2010年8月21日-2
生殖隔離的種概念からシステム的種概念へ
Mayr (1982: 273)は、生殖隔離的種概念 isolation concept of species(これを生物学的種概念と呼ぶのは、止めよう)のMayr (1942)の定義を引く。
"Species are groups of actually or potentially interbreeding natural populations which are reroductively isolated from other such groups" (Mayr 1942: 120; Mayr 1982: 273により引用)。
「種は実際にまたは潜在的に相互交配する自然な個体群のグループであり、かつ、それは他の同様のグループから生殖的に隔離しているグループである。」
〔論理的関係を明瞭にさせるために、このように訳した〕
この定義は、本来の定義ではなく、実際の個体群(『個体群』がまた定義されなければならないことが問題。そして、「個体群」を定義するのに種が潜んでいることが多い)、現実に或る個体群のグループ(ここでこのグループを類別するのが困難)が、相互交配またはあるいはかつ、あるいはまたはとかつ("or", or, "and" or both)生殖隔離という基準で類別している。生殖隔離という基準だけでは、種とは何かというように定義していないから、明らかに、操作的「定義」である。相互交配という基準をもちいる場合も、種とは何かに答えているとは言い難い。すくなくとも、直裁に答えてはいない。
相互交配するかどうかは、有性生殖する生物体では、現実に、雄一個体(個体m1)と雌一個体(個体f1)の間で、交配するかどうかを判定するということになる。すると、結果は(同一種または異種に属する)生物体間によって。その種類と程度は様々である。たとえば、交尾しても受精しない、受精しても胚発生しない、胚発生しても初期で止まる、(同一種だと同定される生物体間で)個体によってはその程度が様々である、孵化に至らない、子が生成されても生殖可能ではない、子が子を産んでも一代限り、あるいは数代限り、いくらでも生殖する。(ここでは論じないが、生殖可能かどうかの判定について、有性生殖の場合に固有の問題があることに注意。)
〔詳細に書き出すと、先に進まないな。そろそろ旅の支度を〕
1. 自然な個体群 (「自然な」とは野外でのことで、人為的環境下での個体群?と対照させている?)
2. いくつかの自然な個体群を、相互交配または生殖隔離によってグループ化する
(→そのようにグループ化したものは、実在者なのか構築体なのか?)
生物体たちを、何らかの基準でまとめることをするのは、人であるから、そのようにしてグループ化された対象は、構築体である。それ(ここでは相互交配すること)が、現実に作用する力によって、生物体たちを結合させている力と対応すれば、したがって、生物体たちから構成されるシステムとなっているのであれば、よい。
=== 脱線別欄 はじまり ===
実際の親子関係にもとづいて、生物体を類別することは可能である。その構成の仕方は、EVOLVE(番号未詳)で記述した。
図解すると明らかなように、そのように分けたところで、分類的実践には、何の役にも立たない。あなたは、(どういうわけか産出されて)現実に(どんな現実かは、棚上げする)存在すると仮定する。あなたの両親がいて、そのまた両親がいて、さらにまた両親がいて、……。つまりあなたという一個の存在者は、幾多の先祖代々の営みのうえに築かれた、歴史上稀有なる奇跡的(!?)な存在者なのである、うんぬんかんかん、がくがく……。
それではあんまりや、ということなら、もそっと形質でも付け加えよう。あなたの眼は三角錐である。あなたの母もそうである。そしてその母の母もそうである。……いつのまにか、そのまた母の眼は球形である。
『いつのまにか』、というのが気に入らないのなら、或る原因または理由で、世代を下って観測すると。あら不思議、球形が三角錐になっちゃった……(カメレオン説話を見よ)。つまり、「変わるべくして変わる」と言うのと、たいして変わらへんのとちゃう?
(故)今西錦司氏の言う「変わるべくして変わる」は、生物は「変わるべきときが来たら、変わる」という表現と同じだったと思うが、そうならば、少しわかりやすい。システム変換の状況を言っているとする解釈も可能だろう。むろん問題は、いかにして、である。
『なぜ』などに答えるのは放っといて、『いかにして』に答える。たとえば、現象や存在者について、変数を抽出または設定して(特に比率尺度または間隔尺度の)変数間の関係(関数関係)を問題としたこと、それは確かに近代科学の成功の理由(の一つ)であっただろう。
アリストテレスの四つの種類の説明を無視することはできない。
=== 脱線別欄 おしまい ===
しかし、相互交配の基準では、同一の種タクソンに属するかどうかは、様々であるという実際の欠点がある。(実は、そもそも定義になっていないから、その点からは、実際の欠点があろうとなかろうと問題外である。というより、一般的に言って、操作的なやり方をすることから、そのような欠点を生じさせることが多い。)
むしろ、生物体間で相互交配が可能ということは、それらの生物体たちが同一の種に属するからである。つまり、或る種が(もちろんどの種も)もつ性質の一つである。種一般がもつ性質は他にもあるので、これから考えても、種の定義とはなっていない。相互交配も、生殖隔離も、一つの判断基準なのである。形態的や生態的に多くの形質が異なっているので、別種だと考えられる生物体間でも、どういうわけか子ができるかもしれないから、<判断基準としては>、生殖隔離のほうが重視される。むろん、定義としては、Mayrがやったようにしないと、表面上は定義にならない。生殖隔離だけでは、或る二個体が同一種かどうかの基準を与えないからである。
また脱線した。持っていきたい方向へ戻る。
網谷(2002: 75頁)は、後にMayrが「実際にあるいは潜在的に」という語句を削除した理由は、「生殖隔離機構の存在は、当該(諸)集団の(実際の相互交配の有無に関わりなくあてはまるので、わざわざ「実際的/潜在的」ということを示す必要はない(Mayr 1982: 273, 1992: 229, 2000: 95f)」と、註に紹介している。
「潜在的に」とは、言葉の意味から言って、そもそも観測しないことの話である。それなのに、たとえば機会があれば、或る二個体が交配することが、どうやってわかるのだろうか。操作的には、わかるはずがない。推論するとすれば、その二個体からの外部形態とか(お好みなら、なんらかのDNA配列)のもとづくものであろう。しかしその推論は、すでに或る種(タクソン)についてそのもととなる性質から判定できることがわかっているからの可能である。定義する場面の話ではない。
また少し脱線した。
(なんやったっけ?)
そうそう、「潜在的に」ということが、種の定義と関わる(つまり、種の本質。ところで、Mayrによる本質主義批判なるものが、批判にはなっていないことについても論じなければ……)という方へ議論を持っていくことであった。
さて、Mayrの隔離的種概念の定義なるものは、無性生殖生物体には適用外である(定義が、個々の生物体について判定基準となって適用されるということが、そもそもおかしい)。その適用範囲のことに、批判があるが、定義は自由なので、逆に無性生殖生物体には種というものが無いのだとしてもよい。そうすると、{種が定義できる生物体、種が定義できない生物体}と、あらゆる生物体が大きく存在様式で二つに分けられる。
どうです、生物学的世界が二分割されて、すっきりとした気分になりませんか?
それはともあれ。
有性生殖する場合で、
<生物体たちが相互交配可能であるのは、それらが同一種に属するからである。>
つまり、Mahner & Bunge (1997)が言うように、話が逆なのである。
そしてこのように考えた定義を考案すれば、無性生殖生物体でも、n性生殖生物体(nは0以上の整数値。3性の場合には、「両性」という語の指示対象が不明瞭になる)でも適用できるだろう。
そこで、よくよく考えると、
1. 分類とは、われわれが誂えたカテゴリーを操るという、頭の体操なのだから、生物(学的)分類において、用いられる種タクソンとは、構築体以外ではあり得ない。
2. しかし、生物体たちが産出されるという現象を考えると、また、たとえば形態的、生理的、行動的などについて測定されれば、それらの異種間測定値に見られる離散性もまた明白である(間が連続的な場合も観測されるが、まずは大部分を救うことが肝要である)から、これらは、種というシステムの存在ゆえに結果する(そのような現象が観測される)のだと考えるのが、妥当である。きっと、それが正しい。いや、間違いない。なぜなら、何らの欠点もなく、操作上のものではなく、概念としての定義になっているからである。よって、わがシステム的種概念 the systemic concept of species が、完全無欠に正しいのである(豪快気炎、瀑笑〔お好みなら爆笑、ビールを飲みながらのときは麦笑〕)。
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=3075945
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=2781665
[A]
網谷祐一.2002.E・マイヤーの生物学的種概念.科学基礎論研究 (98〔号〕): 23-28〔別表現では、29〔巻〕: 75-80〕.
[M]
Mahner, M. & Bunge, M. 1997. Foundations of Biophilosophy. xviii+423pp. Springer-Verlag.
Mahner, M.・Bunge, M.(マーナ,マルティーン・ブーンゲ,マリオ).1997, 2000.(小野山敬一訳 2008.8)生物哲学の基礎.xxi+556pp. シュプリンガー・ジャパン.[ISBN 9784431100256] [y13,000+]
Mayr, E. 1982. The Growth of Biological Thought: Diversity, Evolution, and Inheritance. ix+974pp. The Belknap Press of Harvard University Press.