例によって図書館から借りてきた本で、「夫婦は定年からが面白い」という本を読んだ。
今の自分の立場から、多少とも参考になるのではないかという下心で読んだが、参考にはならなかった。
無理もない話で、定年まで生き延びた人間が、人の意見に左右されるほど軟な精神状態であるわけないのだから、参考にならないのが当然である。
まあ、読み物として面白かった、という程度のことでしかない。
これも一種の随筆なのであろうが、最初に登場人物の概略が分かっていないことには、読んでいて反応にタイムラグが生じる。
前後の文脈から推察しなければならないので、そこが著者の狙いかも知れないが、私のようなセッカチな人間にはまどろっこしくてならない。
考えてみると、夫婦などは不思議な存在だと思う。
熱烈な恋愛で一緒になった夫婦だとて、その恋愛期間中に相手のすべてに納得したわけでもなかろう。
ある意味で、ぶっつけ本番で、直面してみなければわからない、という部分も抱え込みながら夫婦であり続けたに違いない。
しかし、夫婦であり続けるということは、双方で妥協と我慢、あるいは忍耐が強いられていたに違いない。
それぞれに個性を持ち、それぞれに自分の意思をもった者同士が一種に暮らすということは、そうでなければ存立しえない。
我々の世代は、多少とも古い封建主義の残滓を知っている。
結婚というものが、家と家の結びつきであったという時代をかすかながら知っている。
これは戦後の民主化で一気に崩壊したと思われているが、現実にはそう一気に消え去ったわけではなく、戦後もしばらくはそれを引きずっていた。
封建主義に下支えされた家父長制度というものがしばらくの間生きつづけたわけで、その犠牲となった女性も数多くいたに違いない。
これはひとえに日本の男性の問題だと思う。
日本の男性の怠慢だったと思う。
我々の中に連綿と生き続けていた封建主義というのは、儒教を根底とする男性有利な思考で、儒教を信奉している限り、男性は極めて有利なわけで、女性の犠牲の上に男性は胡坐をかいて生きておれたわけである。
完全に男尊女卑の世界で、女性には人格さえ認められなかったので、まさしく男性天国であったわけだ。
こういう状況を男性の側から改善しようという発想は起きるわけもなく、よって日本が敗戦で既存の倫理観が大転換を迫られたとき、新たに日本国憲法というもので婦人の権利というものが浮上してきたわけである。
われわれが今一度考えなければならない事は、この時日本の婦人の権利意識を啓発したのが、アメリカ占領軍のGHQの中で勤務していた、うら若き女性がこの問題にくさびを打ち込んだという事実である。
当時、若干23歳というゴードン・シロタという女性が、新憲法の中にこの項目を差し挟んだことで、日本の女性が解放されたという事実である。
私が言いたいのは、この時まで、当時の日本の文化人、知識人、教養人、インテリーとしての大人、日本の男性諸氏は一体何をしていたのかという疑問である。
口先では民主化、近代化を言いながら、女性の置かれた立場には何一つ理解を示そうとせず、自分たちに有利な位置はそのままにして、自分たちの気に入らない部分のみ民主化しようとしてもそれは得手勝手というものだ。
戦後の初期の段階で、外国の若干23歳の小娘の作った憲法の条文を、日本の文化人、知識人、教養人、インテリーとしての大人、日本の男性諸氏がその後一向に見直そうとしない不思議さである。
戦後は確かにこういう人たちも、食うや食わず生活を強いられていたことは言うまでもないが、問題はその時になって初めて日本の婦人たちが過酷な運命にさらされたわけではなく、日本の歴史上連綿と続いていたわけで、その間日本の男性は誰もそのことに気がつかなかったという点である。
日本の男性にとって、この儒教がもとになっている封建主義というのは極めて都合が良かったわけで、ぬるま湯にどっぷりとつかって自ら改革しようという気を起こさなかったというところにある。
日本の敗戦ということで、日本の男性支配の構図が全否定され、新しい憲法を押しいただいてみると、女性の権利が見事に光り輝いていたわけで、そこから女性の反乱が始まった。
戦後もしばらくは農村、いや日本の地方では、いままでの行きがかり上、農業が従来通りに営まれたが、そこに嫁いできた女性の方には、ぼつぼつと意識改革が浸透して、昔のように家訓に従順な嫁ではなくなってきた。
女性にもさまざまな人がいるわけで、意識改革に率先して飛び込む人と、躊躇する人がいるのは当然なので、一気に進むということはないが、徐々にではあるが農村の封建主義というのは崩壊してきた。
戦後の新しい民法では、親の遺産は子供同士で等分に分割することになった。
ここで長男以外の嫁がしゃしゃり出て、遺産相続が紛糾するわけであるが、これもある意味で女の反乱の一種である。
昔ならばここで長男とその嫁は遺産の大部分が相続できるが、新しい民法ではそうでなくなったので、長男の嫁というのは文字通り踏んだり蹴ったりの処遇ということになる。
女性の立場からすれば、誰が好き好んで奴隷以下の農家の嫁などになるものかというのは当然のことである。
これは嫁に来る側の問題ではなく、嫁を迎える側の問題であるにもかかわらず、日本の農家は、そのことに全く気がつかなかった。
農家自身が、農家に嫁を出すことを忌み嫌ったわけで、娘が可愛ければ可愛いほど、非農家に嫁がせようとした。これでは農村が疲弊するのも当然ではないか。
農家が自分の可愛い娘を農家に嫁がせれば、その娘が過大な苦労を背負い込むことを知っているがゆえに、非農家に嫁がせるわけで、それに気がつかない大人の世代は、まことに無責任だったと思う。
結局は、男性優位な封建主義というものに胡坐をかいて、女性の置かれた立場をいささかも理解することなく、従来の生活習慣のままで暮らしたいという思考が破たんしたということである。
この本の趣旨はそこを突くものではなく、長年連れ添ってきた夫婦が定年を迎えたとき如何にすべきかと問題提起しているわけだが、それには答えがあるわけではない。
各人各様になるようになるしかないと思う。
だいたい、大の大人が、定年になって「さて、どうしよう?!」と悩むこと自体が、大人になり切っていないと思う。
定年といえば昔は55歳であったが、今は60歳が普通だと思う。
60年も生きて、なおその間30年あるいは40年もサラリーマンをしていて、定年後如何に生きるべきか悩むような人間は、在職中何をしてきたのかと言いたい。
こんなサラリーマンだとしたら、在職中もまともな仕事をしていないに違いない。
人間の生き様というのは基本的には自己満足だと思う。
世のサラリーマンの中には立身出世を追い求めるものがいるのも事実であるが、これとても、どこで自己満足に折り合いをつけるかということだと思う。
もう一つうがった言い方をすれば、その人の持って生れた価値観の問題だと思う。
家庭を放り出して立身出世に走るか、立身出世を棒に振って家族を大事にするかは、その人の持って生れた価値感だと思う。
ただ両方を同時に得ようというのはあまりにも強欲すぎると思う。
男がいかなる価値感で仕事しようとも、仕事が出来るということは、家庭の内助の功があるが故であって、ここに家庭の主婦の在り方が大きく問われる。
戦後、女性の権利が確定して、女性が外で働くことも歓迎される風潮になったが、基本的に女性が外で働くというのは貧乏人の発想だと思う。
人間の基本的な自然の姿からは逸脱した行為だと思うが、現代の世の中というのは、最初から女性が働くことを前提に成り立っている。
封建主義の延長として女性を家に縛り付けて置くというのではない。
男と女という自然界の摂理では、やはり男は家の外で食料をあさる、労働をする、外敵から一族を守る、集団の統治を考えるのが本来の姿であり、女性は家の中で食事の世話をし、子育てをし、男が外に出やすいように心配りをするというのが、男と女の基本的な自然のままの姿だと思う。
「封建主義そのままではないか」という反論もあるだろうが、基本的に違うのは、男が家の中のことまで、つまり女性の領域まで自ら 管理しようとし、その際女性蔑視の思考が入り込むのが封建主義だと思う。
男が外で働き、女が家庭を守って、双方が対等に尊敬し合えば封建主義には至らないはずであるが、ここで男尊女卑の思想が入るので、女性が虐げられるという状況が生ずるのである。
20世紀後半から21世紀にかけては、民主化の波が広汎にいきわたり、女性蔑視の風潮は後退したが、男と女ではやはりまったく一緒というわけにはいかない。
自然界の定めた性差を無視するわけにはいかない。
男女の性差を正面から認めれば、社会生活の中で男女の違いというのはほとんど存在しないと思う。
昔の労働法では、女性保護という観点から、女性の仕事には様々な制約が設けられていた。
ところがこの女性保護という視点も、女性を寛大に扱うという思考の裏側には、かよわき女性を保護するという、女性差別の延長でもあるわけだ。
考えるべきは、女性が社会に出て働くという場合、その動機が最大の問題点だと思う。
人間、金が欲しいのは皆共通した願望であろうが、その時の価値観の優先順位が最大の問題のはずである。
子育てを放り出してもパートの金が欲しいのか、家の中を散らかしたままでもアルバイトで金を得たいのか、いい車、いい家が欲しいので身を粉にして働くのか、という点に行きつくと思う。
亭主が定年になって二人とも家の中にいるようになると、どう対処すべきかという問題は、この女性の価値観との衝突だと思う。
主婦として一応亭主の給料でやりくりし、子育てをし、暇つぶしでパートに出たとしても、それは基本的に亭主の扶養家族であろうが、亭主が一日中家の中にいるとなると、主婦としてもなにがしか従来のままでは良いわけない。
ここで大なり小なり発想の転換を迫られるわけで、ここで亭主の方が「定年になったから今から何をしようか?」では男の甲斐性があまりにもなさすぎると思う。
定年というのは生まれたときから、あるいは入社した時からくる期日は分かっているわけで、ある日突然来るわけではない。
これがリストラならばいつ自分に降りかかってくるはわからないが、いやしくも定年ならばそういうことはありえない。
ただ一般論として、定年前にあまり立派なことを言う人は、現実にはその言った通りのことをしていなケースが多いと思う。
世界旅行をするとか、晴耕雨読の生活をするとか、一念発起して何かをするというように、あまり立派なことを言う人は現実にはそうしていない。
一番無難な生き方は、やはり自然体で、近所付き合いから始め、地域のボランテイアから派生する様々な活動に手を染めていくことであろう。
定年になったということは、社会的には人間として完成を見たということで、そうがつがつすべきではないと思う。
定年まで来れたということは、自分の属した組織のおかげでもあり、心おきなく外で働けた内助の功もあったわけで、周囲の人々のおかげで定年まで勤め上げれたと思えば、残りの人生はそういう人たちへの恩返しの時期でもあると思う。
少なくとも私自身はそういう風に考えている。
今の自分の立場から、多少とも参考になるのではないかという下心で読んだが、参考にはならなかった。
無理もない話で、定年まで生き延びた人間が、人の意見に左右されるほど軟な精神状態であるわけないのだから、参考にならないのが当然である。
まあ、読み物として面白かった、という程度のことでしかない。
これも一種の随筆なのであろうが、最初に登場人物の概略が分かっていないことには、読んでいて反応にタイムラグが生じる。
前後の文脈から推察しなければならないので、そこが著者の狙いかも知れないが、私のようなセッカチな人間にはまどろっこしくてならない。
考えてみると、夫婦などは不思議な存在だと思う。
熱烈な恋愛で一緒になった夫婦だとて、その恋愛期間中に相手のすべてに納得したわけでもなかろう。
ある意味で、ぶっつけ本番で、直面してみなければわからない、という部分も抱え込みながら夫婦であり続けたに違いない。
しかし、夫婦であり続けるということは、双方で妥協と我慢、あるいは忍耐が強いられていたに違いない。
それぞれに個性を持ち、それぞれに自分の意思をもった者同士が一種に暮らすということは、そうでなければ存立しえない。
我々の世代は、多少とも古い封建主義の残滓を知っている。
結婚というものが、家と家の結びつきであったという時代をかすかながら知っている。
これは戦後の民主化で一気に崩壊したと思われているが、現実にはそう一気に消え去ったわけではなく、戦後もしばらくはそれを引きずっていた。
封建主義に下支えされた家父長制度というものがしばらくの間生きつづけたわけで、その犠牲となった女性も数多くいたに違いない。
これはひとえに日本の男性の問題だと思う。
日本の男性の怠慢だったと思う。
我々の中に連綿と生き続けていた封建主義というのは、儒教を根底とする男性有利な思考で、儒教を信奉している限り、男性は極めて有利なわけで、女性の犠牲の上に男性は胡坐をかいて生きておれたわけである。
完全に男尊女卑の世界で、女性には人格さえ認められなかったので、まさしく男性天国であったわけだ。
こういう状況を男性の側から改善しようという発想は起きるわけもなく、よって日本が敗戦で既存の倫理観が大転換を迫られたとき、新たに日本国憲法というもので婦人の権利というものが浮上してきたわけである。
われわれが今一度考えなければならない事は、この時日本の婦人の権利意識を啓発したのが、アメリカ占領軍のGHQの中で勤務していた、うら若き女性がこの問題にくさびを打ち込んだという事実である。
当時、若干23歳というゴードン・シロタという女性が、新憲法の中にこの項目を差し挟んだことで、日本の女性が解放されたという事実である。
私が言いたいのは、この時まで、当時の日本の文化人、知識人、教養人、インテリーとしての大人、日本の男性諸氏は一体何をしていたのかという疑問である。
口先では民主化、近代化を言いながら、女性の置かれた立場には何一つ理解を示そうとせず、自分たちに有利な位置はそのままにして、自分たちの気に入らない部分のみ民主化しようとしてもそれは得手勝手というものだ。
戦後の初期の段階で、外国の若干23歳の小娘の作った憲法の条文を、日本の文化人、知識人、教養人、インテリーとしての大人、日本の男性諸氏がその後一向に見直そうとしない不思議さである。
戦後は確かにこういう人たちも、食うや食わず生活を強いられていたことは言うまでもないが、問題はその時になって初めて日本の婦人たちが過酷な運命にさらされたわけではなく、日本の歴史上連綿と続いていたわけで、その間日本の男性は誰もそのことに気がつかなかったという点である。
日本の男性にとって、この儒教がもとになっている封建主義というのは極めて都合が良かったわけで、ぬるま湯にどっぷりとつかって自ら改革しようという気を起こさなかったというところにある。
日本の敗戦ということで、日本の男性支配の構図が全否定され、新しい憲法を押しいただいてみると、女性の権利が見事に光り輝いていたわけで、そこから女性の反乱が始まった。
戦後もしばらくは農村、いや日本の地方では、いままでの行きがかり上、農業が従来通りに営まれたが、そこに嫁いできた女性の方には、ぼつぼつと意識改革が浸透して、昔のように家訓に従順な嫁ではなくなってきた。
女性にもさまざまな人がいるわけで、意識改革に率先して飛び込む人と、躊躇する人がいるのは当然なので、一気に進むということはないが、徐々にではあるが農村の封建主義というのは崩壊してきた。
戦後の新しい民法では、親の遺産は子供同士で等分に分割することになった。
ここで長男以外の嫁がしゃしゃり出て、遺産相続が紛糾するわけであるが、これもある意味で女の反乱の一種である。
昔ならばここで長男とその嫁は遺産の大部分が相続できるが、新しい民法ではそうでなくなったので、長男の嫁というのは文字通り踏んだり蹴ったりの処遇ということになる。
女性の立場からすれば、誰が好き好んで奴隷以下の農家の嫁などになるものかというのは当然のことである。
これは嫁に来る側の問題ではなく、嫁を迎える側の問題であるにもかかわらず、日本の農家は、そのことに全く気がつかなかった。
農家自身が、農家に嫁を出すことを忌み嫌ったわけで、娘が可愛ければ可愛いほど、非農家に嫁がせようとした。これでは農村が疲弊するのも当然ではないか。
農家が自分の可愛い娘を農家に嫁がせれば、その娘が過大な苦労を背負い込むことを知っているがゆえに、非農家に嫁がせるわけで、それに気がつかない大人の世代は、まことに無責任だったと思う。
結局は、男性優位な封建主義というものに胡坐をかいて、女性の置かれた立場をいささかも理解することなく、従来の生活習慣のままで暮らしたいという思考が破たんしたということである。
この本の趣旨はそこを突くものではなく、長年連れ添ってきた夫婦が定年を迎えたとき如何にすべきかと問題提起しているわけだが、それには答えがあるわけではない。
各人各様になるようになるしかないと思う。
だいたい、大の大人が、定年になって「さて、どうしよう?!」と悩むこと自体が、大人になり切っていないと思う。
定年といえば昔は55歳であったが、今は60歳が普通だと思う。
60年も生きて、なおその間30年あるいは40年もサラリーマンをしていて、定年後如何に生きるべきか悩むような人間は、在職中何をしてきたのかと言いたい。
こんなサラリーマンだとしたら、在職中もまともな仕事をしていないに違いない。
人間の生き様というのは基本的には自己満足だと思う。
世のサラリーマンの中には立身出世を追い求めるものがいるのも事実であるが、これとても、どこで自己満足に折り合いをつけるかということだと思う。
もう一つうがった言い方をすれば、その人の持って生れた価値観の問題だと思う。
家庭を放り出して立身出世に走るか、立身出世を棒に振って家族を大事にするかは、その人の持って生れた価値感だと思う。
ただ両方を同時に得ようというのはあまりにも強欲すぎると思う。
男がいかなる価値感で仕事しようとも、仕事が出来るということは、家庭の内助の功があるが故であって、ここに家庭の主婦の在り方が大きく問われる。
戦後、女性の権利が確定して、女性が外で働くことも歓迎される風潮になったが、基本的に女性が外で働くというのは貧乏人の発想だと思う。
人間の基本的な自然の姿からは逸脱した行為だと思うが、現代の世の中というのは、最初から女性が働くことを前提に成り立っている。
封建主義の延長として女性を家に縛り付けて置くというのではない。
男と女という自然界の摂理では、やはり男は家の外で食料をあさる、労働をする、外敵から一族を守る、集団の統治を考えるのが本来の姿であり、女性は家の中で食事の世話をし、子育てをし、男が外に出やすいように心配りをするというのが、男と女の基本的な自然のままの姿だと思う。
「封建主義そのままではないか」という反論もあるだろうが、基本的に違うのは、男が家の中のことまで、つまり女性の領域まで自ら 管理しようとし、その際女性蔑視の思考が入り込むのが封建主義だと思う。
男が外で働き、女が家庭を守って、双方が対等に尊敬し合えば封建主義には至らないはずであるが、ここで男尊女卑の思想が入るので、女性が虐げられるという状況が生ずるのである。
20世紀後半から21世紀にかけては、民主化の波が広汎にいきわたり、女性蔑視の風潮は後退したが、男と女ではやはりまったく一緒というわけにはいかない。
自然界の定めた性差を無視するわけにはいかない。
男女の性差を正面から認めれば、社会生活の中で男女の違いというのはほとんど存在しないと思う。
昔の労働法では、女性保護という観点から、女性の仕事には様々な制約が設けられていた。
ところがこの女性保護という視点も、女性を寛大に扱うという思考の裏側には、かよわき女性を保護するという、女性差別の延長でもあるわけだ。
考えるべきは、女性が社会に出て働くという場合、その動機が最大の問題点だと思う。
人間、金が欲しいのは皆共通した願望であろうが、その時の価値観の優先順位が最大の問題のはずである。
子育てを放り出してもパートの金が欲しいのか、家の中を散らかしたままでもアルバイトで金を得たいのか、いい車、いい家が欲しいので身を粉にして働くのか、という点に行きつくと思う。
亭主が定年になって二人とも家の中にいるようになると、どう対処すべきかという問題は、この女性の価値観との衝突だと思う。
主婦として一応亭主の給料でやりくりし、子育てをし、暇つぶしでパートに出たとしても、それは基本的に亭主の扶養家族であろうが、亭主が一日中家の中にいるとなると、主婦としてもなにがしか従来のままでは良いわけない。
ここで大なり小なり発想の転換を迫られるわけで、ここで亭主の方が「定年になったから今から何をしようか?」では男の甲斐性があまりにもなさすぎると思う。
定年というのは生まれたときから、あるいは入社した時からくる期日は分かっているわけで、ある日突然来るわけではない。
これがリストラならばいつ自分に降りかかってくるはわからないが、いやしくも定年ならばそういうことはありえない。
ただ一般論として、定年前にあまり立派なことを言う人は、現実にはその言った通りのことをしていなケースが多いと思う。
世界旅行をするとか、晴耕雨読の生活をするとか、一念発起して何かをするというように、あまり立派なことを言う人は現実にはそうしていない。
一番無難な生き方は、やはり自然体で、近所付き合いから始め、地域のボランテイアから派生する様々な活動に手を染めていくことであろう。
定年になったということは、社会的には人間として完成を見たということで、そうがつがつすべきではないと思う。
定年まで来れたということは、自分の属した組織のおかげでもあり、心おきなく外で働けた内助の功もあったわけで、周囲の人々のおかげで定年まで勤め上げれたと思えば、残りの人生はそういう人たちへの恩返しの時期でもあると思う。
少なくとも私自身はそういう風に考えている。