ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「遥かなる昭和」

2008-11-13 09:07:39 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「遥かなる昭和」という本を読んだ。
著者は緒方竹虎氏の三男、四十郎氏である。
昭和初期の朝日新聞のトップの子弟という環境で、この著者の生い立ちというのは一般庶民のものとは大いに異なっている。
それは白洲次郎の生い立ちとまさに酷似しているわけで、日本の典型的な金持ちの生活である。
19世紀に台頭した共産主義というのは、こういう金持ちの存在を社会悪という認識から根絶やしにしなければならないという発想に陥っていたが、それはいわゆる貧乏人のやっかみにすぎなかったことを歴史が証明している。
産業革命を経た人類は、大量生産によって培われた大量消費という社会の変革の中で、金持ちが貧乏人を抑圧した時期があったことは周知の事実であるが、金持ちが裕福な生活をしているという理由だけで、それを糾弾することは、人心にそぐわない。
人が本質的に持っている人間愛、人類愛という自然の摂理に思いが至らなかったことが共産主義の最大の欠陥だと思う。
確かに、金持ちの中にも利潤の追求に血眼になって、貧乏人、労働者、抑圧された人々をなおも抑圧して、何とも良心の呵責を感じない、人道にも劣る人たちがいたことは事実であろう。
そういう前例、あるいは歴史の教訓から、金持ちであるからという理由だけで、そういう人々を糾弾することも、これまた人道に反するわけで、それを率先垂範したのが20世紀初頭から今日に至る社会主義国の国々である。
この文中に描かれている、緒方竹虎とその三男の緒方四十郎の考え方の中には、イギリス風の社会主義を理想とする言辞があるが、それは共産主義と自由主義の良いとこ取りを狙った思考で、極めて虫のいい思考である。
共産主義者・共産党に丸がかりで政権を渡すのではなく、自由主義、あるいは資本主義体制のまま、その内実においては共産主義的な社会改造、金持ちの抑圧、貧乏人の底上げ、公平な社会を目そうというわけで、人間の生存にとって良いところだけをピックアップしようなどという考えは、虫が良すぎると思う。
かっては、旧ソビエット連邦の社会主義体制は、壮大な実験に終わって、今ではその揺り戻しも終局に近づき、安定化に向かいつつあるように見えるが、その間隙を突いてテロ集団がその中から沸き出ているように見える。
旧ソビエット連邦の社会主義体制が壮大な実験であったとしたならば、その犠牲になって命を落とした人々に対してどう説明できるのであろう。
2008年11月8日の中日新聞は、どういうわけか連合赤軍事件の永田洋子の特集を出しているが、旧ソビエット連邦の壮大な実験というのは、この連合赤軍のあさま山荘事件をはじめとする一連の事件を国家レベルまで拡大したようなもので、スターリンのやったことは、この永田洋子や森恒夫のしたことを同じであったわけだ。
ただ単なる思い込みで、罪もない人々を滅多矢鱈と殺したわけで、その単なる思い込みを当時の日本の知識人は、イデオロギーという綺麗事の言葉でまぶしていたわけである。
突き詰めれば、金を持った人間は、金を持っているというだけで極悪人で、生きるに値しない存在だ、というわけだ。
貧乏な農民と、貧乏な労働者のみが高貴な存在で、金を持ち、金を得るノウハウを持った人々は、こういう農民や労働者を搾取する存在だから殺してもかまわないという論法である。
よって共産主義革命というのは、金持ち、貴族、教養人、知識人というものを全部殺してしまったわけで、残ったのは無知蒙昧な農民と労働者のみで、こういう無知蒙昧な農民や労働者を指導すべきものは、共産党員でなければならないという論法に行きついたわけである。
共産党員だけが得する唯我独尊的な自分勝手な論理であって、逆差別であるにもかかわらず、日本の知識人というのは、こういう体制に限りない羨望のまなざしを向けていた。
指導すべき共産党員にも、農民や労働者階級から大量に人が流れこんてきたわけで、結果として従来の金持ち、貴族、教養人、知識人がいないものだから、無知蒙昧な農民や労働者が社会を運営することになり、それが失敗に行きつくことは必然であった。
無知蒙昧な農民や労働者が社会を運営したとしても、人間のすることは誰が考えても大した違いはないわけで、結果的に元の階層と同じことをするようになったわけである。
新旧、立場が変わっただけで終わったわけである。
共産主義革命というのは、従来の金持ち、貴族、教養人、知識人が切りまわしていた社会を、一度、御破算にして、再度、社会全般を構築し直したわけだが、その過程で殺されてしまった人はたまったものではない。
人間の営みの中で、富や財産というのは一朝一夕で出来るものではなく、長年の知恵と我慢と忍耐と努力で築き上げるものであって、それが蓄積されて金持ちにもなり、貴族にもなり、教養人知識人にもなるわけで、農民や労働者が金持ちになれないというのは、そういう知恵と努力が足らなかったからであって、基本的には個人の責任に帰する。
身分制度が厳しくて、機会均等でなかったという言い訳が、左翼的な思想からは聞こえるが、それはそういう環境の中で井戸から出ようとしなかっただけのことで、井戸から出ることなく従来の規範の中で細々と生きていく選択をしたからに他ならない。
封建制度が崩れたということは、時代とともに自分たちの井戸から出ることを目指した人の数が多くなったということであって、それこそが時代の流れであった。
こういう人間の営みの中で、金のあるものは自分の子弟に教育をつけさせた。
貧乏人は金がないのだから自分の子弟に教育をつけさせることが出来ず、朝から晩まで働かねばならなかったので、教養知性を身につける機会がなかった。
ここに人間としての品格というものが如実に現れるわけで、無教養なものと教養人の差が生まれる。
教養人の最大の誇りというか、教養人らしい振る舞いというのは、やはりノブレスオブリージだと思う。
教養人は、教養人としての立ち居振る舞いを確立して、それに誇りを持ち、その一挙手一投足が無教養なものと同じであってはならないと思う。
ところが昨今では、にわか成金というのが、大きくのさばってきて、生粋の教養人と見間違いしやすいが、これは経済の変動で従来の金持ちが没落すると同時に、成り金と称する階層が幅を利かすようになってきたことに関係する。
没落した元の金持ちでも、身につけたノブレスオブリージを維持している限りにおいては、尊敬に値するが、にわか成金のくせに金持ち然と振舞う人間には鼻もちならない。
こういう峻別も、接する側のセンスが入用なわけで、にわか成金の無教養をあざ笑うのも、金をもたない落ちこぼれた人の密かな楽しみではある。
この緒方四十郎氏の父親に対する回顧録は、そのまま昭和史であるが、あの昭和の初期の段階で、日本が奈落の底に転がり落ちる在り態は、何人も阻止できなかったというのは何とも不思議なことだ。
緒方竹虎氏がいくら中国の重慶政府と和平工作をしたとしても、アリ地獄に落ちる日本の勢いを阻止することはできなかったに違いない。
その根っこのところにある問題は、昭和初期の軍人の専横にあったことは言うまでもないが、その軍人の専横の理由を解き明かさない限り、歴史への反省は生まれてこない。
昭和初期に時代に、何故に軍人がああも威張り、何故に肩で風切る態度であったか、その威風堂々とした態度に日本の国民が何故に幻惑されたのか、真剣に考えるべきだと思う。
これは私の持論であるが、その理由は貧乏からの脱出願望であったと思う。
あの昭和初期の日本の将兵たちが、社会のどういう階層から出てきた人たちによって構成されていたかを考えると、基本的には貧乏な百姓、農家、農民であったわけで、このクラスの階層の中でも優秀な子供は、授業料免除の軍人の養成機関に入り職業軍人を目指したが、そうでないものはしばらく期間をおいて徴兵制で兵になったわけで、軍隊、軍人、職業軍人のすべての出自が貧乏人であったことになる。
この貧乏人の群れが、潜在意識の中に貧乏脱出の夢を海外に求めていたところに、海外雄飛などと綺麗な言葉に踊らされたので、浅薄な大衆としての将兵が、村山元首相の言う侵略に至ったわけである。
私、個人としては決して侵略などと思っていないが、昨今のわが政府は、これを政府の公式見解としているわけで、この地球上に190近くの主権国家があるが、自分の祖国を「他国を侵略をした悪い国」などという国が他にあるだろうか。
そもそも憲法9条の戦争放棄などというものを、「世界に例のない平和憲法」などという破廉恥な国が他にあるだろうか。
それはともかく、日本の貧乏な農家の子弟は、貧乏なるがゆえに教養知性に欠けていたわけで、そういう認識の当時の大衆の一部分としての将兵が、自分は貧乏百姓だと思っていたが、外地に出てみると自分よりももっと貧乏なものが掃いて捨てるほどいたわけで、そこで気が大きくなって尊大に振舞うようになったものと考える。
そこで、我々の古くからの慣習であるところの「人の振り見て我が振り直せ」を実践したわけで、一人の戦友が悪事を働くと、自分もそれぐらいならしても構わないだろうと判断して、それが連鎖反応した。
交戦国同士の前線では、大なり小なりこういう不合理な行為は如何なるバリエーションでもあったろうと想像するが、それが戦争というものの現実であって、国家の首脳が「侵略してしまったのでごめんなさい」と言うべきことではない。
問題とすべきは、前線で戦っている兵士の貧乏人根性ではなく、政府のトップにいた高級将校、高級軍人の百姓根性である。
彼らの卑しさは、自分の欲望を国家の問題にすり変えて、国家運営を私利私欲、あるいは私物化していた点である。
日本の軍人たちは、不思議なことに、私利私欲で私財を築くということには極めて淡白であったが、政治、戦争、国家運営というものを、自分の名誉心でコントロールしていた点である。
官僚としての省益というか、縦割りの組織の中の利害関係、あるいは先輩後輩という縦の関係、あるいはセクショナリズムで戦争を遂行していたわけで、それが国家の運営に直結していた。
そこには天皇はあっても国民不在であった。
天皇制のもとで、国民に向かっては忠君愛国を説きながら、天皇につかえる高級軍人が、天皇に嘘の報告をするというに至っては、我々はそういう高級軍人をどう考えたらいいのであろう。
日本の敵が、天皇の側近にいたということになるではないか。
自分が貧乏な百姓出身であるにもかかわらず、自分の出自を忘れて傲慢な振る舞いに至ったわけである。
「三つ子の魂百まで」という俚言があるが、いくら貧乏な百姓の出身であったとしても、学問を身につけ官僚として高位高官に上り詰めても、その立ち居振る舞い及び考え方の中に貧乏人根性というのは見え隠れするものだと思う。
個人の品位というものは3代続かないと本物にはならないと思う。
昭和の軍人たちが、金銭的には極めて淡白で、高位高官に上り詰めても守銭奴的に金を貯めるという行為はしなかったが、その代わり政治及び戦争というものを私物化してしまった。
国のためという大義に完全に盲目となり、この大義のために自分のなしていることが如何に愚劣であるかということがついにわからずじまいのまま消滅してしまった。
この大義の具体的な方便として、天皇の名を利用して、大義の実践の名分としたわけである。
そのことは当時の高級将校、高級参謀の人たちには、戦争というものの本質が全く分かっていなかったというわけだ。
戦争のプロとして、戦争、近代のあるいは現代の戦争というものが全く分かっていなかったわけだ。
さらに言うと、人間というものが全く理解されていなかったわけで、その中には中国人に対する認識も、アメリカ人に対する認識も含まれているが、そういう大きな視野に欠けていたわけで、そういう意味で私はこの時代の高級軍人たちを百姓根性といっているのである。
ただ惜しむらくは、この昭和の初期において、当時の政治家のだらしなさである。
一言でいえば、昭和初期の政治家、知識人、財閥のトップ、学者たちはテロが怖かったものと思う。
「自分は殺されるのではないか」という切迫観念は察して余りあるが、それに屈して沈黙をしたことが、軍人の独断専横を招いたことは確かだと思う。
軍人の独断専横ということは、具体的に下剋上の許容ということであって、この事実でもってしても、当時の青年将校と言われる百姓出身の若者の狭量さは、連合赤軍の永田洋子や森恒夫の思考およびその行為と五十歩百歩ではなかったか。
緒方竹虎も言論で以ってこういう風潮を阻止できなかったことを嘆いているが、時代の流れというものはメデイアでもってしても軌道修正は不可能ということなのであろう。
この「時代の流れ」という括り方でいうと、村山談話に依拠する政府見解というものも、いくら国民の間に不承認の意図があっても、それが時代の流れになっている限り、それを是正することは不可能だと思う。
昭和初期に日本の国民の全部が全部、軍国主義に陥ったのは、一言でいえば国民がバカだったということに尽きる。
今、村山談話が政府見解になっているということは、これも昭和初期の我々の同胞と同じで、国民がバカだということに尽きる。
21世紀の今日、限りない平和ボケのぬるま湯から脱却できないでいるのも、国民がバカだからである。
何時までもいつまでも金を要求され、何度もなんども謝罪を要求され、恥をかかされても、自らの生活が直接圧迫されていないので、人ごとのように思っている。
戦争を知らないものが、イメージで以って戦争を忌避し、観念で以って平和を希求しているが、それは砂上の楼閣に過ぎないことが分かっていない。
今の我々は、昭和初期には想像もできないほどの豊かな生活をエンジョイしているわけで、それこそ「金持ち喧嘩せず」であろうが、それは同時に民族の終局、没落の前触れでもある。
ロウソクの灯が消える前には一瞬、強烈に光り輝くが、それと同じだ。