生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

ロスウェル『未来を築く常温核融合』日本語版

2011年10月21日 23時01分42秒 | 生命生物生活哲学
2011年10月21日-3
ロスウェル『未来を築く常温核融合』日本語版

http://twitter.com/#!/sengakut
から知った。

 ロスウェル『未来を築く常温核融合』は、著作権を放棄しているという、192頁のpdfである。

[R]
ロスウェル,ジェト(Rothwell, Jed).(大野順子訳 2007.5)未来を築く常温核融合.192pp.pdf.
http://lenr-canr.org/acrobat/RothwellJmiraiokizu.pdf.



未来を犠牲にした目先の利益よりも、いのちと安心な生活を優先しよう

2011年10月21日 21時41分42秒 | 生命生物生活哲学
2011年10月21日-1
未来を犠牲にした目先の利益よりも、いのちと安心な生活を優先しよう

 琉球新報の社説に、

  「社説
 原発国際公約 商談優先の「ご都合主義」だ  2011年10月20日

 〔略〕
 国民が原発事故で得た教訓は、事故はいつ起きるか分からないし、いったん事故が起きればもう遅い。安全性を高めても、原子力は完全に制御できないという事実だ。
 〔略〕
 技術先進国として、再生可能エネルギー、省エネ機器や省エネ住宅などの開発に技術力を傾注させ、世界の脱原発依存の先導役となることこそが日本の使命だ。」
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-183020-storytopic-11.html

とある。
 下記のように言ったほうがよいだろう。

 ・原発事故は、いつ起きるか分からないが、起きる可能性が大きい。
   特に20年経過した原発は、可能性が大きい。
 ・核分裂型原子力発電は、制御困難である。
   事故の影響はきわめて大きい。国土と海を大きく汚染する。その回復は容易ではない。

 「脱東電オフ」
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65769983.html

という会合をやっているところがあるようだ。


 様々なことを統合的に学び、様々な機会に意思表示しよう。
 日本を民主主義の国にしよう。





二酸化炭素は光合成時の媒体である。

2011年10月20日 11時05分44秒 | 生命生物生活哲学
2011年10月20日-2










 1. われわれは太陽エネルギーを直接および間接に摂取している。
  身体を暖められ、植物や動物を食べている。
 2. 植物は太陽を食べている。
  二酸化炭素は光エネルギーを摂取する際の、道具であり、植物の身体を構成する物質的要素である。
 3. 以下、同様。

 レジ袋1枚の製造の際には100gの二酸化炭素を排出するということだろうか? テレビを1時間見た場合の2.5倍としている。どういう計算なのだろうか?
 白鷹町省エネルギービジョン - 白鷹町役場
www.town.shirataka.lg.jp/secure/1329/syouene_vision-zenbun.pdf
によれば、

  「*レジ袋(ポリエチレン製)の製造・焼却に係る CO2 排出量
 1. 10g のポリエチレンを製造する際の CO2 排出量:30g
 2. 10g のポリエチレンを使用後に燃やした場合の CO2 排出量:31g
したがって、10g のポリエチレンを製造し、使用後に燃やした場合、61g の CO2 を排出することになります。
例)1 枚 5g のレジ袋を 100 枚(500g)もらって燃えるゴミとした場合の CO2 排出量は 61g×500g / 10g=3,050gと
なり、約 3kg の CO2 を排出したことになります。」

 ここの計算では、 5g のポリエチレン製レジ袋1枚は、製造の際と使用後に燃やした際に排出する二酸化炭素量は61/2=30.5g。帯広市のみなさんが使うレジ袋の平均の重さは、100g/30.5g=約3.3なので、白鷹町のみなさんが使うレジ袋の平均の3.3倍ということなのだろうか? あるいはポリエチレン製ではないのか?

 「レジ袋のCO2排出量を計算してみた | kamikura.com Blog」
http://blog.kamikura.com/archives/312
と「レジ袋を減らすとCO2はトータルでどれだけ減るのか?」
http://blog.kamikura.com/archives/418
によると、
  「その辺にあった袋の重量

いなげや 53cm x 30cm 7g
丸善 36cm x 24cm 7g
紀伊國屋書店 36cm x 24cm7g
ヨドバシカメラ 29cm x 19cm 6g」
http://blog.kamikura.com/archives/312

なので、1袋は7gで、レジ袋はポリエチレン製だとして、また、

  「社団法人プラスチック処理促進協会のよくあるお問合せには、レジ袋の原料製造工程やレジ袋の製造工程でのCO2排出量が書いてある。

原料(ポリエチレン)の製造工程では1kgあたり1.231kgのCO2が発生。
そこからレジ袋を製造するためには1kgあたり0.281kgのCO2が発生。」

  「レジ袋(ビニール袋、ショッピングバッグ、ポリ袋)が最終消費者に渡るまでにどの段階でCO2が発生するかというと。

原油を採掘する
その原油を、石油化学コンビナートまで運ぶ
コンビナートで原料のポリエチレンを製造する
ポリエチレンをレジ袋製造工場に運ぶ
レジ袋を作る
レジ袋をスーパーやコンビニなどに運ぶ

という部分でCO2が排出される。」
http://blog.kamikura.com/archives/418

ということで、物流過程でのCO2を無視して、

 1. ポリエチレンが完全燃焼した場合の反応式は、
  C2H4+3O2→2CO2+2H20
で、この式から計算するとポリエチレン28gを燃焼させると88gの二酸化炭素(CO2)が発生する。7gのレジ袋を完全燃焼させた場合に発生するCO2の量は22gとなる。
 2. 「ポリエチレンの製造で1kgあたり1.231kgのCO2が発生、レジ袋の製造工程で0.281kgのCO2が発生」することから、「レジ袋を7gとすると、少なくとも消費者が受け取るまでの段階で10.6gのCO2が発生していることになる」。
 3. 「さらに燃やすと、前回の記事でわかるように22g発生するので、7gのレジ袋を使って燃やすと、合計で33g程度のCO2が発生する」。
 4. 「捨てても埋め立てただけとか燃やさなければ、22gのCO2は発生するわけがない」。

 燃やすと発生する二酸化炭素量(10.6g/7gレジ袋)は、製造段階で発生する二酸化炭素量(22g/7gレジ袋)の2倍である。燃やさず、どこかに放置しておくとよいだろう。
 ところで、名古屋市の政策アドバイザーであるらしい武田邦彦氏は、レジ袋は石油の最終産物から作られたものだから、有効利用であり、焼却場でどんどん燃やした方が、焼却場での燃焼も良くて良いと言っていたと思う。
 大阪市では、普通ゴミとしては、燃やせるゴミと燃やせないゴミの分別はしない。
 ちらっと見たテレビでは、スウェーデンでは子どもは、一時的はりつけ紙(たとえばPost-It)を捨てる際は、のりのついている部分とついていない部分に分けてちぎってゴミ箱に入れていた。いやはや、たいへん。



放射線を避け、放射性物体を付着させない、吸わない、摂取しないこと

2011年10月15日 01時41分43秒 | 生命生物生活哲学
2011年10月15日-1
放射線を避け、放射性物体を付着させない、吸わない、摂取しないこと

 菅谷昭(2011.6)『子どもたちを放射能から守るため』は、「チェルノブイリ原発事故被災地の医療支援をした医師、現・松本市長」である菅谷昭氏に質問した答えでできている本のようである。
 ICRPの見解については、内部被曝による影響が抜け落ちているとしている。そして生活上で、特に内部被曝をしないように注意を促している。また、例えば避難して、結果としてそれが必要なかったとしたら、それでよかったとする考え方である(事前警戒原則 the precautionary principle の考え方だと思う)。
 医者として、現場で働いた人である。統計的数値ではなく、個々の人を見ている。
 医学では、疫学的データだけではなく、症例報告もする。
 いくつか引用する。

  「「人体への放射線の影響」には、次のようなものがあります。
 ・すぐに影響が出るもの??急性影響
 ・数年、または数十年してから影響が出るもの??晩発影響
 ・被ばく者の子孫への影響??遺伝的影響」(菅谷昭 2011.6: 12頁)。

  「以上がICRPの見解ですが、ここには大切なことが抜け落ちています。それは「内部被ばくが原因で起きる影響」についての視点です。」(菅谷昭 2011.6: 15頁)。

  「放射線量と比例した影響を受けるのが、外部被ばくです。
 ところが、「内部被ばく」となると話は変わってきます。「内部被ばく」とは、食べものや呼吸を通して、体内に放射性物質が取り込まれ、放射線の影響を受けること。胃腸などから吸収され血液に入り込むと、体中をぐるぐる回って臓静や筋肉や骨などに蓄積され、そこから放射線を出すのです。
 体内で問題になるのは、透過性の高いガンマ線ではなく、アルファ線やベータ線です。〔略〕
 今回の事故で政府は、「CTスキャンやⅩ線検査を受けるよりもはるかに少ない被ばく量」という発表をしましたが、それは外部被ばくの話です。
 内部被ばくはCTスキャンのように1回で済むものではありません。体内に入ってしまうと、少量であろうと24時間放射線を出しつづけ、細胞レベルで影響を与えます。ここを理解していないと、「放射線量がわずかならだいじょうぶだ」という論理になってしまいます。内部被ばくは少量でも影響をおよぼす可能性があるのです。
 これらをふまえ、被ばくについては二つに分けて考えるとよいでしょう。放射線源に近い場所(線量の大きな場所)では、外部被ばくと内部被ばくの両方に注意すること。速く離れた土地では、内部被ばくに注意すること。
 〔略〕いまの日本で多くの人々が注意しなければならないのは、内部被ばくです。」(菅谷昭 2011.6: 21-22頁)。


 「 福島原発の事故の後、食品安全委員会に出席したとき、ある大学の委員がこんな発言をしました。
「甲状腺がんは生存率が90%で、がんの中でもたちのよいがんですよ。大したことはありませんよ」
 それを問いて私は、ちょつと待って、といいました。
「たしかに性質のよいがんですが、だからといって、がんになっても大丈夫だというのはおかしい。5歳や10歳の子どもが、がんの手術をすることをどう思いますか?あなたはお父さんお母さんの苦しみがわかりますか?」
 〔略〕現場を知らない人はこういうことを平気でいいます。すべて、数字で大きくとらえてしまうのです。がんは、一人ひとりの命の問題なのに。」(菅谷昭 2011.6: 32-33頁)。

  「 学者によっては、「大したことはない」という人もいます。でも、問題はそこです。その油断やおごりが、事態を悪化させていくのです。机の上で統計だけを見ているからそのような甘い判断になるのかもしれませんが、チェルノブイリで起きたり、現在進行している多くの問題を知れば、そんな無責任なことはいえなくなるはずです。
 繰り返しますが、放射能はまだわからないことが多いのです。はっきりしているのは、チェルノブイリで小児甲状腺がんが増えたこと。そのほかにもさまざまな病気に苦しむ人々や、周産期異常などの問題が増えているのです。
 わからないからだいじょうぶ、ではなく、わからないから怖い。私はそう思います。」(菅谷昭 2011.6: 53頁)。



[S]
菅谷昭.2011.6.子どもたちを放射能から守るために.82pp.亜紀書房.[y952+][聞き書き:菅聖子].


危険予想の伝達または相互通信

2011年10月13日 00時29分35秒 | 放射能
2011年10月13日-1
危険予想の伝達または相互通信

 2000年6月の『科学』70巻6号の書評として、吉川肇子『リスク・コミュニケーション:相互理解とよりよい意思決定をめざして』と吉川肇子『リスクとつきあう:危険な時代のコミュニケーション』に対する小山真人氏によるものと、桜井淳『事故は語る:人為ミス論』とラングドン・ウィナー(吉岡斉・若松柾男訳)『鯨と原子炉:技術の限界を求めて』対する飯田哲也氏によるものがある。

  「〔略〕原子力事故などのまれにしかおきない“不慣れな”災害においては,
 (1) 情報が風評被害を生み,地元経済にダメージを与える,
 (2) 情報がパニックをおこす怖れがある,
 (3) 対策の目途がたたないリスクの存在が公表されるのはまずい,
 (4) 基礎知識が十分でない一般市民にはそもそも情報を誤解なく伝えることができない,
などの理由によって情報自体が隠匿されてしまうケースがある〔略〕.
 しかし,いったん情報隠匿の事実が明るみに出てしまうと,専門家と市民の間の信頼関係が大きく損なわれ,回復に長い年月がかかる.〔略〕」(小山真人 2000.6: 545頁)。

 
  「〔略〕たとえば日本でも,しばしば喫煙や自動車事故と原発のリスク(危険)/ベネフィット(利益)を一律の定量的な指標で比較する議論が横行する.そうしたリスク/ベネフィット分析に代表されるアメリカ流の合理的なリスク評価を“たぶらかし”と著者〔ラングドン・ウィナー〕は断じる.汚染や酸性雨や事故といった問題そのものに取り組むべきであり,そもそもあらかじめそれを避ける選択をすべきという,予防原則やベックの言うリスク社会論と共通する示唆を与えている.〔略〕」(飯田哲也 2000.6: 547-548頁)。

 小山真人氏は、静岡新聞時評(2011年8月16日)として、「放射能のリスク伝達:消費者の信頼回復第一に」と題した、下記に引用するような文章を書いたようである。

  「 検出された値が暫定規制値以下でも、そのことだけで「安全」が保証されるわけではない。そもそも暫定規制値自体が非常時に限った高目の値である。また、しばしば「その食材を1年食べ続けても安全」などと説明されるが、人間は様々な食物を摂取しなければ生きられない。国民ひとりひとりが自身の被曝総量を考えて暮らさなければならない状況となった今、食材一品目だけを仮定した説明は意味をなさない。そもそも低線量被曝の人体への影響については、原爆やチェルノブイリ事故などの限られた研究事例しかない。にもかかわらず、統計学的証拠が見出されていないことを「安全」と言い換える学者には不信感を覚える。証拠が見出せないということは、安全か危険かの判定はできないということである。」
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/opinion/jihyo51.html

 
[I]
飯田哲也.2000.6.[書評:]桜井淳著『事故は語る:人為ミス論』,ラングドン・ウィナー著(吉岡 斉・若松柾男訳)『鯨と原子炉:技術の限界を求めて』.科学 70(6): 547-548.

[K]
小山真人.2000.6.[書評:]吉川肇子著『リスク・コミュニケーション:相互理解とよりよい意思決定をめざして』,吉川肇子著『リスクとつきあう:危険な時代のコミュニケーション』.科学 70(6): 545-547.