例によって図書館から借りてきた本で、「復員・引揚の研究」という本を読んだ。
著者は田中宏巳という人で、1943年生まれの防衛大学校の講師だった人だ。
標題から、当然の事、大東亜戦争の幕引きに関する記述という事は察しれるが、何故我々はああいう愚かな戦争を推し進めたのであろう。
10年ほど前、ガンを患って東京築地にある国立がんセンターに通院した時期があった。
その時に、診療の空いた時間に、皇居の北側にある千鳥が淵戦没者墓苑を訪ねたことがあった。
そこに設置してある大きなレリーフの世界地図を見ると、あの戦争で日本が進出した地域が全部網羅してあるという事が一目瞭然と理解できた。
太平洋のほぼ全域とアジア大陸のほぼ全域が描かれていて、かつての日本の版図が描かれているが、これを見て私はつくづく日本が何と愚かな戦争をしたのか不思議な気持ちになった。
戦後になって、新生日本の厚生省は、この地図で描かれた全地域から遺骨の収拾をしたわけで、言い方を変えれば、旧日本軍はこの全域に軍隊を派遣したということである。
そういう思いでこの地図を眺めると、私のようなバカな頭脳でも、これだけの地域に兵隊を送り出して補給はどうしたのだろう、と素朴な疑問が湧いた。
この本の著者も素直に、旧日本軍は太平洋の全域に兵隊をばら撒いたので、兵力の集中を欠き、敗れるべくして敗れたと述べているが、誰が見てもこういう戦争の仕方は愚の骨頂でしかない。
我々が戦争の敗北を語る時、なんとも不可解なことは、我々は確かにアメリカからは完膚なきまでの敗北であったことは否定のしようもないが、アジアの南の部分と中国大陸では果たして本当に負けたかという事は甚だ疑問だと思う。
それと、国際社会の生存競争を生き抜く、勝ち抜くという事は、基本的には武力に依存する他ないという事が歴然としているが、元々、我々の祖国は資源小国で、世界を敵に回して戦い続けることなどどだい無理だったわけで、昭和初期の日本の指導者には、その現実が本当に解っていなかったのだろうか。
世界各国の軍人が旧日本軍に対して下す評価は、「下士官以下の兵は世界一優秀であるが、高級将校は上に行くほどバカだ」という事が定着していたと聞くが、日本の軍人が自分たちの世界的評価を組織が解体されるまで知らずにいたのだろうか。
千鳥が淵の戦没者墓苑の地図を見ると、昭和初期の日本の戦争指導者、東條英機、島田繁太郎、松井石根、山下泰文、板垣征四郎、辻政信、永野修身等々の軍人は、今回の戦争、第2次世界大戦、大東亜戦争をどういう風に考えていたのか不思議な思いがする。
戦後になって巷間によく言われているように、海軍兵学校や陸軍士官学校に進学した若者は優秀であったと言われているが、昭和初期の日本の政治的リーダーは、その大部分がこういう学校のOBであったではないか。
そういう優秀な学校を出た、優秀と言われた若者達のOBが、結果として日本の奈落の底の突き落とした事を、戦後の我々、昔流にいえば銃後の国民はどう考えればいいのであろう。
日本を焦土と化した根本的な理由は、海軍兵学校や陸軍士官学校のOBとしての軍人と、東京帝国大学法学部出身の内務省の官僚達の杜撰な統治であったわけで、こういう人たちは私ごときが足元にも及ばない程の秀才、秀逸であった筈なのに、そういう人が何故、あまりにも愚昧な戦争を煽り、刈り立て、推進し、結果として祖国を灰にしてしまったのか不思議でならない。
千鳥が淵戦没者墓苑の大きなレリーフに描かれた世界地図、主に太平洋とアジア大陸が描かれているが、これを眺めて、我々の先輩はどうしてこんな愚かな戦争をしたのか、と感じない人は極めつけの愚鈍だと思う。
この本にも描かれているが、太平洋の小さな島に送られた兵隊たちは、アメリカ軍と戦う前に、マラリアや飢えと戦わねばならなかったわけで、こんなバカな作戦があってはならない。
そんな所に兵員を送る決断をした司令官は、戦争のプロフェッショナルの資格が最初から欠落していると言わねばならない。
我々が戦後66年を経た今でも、歴史の教訓として考えなければならないことは、組織として、プロとしての資格を欠落した者をそのままプロとして使うという温情主義、まさにぬるま湯的な処遇の撲滅である。
この時期の日本の兵制において、海軍は海軍兵学校のOB,陸軍は陸軍士官学校のOB、官僚は東大法学部のOBで成り立っているわけで、その組織の中では先輩、同輩、後輩で成り立っている。
上を見ても下を見ても、右を見ても左を見ても、全部自分たちの同窓生なわけで、お仲間の集団である。
誰かが大きなミスをしても、そのミスを庇い合う土壌が必然的に出来上がっているわけで、ミスした者を厳しく糾弾して、イジメ抜くという事は心情的にあり得ない。
どこまで行ってもぬるま湯的な雰囲気は払拭し切れず、庇い合ってお互いの保身に繋げていたのである。
太平洋全域に兵隊を少数ずつ配置するアイデアだって、自分たちの先輩か、同輩か、後輩の誰かが、その人なりに理由つけをして、その人なりの整合性をくっつけて提案してきた以上、頭から否定して、突っ返すことが出来なかったに違いない。
だから総体的に見てバカげた案であったとしても、同窓生としてしぶしぶ顔を建てて、不承不承であろうとも承認せざるを得ず、結果として何の罪もない兵隊を無駄死にさせてしまったという事だ。
昭和初期の日本社会の雰囲気で言えば、天皇陛下の赤子としての皇軍兵士を、敵と戦う前に、マラリアや飢餓で死なせるなどという事は、帝国軍人の高級参謀としてはあってはならないことではなかろうか。
牟田口廉也のインパール作戦、栗田健男の謎のレイテ沖撤退など、戦史をひも解けば高級参謀の失敗の数々が数えきれないほどあるわけで、そういう失敗の集大成として日本の敗戦があったわけだ。
私が不思議に思う事は、海軍兵学校にしろ、陸軍士官学校にしろ、東大法学部にしろ、こういうところを卒業してきた人が本来バカである筈がない。
なのに何故彼らは自分のバカさ加減が自分で自覚できなかったのかという点である。
俗に「バカは自分のバカが判らない」とは言うが、だから「バカだ!」と言われるとも言えるが、世界的な視野でみて、日本の下士官は優秀だが、日本の高級将校、高級参謀はバカだ、という認識は世界的に認められていて、世界の指導者は全部その事を知っていた。
知らなかったのは日本の戦争指導者のみで、そのバカな戦争指導者が、バカな作戦をしたものだから、天皇の赤子である皇軍は、本来の敵であるアメリカ兵と戦う前に、マラリアと飢餓で倒れてしまったわけだ。
国を統治する、いわゆる政治という事には、失敗も数限りなくあることは認めざるを得ないが、統治が上手く行った時は、人々は全くその実績を評価しない。
この本では戦争の後始末として、海外に派兵させられた軍人軍属の撤退と、民間人の撤収の事が記されているが、この事業は実にスムースにいったと思う。
将兵の数約300万、民間人の数も約300万、戦争が終わって何とかかんとか引き揚げの拠点にまで辿りつけたものは、比較的スムーズに移行が完了したが、こういう風に目標と目的が明快な事業は実にスムースに事態が推移する。
ところが、大東亜戦争というのは最初から明確な目標もないまま軍部がずるずるとなし崩し的に嵌り込んで行って、最終的には泥沼から足が抜けなくなってしまい、アメリカを敵に回してしまったから結果として祖国を恢塵にまで貶めてしまった。
軍部の独断専横を止め切れる才覚のある人がおれば、こういう事には成らなかった。
そういう人材は軍部の中にはいないわけで、どうしても軍部の外の人となると、例の治安維持法で口を塞がれているわけで、一編の法規をかたくなに順守する知識人というのも何とも不可解な存在だと思う。
私の皮肉な見方からすれば、治安維持法の存在を盾にして、言うべき事を言う勇気のないことを隠ぺいしていたという事ではなかろうか。
その事を真摯に反省すべきであるが、その時に考えなければならないことは、軍人・軍部の独断専横と言ったところで、野武士や山賊の集団ではないわけで、きちんとした海軍兵学校のOBや陸軍士官学校のOBで、その辺りの有象無象の輩ではなかったはずだ。
なのに、そういう人達に何故理性ある、乃至は知性的な議論をして、論理的に整合性のある説得が出来なかったのかということになる。
もっと極端の言い方をすると、我々は戦争の遂行は実に下手だが、戦争以外の統治なら極めて上手にこなすという事だ。
戦争が下手だという事は、おかしな言い分と思うかもしれないが、日清・日露の戦いに勝ってしまったが故に、我々は戦争が上手だと勘違いしてしまったが、基本的には我々は対外戦争が事の他下手だった。
日清・日露の戦いに勝って、本来ならば「勝って兜の緒を締めよ」であるべきところを、我々は慢心してしまって、成功事例に酔いしれてしまって、もの事を合理的視点で眺めるという事を忘れてしまったわけだ。
そういう愚劣な振る舞いを、我々レベルの低俗な人間がするならば何ら不思議ではないが、海軍兵学校や陸軍士官学校や東大法学部を出たような秀逸の人々が、そういう合理性を欠いた思考回路に嵌り込んでしまったという点が不思議でならない。
ならば、こういう学校で国費で執り行われた教育は一体何であったのかと、学歴コンプレックスの私としては思えてならない。
明治維新以降の日本政府は、日本という我々の祖国が映えある国家として、未来永劫、下々の平和と安寧を願って、戦争のプロフェッショナルを養成し、官僚のプロフェッショナルの育成に勤めて来たわけで、国土を恢塵に化すような輩を養成してきたはずではないと思う。
本来、優秀であるべき海軍兵学校や陸軍士官学校や東大法学部を出たOBが、何故、国家を潰すような仕儀に至ったのであろう。
いくら日本軍の高級参謀が愚昧だと言ったところで、一人や二人の司令官の作戦の失敗でこうなったわけではないはずで、日本の敗北ということは、軍、政府、官僚をひっくるめた国家としての組織それ自体のメルトダウンとしか言いようがないと思う。
国家としての国体がメルトダウンしても、邦人の復員・引揚げの事業はせざるを得ないわけで、そういうことになればなったで、その場に直面した人が全知全能を傾けてそれを遂行したという事だと思う。
戦後になって、我々の祖国は台湾と朝鮮を植民地支配し、満州に傀儡国家を作って、帝國主義的搾取を行ったかのような言い方をする人がいるが、全く実態を理解していないと思う。
台湾と朝鮮の統治は極めてスムースに行われ、日本の統治の最大の受益者は、彼の地の元々の住民であったはずである。
台湾と朝鮮の統治も、我々の側の深層の心理の中には、領土の拡充という要因も含まれていたとは思うが、我々は西洋先進国の帝国主義丸出しの、ただたんなる富の収奪という発想ではなかったわけで、現地人も日本人も共にその地の繁栄に貢献しようという温和な発想であった。
この理念は充分に生かされて、我々には現地の人々を搾取するという発想はなかったが、現実の生活面では現地人との間に大なり小なりトラブルが生じたことは否めない。
ただこの場合、現地で我が邦人が、現地人に対して優越感を見せびらかして、尊大に振る舞い、威張り散らす輩がいたことも事実だとは思うが、そういう輩はどういう民族にもおり、何処にでもいるわけで、だからと言って日本人がトータルとして台湾人や朝鮮人を蔑視しているというわけではない。
我々の側に如何に悪意がないと言っても、統治されている側からすれば、異民族に統治されている事に変わりはないわけで、いくばくかの違和感がぬぐい切れないのも当然ではある。
この台湾総督府、朝鮮総督府のトップに軍人がなった事は、当初は反乱の危惧を考慮してそうなっていたが、民間人に移行しても何ら支障なく遂行された。
という事は、戦争以外の大きなプロジェクトも、我々の民族は案外上手にこなしてきたわけで、戦争というビッグ・プロジェクトを軍人がやると、大やけどをして祖国を灰にしてしまったという事になる。
戦争のプロフェッショナルが本来の自分たちの職務を完遂できない、自分たちの本職を全うできないでは話にならないではないか。
戦争に負けるような軍人ならば、「給料返せ」、「恩給を返納せよ」、「死者を生涯弔え」という欲求が銃後の民から出ても何ら不思議ではないではないか。
千鳥が淵の戦没者墓苑に掲げてある地図、アジアの大部分と太平洋の大部分の地図を眺めて、こんなに戦域を拡げれば、勝てる見込みは最初から望めない事は一目瞭然とバカでもチョンでも判る。
こんなバカでもチョンでも判ることが、昭和初期の日本の軍人、海軍兵学校や陸軍士官学校を出たOBとしての戦争指導者たちに理解できなかったという事をどういう風に考えたらいいのであろう。
世界の軍人が、「日本の高級将校はバカばかりだ」というのも、大いにうなずけるが、本来、優秀であった筈の日本の軍人が、何故こうも愚昧な立ち居振る舞いをするようになってしまったのであろう。
その根本のところには、私の個人的な思考ではあるが、明治維新の時の四民平等という理念による階級制度の全否定がその根本原因だと思う。
そもそも江戸時代には、士農工商エタヒニンという身分制度が屹立していて、人々を統治する武士という階層は、全人口の10%以下だったと思われる。
その武士は、武装集団としての機能と、政治家としての機能、官僚としての機能を併せ持っていたわけで、一人で何役もこなすマルチタレントであった。
そういう集団が国内に300近くもあって、それぞれに自治が確立されていたが、これが近代国家となると、一つに集約されて、統治するセクションと武装集団、要するに国の用心棒のようなセクシュンに分離された。
そこで政府は近代化を早急に実現すべく、人材を手っ取り早く集める為にペーパーチェックを課して、その成績順に人材を登用するシステムを考案した。
このシステムは非常に公平な面もあるが、学業成績が立身出世のバロメーターになったことで、点取り虫の世界になってしまい、実務の実績と立身出世がリンクしないようになり、そこに齟齬をきたす幣害を内包していた。
これを是正しようとすると、既得権益を侵すことになり、既存の先輩が異議を差し挟み、その弊害が除去されないまま組織解体まで来たという事だと思う。
海軍兵学校にしろ、陸軍士官学校にしろ、東大法学部にしろ、それぞれの組織の中では、それこそ先輩、同輩、後輩でつながっているわけで、いわば全員が同じ釜の飯を食った同窓生で、何か不都合なことがあっても、お互いに庇い合うという精神構造が出来上がっていたに違いない。
プロジェクト遂行の中で何か大きな失敗や瑕疵があっても、それをとことん追求して、失敗の原因を究明し、その失敗を教訓として生かすという発想がないものだから、失敗を隠してお互いに庇い合うことをした。
その失敗の原因を何処までも追及するという事をせず、お互いに庇い合うので、失敗の本質が判らずじまいになり、結局は同じ失敗を繰り返すという事になったのである。
だから戦争以外の大きなプロジェクトでは、少々の失敗しても人命が直接損なわれることがないので、問題にならないが、それが戦争では直ちに人命にかかわってくるので、失敗は許されない筈である。
ところが、こういう場に居合わせた司令官や高級参謀にとっては、兵隊の人命など1銭5厘のハガキ代でしかないわけで、いくら作戦の遂行に失敗しても何ら痛痒を感じず、人的被害に何の痛みも感じていないので、同じことを何度も繰り返すのである。
それを見た世界の戦争のプロフェッショナルたちは、「日本の高級将校、高級参謀はバカではないか」という感想になるのである。
日本のような資源小国が、アジア大陸と太平洋という2正面戦争が成り立つわけがないではないか。
千鳥が淵の戦没者墓苑の地図を眺めて、日本の戦争指導者は何とバカだったのだろう、と思わない人はいない筈だ。
日本の戦争が敗北であったという結果から、軍人が責められるのは当然であるが、軍人や軍部の独断専横を許した他の者の責任も、いくらかは考察する必要があると思う。
東大法学部というのはあの時期内務省に多くの人材を送り込んでいた筈で、その内務省を通じて大いに戦争遂行に尽力したように思えてならない。
それとは別に、政治や統治を批判すべき役割を持った集団がいると思う。
つまり、メデイアや大学教授や知識人と言われる人々で、こういう人達が軍人の独断専横に何処まで抑制的なブレーキを仕掛けたかという点も戦後の反省としては必要ではないかと思う。
不思議なことに、あの戦争中も、日本の国会は完全に機能していたわけで、その中で軍人が肩で風切って闊歩していたことは容易に想像できる。
だが、それに対してメデイアや、大学教授や、知識人と言われる人々や、政治家は、彼らに対して、論理的に整合性を持った議論で、冷静に、理性的に、知的な論理で以て、そういうアホっぽいバカな軍人に、何処まで彼らの愚を説いたのであろう。
何もせずに、軍の組織が自壊するまで傍観していたと言うのであれば、これもまた実に無責任な話だ。
ここで素朴な疑問が湧くわけで、こういう指導者は無学文盲の輩ではなく、最高度にレベルの高い教育を受けているわけで、その結果としてこういう愚にもつかない仕儀を招いたとなると、彼らの受けた高度の教育は一体何であったのかという事だ。
日本の最高学府で学んだ秀才の導き出した結論が、日本を焦土化することだったとしたら、我々は高度な教育というものをどう考えたらいいのであろう。
日本を焼け野原に仕向けた責任者は、当時の日本で最高の学問を享受した最も優秀と言われた人たちであったわけで、そういう人がどうして自分の祖国を奈落の底の突き落とすような政治をしでかしたのであろう。
著者は田中宏巳という人で、1943年生まれの防衛大学校の講師だった人だ。
標題から、当然の事、大東亜戦争の幕引きに関する記述という事は察しれるが、何故我々はああいう愚かな戦争を推し進めたのであろう。
10年ほど前、ガンを患って東京築地にある国立がんセンターに通院した時期があった。
その時に、診療の空いた時間に、皇居の北側にある千鳥が淵戦没者墓苑を訪ねたことがあった。
そこに設置してある大きなレリーフの世界地図を見ると、あの戦争で日本が進出した地域が全部網羅してあるという事が一目瞭然と理解できた。
太平洋のほぼ全域とアジア大陸のほぼ全域が描かれていて、かつての日本の版図が描かれているが、これを見て私はつくづく日本が何と愚かな戦争をしたのか不思議な気持ちになった。
戦後になって、新生日本の厚生省は、この地図で描かれた全地域から遺骨の収拾をしたわけで、言い方を変えれば、旧日本軍はこの全域に軍隊を派遣したということである。
そういう思いでこの地図を眺めると、私のようなバカな頭脳でも、これだけの地域に兵隊を送り出して補給はどうしたのだろう、と素朴な疑問が湧いた。
この本の著者も素直に、旧日本軍は太平洋の全域に兵隊をばら撒いたので、兵力の集中を欠き、敗れるべくして敗れたと述べているが、誰が見てもこういう戦争の仕方は愚の骨頂でしかない。
我々が戦争の敗北を語る時、なんとも不可解なことは、我々は確かにアメリカからは完膚なきまでの敗北であったことは否定のしようもないが、アジアの南の部分と中国大陸では果たして本当に負けたかという事は甚だ疑問だと思う。
それと、国際社会の生存競争を生き抜く、勝ち抜くという事は、基本的には武力に依存する他ないという事が歴然としているが、元々、我々の祖国は資源小国で、世界を敵に回して戦い続けることなどどだい無理だったわけで、昭和初期の日本の指導者には、その現実が本当に解っていなかったのだろうか。
世界各国の軍人が旧日本軍に対して下す評価は、「下士官以下の兵は世界一優秀であるが、高級将校は上に行くほどバカだ」という事が定着していたと聞くが、日本の軍人が自分たちの世界的評価を組織が解体されるまで知らずにいたのだろうか。
千鳥が淵の戦没者墓苑の地図を見ると、昭和初期の日本の戦争指導者、東條英機、島田繁太郎、松井石根、山下泰文、板垣征四郎、辻政信、永野修身等々の軍人は、今回の戦争、第2次世界大戦、大東亜戦争をどういう風に考えていたのか不思議な思いがする。
戦後になって巷間によく言われているように、海軍兵学校や陸軍士官学校に進学した若者は優秀であったと言われているが、昭和初期の日本の政治的リーダーは、その大部分がこういう学校のOBであったではないか。
そういう優秀な学校を出た、優秀と言われた若者達のOBが、結果として日本の奈落の底の突き落とした事を、戦後の我々、昔流にいえば銃後の国民はどう考えればいいのであろう。
日本を焦土と化した根本的な理由は、海軍兵学校や陸軍士官学校のOBとしての軍人と、東京帝国大学法学部出身の内務省の官僚達の杜撰な統治であったわけで、こういう人たちは私ごときが足元にも及ばない程の秀才、秀逸であった筈なのに、そういう人が何故、あまりにも愚昧な戦争を煽り、刈り立て、推進し、結果として祖国を灰にしてしまったのか不思議でならない。
千鳥が淵戦没者墓苑の大きなレリーフに描かれた世界地図、主に太平洋とアジア大陸が描かれているが、これを眺めて、我々の先輩はどうしてこんな愚かな戦争をしたのか、と感じない人は極めつけの愚鈍だと思う。
この本にも描かれているが、太平洋の小さな島に送られた兵隊たちは、アメリカ軍と戦う前に、マラリアや飢えと戦わねばならなかったわけで、こんなバカな作戦があってはならない。
そんな所に兵員を送る決断をした司令官は、戦争のプロフェッショナルの資格が最初から欠落していると言わねばならない。
我々が戦後66年を経た今でも、歴史の教訓として考えなければならないことは、組織として、プロとしての資格を欠落した者をそのままプロとして使うという温情主義、まさにぬるま湯的な処遇の撲滅である。
この時期の日本の兵制において、海軍は海軍兵学校のOB,陸軍は陸軍士官学校のOB、官僚は東大法学部のOBで成り立っているわけで、その組織の中では先輩、同輩、後輩で成り立っている。
上を見ても下を見ても、右を見ても左を見ても、全部自分たちの同窓生なわけで、お仲間の集団である。
誰かが大きなミスをしても、そのミスを庇い合う土壌が必然的に出来上がっているわけで、ミスした者を厳しく糾弾して、イジメ抜くという事は心情的にあり得ない。
どこまで行ってもぬるま湯的な雰囲気は払拭し切れず、庇い合ってお互いの保身に繋げていたのである。
太平洋全域に兵隊を少数ずつ配置するアイデアだって、自分たちの先輩か、同輩か、後輩の誰かが、その人なりに理由つけをして、その人なりの整合性をくっつけて提案してきた以上、頭から否定して、突っ返すことが出来なかったに違いない。
だから総体的に見てバカげた案であったとしても、同窓生としてしぶしぶ顔を建てて、不承不承であろうとも承認せざるを得ず、結果として何の罪もない兵隊を無駄死にさせてしまったという事だ。
昭和初期の日本社会の雰囲気で言えば、天皇陛下の赤子としての皇軍兵士を、敵と戦う前に、マラリアや飢餓で死なせるなどという事は、帝国軍人の高級参謀としてはあってはならないことではなかろうか。
牟田口廉也のインパール作戦、栗田健男の謎のレイテ沖撤退など、戦史をひも解けば高級参謀の失敗の数々が数えきれないほどあるわけで、そういう失敗の集大成として日本の敗戦があったわけだ。
私が不思議に思う事は、海軍兵学校にしろ、陸軍士官学校にしろ、東大法学部にしろ、こういうところを卒業してきた人が本来バカである筈がない。
なのに何故彼らは自分のバカさ加減が自分で自覚できなかったのかという点である。
俗に「バカは自分のバカが判らない」とは言うが、だから「バカだ!」と言われるとも言えるが、世界的な視野でみて、日本の下士官は優秀だが、日本の高級将校、高級参謀はバカだ、という認識は世界的に認められていて、世界の指導者は全部その事を知っていた。
知らなかったのは日本の戦争指導者のみで、そのバカな戦争指導者が、バカな作戦をしたものだから、天皇の赤子である皇軍は、本来の敵であるアメリカ兵と戦う前に、マラリアと飢餓で倒れてしまったわけだ。
国を統治する、いわゆる政治という事には、失敗も数限りなくあることは認めざるを得ないが、統治が上手く行った時は、人々は全くその実績を評価しない。
この本では戦争の後始末として、海外に派兵させられた軍人軍属の撤退と、民間人の撤収の事が記されているが、この事業は実にスムースにいったと思う。
将兵の数約300万、民間人の数も約300万、戦争が終わって何とかかんとか引き揚げの拠点にまで辿りつけたものは、比較的スムーズに移行が完了したが、こういう風に目標と目的が明快な事業は実にスムースに事態が推移する。
ところが、大東亜戦争というのは最初から明確な目標もないまま軍部がずるずるとなし崩し的に嵌り込んで行って、最終的には泥沼から足が抜けなくなってしまい、アメリカを敵に回してしまったから結果として祖国を恢塵にまで貶めてしまった。
軍部の独断専横を止め切れる才覚のある人がおれば、こういう事には成らなかった。
そういう人材は軍部の中にはいないわけで、どうしても軍部の外の人となると、例の治安維持法で口を塞がれているわけで、一編の法規をかたくなに順守する知識人というのも何とも不可解な存在だと思う。
私の皮肉な見方からすれば、治安維持法の存在を盾にして、言うべき事を言う勇気のないことを隠ぺいしていたという事ではなかろうか。
その事を真摯に反省すべきであるが、その時に考えなければならないことは、軍人・軍部の独断専横と言ったところで、野武士や山賊の集団ではないわけで、きちんとした海軍兵学校のOBや陸軍士官学校のOBで、その辺りの有象無象の輩ではなかったはずだ。
なのに、そういう人達に何故理性ある、乃至は知性的な議論をして、論理的に整合性のある説得が出来なかったのかということになる。
もっと極端の言い方をすると、我々は戦争の遂行は実に下手だが、戦争以外の統治なら極めて上手にこなすという事だ。
戦争が下手だという事は、おかしな言い分と思うかもしれないが、日清・日露の戦いに勝ってしまったが故に、我々は戦争が上手だと勘違いしてしまったが、基本的には我々は対外戦争が事の他下手だった。
日清・日露の戦いに勝って、本来ならば「勝って兜の緒を締めよ」であるべきところを、我々は慢心してしまって、成功事例に酔いしれてしまって、もの事を合理的視点で眺めるという事を忘れてしまったわけだ。
そういう愚劣な振る舞いを、我々レベルの低俗な人間がするならば何ら不思議ではないが、海軍兵学校や陸軍士官学校や東大法学部を出たような秀逸の人々が、そういう合理性を欠いた思考回路に嵌り込んでしまったという点が不思議でならない。
ならば、こういう学校で国費で執り行われた教育は一体何であったのかと、学歴コンプレックスの私としては思えてならない。
明治維新以降の日本政府は、日本という我々の祖国が映えある国家として、未来永劫、下々の平和と安寧を願って、戦争のプロフェッショナルを養成し、官僚のプロフェッショナルの育成に勤めて来たわけで、国土を恢塵に化すような輩を養成してきたはずではないと思う。
本来、優秀であるべき海軍兵学校や陸軍士官学校や東大法学部を出たOBが、何故、国家を潰すような仕儀に至ったのであろう。
いくら日本軍の高級参謀が愚昧だと言ったところで、一人や二人の司令官の作戦の失敗でこうなったわけではないはずで、日本の敗北ということは、軍、政府、官僚をひっくるめた国家としての組織それ自体のメルトダウンとしか言いようがないと思う。
国家としての国体がメルトダウンしても、邦人の復員・引揚げの事業はせざるを得ないわけで、そういうことになればなったで、その場に直面した人が全知全能を傾けてそれを遂行したという事だと思う。
戦後になって、我々の祖国は台湾と朝鮮を植民地支配し、満州に傀儡国家を作って、帝國主義的搾取を行ったかのような言い方をする人がいるが、全く実態を理解していないと思う。
台湾と朝鮮の統治は極めてスムースに行われ、日本の統治の最大の受益者は、彼の地の元々の住民であったはずである。
台湾と朝鮮の統治も、我々の側の深層の心理の中には、領土の拡充という要因も含まれていたとは思うが、我々は西洋先進国の帝国主義丸出しの、ただたんなる富の収奪という発想ではなかったわけで、現地人も日本人も共にその地の繁栄に貢献しようという温和な発想であった。
この理念は充分に生かされて、我々には現地の人々を搾取するという発想はなかったが、現実の生活面では現地人との間に大なり小なりトラブルが生じたことは否めない。
ただこの場合、現地で我が邦人が、現地人に対して優越感を見せびらかして、尊大に振る舞い、威張り散らす輩がいたことも事実だとは思うが、そういう輩はどういう民族にもおり、何処にでもいるわけで、だからと言って日本人がトータルとして台湾人や朝鮮人を蔑視しているというわけではない。
我々の側に如何に悪意がないと言っても、統治されている側からすれば、異民族に統治されている事に変わりはないわけで、いくばくかの違和感がぬぐい切れないのも当然ではある。
この台湾総督府、朝鮮総督府のトップに軍人がなった事は、当初は反乱の危惧を考慮してそうなっていたが、民間人に移行しても何ら支障なく遂行された。
という事は、戦争以外の大きなプロジェクトも、我々の民族は案外上手にこなしてきたわけで、戦争というビッグ・プロジェクトを軍人がやると、大やけどをして祖国を灰にしてしまったという事になる。
戦争のプロフェッショナルが本来の自分たちの職務を完遂できない、自分たちの本職を全うできないでは話にならないではないか。
戦争に負けるような軍人ならば、「給料返せ」、「恩給を返納せよ」、「死者を生涯弔え」という欲求が銃後の民から出ても何ら不思議ではないではないか。
千鳥が淵の戦没者墓苑に掲げてある地図、アジアの大部分と太平洋の大部分の地図を眺めて、こんなに戦域を拡げれば、勝てる見込みは最初から望めない事は一目瞭然とバカでもチョンでも判る。
こんなバカでもチョンでも判ることが、昭和初期の日本の軍人、海軍兵学校や陸軍士官学校を出たOBとしての戦争指導者たちに理解できなかったという事をどういう風に考えたらいいのであろう。
世界の軍人が、「日本の高級将校はバカばかりだ」というのも、大いにうなずけるが、本来、優秀であった筈の日本の軍人が、何故こうも愚昧な立ち居振る舞いをするようになってしまったのであろう。
その根本のところには、私の個人的な思考ではあるが、明治維新の時の四民平等という理念による階級制度の全否定がその根本原因だと思う。
そもそも江戸時代には、士農工商エタヒニンという身分制度が屹立していて、人々を統治する武士という階層は、全人口の10%以下だったと思われる。
その武士は、武装集団としての機能と、政治家としての機能、官僚としての機能を併せ持っていたわけで、一人で何役もこなすマルチタレントであった。
そういう集団が国内に300近くもあって、それぞれに自治が確立されていたが、これが近代国家となると、一つに集約されて、統治するセクションと武装集団、要するに国の用心棒のようなセクシュンに分離された。
そこで政府は近代化を早急に実現すべく、人材を手っ取り早く集める為にペーパーチェックを課して、その成績順に人材を登用するシステムを考案した。
このシステムは非常に公平な面もあるが、学業成績が立身出世のバロメーターになったことで、点取り虫の世界になってしまい、実務の実績と立身出世がリンクしないようになり、そこに齟齬をきたす幣害を内包していた。
これを是正しようとすると、既得権益を侵すことになり、既存の先輩が異議を差し挟み、その弊害が除去されないまま組織解体まで来たという事だと思う。
海軍兵学校にしろ、陸軍士官学校にしろ、東大法学部にしろ、それぞれの組織の中では、それこそ先輩、同輩、後輩でつながっているわけで、いわば全員が同じ釜の飯を食った同窓生で、何か不都合なことがあっても、お互いに庇い合うという精神構造が出来上がっていたに違いない。
プロジェクト遂行の中で何か大きな失敗や瑕疵があっても、それをとことん追求して、失敗の原因を究明し、その失敗を教訓として生かすという発想がないものだから、失敗を隠してお互いに庇い合うことをした。
その失敗の原因を何処までも追及するという事をせず、お互いに庇い合うので、失敗の本質が判らずじまいになり、結局は同じ失敗を繰り返すという事になったのである。
だから戦争以外の大きなプロジェクトでは、少々の失敗しても人命が直接損なわれることがないので、問題にならないが、それが戦争では直ちに人命にかかわってくるので、失敗は許されない筈である。
ところが、こういう場に居合わせた司令官や高級参謀にとっては、兵隊の人命など1銭5厘のハガキ代でしかないわけで、いくら作戦の遂行に失敗しても何ら痛痒を感じず、人的被害に何の痛みも感じていないので、同じことを何度も繰り返すのである。
それを見た世界の戦争のプロフェッショナルたちは、「日本の高級将校、高級参謀はバカではないか」という感想になるのである。
日本のような資源小国が、アジア大陸と太平洋という2正面戦争が成り立つわけがないではないか。
千鳥が淵の戦没者墓苑の地図を眺めて、日本の戦争指導者は何とバカだったのだろう、と思わない人はいない筈だ。
日本の戦争が敗北であったという結果から、軍人が責められるのは当然であるが、軍人や軍部の独断専横を許した他の者の責任も、いくらかは考察する必要があると思う。
東大法学部というのはあの時期内務省に多くの人材を送り込んでいた筈で、その内務省を通じて大いに戦争遂行に尽力したように思えてならない。
それとは別に、政治や統治を批判すべき役割を持った集団がいると思う。
つまり、メデイアや大学教授や知識人と言われる人々で、こういう人達が軍人の独断専横に何処まで抑制的なブレーキを仕掛けたかという点も戦後の反省としては必要ではないかと思う。
不思議なことに、あの戦争中も、日本の国会は完全に機能していたわけで、その中で軍人が肩で風切って闊歩していたことは容易に想像できる。
だが、それに対してメデイアや、大学教授や、知識人と言われる人々や、政治家は、彼らに対して、論理的に整合性を持った議論で、冷静に、理性的に、知的な論理で以て、そういうアホっぽいバカな軍人に、何処まで彼らの愚を説いたのであろう。
何もせずに、軍の組織が自壊するまで傍観していたと言うのであれば、これもまた実に無責任な話だ。
ここで素朴な疑問が湧くわけで、こういう指導者は無学文盲の輩ではなく、最高度にレベルの高い教育を受けているわけで、その結果としてこういう愚にもつかない仕儀を招いたとなると、彼らの受けた高度の教育は一体何であったのかという事だ。
日本の最高学府で学んだ秀才の導き出した結論が、日本を焦土化することだったとしたら、我々は高度な教育というものをどう考えたらいいのであろう。
日本を焼け野原に仕向けた責任者は、当時の日本で最高の学問を享受した最も優秀と言われた人たちであったわけで、そういう人がどうして自分の祖国を奈落の底の突き落とすような政治をしでかしたのであろう。