本日の新聞を開くと村上世彰氏の逮捕、秋田県で起きた子殺しの件、そして和田義彦の藝術選奨文部科学大臣賞取り消しのニュースが目を引いたが、私にとって一番印象的な事件は最後の和田氏の贋作の件である。
贋作そのものは巷に掃いて捨てるほどある。
しかし、そのことを見抜けなかった、その贋作を見破れず、贋作に賞を受賞させたことは選考委員会の完全なる失態である。
贋作そのものよりも、その贋作を見破れなかった選考委員会は一体何をどう見ているのかという疑問である。
和田氏の作品が贋作であった以上、受賞の取り消しは当然のことであるが、選考委員会の失敗はそれだけでは済まないと思う。
謝って済む問題ではないと思う。
一体、彼らの鑑識眼はどうなっているのかという藝術の根本にかかわっていると思う。
素人が贋作を見破れなかった、というのならば納得がいく。
しかし、藝術選奨委員会ともなればそれ相当のプロ集団と見るのが普通で、そういう人が藝術のクリエイテイブさを見抜けなかったということは贋作の作者よりもよほど罪が重いと思う。
今回の事件で、選考委員会は即刻総辞職するか総入れ替えをすべきだと思う。
そして委員会の結論をそのまま鵜呑みにした文部科学省もそれ相当の処罰を受けてしかるべきだと思う。
それにしても、この和田氏というのはこういう事実を突きつけられても贋作を素直に認めようとせず盗人猛々しいという印象を受ける。
芸術家というのはこれほどまでに心の卑しい人間の集まりなのであろうか。
ホリエモンや村上世彰が金儲けの過程で法に抵触するということは、薦められるべきことではないがありうることで、ある程度理解できる。
しかし、芸術家であるとするならば、金や権威や名誉に固執するはずがない、と思い込むことは古典的な思考なのであろうか。
多分、私の考えが思考のシイラカンスなのであろう。
昔あった映画で、オードリー・ヘップバーン主演の「おしゃれ泥棒」というのは非常に面白かった。
贋作そのものは巷に掃いて捨てるほどある。
しかし、そのことを見抜けなかった、その贋作を見破れず、贋作に賞を受賞させたことは選考委員会の完全なる失態である。
贋作そのものよりも、その贋作を見破れなかった選考委員会は一体何をどう見ているのかという疑問である。
和田氏の作品が贋作であった以上、受賞の取り消しは当然のことであるが、選考委員会の失敗はそれだけでは済まないと思う。
謝って済む問題ではないと思う。
一体、彼らの鑑識眼はどうなっているのかという藝術の根本にかかわっていると思う。
素人が贋作を見破れなかった、というのならば納得がいく。
しかし、藝術選奨委員会ともなればそれ相当のプロ集団と見るのが普通で、そういう人が藝術のクリエイテイブさを見抜けなかったということは贋作の作者よりもよほど罪が重いと思う。
今回の事件で、選考委員会は即刻総辞職するか総入れ替えをすべきだと思う。
そして委員会の結論をそのまま鵜呑みにした文部科学省もそれ相当の処罰を受けてしかるべきだと思う。
それにしても、この和田氏というのはこういう事実を突きつけられても贋作を素直に認めようとせず盗人猛々しいという印象を受ける。
芸術家というのはこれほどまでに心の卑しい人間の集まりなのであろうか。
ホリエモンや村上世彰が金儲けの過程で法に抵触するということは、薦められるべきことではないがありうることで、ある程度理解できる。
しかし、芸術家であるとするならば、金や権威や名誉に固執するはずがない、と思い込むことは古典的な思考なのであろうか。
多分、私の考えが思考のシイラカンスなのであろう。
昔あった映画で、オードリー・ヘップバーン主演の「おしゃれ泥棒」というのは非常に面白かった。