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地球温暖化音頭1/プレゼンの極意

2010年08月24日 00時31分22秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月24日-1
地球温暖化音頭1/プレゼンの極意


 広瀬(2010: 71頁)によると、2009年10月17日に東京で、赤祖父俊一氏と明日香壽川氏が対決するかのようなシンポジウムがあったらしい。

  「IPCC側の教授は、……赤祖父氏に何の反論もできず、……子供でも言える退屈きわまりない話を一時間も続けて逃げまくった。最後に聴衆が見えないほどのスピードで反論資料と称するものを一瞬だけ出して、「これは江守さんのものです」と言って自分でグラフを説明できないままであった。」(広瀬 2010: 71頁)。

 2010年4月30日の日本学術会議主催の公開シンポジウム「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)問題の検証と今後の科学の課題」で、明日香壽川氏と思われる人が発言している。

  <質問者「……東北大学の明日香と申します。……

まあいわゆる不確実性はたくさんあると思うんですね。その時にどう対応するかっていうのは価値判断の話だと思います。カーブで車で運転していて、カーブをどれくらい曲がっているか分からないと。その時にスピードを上げるか上げないかという話だと思うんですけど、もちろんここにいる人は一人ともたぶんスピードを上げるっていう人はいないと思うんですけれど、

今まで議論しているのは、分からないからスピードを上げてもいいじゃないかという、個人の行動原理とは違うことを社会に求めてると。それはどうしてかというと、自分は良い、大丈夫だと思ってる人は多いと思うんです。

たぶん30年ぐらい後にはこの方は半分くらい、いないと思いますので、だからそういう問題でやってるのを温暖化問題、特に温暖化の何をするべきかということに関しては問題だということを認識していただければなと思います。」>(100430_nihongakujutu_06_paneldiscussion.pdf, 28-29頁)

 
 なにを言っているのか、言おうとしているのか、全然理解できない。カーブ道で車を運転する場合をたとえとして出しているらしいが、何についての不確実性で、何が対応しているのか? 
 車種によって違うだろうが、カーブではアクセルを踏めば、きついカーブを回りやすいかもしれない。
 しかしそもそもその道は曲がっているのか、曲がっているとしても左に右にではないか、など、喩えあるいはモデルが問題としていることがらを考える上で妥当かどうかである。
 それはともかく、予防原則を持ち出したいのなら(そうなのかどうかわからないが)、温暖化に即して言えばいいことである。
 後のほうでは、30年後にはシンポ会場の人々の半分くらいは生きていないということを言っているのかなと思うが、そのことがどのようにして「だから」と続くのか、そしてその後の発言は、何が主語で、どれがどれに関係しているのか、皆目わからない。

[H]
広瀬隆.2010.7.二酸化炭素温暖化説の崩壊.222pp.集英社新書.[y700+]