生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

ヒト言説の言語行為的観点

2014年08月29日 14時21分26秒 | 原発を無くす
2014年8月29日-1
ヒト言説の言語行為的観点


「平川 3·11以降、その他の場面でも実感したのは、たとえばリスク・コミュニケーションといわれるようなことに、「言語行為」という観点が欠けていることです。字面に書いてある中身が伝わることだけではなくて、それを誰が誰に対していつ、どういうコンテクストで言うかによって、メタなメッセージが必ずついてきます。むしろそちらの方が強くなっていることが結構あります。そのことへの配慮がなさすぎます。それで失敗しているケースも結構あったと思います。
山岡 言葉だけで情報が伝わるわけではないということですね。
尾内 言葉とは否応なくパフォーマンスでもありますから。

(尾内隆之・小山真人・平川秀幸・山岡耕春 2014/3: 278頁。)

□ 文献 □
尾内隆之・小山真人・平川秀幸・山岡耕春.2014/3/1. “安全宣言” 事例から考える科学者の役割(後編).科学 84(3): 270-278.

小林秀雄『近代絵画』/抽象絵画

2014年08月22日 20時02分59秒 | 美術/絵画原論、絵画理論、絵画技法
2014年8月22日-1
小林秀雄『近代絵画』/抽象絵画


 岡崎乾二郎(柄谷行人ほか 2002/4,『必読書150』: 16)の討議での発言に、次のような箇所があった。小林秀雄の『近代絵画』を話題にしているところである。

  「小林秀雄の『近代絵画』〔略〕〔は、〕確かに論としてはヒントしか書かれていないんですが、発展させればクレメント・グリーンバーグからさらに現代のロザリンド・クラウスの議論に通じる論点までがそこにはある。なぜそういう射程の深さがあったかと言うと、〔略〕 読むべき基本文献を読んでいたからですね。グリーンバーグやらクラウスと共通の出発点をきちんと押さえていた。」
(岡崎乾二郎:柄谷行人ほか 2002/4,『必読書150』: 16)。

 また、

   「小林をわれわれが批判しようとするときには、それ相当の覚悟がいる。せめて小林と同じくらいは美術や音楽に触れていないとどうしようもない。」
(岡崎乾二郎:柄谷行人ほか 2002/4,『必読書150』: 17)。

 この、『必読書150』は、2003年5月28日に読了していたことも忘れていたし、内容は何も覚えていない。それはさておき、小林秀雄の『近代絵画』の「ボードレール」、「ゴッホ」、「ルノアール」、そして「ピカソ」などをざっと読んで、以下にいくつか抜き書きする。

  「近代絵画の運動とは、根本のところから言えば、画家が、扱う主題の権威から、強制から、逃れて、いかにして絵画の自主性また或は独立性を創り出そうかという烈しい工夫の歴史を言うのである。」
(小林秀雄 1958/4: 11)。

  「ボードレールは、〔略〕そのドラクロア論のなかで、私流の要約だが、彼はこういう意味のことを言っている。〔略〕 ドラクロアの絵を〔略〕何を描いているのか解らぬくらい離れて絵を見てみ給え。忽ちドラクロアの色彩の魔術というものが諸君の眼に明らかになるだろう。この場合諸君の眼に映じた純粋な色彩の魅力は、絵の主題の面白さとは全くその源泉を異にしたものであって、絵に近寄って見て、絵の主題が了解出来ても、主題はこの色彩の魅力に何物も加えず、又、この魅力から何ものをも奪う事が出来ぬ、と諸君は感ずるであろう。この主題と無関係な色彩の調和こそ、画家の思想の精髄なのである。思想といっても、これはもちろん常識的な意味でのあれこれの思想を言うのではない。諸君を夢みさせ、考えさせる色彩の力を言うのである。」
(小林秀雄 1958/4: 12頁)。

  「画家にとって、自然とは、これと全く異なる絵画という一秩序を創り出すように促す機縁、素材の統一ない累積なのである。徹底的に考えれば、自然のうちには線も色もない。線も色も画家が創り出すものだ。」
(小林秀雄 1958/4: 13頁)。

 きちんと、近代絵画の考え方が書かれている。
 日本にアンフォルメル旋風を起こしたというタピエが来日したのは1956年で、1958年の二年前ということになる。

 ルノアールの考え方の中心には、art に対立する métier という観念がある、と言っている。

  「「métier は美術の基礎だ」「絵画は指物師と同じ métier である」とルノアールが言う時、 彼の目に見えていたものは、観念的にはどうにもならぬ画家の眼や手の構造、或は顔料の特質などに密着した画家の基本的な技術が、師匠から弟子、又師匠になった弟子から新しい弟子へと伝えられ、練磨されて行く驚くほど長い時の経過、無数の無名の個性の発明や工夫を摂取して生きてゆく伝統の命の深さなのであった。絵画の本当の生命は其処にあるので、この重要さに比べれば、或る絵画が、作者がルノアールであるから、ルノアール的であるという様な事は大した問題ではない。」
(小林秀雄 1958/4: 176-177頁)。

  「métierを極めて、ヴェラスケスは、métierを超える。其処にどんな思想が現れて来るかと言うと、画面に「繊巧 フィネス」「魅惑 シャルム」とが現れて来る、とルノアールは言う。それは、作者の筆で絵が愛撫されている感じとなって現れる、それがゴッホにはない、と言うのである。」
(小林秀雄 1958/4: 177頁)。

 しかし、アクリル絵具が出てから数十年、また様々なメディウムがある。métierで何を指しているのか、わからない。

  「わかり方にもいろいろあるが、言葉という記号による整理が、わかるという意識には一番有効だからだ。だが、わからないといくら言ってみても無駄であった事は、人々はすでに思い知っているところである。風景は印象派の見たように見えてきたし、ピカソ風の造形は、実用的意匠のあらゆる処で行われる様になっている。私達は、わからぬ物に次第に説得されてきた。意識は、頑固に首を振ったが、無意識は、新しい形の伝達するものを次第々々に受納れて来たのである。その点では、モネもピカソも預言者であった。」
(小林秀雄 1958/4: 206頁)。

  「セザンヌもルノアールもドガも絵画の批評や理論に対して露骨な嫌悪を示している。ビカソも例外ではない。キュービスムの理論などは、ナンセンスとは言わないまでも、単なる文学に過ぎない、と言っている。併し、 言葉の力というものは、おそらく画家たちが考えているより遥かに強いものだろう。〔略〕言葉の力から逃れ去る事は出来まい。〔略〕言葉と離別して、近代絵画の道が、どんなに純粋な色や線の魅力を現すに到ろうとも、全く沈黙した色や線が現れるという事はない筈である。 そんなものに、画家の意識も、絵を見る人の意識も堪えられるものではない。色はやはり何かを語りかけて来るだろう。線は線の意味を伝達するだろう。」
(小林秀雄 1958/4: 207頁)。

  「彼〔ピカソ〕の言う様に、抽象芸術などというものはないかも知れない。だが、抽象という言葉の意味のとり様で、芸術とはすべて抽象的なものである、とも言えるだろう。もし抽象という言葉を、具体という言葉に対立する概念を現す、という、その本来の意味にとるならば、 合成的な、混合したものから、本質的なもの、特徴的なものだけ分化して抽き出すという事になるわけだから、私達は凡そ認識を働かそうとすれば、抽象の機能に頼らざるを得まい。従って芸術意欲の赴くところ、抽象化の作用は必至である。近代絵画が、絵画の自律性というものの価値を目がけて発展したという事も、 審美的機能の分化を徹底させようという希いの結果に他ならない。通常の感覚、様々な観念や感情やの混合した感覚とは異なった、純化された感覚を、印象派以来、画家達が急速に追求する様になったという事も、彼等が、 感性的感覚、具体的感覚から逃れて、抽象的感覚と呼ぶべきものへ赴いた事に他ならない。」
(小林秀雄 1958/4: 262-263頁)。


□ 文献 □
[か]
柄谷行人・ 浅田彰・岡崎乾二郎・ 奥泉光・島田雅彦・絓秀実・渡辺直美.2002/4/21.必読書150.221pp.太田出版.[本体価格1,200円+税][B20020516][Rh20030528]

[こ]
小林秀雄.1958/4/15.近代繪畫.300+3pp.人文書院.[定價2800圓 地方價2900圓][ob][一部Rh20140819]

タバコ喫煙による公害(1)

2014年08月21日 16時58分09秒 | 原発を無くす
2014年8月21日-5
タバコ喫煙による公害(1)

1. 喫煙支持と喫煙否定の論証式

  「喫煙支持と喫煙否定の論証式を作ってみた。

提案「喫煙は人間にとって有用である」
理由「心の安らぎを与えてくれるから」
喩例「心の安らぎを与えてくれる音楽を聴くことは、人間にとって有用である」
適合「同様に、喫煙も心の安らぎを与えてくれる」
結論「したがって、喫煙は有用である」

提案「喫煙は人間にとって無用である」
理由「健康を害するから」
喩例「健康を害する過度の飲酒は人間にとって無用である」
適合「同様に、喫煙も健康を害する」
結論「したがって、喫煙も不要である」
(桂紹隆 1998/10: 136-137)。

 下記の「先の論証式」とは、上記の論証式のことである。

  「先の論証式をダルマキールティ流の二支論証に書き換えてみる。

【論証式一】
遍充関係:「およそ心の安らぎを与えてくれるものは人間にとって有用である。例えば音楽の如し」
主題所属性:「喫煙は心の安らぎを与える」
結論:「したがって、喫煙は有用である」

【論証式二】
遍充関係:「およそ健康を害するものは人間にとって無用である。例えば飲酒の如し」
主題所属性:「喫煙は健康を害する」
結論:「したがって、喫煙は無用である」

 論証式一の遍充関係が成立するか否かは、「有用」ということばの概念規定に大きく依存するはずである。「心にやすらぎを与えてくれても有用でないものもある」と考える人もいるかもしれない。主題所属性についても同様である。気持ちがイライラしたときにタバコを吸って、かえってイライラがつのった経験のある人もいるはずである。したがって、論証式一はあまり説得力のある文章と言うことはできない。
  一方、論証式二の遍充関係は、おそらく誰もが認めるところであろう。主題所属性の方が、肺ガンなどの患者を調べれば、かなりの確率で正しいと言えるであろうが九十歳を過ぎても喫煙と飲酒の習慣を続け、すこぶる健康な大先生もおられる。したがって、論証式二も百パーセントの説得力をもつとは言えない。」
(桂紹隆 1998/10: 320-321頁)。


2. タバコ税

  「酒やタバコには税金がかかっています。 なぜ税金をかけるのかというと、健康のために、酒とタバコの消費を抑制するために税金をかけているのではなく、税源が安定しているから、 つまり税率を引き上げても、お酒を飲む量を減らしたり、タバコの本数を減らしたりしないから、税をかけているのです。」
(佐和隆光 2013/9: 46頁)。

 いっだったかの値上げでタバコ消費量は減ったはず。

3. 日本人喫煙率の推移

  「平成24年の調査では、日本人の喫煙率は20.7%で、昨年より上昇しました。
 男性の喫煙率は34.1%で、やや増えており、20歳代~40歳代が増加しています。
 一方、女性の喫煙率は9.0%で、20歳代から50歳代が12%前後で、それ以降は低い値を示しています。
 男性に比べ、平成元年より9~12%の間を上下しながら漸減しています。
 」
http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd100000.html[受信:2014年8月21日。]
とのことだが、

  「 たばこ産業の「平成25年全国たばこ喫煙者率調査」によると、成人男性の平均喫煙率は32.2%でした。 これは、昭和40年以降のピーク時(昭和41年)の 83.7%と比較すると、45年間で51ポイント減少したことになります。 年代別にみると、急激な喫煙率の減少傾向が見られる60歳以上は23.8%で、 ピーク時(昭和41年)より54ポイント以上も減少しました。また、平成25年の喫煙率が一番高い年代は40歳代で41%でした。

 成人男性の喫煙率は、この19年間、減少し続けていますが、諸外国と比べると、未だ高い状況にあります。

 これに対し、成人女性の平均喫煙率は10.5%であり、ピーク時(昭和41年)より漸減しているものの、ほぼ横ばいといった状況です。 平成25年の喫煙率が一番高いのは30歳代の14.5%、最低は60歳以上の6.3%です。

 若い女性の喫煙率の増加は、青少年の喫煙と同様に、いま世界各地で大きな問題として取り上げられており、 世界全体で取り組まなくてはなくてはならない問題です。「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」の会議において、 「たばこの煙にさらされることからの保護に関するガイドライン」が採択され、喫煙・受動喫煙による健康被害についての普及啓発を積極的に行なっています。」
http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd090000.htmll[受信:2014年8月21日。]

喫煙率は20%を切ったらしい。


4. タバコ中の放射性物体

 「在来種
主産地は茨城県、福島県をはじめとする東日本主体。
「葉たばこ」の種子が日本に伝えられて以来、日本の気候風土の中で、時間をかけて改良された、日本独自の種類です。 葉肉が薄く、喫味がやわらかで、紙巻たばこの原料としても効果的に使用されます。」
http://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/process/01/01.html


 バーレー種及び在来種葉たばこ(乾燥済)の放射性物質検査結果〔20111018_02〕
http://www.jti.co.jp/news/radiological_inspection/pdf/20111018_02.pdf

 黄色種葉たばこ(乾燥済)の放射性物質検査結果〔20110906_02〕
http://www.jti.co.jp/news/radiological_inspection/pdf/20110906_02.pdf


 2011年 国産葉たばこに関する放射性物質の検査について
http://www.jti.co.jp/news/radiological_inspection_20110906.html


 2011/10/18
 2011年 国産葉たばこに関する放射性物質の購買前検査完了について
http://www.jti.co.jp/news/index.html

 日本たばこ産業
http://www.jti.co.jp


□ 文献 □
[か]
桂紹隆.1998/10/25.インド人の論理学 問答法から帰納法へ.x+333pp.中央公論社.[本体940円+税][B19991124]

[さ]
*佐和隆光.2013/9/4.IV エコ製品が経済成長を牽引する.ロビンス,エイモリー・新原浩朗・福山哲郎・佐和隆光・村上憲郎・槌屋治紀、『再生可能エネルギーがひらく未来』: 45-54.

[ろ]
*ロビンス,エイモリー・新原浩朗・福山哲郎・佐和隆光・村上憲郎・槌屋治紀.2013/9/4.再生可能エネルギーがひらく未来.71pp.岩波書店.[本体560円+税][ざっとRh20140819][ob]

桂紹隆『インド人の論理学』から/ウパニシャッド

2014年08月21日 16時18分18秒 | 秘教/オカルト科学
2014年8月21日-4
桂紹隆『インド人の論理学』から/ウパニシャッド

  「ウパニシャッドの思想の中核をなす「神秘的同一化の原理」(アーデーシャ)によれば、大宇宙にあたる自然界の諸要素と小宇宙と考えられる人間の諸機能、さらに、祭儀の諸構成要素との間に一対一の対応関係があるとされる。」
(桂紹隆 1998/10: 85-86頁)。

  「ホートリ祭官=ことば=火神という神秘的直観にもとづいて正しく実施される祭祀は、祭主を天上界へ導き、大宇宙と合一させ、離脱させるというのが、ヤージュニャヴァルキヤの真意であろう。」
(桂紹隆 1998/10: 86頁)。

 桂紹隆(1998/10: 86頁)にしたがって、対応表を作ると下記の通り。

対応表(ヤージュニャヴァルキヤによる)

  ホートリ祭官=ことば=火神
  アドヴァリユ祭官=目=太陽
  ウドガートリ祭官=気息(プラーナ)=風神(ヴァーユ)
  ブラフマン祭官=思考力(マナス)=月

 
□ 文献 □
桂紹隆.1998/10/25.インド人の論理学 問答法から帰納法へ.x+333pp.中央公論社.[本体940円+税][B19981124]

国債暴落後に備えよう(1)

2014年08月21日 15時44分32秒 | 原発を無くす
2014年8月21日-3
国債暴落後に備えよう(1)

 たとえば国債暴落がヘッジファンドなどから仕掛けられて、金融「危機」になる可能性は高い。むしろ、必然だと思う。
 一つの大きな問題は、石油などのエネルギー取り出し資源の輸入が止まることである。
 理想としては鎖国状態でも食料やエネルギーを自給自足することである。
 個人または家族や集団としては、太陽光発電などで、
 家電は一台ごとに、作動に必要なエネルギーを太陽光発電などで自賄いできるようにすることが望ましい。
 

  「金融グローバル化を推し進めて行く際、その基準となったのはいわゆるワシントン・コンセンサスでした。ワシントン・コンセンサスとは、元々は、一九八二年の中南米国際金融危機に際して、 多国籍銀行、IMF、アメリカ財務省等の間で合意された途上国の債務処理を進めていくスキームを定式化したものです。一九八九年に、 アメリカの国際経済学者ジョン・ウィリアムソンが、これを以下の一〇の定義に取りまとめました。

 1 財政赤字の是正
 2 補助金カットなど財政支出の削減
 3 税制改正
 4 金利自由化
 5 競争的為替レート
 6 貿易自由化
 7 直接投資受け入れ自由化
 8 国営企業の民営化
 9 脱規制
 10 所有権法の確立

 このワシントン・コンセンサスは、一九九四年~一九九五年のテキーラ危機、一九九七年~一九九八年のアジア通貨金融危機に際しても、IMF等による救済支援の基準となりました。このため、 ワシントン・コンセンサスは、市場原理主義や新自由主義に基づく政策体系であるとされ、G・ソロスやスティグリッツらはこうした観点からワシントン・コンセンサスへの批判を行いました。〔略〕
IMFのトップ、専務理事はヨーロッパから選ばれるものの、アメリカは常にナンバー2の地位による拒否権を確保しており、WB〔世界銀行〕の歴代総裁は事実上、アメリカ大統領によって指名されてきました。ですから、そこで出される政策体系が、市場原理主義、新自由主義そのものに傾斜していくのは、当然といえます。」
(伊藤正直 2012/11: 30-32頁)。

□ 文献 □
*伊藤正直.2012/11/6.金融危機は再びやってくる──世界経済のメカニズム.69pp.岩波書店.[本体560円+税][ざっとRh201408⁇][ob]



読書録20140821

2014年08月21日 14時43分20秒 | 原発を無くす
2014年8月21日-2
読書録20140821

北原惇.2009/11/20.脱西洋の民主主義へ─多様性・負の自由・直接民主主義.227pp.花伝社.[2,000円+詐欺的税金][B20140409、円]


篠原資明.2013/4/30.差異の王国──美学講義──.1+3+133pp.晃洋書房.[1,500円+税][B20140628、1,620円]


本庶佑.2014/6/18.STAP論文問題 私はこう考える.新潮45 33(7): 28-33.[Rh20140705]


田中聡.2014/5/30.陰謀論の正体!.215pp.幻冬舎[新書].[B20140609、円][Rh20140706]


川添泰宏.1996.色彩の基礎 芸術と科学.美術出版社.[本体価格3,500円+税][B20140709、600+257=857円amz][Rh20140713]


峯村敏明.1992.ニュートンとハイゼンベルクの両空間を生きた芸術家.峯村敏明(監修・解説)、『ルーチョ・フォンターナ展 ― 切り裂かれた空間』: 21-32.[一部Rh2014071?][B20140714、500+300=800円]


バリー,スーザン.2009(宇丹貴代美 訳 2010/12/15).視覚はよみがえる 三次元のクオリア.254pp.筑摩書房.[本体価格1,600円+税][B20140607、1,728円][Rh20140716、Rb20140715]


布施英利.2013/12/20.色彩がわかれば絵画がわかる.220pp.光文社[新書].[900円+税][B20140628、972円][Rh20140717]


宮元啓一.2008/3/20.インドの「一元論哲学」を読む――シャンカラ『ウパデーシャサーハスリー』散文篇[シリーズ・インド哲学への招待].x+194pp.春秋社.[2,500円+税][B20080419][Rh20140714]


*甲斐倫明.2007/9/4.低線量放射線のリスク評価とその防護の考え方.益永茂樹(編)『リスク学入門5 科学技術から見たリスク』: 57-82.[Rh20140714][ob]


*中谷内一也.2008/10/10.安全。でも、安心できない.206pp.筑摩書房.[本体価格700円+税][ob361.4ナ][Rh2014072?]


*堀川大樹. 2013/9/15.クマムシ博士の「最強生物」学講座 私が愛した生きものたち.290pp.新潮社.[本体1,200円(税別)][ob460.4ホ][ざっとRh20140728]


西部忠.2014/5/10.貨幣という謎 金と日銀券とビットコイン.254pp.[本体780円+税][Rh20140807、Rb20140731]


松田裕之.2014/6/15.福島第一原発事故による放射線の健康リスク.海洋と生物 (212): 294-298.[B20140727、1,944円amz][Rh20140802][ICPRにだけ頼っている]


*伊藤正直.金融危機は再びやってくる 世界経済のメカニズム.69pp.岩波書店.[本体560円+税][ざっとRh201408⁇][ob]


東條真人(編訳・解説).2001/5/11.ヘレナ・P・ブラヴァツキー〔著〕シークレット・ドクトリンを読む.339pp.出帆新社[トランス・ヒマラヤ密教叢書].[本体3,500円+税][Rh20140807][c201407??]


明日香壽川・朴勝俊・西村六善・諸富徹.2014/1/31.ハンセン氏らの書簡への反論 原子力発電は気候変動問題への答えではない.8pp.[http://www.cneas.tohoku.ac.jp/labs/china/asuka/_src/2014/nuclear_power-climate_change_jp.pdf[受信:2014年8月4日。]][Rh20140804]

Caldeira, K., Emanuel, K., Hansen, J., Wigley, T. 2013. To those influencing environmental policy but opposed to nuclear power. [https://plus.google.com/104173268819779064135/posts/Vs6Csiv1xYr[受信:2014年8月4日。]][Rh20140804]


影浦峡.2013/11/?.「科学的」であることを市民の側から考えるために――東京電力原発事故と被曝をめぐる「科学」的言説をめぐって.科学 83(11): 1261-1269.[cRh20140811]

長谷川裕子.2011/11/10.「なぜ?」から始める現代アート. 8+199pp.NHK
出版[新書].[本体820円+税][B20121218][Rh20140811、Rb20140808]


関曠野・ 藤澤雄一郎.2014/3/5.グローバリズムの終焉 経済学的文明から地理学的文明へ[シリーズ地域の再生3].279pp.農山漁村文化協会.[本体820円+税][B20140526][Rh20140814、Rb20140811]

関曠野.ベーシックインカムで日本を変えよう― 成長幻想から仏教経済学 ―.http://bijp.net/transcript/article/423[受信:20140812].[Rh20140815][講演会記録]


*秋山豊寛.2011/12/7.原発難民日記 怒りの大地から.79pp.岩波書店。[本体560円+税][Rh20140816][ob]


村田純一.2002/11/28.色彩の哲学.viii+267+6pp.岩波書店.[本体2,900円+税][B20140712、351+257=608円*amz][Rh20140817]


田中優.2013/9/14.電気は自給があたりまえ オフグリッドで原発のいらない暮らしへ.111pp.[本体1,000円+税][B20140613、1,000円、シチズン][Rh20140818]


*ロビンス,エイモリー・新原浩朗・福山哲郎・佐和隆光・村上憲郎・槌屋治紀.2013/9/4.再生可能エネルギーがひらく未来.71pp.岩波書店.[本体560円+税][ざっとRh20140819][ob]
[ 「 酒やタバコには税金がかかっています。 なぜ税金をかけるのかというと、健康のために、酒とタバコの消費を抑制するために税金をかけているのではなく、税源が安定しているから、 つまり税率を引き上げても、お酒を飲む量を減らしたり、タバコの本数を減らしたりしないから、税をかけているのです。 ところが、環境税は何のためにかけるのかというと、税源をやせ細らせるためにかけるわけです。つまり、化石燃料の消費を減らすために環境税をかける。税としては非常に特殊なわけです。そのため、 イギリスでは税ではなく課徴金(levy)という呼び方をしています。 ともあれ、環境税が経済成長を鈍化させるというのが、経産省や日本経団連の年来の主張なのですが、国が税金の使い方を上手にやれば、決して成長鈍化させることがないというのが、私の主張するところです。
 三番目の論点は、原子力発電は温暖化対策の切り札であると、二〇一一年三月一一日までは、経済産業省の方々はお考えだったはずです。ところが、先ほど福山さんがおっしゃった通り、原発はもはや切り札ではなくなった。」(佐和隆光 2013/9: 46頁)。
  「二〇一一年二月七日に〔原発の〕寿命を二〇年延長する、つまり六〇歳になるまで延長することが認められました。三・一一のなんと1カ月余り前のことです。つまり官民挙げて効率化を優先して取り組んできたことが、 このたびの事故の基本的な理由だと私は考えています。〔略〕
  これからの原発のあり方ですが、絶対安全なんてありえないことを肝に銘じておく必要があります。」
(佐和隆光 2013/9: 48頁)。


小林秀雄.1958/4/15.近代繪畫.300+3pp.人文書院.[定價2800圓 地方價2900圓][ob][一部Rh20140820]

秋山豊寛『原発難民日記』を読んだ

2014年08月21日 13時46分42秒 | 原発を無くす
2014年8月21日-1
秋山豊寛『原発難民日記』を読んだ

 2012年6月24日(日)14:00-16:00の、
・秋山豊寛 講演会「原発難民になって」/京都大学農学部W100/主催:NPO法人 市民環境研究所
を聞いた。また、16:30からの秋山さんを囲んでの懇親会/玉蘭/2500円にも出た。
 この席で「何が一番必要か」と訊いたら、秋山さんは、わかりやすい説明文書を作ることが重要だと言っていた。

 なお、講演記録DVDがあるらしい。
  「2012-06-20 17:51:33 | さようなら原発1000万人署名・京都の会
400名の参加者がありました。講演記録DVDあります。お問い合わせは市民環境研究所まで。」
http://blog.goo.ne.jp/543142011/e/2534feb89abb7401e7a9e5d0a3bc727e

 以下に、心に響いた箇所を抜き書きする。

  「暴力的な「近代」アメリカの資本主義が小作農民を、その生まれ育った大地から追いかける状況は、「原発」という「近代の暴力」によって、普通の暮らしをしていた阿武隈の中山間地の人々が、そして私のような零細農民が追い立てられる状況と、構造として無縁ではない感じがした」
(秋山豊寛 2011/12: 23頁)。

  「〝危険と意識しにくい〟危険といつも隣り合わせの暮らしは耐え難いだろう。」
(秋山豊寛 2011/12: 31頁)。

  「政府に国民の健康を守る意思さえあれば、このような高い数値の「暫定規制値」なるものを設定するのではなく、汚染された「食品」は全て、東京電力と日本政府の責任のもとに「処理」すべきなのだ。西日本から東に向けて、必要品の大量輸送するとともに、疑わしい食品の流通を一切許さないという姿勢を取るべきなのだ。「がんばれ東日本」などと言って、汚染された食品を全国に流通させるのではなく、「がんばれ西日本」と言って、西日本の農家に、国民のためにさらなるがんばりを求めるべきなのだ。」
(秋山豊寛 2011/12: 46-47頁)。

  「日本の原子力発電所の増設、展開は、エネルギー政策に基づいている。この「基本計画」は〝総合資源エネルギー調査会〟という経済産業大臣の「諮問機関」が事実上策定しているのだ。そして、この「諮問機関」は資源エネルギー庁に設置されている。資源エネルギー庁は、長官経験者が将来の副社長含みで東京電力に天下ることが有名な役所。この一体化した仕組みに手をつけなければ、〔脱原発は〕本気とは言えない。
 さらに、原子力村の構造は、核燃料サイクルという危険な夢想にも支えられている。〔略〕核を持って大国入りしたいと言う歪んだ夢想だ。そして、これが「歪んでいる」と考えないところに、彼らと国民の乖離がある。
 プルトニウムをすでに大量に保持していることのIAEA(国際原子力機関)の言い訳として、毎年無駄なお金が使われる。」
(秋山豊寛 2011/12: 51頁)。

  「「放射線は怖くない」ことを宣伝する国際組織もある。国際放射線防護委員会(ICRP)と呼ばれている。日本政府に、子供が浴びても良い放射線量を年間一ミリシーベルト中から突然二〇ミリシーベルトに上げるという「基準」をアドバイスしたのも、この国際的シンジケートにつながる連中であることは、間違いないだろう。この組織の勧告は、原子力産業が成立できるように、そこで働く人々を含め、人間が被曝しても良い放射線量の限度を設定することが基本になっているからだ。同時に、核兵器を維持することを可能にする線量の設定にも、事実上かかわっているわけだ。
 こうした国際的バックアップを持つ日本の原子力ムラは、「地震国」日本では「核とは共存できない」といった程度の理由で攻めても、「原発推進」の旗を降ろすはずはない。脱原発の実現のためには、まず焼け太りを許さない論理と、法改正などによる「ムラ」の解体への第一歩。そして「仕方がない」と洗脳された人々の思い込みという汚染の浄化が出発点になる必要がある。」
(秋山豊寛 2011/12: 52頁)。

 ロシアの放射線の専門家らしい人から受けたいくつかの忠告の、
  「もう一つは、甲状腺の影響。若い人だけでなく年配の人も影響を受けるのだから、これも「年をとっているから気にしない」などと思わないように。
 そして最後に、放射線の「許容量などない」という点。怖いのは染色体のDNAへの影響。「特に妊婦は影響を受けやすい」と言う。1991年、チェルノブイリ事故のその後を取材した時のことを思い出す。頭に浮かんだのは、ウクライナで訪れたある病院の標本室に並べられた、実に多くの死産した先天性異常児のホルマリン漬け。いずれも染色体の異常が原因とされるものだ。取材チームは、それをビデオ・テープに収録したものの、到底放映できない残酷なものだった。」
(秋山豊寛 2011/12: 56頁)。

  「私は、猛暑の中、幼い稲の苗を五本、六本と数え、トロッとした水田に植えながら、〔略〕私たちを慣れ親しんだ大地や濃い緑の森の風景から引き剥がすシステム〔を〕つくることに狂奔してきた人々に、何とか「一矢」を報いる方法はないものか、と大地の神々に語りかけた。貴方たちは、この日本の大地が金の亡者たちに汚されてくやしくはないのか、と語りかけた。」
(秋山豊寛 2011/12: 58頁)。


□ 文献 □
*秋山豊寛.2011/12/7.原発難民日記 怒りの大地から.79pp.岩波書店.[本体560円+税][Rh20140816][ob]



仏陀曰く「権威にもとづいて物事を信じてはならない」

2014年08月15日 15時10分25秒 | 秘教/オカルト科学
2014年8月15日-3
仏陀曰く「権威にもとづいて物事を信じてはならない」


 なんらかの権威によることなく、自らの意識(知性または直観=直知識)によって、ものごとを判断すること。
 これは、H.P. ブラヴァツキーによれば、(地球でのゴータマ王子を通じて地上に顕現した第四代)仏陀の言葉だと言われる。
 (将来に第五代の仏陀職[仏陀エネルギーを体現する階層の地位]につくのは、現在キリスト職[つまり地球的キリスト意識またはエネルギーを体現する弥勒如来だという]。)

   「Our Lord Buddha has said that we must not believe in a thing said merely because it is said; nor traditions because they have been handed down from antiquity; nor rumours, as such; nor writings by sages, because sages wrote them; nor fancies that we may suspect to have been inspired in us by a Deva (that is, in presumed spiritual inspiration); nor from inferences drawn from some haphazard assumption we may have made; nor because of what seems an analogical necessity; nor on the mere authority of our teachers of masters. But we are to believe when the writing, doctrine, or saying is corroborated by our own reason and consciousness. “For this,” says he in concluding, “ I taught you not to believe merely because you have heard, but when you believed of your consciousness, then to act accordingly and abundantly.”」
(The Secret Doctrine Volume III: 401)
[http://www.theosophical.ca/books/SecretDoctrine,The_HPBlavatsky.pdf[受信:2014年8月12日]ではpp.317-318]

  「〔われらの主〕仏陀は言われた。
 「ただ言われていることだからといって、それだけで物事を信じてはならない。昔から伝えられてきたからといってそれだけで、伝統を信じてはならない。また噂がそうだからといってそれを信じてはならない。 聖者が書いたからっていってその著作を信じてはならない。天[デーヴァ〔神々または天使たち〕]に霊感を与えられたと思い込んで(つまり霊的インスピレーションだと思い込んで)空想の類を信じてはならない。自分が勝手につくったいい加減な仮定から結論を引き出してもならない。また、相似の法則から見て必然だからといってそれを信じてはならない。自分の教師や師匠の権威に基づいて物事を信じてもならない。自分自身の理性と意識とによって確証されて初めて、著作や教義や言葉を信じるべきである。」
 「 従って」仏陀は結論を言われた。「私が教えたのは、ただ聞いただけで信じてはならないこと、そして自分の心から〔?→意識で〕信じられたなら、その信念に従って一生懸命に行動せよ、ということである。」
(『シークレット・ドクトリン』第三巻、401ページ)
」(仲里誠桔・小島露観 共訳 1986/9: 10頁)。


 個人の自由意志に任せること、しかし開かれた心で聞くように求めるのは、秘教の教師たちの態度である。


  「チベット人の言葉からの抜粋 1934年8月〔に発表された〕
〔略〕
 わたしが書いた本たちは、受諾を求めることなく世に送り出される。それらは正しく真実で役立つものかもしれないし、そうではないかもしれない。それらの真実性を、正しい実践によって、また直観の行使によって確信するのは、あなたたちである。〔略〕
もしそれらの本が真理を、世界中の教えのなかですでに提供されている真理に続くようにして差し出しているならば、もし与えられた情報が熱誠とそして奉仕する意志を、感情界〔the plane of emotions〕から知性界(この界で大師〔覚者 Masters〕たちは見つけることが_可能_である)へと引き上げるならば、それらの本の目的を果たしたことになる。
伝えられる教えが、世界の働き手の照らされた〔啓発された illumined〕心から反応を呼び起こし、そして働き手の直観の閃きをもたらすならば、その場合、その教えは受け入れられよう。そうでなければ、受け入れさせられることは無い。言明たちが、最終的に確証され〔with eventual corroboration〕、 あるいは照応の法則 the Law of Correspondences による試験のもとに真であると判断されるならば、その場合、それは結構なことである。しかし、そうではないならば、学徒は言われることを受け入れてはならない。」
(仲里誠桔・小島露観 共訳 1986/9: 10頁、を参照した)。
(ベイリー 1922(AABライブラリー 訳,2001/12: 、を参照した)。


=======
参考:
  「Blind Faith Not Expected - (Page 401)
〔略〕
Are there any dogmas in Buddhism which we are required to accept on faith?
A. No. We are earnestly enjoined to accept nothing whatsoever on faith, whether it be written in books, handed down from our ancestors, or taught by sages.

Our Lord Buddha has said that we must not believe in a thing said merely because it is said; nor traditions because they have been handed down from antiquity; nor rumours, as such; nor writings by sages, because sages wrote them; nor fancies that we may suspect to have been inspired in us by a Deva (that is, in presumed spiritual inspiration); nor from inferences drawn from some haphazard assumption we may have made; nor because of what seems an analogical necessity; nor on the mere authority of our teachers of masters. But we are to believe when the writing, doctrine, or saying is corroborated by our own reason and consciousness. “For this,” says he in concluding, “ I taught you not to believe merely because you have heard, but when you believed of your consciousness, then to act accordingly and abundantly.” [See the Kalama Sutta of the Anguttaranikayo, as quoted in A Buddhist Catechism by H. S. Olcott, President of the Theosophical Society. pp. 55.56.]」
(http://www.theosophical.ca/books/SecretDoctrine,The_HPBlavatsky.pdf[受信:2014年8月12日] 〔The Secret Doctrine Volume 3〕pp.317-318〔p.401〕])。




□ 文献 □
[へ]
ベイリー, アリス・A.1922(1951)(仲里誠桔・小島露観 共訳 1986/9/25).イニシエーション 進化の原点・神智学の秘伝.283pp.たま出版.[定価2,400円][B19861020]

ベイリー,アリス.1922(AABライブラリー(土方三羊・李敬烈)訳,2001/12/10).秘教瞑想に関する手紙.430pp.AABライブラリー.[定価2,400円+税][B20011217]




ジェフリー ホドソンの透視的研究による天使や妖精の世界

2014年08月15日 09時58分47秒 | 秘教/オカルト科学
2014年8月15日-2
ジェフリー ホドソンの透視的研究による天使や妖精の世界


 「秘教文献6b[0.9版]/洋書 abc順」では、ジェフリー ホドソン Geoffrey Hodson[1886年3月12日英国リンカーンシャーで生まれ、983年1月23日ニュージーランドのオークランドで他界] (1928) の『天使たちと人たちの同胞性 The Brotherhood of Angels and Men』が、抜けていた。
 この本の序文 foreword を、アニー ベサント Annie Besant (1928) が書いている。

  「進化のこの時期では、わたしたちは自然力の影響下にある。この自然力はゆっくりと、自然のあらゆる部門で顕著〔優位〕となるだろう。それは、天使と人間の間の協同のために働く力であり、これらの二つの種族(天使と人間)を互いの益のために結びつけるであろう架け橋を建設することを求める力である。」
(Annie Besant 1928: ix-x)。

  「〔ジェフリー ホドソン氏の〕観察は、ヒンドゥー〔教〕の諸書の多くの詳細と、またわたしが読書によるだけではなく諸国を旅するなかで得た、この主題についての一般的知識と一致する。たとえばハンガリーでは、土地の自然霊たちは、特別に活動的で、風変わりで可愛い生きものである正真正銘の地の精たち veritable gnomes は、インドのクベラ神の華美な軍勢たち the gorgeous hosts of Kubera とはまったく異なっている。どちらも、鉱物王国に関わっているのであるが。」
(Annie Besant 1928: x)。

 xvi頁の図の一部を訳すと、下記の通り。

                         視 VISION
無                        諸世界の統治者たちの統治者たち
形                        諸世界の統治者たち
態 創造力の世界        音楽の天使たち                    われわれの天使我、われわれの真我    
の 統一の世界         美と技芸の天使たち                  
諸                                          われわれの不死我
世 歓喜と平和の世界      歓喜の天使たち                                      橋


形 思考の世界         建設する天使たち                   われわれの死を免れない思考する我
態 情緒〔感情 feeling〕の世界 建設と守護と自然の天使たち 空気の精、火の精、水の精 われわれの死を免れない情緒我
の 肉体の世界         建設する天使たち      茶色妖精、地の精     われわれの死を免れない固形我    道



〔図〕天使がその教えのなかで記述した宇宙 The Universe。
 ・形態の無い諸世界は実在界であり、形態の世界(下位の、思考の世界から肉体の世界)は非実在界である。


□ 文献 □
Besant, Annie. 1928. Foreword. In, Hodson, G., 1928, "The Brotherhood of Angels and Men": ix-x.


□ Geoffrey Hodson の本 □

Hodson, Geoffrey. 1928[First Quest edition, 1982]. The Brotherhood of Angels and Men [with a foreword by Annie Besant]. xii+1figure+93pp. The Theosophical Publishing House, Wheaton, Madras, London. [B19860701] [$4.95+?]

Hodson, Geoffrey. 1929[First Quest edition, 1981]. The Miracle of Birth: A Clairvoyant Study of a Human Embryo. 98pp. [B19850817] [Rh19850820]
[My Citation:
「The consciousness of the ego wa beginning to touch the emotional level and to influence directly the building of the emotional body. (...). / The line of communication between the ego and the fetus has gradually become broader. (Hodson 1929: 42)」
「The shape of hte physical body is decided by that of the ethric mold into which it is built by the nature-spirits. This mold is produced partly by the formative power of the "sound" vibration emitted by the zygote and permanent atom, *[= see Chapter 5] and partly by the Lords fo Karma, who model it according to the karma of the individual. (Hodson 1929: 43)」
「The end of the shaft ...
 At the moment of fertilization a flash of light descends from the highest spiritual level of the ego into the spermatozoan, gives it its creative impulse and energy...(Hodson 1929: 45)」
「Appendix b. Descent into Incanation pp.81-90」
「Appendix c. Development of the Embryo pp.91-95」

Hodson, Geoffrey. 1955[Fourth printing1977]. Occult Powers in Nature andin Man: Lectures Delivered in 1953 at the Summer Sessions at Olcott, Wheaton, Illinois, Headquaters of the Theosophical Society in America. xxviii+145pp. The Theosophical Publishing House, Adyar. [B19850817]

Hodson, Geoffrey. 1980[1952]. The Kingdom of the Gods. xxiii+272pp+3 charts+29 illustrations (color plates). The Theosophical Publishing House, Adyar. [B19850817] [at Cover page: 'As to the proof of the existence of these beings the author points out that, while there can be no demonstrable proof of the fruits of mystical experience, test by personal research is possible and he says, 'That test I have attempted to apply, and this book is in part a record of my own findings.' '.]

Hodson, Geoffrey. 1982[First Quest edition]. Fairies at Work and at Play observed by Geoffrey Hodson. 126pp. [B19850817]


 2014年3月23日-1
 秘教文献6b[0.9版]/洋書 abc順
http://blog.goo.ne.jp/1trinity7/e/00e42d86774a676d9eea4e567f7d4e08


 以下のような電網処があった。

  「講読A「汎神論的自然思想」
テーマ:汎神論と神智学の視点からの自然と進化の理解、天使・デーヴァ・ネイチャースピリットの体系、自然霊と人間界の協力 
テキスト Geoffrey Hodson『Clairvoyant Investigations(透視能力者の目に映ったデーヴァやネイチャースピリット、アークエンジェルの姿)』」
http://homepage3.nifty.com/lifeschool/college.open.record.html[受信:2014年8月15日。]


ブラヴァツキー『秘密教義 第一巻 宇宙発生論』 第三部 付録 第1節 (4)

2014年08月15日 01時23分22秒 | 秘教/オカルト科学
2014年8月15日-1
ブラヴァツキー『秘密教義 第一巻 宇宙発生論』 第三部 付録 第1節 (4)

The Sun is matter, and the Sun is Spirit.
太陽は質料であり、太陽は霊である。

Our ancestors --- the "heathen," --- along with their modern successors, the Parsis --- were, and are, wise enough in their generation to see in it the symbol of Divinity, and at the same time to sense within, concealed by the physical Symbol, the bright God of Spiritual and terrestrial Light.
われわれの祖先たち(「異教徒」)は、それらの現代の後続者たちであるParsis〔「Persians」を意味し、インドに移住したゾロアスター教徒の子孫たち〕とともに、発生において賢明であって、そのなかに神性の象徴を、そして同時に物質的象徴で隠されつつも内において霊的で地上的光の
輝く神をかくかくすることができたし、できるのである。

Such belief is now regarded as a superstition only by rank materialism, which denies Deity, Spirit, Soul, and admits no intelligence outside the mind of man.
このような信念は、神性、霊、魂を否定し、人の心以外では知性を認めない、胸の悪くなるような唯物論によって、今では迷信だとみなされている。


But if too much of wrong superstition bred by "Churchianity" --- as Lawrence Oliphant calls it --- "renders a man a fool," too much scepticism makes him mad.
しかし、もし「教会教」(とLawrence Oliphantが呼ぶのだが)によって育てられた誤った迷信が「人を阿呆にする」のが多すぎるという言うのなら、懐疑論が人を狂わせることも多すぎるのである。

We prefer the charge of folly in believing too much, to that of a madness which denies everything, as do Materialism and Idealism.

唯物論と観念論が行なうような、あらゆることを否定する狂気を引き受けるよりも、あまりにも多くを信じるという愚行を引き受けるほうを、われわれは選ぶ。

Hence, the Occultists are fully prepared to receive their dues from Materialism, and to meet the adverse criticism which will be poured on this work, not _for writing it, but for believing in that which it contains_.
よって、秘学徒は、唯物論からの負債を受けるに十分な準備がある。また、この仕事に対して(それを書くことではなく、それが含むことを信じることゆえに)浴びせられるであろう反対的批判に出会うにも十分な準備がある。


仏陀曰く「権威にもとづいて物事を信じてはならない」

2014年08月12日 21時28分22秒 | 秘教/オカルト科学
2014年8月12日-2
仏陀曰く「権威にもとづいて物事を信じてはならない」


 なんらかの権威によることなく、自らの意識(知性または直観=直知識)によって、ものごとを判断すること。
 これは、H.P. ブラヴァツキーによれば、(地球でのゴータマ王子を通じて地上に顕現した第四代)仏陀の言葉だと言われる。
 (将来に第五代の仏陀職[仏陀エネルギーを体現する階層の地位]につくのは、現在キリスト職[つまり地球的キリスト意識またはエネルギーを体現する弥勒如来だという]。)

   「Our Lord Buddha has said that we must not believe in a thing said merely because it is said; nor traditions because they have been handed down from antiquity; nor rumours, as such; nor writings by sages, because sages wrote them; nor fancies that we may suspect to have been inspired in us by a Deva (that is, in presumed spiritual inspiration); nor from inferences drawn from some haphazard assumption we may have made; nor because of what seems an analogical necessity; nor on the mere authority of our teachers of masters. But we are to believe when the writing, doctrine, or saying is corroborated by our own reason and consciousness. “For this,” says he in concluding, “ I taught you not to believe merely because you have heard, but when you believed of your consciousness, then to act accordingly and abundantly.”」
(The Secret Doctrine Volume III: 401)
[http://www.theosophical.ca/books/SecretDoctrine,The_HPBlavatsky.pdf[受信:2014年8月12日]ではpp.317-318]

  「〔われらの主〕仏陀は言われた。
 「ただ言われていることだからといって、それだけで物事を信じてはならない。昔から伝えられてきたからといってそれだけで、伝統を信じてはならない。また噂がそうだからといってそれを信じてはならない。 聖者が書いたからっていってその著作を信じてはならない。天[デーヴァ〔神々または天使たち〕]に霊感を与えられたと思い込んで(つまり霊的インスピレーションだと思い込んで)空想の類を信じてはならない。自分が勝手につくったいい加減な仮定から結論を引き出してもならない。また、相似の法則から見て必然だからといってそれを信じてはならない。自分の教師や師匠の権威に基づいて物事を信じてもならない。自分自身の理性と意識とによって確証されて初めて、著作や教義や言葉を信じるべきである。」
 「 従って」仏陀は結論を言われた。「私が教えたのは、ただ聞いただけで信じてはならないこと、そして自分の心から〔?→意識で〕信じられたなら、その信念に従って一生懸命に行動せよ、ということである。」
(『シークレット・ドクトリン』第三巻、401ページ)
」(仲里誠桔・小島露観 共訳 1986/9: 10頁)。


 個人の自由意志に任せること、しかし開かれた心で聞くように求めるのは、秘教の教師たちの態度である。


  「チベット人の言葉からの抜粋 1934年8月
〔略〕
 私が書いた本は、受け入れられるよう要求することなく世に出される。それらは正しく真実で有益なものかもしれないし、そうではないかもしれない。それせが真実であるとかどうかを適切な実践と直観の修練によって確信するのはあなた方の役目である。〔略〕
もしそれが真理を、世界にすでに提供されているものに続くような形で表わしているならば、そしてまた、もし与えられた情報が熱誠や奉仕したいという意志を情緒の界層からマインドの界層へと〔感情界から知性界へと[仲里誠桔・小島露観 訳 1986/9: 10頁]〕高めるならば目的を果たしたことになる。


(ベイリー 1922(AABライブラリー 訳,2001/12: )。



参考:
  「Blind Faith Not Expected - (Page 401)
〔略〕
Are there any dogmas in Buddhism which we are required to accept on faith?
A. No. We are earnestly enjoined to accept nothing whatsoever on faith, whether it be written in books, handed down from our ancestors, or taught by sages.

Our Lord Buddha has said that we must not believe in a thing said merely because it is said; nor traditions because they have been handed down from antiquity; nor rumours, as such; nor writings by sages, because sages wrote them; nor fancies that we may suspect to have been inspired in us by a Deva (that is, in presumed spiritual inspiration); nor from inferences drawn from some haphazard assumption we may have made; nor because of what seems an analogical necessity; nor on the mere authority of our teachers of masters. But we are to believe when the writing, doctrine, or saying is corroborated by our own reason and consciousness. “For this,” says he in concluding, “ I taught you not to believe merely because you have heard, but when you believed of your consciousness, then to act accordingly and abundantly.” [See the Kalama Sutta of the Anguttaranikayo, as quoted in A Buddhist Catechism by H. S. Olcott, President of the Theosophical Society. pp. 55.56.]」
(http://www.theosophical.ca/books/SecretDoctrine,The_HPBlavatsky.pdf[受信:2014年8月12日] 〔The Secret Doctrine Volume 3〕pp.317-318〔p.401〕])。




□ 文献 □
[へ]
ベイリー, アリス・A.1922(1951)(仲里誠桔・小島露観 共訳 1986/9/25).イニシエーション 進化の原点・神智学の秘伝.283pp.たま出版.[定価2,400円][B19861020]

ベイリー,アリス.1922(AABライブラリー(土方三羊・李敬烈)訳,2001/12/10).秘教瞑想に関する手紙.430pp.AABライブラリー.[定価2,400円+税][B20011217]




グローバリズムの終焉/日本国債暴落後の生活防衛策

2014年08月12日 00時32分45秒 | 政治経済社会学
2014年8月12日-1
グローバリズムの終焉/日本国債暴落後の生活防衛策

 『グローバリズムの終焉』を第二章まで読んだ。
 関曠野 2014/3『グローバリズムの終焉』は、本質的な分析をしており、その内容はうなづける。貨幣について考察した、西部忠『貨幣という謎』も、~について同様の分析をしている。ただし、関曠野(2014/3)とは、市場の定義は、異なっているようだ。

市場の定義
  「
    」
 (関曠野 2014/3『グローバリズムの終焉』 : ??頁)。

  「多様な財・サービスが商品として売買される「場所」が市場である。〔略〕
 「場所」といっても、物理的な場所である必要はありません。インターネット上のオークション・サイトのような抽象的、比喩的な場所でもいいわけです。」
 (西部忠 2014/5 『貨幣という謎』: ??頁)。


第一章での問題点または調べるべき点。
 →成長の限界の値または条件は? 計算は? シミュレーション モデルの中身は?
 世界金融資本の中身は?

 下記の部分を引用しておこう。→現金決済。→物物交換と物労交換。→地域通貨。

  「ニクソン・ショックに始まるグローバリゼーションは国際金融資本の全面的破産に終わるしかなかった。この破産に対する庶民の反応が生活防衛のための取り付け騒ぎと闇経済である。中央銀行は信用創造の能力を失い経済をコントロールできなくなってきており、租税国家は税収を絶たれつつある。経済はカジノではなく人々が生活するというその原点に引き戻されたのである。このゼロ地点から経済におけるデモクラシーを確立するための模索が始まる。ウォール街に始まり世界に広まっている街の公共空間の占拠運動と、そこでの自由な討論は、そうした模索の一環である。」
(関曠野 2014/3: 71頁)。

 アルゼンチンの経済について詳細な分析をした本、また国民生活の実際を報告した本は無いだろうか。
 

[せ]
関曠野・藤澤雄一郎.2014/3/5.グローバリズムの終焉: 経済学的文明から地理学的文明へ[シリーズ地域の再生].279pp.農山漁村文化協会.[B20140526]

[に]
西部忠.2014/5/10.貨幣という謎 日銀券とビットコイン.254pp.NHK出版[新書].[B?][Rb20140731、Rh20140810?]

ブラヴァツキー『秘密教義 第一巻 宇宙発生論』 第三部 付録 第1節 (3)

2014年08月11日 09時29分34秒 | 秘教/オカルト科学
2014年8月11日-1
ブラヴァツキー『秘密教義 第一巻 宇宙発生論』 第三部 付録 第1節 (3)

付録 ADDENDA
秘学〔オカルティズム、隠秘学〕と科学について ON OCCULTISM AND SCIENCE
第1節 SECTION 1
これらの付録をつけた理由 REASONS FOR THESE ADDENDA

〔第1節続き〕

[秘学 対 唯物論 Occultism Versus Materialism]

  We shall have, in Book II., to openly approach dangerous subjects.
  われわれは、第二巻で、危険な主題に正面切って取りかからなければならない。

We must bravely face Science and declare, in the teeth of materialistic learning, of Idealism, Hylo‐Idealism, Positivism and all‐denying modern Psychology, that the true Occultist believes in "Lords of Light;"
われわれは、唯心論、〔Dr. Robert Lewinsが創立した宗派の〕物質唯心論、実証主義、そしてすべてを否定する現代心理学という唯物論的学問の面前で、敢然と科学に立ち向かい、真の秘学徒は《光の主》を信じると宣言しなければならない。

that he believes in a Sun, which, far from being simply "a lamp of day" moving in accordance with physical law, and far from being merely one of those Suns, which according to Richter ---". . . . are Sun‐ flowers of a higher light"--- is, like milliards of other Suns, the dwelling or the vehicle of a god, and a host of gods.

また、物理法則にしたがって動いている単なる「日中の明かり」であることとはかけ離れている、そしてまたリヒターによれば「或る高級な光の太陽花〔ヒマワリ〕である」ような、あまたの他の太陽たちと同様に、一つの神と多くの神々の住処または乗りものであるような太陽たちのうつの単なる一つであることとはかけ離れている、一つの太陽を信じると、宣言しなければならない。

In this question, of course, it is the Occultists who will be worsted.
この問いで、やっつけられるであろう者は、もちろん秘学徒たちである。

They will be considered on the prima facie aspect of the dispute to be ignoramuses, and labelled with more than one of the usual epithets given to those whom the superficially judging public, itself ignorant of the great underlying truths in nature, accuses of believing in mediæval superstitions.
秘学徒たちは、その論争の一見したところでは無学の人たちだとみなされるだろう。そして、表面的な判断をする(彼ら自身も自然における偉大な根本的真理に無知である)大衆に対して与えられる軽蔑言葉を一つならず貼られるであろう。
また、中世の迷信を信じているとして避難されるであろう〔accusesがどれにかかっているのか、わからない。Zirkoff版479頁で校訂されてはいない〕。

Let it be so.
そうさせておこう。

Submitting beforehand to every criticism in order to go on with their task, they only claim the privilege of showing that the physicists are as much at loggerheads among themselves in their speculations, as the latter are with the teachings of Occultism.
仕事を続行するために、前もってあらゆる批判を甘受するが、物理学者たちは推測において反目しているというのは、〔the latter=physicists? occultists? 秘学徒たちが?〕秘学の教えについて反目しているのと同様であると示す権利を、秘学徒たちは主張するだけである。

世界人権宣言 第25条/安全で幸福に暮らす権利

2014年08月10日 20時48分50秒 | 原発を無くす
2014年8月10日-3
世界人権宣言 第25条


世界人権宣言

  Article 25

Everyone has the right to a standard of living adequate for the health and well-being of himself and of his family, including food, clothing, housing and medical care and necessary social services, and the right to security in the event of unemployment, sickness, disability, widowhood, old age or other lack of livelihood in circumstances beyond his control.
Motherhood and childhood are entitled to special care and assistance. All children, whether born in or out of wedlock, shall enjoy the same social protection.

第25条 幸せな生活
だれにでも、家族といっしょに健康で幸せな生活を送る権利があります。
病気になったり、年をとったり、働き手が死んだりして、生活できなくなった時には、
国に助けをもとめることができます。
母と子はとくに大切にされなければいけません。
<谷川俊太郎訳>
http://aikamakura.sakura.ne.jp/sengen.html#mouhitotu


第25条
1.人は皆、衣食住、医療、また必要な社会事業を含め、自分自身と家族の健康と福祉のために 十分な生活水準を確保する権利がある。また、失業、病気、身体障害などの能力の喪失、配偶者 との死別、老齢、その他自分の力ではどうにもならない生活上の困難に対して、保障を受ける権利がある。
2.母親と子どもは、特別な保護と援助を受ける。子どもは皆、正式に結婚した両親から生まれたか どうかにかかわらず、社会の保護を等しく受ける。
http://aikamakura.sakura.ne.jp/sengen.html


第25条
1. すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、 保障を受ける権利を有する。
2. 母と子とは、特別の保護及び援助を受ける権利を有する。すべての児童は、嫡出であると否とを問わず、同じ社会的保護を享有する。
(http://www.ohchr.org/EN/UDHR/Documents/UDHR_Translations/jpn.pdf)

純粋性または可能性(潜在性)と陰陽二元性/ダイアン フォーチュン

2014年08月10日 13時51分09秒 | 秘教/オカルト科学
2014年8月10日-1
純粋性または可能性(潜在性)と陰陽二元性/ダイアン フォーチュン

 
 《1》は、《2》になり、《3》になり、……。
 (一者)は、(二者)になり、三者になり、……。

  「23. Chokmah and Binah, then, represent essentianl maleness and femalenes in their creative aspects. They are not phallic images as such, but in them is the root of all life-force. 〔略〕
 ... it means that everything rests upon the principle of the stimulation of the inert yet all-potential by the dynamic principle which drives its energy direct from the source of all energy. 〔略〕
 ... the great principle of the stimulation or fecundation of the inert all-potential by the active principle. 」
(Dion Fortune 1935(1984): 149)。

  「23. コクマーとビナーは、創造的様相において本質的雄性と雌性を表象〔再現前〕する。〔略〕それらには、すべての生命力の根がある。〔略〕
 それが意味するのは、あらゆるものは、すべてのエネルギーの源から直接に自らのエネルギーを駆動する動的原理によって、不活性であるけれどもすべての可能性があるものを刺激するという原理に支えられているということである。〔略〕
 不活性なすべての可能性〔潜勢性〕が活動的原理によって刺激されるまたは受胎する(受精する)という偉大な原理……」
(20140810試訳。大沼忠弘(訳1985: 203頁)を参照した。)


  「25. Every relationship of manifested existence involves the Binah and Chokmah principles ...」
(Dion Fortune 1935(1984): 150)。

 「25. 顕現した存在のあるゆる関係性は、ビナーとコクマーの原理を伴っている……」
(20140810試訳。大沼忠弘(訳1985: 203頁)を参照した。)


  「26. The principles of maleness and femalenes as manifested in Chokmah and Binah represent more than mere positivity and negativity, activity and passivity. Chokmah, the All-begetter, is a vehicle of primal force, the immediate manifestation of Kether. It is, in fact, Ketherin action; for the different Sephiroth do not represent different things, but different functions of the same thing, _i.e._ pure force welling up into manifestation from the Great Unmanifest which is behind the Negative Veils of Existence. Chokmah is pure force ...」
(Dion Fortune 1935(1984): 150)。


[ふ]
フォーチュン,D.1935(1973)(大沼忠弘 訳 1985/10/30).神秘のカバラー[世界幻想文学大系 第四十巻].412pp.国書刊行会.[定価3,800円][B19860810]

[F]
Fortune, Dion. 1935(1984). The Mystical Qabalah. viii+308pp+3 diagrams. Samuel Weiser. [$8.95] [B19871028]