図書館の書棚から目についたものを全くランダムに選んだ本で、表題から見て、本当に生物学的で世俗的な人間の父親と子供の確執を記したものと思い込んで読んでみた。
ところが内容は全く違っており、父を国家に見立て、臣民、いわゆる統治される側を子供に見たてて近代から現代を眺めるという手の込んだ手法で書かれた警醒の書であった。
この本が述べようとした国家というものが、統治される側から見て真に父親的な価値を内包しているかどうかという点が論点となっているが、その論点を開陳するには国家そのものの本質にまでさかのぼって見極めなければならないという論旨で書かれている。
そのことは江戸時代末期から明治維新を経て、大正、昭和、そして戦後という時の流れの中で、統治する側とされる側の歴史を再構築するという作業に行き着いている。よって、それがなされている。
つまり、明治維新以降の日本の歴史を通常の歴史観とは別の視点から眺めているわけで、そのためあまりにも日本にこだわりすぎている。よって、歴史としては少々偏りすぎていると思う。
民族の歴史でも、国家の歴史でも、その民族なり国家なりの内側だけを見ていてもそれは歴史足りえないと思う。
我々の祖国は四周を海に囲まれているのは歴然たる事実で、それは昔も今も変わりない。
だからといって、我々の歴史がこの4つの島の中だけで成り立っているわけではない。
東海の東に位置する4つの島国といえども、常に周囲の影響を受け続けていたわけで、そういう影響を全く無視した我々の歴史というものはありえないと思う。
この本の著者は昭和3年生まれということであるが、この世代の人ならば、当然、日本が何故あの戦争にはまり込んでいったのだろうか、という疑問を持ち、その疑問を解き明かしたいという衝動に駆られとしても不思議ではない。
そのとき、視点を民族の内側にばかり向けていると、「我々はアジアで悪いことをした」という村山首相のような東京裁判史観に行き着いてしまう。
歴史というものは、例えば民族の歴史というような物でも、その民族の内側だけをいくら掘り下げてみても、意味はないと思う。
外部とのかかわりを考察しない限り、それは民族の歴史足り得ないのではないかと思う。
この本の主題は、国家というものは一家の家長としての父親のような威厳と、権威と、寛容さと、受容さと、慈愛というようなもので、国民を包含すべきであり、国民の側はそれに応えるべき子供、つまり若者でなければならないという発想である。
そういう視点に立ったとき、明治以降から今日までの日本で、その構図が成り立っているかどうかという考察である。
私の個人的な考えでは、今日ではそんな状況は望むべくもないと思う。
これは我々の国、日本だけの問題ではないと思う。
いわゆる今日でも先進国といわれる諸国においては古典的な国家と国民の関係というのは父権的な親子関係では語れないと思う。
それはいわゆる科学技術の進歩というものが、100年前の国家と国民という構図を根底から覆してしまっていると思う。
統治という形態が根底から変わってしまっていると思う。
近世、近代までの統治ということは、統治者と統治されるものの間には、父権的なつながりがあった。
もともとの住民であるとか、戦争で負けて奴隷になったとか、領主と領主が合併したので必然的に臣下にさせられたとか、様々な理由で統治するものとされるものの間には父権的なつながりがあったが、現代の統治者というのはある意味で人気投票であって、自分達が「この人が良かろう」と思う人を選出しているわけで、そこには当然のこと父権的な権威は最初から存在していない。
つまり、政治というものは人気取りに終わってしまっている。
江戸時代から明治時代に変わった時点で、我々の先祖達が他の国の事を見て見ると、我が国は如何にも遅れているので、明治維新をなした人々は、何とか自分達の力で西洋列強に追いつき追い越さなければ、という使命感に駆られたものと思う。
そのエネルギーが当時の日本の国民全般に深く広く染み渡っていたものと思うが、日清、日露、第1次世界大戦と戦を経ることによって、世界の一等国の仲間入りをするようになると、それをなした先輩諸氏の苦労を忘れ、世間一般の世代交代ということもあり、慢心し、奢り高ぶる風潮が出てきた。
ここで問題は若者の責任ということに行き着く。
明治維新を遂行したのも若者の集団であったが、その世代が時の経過と共に年老いて世代交代する時期になると、自分達の価値観を継承することが出来ず、新しい世代は先輩諸氏の苦労を知らず、その時代の価値観として、奢りと慢心という軽量浮薄な思考が一世を風靡していたのである。
これが大正時代から昭和の初期の時代に青年達の反乱を引き起こしたものと考えなければならない。
世の中を変革するのは常に若者のエネルギーだ、ということは自然界の真理だと思う。
猿が芋を洗って食べる例を出すまでもなく、世の中を真っ先に変化せしめるのは若者の好奇心とそのエネルギーであるということは自然界の法則でもある。
現代のホリエモンとか、村上世彰氏のマネーゲームの例を見ても、老獪な大人の思いつかないことをしでかしている。
世の中の推移を見るとき、若者の反乱に断固とした対応を取らないと、我々は安逸な方向に押し流されるのではなかろうか。
大正時代と昭和の初期の時代に、青年将校によってひきおこされた軍の反乱を例に見ても、この時にも首謀者はそれ相当の刑に処されたが、そのフィクサーにまでは処罰が及ばなかった。
つまり老獪な大人は自分達で事件の真相に蓋をしてしまったわけである。
その結果として、国民の気持ちは反乱を起こした青年将校のほうに同情が集まって、そのことによって軍の暴走、軍の奢り、軍の専横を止めれなくなって、結果として軍国主義に嵌って奈落の底に転がり落ちたと解釈しなければならない。
同じ事は戦後にもあるわけで、日米安保を巡って60年安保闘争のとき、安保反対の勢力というのはまさしく革命前夜の情況を呈していたが政府は警察力で持ってこれを押さえ込んだ。
この時、自衛隊の治安出動いう手もあったろうけれど、それを使わなかったことは政府側が一枚上手で老獪であったということである。
それと同時に、テレビというメデアイがあったおかげで、国民が反政府運動の非合理性、非合法性というものを自分の目で見てしまったことによって冷静な判断ができたものと考える。
あの反政府運動の主体も若者であったが、テレビを見た国民は、若者といえども行き過ぎはならない、という冷静な判断をしたものと考えざるを得ない。
そういう意味で若者の夢、志、というものもそのときの時代背景が反映されていると思う。
ところが内容は全く違っており、父を国家に見立て、臣民、いわゆる統治される側を子供に見たてて近代から現代を眺めるという手の込んだ手法で書かれた警醒の書であった。
この本が述べようとした国家というものが、統治される側から見て真に父親的な価値を内包しているかどうかという点が論点となっているが、その論点を開陳するには国家そのものの本質にまでさかのぼって見極めなければならないという論旨で書かれている。
そのことは江戸時代末期から明治維新を経て、大正、昭和、そして戦後という時の流れの中で、統治する側とされる側の歴史を再構築するという作業に行き着いている。よって、それがなされている。
つまり、明治維新以降の日本の歴史を通常の歴史観とは別の視点から眺めているわけで、そのためあまりにも日本にこだわりすぎている。よって、歴史としては少々偏りすぎていると思う。
民族の歴史でも、国家の歴史でも、その民族なり国家なりの内側だけを見ていてもそれは歴史足りえないと思う。
我々の祖国は四周を海に囲まれているのは歴然たる事実で、それは昔も今も変わりない。
だからといって、我々の歴史がこの4つの島の中だけで成り立っているわけではない。
東海の東に位置する4つの島国といえども、常に周囲の影響を受け続けていたわけで、そういう影響を全く無視した我々の歴史というものはありえないと思う。
この本の著者は昭和3年生まれということであるが、この世代の人ならば、当然、日本が何故あの戦争にはまり込んでいったのだろうか、という疑問を持ち、その疑問を解き明かしたいという衝動に駆られとしても不思議ではない。
そのとき、視点を民族の内側にばかり向けていると、「我々はアジアで悪いことをした」という村山首相のような東京裁判史観に行き着いてしまう。
歴史というものは、例えば民族の歴史というような物でも、その民族の内側だけをいくら掘り下げてみても、意味はないと思う。
外部とのかかわりを考察しない限り、それは民族の歴史足り得ないのではないかと思う。
この本の主題は、国家というものは一家の家長としての父親のような威厳と、権威と、寛容さと、受容さと、慈愛というようなもので、国民を包含すべきであり、国民の側はそれに応えるべき子供、つまり若者でなければならないという発想である。
そういう視点に立ったとき、明治以降から今日までの日本で、その構図が成り立っているかどうかという考察である。
私の個人的な考えでは、今日ではそんな状況は望むべくもないと思う。
これは我々の国、日本だけの問題ではないと思う。
いわゆる今日でも先進国といわれる諸国においては古典的な国家と国民の関係というのは父権的な親子関係では語れないと思う。
それはいわゆる科学技術の進歩というものが、100年前の国家と国民という構図を根底から覆してしまっていると思う。
統治という形態が根底から変わってしまっていると思う。
近世、近代までの統治ということは、統治者と統治されるものの間には、父権的なつながりがあった。
もともとの住民であるとか、戦争で負けて奴隷になったとか、領主と領主が合併したので必然的に臣下にさせられたとか、様々な理由で統治するものとされるものの間には父権的なつながりがあったが、現代の統治者というのはある意味で人気投票であって、自分達が「この人が良かろう」と思う人を選出しているわけで、そこには当然のこと父権的な権威は最初から存在していない。
つまり、政治というものは人気取りに終わってしまっている。
江戸時代から明治時代に変わった時点で、我々の先祖達が他の国の事を見て見ると、我が国は如何にも遅れているので、明治維新をなした人々は、何とか自分達の力で西洋列強に追いつき追い越さなければ、という使命感に駆られたものと思う。
そのエネルギーが当時の日本の国民全般に深く広く染み渡っていたものと思うが、日清、日露、第1次世界大戦と戦を経ることによって、世界の一等国の仲間入りをするようになると、それをなした先輩諸氏の苦労を忘れ、世間一般の世代交代ということもあり、慢心し、奢り高ぶる風潮が出てきた。
ここで問題は若者の責任ということに行き着く。
明治維新を遂行したのも若者の集団であったが、その世代が時の経過と共に年老いて世代交代する時期になると、自分達の価値観を継承することが出来ず、新しい世代は先輩諸氏の苦労を知らず、その時代の価値観として、奢りと慢心という軽量浮薄な思考が一世を風靡していたのである。
これが大正時代から昭和の初期の時代に青年達の反乱を引き起こしたものと考えなければならない。
世の中を変革するのは常に若者のエネルギーだ、ということは自然界の真理だと思う。
猿が芋を洗って食べる例を出すまでもなく、世の中を真っ先に変化せしめるのは若者の好奇心とそのエネルギーであるということは自然界の法則でもある。
現代のホリエモンとか、村上世彰氏のマネーゲームの例を見ても、老獪な大人の思いつかないことをしでかしている。
世の中の推移を見るとき、若者の反乱に断固とした対応を取らないと、我々は安逸な方向に押し流されるのではなかろうか。
大正時代と昭和の初期の時代に、青年将校によってひきおこされた軍の反乱を例に見ても、この時にも首謀者はそれ相当の刑に処されたが、そのフィクサーにまでは処罰が及ばなかった。
つまり老獪な大人は自分達で事件の真相に蓋をしてしまったわけである。
その結果として、国民の気持ちは反乱を起こした青年将校のほうに同情が集まって、そのことによって軍の暴走、軍の奢り、軍の専横を止めれなくなって、結果として軍国主義に嵌って奈落の底に転がり落ちたと解釈しなければならない。
同じ事は戦後にもあるわけで、日米安保を巡って60年安保闘争のとき、安保反対の勢力というのはまさしく革命前夜の情況を呈していたが政府は警察力で持ってこれを押さえ込んだ。
この時、自衛隊の治安出動いう手もあったろうけれど、それを使わなかったことは政府側が一枚上手で老獪であったということである。
それと同時に、テレビというメデアイがあったおかげで、国民が反政府運動の非合理性、非合法性というものを自分の目で見てしまったことによって冷静な判断ができたものと考える。
あの反政府運動の主体も若者であったが、テレビを見た国民は、若者といえども行き過ぎはならない、という冷静な判断をしたものと考えざるを得ない。
そういう意味で若者の夢、志、というものもそのときの時代背景が反映されていると思う。