生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳(4)20160630

2016年06月30日 11時26分56秒 | システム学の基礎
2016年6月30日-1
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳(4)20160630

  「
 生物システムという概念についてのわれわれの特徴づけによって、議論の多い別の概念、すなわち生物種 biospecies 、の精確な定義 precise definition をしてはどうだろうか。具体的な物の種が_生物種 biospecies_ であるのは、
  (a)それのすべての属員〔成員 member〕が、(現在、過去、または未来の)有機体〔生物体〕 organismであり、、
  (b)(任意の収集体、または数学的集合ではなく、)自然類 natural kind であり、、
かつ、
  (c)進化的系譜 evilutionary lineage の属員〔成員 member〕であるとき、、
そしてそのときに限ると、われわれは規定した。
 この規約 convention 〔約定〕によれば、生物種は、或る点で一つの全体として振る舞う一つの物または具体的個物ではなく、物たちの収集体である。よって、それは一つの概念であ。しかしもちろん無駄な概念ではなくて、数や容積という概念と同様に、生命を表す〔表象する〕と称するいかなる概念的構築においても、鍵となる概念なのである。そのうえ、種とその他の分類学的タクサtaxonomic taxa〔タクソン学的タクサ〕は、多かれ少なかれ仮説的である。一方、生きている有機体は、実在するのだ。そういうわけで、「爬虫類」や「齧歯類」といったクラスは、もはや受け入れられない。個々のアリゲーターやネズミの実在をだれも疑わないとしても、である。
 しかし今日、何人かの生物学者と哲学者は、空間と時間にわたる、種は個物的または具体的システムであると主張している。(そのような記述は、正しくは個体群に適用される。)その見解は、数々の理由から誤りである。第一に、多くの種の個体群たちは、地理的に分散している。それで、個体群のそれぞれすべては一つのシステムであるけれども、個体群たちの全体は一つのシステムではない。

  〔個体群内有機体間の結合性(または繋がり性)と個体群間の結合性も、(種類と)程度の問題になる。しかも、有機体間を繋ぐ結合力の種類は様々だろう。また、(種個物説を唱える人たちのように)時空にわたっていると捉えると、はぐれ雄猿が、たまにやってきて或る個体群に属する

  (実は、どの個体群もその範囲は明確ではない。確かに、他と遠く隔たった島の個体群はその範囲が明確で生殖的に閉じていると言える。この例を考えれば、マーナとブーンゲ(訳書 2008)が指摘しているように、個体群を定義するときには、その前に種タクソンが定義されていなくてはならないことと合わせて、種をそれが属する有機体〔生物体〕によって定義すること自体に難点があるということに思い至らなければならない。→システム的種概念へ。)

雌と交尾して子が生成されれば、系譜を生成することになり、はぐれ雄猿は、過去と未来にわたる系譜の一員である。ここでのブーンゲの議論は、マーナとブーンゲ(2008)での主張と同じく、私見では生物種の定義が中途半端であることによる。正しい指摘をしているが、解決案には至っていない。システム的種概念とそれに関する主張は、種問題(擬似問題 pseudoproblemとなる)を、すっきりと解明している。→標語:あらゆるについて、種類と程度を考えよ。とりわけ、種類設定のときの分類が重要であり、分かれ道となる。〕

(雀とか海驢〔あしか〕とかアルファルファ牧草や小麦のことを考えよ。)第二に、生物種という概念は、(単一種の)個体群と(多種からなる)共同体〔群集 community〕と生態系という概念を構築するのに必要である。
 第三に、種水準でクラスという概念を採用するのを拒む人でも、隣接する高いタクソン水準で、つまり属 genus でクラス概念を導入せざるをえなくなる。そうしなければ、体系学を行なうことは不可能である。おそらく、この場合には、個物と解釈された生物種の集合を、属として定義するのであろう。しかしそのとき、いずれ有機体も、どの属にも属さないことになるだろう。というのは、一つの属の属員〔成員〕は種であって、個物でないからである。とりわけ、どの人も、ヒト属 genus _Homo_ の属員〔成員〕ではないであろうし、なおさら、霊長類ではないし、哺乳類ではないし、脊椎動物でも、動物でさえもないだろう。この〔おかしな〕ことをはっきりと理解するには、3つのまったく異なる関係が、これらの考察に含まれていることを理解するだけでよい。すなわち、部分全体 part-whole 関係、〔数学の〕集合的属員 membership〔成員〕関係、そして集合的包含 inclusion 関係である。たとえば、心臓は、一個の有機体の一部分である(<)。一個の有機体は、一つの種に属する(∈)。そして、一つの種は一つの属に包含される(⊆)。つまり、_h_ < _o_ ∈ _S_ ⊆ _G_。残念ながら、このような基本的な区別が、生物学の学生にふつう教えられていない。精密性は、たんに几帳面さなのではなくて、明瞭な思考の構成要素であり、理論づくりの条件であり、不毛な論争の抑止力である。「個物としての種」テーゼ〔試験可能な、定言または仮説〕の虚偽的特徴を、早いうちにはっきりと理解すれば、伐採者から全体の森を救うことになるのだ。
」[20160630試訳]
(Bunge 2003b: 47-48)。




美術修行2016年6月29日(水):元永紅子展/ギャラリー島田 deux

2016年06月29日 20時18分01秒 | 美術/絵画
2016年6月29日-1
美術修行2016年6月29日(水):元永紅子展/ギャラリー島田 deux




 元永紅子展/ギャラリー島田 deux/三宮駅/入場無料。
 絵画は、いずれも細い円筒でくねくねと輪をつくったりする線的に、矩形または正方形をところどころ変形した、つまり形状化された板に、二つの色などの(おそらくアクリル)絵具で作っている。

 ギャラリー島田
 元永紅子 Silver&Color Works 6/25(土)〜6/30(木)1F deux
http://gallery-shimada.com/?p=3783

風間虹樹の絵画〈いのちいのち、いのち〉/第66回モダンアート展 京都展

2016年06月28日 23時40分01秒 | 美術/絵画/曜変絵画
2016年6月28日-2
風間虹樹の絵画〈いのちいのち、いのち〉/第66回モダンアート展 京都展

 風間虹樹製作の絵画〈いのちいのち、いのち〉が下記のモダンアート展(東京と京都)で展示されます。
 ご楽観いただければ幸いです。



風間虹樹〈いのちいのち、いのち〉
S100(縦162x横162cm)。
麻画布に、ジェッソ、墨、油絵具。
主題または製作意図:幽玄性、生命的宇宙観。
          生命たちの質料的ぶらさがり相互反応。
いのち絵画の技法:皺つけ法、(標準)曜変法、流し曜変法。
観方:直接性のうちに、いのちたちは、いのちする。10cm〜7mの間の幾つかのお好みの距離と
   角度と歩き方で、まずは解釈せずに観る。虫眼鏡で見るも一興。床置きして空からも見よ。
   天井置きして、寝て見上げよ。ときどき眼を閉じよ。酔い痴れたら、お好みで知的にも観る。

◇ 第66回モダンアート展 京都展 ◇
 会期:2016年6月28日(金)~7月3日(日)
 時間: 9:00~17:00 [入場は16:30まで。]
 会場:京都市美術館/ 京都市岡崎
 入場料:大人700円、大学生高校生350円、中学生以下は無料。















風間虹樹の絵画〈暗黒をして、いのち明るみ、いのちたちを生み、有無。〉/第66回西宮市展のご案内

2016年06月28日 23時26分34秒 | 美術/絵画/曜変絵画
2016年6月28日-1
風間虹樹の絵画〈暗黒をして、いのち明るみ、いのちたちを生み、有無。〉/第66回西宮市展のご案内

 風間虹樹が製作した絵画〈暗黒をして、いのち明るみ、いのちたちを生み、有無。〉が、第66回西宮市展にて展示されます。ご楽覧いただければ幸いです。






風間虹樹 2016年6月製作
暗黒をして、いのち明るみ、いのちたちを生み、有無。
大きさ:162x141cm[S40菱形展示、三角棒状黄色綿布付き]
理念:暗黒物質は曜変して、生命体を創造する。
いのち絵画の技法:皺つけ法、島盛り法、地蒼曜変法、穴開け裏貼り法、二層扉法。
物質構成:地塗り済み麻画布に、ジェッソ、アクリル絵具、水晶末か方解末、黒鉛(CARAN d'ACHE GRAFWOOD 9B)、マットメディウム(Liquitex)、グロスメディウム、中川チューブ胡粉[→この上に上塗り]、油絵具、顔彩(吉祥製パールカラー)
見どころ:近づけば見える、宇宙曜変へと近づいた色の曜変模様。画布の層化による力。



◇ 第66回西宮市展 ◇
会期:2016年6月30日(木)〜7月3日(日)、7月5日(火)〜10日(日)
時間:10:00〜17:00 (最終日は14:45まで)
会場:西宮市立市民ギャラリー/阪神香櫨園駅から数分。
特別鑑賞会:2016年7月3日(日)14:30より、洋画部門。

風間虹樹の絵画〈いのち無限〉/平原社展(北海道帯広)のご案内

2016年06月27日 23時38分21秒 | 進化理論
2016年6月27日-4
風間虹樹の絵画〈いのち無限〉/平原社展(北海道帯広)のご案内

 風間虹樹が製作した絵画〈いのち無限〉が、平原社展/帯広市民ギャラリーにて展示されます。ご楽覧いただければ幸いです。










 風間虹樹 2016年6月
 いのち無限
 229x229cm[S100菱形展示]
 地塗り済み麻画布に、ジェッソ、墨、アクリル絵具、油絵具、グロスポリマーメディウム。
 いのち絵画の技法:叩きつけ泡立ち法、振り出し法、曜変法、層化貼り込み法。
 狙い:様々な種類と活動程度と形態的大きさの生命体たちを、絵具で表面体に創造すること。
 特徴:火の要素と水の要素の相互作用、自然な製作方法の採用、二層絵画、菱形(十字=人間の象徴)、



◇ 第91回平原社展 ◇
 会期:2016年7月14日(木)〜19日(火)、21日(木)〜26日(火)
 時間:10:00 〜 19:00 (最終日は16:00まで)
 会場:帯広市民ギャラリー
     帯広市西2条南12丁目 JR帯広駅地階
 入場料:一般 500円、高校生以下は無料。


Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳20160627(3)

2016年06月27日 14時30分30秒 | システム学の基礎
016年6月27日-3
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳20160627(3)



Bunge 2003b: p.47-
  「
 _s の構造_=直接的と間接的、物理的または化学的、共有結合的と非共有結合的な、すべての結合。それは、_s_の構成要素を相互に繋ぎ、そうして一緒に保つ。加えて、_s_の環境における諸事項とのすべての(物理的、化学的、そして生物学的)結び。
 _s の機構_=_s_を生きているように〔状態に〕保つすべてのプロセスたち。それらのうち、いくつかの分子の合成は、核酸と酵素によって合同的に制御される一つのプロセスで、  〔→何が統合的に制御しているのか? あるいは置かれた環境との相互作用の関係によって自動的に?統御が「創発」するのか?? →これでは生命作用を創発させる構造形成が先か、あるいは他の何の成立が先かの堂々巡りになる?〕  代謝を伴う構成要素たちの移送、再配置、集成、そして分解を行なう。またその分子合成は、システムの維持と自己修復、、  〔「、、」は、「;」に対応させた訳である。〕  (たとえば、ATP分子における)自由エネルギーの捕捉と貯蔵、、電気的または化学的な様々な種類の信号たち(これらによって近くのまたは遠くの構成要素たちは相互に通信する。たとえば、ホルモンと神経伝達子によって運ばれる構成要素たち)、、そして遺伝子の発現と抑止、、環境からの刺激の検出、、そしていくつかの部分の修復またはさらに再生、、を行なう。数個の水準での存在者とプロセス〔の外延〕を示す概念たちが同時的に発生していることに、注意されたい。つまり、原子、分子、細胞内小器官、細胞、有機体全体、そして環境、という水準たちである。よって、上記の特徴づけは、システム的であって、小還元的主義でも大還元的主義でもない。また、環境の適性 fiteness というLawrence J. Henderson の概念が暗黙のうちに生じていることにも、注意されたい。そのような概念は、機械論的説明にも、生気論的説明にも無い。機構は、単一の親細胞から二つの細胞たちがおおよそは同一の構成、環境、そして構造を持つであろうこと(ただし、一つの細胞は生き、片方の細胞は死ぬという場合を除く)ゆえに、述べられなければならなかった。類似:スイッチを切る前と後の電球。複製可能性は、いずれにしろ含められなかった。すべての有機体が生殖するわけではないからである。
 (また、遺伝情報という流布している概念とその同類も、われわれは含めなかった。遺伝プログラム、暗号、青写真、転写、翻訳、そして誤り訂正である。というわけは、それらは精確ではないし、暗喩的で、したがってときには示唆的だが、そうでないときには誤解に導くからである[Mahner and Bunge 1997を見よ]。これらの用語を無批判に使えば、彼らが名づけたプロセスが理解されるという錯覚を奨励することになる。それは間違いである。なぜなら、基礎となっている機構が明かされるまでは、何も理解されるわけではないからである。われわれは、どの事象〔出来事〕においても、遺伝物質すなわちDNAを、そしてそれに内在する諸法則を受け継ぐのであって、非物質的な遺伝的プログラムではない。)
 生物システムという概念についてのこの解明によれば、染色体は生きていないのである。なぜなら、それらは代謝しないからである。同様に、ウイルスは生きていない。なぜなら、なんらかの宿主細胞の外側では、まったく機能しないからである。(宿主—ウイルスのシステムだけが生きている。もっとも、哀れなるかな、しばしば病気である。)
 〔→宿主—ウイルスのシステムは、単一のシステムとして成立しているのならば、病気という概念は当てはまらない。宿主に病気ならば、ウイルスは病気を引き起こす生き物で、たとえば大腸菌もウイルスも生命体だ考えざるを得ない。→システムの境界 boundaryと接面 interfaceの問題。結論:ウイルスは生命体である。少なくとも、複製しているときは生きている。結晶状態のときは、活動を停止しているだけであって、活動を再開する能力を形態構造として持っている。凍結精子も活動を停止させられているだけであって、生きている。クマムシもそうである。さらには、成長する鉱物結晶は、生きていると考えることが可能である。生命には様々な種類と段階または程度があると考えるのがよい。〕

また、どのように洗練されようと、ロボットも生物システムの資格は無い。生化学的構成要素の代わりに、機械的および電気的構成要素から作られていることだけからしても、資格は無い。またなぜなら、自発的に進化したことからほど遠く、それらは人々のために人々によって、設計され組み立てられたからである。
」[試訳20160627](Bunge2003b: 47-48)。






Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳20160627(2)

2016年06月27日 10時20分33秒 | システム学の基礎
016年6月27日-2
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳20160627(2)

  「生命という概念の定義に対しては、伝統的に二つの接近〔アプローチ〕がある。一つは、あらゆる有機体〔生物体 organism〕のなかに含まれていて最初の駆動者として機能する単一の特異な存在者 a single peculiar entity を仮定することで、たとえば古代の非物質的なエンテレキーとか超近代的ゲノムである。二つ目は、単一の特異な性質 a single peculiar property を仮定することで、たとえば同じく古代の有目的性または目的論 purposefulness or teleology であり、今日では再命名された「目的律 teleonomy」である。これらのいずれの戦略も、うまくいかない。エンテレキーは仮想的で imagenary、検証できない inscrutable。ゆえに、科学の視界を越えている。DNAは、必要だが、酵素なくしては無力であるし、生細胞の外ではたいしたことはしない。目的論について言えば、高度に進化した有機体だけが、(ときおり)目的があるように振る舞う。〔それに対しては〕われわれは代替案を探さなければならない。
 システム的接近は、生命について次の特徴づけを示唆する。それは、第2章第5節で提案したCESMモデルによって表わされる。生きているシステムまたは有機体は、半開の物質的システム s であり、それの環境とともに熱力学的平衡からはほど遠く、システムの境界は半透過性の脂質膜であり、かつ、次のことを満たすものである。
 _s の構成_=物理的で化学的な微小システムたちと中規模システムたちである。とりわけ、水、炭水化物、脂質、蛋白質、そして核酸である。これらの構成要素は十分に近接していて、化学反応へと達し得る。また、いくつかの構成要素は制御システムで、境界内の環境変化にもかかわらず、かなり一定した内的環境を維持する。
 _s の環境_=栄養物とエネルギー流量の豊富な媒体。ただし、その変数(たとえば圧力、温度、放射強度、そして酸性度)は、かなり狭い区間内に限定される。
 



===
システムの性質とシステムの状態について、いまだ輪郭が漠然とした想念。
 〔では、生きているという性質(←?。「生きている」はシステム的な、つまりシステムが持つ一つの性質として捉えてよいのか?、あるいはシステムの一つの状態か?)はいかにして出現するのか? →Bunge (2003b) では、物体間の力またはエネルギーの構造的変換が創発的性質として成立し機能するという説明構造になるだろう。創発は、自己組織化あるいは自己集成が、なんらかのシステム的条件下で「自然に naturally」(これこそ、機構が不明の隠れた状態変化、もしくはオカルト的事態ではないか?)起きるということになるだろう。自己組織化〔自己編制〕または自己集成は、下からの[bottom-up これはいったいどういうことなのか?]秩序生成として採用せざるを得ないのだろう。しかし、自己組織化または自己集成が、諸力と諸条件を特定してきちんと定式化されているとは思えない。上からの秩序を仮定せざるを得ないと思う。20160627記〕


Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳20160627(1)

2016年06月27日 00時23分30秒 | システム学の基礎
2016年6月27日-1
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳20160627(1)

 「
第4節 生命へのシステム的接近

 近代の生物学者は、つねにシステムを研究してきた。細胞から器官から大きなシステムから全体の多細胞有機体〔生物体〕から個体群から生態系である。生物学の編成そのものが、この「存在の連鎖」を反映している。図3.2を見てほしい。

図3.2 生物学の編成は、自然界に見られる、部分と全体の関係を反映している。稜線は、二重の矢として読まれるべきである。それはさらに、問題、概念、仮説、方法、そして発見の流入を象徴する。

 しかし、大方の専門家は、自分の分野を残りの分野から分離してきた。システム的接近への必要性〔需要〕の認識の広まりは、つい最近のものであった。それは、或る分子生物学者たちが、発生の進行における個々の遺伝子の機能を決定するための伝統的試み、つまり普及している一遺伝子一形質仮説は、限界があると指摘したときである。実際、この計画〔プログラム〕は、遺伝子網〔ネットワーク〕として組織〔編制〕された、大きな調節システムを分析するのに失敗している。
 この遺伝子網による接近でも、不十分である。というのは、遺伝子は互いに相互作用するだけでなく、酵素にのよって表現(活性化)されたり、抑制(不活性化)されたりするからである。よって、遺伝子網は、蛋白質網と結ばれなければならない。おそらく、発生への正しい接近は、じかに接している環境に埋め込まれた、ゲノムと全蛋白の超システムに焦点を合わせることであろう。しかしもちろん、このような総合は、巨大な先行する分析的作業無しには到達不可能であろう。そう、他所でのように、正しい戦略は、小還元(全体→部分)と大還元(部分→全体)の組み合わせである。しかし、生物学の存在論へと転じよう(それについてのさらなることは、Mahner and Bunge 1997がある)。
 生物学とその哲学における再発する問題は、その指示対象の一般的特徴づけであった。すなわち、生命という概念の定義ある。マシン主義とか人工生命企画はもちろん、機械論(そして付随する急進的還元主義)と生気論(心霊主義としばしば対となる、様々な全体論)という極端を避けることからだけでも、システム的接近は、ここで助けとなる。
 機械論者は、生きている細胞をその構成と間違える。生気論者は、構造と環境はもちろん、構成を見逃し、代わりに、有機体の創発的(超物理的)諸性質に焦点を合わせる。そして、人工生命の熱烈愛好者といったマシン主義者は、構成または材料を無視して、形態的特徴についての計算機模型に甘んじるのだ。三つのすべての誤りは、細胞の構成要素は生きていないと認めることによって、そして細胞は物理学、化学、そして計算機科学には知られていない、独特な仕方で自己組織化することを仮定することによって、避けられる。
」[試訳20160627](Bunge2003b: 45-46)。

Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第3節 物理的プロセスと化学的プロセスへのシステム的接近、の試訳20160626

2016年06月26日 23時11分31秒 | システム学の基礎
2016年6月26日-3
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第3節 物理的プロセスと化学的プロセスへのシステム的接近、の試訳20160626

 「
第3節 物理的プロセスと化学的プロセスへのシステム的接近

 歴史的には、物理的システムの最初に知られた例は、太陽系 the solar system である。太陽系が単なる天体の集合体であるというよりも、一つの星座といった、そのようなものだと認識するのには、ニュートン(1667)ほどのものが必要だった〔It took no less than Newton (1667) to recognize it [=太陽系] as such rather than as a mere assemblage of bodies , such as a constellation. 〕彼は、太陽系は、重力的引力によって一緒に保たれており、太陽系のあらゆる構成要素は慣性(質量)を持っているから、重力的引力は単一の天体へと崩壊を引き起こすことはない、という仮説を設けた。もしそれらのどれかが止まると、それは太陽へと落ちるだろうし、他の惑星の軌道は変わるだろう。どの惑星を除去しても、同様の結果が得られるだろう。こうして、太陽系は全体性という性質を示すのである。しかし、この全体は分析可能である。すなわち、全体の状態は、それの構成要素のそれぞれの状態によって決まる。惑星天文学者の主な仕事は、精確に言えば、惑星たちとそれらの月たちの状態を特徴づける変数を、測定するか計算することである。しかし彼らはまた、そのシステムが他の天体と相対的に一つの全体として運動する仕方を見つけ出すことにも興味がある。
 しかし、ニュートンの粒子力学に関する独自の定式化は、力学的システムの研究にはうまく適さない。なぜなら、その指示対象は、その系の残りの粒子によって及ぼされる力に従う単一の粒子だからである。オイラー、ラグランジュ、そしてハミルトンは、力学系の全体的な性質を記述する関数を導入して、ニュートンの方法(ベクトル的力学 vectorial mechanics)を一般化した。このような一つの関数、作用は、ハミルトンの変分(または極値)原理を満たす。つまり、系の作用は、最大かまたは最小である。(等価的に、システムの考え得る歴史のすべてについて、実際の歴史は、その作用の極値的な(つまり最大または最小の)値に相当する。今度は、その原理は、運動についての微分方程式を含意する。図3.1を見よ。これは、理論物理学のすべての分野に採用される接近〔アプローチ〕である。つまり、分析(微分方程式)が総合(変分原理)と結びつけられている。

 図3.1 (a)ベクトル的力学。問題とする粒子pの運動は、その系〔システム〕の他の粒子に影響される。(b)分析的力学。指示対象は、一つの全体としての力学的な系である。そこでは、個々の粒子は、いくつかの相互作用する構成要素の間のたった一つである。

 個体、液体、そして重力のであれ、電磁気のであれ、その他のものであれ、物理的場は、全体というさらなる例を提供している。このようないかなる連続的媒体の或る領域における摂動は、全体のすみからすみまでに伝わる。池に落ちつつある石のこと、あるいは電場のなかを動きつつある電子のことを考えよ。それは、固体と液体は、気体には似ず、場によって一緒にされる、原子または分子のシステムであることとは一致しない。
 全体性と創発の別の例は、いわゆる量子力学に典型的な、もつれあい、相関関係、または非分離性である。これが意味するのは、多数の構成要素から成る微小物理的システムの状態は、それの構成要素の状態に分解(要因化 factored)できないということである。言い換えれば、二つ以上の量子が一緒になって一つのシステムを形成するとき、その構成要素が空間的に分離されるようになってさえも、それらの個体性は失われるのである(たとえば、Kronz and Tiehen 2002を見よ)。
 最後に、化学的システム〔化学系〕の概念を検討しよう。この類のシステムは、構成要素が、その数または濃度が変わる化学物質(原子または分子)であるシステムとして特徴づけられよう。なぜなら、それらは互いに反応することに関わるからである(たとえば、Bunge 1979aを見よ)。よって、反応が始まる前と、反応が完了した後では、システムは物理的であって、化学的ではない。たとえば、電池は、それが働いている間にだけ、化学的システムである。
 化学反応は、創発または質的新奇性の最適の例を、ながらく与えてきた。しかし、化学的システムの概念は、19世紀中の化学的で薬学的な産業での化学反応の創発とともに、よく知られるものとなった。化学的構成におけるあらゆる変化は、構成要素間での相互作用によってか、構成要素とその環境との間の相互作用によって引き起こされるから、システムの真のモデルは、その構成だけでなく、その環境、構造、そして機構を組み入れるだろう。つまりそれは、第2章の第5節で導入された基本的CESMモデルの特殊化であろう。
 では、生物システムへと移ろう。それは、超化学的性質を授けられた、化学的システムの上位システムである。
」[試訳20160626](Bunge 2003b: 43-45)。


Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第2節 概念的システムと物質的システム、の試訳20160626

2016年06月26日 19時25分46秒 | システム学の基礎
2016年6月26日-2
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第2節 概念的システムと物質的システム、の試訳20160626

 「
第2節 概念的システムと物質的システム

 近代数学は、特に抜きん出たシステム的科学である。実際、近代数学者は、はぐれた事項ではなく、システムかシステム構成要素をを扱う。たとえば、実数、多様体、ブール代数、そしてヒルベルト空間は、システムとして述べられる。これらの事例のすべてで、集合体 aggregate または集合 set をシステムに変えるものは、構造である。構造すなわち、システムの構成要素の間の諸関係の集合、またはシステム構成要素への働き〔作動〕 operations である。(数学的システムは、ときに「構造」と呼ばれる。これは誤称である。なぜなら、構造は性質であり、そしてあらゆる性質はなんらかのものの性質だからである。たとえば集合は、その要素が連結 concatenation と相反 inversion の操作によって組織化〔編制〕されていれば、集団的性質を持つ。
 実は、現代の数学者は二つの類のシステムと取り組んでいる。一つの類は、数学固有の対象で、環、位相空間、方程式のシステム、そして多様体である。もう一つの類は、このような対象についての理論である。理論は、もちろん仮説演繹のシステム〔体系〕である。すなわち、含意関係によって連結された式から構成されるシステムである。しかし、理論はまた数学的対象として見られてもよい。つまり、メタ理論の対象である。たとえば、理論の論理と論理の代数である。最後に、現代数学の全体は、相互に関係する理論(各理論は、或る類いの数学的システムを指示する)から成る一つのシステムと見なされよう。
 このことすべては、もちろん数学者にはよく知られている。Hardy (1967) が述べたように、数学的考えの重要性は、それの他の数学的考えへの関係性に比例する。数学においては、存在することは、少なくとも一つの数学的システムの構成要素であることだとさえ、或る者は言うかもしれない。はぐれものは、資格を得られない。
 以下に、具体的システム、すなわち複雑で変化可能な物、だけを考慮しよう。つまり、理論といった概念的システムはあまり深くは扱わないことにする。_具体的 concrete_(または_物質的 material_)システムは、それの構成要素のあらゆる一つ一つが変化可能で、そのシステム自身の他の構成要素に作用したり、作用されたりするような複成物 composite thing として定義される。これと等価な定義は、物質的システムは、その構成物のすべてがエネルギーを持つ複雑物である、というものである。物質性とエネルギーの広い概念によって、人だけでなく、社会システムもまた、物質的である。もっとも、もちろんながら、社会的事柄は、物質を超える創発的性質である。
 変化可能であることに加えて、宇宙を除いてあらゆる具体的システムは、それの環境と相互作用する。しかしながら、このようなシステムと環境の相互作用は、内部構成要素の相互作用よりも弱い。この条件が満たされなければ、宇宙(それは単一圏であろう)以外のシステムは無い。
」[試訳20160626](Bunge 2003b: 42-43)。





Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第0節と第1節 システム的接近、の試訳20160626

2016年06月26日 16時45分10秒 | システム学の基礎
2016年6月26日-1
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第0節と第1節 システム的接近、の試訳20160626

 Bunge (2003b) の『創発と収斂:質的新奇性と知識の統一 Emergence and Convergence: Qualitative Novelty and the Unity of Knowledge』の《第3章 システム的接近》の、まえがきと第1節を、以下に訳出する。



第3章
システム的接近

 前の章で見たように、システム主義とは、あらゆるものは一つのシステムであるか、あるいは一システムの構成要素であるという見解である。この章と次の章では、システム主義は、原子、生態系、人物、社会、そしてそれらの構成要素に対して、またそれらが構成する物についても成立すると主張しよう。システム主義はまた、観念と記号についても成立する。すなわち、日常的知識、科学、科学技術、数学、あるいは人文学においてであろうと、はぐれた考え〔観念〕または孤立した意味ある記号なぞ無いのである。実際、或る考えや記号は、他の考えや記号に関係しないなら、いかにして把握したり、作り出されたり、適用されたりするのか、理解が難しい。宇宙だけが、他のなにものとも繋がっていないが、それでも単 なる集合体aggregateであるよりは、一つのシステムである。事実、宇宙のいかなる構成要素も、少なくとも一つの他の構成要素と直接的(面と向かっての社会的相互作用のように)か間接的(たとえば物理的場を通して)かのどちらかであれ、相互作用する。
 システム主義は、個体主義(または原子論)と集産主義 collectivism(または全体論)の両方の代わりとなる。したがってシステム主義は、小還元主義 micro-reductionism(「あらゆるものは、底から来る」)と大還元主義 macro-reductionism(「あらゆるものは、頂きから来る」)の両方の代替となる。個体主義は、木々を見るが森を見失なう。他方、全体論は森を見るが木々を見逃す。システム的接近だけ が、木々(そしてその構成要素)と森(そしてそれのより大きな環境)の両方に注目することを容易にする。下記と次章で見るように、木々と森々に対して成立することは、_必要な変更を加えて _mutais mutandis_、他のあらゆるものにも同様に成立する。

第1節 システム的接近

 システム的存在論は、認識論的であろうと実践的であろうと、すべての問題について、システム的接近を示唆する。単純な事例でその働き方を見てみよう。人はどのように車種を、選ぶのだろうか?。普通、人は、サービス設備を無視して、予算に合う最良の車を探す。しかしこのやり方は、輸入車の場合では、災難を招く。なぜなら、部品と専門技術は高くつくし、もっと入手困難だからである。問題へのシステム的接近は、車問題についての四つのあり得る解決策を、次のようにしてまとめて検討するだろう:

||〈良い車、良いサービス〉〈良い車、悪いサービス〉||
||〈悪い車、良いサービス〉〈悪い車、悪いサービス〉||
=
|| V11 V12 ||
|| V21 V22 ||

この行列の四つの記入項の値は、次のように順位づけられるだろう:

 V11 > V12 >= V21 >V22。

 この進め方は、_システム的接近_と呼ばれる。その反対は、_分野的接近〔扇形的接近、では意味が取れないか。円の一部という意味か。分派的接近とすべきか〕sectoral approach_と呼ばれる。システム的接近のほうが、扇形的接近よりも効率的だと言いたい。なぜなら、実在それ自体が、未分化の小塊かまたは分離した事項の緩い集まり assemblage であるよりは、期せずしてシステム的だからである。車も、人々も、原子や光子でさえも、空虚のなかに存在するのではない。(そのうえ、まったくの空虚というようなものは無い。あらゆる場合が、物理的場たちの席なのである。)
 あらゆるものは、宇宙を除けば、他の何かに繋がれ、他の何かに埋め込まれている。しかし、あらゆるものが他のあらゆるものに結ばれているわけではない。また、すべての結合が同じ強さであるわけでもない。このことによって、部分的な隔離が可能となり、或る個々のものを宇宙の残りを考慮することなく研究することが可能となる。この資格〔能力 qualification〕によって、システム主義は、全体論またはブロック宇宙説から区別される。
 従来通り、哲学者たちは、これらの科学的変化に気をつける時間を割いた。事実、初期のシステム的哲学は、有名なドルバック男爵によって手作りされた。彼の『社会システム』(1773)のまさに冒頭に、「〔フランス語〕」と書いた。三年後、『自然のシステム』で、彼は自然のシステム性(と物質性)のための十分な論拠をこしらえた。それが持つ力は、楽しまれはしなかった。これらの力ある著作は、ドルバックの第二の祖国、フランスで追放された。今日でさえ、全体のフランス啓蒙思想は、大半の大学でほとんど無視されている。そこでは、システム主義は、しばしば全体論と混同され、小心者には恐ろしい唯物論と同様に、まったくもって不人気である。
 しかし、哲学的共同体によって説得力のある哲学的考えが無視されるならば、他のところで花咲きそうである。これがシステム主義に起こったことであり、生物学者のルードビッヒ フォン ベルタランフィLudwig von Bertalanffy (1950) によって、はっきりと唱えられた。彼は、一般システム理論の運動を鼓舞したのである。すべての運動と同様に、この運動も異質的である。それには、強固な意志を持つ科学者と工学者(たとえば、Ashby 1963; Milsum 1968; Whyte, WIlson, and Wilson 1969; Weiss 1971; Klir 1972)を含んでいる。また、システム主義を全体論と混同する一般大衆向けの書き手も(たとえば、Bertalanffy 1968; Laszlo 1972)そばに並んでいる。大衆向けの書き手は、システム理論は、経験的研究に携わることなくして諸問題に取り組むための秘訣だと信じている。彼らの純粋に形式的な類推と乱暴な主張は、Buck (1956) とBerlinski (1976)の痛烈な批判をもたらした。
 一般システムの理論者は、哲学者と同様に、強固な意志の者と弱い意志の者とに分かれる。わたしの自身の著書である『システムの世界 A World of Systems』(1979)は、節度あるシステム的接近を採用して、形式的道具を使って、化学、生物学、心理学、そして社会科学に適用する。システム主義は、近代科学的世界観に内在する存在論の一部であり、それゆえ出来合いの置き換えよりも理論化にあたっての案内となると、わたしは主張する。」
[20160628試訳](Bunge 2003b: 39-41)。



Mario Bungeのシステム的接近、システム主義(1)〜(5)のまとめ

2016年06月25日 23時53分53秒 | システム学の基礎
Mario Bungeのシステム的接近、システム主義(1)〜(5)のまとめ
δ

 Mario Bunge がシステム的接近またはシステム主義について述べた下記の書の部分を訳出し、まとめようと思う。

 (1)Bunge (2003b) 『創発と収斂:質的新奇性と知識の統一』
 (2)Bunge (2013) 『医学哲学:医学における概念的争点』の「2.3 システム的接近」(pp. 43-47)

 Mario Bunge (2003b) 『創発と収斂:質的新奇性と知識の統一』に、システム的接近についての記述がある。また、システム的分析として、CESM分析、つまり構成、環境、構造という3つの分析に加えて、機構の分析が登場している。


A. 機構についての箇所

 第2章 システムの創発と潜没(pp.26-)のpp.29-30に、機構について言及しているところがある。その箇所を、以下に訳す。

  「
 言い換えれば、システムの創発、振る舞い、そして分解〔解体〕 dismantling を説明するのに、そのシステムの構成と環境だけではなく、総体的(内的および外的)構造によっても説明するのである。さらに、これで十分だというわけではない。システムの機構 mechanism または作動様式 modus operandi についての何かをも、知るべきである。すなわち、どんなプロセス
  〔過程と訳すと、機構が関わらないように受け取れる。→Oxford Paperback Dictionary を見よ[後述]〕

によってそれが振る舞うようになっているのか、あるいは振る舞うことを止めるようになっているのか、その仕方である。

 システムを動かす機構を見つけ出す方法は、システムの特異的機能を探すことである。すなわち、それに特有のプロセスを探すことである(Bunge 2003b)。表2.1を見よ。

表2.1 よく知られているシステムの特異的機能と関連する機構
============================================
システム    特異的機能         (諸)機構
--------------------------------------------------------------------------------------------------------
川       排水             水流
化学反応装置  新しい分子の創発       化学反応
有機体     維持             代謝
心臓      血液汲み上げ〔ポンプ作用〕  収縮─緩和
脳       行動と精神状態        神経細胞間の結合
時計      計時             いくつか〔の機構〕
学校      学習             授業、勉学、議論
工場      商品製造〔生産〕       労働、管理
売店      商品の流通          商売
科学実験室   知識の成長          研究
学術共同体   品質管理           査読〔同僚評価〕
裁判所     正義の探求          訴訟
非政府組織   公共奉仕           自発的労働
============================================

 いくつかの場合、或る特異的機能は、様々な機構を持つシステムたちによって成し遂げられるかもしれない。これらの場合、問題としているシステムたちは_機能的に等価である functionally equivalent_ と言える。たとえば、輸送は、車、船、または飛行機による結果であり得る。いくつかの計算は、脳かあるいは計算機〔コンピュータ〕によって実行され得る。また、不平を取り除くことは、団体交渉、訴訟、暴力、または賄賂によって得られよう。(機構が与えられた場合、その機能を見つけることは、直接的問題である。対照的に、機能から機構へ進むことは、逆問題に携わることである。それは、少しでも解決可能だとしても、機能と機構の写像〔対応規則〕が一対多であるときには、二つ以上の解がある。)よくある間違いは、機能的等価性からシステム同一性を推論することである。この誤りは、_機能主義 functionalism _と呼ばれるが、心についての計算主義的見解の核心である。そのことについては、第9章第3節でもっと詳しく述べる。
」[20160621試訳、20160622試訳]。
(第2章 システムの創発と潜没から、機構についての箇所。Bunge 2003b: 29-30)。


□ 文献 □Bunge, Mario.

Bunge, M. 1999. Dictionary of Philosophy. 316pp. Prometheus Books. [B991213, $41.97+48.65/7]

Bunge, M. 2003a. Philosophical Dictionary. Enlarged edition. 315pp. Prometheus Books. [B20070507, y2,786]

Bunge, Mario. 2003b (2014 reprinted in paperback). Emergence and Convergence: Qualitative Novelty and the Unity of Knowledge. Toronto Studies in Philosophy. [B20150720、4,746+257=5,003円amz、fromBK]

Bunge, Mario. 2003c. How does it work? Philosophy of the Social Sciences (forthcoming). →
http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.386.4336&rep=rep1&type=pdf[受信:2016年6月22日。]

Bunge, M. 2008. Political Philosophy: Fact, Fiction, and Vision. Transaction Publishers. [B20090119, y6,431]

Bunge, Mario. 2013[/5?]. Medical Philosophy: Conceptual Issues in Medicine.  [B20150716、paper 6,016円amz]



B. システムの諸型

 「
第4節 システムの諸型 System Types

 システムには、いくつかの異なる種類のものがある。最初のクラス分け〔分類〕は、観念的/物質的という二分法である。つまり、観念的なものは何であれ、物質的ではないし、逆にもそうである。唯物論者と同様に、観念論者もこの二分法を支持する。しかし、観念論者は観念的対象が独立して存在すると考えるが、唯物論者は観念的対象なぞ、或る人が考え得る程度にしか存在しないと主張する。
 しかし、観念的/物質的という二分法は不十分である。或る物質的システムたちは、たとえば社会的システム、科学技術的システム、そして記号的システムといったものであるが、それらは観念を組み入れたり表現したりするのだ。諸システムを幾分かより細かく区別すると、次の通りである。

1. _自然的 natural_。たとえば、分子、河川網、神経系。
2. _社会的 social_。たとえば、家族、学校、言語的共同体。
3. _技術的 technical_。たとえば、機械、テレビ放送網、高度技術〔先端技術〕病院。
4. _概念的 conceptual_。たとえば、或る分類、仮説演繹体系(理論)、法典。
5. _記号的 semiotic_。たとえば、或る言語、楽譜、建物の青写真。

 次のことに注意されたい。第一に、この類型論 typology は、創発的(または非還元主義的)唯物論的存在論に属する。他の存在論においては、何の意味も無い。とりわけ、観念論において(特にプラトン主義と現象主義で)受け入れられないのは、俗流の唯物論において(特に物理主義で)受け入れられないのと同様である。
 第二に、この類型論は分割ではない。ましてや、一つの分類ではない。なぜなら、(a)たいがいの社会システムは、社会的であると同様に人工的だからである。学校、商業、あるいは軍隊について考えてみよ。(b)或る社会システム、たとえば農場、工場といったものは、人々だけでなく、動物、植物、または機械を含んでいるからである。(c)すべての記号システムは、自然言語でさえも、人工物であるからである。それらのうちのいくつかは、概念的システムを、たとえば科学的な式や線図 diagrams を選定するからである。そして、(d)すべての社会的システムにおける活動は、記号的システムを使うことを伴うからである。さらに、上記の類型論は、この世界を構成する諸システムのいくつかの顕著な客観的特徴を粗く表わしている〔表象している〕にすぎない。
 上記の五つの概念の、手っ取り早い(したがって隙だらけの)定義は、次の通りである。
 定義2.1 _自然的 natural_ システムとは、すべての構成物が自然に属し(つまり、人工ではない)、かつ、構成物間の結合が自然に属するシステムである。
 定義2.2 _社会的 social_ システムとは、構成物のいくつかが、同種の動物たちで、かつ、他のものは人工物であるシステムである(道具のような生命の無いものか、家畜のような生きているものである)。
 定義2.3 _技術的 technical_ システムとは、人々によって技術的知識で構築されるシステムである。
 定義2.4 _概念的 conceptual_ システムとは、概念から成るシステムである。
 定義2.5 _記号的 semiotic_ システムとは、(たとえば言葉、楽譜、そして図といった)人工的標徴 signs から成るシステムである。
 定義2.6 _人工的 artificial_ システムとは、構成物のいくつかが作られたシステムである。

 明らかに、人工的システムのクラスは、公的な社会組織(たとえば学校、商社、そして政府)はもちろん、技術的システム、概念的システム、そして記号的システムの和である。すべての言語は、作られるのであるから、人工的である。たとえば英語といった「自然」言語と、たとえば(微積分としてではなく、言語として使われるときの)述語論理といった「人工的言語」との間の違いは、後者は多少とも自発的に進化するということなく設計されるという点である。」[20160622試訳]
(Bunge 2003b: 33-34)。



C. 構成環境構造機構(または成環構機)またはCESMモデル

  「
第5節 CESMモデル〔構成 環境 構造 機構モデル〕

 システム理論の文献によく見られるシステムの定義を、三つ挙げれば次の通りである。

D1 システムとは、一つの全体として振る舞う集合であるか、または事項の収集体である。

D2 システムとは、構造化された集合または集合体である。

D3 システムとは、或る類いの事項の集合についての二項関係である。たとえば、黒箱〔ブラックボックス〕における入力と出力の対である。

 これらの定義のいずれも、科学的目的のためには適さない。D1は、欠陥がある。なぜなら、(a)収集体が一つの単位として振る舞うようにしている特徴、つまり創発的性質を指し示していないからである。また、(b)「集合」を「収集体」と同じとしているのは、誤りである。なぜなら、集合は概念であり、それらの構成は完全に固定されている。ところが、生物種といった、具体的収集体または集合体 aggregate は、時間とともに変化する。D2は誤りではないが、不完全である。システムの構造を、すなわち、構成者たちを一緒にしておく関係の収集体を、特定するのに失敗している。そしてD3も、不備である。なぜなら、それは黒箱についてだけ成立するからである。それは、複雑な物質的物の最も粗い表象であり、さらに、システムは外的刺激に応答してのみ変化すると仮定する定義だからである。実際は、内的諸力は少なくとも同等に重要である。
 これらの異議のゆえに、システムを構造化された対象として、自らの定義を前に提案したのであった。この代替の定義は正しいが、それでも、まだまだ粗すぎる。なぜなら、システムの環境と機構を含むことに失敗しているからである。次の特徴づけは、CESMモデルと呼ばれ、もっと包括的である。それは、いかなるシステム_s_も、所与の時点で、四つ組としてモデル化できる。

 μ(s)=〈C(s), E(s), S(s), M(s)〉

ここで、
 C(s)=構成:sのすべての部分の収集体;
 E(s)=環境:sのいくつかのまたはすべての構成要素に作用するか作用される事項〔むしろ物項と訳すべきか。または項目〕の収集体。ただし、sにおけるそのように事項は除く;
 S(s)=構造:構成要素の間の諸関係、または構成要素とsの環境E(s)における事項との間の諸関係、とりわけ諸結合;〔←原文のピリオドは、;の間違いに違いない〕
 M(s)=機構:sがそのように振る舞うようにする、sにおける諸プロセスの収集体。
 例1。2個の成員〔属員〕からなる半群、
  C(s)=これといった特徴のない要素 aとb の集合;〔改行されずに続くが、見やすいように改行した。また、例毎でも改行した。〕
  S(s)=連結(a⨁b、b⨁a、a⨁a、b⨁b、a⨁b⨁a、そしてb⨁a⨁b);
  E(s)=述語論理;
  M(s)=空集合。
 例2。一つの文は、一つの(記号的)システムである。というのは、いくつかの語を連結することの結果であるから。
 例3。一つの本文 a text は、システムであるかもしれないし、システムでないかもしれない。そのことは、その構成要素の表現がなんらかの仕方で「つじつまが合う」かどうか、つまり、同じ主題に言及しているかのか、あるいは含意の関係によって繋がっているかどうかに、依存する。
 例4。一つの原子。ここで、
  C(s)=構成物である粒子と関連する場;
  E(s)=その原子が相互作用する相手となる物たち(粒子と場);
  S(s)=その原子をくっつけておく場と、加えてその環境における諸事項との相互作用;
  M(s)=光の放出と吸収、組み合わせ、など。
 例5。一つの言語的社会。ここで、
  C(s)=同じ言語を話す人々の収集体;
  E(s)=その言語が使われる(諸)文化;
  S(s)〔原文のC(s)は、誤植に違いない〕=言語的通信〔コミニュケーション〕関係の収集体;
  M(s)=記号 symbols の生産、伝送 transmittion、受け取り reception。
 例6。会社 a firm。ここで、
  C(s)=社員と経営陣;
  E(s)=市場と政治体制 govenment〔政府〕;
  S(s)〔ここでも、原文のC(s)は誤植に違いない〕=会社の構成員の間の仕事関係、そして会社構成員とその環境との仕事関係;
  M(s)=会社の生産物で終わる諸活動。
 最後に、例7。システムたちではないものの福袋。すなわち、構造を欠いた、不特定の要素の任意の〔恣意的な arbitrary 〕集合。一つ以上の言語から出鱈目に選び取られた記号の任意的収集体、分解された機械の部品の山〔積み重ね〕、世界全域に移動してしまった人たちから成る、大家族または村。
 次の点に注意されたい。第一に、収集体は不変の成員性〔属員性〕を持つかもしれないし持たないかもしれない。持たない場合にのみ、集合と呼ばれる。具体的システムは常に流転しているから、構成は時を経て変化し得る。自然言語とか言語的共同体のことを考えてほしい。第二に、一全体としての宇宙を除いて、あらゆるものは、それが相互作用する環境を持っている。第三に、「結合 bond」(またはその同義語である「結び tie」)は、関係項〔複数〕relata になんらかの相違を生じる関係を表わす。たとえば、一つの相互作用は、一つの結合である。他方、より大きいとか、左側であるという関係は、結合ではない。第四に、システムの構造は、二つに分割し得る。すなわち、(a)_内部構造 endostructure_、つまりそのシステムの成員間の結合の収集体、そして(b)_外部構造 exsotructure_、つまりシステム構成要素と環境事項との間の結合の収集体である。システムの外部構造は、特に重要な二つの事項を含んでいる。すなわち、_入力 input_と_出力 output_である。入力は、環境項目のシステムへの作用の収集体であるが、出力は、システムのその環境への作用である。入力と出力だけを含むシステムモデルはどれも、黒箱 black box と呼ばれる。入力と出力だけを含むシステムモデルはどれも、黒箱 black box と呼ばれる。他方、外的構造と機構を表わし〔表象し represent〕もするモデルは、透明箱モデルと呼ばれてもよい。第五に、環境項目〔事項〕との直接関係を維持するシステムの属員〔成員 members〕だけを含む、外的構造の部分集合は、システム_境界 boundary_と呼ばれてもよい。注意されたいことは、(a)この概念は、形状 shapeまたは幾何的形態という概念よりも広いこと、(b)量子力学的〔量子機構的 quantum-mechanical〕システムや有限の領域に限定された連続的媒体の場合のように、境界または縁 edge についての明示的言及が、それに依存するシステム機構がなんであれ、必要とされること、そして(c)宇宙は境界を持たないこと、である。
 入力─出力モデルまたは黒箱モデルは、CESMモデルの特別な場合であることに注意されたい。実際、入力と出力の端子を持つ箱は、構成は単集合 singleton で、環境は概略だけで、構造は入力と出力の集合であり、そして内部機構は純粋に機能的(行動的)用語で指定されるようなCESMモデルなのである。これが、行動主義がときおり「空虚な有機体モデル」と呼ばれる理由である。サイバネティクスは、構成を犠牲にして構造を強調する別の例である。作られている「材料 stuff」に関係なく制御システムに焦点を当てる(たとえば、Wiener 1948、Ashby 1963を見よ)からである。
 見かけは簡素なのだが、実践上は、CESMモデルは扱いにくい。というのは、システムのすべての部分についてとそれらのすべての相互作用についての知識だけでなく、残りの世界との連結についての知識も、必要とされるからである。実践では、_或る水準での_構成、環境、構造、そして機構という概念を使う。たとえば、分子の原子的構成、器官の細胞的構成、あるいは、社会の個人的構成について語るのである。〔素〕粒子物理学を除いて、なんらかの物の究極的構成要素を扱うことは決して無い。そして、〔素〕粒子物理学でさえも、数多くの(とりわけ環境事項との)相互作用を、ふつう無視するのである。
 より精確には、sのすべての部分の集合 C(s)を取るかわりに、実践では、類 aの部分の集合 Ca(s)だけを取るのである。すなわち、 C(s) ∩ a = Ca(s)という共通部分または論理積を形成するのである。四つ組 ミュウ(s)の他の三つの軸についても同様に進めるのである。すなわち、Eb(s)つまり水準bでのsの環境、Sc(s)つまり水準cでのsの構造、そしてMd(s)つまり水準dでのsの機構を取るのである。要するに、_減少された〔還元された〕CESMモデル_と呼ばれ得るものを形成するのである。すなわち、

  μabcd(s)=〈Ca(s), Eb(s), Sc(s), Md(s)〉。

 たとえば、社会システム(または集団)のモデルを形成するとき、全個人から構成されると取るのが普通である。したがって、システムの内部構造を個人間の諸関係に制限することになる。しかしながら、「a」、「b」、「c」、そして「d」の意味を変化させれば、同じ社会についての完全な束のモデルを構築することを妨げるものは何も無い。所与の社会システムの一定の下位システムを、たとえば家族や公的組織を、分析の単位と取るとき、これを行なっているのである。もちろん、すべての知識分野で、同様な束のモデルが構築され得る。
 システムについての上記のモデルは、創発 emergence と潜没 submergence 、すなわち、生成と崩壊のシステムのモデルで補足されるべきである。或る類のシステムの量的および質的変化をモデル化することへの最も一般的な接近〔アプローチ〕は、状態空間的接近である。これは、量子物理学から遺伝学から個体数統計学〔人口学 demography〕まで、どの専門分野でも、使われるか使用可能である。その概略を述べることに取りかかろう(詳細については、たとえばBunge 1977aを見よ)。
 たった三つの量的性質だけを含むプロセスを考えよう。それらの性質を、X、Y、Zとする。たとえば、或る化学反応装置における化学物質の濃度、有機体〔生物体 organism〕の生命徴候 vital sign 、或る生態系での個体数密度、などである。三つの性質の各々は、時間の関数であり、三つすべては単一の関数 F=〈X, Y, Z〉へと組み合わせることができる。これは、システムの_状態関数 state function_と呼ばれる。なぜなら、時点tでの F(t)=〈X(t), Y(t), Z(t)〉の値は、tでのシステムの_状態 state を表わす〔表象する represent〕からである。F(t)はそのシステムで起きているプロセスの瞬間撮影〔寸描、スナップ写真 snapshot〕である。F(t)はまた、状態空間(または相空間)における軌跡を記述するベクトルの先端部としても想像できよう。この軌跡、つまり状態 H=〈F(t) | t ∈ T〉の順序配列は、問題としている期間 T にわたるシステムの_歴史 history_を表わす。この歴史は、システムの現実の可能な(または法則にかなった lawful)状態すべてを表わす箱の中に限定される。これは、全状態空間の有限な部分集合である。なぜなら、有限のシステムの現実の〔実在する real〕性質が、無限の値に達することはあり得ないからである。宇宙論ではよくあることだが、もしこのような特異点が真面目に受け取られるならば、その当のモデルは科学的であることを止めているのである。
 さて、或る時点 teで、ベクトル F(t)はX—Y平面にあり、そのZ成分はその時点に成長し始めると、仮定しよう。言い換えれば、そのシステムは、それまでは単に可能性だけだったのが、時点 tで性質Zの創発へと導く変化を遂げるのである。(たとえば、環境温度が一定の値に達するときにだけ開始する、X + Y → Zという形の化学反応を考えてもらいたい。)そのとき以降、三つすべての性質が続く限り、状態ベクトルの先端部は三次元状態空間のなかを動くだろう。ちょうど、創発が状態空間における軸の発芽として表わすことが可能なように、潜没は刈り込みとして表わすことが可能である。そして、或る時間間隔におけるシステムの全歴史は、その類に特徴的な状態空間における軌跡によって、表わすことが可能である。これらの状態空間は、物理的空間と混同されてはならない。一般に、それらの次元は3よりも大きいからというだけでも、そうである。(量子力学での状態空間は、無限次元のヒルベルト空間であり、或る場合にはそれらの軸は一つの連続体を構成する。)


結語

 この章と前の章では、ときにはシステム主義、他のときには創発主義と呼んだ世界観と接近の概略を述べた。その焦点が、システムと創発という概念だからである。システム主義、あるいは創発主義は、四つの一般的だが一面的な接近を組み込んでいると思われる。
 1. _全体論 holism_。これは、システムを全体として組みつき、システムを分析することも、全体性の創発と破損をその構成要素とそれらの間の相互作用によって説明することも拒む。この接近は、素人と哲学的直観主義と非合理主義に特徴的である。ゲシュタルト心理学に特徴的なのはもちろん、「システム哲学」として通用している多くについても特徴的なのである。
 2. _個体主義 individualism。これは、システムの構成に焦点を合わせて、個体を超えるいかなる存在者もその性質も認めることを拒否する。この接近は、とりわけ社会的研究や倫理哲学における過度の全体論に対抗した応答としてしばしば提案される。
 3. _環境主義 environmentalism。これは、システムの構成、内的構造、そして機構を見落とすほどにまで、外的要因を強調する。行動主義的見解である。
 4. _構造主義 structuralism。これは、構造を、まるで前から存在するかのように、さらには物とは構造であるかのように扱う。いかにも、観念論者的見解である。
 これらの四つの見解の各々は、真理の一端をつかんでいる。それらを一緒にすることで、システム主義(または創発主義)は、よくある四つの誤謬を避けるのに役立つのである。

[20160625試訳](Bunge 2003: 36-39)。


 第2章はp.39で終わり、第3章 システム的接近 The Systemic Approach はpp.40-52となっている。
 第3章の目次は次の通り。
 
  第3章 システム的接近 
   第1節 システム的接近 pp.40-42
   第2節 概念的システムと物質的システム pp.42-43
   第3節 物理的および化学的プロセスへのシステム的接近 pp.43-45
   第4節 生命へのシステム的接近 pp.45-49
   第5節 脳と心へのシステム的接近 pp.49-52
   結語 p.52


 






システム的接近、システム主義(5)

2016年06月25日 22時38分06秒 | システム学の基礎
2016年6月25日-2
システム的接近、システム主義(5)

  「
 たった三つの量的性質だけを含むプロセスを考えよう。それらの性質を、X、Y、Zとする。たとえば、或る化学反応装置における化学物質の濃度、有機体〔生物体 organism〕の生命徴候 vital sign 、或る生態系での個体数密度、などである。三つの性質の各々は、時間の関数であり、三つすべては単一の関数 F=〈X, Y, Z〉へと組み合わせることができる。これは、システムの_状態関数 state function_と呼ばれる。なぜなら、時点tでの F(t)=〈X(t), Y(t), Z(t)〉の値は、tでのシステムの_状態 state を表わす〔表象する represent〕からである。F(t)はそのシステムで起きているプロセスの瞬間撮影〔寸描、スナップ写真 snapshot〕である。F(t)はまた、状態空間(または相空間)における軌跡を記述するベクトルの先端部としても想像できよう。この軌跡、つまり状態 H=〈F(t) | t ∈ T〉の順序配列は、問題としている期間 T にわたるシステムの_歴史 history_を表わす。この歴史は、システムの現実の可能な(または法則にかなった lawful)状態すべてを表わす箱の中に限定される。これは、全状態空間の有限な部分集合である。なぜなら、有限のシステムの現実の〔実在する real〕性質が、無限の値に達することはあり得ないからである。宇宙論ではよくあることだが、もしこのような特異点が真面目に受け取られるならば、その当のモデルは科学的であることを止めているのである。
 さて、或る時点 teで、ベクトル F(t)はX—Y平面にあり、そのZ成分はその時点に成長し始めると、仮定しよう。言い換えれば、そのシステムは、それまでは単に可能性だけだったのが、時点 tで性質Zの創発へと導く変化を遂げるのである。(たとえば、環境温度が一定の値に達するときにだけ開始する、X + Y → Zという形の化学反応を考えてもらいたい。)そのとき以降、三つすべての性質が続く限り、状態ベクトルの先端部は三次元状態空間のなかを動くだろう。ちょうど、創発が状態空間における軸の発芽として表わすことが可能なように、潜没は刈り込みとして表わすことが可能である。そして、或る時間間隔におけるシステムの全歴史は、その類に特徴的な状態空間における軌跡によって、表わすことが可能である。これらの状態空間は、物理的空間と混同されてはならない。一般に、それらの次元は3よりも大きいからというだけでも、そうである。(量子力学での状態空間は、無限次元のヒルベルト空間であり、或る場合にはそれらの軸は一つの連続体を構成する。)


結語

 この章と前の章では、ときにはシステム主義、他のときには創発主義と呼んだ世界観と接近の概略を述べた。その焦点が、システムと創発という概念だからである。システム主義、あるいは創発主義は、四つの一般的だが一面的な接近を組み込んでいると思われる。
 1. _全体論 holism_。これは、システムを全体として組みつき、システムを分析することも、全体性の創発と破損をその構成要素とそれらの間の相互作用によって説明することも拒む。この接近は、素人と哲学的直観主義と非合理主義に特徴的である。ゲシュタルト心理学にも特徴的なのはもちろん、「システム哲学」として通用している多くにもそうなのである。
 2. _個体主義 individualism。これは、システムの構成に焦点を合わせて、個体を超えるいかなる存在者もその性質も認めることを拒否する。この接近は、とりわけ社会的研究や倫理哲学における過度の全体論に対抗した応答としてしばしば提案される。
 3. _環境主義 environmentalism。これは、システムの構成、内的構造、そして機構を見落とすほどにまで、外的要因を強調する。行動主義的見解である。
 4. _構造主義 structuralism。これは、構造を、まるで前から存在するかのように、さらには物とは構造であるかのように扱う。いかにも、観念論者的見解である。
 これらの四つの見解の各々は、真理の一端をつかんでいる。それらを一緒にすることで、システム主義(または創発主義)は、よくある四つの誤謬を避けるのに役立つのである。
」[20160625試訳]。
(Bunge 2003: 38-39)。


システム的接近、システム主義(4)

2016年06月25日 00時51分02秒 | システム学の基礎
2016年6月25日-1
システム的接近、システム主義(4)

 システム的接近、システム主義(3)の続きで、Bunge 2003: 36-37の試訳である。

  「第五に、環境項目〔事項〕との直接関係を維持するシステムの属員〔成員 members〕だけを含む、外的構造の部分集合は、システム_境界 boundary_と呼ばれてもよい。注意されたいことは、(a)この概念は、形状 shapeまたは幾何的形態という概念よりも広いこと、(b)量子力学的〔量子機構的 quantum-mechanical〕システムや有限の領域に限定された連続的媒体の場合のように、境界または縁 edge についての明示的言及が、それに依存するシステム機構がなんであれ、必要とされること、そして(c)宇宙は境界を持たないこと、である。
 入力─出力モデルまたは黒箱モデルは、CESMモデルの特別な場合であることに注意されたい。実際、入力と出力の端子を持つ箱は、構成は単集合 singleton で、環境は概略だけで、構造は入力と出力の集合であり、そして内部機構は純粋に機能的(行動的)用語で指定されるようなCESMモデルなのである。これが、行動主義がときおり「空虚な有機体モデル」と呼ばれる理由である。サイバネティクスは、構成を犠牲にして構造を強調する別の例である。作られている「材料 stuff」に関係なく制御システムに焦点を当てる(たとえば、Wiener 1948、Ashby 1963を見よ)からである。
 見えとしては単純なので、CESMモデルは実践上は扱いにくい。というのは、システムのすべての部分についてとそれらのすべての相互作用についての知識だけでなく、残りの世界との連結も必要とされるからである。実践では、 _或る水準での_構成、環境、構造、そして機構という概念を使う。たとえば、分子の原子的構成、器官の細胞的構成、あるいは、社会の個人的構成について語るのである。〔素〕粒子物理学を除いて、なんらかの物の究極的構成要素を扱うことは決して無い。そして、〔素〕粒子物理学でさえも、数多くの(とりわけ環境事項との)相互作用を、ふつう無視するのである。
 より精確には、sのすべての部分の集合 C(s)を取るかわりに、実践では、類 aの部分の集合 Ca(s)だけを取るのである。すなわち、 C(s) ∩ a = Ca(s)という共通部分または論理積を形成するのである。四つ組 ミュウ(s)の他の三つの軸についても同様に進めるのである。すなわち、Eb(s)つまり水準bでのsの環境、Sc(s)つまり水準cでのsの構造、そしてMd(s)つまり水準dでのsの機構を取るのである。要するに、_減少された〔還元された〕CESMモデル_と呼ばれ得るものを形成するのである。すなわち、

  ミュウabcd(s)=〈Ca(s), Eb(s), Sc(s), Md(s)〉。

 たとえば、社会システム(または集団)のモデルを形成するとき、全個人から構成されると取るのが普通である。したがって、システムの内部構造を個人間の諸関係に制限することになる。しかしながら、「a」、「b」、「c」、そして「d」の意味を変化させれば、同じ社会についての完全な束のモデルを構築することを妨げるものは何も無い。所与の社会システムの一定の下位システムを、たとえば家族や公的組織を、分析の単位と取るとき、これを行なっているのである。もちろん、すべての知識分野で、同様な束のモデルが構築され得る。
 システムについての上記のモデルは、創発 emergence と潜没 submergence 、すなわち、生成と崩壊のシステム
のモデルで補足されるべきである。或る類のシステムの量的および質的変化をモデル化することへの最も一般的な接近〔アプローチ〕は、状態空間的接近である。これは、量子物理学から遺伝学から個体数統計学〔人口学 demography〕まで、どの専門分野でも、使われるか使用可能である。その概略を述べることに取りかかろう(詳細については、たとえばBunge 1977aを見よ)。」[20160625試訳]。
(Bunge 2003: 36-37)。