ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「日本人はどこで歴史を誤ったのか」

2006-07-11 07:48:40 | Weblog
しばらく忙しくて本を読むゆとりがなかったが、久しぶり再開した。
例によって図書館から借りてきた本で、「日本人はどこで歴史を誤ったのか」という本を読んだが、奥付けを見てみると、著者、永沢道雄氏は1930年生まれ、朝日新聞の人間と記されており、読んでいて文中からそうではないかとうすうす感じられた。
どうして朝日新聞の人間は自らを卑下した独特の物言いになるのであろう。
自分が謙遜している分には謙譲の美徳というものだが、そう言いつつも、日本民族全部がまるで悪魔でもあるかのような言い方になっているのはどうしたことなのであろう。
題名から察して、明治維新から太平洋戦争で敗北するまでの日本の軌跡をたどって、我々が如何にアジアの諸民族を抑圧してきたのか、という点が論点になっているが、如何なる歴史でも、善悪とか、正義・不正義、良し悪し、正しいとか正しくないというという価値観では測りきれないと思う。
歴史を語るということは、人間の生き様を語るということであって、人が精一杯生きていくことに対して、あの生き方はいけない、この生き方は駄目だ、などとはいえないと思う。
日本のはやり歌に、「川の流れのように」という歌があるが、この歌は人の生き方を川の流れに例えているが、人の生き方をもう少しスケール・アップして、民族という括り方で捉えれば、侵略したとかしなかったとか、あの戦争が善だとか悪などという言葉は成り立たないと思う。
歴史を語るとき、この侵略という言葉はよほど注意して使わなければならない。
侵略という言葉には、いかにも悪いことというようなイメージが付きまとっているので、侵略戦争がいけないことは言うまでもないが、戦争で侵略でないものがあるであろうか。
水は自然の法則に則って高いところから低いところに流れるが、その流れていく過程で、壮大な滝となって流れ落ちることもあれば、深く淀んで流れがあるかないかのときもあるわけで、近代の主権国家というのは、この大きな水の流れの中の渦だと思う。
川底の地形の関係で安定した渦もあれば、消えてはまた出来、出来てはまたすぐで消える小さな渦もあるわけで、地球上に生きている人類の国家などというものは、この程度のものだと思う。
それは安定した流れのときもあれば、洪水で川の流れそのものが大きくうねったり、左右に振れたり、変わったりすることも日常茶飯事的にあるものと考えなければならない。
外部の要因で流れが変わることもあれば、水量の減少で自然消滅することもあるわけで、それを善だとか悪だとか、正しいとか正しくない、などという人間の一方的な価値観で規定できるものではないと思う。
明治維新で近代化に成功した日本が、アジアに触手を伸ばすということも自然の成り行きであったわけで、日本が明治維新で江戸時代という封建主義的な時代から脱皮したとしても、その時点でアジアが西洋列強並みに近代化を達成していたとすれば、日本の触手はアジア以外に向かっていたものと考える。
日本が近代化したとき、日本の隣に肥沃な荒野あったわけで、我々がそこに新天地を開こうとしたとしても、それは極自然な成り行きであったと思う。
中国大陸では有史以来連面とその自然の成り行き、人としての、民族としての営為が繰返されていたわけで、それが19世紀になって水が逆の方向から流れてきたとしても、驚くに当たらないと思う。
他民族との戦争、異民族の殺し合い、意見の合わないものの虐殺も、すべて人間の営みの中に埋没していると思う。だからこそ良し悪しでは語れない。
朝日新聞に籍を置く人の論調だと、日本が中国でしてきたことは全部が全部、悪いことだという論調で、中国の人は善意の塊で、日本人を全く殺してないが、我々は中国人を殺しまくったという言い方である。
これが自虐史観というものである。これが贖罪意識というものである。
奇麗事を言って人を惑わしているだけで自他共に生きた人間を直視していない。
人間の生き様というもの、ひいては民族の生き様、国家の生き様というものは、水の流れと同じで、高いほうから低いほうに流れるのが自然の摂理であって、それは人間という生き物に限って言えばパワーの強さが水の流れと同じ作用をするわけで、パワーつまり人間の生命力、民族の優劣、個々の人間の思考力の集大成というものによって左右されるのである。
明治維新以降太平洋戦争で敗北するまでの日本は、アジアに新天地を開こうと躍起になっていたが、それはアングロサクソン系の白人の反撃を受けて、その生き方は全面的に阻止されてしまった。
それで逆に、本来の日本の4つの島に押し込められてしまったが、これを機会に我々は、今までの生き様を180度転換して、新天地を他に求めるのではなく、自らが世界の工業地、世界の生産地、情報の発信基地に徹することにしたのである。
他に新天地を求めるということは第1次産業に徹するということであるが、第1次産業は端からあきらめて、第2次産業、第3次産業で立国するように考え方を大転換したのである。
これも、川の流れの中の渦巻きが、他の要因やら川の水そのものの変化で、我々の日本、日本国家という渦も大きく変化したのである。
しかし、日本という国、我々の民族というのは、アジアという大きな自然の本流からは離れてありえないわけで、常に本流というものを注視し続けて、それに上手に対応しなければならいことは昔も今も変わりはない。
明治から昭和初期までの日本のアジアに対する対応の仕方というのは実に稚拙であった。
これは無理もない話だと思う。
相手は4千年からの歴史のある国で、侵略したりされたたりが日常茶飯事のことなのだから、東夷の倭の国が近代化に少々先んじたからといっても、その懐の深さでは到底太刀打ちできない。
日本の対応のまずさには、メデイアの責任が非常に大きく作用しているはずだが、我々の同胞は、誰もそのこと指摘しない。
日本のジャーナリズムというのは実に愚劣極まりない存在で、日本の過去の過ちは国民の全部がすべからくジャーナリズムに無分別、無思慮のまま踊らされたことに起因している。
我々の同胞はメデイア、ジャーナリズムの報ずることは全部真実だと思い込んでいるが、このことが我々が過去に奈落の底に転がり落ちた最大の原因である。
昭和の初期の段階ならば、日本国民は新聞の報ずることは皆真実だと思い込んでいたが、これが蓋を開けてみると真っ赤な大嘘であったわけで、メデイアが嘘を報じているということを為政者すらも信じて疑わなかったところに禍根があった。
我々は今でも、ともするとメデイアを不信の目で観ることに躊躇しがちであるが、これが危ない。