「マッカーサーが捜した男」という本を読んだ。
例によって図書館から借りた本であるが、題名から、マッカーサーが対日占領政策を遂行するために、彼・浜本正勝の知恵を借りようと探していた、という風に思って読み進んでみると、真相は全く逆で、彼をとっちめるためにマッカーサーが探していたということだ。
で、その内容というのは、浜本正勝氏の自叙伝というものに近い。
しかし、本人が書いた自分史ではないわけで、著者が本人にインタビューをして、それと本人から家族宛に出された手紙等をかき集めて、その人となりを作り上げた作品である。
彼、浜本正勝氏の生涯が波乱に富んだ人生であったので、普通の読み物としても非常に面白いものではあるが、凡人のありきたりの人生では、こういう読み物にはなりえないであろう。
彼、浜本正勝氏はハワイで育ち、ハーバードを卒業して、戦前に日本進出したGMという自動車会社に就職し、こういう外資系の会社が戦争という不可避的な運命に翻弄され、当然、立ち行かなくなった後、自分を軍部に売り込んで、軍という組織の中でも無位無官を通し、無位無官なるがゆえに高位高官から親しまれ、寵愛を受け、それが又本人の身を助けるという、実に万丈波乱に富んだ人生を過ごした人のようだ。
彼の人生に一貫して貫かれていることは、彼がハーバードを出た、という特異な学歴である。
彼はハワイで受けた中等教育で、アメリカ国籍ではないという屈辱から、アメリカで一番難しい大学に挑戦することでアメリカ人を見返すつもりであったらしいが、それが出来る天与の資質も本人が併せ持っていたから、それが可能であったに違いない。
彼は、基本的にはビジネスマンであったが、戦時中はビジネスの手腕を発揮する場が見当たらなかったので、軍に寄生して、フイリッピンで日本軍と協力しつつ、フイリッピン政府の便宜をも図りつつあったようだ。
ここで、ストーリーの端々に出てくる我が同胞のモラルの低さ、というものを今我々はどう考えたらいいのであろう。
我々同胞が、外国人と接する場合、紅毛碧眼の白人に対してはそうでもないが、アジア系の人間に対するときは、何ゆえにああも傲慢、不遜、威張り散らすのであろう。
この本の中にも、ちらりと出ていたが、外国人が書いた日本人論というのは、あまりにも持ち上げすぎだと思う。
我々、日本人の一般大衆というのは、一部の外国人が言うように、そうそう立派な人ばかりではない。
これは、どの民族を取っても、その民族の全部が立派な人ばかりということはありえないが、我々の同胞も、外国の地で、同胞だけになると、何ゆえに現地の人を卑下し、ああも威張りたがるのであろう。
人が威張るとか傲慢な態度をとるということは、その人の抑圧された気持ちの裏返しの心理ではないかと思う。
常に上から押さえつけられている人が、その抑圧から解放されたとき、その緊張感が周囲に向かって一気に爆発するわけで、ある種のコンプレックスの発露ではなかろうか。
だから自分一人のときは、自制心が働いて、猫を被っているが、仲間が多くいたり、集団となると急に気が大きくなって、自制心の歯止めが効かなくなってしまうのではなかろうか。
彼は、日本軍の占領下のフイリッピン・マニラで、そういうものを沢山目にしてきたに違いない。
彼の場合、英語という武器で、フイリッピンの為政者と日本軍との橋渡しのような役をしていたわけで、そういう立場からも、彼は同胞の汚い部分をそうとう目の当たりにしてきたに違いない。
フイリッピンの為政者を、日本の圧力から救ったという面も多々あろうが、戦争中という立場からすれば、アメリカからすれば、彼が英語を話せるだけに、アメリカに敵対する人間として、アメリカの国益を損なう立場として写っていたとしても何ら不思議ではない。だからこそマッカーサーは彼を追い求めていたに違いない。
戦時中の話でよく出てくる、憲兵というのは日本の兵制の中で、どういう位置づけにあったものであろう。
憲兵隊に引っ張られて拷問を受けたということをよく聞くが、これは当時の日本の兵制の中でどういう根拠でこういうことが罷り通っていたのであろう。
あの当時、軍人が同胞に対しても威張っていたと言うことはよくきくが、普通の軍人が一般人に対して威張る根拠はいったい何処にあったのであろう。
立会演説会などでも、軍人が「弁士、黙れ!!」といって、それが通るということは一体どういうことなのであろう。
憲兵というのは私の認識では軍人の警察であって、一般人にまでは管轄権がないように思えるが、何故、管轄権のないところまで彼らがシャシャリ出ることが出来たのであろう。法的根拠は何もなかたのではなかろうか。
ということは、軍服を着て大声で高飛車に出れば、それが通ってしまったということではなかろうか。
日本の社会は縦割り社会で、その縦割りなるがゆえに、それが諸悪の根源かのように言われているが、戦前、戦中においても陸軍は陸軍省、海軍は海軍省、警察は内務省と、立派に縦割りであったはずなのに、何故に特高警察や憲兵がごちゃごちゃになって不穏分子の抑圧に成ったのであろう。
こういう形で問題提起をすると、それは当時の為政者が劣悪であった、という言い方になりがちであるが、その劣悪な為政者を盛り立てたのは、ほかならぬ国民の側だと思う。
戦前の日本人の中にも、アメリカと戦争して勝てる見込みはありえない、という思考の人間は沢山いたに違いないと思う。
アジアで我々が威張り散らしていては、いづれ反感を買うことがわかっていた同胞も沢山いたと思う。
けれども、そういう人達も、同胞の為政者にそれを説く人がいなかったということは、為政者のみが悪いのではなく、そういう為政者を支持した同胞も同じように罪深いものがあると思う。
そういう反省は、本来、我々同胞の識者の中から出てこなければおかしいと思うが、戦後、我々は、あの戦争の反省として、そのすべてを戦勝国が裁いた当時の我が同胞の為政者に押し付けて。それで禊が済んだかのように振舞っている。
いままで「撃ちてし止まん」といっていたものが、一夜明ければ、「一億総懺悔」で元軍人も、元教師も、元新聞記者も、元国粋主義者も、元右翼も、戦争責任をすべてA級戦犯に押し付けて、自分は口を拭っているわけである。
A級戦犯として刑場の露と消えた人々に本当に責任があったとしたならば、朝日新聞も、毎日新聞もNHKも一度は企業を解体しなければならなかったと思う。
アメリカ占領軍は、自分達で軍政を敷くよりも、当時曲がりなりも機能していた旧官僚システムと利用したほうがコスト削減が図れると考えて、間接統治をしたのであろうが、戦前の日本で、日本国民に戦争を煽り続けたのは、これらのメデイアであったわけで、そのことを考えれば占領軍はこういうメデイアを一度は根絶しておかなければならなかったと思う。
彼らがそこを見落したのは、こういうメディアが民間企業であったからだと思う。
民間の新聞社が国と一体となって戦意高揚の記事を書き、国民を戦争にと駆り立て、「軍国の母」などと戦争被害者を奉り続けたことを我々は真摯に直視しなければならない。
この本の主旨は、そういうことを告発するものではないが、彼の生き様を間接的に見ると、当時の世相の欠陥が垣間見えてくるわけで、その世相の欠陥というのはメデイアのよって増幅もされれば修正もされるものと考える。
「国家の品格」、「民族の品格」というのはメデイアのよって培養され、啓発され、普及され、定着するものだと思う。
戦前の日本人がアジアで威張り散らし、現地の人々を侮蔑し、戦後の日本人が世界で札びらを切って売買春に明け暮れ、傲慢な態度をするということは、世界的視野で見て褒められるべき行為ではないはずであるが、それもこれもメデイアに踊らされている、煽り立てられている、我が同胞の真の姿なわけで、我が同胞というのはこの程度の人間だと思わなければならない。
我が国の高等教育が、モラルを教える場ではなかった、という点が返す返すも残念でならない。
世の識者といわれる人はこの点をどう考えているのであろう。
例によって図書館から借りた本であるが、題名から、マッカーサーが対日占領政策を遂行するために、彼・浜本正勝の知恵を借りようと探していた、という風に思って読み進んでみると、真相は全く逆で、彼をとっちめるためにマッカーサーが探していたということだ。
で、その内容というのは、浜本正勝氏の自叙伝というものに近い。
しかし、本人が書いた自分史ではないわけで、著者が本人にインタビューをして、それと本人から家族宛に出された手紙等をかき集めて、その人となりを作り上げた作品である。
彼、浜本正勝氏の生涯が波乱に富んだ人生であったので、普通の読み物としても非常に面白いものではあるが、凡人のありきたりの人生では、こういう読み物にはなりえないであろう。
彼、浜本正勝氏はハワイで育ち、ハーバードを卒業して、戦前に日本進出したGMという自動車会社に就職し、こういう外資系の会社が戦争という不可避的な運命に翻弄され、当然、立ち行かなくなった後、自分を軍部に売り込んで、軍という組織の中でも無位無官を通し、無位無官なるがゆえに高位高官から親しまれ、寵愛を受け、それが又本人の身を助けるという、実に万丈波乱に富んだ人生を過ごした人のようだ。
彼の人生に一貫して貫かれていることは、彼がハーバードを出た、という特異な学歴である。
彼はハワイで受けた中等教育で、アメリカ国籍ではないという屈辱から、アメリカで一番難しい大学に挑戦することでアメリカ人を見返すつもりであったらしいが、それが出来る天与の資質も本人が併せ持っていたから、それが可能であったに違いない。
彼は、基本的にはビジネスマンであったが、戦時中はビジネスの手腕を発揮する場が見当たらなかったので、軍に寄生して、フイリッピンで日本軍と協力しつつ、フイリッピン政府の便宜をも図りつつあったようだ。
ここで、ストーリーの端々に出てくる我が同胞のモラルの低さ、というものを今我々はどう考えたらいいのであろう。
我々同胞が、外国人と接する場合、紅毛碧眼の白人に対してはそうでもないが、アジア系の人間に対するときは、何ゆえにああも傲慢、不遜、威張り散らすのであろう。
この本の中にも、ちらりと出ていたが、外国人が書いた日本人論というのは、あまりにも持ち上げすぎだと思う。
我々、日本人の一般大衆というのは、一部の外国人が言うように、そうそう立派な人ばかりではない。
これは、どの民族を取っても、その民族の全部が立派な人ばかりということはありえないが、我々の同胞も、外国の地で、同胞だけになると、何ゆえに現地の人を卑下し、ああも威張りたがるのであろう。
人が威張るとか傲慢な態度をとるということは、その人の抑圧された気持ちの裏返しの心理ではないかと思う。
常に上から押さえつけられている人が、その抑圧から解放されたとき、その緊張感が周囲に向かって一気に爆発するわけで、ある種のコンプレックスの発露ではなかろうか。
だから自分一人のときは、自制心が働いて、猫を被っているが、仲間が多くいたり、集団となると急に気が大きくなって、自制心の歯止めが効かなくなってしまうのではなかろうか。
彼は、日本軍の占領下のフイリッピン・マニラで、そういうものを沢山目にしてきたに違いない。
彼の場合、英語という武器で、フイリッピンの為政者と日本軍との橋渡しのような役をしていたわけで、そういう立場からも、彼は同胞の汚い部分をそうとう目の当たりにしてきたに違いない。
フイリッピンの為政者を、日本の圧力から救ったという面も多々あろうが、戦争中という立場からすれば、アメリカからすれば、彼が英語を話せるだけに、アメリカに敵対する人間として、アメリカの国益を損なう立場として写っていたとしても何ら不思議ではない。だからこそマッカーサーは彼を追い求めていたに違いない。
戦時中の話でよく出てくる、憲兵というのは日本の兵制の中で、どういう位置づけにあったものであろう。
憲兵隊に引っ張られて拷問を受けたということをよく聞くが、これは当時の日本の兵制の中でどういう根拠でこういうことが罷り通っていたのであろう。
あの当時、軍人が同胞に対しても威張っていたと言うことはよくきくが、普通の軍人が一般人に対して威張る根拠はいったい何処にあったのであろう。
立会演説会などでも、軍人が「弁士、黙れ!!」といって、それが通るということは一体どういうことなのであろう。
憲兵というのは私の認識では軍人の警察であって、一般人にまでは管轄権がないように思えるが、何故、管轄権のないところまで彼らがシャシャリ出ることが出来たのであろう。法的根拠は何もなかたのではなかろうか。
ということは、軍服を着て大声で高飛車に出れば、それが通ってしまったということではなかろうか。
日本の社会は縦割り社会で、その縦割りなるがゆえに、それが諸悪の根源かのように言われているが、戦前、戦中においても陸軍は陸軍省、海軍は海軍省、警察は内務省と、立派に縦割りであったはずなのに、何故に特高警察や憲兵がごちゃごちゃになって不穏分子の抑圧に成ったのであろう。
こういう形で問題提起をすると、それは当時の為政者が劣悪であった、という言い方になりがちであるが、その劣悪な為政者を盛り立てたのは、ほかならぬ国民の側だと思う。
戦前の日本人の中にも、アメリカと戦争して勝てる見込みはありえない、という思考の人間は沢山いたに違いないと思う。
アジアで我々が威張り散らしていては、いづれ反感を買うことがわかっていた同胞も沢山いたと思う。
けれども、そういう人達も、同胞の為政者にそれを説く人がいなかったということは、為政者のみが悪いのではなく、そういう為政者を支持した同胞も同じように罪深いものがあると思う。
そういう反省は、本来、我々同胞の識者の中から出てこなければおかしいと思うが、戦後、我々は、あの戦争の反省として、そのすべてを戦勝国が裁いた当時の我が同胞の為政者に押し付けて。それで禊が済んだかのように振舞っている。
いままで「撃ちてし止まん」といっていたものが、一夜明ければ、「一億総懺悔」で元軍人も、元教師も、元新聞記者も、元国粋主義者も、元右翼も、戦争責任をすべてA級戦犯に押し付けて、自分は口を拭っているわけである。
A級戦犯として刑場の露と消えた人々に本当に責任があったとしたならば、朝日新聞も、毎日新聞もNHKも一度は企業を解体しなければならなかったと思う。
アメリカ占領軍は、自分達で軍政を敷くよりも、当時曲がりなりも機能していた旧官僚システムと利用したほうがコスト削減が図れると考えて、間接統治をしたのであろうが、戦前の日本で、日本国民に戦争を煽り続けたのは、これらのメデイアであったわけで、そのことを考えれば占領軍はこういうメデイアを一度は根絶しておかなければならなかったと思う。
彼らがそこを見落したのは、こういうメディアが民間企業であったからだと思う。
民間の新聞社が国と一体となって戦意高揚の記事を書き、国民を戦争にと駆り立て、「軍国の母」などと戦争被害者を奉り続けたことを我々は真摯に直視しなければならない。
この本の主旨は、そういうことを告発するものではないが、彼の生き様を間接的に見ると、当時の世相の欠陥が垣間見えてくるわけで、その世相の欠陥というのはメデイアのよって増幅もされれば修正もされるものと考える。
「国家の品格」、「民族の品格」というのはメデイアのよって培養され、啓発され、普及され、定着するものだと思う。
戦前の日本人がアジアで威張り散らし、現地の人々を侮蔑し、戦後の日本人が世界で札びらを切って売買春に明け暮れ、傲慢な態度をするということは、世界的視野で見て褒められるべき行為ではないはずであるが、それもこれもメデイアに踊らされている、煽り立てられている、我が同胞の真の姿なわけで、我が同胞というのはこの程度の人間だと思わなければならない。
我が国の高等教育が、モラルを教える場ではなかった、という点が返す返すも残念でならない。
世の識者といわれる人はこの点をどう考えているのであろう。