例によって図書館から借りてきた本で、「日本人の精神構造」という本を読んだ。
著者は会田雄次である。実に妙な本であった。
冒頭に軍人勅論が記載されていた。
以降、その勅諭に基づいての考察が述べられているが、教育勅語しろ、軍人勅論にしろ、内容的には立派に今日でも通用するものであるが、今時こういうものを目の前に開陳されると、いささか面喰ってしまう。
著者の心情からすれば、今日の日本の現状があまりにもこういう精神からかけ離れてしまっているので、昔を回顧するという意味で、こういうものが冒頭に記されたのかもしれない。
軍人勅論なるものも、内容的には実に良いことを言っていると思うが、いかんせん現代人には読みにくくてかなわない。
この軍人勅論なるものは、明治12年、1882年に明治天皇によってだされたとなっているが、今から126年も前の文章なるがゆえに、我々には極めて読みにくいのもいた仕方ない。
同じ民族の書いたものが読めないということは、やはり考えものではなかろうか。
言語は進化するのが普通だとはいうものの、100年前の文章が読めないというのは、読む側の不勉強を責めるよりも、書き記す側の責任ではなかろうか。
そういう愚痴はさておいて、その内容は極めて正鵠を得ているわけで、今日でも立派に通用する。
ただ惜しむらくは昭和の軍人たちは、そのことごとくがこの軍人勅論を蔑にしてきたことが悔やまれてならない。
しかし、逆転の発想からすれば、昭和の軍人達がこの軍人勅論を蔑にした結果として、新生日本に生まれ変われた、という言い方も成り立つと思う。
ただし、それには想像を絶する犠牲が伴ったわけで、そういうマイナスの面があったことも事実で、新生日本に生まれ変わるにはあまりにもリスクが大きすぎた、ということも周知の事実である。
この会田雄次という大学者は、この軍人勅論の中から、日本人の本質を探し出そうとしている。
彼自身、一兵卒としてビルマ戦線で戦い、戦後、そこでイギリス軍の捕虜収容所で、イギリス軍の実態を垣間見た経験を織り交ぜながら話を展開しているので、イギリス軍と自分の同胞の軍隊を比較検討することで、我々の側の本質をより明確に浮き彫りにしている。
我々は四周を海で囲まれた民族なので、他民族との接触が極めて希薄な環境で生を維持してきた。
よって、他民族と接するときに、相手に対してどういう対応をしたらいいのか、大衆レベルでは不可解なままでいた。
そのことによって我々は異民族との接触の仕方が極めて稚拙で、それがためいらぬ摩擦を生じせしめている場合が多々あるようだ。
明治維新以降、日本政府は西洋に追いつき追い越せという意味合いで、ヨーロッパに数多くの人間を派遣して西洋の思想、思考、技術の習得に努めたが、そういう機会に恵まれた人は少数で、大部分の大衆というものは異民族に対して無知のままであったに違いない。
この著者は、自らの体験で、イギリスの軍隊では将校と下士官では階級章を見なくとも遠目でもはっきりとその差異がわかると述べているが、さもありなんと思う。
というのは、イギリスは昔も今もれっきとした階級社会で、それは産業革命を経ても歴然と残っているということである。
他の本でも読んだことがあるが、イギリスでは乞食でも威張っているという話を聞いたことがあるが、まさしくそういう気風が今日でも生きているということなのであろう。
イギリスには青白きインテリーというのはありえないということだが、さもありなんと思う。
インテリ―というのは貴族で、貴族ならば生育の過程でスポーツ万能に仕立て上げられ、その上に学識経験が加味されるので、イギリスの将校は貴族なるがゆえに、実に勇猛果敢で、日本のインテリ―のように学識のみが優先して、青白く軟弱な将校はいないということであるが、確かにそうだと思う。
貴族には貴族としてのノブレスオブリージがあって、下士官と同じ人間ではなく、一段と上に君臨する誇りと名誉を自覚しているということだ。
下士官というのは一般社会に出れば大衆という位置づけなわけで、彼らは彼らで分をわきまえて、貴族になろうともしなければ、貴族と同じ待遇を要求しようとも思っていないようだ。
此処で「人は生まれながらにして平等だ!」などという思考は全面否定されているということで、誰もそんなことを信じている者がいないということだ。差別を是認しているということだ。
貴族と庶民はあらゆる面で厳然と住み分けをしていたわけで、それが好むと好まざると軍隊という組織の中に集約されても、その生活態度が外側からはっきりと認識し得る、という趣旨の言葉である。
それに対比して、我々の社会を見てみると、我々の社会は実に画一的で、均一的で、同質的なわけで、我々の社会には金持ちと貧乏人の差はあるが、それは常に社会に中で輪廻転生しているわけで、金持ちが何世代も金持ちのまま、貧乏人は何時までも貧乏人のままということはありえない。
親の職業を子がそのまま継ぐということすら昨今では稀なケースで、我々の場合は、何時も子の世代は親の世代を乗り越えて進化している。
ある意味で「極めてバイタリティ―に富んでいる」という言い方にもなるが、逆にいうと、それは社会そのものが川の中の浮草のように、時流というものに翻弄され続け、あっち行ったりこっちに流れ着いたりと、ふわふわしているということでもある。
そしてそれは人間というものに対する見方にも顕著に表れるわけで、彼らがアジア人を見る視線というのは、あくまでも動物に対する視線であって、アジア人を最初から人とみなしておらず、家畜の延長ぐらいにしか見ていないのである。
こういう彼らの生き様も、彼らは歴史から習得したことであって、それはヨーロッパという地域で、侵略したりされたりという彼らの経験則がそういう思考に至らしめたと考えざるを得ない。
やらなければやられるという。戦争である以上、如何なる手段を講じても勝たねば意味をなさない。
そのためには人としての良心も、同情も、慈愛の心も、倫理も、すべて投げ捨てて、とにかく勝つという一事に神経を集中させて、その為にはあらゆる手段を講ずるという発想である。
第2次世界大戦というのは、既にこの時点で地球は大いにグローバル化していたわけで、世界各国は連携し合っていたわけだが、こういう状況下では、仲間以外のよそ者に自分達の手の内を見られては不味いわけで、そういう意味でも彼らは非常に狡猾な手段を弄していた。
例えば、戦闘の最中に相手が戦闘意欲を失って投降してくると、こちら側ではそれらを捕虜として処遇しなければならない。
交戦中に敵の人間を無為徒食のまま生かして連れまわすなどということは、如何なる軍隊でも厄介なことに違いない。
ところが既にグローバル化した国際社会では、そうすることが義務つけられていたが、それは人間の崇高な理念であることは間違いないが、現場では敵性人間に食料をあたえつつ、引き連れて移動するなどということは、面倒なことは言うまでもない。
よって、如何なる国でも投降してきた人間を捕虜として遇するよりも、戦闘中の行為として殺してしまった方が面倒がないことは言うまでもない。
そういうケースで、我々の軍隊も、そうせざるを得ない選択を迫られたが、その殺し方が下手くそなわけで、後になって日本軍は残酷だということになってしまった。
イギリス人は捕虜の殺し方が上手だったので、同じ無意味な殺傷でも、そういう声が出てこない。
イギリス人のやり方は、捕虜に対して故意に不衛生、あるいは食料を制限してわざと病気にさせて、病死させてしまうわけで、病死ならばどこからも文句のつけようがないということになる。
我々の場合は、あからさまに銃殺したり、日本刀で切ったりするから如何にも残酷な悪魔というイメージをを第3者に植え付けてしまう。
同じ人を殺すにも、先のことを考え、国際社会の評判のことを考え、人道という仮面をかぶりつつ、怨恨を晴らすという発想は、我々には思いもつかない思考で、その意味で我々は実に世渡りというか、国際社会の中の立ち居振る舞いが稚拙だということになる。
この本の著者、会田雄次は、本人の体験としてイギリス人の狡猾さを語っているが、同じことはアメリカ人についても全く同じことがいえるわけで、彼らは彼らでイギリス人同様に狡猾で、それも十分に肝に銘じておかなければならないと思う。
だから反米になれということではない。
こういう短絡的な思考が、日本人特有のものの見方で、日本がドイツと同盟を結ぶ直前まで、ドイツは中国に味方して上海で日本を敵として戦っていたにもかかわらず、その敵とあっさり同盟を結ぶという発想は一体何であったのだろう。
そもそもドイツを信用した日本が浅はかであったことは否めない。
ヒットラーの本質を見抜けなかった我々の先輩諸氏は、ものを知らなすぎたということに他ならない。
ものを知らないという面では、ドイツを知らなったばかりでなく、イギリスについてもアメリカについても全くその本質を知らずにいたということである。
もっといえば中国についてもロシアについても知らなかったということにつながる。
イギリスについてもアメリカについても中国についてもロシアについても何も知らなかったということは、世間について、あるいは国際社会について何にも知らなかったということになるわけで、それは自分自身についても何もわかっていないということにつながる。
それを私の言い方で表現すれば、高級軍人が官僚主義に陥って、教育勅語、軍人勅論を何一つ順守していなかったからだということになる。
教育勅語、軍人勅論でも内容的には極めて示唆に富んだ良いことを述べているわけで、これを順守していれば、日本が奈落の底に転がり落ちるなどということはあり得なかった。
ところが、軍部の高級官僚たちが、そういうものを無視しておきながら、下のものにその順守を強要していたので日本そのものが破たんしたのである。
古今東西、軍人(将校は列外である)・兵隊になるというのは、下賤な思考であって、基本的に軍隊というのは人の嫌がるか下等な職域であったはずである。
にもかかわらず、明治以降の日本の貧乏人にとって、職業軍人になるということは立身出世の一番の近道と映ったわけで、だからこそ若くて優秀な人材が集まったというのは、そこに集まってきた若くて優秀であるべき人たちが、立身出世を夢見た下賤な人間たちであったということに他ならない。
出世が出来るから、楽な生活が出来るから、収入が良いから、という理由でそういう職業に群がるというのは、私欲の達成という意味では妥当な選択ではあるが、これも言い方を変えれば一番セコイ職業選択であり、若者の考え方としては最も下賤極まりない思考ではなかろうか。
年端もいかない若者が、最初から金持ちになる、出世がしたい、楽な生活がしたいという安直な希望で職業選択するというのであれば、これは極めて合理的かつ実践的な思考であるが、優秀であればこそ、あまりにも自己中心的で、そういう若者が軍隊という特殊社会の中で純粋培養されれば、国家が傾くのも当然の帰結である。
心の底にそういう潜在意識があったればこそ、いわば貧乏からの脱出の一番手っとり早い手法として、軍人への道があったものと思う。
今でも若者が公務員志望というとき、真っ先に思い浮かぶイメージは、一番安易で、一番安定度の高い、一番楽な仕事を選択しようとする軟弱な人間だなということだ。
昭和の軍人も、金銭欲には非常に淡白であったことは認めざるを得ないが、その代わり出世欲というか、仕事の私物化という面では抜き差しならないものがあったように思う。
そしてエリートの集団として、仲間意識の上に乗っかって、お互いの庇い合いもさることながら、学校時代の席次順位がことを左右するという不合理、不具合に仲間の中から何一つ反省点を見いだせなかった不見識を如何に説明するのであろう。
優秀な人材が集まったエリート集団ならば、席次順の職制、職責、作戦の采配が不合理なことは当然わかっているはずなのに、それを内側から是正しようとしない怠慢はどう説明するのであろう。
こういう状態だから第2次世界大戦中、よその国の軍隊から「日本の将校はアホばかりだが、兵卒は実に勇猛果敢だ」と評価されるのである。
考えてもみよ。14、5歳の若者が、その時点でいくら優秀であったとしても、それが10年20年後にその優秀さをそのまま維持しているかどうか、身の回りを見てみるがいい。
14、5歳の時優秀だと言われた若者は、おそらく進学しているので、その意味では学卒者として優秀というレッテルを維持しているかもしれないが、中身の程は誰にもわからないわけで、それを軍隊の中では頭から是認していたわけで、その結果として我々はそういうエリートたちによって奈落の底に突き落とされたではないか。
こういうエリートをもちあげたのは、いうまでもなく我々の側の大衆という有象無象の無責任な烏合の衆である。
中でも不思議なのが、美濃部達吉の「天皇機関説」であるが、この本の論旨の何処に彼を引きづり下ろすに値する要因があったのだろう。
昨日まで、何の差しさわりもなく講義できたものが、ある日突然ふさわしくない、不道徳だ等と、どうしてそういう支離滅裂な論理が罷り通るようになったのであろう。
これは明らかに国家レベルの個人に対するイジメに以外の何物でもない。
問題は、この時、美濃部氏を擁護する援軍が一人も出てこないという点である。
彼の同僚たちも皆逃げてしまって、「彼は間違っていない」と彼を擁護するものが一人も表れなかったという点が多いなる不思議である。
斎藤隆夫の粛軍演説でも、誰も彼をホローする者が現れなかったということは一体どういうことなのであろう。
この問題には、当時の政党の在り方というものが大きく問われているわけで、政党の在り方を問うということは、突き詰めると我々の議論の仕方、論議の仕方、話し合いの仕方を問うということでもある。
もっと別の言い方をすれば、近代的な政党政治というものが、統治する側もされる側もわかっていなかったということで、一言でいえば民主主義が未熟であったということに他ならない。
ロンドン軍縮協定でも、全権団が国を代表してまとめてきた内容を、「統帥権の干犯」と称して糾弾するなどという行為は、政党政治の最も悪い面が露呈したわけで、党利党略以外の何物でもない。
この時代、昭和の初期、軍部の独断専横ということは否定のしようもないが、それを許したのは政治家の無知蒙昧、私利私欲、党利党略という面も同時に存在していたわけで、こういうことが全部重なり合って、我々は群れをなして奈落の底に転がり落ちたというのが歴史であったのではなかろうか。
戦後になって、その犯人探しをする段になると、もうこの世には軍人という部類の人間は存在していないので、敗戦の責任を全部軍人の所為に押し付けて、口を拭っているのが戦後の知識人たちである。
戦の失敗としての敗戦の責任は軍にあるが、政治に軍人を関与させた、という意味の政治の失敗については政治家にも大いに責任がある。
その軍人になり替わって権勢をふるいだしたのがメデイアである。
戦前の軍人は、いわゆる井戸の中の蛙で、葦の髄から点を覗くという思考回路であったが、それに反し、政治家というのは浮草のように「あっちの水は甘い」といわれるとふらふらとそっちに行き、「こっちの水が甘い」といわれると、またふらふらと浮遊して自己愛に吸い寄せられ、保身に現をぬかしていたわけだが、この時、日本の知識人は口を閉ざして、じっと嵐の過ぎ去るのを待っていた。
その嵐が敗戦という形で通過すると一斉に芽を噴き出したわけである。
ところが中身の人間は、古い意識のままの日本人であるので、いくら表層の模様が民主的であろうとも、その本質はいささかも変わっていない。
軍人はこの世からいなくなったし、治安維持法は封殺されてしまったので、いわば戦後の知識人を抑圧するものは何一つ存在しなくなった。
そして出現したのが知識人の奢り、傍若無人な奢り高ぶった態度であったわけで、それは下賤なにわか成金の行動パターンと同じ様相を呈したわけである。
ここに冒頭に出てきたイギリスのインテリ―との違いがあるわけで、イギリスの貴族は乞食に落ちぶれても元貴族であるという威厳を保持し続けるが、日本の乞食は一獲千金で金持ちになると、とたんに身の程をわきまえず、野放図に振る舞い、再び元の黙阿弥に戻ってしまう。
個人の生き様としてはそれもゆるされる。
金を握った時に本人が良い目をしただけ本人の得であるが、これが社会問題となると普通の人の生活に大きな影響が出るわけで、その社会的な影響そのものが大問題なわけである。
著者は会田雄次である。実に妙な本であった。
冒頭に軍人勅論が記載されていた。
以降、その勅諭に基づいての考察が述べられているが、教育勅語しろ、軍人勅論にしろ、内容的には立派に今日でも通用するものであるが、今時こういうものを目の前に開陳されると、いささか面喰ってしまう。
著者の心情からすれば、今日の日本の現状があまりにもこういう精神からかけ離れてしまっているので、昔を回顧するという意味で、こういうものが冒頭に記されたのかもしれない。
軍人勅論なるものも、内容的には実に良いことを言っていると思うが、いかんせん現代人には読みにくくてかなわない。
この軍人勅論なるものは、明治12年、1882年に明治天皇によってだされたとなっているが、今から126年も前の文章なるがゆえに、我々には極めて読みにくいのもいた仕方ない。
同じ民族の書いたものが読めないということは、やはり考えものではなかろうか。
言語は進化するのが普通だとはいうものの、100年前の文章が読めないというのは、読む側の不勉強を責めるよりも、書き記す側の責任ではなかろうか。
そういう愚痴はさておいて、その内容は極めて正鵠を得ているわけで、今日でも立派に通用する。
ただ惜しむらくは昭和の軍人たちは、そのことごとくがこの軍人勅論を蔑にしてきたことが悔やまれてならない。
しかし、逆転の発想からすれば、昭和の軍人達がこの軍人勅論を蔑にした結果として、新生日本に生まれ変われた、という言い方も成り立つと思う。
ただし、それには想像を絶する犠牲が伴ったわけで、そういうマイナスの面があったことも事実で、新生日本に生まれ変わるにはあまりにもリスクが大きすぎた、ということも周知の事実である。
この会田雄次という大学者は、この軍人勅論の中から、日本人の本質を探し出そうとしている。
彼自身、一兵卒としてビルマ戦線で戦い、戦後、そこでイギリス軍の捕虜収容所で、イギリス軍の実態を垣間見た経験を織り交ぜながら話を展開しているので、イギリス軍と自分の同胞の軍隊を比較検討することで、我々の側の本質をより明確に浮き彫りにしている。
我々は四周を海で囲まれた民族なので、他民族との接触が極めて希薄な環境で生を維持してきた。
よって、他民族と接するときに、相手に対してどういう対応をしたらいいのか、大衆レベルでは不可解なままでいた。
そのことによって我々は異民族との接触の仕方が極めて稚拙で、それがためいらぬ摩擦を生じせしめている場合が多々あるようだ。
明治維新以降、日本政府は西洋に追いつき追い越せという意味合いで、ヨーロッパに数多くの人間を派遣して西洋の思想、思考、技術の習得に努めたが、そういう機会に恵まれた人は少数で、大部分の大衆というものは異民族に対して無知のままであったに違いない。
この著者は、自らの体験で、イギリスの軍隊では将校と下士官では階級章を見なくとも遠目でもはっきりとその差異がわかると述べているが、さもありなんと思う。
というのは、イギリスは昔も今もれっきとした階級社会で、それは産業革命を経ても歴然と残っているということである。
他の本でも読んだことがあるが、イギリスでは乞食でも威張っているという話を聞いたことがあるが、まさしくそういう気風が今日でも生きているということなのであろう。
イギリスには青白きインテリーというのはありえないということだが、さもありなんと思う。
インテリ―というのは貴族で、貴族ならば生育の過程でスポーツ万能に仕立て上げられ、その上に学識経験が加味されるので、イギリスの将校は貴族なるがゆえに、実に勇猛果敢で、日本のインテリ―のように学識のみが優先して、青白く軟弱な将校はいないということであるが、確かにそうだと思う。
貴族には貴族としてのノブレスオブリージがあって、下士官と同じ人間ではなく、一段と上に君臨する誇りと名誉を自覚しているということだ。
下士官というのは一般社会に出れば大衆という位置づけなわけで、彼らは彼らで分をわきまえて、貴族になろうともしなければ、貴族と同じ待遇を要求しようとも思っていないようだ。
此処で「人は生まれながらにして平等だ!」などという思考は全面否定されているということで、誰もそんなことを信じている者がいないということだ。差別を是認しているということだ。
貴族と庶民はあらゆる面で厳然と住み分けをしていたわけで、それが好むと好まざると軍隊という組織の中に集約されても、その生活態度が外側からはっきりと認識し得る、という趣旨の言葉である。
それに対比して、我々の社会を見てみると、我々の社会は実に画一的で、均一的で、同質的なわけで、我々の社会には金持ちと貧乏人の差はあるが、それは常に社会に中で輪廻転生しているわけで、金持ちが何世代も金持ちのまま、貧乏人は何時までも貧乏人のままということはありえない。
親の職業を子がそのまま継ぐということすら昨今では稀なケースで、我々の場合は、何時も子の世代は親の世代を乗り越えて進化している。
ある意味で「極めてバイタリティ―に富んでいる」という言い方にもなるが、逆にいうと、それは社会そのものが川の中の浮草のように、時流というものに翻弄され続け、あっち行ったりこっちに流れ着いたりと、ふわふわしているということでもある。
そしてそれは人間というものに対する見方にも顕著に表れるわけで、彼らがアジア人を見る視線というのは、あくまでも動物に対する視線であって、アジア人を最初から人とみなしておらず、家畜の延長ぐらいにしか見ていないのである。
こういう彼らの生き様も、彼らは歴史から習得したことであって、それはヨーロッパという地域で、侵略したりされたりという彼らの経験則がそういう思考に至らしめたと考えざるを得ない。
やらなければやられるという。戦争である以上、如何なる手段を講じても勝たねば意味をなさない。
そのためには人としての良心も、同情も、慈愛の心も、倫理も、すべて投げ捨てて、とにかく勝つという一事に神経を集中させて、その為にはあらゆる手段を講ずるという発想である。
第2次世界大戦というのは、既にこの時点で地球は大いにグローバル化していたわけで、世界各国は連携し合っていたわけだが、こういう状況下では、仲間以外のよそ者に自分達の手の内を見られては不味いわけで、そういう意味でも彼らは非常に狡猾な手段を弄していた。
例えば、戦闘の最中に相手が戦闘意欲を失って投降してくると、こちら側ではそれらを捕虜として処遇しなければならない。
交戦中に敵の人間を無為徒食のまま生かして連れまわすなどということは、如何なる軍隊でも厄介なことに違いない。
ところが既にグローバル化した国際社会では、そうすることが義務つけられていたが、それは人間の崇高な理念であることは間違いないが、現場では敵性人間に食料をあたえつつ、引き連れて移動するなどということは、面倒なことは言うまでもない。
よって、如何なる国でも投降してきた人間を捕虜として遇するよりも、戦闘中の行為として殺してしまった方が面倒がないことは言うまでもない。
そういうケースで、我々の軍隊も、そうせざるを得ない選択を迫られたが、その殺し方が下手くそなわけで、後になって日本軍は残酷だということになってしまった。
イギリス人は捕虜の殺し方が上手だったので、同じ無意味な殺傷でも、そういう声が出てこない。
イギリス人のやり方は、捕虜に対して故意に不衛生、あるいは食料を制限してわざと病気にさせて、病死させてしまうわけで、病死ならばどこからも文句のつけようがないということになる。
我々の場合は、あからさまに銃殺したり、日本刀で切ったりするから如何にも残酷な悪魔というイメージをを第3者に植え付けてしまう。
同じ人を殺すにも、先のことを考え、国際社会の評判のことを考え、人道という仮面をかぶりつつ、怨恨を晴らすという発想は、我々には思いもつかない思考で、その意味で我々は実に世渡りというか、国際社会の中の立ち居振る舞いが稚拙だということになる。
この本の著者、会田雄次は、本人の体験としてイギリス人の狡猾さを語っているが、同じことはアメリカ人についても全く同じことがいえるわけで、彼らは彼らでイギリス人同様に狡猾で、それも十分に肝に銘じておかなければならないと思う。
だから反米になれということではない。
こういう短絡的な思考が、日本人特有のものの見方で、日本がドイツと同盟を結ぶ直前まで、ドイツは中国に味方して上海で日本を敵として戦っていたにもかかわらず、その敵とあっさり同盟を結ぶという発想は一体何であったのだろう。
そもそもドイツを信用した日本が浅はかであったことは否めない。
ヒットラーの本質を見抜けなかった我々の先輩諸氏は、ものを知らなすぎたということに他ならない。
ものを知らないという面では、ドイツを知らなったばかりでなく、イギリスについてもアメリカについても全くその本質を知らずにいたということである。
もっといえば中国についてもロシアについても知らなかったということにつながる。
イギリスについてもアメリカについても中国についてもロシアについても何も知らなかったということは、世間について、あるいは国際社会について何にも知らなかったということになるわけで、それは自分自身についても何もわかっていないということにつながる。
それを私の言い方で表現すれば、高級軍人が官僚主義に陥って、教育勅語、軍人勅論を何一つ順守していなかったからだということになる。
教育勅語、軍人勅論でも内容的には極めて示唆に富んだ良いことを述べているわけで、これを順守していれば、日本が奈落の底に転がり落ちるなどということはあり得なかった。
ところが、軍部の高級官僚たちが、そういうものを無視しておきながら、下のものにその順守を強要していたので日本そのものが破たんしたのである。
古今東西、軍人(将校は列外である)・兵隊になるというのは、下賤な思考であって、基本的に軍隊というのは人の嫌がるか下等な職域であったはずである。
にもかかわらず、明治以降の日本の貧乏人にとって、職業軍人になるということは立身出世の一番の近道と映ったわけで、だからこそ若くて優秀な人材が集まったというのは、そこに集まってきた若くて優秀であるべき人たちが、立身出世を夢見た下賤な人間たちであったということに他ならない。
出世が出来るから、楽な生活が出来るから、収入が良いから、という理由でそういう職業に群がるというのは、私欲の達成という意味では妥当な選択ではあるが、これも言い方を変えれば一番セコイ職業選択であり、若者の考え方としては最も下賤極まりない思考ではなかろうか。
年端もいかない若者が、最初から金持ちになる、出世がしたい、楽な生活がしたいという安直な希望で職業選択するというのであれば、これは極めて合理的かつ実践的な思考であるが、優秀であればこそ、あまりにも自己中心的で、そういう若者が軍隊という特殊社会の中で純粋培養されれば、国家が傾くのも当然の帰結である。
心の底にそういう潜在意識があったればこそ、いわば貧乏からの脱出の一番手っとり早い手法として、軍人への道があったものと思う。
今でも若者が公務員志望というとき、真っ先に思い浮かぶイメージは、一番安易で、一番安定度の高い、一番楽な仕事を選択しようとする軟弱な人間だなということだ。
昭和の軍人も、金銭欲には非常に淡白であったことは認めざるを得ないが、その代わり出世欲というか、仕事の私物化という面では抜き差しならないものがあったように思う。
そしてエリートの集団として、仲間意識の上に乗っかって、お互いの庇い合いもさることながら、学校時代の席次順位がことを左右するという不合理、不具合に仲間の中から何一つ反省点を見いだせなかった不見識を如何に説明するのであろう。
優秀な人材が集まったエリート集団ならば、席次順の職制、職責、作戦の采配が不合理なことは当然わかっているはずなのに、それを内側から是正しようとしない怠慢はどう説明するのであろう。
こういう状態だから第2次世界大戦中、よその国の軍隊から「日本の将校はアホばかりだが、兵卒は実に勇猛果敢だ」と評価されるのである。
考えてもみよ。14、5歳の若者が、その時点でいくら優秀であったとしても、それが10年20年後にその優秀さをそのまま維持しているかどうか、身の回りを見てみるがいい。
14、5歳の時優秀だと言われた若者は、おそらく進学しているので、その意味では学卒者として優秀というレッテルを維持しているかもしれないが、中身の程は誰にもわからないわけで、それを軍隊の中では頭から是認していたわけで、その結果として我々はそういうエリートたちによって奈落の底に突き落とされたではないか。
こういうエリートをもちあげたのは、いうまでもなく我々の側の大衆という有象無象の無責任な烏合の衆である。
中でも不思議なのが、美濃部達吉の「天皇機関説」であるが、この本の論旨の何処に彼を引きづり下ろすに値する要因があったのだろう。
昨日まで、何の差しさわりもなく講義できたものが、ある日突然ふさわしくない、不道徳だ等と、どうしてそういう支離滅裂な論理が罷り通るようになったのであろう。
これは明らかに国家レベルの個人に対するイジメに以外の何物でもない。
問題は、この時、美濃部氏を擁護する援軍が一人も出てこないという点である。
彼の同僚たちも皆逃げてしまって、「彼は間違っていない」と彼を擁護するものが一人も表れなかったという点が多いなる不思議である。
斎藤隆夫の粛軍演説でも、誰も彼をホローする者が現れなかったということは一体どういうことなのであろう。
この問題には、当時の政党の在り方というものが大きく問われているわけで、政党の在り方を問うということは、突き詰めると我々の議論の仕方、論議の仕方、話し合いの仕方を問うということでもある。
もっと別の言い方をすれば、近代的な政党政治というものが、統治する側もされる側もわかっていなかったということで、一言でいえば民主主義が未熟であったということに他ならない。
ロンドン軍縮協定でも、全権団が国を代表してまとめてきた内容を、「統帥権の干犯」と称して糾弾するなどという行為は、政党政治の最も悪い面が露呈したわけで、党利党略以外の何物でもない。
この時代、昭和の初期、軍部の独断専横ということは否定のしようもないが、それを許したのは政治家の無知蒙昧、私利私欲、党利党略という面も同時に存在していたわけで、こういうことが全部重なり合って、我々は群れをなして奈落の底に転がり落ちたというのが歴史であったのではなかろうか。
戦後になって、その犯人探しをする段になると、もうこの世には軍人という部類の人間は存在していないので、敗戦の責任を全部軍人の所為に押し付けて、口を拭っているのが戦後の知識人たちである。
戦の失敗としての敗戦の責任は軍にあるが、政治に軍人を関与させた、という意味の政治の失敗については政治家にも大いに責任がある。
その軍人になり替わって権勢をふるいだしたのがメデイアである。
戦前の軍人は、いわゆる井戸の中の蛙で、葦の髄から点を覗くという思考回路であったが、それに反し、政治家というのは浮草のように「あっちの水は甘い」といわれるとふらふらとそっちに行き、「こっちの水が甘い」といわれると、またふらふらと浮遊して自己愛に吸い寄せられ、保身に現をぬかしていたわけだが、この時、日本の知識人は口を閉ざして、じっと嵐の過ぎ去るのを待っていた。
その嵐が敗戦という形で通過すると一斉に芽を噴き出したわけである。
ところが中身の人間は、古い意識のままの日本人であるので、いくら表層の模様が民主的であろうとも、その本質はいささかも変わっていない。
軍人はこの世からいなくなったし、治安維持法は封殺されてしまったので、いわば戦後の知識人を抑圧するものは何一つ存在しなくなった。
そして出現したのが知識人の奢り、傍若無人な奢り高ぶった態度であったわけで、それは下賤なにわか成金の行動パターンと同じ様相を呈したわけである。
ここに冒頭に出てきたイギリスのインテリ―との違いがあるわけで、イギリスの貴族は乞食に落ちぶれても元貴族であるという威厳を保持し続けるが、日本の乞食は一獲千金で金持ちになると、とたんに身の程をわきまえず、野放図に振る舞い、再び元の黙阿弥に戻ってしまう。
個人の生き様としてはそれもゆるされる。
金を握った時に本人が良い目をしただけ本人の得であるが、これが社会問題となると普通の人の生活に大きな影響が出るわけで、その社会的な影響そのものが大問題なわけである。