ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

富田メモ

2006-07-21 07:46:23 | Weblog
昭和天皇がA級戦犯の靖国神社合祀に対して非常に不快感を持っておられたとする20日付けのニュースはこれからも日本社会に大きな波紋を残すであろう。
このことは昭和天皇も、連合軍が認定した戦前、戦中の日本の政治指導者、戦争指導者が悪玉、悪党であったという価値観を容認すると言うことである。
あの戦争を遂行した人に対する思いで、昭和天皇の考えも、連合軍の考えと一致していたということである。
敗戦、終戦の時点で、昭和天皇も、連合軍いわゆるマッカアサーと同じ価値観を共有していたということである。
つまり、A級戦犯と称せられる人たちは、連合軍から見ても、昭和天皇の側から見ても、明らかに敵であったということに他ならない。
このメモの中に語られている「松岡も、白鳥までもが・・・」という言葉には、あの戦争に駆り立てた人々に対する恨みつらみが込められているものと察する。
連合軍がA級戦犯と認定した人たちのすべてが妥当な選択でなかったことは言うまでもないが、明らかに妥当だと思われる人々が、他の英霊と同じように靖国神社に祭られることには納得できないという気持ちがあったに違いない。
A級戦犯という言葉は、便宜上、連合軍が使った言葉ではあるが、昭和天皇の立場からも、君の思いを踏み躙って無意味、無謀な戦争に駆り立てた悪人、悪党と思われても仕方がないような臣下が政治の中枢を握っていたわけで、そういう臣下にたいしては、殺してやりたいほど恨みを持ったとしても何ら不思議ではない。
天皇は常に平和思考であったにもかかわらず、ずるずると開戦の方向に国政を傾けていった臣下に対しては、陛下といえども恨み骨髄に思っていたものと考えなければならない。
ただ天皇という立場上、それが口に出来なかった悔しさは察して余りある。
「松岡も、白鳥までもが・・・」という言葉の中には、そういう人たちに対する嫌悪感が含まれていると思う。