生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

案内転載:脱原発講演会/帯広

2011年09月24日 23時41分11秒 | 放射能
2011年9月24日-3
案内転載:脱原発講演会/帯広

http://onigumo.kitaguni.tv/e1840279.html
によると、下記のような脱原発講演会がある。

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  チェルノブイリ原発事故 放射能汚染地区の子供たち

講師:安藤御史
日時:10月1日(土) 19時~21時
会場:とかちブラザ304号室
*入場は無料。参加希望の方は直接会場にお越しください。
主催:市民フォーラム十勝

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W. M. Wheeler 1928『創発的進化と社会の発達』[試訳]1

2011年09月21日 01時10分20秒 | 生物哲学
2011年9月21日-1
W. M. Wheeler 1928『創発的進化と社会の発達』試訳1

 
 Emergent Evolution and the Development of Societies
  by
 William Morton Wheeler
 W. W. Norton & Company, Inc.

 『創発的進化と社会の発達』


   第一部 [p.11]
 創発的進化と社会の発達

 「創発する emerge」、「創発的 emergent」、そして「創発 emergence」は、今では頻繁に用いられ、時々あまりに漠然と用いられるので、著者としては伝えたいと望む精確な意味を定義する必要がある。「創発すること to emerge」とは、もちろん、湖から出たカイツブリかアビのように、何かが浸された後で液体から出てくること、あるいは、雲が消散するときの太陽のように、何かが潜伏の後に視野に入ってくることを意味すると言える。この動詞はまた、ときたま、探究の結果として明らかになった事実について、あるいは突然に現われる疑問や困難について、使われる。もっと専門的な意味で昆虫学者によって使われるのは、蝶が(ドイツ語の「entpuppen〔正体を現す〕」という意味で)その準備期〔chrysalis 蛹〕から出現すると述べるときである。それは、「孵化する hatch」という言葉を避けるためであって、昆虫学者は孵化という言葉を、青虫が卵から出ることに限定するのである。困難という場合を除けば、これらの事例のすべてにおいて、出現しつつある何か something emergingは、前もって存在し、単に見えるようになるか顕在することだと想定される。「創発する emerge」または「生じる arise」と言われる困難は、自然と、「緊急事態〔突発事件〕 emergency」についての考察へと導く。緊急事態は、前からの存在を暗示〔connote〕しないが、出来事の危機的 criticalまたは偶発的 contingent 布置の突然で予期しない結末を、あるいは即刻に介入が求められる偶発事を、暗示する。そこで、「創発 emmergence」と「緊急事態」という言葉によって伝えられる二つの意味は、したがってそれぞれ前成的なことと後成的ことだとみなされるかもしれない。それらは前世紀の著者の幾人かによっては明瞭には区別されないし、時々互換的に使われる。このことは、形容詞の「創発的 emergent」とその名詞派生物についても本当である。「創発 emmergence」または「緊急事態 emergency」には、三番目の意味がある。それは、奇跡的という形容語句にふさわしいほどに、後成的である。Kallenは、その賞賛すべき著書『なぜ宗教か』において、「(クリスチャン・サイエンスという)宗派の創立者であるMary Morse Baker Glover Patterson Eddyは、彼女が「光になかへの緊急事態〔緊急に光のなかに入ること〕」によって不治の病がいやされたことを記録している」と述べている。Eddy夫人は、不治の病にある形而上学的蛹として前もって存在した後、健康な形而上学的蝶として霊的な光のなかへと突如飛び出したことを意味したのかもしれない。もっとも、彼女は、信仰の奇跡的変化という意味で、「緊急事態」を使うことのほうが、よりありそうなことではある。しかし、このような事例における評釈 exegesisはすべて、あまりにも当然と思われる。宗教的著作において、言葉はつねに、可能な最大数の意味を暗示するような仕方で使われる。そのため、神学者は職に事欠くことはないのであろう。[p.13まで。20110921試訳]

Wheeler, W.M. 1928. Emergent Evolution and the Development of Societies. 80pp. W. W. Norton & Company, Inc., New York.



美術修行2011年9月18日:地平線と天昇(天垂)線についての覚え書き

2011年09月18日 11時14分56秒 | 美術/絵画
2011年9月18日-1
美術修行2011年9月18日:地平線と天昇(天垂)線についての覚え書き

 a. 或る対象を描く(模写、あるいは模造、すること)こと。
   対象はわたしの外界に存在するか、内界に存在するか。
 b. 或る物体を存在させること。
 c. 存在しなかった物体を存在させること。
 d. 存在しなかった物体を画面に存在させること。
 e. 描く(狭義)のではなく、存在させること。
 f. 表現するとは、どういうことか。
 g. 存在させるとは、どういうことか。

 菱形は、(少なくとも創造的に補助線を仮設すれば。たとえば、人には、尖りと尖りをつなぐという振る舞い傾向があることによって)、人間の象徴である十字(水平と垂直の交点に、人間は位置し、その物質体は地平から垂直に天への上昇運動を志向する)を内包する。人はいつか、それ(または語り得ぬ『あれ』)を見出すであろう。

 したがって、面は線を内包し、体は面を内包する。
 よって、体面を構成する。
 さらにあるいは、要素的に構成することなく、存在させる。



 ………
 80. 像 image。心象。形象。。現像。
 81. 現景。幻景。
 82. 感景。心景。
 83. 想景。理景。
 84. 則景。法景。
 85. 唯一者(Kosmos)『自己』展開。
   (「自己製作」なるものは有り得ず、一様なエネルギー分布の内部での異質性による有階層化は有り得るのか。では、その異質化の契機は、内部と外部の分化によるのか。堂々巡りか、論理的悪循環か。)
 86. May the Energy be with Us !
 ………



美術修行2011年9月17日:甲斐野弘幸・市子 二人展

2011年09月18日 00時44分03秒 | 美術/絵画
2011年9月18日-1
美術修行2011年9月17日

 2011年9月17日(土)。甲斐野弘幸・市子 二人展/本郷新記念札幌彫刻美術館/入場無料。





 ↑:甲斐野弘幸氏作品





 ↑:甲斐野市子氏作品
 
 
 或る物理的空間座標に存在する人は、椅子に座って(立体的な作品も含めた広義の)絵画に向き合うとき、色の調べに志向づけられた(縮めて「色調づけられた」または「彩られた」と呼ぼう)。
 志向づけの多くは製作者の意図だとしてしばらくは仮におこう)『空間』を味わうならば、それはそのしばしの時と場所でその人が、(この世界経験において)、色づけた
   『空間』
を生成しているのである。
 そのように解釈するとして、では、特徴づけは原則から言ってやはり、色と形であろう。いわば固定された作品群は、動画などとは別次元で、たとえばイデア的に、峻立するかもしれない。
 同一領域内でたとえば30齣(または画面)/秒で画面が切り替わるとき、物体が動いている、あるいは顔の表情が移り変わると感じるかもしれない。その出現した30齣は、そのうちの一齣を含むには違いない。しかし、動くとして感じ取られた(または解釈された)とき、すでにその一齣は、たとえば数百齣で構成する一続きの動きの一部として<生きている>。
 静止している絵画は、『したがって』、永遠の今であり、ゆえに、そのように着想された絵画は、(技法的および技術的適切性をともなえば)、幾百の事例を含む豊かな作品となるかもしれない。
 (むろん、絵具の剥落による時間的変化による場合の絵画のことを指してはいない。)
 マーク・ロスコは何をめざしたのであろうか。あるいはどのような自己実現へと奮闘したのであろうか。あるいは、『自己内部』(これって何だろう?)の外的な表現ではなく、彩られた『空間』の存在性を問題にしたのか。


◇ 参考網所

 「甲斐野弘幸、市子 二人展」明日までです。
http://sapporo.100miles.jp/sapporochobi/article/9


音楽修行2011年9月15日

2011年09月16日 12時30分36秒 | 音楽
2011年9月16日-1
音楽修行2011年9月15日



 2011年9月15日(木) 20:00~22:00くらい。《ピアノ・ソロ》安達朋博バースデイ・ライヴ in OSAKA/サロン・ドゥ・アヴェンヌ/梅田新道ビル地下1階/最寄り駅:淀屋橋駅/3,500円、飲み物一つとつまみ付き。

 京阪淀屋橋駅に18:44着。
 サロン・ドゥ・アヴェンヌには、梅田付近に在ったときに二回いった。その後北新地に移ったとウェッブ上で知ったが、今回初めて行った。
 安達朋博のピアノ演奏2曲をユーチューブで聴いた。「ダンス・オブ・ザ・バロネス」
http://www.youtube.com/watch?v=wjewChuLR6s
が面白かった。前日23時に電話で席を予約した。
 前半:
  1. シューマン「アラベスク」
  2. ワーグナー=リスト「イゾルデの愛の死」(歌劇「トリスタンとイゾルデ」より)
  3. ベートーヴェン「エリーゼのために」〔大人の〕
  4. ペヤチェヴィッチ「バラ」
 後半:
  5. ショパン「ノクターン 遺作」(映画『戦場のピアニスト』で使われたもの)
  6. ショパン「舟歌」
  7. モンポウ「ショパンの主題による変奏曲(から抜粋の主題と数変奏曲)」
  8. ピアソラ「リベルタンゴ」
  9. ヒナステラ「はぐれもののガウチョの踊り」
  10. (アンコール)ペヤチェヴィッチ「赤いカーネーション」

 満員。使用ピアノは、ベーゼンドルファー(グランド)。話が曲の間に入る。また前半と後半の間は、客席で記念写真に応じたり。
 ペヤチェヴィッチは留学したクロアチアの作曲者で、4曲目あたりからピアノに馴染んできた模様。音楽性あり。他のプログラムを見ると、様々な作曲家を取り上げていることもあり、期待できる。