010年8月26日-7
美術修行2010年8月24日(火)

 2010年8月24日。第60回記念モダンアート新人展/埼玉県立近代美術館 地下(北浦和)/無料。
 出品目録に、東京都美術館の改修工事で2年間使えないために分散しての開催となったが、「分散4会場での受賞者20名の作品と会友作品全て、および一般入選者作品全てを、……一同に会して展示するものです。」、また、受賞者20名、会友40名、一般出品者117名、とある。
 
 絵画で興味引かれたのは。
  阿部沙也香「金魚舞奏」。細線での画面構成が生きている。近くでないとわからないが、小さなヒビが画面に入っていて、(意図しなくとも結果的に)効果的に位置している。
  風間虹樹「無。開展、、、(無限形而上実験)」。少し傾けるかどうかで議論になったらしい。拡がり、または広がり、をもたせようとするならば、四隅の白点は無くすべき。墨も5~7種類使ったら面白いかも。半分失敗作。今度は菱形で挑戦してもらいたい。
  甲斐野弘幸「跫’10」。おそらく水彩だと思うが、そのようには見えないほどの存在感がある。しわをつくって、後で削り出しているのだろう。形の配置が独特。
  轡田倉満「かけら」。図録で興味引かれたが、実物はさらに良かった。数層を重ねているのではないかと思うが、その二倍を重ねると面白くなるかも。中央にドンと物を置くとか、大きくして四隅を残すような構図ではなくて、全面展開の場合は、層を厚くして深みを出す以外になにか無いのだろうか?
  小泉里美「ただ今、不在」。ひょうきんで面白い。下部の蓮の華の台のようなものを無くして、手を立体的にでも増やす、つまり碁盤のようなものの内部にも描くと、どうなるのだろうか。(ぶちこわしになる怖れがあるが)けむくじゃらの手もあっていいのではないか。
  堀江淳一「化石の杜」。全面に多くのガーゼ布を張って画面分割的に彩色。ゆえに、クレー的。F100という境界が決まり、面の大きさが決まり、それを色面分割する。或る複雑さを加えるために、網目を利用する。この方向での展開はどうなるのだろう。興味深い。
 
 スペースアート部門の一つ。吉田多恵「笑待夢(ショータイム)」。透明度の異なる面を、裏表から作っている。色の薄いところ、または重なりが少ないところは、光が通る。表と裏の図柄が異なる。それを支える透明板は、台に置かれ、しかし天井から吊るされていて、触ると転倒するかもしれないということからか、結界を張られていた。太ロープの結界は、ポールパーティションというらしい。「結界」は業界言葉なのかな。

 来年のモダンアート新人展は、横浜で行なわれるとのこと。

 
 2010年8月24日。MOMASコレクション[II]/埼玉県立近代美術館 常設展示室/200円。
 光と風の贈り物 区画。2005年作のF130の油彩が少し良かった(作者失念)。
 箱のなかに入り、約6分の光色彩の変化を立って頭を入れたような姿勢で体験した。京都近代美術館での体験の後なので、どうとも感じなかった。連続的色彩変化はもう慣れているし、点滅的部分はどちらかというと嫌。
 瑛九「青の中の黄色い丸」は、1957-58年作。はがき大の説明カードに、「瑛九は……その後、具象的なモチーフにとらわれない独自の絵画に向かうことになりました。この作品は、微細な点でカンヴァスを埋め尽くした、晩年の作品群の先駆けをなすものです。……宇宙的で流動的な空間をつくりあげています」とあった。
 モンドリアン的設計の椅子などに座った。

 2010年8月24日。藤本壮介展 山のような建築 雲のような建築 森のような建築 建築と東京の未来を考える2010/ワタリウム美術館(外苑駅3番出口から)/1000円。
 大きな美術館かと思っていたが、違った。
 2階。吹き抜けの展示室。仮設展示 installation。およそ10cm直径で、15cmから2mの凹凸縁六角形断面の透明ポリカーボネートを要素(部品)として、それらを縦に置いて6mくらいにしたり、横に連結して、空間を半透明に仕切ったり、空所を作ったり。凹凸縁六角形をつなげるとハニカム構造で、そのうえに板を置けば、テーブルになる。
 説明文によれば、巣と洞窟とは対極的に捉えて得ると言う。
 骨格的発想(concept)での対極的な軸設定はなんだろう? 自然を日常生活で擬似的に部分的にでも体験することによって、どういう狙いなのか。
  原始的←→近代的?
  機能的←→無駄的
  効率的、利便的←→非効率的、不便的
  知性的?、観念的?←→身体的、体験的?

 3階。透明立方体を置き重ねる、これは使えそうだ。
 4階。8月13日2010年3月17日行なわれたらしいオープニングトークのビデオを見た(約20分)。
 「山のような」とかは、ベタな言葉だそうである。この「ベタな」の意味または用法がわからなかった。「「平凡な」「月並みな」……」「ひねりのない,誰にでも言えそうな」(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1923068.html)といった意味らしい。
 地下で買ったのは、林道郎(2009.8)。シリーズ7回目で最後のもの。新幹線車内で少し読んだ。
http://www.arttrace.org/seminar/hayashi/hayashi.html

 外苑駅近くのギャラリーを一つ見学した。

 
[H]
林道郎.2009.8.絵画は二度死ぬ、あるいは死なない 7 ロス・ブレックナー Ross Bleckner.81pp.ART TRACE.[y1,260]