生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

2010年4月29日(木)絵画探査

2010年04月29日 22時22分51秒 | 美術/絵画
2010年4月29日-1
2010年4月29日(木)絵画探査

 倉庫の所在地はすぐわかったが、小山登美夫ギャラリーの入口は聞いていたように、わかりにくかった。扉は閉まっていた。後でwebを見たら、日・月曜日、祝日は休廊だった。

 第28回 上野の森美術館大賞展 [作家名つ~わ]/600円。出色は無し(審査員のものも含めて。板を連ねたものに描いたものがあったが、その効果は感じられなかった)。森洋史「待ちぼうけ」は、写実的だが、見えとして地面に浮いたように散らばるのは面白い。雀はもっと少なくしてもよいのではないか。山口陽子「生命[いのち]」は全面水面のもの。長谷川大「ひかりのにわ」は木彫して彩色。ついでにもっと冒険したら面白いと思うが。
 第27回 上野の森美術館大賞展 入賞者展/無料。技量は高いが、出色は無し。優秀賞をもらった人が少なくとも二人、第28回大賞展にも出していた。

 ロトチェンコ・ステパーノワロシア構成主義のまなざし/東京都庭園美術館/1100円。赤を全面にしたものは、表面全面にひびが粗く入っている。これは、3mは離れたソファからは見えないし、図録でもまったくわからない。出色は無し。ロトチェンコの写真では、マヤコフスキーの一本の深い一本のしわは両眼の間にまだ達していた。大きさの異なるくり抜き六角形を組み合わせた吊るし立体は、少し面白かった。
 図録の初めのほうに載っている「ダンス」(プーシキン美術館のものだが)と「黒のなかの黒」の現物を見たかった。
 線主義リニリズムの範例作品は、イマイチ。点の範例作品も。線や点そのものを美しくしないと。

 複数性。たとえば型紙を作って生地を裁断して服を作る。これは版画だといいなすこともできる。同様のものを複数製作する場合には、型または版をもととするのがたやすいやり方だろう。

 フォアグラのフライ、うーむ。鯛茶漬け。

美術館探訪

2010年04月28日 17時08分12秒 | 美術/絵画
2010年4月28日-3
美術館探訪または芸術演為踏破希望

2010年4月29日(木)
 ・ベンジャミン・バトラー 展 Paintings and Drawings 2010/小山登美夫ギャラリー(清澄白河駅)
 ・第28回 上野の森美術館大賞展/本館
 ・第27回 上野の森美術館大賞展 入賞者展/ギャラリー
 ・ロトチェンコ・ステパーノワ ロシア構成主義のまなざし/東京都庭園美術館(目黒駅)

2010年4月30日(金)
 ・10:00 国展/国立新美術館
[・ルーシー・リー展/国立新美術館]
 ・13:00-17:00 IPCC問題シンポ/日本学術会議講堂(乃木坂)
 ・ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち/ 森アーツセンターギャラリー(南下する。入場は19:30まで)

2010年5月1日(土)
 ・伊藤若冲 アナザーワールド/静岡県立美術館(JR草薙駅)
 ・リニューアルオープン記念 Newコレしずおか 新収蔵品と静岡ゆかりの美術/静岡県立美術館

2010年5月2日(日)
 ・開場=10:15 11:00-11:45 アンヌ・ケフェレック(ピアノ)/びわ湖ホール大ホール
 ・開場=15:15 16:00-16:45 小曽根真/びわ湖ホール大ホール[モーツァルト初期の傑作「ジュノム」では小曽根真が独奏、ジャズ仕込みの自由奔放な即興は必聴、とある]

2010年5月3日(月)
 ・没後400年 長谷川等伯/京都国立博物館/京阪七条
 ・jpアートnow!2010 in ハイアットリージェンシー京都/博物館向かいのホテル
 ・マイ・フェイバリット とある美術の検索目録/所蔵作品から/京都国立近代美術館
 ・京都市美術館コレクション展 第1期 円と方

2010年5月6日(木)
 ・のだめカンタービレ 最終楽章 後編/梅田

2010年5月7日(金)
 ・1100 アートフェア京都/ホテルモントレ京都/阪急烏丸駅22番出口歩3分
 ・堀井 克代 展/ギャラリーヒルゲート
 ・1600-1800 分析形而上学講演会:八木沢敬カリフォルニア州立大学教授「Disorder of Possibilities」/京都大学本部キャンパス総合研究棟2号館南側一階第10演習室

「所謂, 」をつけるとどうなるか

2010年04月28日 11時16分49秒 | 生命生物生活哲学
2010年4月28日-2
「所謂, 」をつけるとどうなるか

 2010年4月30日(金)13:00から開催される、日本学術会議 公開シンポジウム「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)問題の検証と今後の科学の課題」の開催趣旨が、下記のように訂正された(日本学術会議ニュース・メール **  No.246 ** 2010/4/16 **〔わたしへの配信は2010/4/26〕)。
  「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)をめぐる問題(所謂, Climate-gate, IPCC-gates)について、科学的観点から事実関係を明らかにし、その情報と認識を共有すること、そして、今後このような問題が生じないためのIPCCの科学的作業の在り方、社会と政策への情報提供の倫理性、科学者の行動規範などについて討議する。」

 訂正内容は、「Climate-gate, IPCC-gates」の前に「所謂, 」が付加されたことだと思う。付加しなかったから、面白そうに思えたのだが。「所謂, 」もいくつかに解釈、ないしは主催者の考え方の憶測、ができるが。。。


熊澤桂子展 ガラスの変形にんじんによるインスタレーション ~inside World~

2010年04月28日 00時50分40秒 | 美術/絵画
2010年4月28日-1
 2010年4月26日に、
  熊澤桂子展 ガラスの変形にんじんによるインスタレーション ~inside World~/茶房法邑/札幌.
を見た。(画像は、作者の許可を得て掲載しました。)

 すっぽりと鏡に包まれて、透明ガラスになる気分。光を得て、にんじんの生命たちが残照する。





 
 人参の赤橙色。黄色への変異。
 ニンジンの緑色。白色への変異。
 赤橙と緑のハイブリッド。
 ガラス(という材質)と合わせ鏡。
 光の幻影が木霊する仮構。
 瑞々しい、無限反照。


=====
 現物。水分をアルコール置換? みずみずしい色は保てるか?
 ウィキペディアによれば、プラスティネーションは手間がかかる。紹介した本は、行方知れず。

[Y]
養老孟司・坂井建雄・荒俣宏・吉田穣.1995.10.図説 人体博物館.157pp.筑摩書房.[ISBN10 448086041X / 3,600円+税].

哲学/心理学/生物学 文献-1

2010年04月27日 13時25分57秒 | 生命生物生活哲学
2010年4月27日-2
哲学/心理学/生物学 文献-1

[D]
ダゴニェ,フランソワ.1985.(大小田重夫訳 2010.3)ネオ唯物論.393pp.法政大学出版局.[ISBN 9784588007088 / 4,500円+税].〔Dagognet, Francois. REMAT´ERIALISER〕

デイヴィドソン,ドナルド.2005.(津留竜馬訳 2010.4)真理と述定.ix+259+9pp.春秋社.[ISBN 9784393323168 / 3,200円+税].〔Davidson, Donald. 2005. Truth and Predication. Harvard University Press.〕

[K]
河村次郎.2009.4.情報の形而上学:新たな存在の階層の発見.231pp.萌書房.[ISBN 9784860650469 / 2,700円+税].〔第7章は、創発の存在論〕

[T]
高橋揚一.2004.2.デザインと記号の魔力.vi+206pp.勁草書房.[ISBN 9784326153749 / 2,000円+税].

寺山守(解説)・久保田敏(写真).2009.12.アリ ハンドブック.80pp.文一総合出版.[ISBN 9784829901465 / 1,400円+税].〔R20100120〕

[W]
ウォード,ピーター・ダグラス.(長野敬・赤松眞紀訳 2010.1)地球生命は自滅するのか?:ガイア仮説からメデア仮説へ.273+21pp.青土社.[ISBN 9784791765201 / 2,000円+税].〔Ward, Peter Douglas. The Medea Hypothesis: Is Life on Earth Ultimately Self‐Destructive?〕〔R20100120〕

渡邊芳之.2010.3.性格とはなんだったのか:心理学と日常概念.viii+182+32pp.新曜社.[ISBN 9784788511880 / 2,200円+税].〔R20100315〕

地球温暖化論問題文献-1

2010年04月27日 12時21分31秒 | 生命生物生活哲学
2010年4月27日-1
地球温暖化論問題文献-1

 きょうの標語。
 <気候は無い。気象だけがある。>
 解題:気候とは、直接観測することのできない人間の構築体であって、気象という実際の現象の統計的な構築概念である。たとえば平均値は、計算によって『存在する』のであって、あくまで現象をもたらすメカニズムとその振る舞いを(諸モデルを介して)推定することによって、気象を、したがって『気候変動』を、われわれは予測し、制御できるのである。1と2と3の平均値は2である。2という値は観測されているが、個体として存在するのであって、平均値として存在しているのではない。

[E]
枝廣淳子・江守正多・武田邦彦.2010.1.温暖化論のホンネ:「脅威論」と「懐疑論」を超えて.220pp.技術評論社.[ISBN 9784774141039 / 1,380円+税].

[K]
木本協司.2010.2.CO2温暖化論は数学的誤りか.xii+345pp.理工図書.[ISBN 9784844607496 / 2,000円+税].〔著者は二酸化炭素倍増時の地表気温上昇(気候感度)を平均0.5度~0.75度と推定した論文が、Energy &Environmentに受理されたと言う。IPCCによる計算は平均3度なので、IPCCは4~6倍も二酸化炭素の脅威を過大評価している(ii頁)と言う。〕

[L]
ロンボルグ,ビョルン.2007.(山形浩生訳 2008.7)地球と一緒に頭も冷やせ!:温暖化問題を問い直す.315pp.ソフトバンク クリエイティブ.[ISBN 9784797347234 / 2,000円+税].〔Lomborg, Bjorn. COOL IT:THE SKEPTICAL ENVIRONMENTALIST’S GUIDE TO GLOBAL WARMING〕

[N]
中島映至(監修).2010.1.気候科学の冒険者:温暖化を測るひとびと.237pp.技術評論社.[ISBN 9784774140940 / 1,580円+税].〔古本屋で20091216に買った.20100103読了したが、0427中身を覚えていない.「犬など夜行性の動物は夜しか動けなかったそうで、そうなると目の感度をあげるために、色の感覚を犠牲にするわけです」(61頁)とある.犬は夜行性?、犬は色彩感覚無し?、「~のために、~を犠牲にする」? サイエンス・カフェでは、俗説の垂れ流しが自由らしい。〕

[V]
ヴァーツラフ,クラウス.2009.(住友進訳 2010.3)「環境主義」は本当に正しいか?:チェコ大統領が温暖化論争に警告する.192pp.日経BP社.[ISBN 9784822247980 / 1,500円+税].〔V'aclav, L
Klaus.若田部昌澄 解説・監修〕

[T]
槌田敦.2009.10.誰も言わない環境論〈3〉「地球生態学」で暮らそう.287+vi pp.ほたる出版/星雲社.[ISBN 9784434136573 / 1,500円+税].

絵画作用、概念作用

2010年04月22日 23時10分17秒 | 美術/絵画
2010年4月22日-4
絵画作用、概念作用

1. 絵画の定義
 絵画は通常平面的なもので、彫刻や彫塑といった立体的な作品と対比される。
  平面作品:絵画、版画(写真を含む)、書、
  立体作品:彫刻、彫塑、

 レリーフは、半立体作品か。

平面と立体
 表面の支持体を、円錐体や球体にしたり、カーテンのように襞のある面とすることができる。 
 ギリシャのかつての壷絵のように、面が真っ平らである必要は無い。曲面にすると、見にくかったり、透視図法の効果が出にくくなったりすることはあるかもしれない。
 では、立体もまた、見せているのは表面ではなかろうか? われわれの通常の視覚ではたとえば物の内部は見えないのだから、立体作品もまた表面しか見えない。そうすると、平面と立体の差異も絶対的なものではないことがわかる。薄い紙には、表と裏が区別できる。しかし、立方体にすると側面ができるし、球体であれば、すべてが表になって裏は無い。
 そこで、穴を開ければどうか。

 立体作品は、いかにもそこに物として存在するという側面がある。一方、平面において立体的空間がそこにあるかのように錯覚させるように描く作品では、逆に、平面性が強いからこその工夫である線遠近法や空気遠近法が用いられる。

支持体が立体的か、絵具が立体的か
 木枠やパネルに画布や紙をはって、なんらかの絵具で描く場合、木枠やパネルは画布や紙を支持するものであり、画布や紙はその上に塗られる絵具を指示するものである。絵具の上に絵具を重ねれば、下層の絵具は上層の絵具を支持するものとなっている。
 支持体と絵具は、段階的な役割をもつことになる。狭い意味での日本画は、岩絵具を膠で貼つける(実際は、膠を衣のようにくるんだ鉱物粒子を、筆で和紙に塗る)。小さな石を貼りつけている。厚塗りすると、下層の岩絵具(油絵具も同様)は、上層の支持体になる。透明な絵具ならば、下層にあっても見える色彩として役立つ(見えは混色になるかもしれない)。
 厚塗りするとか、塗り重ねたり、砂を混ぜるとか、マチエール用の素材を塗ったりすると、厚みが出て、レリーフ的ないしは立体的になる。どこまで厚みがあれば立体となるかの境界は、測定値は比率尺度であり連続的だから、自由に(恣意的に)定めるしかない。
 一つの区分法は、展示方法によるもので、壁掛けにするならば、平面作品である。壁掛けになっていれば、フランク・ステラの作品のように数十cm前方に飛び出ていても、また彫刻作品のように見えても、平面作品である。床に直接または、床に置いた台の上に置けば、立体作品である。天井から吊るすとか、(たとえばヘリウムガスを入れて)空中に浮遊させるとかの作品も、立体作品とみなされよう。

展示方法での平面性と立体性
 描くことではなく、展示することの方に着目してみよう。
 たとえば木枠に張ったカンヴァスもまた、全体としては物である。通常は、壁掛け作品として、真ん中正面に立って見ることが前提されている。では、床に平に置いたり、壁面に45度または垂直に立てかけたり、天井から吊るしたりしたらどうか。

2. 図解、絵解き
 ものごとを図で解き明かす図解は、瞬間的に全体的な理解ができるという利点がある。それは、全体を構成する部分(下位システム)

 (狭義の)絵画作用、絵画鑑賞様式ないしは規約と制度

 概念作用、提示や展示の仕方
  新奇さと奇抜さ(だけ?)
  『絵画』(狭義)の終焉か。物から事へ。performance 演為(演技、演奏、出来事製作、仮設)

 過去・現在・未来とは時間的な概念であり、構築体であるから、実在物を捉えて記述したりするための枠であり、実在ではない。プラトン的立場からは、<今この瞬間>こそが実在である。
 現在というものが、どこかを動いて、あるいは過ぎ去って、未来や過去のなるというのは、われわれの想像である。
 瞬間だけが実在する。それは時間でも空間でもないし、物でもない。あえて言えば、根元的エネルギーそのものである。

境界/システム環境/デュシャン

2010年04月22日 22時58分48秒 | 美術/絵画
2010年4月22日-3
境界/システム環境/デュシャン

記号と物体/objet
  これは、絵画です。
と書く、または描いた場合。

境界/環境
 絵画においては、額縁は、あるいは額縁をつけないカンヴァスでは画布の縁は、壁面に対して分画する。
 画布は、壁面(地)に対して図となる。画布は、下塗りされて地となり、そこに図となる形態が描かれる。→入れ子構造。

システム的に捉える
 物質的構成
 同定分類

デュシャンの作品の解釈
  「ここでは簡単に、デュシャンの造形的芸術の意図するところは、現実、今の現実の一部を切り取り、それをふたたび現実のなかにもどすことであったとだけ指摘しておこう。」(田淵 2005: 65-66頁)

  「『泉』はこの角度で設置されることによって、排泄用の便器としての機能は停止される。便器が便器でなくなり、芸術的素材となることによって、私たちは素直にモノとしての『泉』を見ることができる。素直にとは、自由に想像力を働かせて、ということである。つまり、芸術的に見るということであり、これによって『泉』は『泉』となったのである。」(田淵 2005: 66頁)

 使用時(つまりその機能を果たさせる時)とは異なる角度で設置されても、逆さまにされても、便器は便器、便器でありつづけてもよい。素直に見れば、(レプリカであっても)形の美しさ、陶器製ならばそのつるつるの美しさがある(と感じられるかもしれない)。「芸術的素材となる」のは、機能が停止される場合なのか? 機能停止は必要条件なのか、十分条件なのか、どちらでもないのか。わたしにとって、素直にとは、余計な想像力を働かせず、直接感覚的に、ということなので、今のところ、このあたりは理解不可能。
 著者は生活との関連で芸術作品を考察していくのだが、はたして。

 概念を想像上の画布に描いて運動させる(頭の体操)。
 絵具と筆、色光とそれを制御する『筆』。音波を制御する空間彫刻用の『筆』。(音色、音程、律動、旋律、和音、白色雑音)

[T]
田淵晋也.2005.12.現代芸術は難しくない:豊かさの芸術から「場」の芸術へ.262pp.世界思想社.

額縁と絵画の境界/記号と絵画

2010年04月22日 22時37分35秒 | 美術/絵画
2010年4月22日-2
額縁と絵画の境界/記号と絵画

額縁が含意すること
 tableau(タブロー)には、絵画作品について、習作や下絵に対しての「完成された」という意味がある。もう一つは、カンヴァスや板に描かれた物を指し、これは(持ち運びできない)壁画や天井画に対している。さらにもう一つの用例は、tableauの間違いではない訳なのかどうかはわからないが、額縁絵画である(文献失念)。これは額縁の無い絵画に対することになる。
 額縁をつけることによって、絵画本体はその周囲から境界づけられる。そのことによって、額縁内部に位置する平面は、その周囲とは異なる世界を提示しているのだと解釈しやすくなる。また、慣習によってまたは規約的に、そのように見る者に解釈される。
 額縁にも延長的に描かれている場合がある。絵画部分の面積が広くなるし、外への広がりが感じられるかもしれない。その場合や額縁が無い場合は、背後の壁との絵画の境界は、たとえばカンヴァスの縁そのものになる。額縁が無い場合、どういうわけか、『モダンに』(この意味は人によって様々であるが)感じられることが多い。

記号と絵画
 主に文字を描いたり、文を書いているような作品がある。
 或るパターンが記号として(あるいは記号的行為または展示として)受け取られた場合は、記号であるということに注目が大きくなるから、記号の物質的側面(たとえばインクによって表示が実現されているとすれば、インクの物質性が見る者に受け取られるもの)、対照的に画肌への注目が薄くなり、物質感が弱くなるだろう。

 表意文字の場合、たとえば漢字は、絵文字とも言えるように、抽象絵画とも解釈できる。画面に、大きく森とかけば、エゾマツやトドマツの針葉樹の森に見えるかもしれない。赤い色で木と書けば(描けば)アカエゾマツ、黒ならクロエゾマツ、青にすればアオエゾマツである。(ついでに)白にすればシロエゾマツです。

 さて、人物とか風景とかの対象を描かない場合、→抽象絵画

数値計算モデルのテスト

2010年04月22日 22時32分55秒 | 生命生物生活哲学
2010年4月22日-1
数値計算モデルのテスト

  z0=2.00x+1.00
が、実際の形式(数式)だとする。お好みなら上下に振れるようにsin yを加えてもよい。
 一方、妥当なモデルとして構築された数式は、
  z1=2.01x+1.10
  z2=1.99x+0.95
  z3=1.95x+1.15
  ……
  z19=1.90x+1.20

 これらの計算結果の範囲のうちに、
  z0=2.00x+1.00
が入っていると言うことは無意味である。近いということはかまわないが、それだけのことである。むしろ、z1以下のどのモデルも合致していないと判定すべきである。
 また、数値計算にするために、微分方程式を差分方程式にするときにも、問題がある可能性がある。

データ解析的立場と原理演繹的
 →分類・同定

温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!(江守正多)、への疑問

2010年04月21日 23時58分06秒 | 生命生物生活哲学
2010年4月21日-2
温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!(江守正多)、への疑問

 江守正多『地球温暖化の予測は「正しい」か? 不確かな未来に科学が挑む』は、おおむね誠実な態度で書かれていたように思う。不確実性をいくつか挙げていて、そうするとしかし、そんなにいろいろと不確実性が入り込むのに、予測が確かだなんてどうして言えるのかと思ってしまう。逆に、当たらなかったときのための予防線かとも、かんぐりたくなるほどである。
 さて、問題は、予測に使われているモデルが当たるかどうかである。リスク予防原則を採用するにしても、予測モデルがどの程度あたるだろうかという点に依存する。
 一つの疑問点は、人為起源CO2温暖化説のおそらく大きな論拠としていると思われる、「物理法則に基づくコンピュータシミュレーション(気候モデル)で計算した気温の変化」の、実際に起こったCO2の増加のデータを入力した場合と、CO2の濃度は一定だったとした場合とを比較して、排出などの人為的CO2増加が原因だとする推論である。これは、気候モデルが過去の気温を再現できたことが前提としてある。しかしモデルが採用する変数やパラメータ値を変えれば、逆の結果を生じ得るかもしれない。このことは単純な、曲線当てはめcurve fittingの場合で考えれば理解出来るだろう。パラメータ数を多くしたり、係数を変えたりして、曲線への適合度をいくらでも挙げることができる。(そこで、モデルの良さの尺度を、適合性と、変数を増やしたことへのペナルティを与えて測ろうとしたのが、赤池の情報量規準である。なお、ここでもたとえばペナルティをどのような数式にするかは、自由度がある。)
 また、「物理法則に基づく」といっても、地球を多くの格子に分けて数値計算しているから、近似的であり、もしカオスを生じるような方程式がどこかに含まれていれば、近似計算をした場合には信頼性は薄れる。さらに、地上と海洋に分けた結合モデルであれば、その結合をどうするかの最適性をどうするかで恣意的な選択となるのではないか。格子を小さくすれば、計算の精度はあがるだろうが、予測が当たることにつながるとは限らない。

 江守正多氏は、
  「CO2の増加などの人間活動の効果を入れないと実際に観測された気温上昇とは全く計算が合わないことが、「定量的に」示されているのです。自然現象が主因であるといった説には、このような定量的な根拠がありません。」
と述べている。
 さらに、
  「これをいうと、「コンピュータの計算なんて信用できない」と返されるのがお決まりの手なのですが、温暖化のコンピュータシミュレーションの信頼性については、拙著『地球温暖化の予測は「正しい」か?』(化学同人)に詳しく解説してあります。」
とあるが、わたしにはいくつかの疑問点が残った。そもそも気候モデルは具体的には表記されていなかった。特に問題は、パラメータ化であるが、これもどのように値を決めているのかは、例を示しては書かれていなかった。
 五か所の19のモデルで数値計算しているが、なぜ一つのモデルではないのだろうか? 最も再現性の高い一つのモデルを採用すればよいと思うが、一意には決まらないのはなぜなのか?

  「江守正多温暖化リスク評価研究室長は「複数のシミュレーションモデルで20世紀末の北極振動の振る舞いがバラバラなのにもかかわらず、どのモデルも同じような地球平均気温の上昇を示すことを考えると、実際の気温上昇の大部分が北極振動という結論にはならないのではないか」と温暖化全般への影響には否定的な見方を示している。」(http://eco.nikkei.co.jp/column/kanwaqdai/article.aspx?id=MMECzh000003122009)
ということと関係するが、このような推論には疑問がある。

http://eco.nikkei.co.jp/column/emori_seita/article.aspx?id=MMECza000017042009
は、わたしの疑問点を言うのに都合がよい。
  「IPCCの予測は外れたのでしょうか。実はそうではありません。IPCCの予測と実際に観測された気温変化の関係をより適切に表すグラフは、次のようになります。」
として、図Bが掲載されている。
  「図Aと図Bの違いは何かというと、図Aでは、IPCCの予測はたくさんのシミュレーション結果を平均した比較的直線的な線で表わされています。一方、図Bでは、たくさんのシミュレーション結果を平均しないで、1本1本を全部重ねて描いてみました。さらに、1960年までさかのぼってみると、観測された変動がシミュレーションの幅の中に入っていること、いわば「想定の範囲内」であることは、一目瞭然ですね。そして、今後長期的に気温が上昇していくという予測は、何ら修正を迫られていません。
 つまり、普段みなさんが目にすることが多いIPCCの予測のグラフ(たとえばIPCC 第4次報告書統合報告書の図SPM.5)は、たくさんのシミュレーション結果の平均だから直線的なのであって、1本1本のシミュレーション結果は、本当は、実際に観測されているのと同様な自然の変動を含んでガタガタと上下しているのです。」
  (江守正多.温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!「地球は当面寒冷化」ってホント?(09/04/23),http://eco.nikkei.co.jp/column/emori_seita/article.aspx?id=MMECza000017042009)

 「IPCCの予測はたくさんのシミュレーション結果を平均した比較的直線的な線で表わされています」とのことだが、このような平均値はなんらの意味もないと思う。数多ければ当たるとは限らない。全部外れているかもしれない。特に50年後とか、かなり先のことの予測なのだから、少し外れていれば、そのモデルは信用できない(むろん、51年後だけ数値はピタリと当たるかもしれない可能性はある。しかしこれは問題外である。計算モデルの予測がかなりの精度で当たることが必要なのである。)
 観測された気温値にぴったりと上下して的中しているモデルは一つもないのではないか?
 1. 確かに、「1本1本のシミュレーション結果は、……ガタガタと上下しているが」、「実際に観測されているのと同様な自然の変動を含んで」いるからとは言えないのではないか? そもそも、ガタガタの上下加減の精度では、いずれの一つのモデルによる計算値とも合致していないと思う。
 2. なぜそんなにもたくさんのシミュレーション結果があるのか? 一つのモデルでの誤差によるのなら、「1960年までさかのぼってみると、観測された変動がシミュレーションの幅の中に入っていること、いわば「想定の範囲内」であることは、一目瞭然ですね。そして、今後長期的に気温が上昇していくという予測は、何ら修正を迫られていません。」と言えるかもしれないが、それは個々の計算値を表示したものなのだから、いわばAモデル or Bモデル or Cモデル or ……と19(?)個のモデルからの計算値が一緒くたになったもののなかに入っているということであって、どのモデルも気温低下を的中させなかった、はずれたのである。したがって、この部分(実測値)によって反確証された、と見るのが妥当だと思う。どのモデルも反確証されたと言うべきである。

 (精密に見えるような模擬計算の結果に、注目が行き過ぎだろう。)

地球温暖化懐疑論批判は正しいか?

2010年04月21日 16時06分16秒 | 生命生物生活哲学
地球温暖化懐疑論批判は正しいか?

傲慢もゴーマンも、かまさないでね
 パチャウリIPCC議長らは、ヒマラヤ氷河消失に関するIPCCの主張に疑問を呈した研究者に対して、voodoo scienceだとか、非科学的(英語は?)だとか、ののしったらしい。もしそうなら、そのようなレッテル張りをすることのほうが、根拠を言わずに批判を一蹴するという態度だという点で、反科学的antiscientificである。何年か前の『科学』の地球温暖化特集号での明日香壽川氏らの発言からは、地球温暖化懐疑論をたんに馬鹿にするような態度が感じられた。

偽科学 pseudoscience
 「擬似」とは、「本物によく似ていてまぎらわしいこと」(大辞泉)とあるので、本物に似てるほどいいのではないかと思うこともあろうから、訳としてまぎらわしい。pseudo-は、偽りのとかニセのという意味ということだから、pseudoscienceは疑似科学(正しくは、擬似科学)ではなく、偽科学と訳すことにする。

 Mario Bunge (2003: 233)によれば、pseudoscience 偽科学とは、
  「科学的基礎が欠けているのに科学的だとして売りこまれる教義または実践」
である。科学的基礎とはなにかが問題だが、基本は理論によって現実を予測し、計算結果などを経験的な試験と合致するかどうか、という科学者共同体(これも半開的だが)での相互批判的営為である。

 まず理論内部の整合性が必要であり、重要なのは、現実との照合である。予測という時間的な外挿をする場合には、メカニズム的理論もしくはモデルであることが望ましく、精度や観測費用とのかねあいとなるが、なんらかのテストが可能であることが肝心である。
 技術(特異的方法)が科学的と呼ばれるための条件については、Mahner & Bunge『生物哲学の基礎』96頁を見よ。科学的、半科学的、あるいは非科学的に分類される。「非科学的nonscientific」は、ののしり言葉ではない。科学的方法については、『生物哲学の基礎』97頁を見よ。

 地球は一つだからテストできないので数値計算で済ませ、過去のデータの再現性が高いからそのモデルによる予測は当たるとするのは、信頼性がない。当たるかもしれないが、当たらないかもしれない。
 江守正多氏は、北極振動やエルニーニョによって、北半球での近年の寒さを説明している(そして全地球気温は低くなっていないとする)。しかし、被害は(寒冷化によるものであれ温暖化によるものであれ)地域的なことがらである。では、気候モデルは、北極振動なども取り入れているのか? そして、そのことは後づけ的説明ではなく、まえもって予測して結果は的中したのか? 

[A]
明日香壽川・河宮未知生・高橋潔・吉村純・江守正多・伊勢武史・増田耕一・野沢徹・川村賢二・山本政一郎.2009?.地球温暖化懐疑論批判(IR3S/TIGS叢書No.1).81pp.〔pdfダウンロードサイト http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/sosho〕

 これを批判したらしい(未読)のが、「『地球温暖化懐疑論批判』の誤謬」として
  「東北大学の明日香壽川の個人的レポート『温暖化問題懐疑論へのコメント』を下敷きに、多少手を加えた程度の、非常に安直な内容の冊子である。その結果、内容的には自然科学の書籍というには余りにも自然科学的に低レベルであり、ほとんど著者の思い込み・思いつきと、人為的CO2地球温暖化仮説に対して疑問を提起する論者に対する誹謗・中傷に満ちた極めて低俗な内容となっている。」
と述べる、
http://env01.cool.ne.jp/global_warming/ir3s_index.htm
近藤邦明氏である。

 日本学術会議 公開シンポジウム「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)問題の検証と今後の科学の課題」が、2010年4月30日(金)13:00から開催される。開催趣旨は、
  「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)をめぐる問題(Climate-gate, IPCC-gates)について、科学的観点から事実関係を明らかにし、その情報と認識を共有すること、そして、今後このような問題が生じないためのIPCCの科学的作業の在り方、社会と政策への情報提供の倫理性、科学者の行動規範などについて討議する。」
とある。
 trickの意味の誤解だ、言った、言わない、データの精度がどうのこうの、決着がつきにくくてそのうちうやむやになるようなこれらのややこしいことは副次的なことである。また、懐疑論を批判するよりも、政府予算をたくさん使っている地球温暖化仮説や模擬simulation計算モデルのほうの確証または反確証disconfirmationをしてほしい。なお、或る主張が正しいとも正しくないとも、(たとえば統計学的に)どちらとも言えないといったことは、この世界で(いわば雑音が多いから)よくあることである。
 IPCCの第一次評価報告書(1988, 1990, 1992)からすでに20年近く経っている、はたして、地球温暖化仮説はどのような種類と程度で試験testされ、確証されたconfirmedのか?

抽象絵画論文献追加

2010年04月20日 12時26分35秒 | 美術/絵画
2010年4月20日-3
抽象絵画論文献追加

[A]
浅沼圭司.2004.9.ゼロからの美学.xi+250+vi pp.勁草書房.[ISBN 9784326153794 / 2,400円+税].

[C]
カラブレーゼ,オマル.1985.(谷口伊兵衛訳 2001.3)芸術という言語:芸術とコミュニケーションとの関係についての序説.iii+294pp.而立書房.[ISBN10 4880592730 / 1,900円+税].〔Calabrese, Omar. 〕〔芸術記号論〕〔目次.1 前記号論的な芸術比評(純粋可視主義/芸術思想の根底?ヴァールブルクとカッシーラー/象徴美学 ほか)/2 記号論と美学(一般論/チャールズ・モリスとアメリカ実用主義/フォルマリズムと構造主義?ロマーン・ヤーコブソン ほか)/3 芸術記号論の伝統と諸問題(芸術は言語か?/イコン主義の問題/特殊性、言語モデル、諸単位)/4 現下の諸傾向(記号生産の様式/文化類型論/言語学モデルの永続性 ほか)〕

[F]
藤枝晃雄・谷川渥・小沢基弘(編).2007.10.絵画の制作学.407pp.日本文教出版/三晃書房.[ISBN 9784783010340 / 3,800円+税].

[H]
平野暁臣.2009.12.空間メディア入門:僕たちは空間を使って何ができるのか.189+9pp.イーストプレス.[ISBN 9784781603124 / 1,800円+税].

[K]
熊谷直男.2007.4.芸術美の哲学.311+2pp.春秋社.[ISBN 9784393332689 / 2,800円+税].

暮沢剛巳.2009.4.現代美術のキーワード100.240+x pp.筑摩書房.[ISBN 9784480064820 / 780円+税].

[M]
三中信宏.2009.9.[2009.12 第3刷]分類思考の世界:なぜヒトは万物を「種」に分けるのか.328pp.講談社.[ISBN 9784062880145 / 800円+税].

[O]
オクヤナオミ.2008.8.余白は芸術に関係がない??が、ひとつのフォルムである.208pp.水声社.[ISBN 9784891766924 / 3,000円+税].

地球温暖化説の(厳密)科学的根拠はあるのか?

2010年04月20日 01時46分36秒 | 生命生物生活哲学
2010年4月20日-1
地球温暖化説の(厳密)科学的根拠はあるのか?

 現代社会では科学者の多数派の主張、または権威者の主張が影響力が大きい。日本のマスコミは、垂れ流しの報道が多く、吟味した記事はほとんどない。

 1. 温暖化傾向にあるというだけでは、未来への外挿である。また、右上がりの直線で回帰するのは、おかしい。適合性が低い。段階的かもしれない。
  シミュレーションもまた、適合性が高いとは思えない(なぜ変動が激しいのか? 模擬計算の気温値は移動平均していないのか?)。そもそも、モデルはパラメータ値も含めて一つ最適なモデルにすべきではないのか? なぜ、いくつのものモデルによる数値計算をして、ほぼ当たっているとするのかが、わからない。
  現在使われているモデルの基本は、真鍋モデルなのか? 
  太陽活動の変動や北極振動は、モデルに入っているのか? やや専門的な本でも、具体的にモデルはどんなものなのかが書かれておらず、専門外の者にとっては、黒箱black boxである。

 2. メカニズム的モデルであり、かつ、そのモデルが予測することと現実の観測との合致(つまり経験的テスト)がない限り、予測は当たるも八卦当たらぬも八卦である。
  シミュレーション結果は、そのモデルがテストされていない限り、信頼性は無い。

 3. IPCCは政府間パネルであり、当然各国政府の利害が関わる。また、科学者とは限らない。
  また、科学者だと見なされている人においても、データ捏造や誇張があり得る。
   実際、ヒマラヤ氷河の消失年の予測?は、315年も早められるという水増しがあった(2035年は、別の文献の2350年の写し間違えた可能性があるというと、2010年1月21日読売新聞は報じたらしい。鶴田(2010: 18-19)によれば、原典には「2350年までに」と書いてあったとカナダ人氷河学者のコグリーが発見したとのこと[注1])が、科学者を含む10人の検討者がいたにもかかわらず、訂正されなかった。隠蔽が露見したのは、外部からの指摘である。
  IPCCの初期から、原子力発電推進論者のシュナイダーが活躍していた。結果として、鳩山政権も、欧米も原発推進へと進んでいる。
  「英紙テレグラフは、IPCCのパチャウリ議長が、温室効果ガスの排出量取引などでもうけている銀行の顧問なども務め、その報酬はパチャウリ氏が理事長を務める団体に振り込まれていると報じている。」と2010年1月19日に朝日新聞は報じた(http://www.asahi.com/science/update/0119/TKY201001190203.html)。昨年にテレビでパチャウリ氏は企業の社長をしているといったような紹介があり、怪しい人だなと感じたが、気候変動の科学者ではなく、経済学者らしい。二酸化炭素排出権取引は、むろん商売になる。
  鶴田(2010: 18)は、ロシアの気候データ(→気温データ?)についても、疑惑を紹介している。イギリス気象庁のハドレーセンターは、ロシアの全気象観測局の25%の観測局のデータしか使っておらず、しかも都市化による温暖化効果の見られる観測局のものをつまみ食い的に使ったと、ロシアの経済分析研究所が批判したとのことである。
 
 4. 温暖化よりも、寒冷化のほうが危険である。五分五分ならば、あるいは七分三分でも保険は寒冷化のほうに掛けるべきである。
  北海道と東北北部は(またカナダや北欧やロシアなど)は温暖化による利益が、食料生産の面や燃料消費の面などで利益が大きい。→政治的南北問題である。

 5. 日本の気象関係者は、大きな科学研究費が当たるという利益がある。日本気象学会の関係分野以外の者は、問題を感じていても、ほとんどが口をつぐみ、ごく少数の者がぼそぼそとつぶやくぐらいであろう。

 6. 本来は、地球規模の異常気象(気候ではない)が問題だと思うが、これの根拠の提示は難しいだろう。しかし、スーパーコンピュータで億単位の電気代を使って模擬計算(計算であって、実験では決して無い)しても、説得力は無い。異常だとは、いわば肌で感じるほどである。
  しかし、たとえば東京の3月の平均気温は平年よりも3度低かったとのこと。これを気象モデルは予測したのか、あるいはそのようなことを計算するモデルではないのか。低温による影響は、野菜(白菜やキャベツ)価格の高騰となっている。昨年も作物は不作であった(天候不順、とりわけ低温のため)。リスクから言えば、対策は寒冷化のほうにやるべきである。


 二酸化炭素濃度は、サハラ砂漠で大きいなど、濃度の地理的変異は大きい(朝日新聞2010年4月?)。
 大きな氷床は、北極と南極とヒマラヤに分布しているが、北極海では確かに少なくなっており、地球全体の熱量を反映した結果だろう。しかし、気候変動のメカニズムモデルが確証されない限り、未来はわからない。
 地球温暖化説に比較すれば、原子力発電の危険性は明白だと思う。電力会社の事故隠しもいまだに多い。
 温暖化は少なくとも一部地域にとっては好都合である。石油消費は汚染につながるから、使わないほうがよい。原子力発電も、現状では石油を使っているし、危険性は大きい。
 簡素な生活をし、かつ、汚染や危険の無いエネルギー利用をすべきである。
 ただし、総合的な判断が必要である。たとえば、レジ袋を廃止して強化したゴミ袋を使うのは、果たして二酸化炭素削減になっているのかどうか。

[注1]
<「世界気候評議会は、氷河予測でやっつけ仕事」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事>の一部訳文を掲載したサイト
http://blog.goo.ne.jp/medicus19/e/27ad2af40cf9afa6ecee8f577e0899a0
によれば、コグリーは、
「50万平米から10万平米までのヒマラヤ氷河の縮小が予測された学問的論文を見つけた。それは、ロシアの氷河研究の最長老であるヴラジーミル・コトリアコフによって1996年に書かれたものだ。
 だが、コトリアコフは、その当時おおざっぱな計算をし、2350年にはヒマラヤ氷河の5分の1しか残っていないだろうと予測したのだ。」
とある。ヒマラヤ氷河「消失」時期でもなかったのね。

   (敬称略)

鶴田由紀.2010.4.CO2温暖化説と巨大ビジネスへの思惑.自然と人間 (166)[2010.4]: 18-20.

*枝廣淳子・江守正多・武田邦彦.2010.1〔実際は2009.12?〕.温暖化論のホンネ~「脅威論」と「懐疑論」を超えて.224pp.技術評論社.[ISBN 9784774141039 / 1,380円+税]〔169頁では、枝廣はレジ袋削減による二酸化炭素削減の効果はほとんど無いことを認めているらしい。要check〕