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ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「復員・引揚の研究」

2011-10-17 09:48:49 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「復員・引揚の研究」という本を読んだ。
著者は田中宏巳という人で、1943年生まれの防衛大学校の講師だった人だ。
標題から、当然の事、大東亜戦争の幕引きに関する記述という事は察しれるが、何故我々はああいう愚かな戦争を推し進めたのであろう。
10年ほど前、ガンを患って東京築地にある国立がんセンターに通院した時期があった。
その時に、診療の空いた時間に、皇居の北側にある千鳥が淵戦没者墓苑を訪ねたことがあった。
そこに設置してある大きなレリーフの世界地図を見ると、あの戦争で日本が進出した地域が全部網羅してあるという事が一目瞭然と理解できた。
太平洋のほぼ全域とアジア大陸のほぼ全域が描かれていて、かつての日本の版図が描かれているが、これを見て私はつくづく日本が何と愚かな戦争をしたのか不思議な気持ちになった。
戦後になって、新生日本の厚生省は、この地図で描かれた全地域から遺骨の収拾をしたわけで、言い方を変えれば、旧日本軍はこの全域に軍隊を派遣したということである。
そういう思いでこの地図を眺めると、私のようなバカな頭脳でも、これだけの地域に兵隊を送り出して補給はどうしたのだろう、と素朴な疑問が湧いた。
この本の著者も素直に、旧日本軍は太平洋の全域に兵隊をばら撒いたので、兵力の集中を欠き、敗れるべくして敗れたと述べているが、誰が見てもこういう戦争の仕方は愚の骨頂でしかない。
我々が戦争の敗北を語る時、なんとも不可解なことは、我々は確かにアメリカからは完膚なきまでの敗北であったことは否定のしようもないが、アジアの南の部分と中国大陸では果たして本当に負けたかという事は甚だ疑問だと思う。
それと、国際社会の生存競争を生き抜く、勝ち抜くという事は、基本的には武力に依存する他ないという事が歴然としているが、元々、我々の祖国は資源小国で、世界を敵に回して戦い続けることなどどだい無理だったわけで、昭和初期の日本の指導者には、その現実が本当に解っていなかったのだろうか。
世界各国の軍人が旧日本軍に対して下す評価は、「下士官以下の兵は世界一優秀であるが、高級将校は上に行くほどバカだ」という事が定着していたと聞くが、日本の軍人が自分たちの世界的評価を組織が解体されるまで知らずにいたのだろうか。
千鳥が淵の戦没者墓苑の地図を見ると、昭和初期の日本の戦争指導者、東條英機、島田繁太郎、松井石根、山下泰文、板垣征四郎、辻政信、永野修身等々の軍人は、今回の戦争、第2次世界大戦、大東亜戦争をどういう風に考えていたのか不思議な思いがする。
戦後になって巷間によく言われているように、海軍兵学校や陸軍士官学校に進学した若者は優秀であったと言われているが、昭和初期の日本の政治的リーダーは、その大部分がこういう学校のOBであったではないか。
そういう優秀な学校を出た、優秀と言われた若者達のOBが、結果として日本の奈落の底の突き落とした事を、戦後の我々、昔流にいえば銃後の国民はどう考えればいいのであろう。
日本を焦土と化した根本的な理由は、海軍兵学校や陸軍士官学校のOBとしての軍人と、東京帝国大学法学部出身の内務省の官僚達の杜撰な統治であったわけで、こういう人たちは私ごときが足元にも及ばない程の秀才、秀逸であった筈なのに、そういう人が何故、あまりにも愚昧な戦争を煽り、刈り立て、推進し、結果として祖国を灰にしてしまったのか不思議でならない。
千鳥が淵戦没者墓苑の大きなレリーフに描かれた世界地図、主に太平洋とアジア大陸が描かれているが、これを眺めて、我々の先輩はどうしてこんな愚かな戦争をしたのか、と感じない人は極めつけの愚鈍だと思う。
この本にも描かれているが、太平洋の小さな島に送られた兵隊たちは、アメリカ軍と戦う前に、マラリアや飢えと戦わねばならなかったわけで、こんなバカな作戦があってはならない。
そんな所に兵員を送る決断をした司令官は、戦争のプロフェッショナルの資格が最初から欠落していると言わねばならない。
我々が戦後66年を経た今でも、歴史の教訓として考えなければならないことは、組織として、プロとしての資格を欠落した者をそのままプロとして使うという温情主義、まさにぬるま湯的な処遇の撲滅である。
この時期の日本の兵制において、海軍は海軍兵学校のOB,陸軍は陸軍士官学校のOB、官僚は東大法学部のOBで成り立っているわけで、その組織の中では先輩、同輩、後輩で成り立っている。
上を見ても下を見ても、右を見ても左を見ても、全部自分たちの同窓生なわけで、お仲間の集団である。
誰かが大きなミスをしても、そのミスを庇い合う土壌が必然的に出来上がっているわけで、ミスした者を厳しく糾弾して、イジメ抜くという事は心情的にあり得ない。
どこまで行ってもぬるま湯的な雰囲気は払拭し切れず、庇い合ってお互いの保身に繋げていたのである。
太平洋全域に兵隊を少数ずつ配置するアイデアだって、自分たちの先輩か、同輩か、後輩の誰かが、その人なりに理由つけをして、その人なりの整合性をくっつけて提案してきた以上、頭から否定して、突っ返すことが出来なかったに違いない。
だから総体的に見てバカげた案であったとしても、同窓生としてしぶしぶ顔を建てて、不承不承であろうとも承認せざるを得ず、結果として何の罪もない兵隊を無駄死にさせてしまったという事だ。
昭和初期の日本社会の雰囲気で言えば、天皇陛下の赤子としての皇軍兵士を、敵と戦う前に、マラリアや飢餓で死なせるなどという事は、帝国軍人の高級参謀としてはあってはならないことではなかろうか。
牟田口廉也のインパール作戦、栗田健男の謎のレイテ沖撤退など、戦史をひも解けば高級参謀の失敗の数々が数えきれないほどあるわけで、そういう失敗の集大成として日本の敗戦があったわけだ。
私が不思議に思う事は、海軍兵学校にしろ、陸軍士官学校にしろ、東大法学部にしろ、こういうところを卒業してきた人が本来バカである筈がない。
なのに何故彼らは自分のバカさ加減が自分で自覚できなかったのかという点である。
俗に「バカは自分のバカが判らない」とは言うが、だから「バカだ!」と言われるとも言えるが、世界的な視野でみて、日本の下士官は優秀だが、日本の高級将校、高級参謀はバカだ、という認識は世界的に認められていて、世界の指導者は全部その事を知っていた。
知らなかったのは日本の戦争指導者のみで、そのバカな戦争指導者が、バカな作戦をしたものだから、天皇の赤子である皇軍は、本来の敵であるアメリカ兵と戦う前に、マラリアと飢餓で倒れてしまったわけだ。
国を統治する、いわゆる政治という事には、失敗も数限りなくあることは認めざるを得ないが、統治が上手く行った時は、人々は全くその実績を評価しない。
この本では戦争の後始末として、海外に派兵させられた軍人軍属の撤退と、民間人の撤収の事が記されているが、この事業は実にスムースにいったと思う。
将兵の数約300万、民間人の数も約300万、戦争が終わって何とかかんとか引き揚げの拠点にまで辿りつけたものは、比較的スムーズに移行が完了したが、こういう風に目標と目的が明快な事業は実にスムースに事態が推移する。
ところが、大東亜戦争というのは最初から明確な目標もないまま軍部がずるずるとなし崩し的に嵌り込んで行って、最終的には泥沼から足が抜けなくなってしまい、アメリカを敵に回してしまったから結果として祖国を恢塵にまで貶めてしまった。
軍部の独断専横を止め切れる才覚のある人がおれば、こういう事には成らなかった。
そういう人材は軍部の中にはいないわけで、どうしても軍部の外の人となると、例の治安維持法で口を塞がれているわけで、一編の法規をかたくなに順守する知識人というのも何とも不可解な存在だと思う。
私の皮肉な見方からすれば、治安維持法の存在を盾にして、言うべき事を言う勇気のないことを隠ぺいしていたという事ではなかろうか。
その事を真摯に反省すべきであるが、その時に考えなければならないことは、軍人・軍部の独断専横と言ったところで、野武士や山賊の集団ではないわけで、きちんとした海軍兵学校のOBや陸軍士官学校のOBで、その辺りの有象無象の輩ではなかったはずだ。
なのに、そういう人達に何故理性ある、乃至は知性的な議論をして、論理的に整合性のある説得が出来なかったのかということになる。
もっと極端の言い方をすると、我々は戦争の遂行は実に下手だが、戦争以外の統治なら極めて上手にこなすという事だ。
戦争が下手だという事は、おかしな言い分と思うかもしれないが、日清・日露の戦いに勝ってしまったが故に、我々は戦争が上手だと勘違いしてしまったが、基本的には我々は対外戦争が事の他下手だった。
日清・日露の戦いに勝って、本来ならば「勝って兜の緒を締めよ」であるべきところを、我々は慢心してしまって、成功事例に酔いしれてしまって、もの事を合理的視点で眺めるという事を忘れてしまったわけだ。
そういう愚劣な振る舞いを、我々レベルの低俗な人間がするならば何ら不思議ではないが、海軍兵学校や陸軍士官学校や東大法学部を出たような秀逸の人々が、そういう合理性を欠いた思考回路に嵌り込んでしまったという点が不思議でならない。
ならば、こういう学校で国費で執り行われた教育は一体何であったのかと、学歴コンプレックスの私としては思えてならない。
明治維新以降の日本政府は、日本という我々の祖国が映えある国家として、未来永劫、下々の平和と安寧を願って、戦争のプロフェッショナルを養成し、官僚のプロフェッショナルの育成に勤めて来たわけで、国土を恢塵に化すような輩を養成してきたはずではないと思う。
本来、優秀であるべき海軍兵学校や陸軍士官学校や東大法学部を出たOBが、何故、国家を潰すような仕儀に至ったのであろう。
いくら日本軍の高級参謀が愚昧だと言ったところで、一人や二人の司令官の作戦の失敗でこうなったわけではないはずで、日本の敗北ということは、軍、政府、官僚をひっくるめた国家としての組織それ自体のメルトダウンとしか言いようがないと思う。
国家としての国体がメルトダウンしても、邦人の復員・引揚げの事業はせざるを得ないわけで、そういうことになればなったで、その場に直面した人が全知全能を傾けてそれを遂行したという事だと思う。
戦後になって、我々の祖国は台湾と朝鮮を植民地支配し、満州に傀儡国家を作って、帝國主義的搾取を行ったかのような言い方をする人がいるが、全く実態を理解していないと思う。
台湾と朝鮮の統治は極めてスムースに行われ、日本の統治の最大の受益者は、彼の地の元々の住民であったはずである。
台湾と朝鮮の統治も、我々の側の深層の心理の中には、領土の拡充という要因も含まれていたとは思うが、我々は西洋先進国の帝国主義丸出しの、ただたんなる富の収奪という発想ではなかったわけで、現地人も日本人も共にその地の繁栄に貢献しようという温和な発想であった。
この理念は充分に生かされて、我々には現地の人々を搾取するという発想はなかったが、現実の生活面では現地人との間に大なり小なりトラブルが生じたことは否めない。
ただこの場合、現地で我が邦人が、現地人に対して優越感を見せびらかして、尊大に振る舞い、威張り散らす輩がいたことも事実だとは思うが、そういう輩はどういう民族にもおり、何処にでもいるわけで、だからと言って日本人がトータルとして台湾人や朝鮮人を蔑視しているというわけではない。
我々の側に如何に悪意がないと言っても、統治されている側からすれば、異民族に統治されている事に変わりはないわけで、いくばくかの違和感がぬぐい切れないのも当然ではある。
この台湾総督府、朝鮮総督府のトップに軍人がなった事は、当初は反乱の危惧を考慮してそうなっていたが、民間人に移行しても何ら支障なく遂行された。
という事は、戦争以外の大きなプロジェクトも、我々の民族は案外上手にこなしてきたわけで、戦争というビッグ・プロジェクトを軍人がやると、大やけどをして祖国を灰にしてしまったという事になる。
戦争のプロフェッショナルが本来の自分たちの職務を完遂できない、自分たちの本職を全うできないでは話にならないではないか。
戦争に負けるような軍人ならば、「給料返せ」、「恩給を返納せよ」、「死者を生涯弔え」という欲求が銃後の民から出ても何ら不思議ではないではないか。
千鳥が淵の戦没者墓苑に掲げてある地図、アジアの大部分と太平洋の大部分の地図を眺めて、こんなに戦域を拡げれば、勝てる見込みは最初から望めない事は一目瞭然とバカでもチョンでも判る。
こんなバカでもチョンでも判ることが、昭和初期の日本の軍人、海軍兵学校や陸軍士官学校を出たOBとしての戦争指導者たちに理解できなかったという事をどういう風に考えたらいいのであろう。
世界の軍人が、「日本の高級将校はバカばかりだ」というのも、大いにうなずけるが、本来、優秀であった筈の日本の軍人が、何故こうも愚昧な立ち居振る舞いをするようになってしまったのであろう。
その根本のところには、私の個人的な思考ではあるが、明治維新の時の四民平等という理念による階級制度の全否定がその根本原因だと思う。
そもそも江戸時代には、士農工商エタヒニンという身分制度が屹立していて、人々を統治する武士という階層は、全人口の10%以下だったと思われる。
その武士は、武装集団としての機能と、政治家としての機能、官僚としての機能を併せ持っていたわけで、一人で何役もこなすマルチタレントであった。
そういう集団が国内に300近くもあって、それぞれに自治が確立されていたが、これが近代国家となると、一つに集約されて、統治するセクションと武装集団、要するに国の用心棒のようなセクシュンに分離された。
そこで政府は近代化を早急に実現すべく、人材を手っ取り早く集める為にペーパーチェックを課して、その成績順に人材を登用するシステムを考案した。
このシステムは非常に公平な面もあるが、学業成績が立身出世のバロメーターになったことで、点取り虫の世界になってしまい、実務の実績と立身出世がリンクしないようになり、そこに齟齬をきたす幣害を内包していた。
これを是正しようとすると、既得権益を侵すことになり、既存の先輩が異議を差し挟み、その弊害が除去されないまま組織解体まで来たという事だと思う。
海軍兵学校にしろ、陸軍士官学校にしろ、東大法学部にしろ、それぞれの組織の中では、それこそ先輩、同輩、後輩でつながっているわけで、いわば全員が同じ釜の飯を食った同窓生で、何か不都合なことがあっても、お互いに庇い合うという精神構造が出来上がっていたに違いない。
プロジェクト遂行の中で何か大きな失敗や瑕疵があっても、それをとことん追求して、失敗の原因を究明し、その失敗を教訓として生かすという発想がないものだから、失敗を隠してお互いに庇い合うことをした。
その失敗の原因を何処までも追及するという事をせず、お互いに庇い合うので、失敗の本質が判らずじまいになり、結局は同じ失敗を繰り返すという事になったのである。
だから戦争以外の大きなプロジェクトでは、少々の失敗しても人命が直接損なわれることがないので、問題にならないが、それが戦争では直ちに人命にかかわってくるので、失敗は許されない筈である。
ところが、こういう場に居合わせた司令官や高級参謀にとっては、兵隊の人命など1銭5厘のハガキ代でしかないわけで、いくら作戦の遂行に失敗しても何ら痛痒を感じず、人的被害に何の痛みも感じていないので、同じことを何度も繰り返すのである。
それを見た世界の戦争のプロフェッショナルたちは、「日本の高級将校、高級参謀はバカではないか」という感想になるのである。
日本のような資源小国が、アジア大陸と太平洋という2正面戦争が成り立つわけがないではないか。
千鳥が淵の戦没者墓苑の地図を眺めて、日本の戦争指導者は何とバカだったのだろう、と思わない人はいない筈だ。
日本の戦争が敗北であったという結果から、軍人が責められるのは当然であるが、軍人や軍部の独断専横を許した他の者の責任も、いくらかは考察する必要があると思う。
東大法学部というのはあの時期内務省に多くの人材を送り込んでいた筈で、その内務省を通じて大いに戦争遂行に尽力したように思えてならない。
それとは別に、政治や統治を批判すべき役割を持った集団がいると思う。
つまり、メデイアや大学教授や知識人と言われる人々で、こういう人達が軍人の独断専横に何処まで抑制的なブレーキを仕掛けたかという点も戦後の反省としては必要ではないかと思う。
不思議なことに、あの戦争中も、日本の国会は完全に機能していたわけで、その中で軍人が肩で風切って闊歩していたことは容易に想像できる。
だが、それに対してメデイアや、大学教授や、知識人と言われる人々や、政治家は、彼らに対して、論理的に整合性を持った議論で、冷静に、理性的に、知的な論理で以て、そういうアホっぽいバカな軍人に、何処まで彼らの愚を説いたのであろう。
何もせずに、軍の組織が自壊するまで傍観していたと言うのであれば、これもまた実に無責任な話だ。
ここで素朴な疑問が湧くわけで、こういう指導者は無学文盲の輩ではなく、最高度にレベルの高い教育を受けているわけで、その結果としてこういう愚にもつかない仕儀を招いたとなると、彼らの受けた高度の教育は一体何であったのかという事だ。
日本の最高学府で学んだ秀才の導き出した結論が、日本を焦土化することだったとしたら、我々は高度な教育というものをどう考えたらいいのであろう。
日本を焼け野原に仕向けた責任者は、当時の日本で最高の学問を享受した最も優秀と言われた人たちであったわけで、そういう人がどうして自分の祖国を奈落の底の突き落とすような政治をしでかしたのであろう。


「『恥の文化』という神話」

2011-10-15 10:39:39 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「『恥の文化』という神話」という本を読んだ。
著者は長野晃子という人で、1938年生まれの東洋大学の社会学部の名誉教授名ということだが、私と同世代の人だ。
しかし、この標題からも推し量れるように、ルース・ベネジェクト女史の『菊と刀』に対する反論というか、批判というか、反発する内容ということは一目瞭然と察しが付く。
ルース・ベネジェクト女史の『菊と刀』に対して、反論を提起することは日本人として当然のことであるが、ただ下手に振舞うと、彼女の名声に対するやっかみと執られかねない状況を呈するから、その点には注意が肝要だと思う。
この著者も、その傾向が顕著で、ルース・ベネジェクト女史の論旨が、ヒュー・バイアスという人の二番煎じだ、ということが綴られているが、こういう論旨が出るという事は、既に彼女に対するやっかみとか嫉妬の領域に入るのではないかと思う。
特に、学者の書く作品は、小説家の書く作品とは違うわけで、前の研究者の実績の上に、新しいアイデアを積み重ねていくわけで、その部分で先人の実績の残滓が残っている事もままあると思う。
学問というのは、先人の実績の上に又新しい実績を積み上げて成るものだと思う。
何の関係もない空白のスペースに、いきなりある特異な実績が湧きたったり、降り落ちたりするものではない筈である。
ある人の功績には、その前に居た人の実績が何らかの形で反映されるものだと思う。
小説ならば、個人の頭の中だけで考えたことを文字に移せば、それはそれなりに成り立つが、社会科学では、或いは人文科学では、フイックションではありえないので、過去の先人の実績の上に、あらたな実績を積み上げるものである以上、誰かの影響が作品の中に反映されていたとしても何ら不思議ではない。
この本の著者は私と同世代であるが、私が若い時にこの本を読んだ時の率直な感想は、「対戦国の女性が日本の土を一歩も踏まないのに、よくこれだけ大和民族の本質を掘り下げたものだ」、という驚異が先に立った。
この『菊と刀』が日本で出回った当初の、日本の知識階層の反応は、極めて冷ややかなもので、大声でこの本の評価を吹聴するものはいなかった。
つまり、敗戦直後の日本の学者には、この『菊と刀』に匹敵するような研究そのものが現実にはありえなかったと同時に、この本は我々日本民族をまさしく丸裸にして世間に曝した様な印象を受けたに違いない。
少なくとも私自身は、そう感じて、アメリカの女性に日本男子が丸裸にされて、街頭を引き回されている構図が頭の中をよぎった。
私のような鈍才、愚才がそう感じたのだから、大学教授というような人ならば、私が感じる以上に鋭敏に大和民族としての恥辱を思い浮かべたのではないかと思う。
ただ日本の知識階層は、思想的に極めて軟弱というか、独善的というか、一人よがりなタコつぼに嵌り込んでしまって、小宇宙的な視野でしかものが見えず、象牙の塔に逃げ込んでしまって、外からの大きな視野で物事を見つめる勇気を持っていない。
本来が農耕民族なので、田舎の代官様や地主様というような古い価値観に盾突くことが出来す、我が身の平安を願うあまり、波風を立てることを忌避する安全志向を目指す水飲み百姓の根性そのままだ。
それは大学の自治という概念に極めてよく現れている。
すなわち、学問としてならば、何をどういう風に研究してもいいが、大学という施設が治外法権の場ではないという事は当然のことであって、シャバで悪事を働いても大学に逃げ込めば官憲の力が及ばない、という論理は明らかに間違っている。
しかし、戦後の日本の知識階層は、こういう風に大学の自治を故意に曲解して憚らなかったではないか。
最高学府の人間が、こういう考え方をいささかも恥じないという事は、実に嘆かわしい仕儀ではないか。
「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」という屁理屈ばかりを並べて、明らかに自明なことを極度に曲解して悪知恵を働かせることに長けている学識経験者という輩を我々はどう捉えたらいいのであろう。
戦後の日本の学識経験者が、べネジェクト女史の『菊と刀』を評価しなかった背景には、彼女がアメリカ国務省の仕事として戦時情報局というセクションに属していたので、我々の概念でいえば対日作戦の遂行者の一人というわけで、彼女の立場が純粋にアカデミックな立場ではなかったから、そういう意味の反発もあったに違いない。
それと、この本の執筆が、対日占領政策に寄与する目的を持っていた、という点も見逃がせないポイントであろうが、私のような俗人は、こういうアメリカの施策に対して驚嘆を覚える。
日本とアメリカは、正面から5分と5分の戦いをしたわけで、結果的には物量に勝るアメリカに日本は負けたが、その戦いの本質を我々は大いに研究する余地がある。
あの太平洋戦争を始める時点で、我々の側に勝ち目はないという事が薄々わかっていたにもかかわらず、奈落の底に転がり落ちて行った経緯は、真摯に検証する必要がある。
アメリカは物量に優れていたので、それさえ同等であれば日本は負けなかった、という仮定は成り立つかもしれないが、これではまさに関ヶ原の合戦レベルの思考であって、こんな戦争を想定していたとするならば、海軍兵学校も陸軍士官学校も不要だ。
日本が過去において海軍兵学校や、陸軍士官学校を擁していたという事は、関ヶ原の合戦レベルの戦争を想定していたのではなく、最小の努力で最高の戦果を得る手法を考えていたのではないのか。
鉄砲も弾も無いのに「精神力で戦え」などと言ってもどだい無理な話で、こんなナンセンス極まりないことを何故に海軍兵学校や、陸軍士官学校のOBが支持していたのだ。
戦争のプロフェッショナルを自認する連中が、自分たちの行いの不合理さ、不整合さ、支離滅裂な思考や行為を何故自覚できなかったのだろう。
まさしくバカの上塗りそのものではないか。
海軍兵学校や、陸軍士官学校は当時の日本の優秀な人材が蝟集していたので、彼らならば銃がなくても弾がなくても戦争遂行が可能だったとでも言うのだろうか。
敵のアメリカ人からすれば、「何故、日本人はそんなバカな戦争を続けるのだろう」といぶかるのは当然の事だと思う。
「そういうバカな民族を統治するにはどういう手法が一番ベターなのか、一つ大学の先生方研究してくれ」、という要求が軍から大学にあっても当然だと思う。
この部分の発想の相異を、日本の大学の先生方、及び日本の知識階層は気が付くべきであった。
昭和の初期の段階で、軍人の専横が甚だしくなって来た時、軍人の横暴に論理的に整合性を持った理念で以て、そういう跳ね上がった思考に対して、その矛盾を説き、武力による解決が相手の反感を招く、という極々当たり前の論理を展開すれば、元々が優秀な頭脳の持ち主である青年将校なのだから、自然の摂理を理解しないという事はないと思う。
それが出来ずに、軍部に対して傍観者の立場で、象牙の塔に引き籠ってしまったのが、この時代の大学教授という知識階級であったわけで、この大学教授をはじめとする知識階層の身の振り方、身の処し方が、日本とアメリカでは大きく異なっている。
この本の著者、長野晃子東洋大学社会学部名誉教授も、戦後の日本の知識階層の一人として、象牙の塔の中から人の著作の揚げ足取りには所為を出しているが、日本政府が将来の日本国民を如何様に育てあげるべきか、日本民族の未来に資する対応は如何にすべきか、という大きな視点が抜け落ちている事に本人自身が気が付いていない。
大学と軍、べネジェクト女史の場合は国務省であるが、が協力し合って、アメリカという国が如何に効率的に占領国を統治するかを研究するということ自体、日本の知識階層には想定できない事だと思う。
過去の日本では、軍からの依頼を受けて大学が研究をするという事は、兵器の開発にはいくらかあるようだが、人文科学の面で、台湾や、朝鮮や、満州の統治に関して、国や軍から大学が何らかの助言を求められるというケースは皆無ではなかったかと思う。
また軍は軍で、大学に助言を求めるという事は、軍の估券に関わると思っていたかもしれないが、こういう事はそれぞれの民族の発想の相違なわけで、ものを考える時の元の元のところの思考の起点が違っているので、これは何とも参考の仕様がない。
生きるという事に関して、我々は水稲を育てて、春に田植えをして秋に取り入れをすることを生業にしているが、西洋人は、陽がな羊や牛を追っていたわけで、物事の考え方は根本的に違って当然である。
だからルース・べネジェクト女史の書いた『菊と刀』が、少々我々の実態の描写と違っているからと言って、鬼の首でも取ったかのように振舞う必要はない。
著作は著作として、その努力は素直に認めるべきで、細かい揚げ足取りに終始してはならないし、我々が考えなければならない事は、戦勝国が敗戦国を統治するのに、相手の本質をよりよく知るという謙虚な態度だと思う。
戦勝国が敗戦国を統治するについて、如何にすれば最小の努力で最大の効果が得られるか、と大学に研究を委嘱するという態度・発想は、我々の発想にはない物の考え方だと思う。
20世紀の近代化国家としては、本来ならば、戦争をする前に相手国の国民性やら、国情やら、軍備の配置について開戦前に詳細に大学に研究させて、その研究成果によって、戦争のプロフェショナルとしての軍部が、開戦を何時如何なるタイミングで、どこから攻め入るかという計画を研究するのが本筋だと思う。
昭和の初期という時代に、我々の側にこういう思考が果たして存在していたであろうか。
政府も、軍部も、大学も、日本の先行き、アジアの先行き、地球規模の政治と外交の確執を解きほぐす思考というのはありえなかったわけで、ただただその場その時の時流に対処療法的に対応するのみで、綿密なプランに沿って将来を組み立てるという思考は我々の側にはなかった。
私個人としては、この『菊と刀』を一番最初に読んだ時、まさしく感嘆そのものであった。
アメリカの大学教授が、国務省に協力したという形であったとしても、日本の土を一歩も踏まずにこれだけの事を書いた、という事が驚きそのものであった。
本の内容の可否は、それぞれの読み方によって、それぞれに価値が違ってくるであろう事は当然であって、それはそれで由とすべきである。
だが日本の識者は、その内容にこだわり過ぎて、その内容の可否を論ずることに姦しく、この本が出版された背景を見ようとしていない。
こういう部分に、我々同胞の近眼視的な視点があって、教養知性に溢れた学識経験者ならば、そういう近眼視的な物の見方ではいけないので、全体を大きく俯瞰する視点をもたなければならない。
そんなことは学者ならば当然わかっていることで、そのわかっているのが当然なことを順守しないから、世の中がいびつに偏向するものと考えられる。
昭和初期の日本だって、立派に民主主義は機能し、議会制民主主義は生き残っていたにもかかわらず、教養知性に溢れた学識経験者が粗暴な軍人、粗野な青年将校と称する無頼漢のサーベルの音に委縮し、それこそべネジェクト女史の言う恥の文化を身を以て体現していたわけで、戦後まで生き残ったこういう人たちは、べネジェクト女史にどう反論できるのだと言いたい。
学徒出陣で出征した若者が特攻機で勇ましく散華して行く中で、それを送り出した側の教養知性に溢れた学識経験者らは、家の中で軍人のサーベルの音に縮み上がっていたということだ。
戦後における戦争への反省の中で、あの狂気の戦争を遂行したのは軍人・軍部の独断専横だった、という言辞が普遍化して誰もがその論旨を安易に受け入れているが、その裏側では当時の日本の知識階層がそういう風潮を陰になり陽になって支援していたという背景がある事を忘れてはならない。
戦争のプロフェッショナルの軍人・軍部が間違った道を歩んでいる時、その間違いを知性と理性で正すべき使命を負った当時の日本の知識階層、政治家、大学教授からメデイアの幹部が、その使命を放棄したという点も、我々は追求して然るべきだと思う。
戦後まで生き残ったこういう知識人にとって、彼らが高等教育で享受した教養・知性とは一体何であったのだと言いたい。
戦後の日本で、ああいう状況の中でかろうじて生き残った学識経験者が、ルース・ベネジェクト女史の『菊と刀』を読めば、彼らとしては身の置き所がなかったに違いない。
それこそ街中を丸裸で引き回されている心境にいたったと思われる。
地球上に生存する諸民族は、その置かれた地勢的な条件によって、その生き様は多様に違ってくると思う。
けれども、それぞれの民族のそれぞれの生き方には、どれが悪くてどれが良いという価値基準は基本的に存在していないわけで、それぞれの民族はそれぞれに自ら種を維持する為に最良と思われる手法を自ら考え、自ら実践して、それぞれの民族を生きながらえている。
つまり、言い方を変えれば、生存競争を生き抜いているという事になるが、この生存競争を生き抜くという行為には、正邪、善悪、善し悪しという価値基準が当てはまらない。
そういう価値判断で地球上の人類を眺めると、善人悪人、良い人に悪い人という言い方になってしまい、それは嵩じてくると「侵略した、しない」という論理なってしまう。
ところが、これは陽がな学問を積んだ人の自慰的で独善的な思考なわけで、自分は学者であって為政者とは別のポジションから人々の有り体を傍観しているから、こういう独りよがりな思考に陥るのである。
有象無象の人々を引っ張っていく為政者の立場からすれば、他者から何と言われようとも、自らの人民を引き連れて行かねばならないわけで、侵略であろうとなかろうと、良い事であろうとなかろうと、隷下の人々を飢えさせるわけにはいかないので、人々を引き連れて前に進まねばならない。
それが生存競争の現実なわけで、そういう場では綺麗事を言ってはおれないわけで、何が何でも自らの人民の為に生き抜かねばならないのである。
人類の過去の歴史の中では、為政者が私利私欲で、人民を酷使して、自分だけ良い目をした為政者も数限りなくいたので、その他大勢の人民の中には、自分たちで自分たちのリ―ダーを選出しようという動きが出て来て、それが民主政治と言うものである。
だから、今の先進国の政治形態はおおむねそういう線になっている。
とはいえ、それぞれの民族の政治形態は、それぞれの民族が自分たちで良いと思った手法を選択しているので、皆同じではないが、自分たちの国が少しでも良い国に、住み易い国にと思う心は皆同じだと思う。
自分たちのリーダーの立ち居振る舞いが良い評価を得ることは案外難しく、誰でもけなすことはできるが、ならばどうすれば良い国、住み易い国に出来るか、となると答えはないという事になる。
我々の場合、高等教育機関で学業を積んで、学識経験豊富な知識人になると、政治家という職業に携わっている人たちが、阿呆に見えるようになるのも或る意味では納得できる部分がある。
これは如何なる民族でも基本的には普遍性がある事実だと思う。
しかし、自分の国を良くしようと思ったら、学者も政治家も協力し合わなければならないことも自明のことであって、如何なる国でもそれは普遍的なことであり、アメリカは比較的スムースにそれをしているが、我が国ではそれがならないというところに大きな問題があると思う。
その大きな問題というところが、学者の側の軍に対する嫌悪感だと思う。
花鳥風月を愛し、自然を友としようとする、人畜無害の暇つぶしを生業とする学者が、陣地を取ったり取られてして血なまぐさいことを生業とする軍人と相容れるわけがないではないか。
テクノロジ―の分野では、お互いの好奇心がすり寄るという事があるかも知れないが、基本的に象牙の塔は軍の対極の位置にあるものだと思う。
学者が、政治家や軍人を蔑視する考えそのものが、日本が奈落の底に転がり落ちた遠因ではないかと思う。
先に述べたように、学者が軍人のサーベルの音に縮み上がっていたというのはこのことを指している。
学者と軍人を2つ並べてその本質を掘り下げた時、人類の理想としては軍人に学者以上の広範な学識経験が必要なのではなかろうか。
何となれば、軍人には必然的に実効力としての武力が備わっているが、学者にはそういう力はないわけで、いわば人畜無害というわけだ。
武力を行使する機会と権力をもった軍人ならば、それを行使する際には学者以上に広範な知識と高い理想・理念と、深い愛情を備えた人でなければ、その力の行使に不安が伴うわけで、安心して軍人の行為を見ておれない。
しかし、学者の立ち居振る舞いというのは最初から最後まで、徹底的に無責任でおれるわけで、計画がいくら当初の案からはずれようとも、それに対する責任という事は問われないわけで、言い放なしのしっぱなしで済ませれる。
厳密に考察するとこうなると思うが、我々の過去の歴史も、今現在の状況もこういう風にはなっていない。
戦時中、軍人のサーベルの音に縮み上がっていた学者が、戦後、軍人が追放されると、それこそわが世の春を謳歌して、戦争の敗因の責任を全部軍人と軍部に追い被せて、「当時は治安維持法があったのでモノが言えなかった」としらを切っている。
一遍の法律をそれほどまでに遵守していたとしたならば、日本に警察は要らないではないか。
「治安維持法があったからモノが言えなかった」という論理は、「原発は事故を起こすから作るな」という論理と全く同じなわけで、目の前の事象に対して極めて短絡的な反応をしているということであって、あまりに幼稚な思考回路を指し示しているということである。
それは人間の英知を根本から否定する思考であって、人間がものを考えて進化することを拒否する考え方である。

「中国 危うい超大国」

2011-10-12 10:06:09 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「中国 危うい超大国」という本を読んだ。
スーザン・シャーク著、徳川家広訳という本で、結構新しい作品であり、膨大な分厚さであった。
このスーザン・シャークという女史は、アメリカのクリントン政権下において、対中国関係の外交面で表舞台に立って活躍したアメリカ屈指のチャイナ・ウオッチャーということだ。
彼女の論旨は、その全てが的を得た正鵠を示しているので、我々としてはそれを大いに参考にすべきではある。
しかし、私の個人的な視点から見ると、彼女もやはり西洋人の本質をそのままその思考の中に出してしまっているので、我々とはその潜在意識の部分で少なからず違和感を感じずにはおれない。
そもそも中国人は、紅毛碧眼の西洋人に接する時と、同じモンゴロイドのアジア人に接する時では、その最初の出会いからして違っている。
アングルサクソン系のヨーロッパ人に接する時にはそれこそコンプレックスの塊であるが、それが同じアジア人に接する時は優越感の塊となるわけで、この極端な態度の変化は、彼らの基底にある中華思想のなせる技だと思う。
こういうアジアの状況、アジアに住むモンゴロイド系の潜在意識というのは、アングルサクソン系のヨーロッパの人々には理解しがたいものではないかと思う。
中国の歴史は4千年とも5千年とも言われているが、ヨーロッパの歴史もおそらく同じ時間であったに違いないが、記録というものがないので、その分曖昧な部分は否めない。
その中国の悠久の歴史の中で、中華思想は連綿と生き続けていたわけで、何代も何代にもわたって、漢民族は「この世で一番優れた民族だ」ということが語り継がれてきた。
中国人の全ての人が「漢民族こそこの世で最も優れた民族で、他の民族は全てが漢民族より劣る存在で、そういう野蛮人、別の言葉でいえば夷狄ということになるが、そういう人々は漢民族に従うべきだ」という認識から脱し切れていない。
ところが19世紀の後半に、中国の沿岸に来襲した西洋人は、漢民族、その時に実際に中国を統治していたのは女真族、いわゆる満州民族の清であったわけだが、漢民族にしろ、女真族にしろ、アングルサクソン系のヨーロッパの人々の出現は想定外の出来事であった。
彼らが持ち込んだ銃器の威力にはド肝を抜かさんばかりに驚かされて、それ以来というもの、紅毛碧眼のヨーロッパ人に対してはコンプレックスの塊となってしまったのである。
ところが彼ら、中国人の古典的な宇宙観では、漢民族こそがこの世で最も優れた民族であって、中国をとりまく周辺の民族は全て夷狄であり、そういう野蛮人は漢民族の皇帝に対して朝貢をして当然であった。
そうすれば漢民族の皇帝としては寛大な措置を講ずる、という統治の仕方で以てアジアを支配していたのである。
東アジアでは朝鮮までがその中国、漢民族、いや厳密には女真族の支配に汲々と服従していたが、こと日本、倭の国に限っては、その支配に屈しなかったのである。
我が民族の先輩諸氏が中国の支配に服しなかった理由は、我々の強い意志というよりも、地勢的な条件で、我々と中国の間に海があったという単純なものであろうと思うが、歴史的な結果として、我々は大陸の民族の支配には一度も下らなかったという実績が残った。
逆に、19世紀の終わりには、日本は彼らの巨大な大清帝國を正面戦争で打ち負かしてしまい、20世紀初頭には、これまた中国の地で戦争をして実効支配してしまった。
彼らが日本、つまり彼らの言う夷狄の一つである、倭に敗北してしまったということは、我々が考える以上に彼らにとっては大きな屈辱であったに違いない。
これが西洋人のような紅毛碧眼の人達に征服されたのならば、その屈辱感は日本人のものとは比較にならない程温和であり、ある意味であきらめの境地であったに違いない。
我々が対中問題で常に頭に入れておかねばならい事は、中国人、特に漢民族というのは、自らの非を決して認めないということである。
日本と清が戦争をして、清が負けたのは、「清は決して悪くないが、日本が侵略的な意図を持っていたからだ」、という論理を展開するが、自分たちがなぜあの小さな日本に負けたか、という自らの反省は一切しないのである。
自分たちの敗因を論理的に分析して、それを将来の参考にするという思考にはならないわけで、その場その時の状況に合わせて、ただただ感情的にわめき散らすというだけで、それは一種のパフォーマンスでしかない。
19世紀末のアジアの近代化の時期のついては、アジアの如何なる国も同じような状況であったと思う。
ヨーロッパからの予期せぬ外来者の来襲は同じようにあったであろうし、それに対する処置も、それぞれに似たり寄ったりであったろうと想像するが、その後の対応では歴然と差が出て来たわけで、その対応の差が近代化の格差となったという事だ。
この近代化の格差も、基本的には当事者の意識の所為であるが、それは同時に自分たちの対応の不味さということにもなるが、彼らはそういう認識には至らないのである。
「自分達の対応の不味さ」という認識に至らないということは、彼らは自己の反省をしないということで、自分たちの敗北の原因を他者の所為にするわけで、「勝った側が悪い」という論理になる。
嘘か本当か知らないが、彼ら中国人は、夫婦喧嘩も家の中で夫婦だけでするのではなく、街頭にまで出て自己の主張の正当性を何の関係のない人にまで誇示すると言われているが、まさしくこれと同じ行動パターンを演じているということだ。
この本の著者は極めて鋭い観察眼のチャイナ・ウオッチャーなので、その観察も実に的を得た正鵠であるが、その鋭い観察眼で戦後の中国人の思考を分析している。
その彼女の目に写る現象でも、中国人は対日問題を中国国内の大衆の不満の鬱積に対するガス抜きとして利用している、という指摘は的を得た視点だと思う。
特に、革命の実行者が世を去り、革命を自ら体験していない世代が多くなると、過去の実績に疎く、目の前の現実に幻惑されて、その場その時の雰囲気に流されて、大衆受けのする決断を迫られるわけで、それはある意味で中国の大衆の本音の表明でもある。
つまり、中国の人々の底流に脈々と流れている潜在意識の表れ、とみることも出来るわけで、それを一言で表現するとするならば、中国の歴史に連綿と引き継がれている中華思想、中国こそが周囲の夷狄から崇められるべき立場の民族であって、その秩序を乱す考えは断固排除すきであるという、中華思想、華夷秩序という思考方式となる。
ヨーロッパ系の人々では、いくら中国に対する鑑識眼が練れていようとも、中国の悠久の歴史の真髄は、文献からしか得れないと思うが、中国の周辺の諸民族は、それを体験として皮膚感覚で理解し合えるのである。
この本の著者も、西洋人のチャイナ・ウオッチャーとしては極めて優れた才能をひけらかしているが、アジア人の深層心理を探る、という点に関しては現場の人間の方に一分の利があるように見える。
特に、20世紀初頭の日本の大陸進出については、教科書通りの認識しか持ち合わせていないようにしか見えないので、その深層の部分については言及が掘り下げられていない。
今の中国の若者、建国の苦労を知らない世代、革命の経緯を知らない若者は、中国共産党が単独で、自分たちだけの力で革命を成し、建国の実績を上げたかのように思い込んでいるが、中国の大地において中国共産党が革命を成就させた背景には、旧日本軍の中国進出という事態があったればこそ、革命が成し得たわけで、中国共産党だけでは国民党政府を打倒できなかった、という現実を真摯に直視する必要がある。
日本が日中戦争に嵌り込んで行った背景には、盧溝橋事件があったことは論をまたないが、この事件こそが中国共産党の罠・策謀であって、我々はその罠に嵌められて国民党政府軍と交戦するに及んだのである。
その後の経緯としては、日本軍が国民党政府軍を追い詰めたので、共産党が中国の地で有利なポジションを得ることが可能になったのであって、そういう事実は革命の当時者、建国の当事者の世代は、そういう経緯を充分に承知しているので、何の整合性もない荒唐無稽な反日の議論は出てこなかった。
歴史の現実を真摯な目で直視すれば、日本は1945年8月15日、中国との戦争に真から敗北したわけではない。
日本は連合軍に、その中でもアメリカ軍に敗北したのであって、中国の大地で国民党政府軍に敗北したわけでもなく、中国共産党の八路軍によって東シナ海に追い落とされたわけでもない。
中華民国が連合軍の一員であったが故に、連合軍に敗北した関係上、武器を置いて戦うことを一方的に止めただけで、中国の国民党政府軍に敗れたわけでもなく、共産党軍に敗北したわけでもない。
日本が中国の地で戦うことを止めた後になっても、国民党政府軍と共産党軍はその後4年間も戦い続けていたわけで、結果的に共産党軍がシナ本土を席巻して、中華人民共和国の建国ということになったが、その後、中国共産党は自分たちの国の建国を全部自分たちの功績として、その実績を横取りしてしまったのである。
それでも、この時点で、革命を自ら推し進め、建国に自ら身を挺した世代は自分たちの建国に日本の存在があったればこそ、その事業が成し得たという実感を共有していた。
ところが中国の存在、中華人民共和国という共産党の作り上げた国が、世界に認知されると、彼らは自分の存在を少しでも大きく見せようと様々な手法を講ずるわけで、それはエリマキトカゲが敵を威嚇する心理と同じことを演ずるようになったのである。
その手始めとして、反日教育があったわけで、日中戦争に最中において、日本軍は筆舌に尽くし難い極悪非道な行為を行った、という反日キャンペン―である。
この反日キャンペーンや反日プロパガンダは、まさしく「白髪三千丈」という誇大妄想に近いもので、そこに持ってきて先に述べた、夫婦喧嘩でもわざわざ通りまで出て自己の正当性をあかの他人にまで吹聴する仕儀と同じ論理を展開して、その整合性の無さはいみじくも「風が吹くと桶屋が儲かる」式の極めて杜撰な論理構成である。
その整合性の非をいくら相手に説いても、こちらの言うことを聞く耳を持たないでは話にならない。
自分の言い分だけを声高に叫んで、相手の言い分に対しては聞く耳をもたないでは、大人の冷静な議論にならないわけで、それを黙殺すればしたで、またまた何とも整合性のない報復手段を講ずる。
全く、やんちゃ坊主そのままの児戯の体をなしているので、この現状を見せつけられれば、とても威厳ある大人の振る舞いとは言えない。
そもそも過去に日本に支配されたからと言って、日本を恨みたくなる心情は判らないでもはないが、その根本は、自分達が日本に支配されるほど愚昧だったわけで、その部分を他者の、つまり自分たちの怠慢を棚に上げて日本の所為にして、相手をののしるというのは彼らの得意技というか、彼らの本質そのものだと思う。
彼らは、日本が戦争に負けて中国本土で戦うことを止めてから4年間も自分たち同志で戦い続けて、その結果として、かろうじて中国共産党がシナ本土を制圧できたが、この時代の中国共産党には人材がいなかったと思う。
毛沢東が蒋介石に追われて中国全土を逃げ回っている時に、良い人材が共産党の元に集まってるわけがない。
行った先々で、夜盗や強盗、山賊や馬賊というような無頼漢が、共産主義の何たるかも判らないまま、「資本家、地主、金持ちを殺して、貧乏人にその財産を分け与えよ」と言いくるめられれば、それに付き従うようになるのもありえる話である。
結果として、そういう連中が徒党を組んで北京に流れ込み、中華人民共和国の建国に大いに貢献したに違いない。
そういう無頼の輩の集合体が、国家という体制を上手く運用できるはずもなく、それが曲がりなりにも歩み始める契機には、毛沢東のカリスマ的な独裁政治が必要であった。
だが、一旦出来上がった共産主義国家の中でも、世代交代が重なるに従い、革命の苦労、建国の苦労を知らない世代が登場してくるわけで、彼らは彼らで、ある意味で軟弱であるが、その分国家の体制そのものが近代化してきているので、建国の時の理念とのマッチングが不可能になってきた。
彼らの建国も半世紀を越すと、完全に近代化を成して、国力がそれなりに付いてくると、必然的に国力にふさわしい立ち居振る舞いをしなければならないようになるわけで、その部分が唯我独尊的な利己主義になってしまうのである。
彼らの民族的な特異性は昔から変わることなく、究極の利己主義なわけで、彼らの生き様の中には、他者の為という概念は微塵もないわけで、自分さえよければ後は野となれ山となれというもので、それが国策にも歴然と表れるわけで、その意味では彼らのイデオロギーには何の意味も待ち合わせていない。
彼らが一応の近代化を成して、近代国家として世界の舞台に立つかどうかという時に、彼らにとって潜在的な問題は日本に対する扱いであった。
主権国家の教育の内容に嘴を差し挟むなどということは、実に大人気ない行為であるが、彼らはそれを臆面もなくするわけで、この感覚はまさしく野蛮人そのものだと言わなければならないが、彼らにはこういう感覚が理解しきれていない。
主権国家の教科書は、当然、その国の次世代を担う若者の為に、主権の基軸としてその国の理念を説くことは主権国家として当然のことであって、それこそが主権の主権たる理由そのものではないか。
日本の教科書の記述には事細かく嘴を差し挟むが、ならば日本が中国の教科書にイチャモンを付けたらどう思うか、という配慮はまったく無視して、ただただ一方的に自分たちの言い分だけを声高に叫んで、こちらの言い分を聞こうともしない態度は、頭から日本を蔑にしているということである。
前にも述べたように、彼らが日本の支配に下ったということは、彼らの政治にも不手際があって、日本の進出を防ぎ切れなかったという反省があってしかるべきだと思う。
日本がアメリカと戦って負けて、アメリカ側が一方的に極悪非情な仕打ちをしたからヤンキー・ゴ―・ホームというかといえば、我々の場合はそうならない。
負けたのは我々の戦い方が不味かったのだからいた仕方ない、という反省の上に立って、「もうああいうバカなことは金輪際しないよ」と身を引き締めている。
それに引き換え、共産中国は、まるで乞食が金持ちに金をねだるが如く、執拗に金の無心をしているわけで、中国の大衆、民衆、人民には、民族の誇りというものがないのかと言いたい。
ただこの本の著者がいみじくも言っているように、中国の政治家、今の統治者にとして、中国の大衆や民衆に、日本に対する反日キャーンペンを言わせることは、中国の大衆の不平不満、うっ憤のはけ口としてのガス抜きの面も大いにありうるという話は真理をついていると思う。
この反日運動がいつ何時政府批判、共産党批判に転化するかも知れない、という不安は統治者にとってみれば払拭しきれない切実な不安だと思う。
21世紀の地球にとって、人間の欲望はかなりの程度充足された状態になるのではないかと思う。
食糧も、家も、インフラも、車も、身の回りのものは十分とは言わないまでも、かなりの程度満たされてくると、何が何でも獲得しなければという欲求は抑制されてくると思う。
いわゆる成熟した社会ということになるが、そういう社会では、もうこれ以上の資源の無駄遣いは抑制される方向に向かうと思う。
ところが中国のような国は、この社会が成熟するという概念が湧かないと思う。
中国人の欲望は尽きるところがないわけで、最後の最後の水の一滴までも、自己のものとして所有権を主張集して止ないと思う。
彼らの論理では、「この議題は整合性に欠けているから、最初から論理的に議論を組み立てて、納得のいく答えを導き出そう」、という発想は頭からないわけで、何の関連もない議論でも、声が大きく、何度でも同じことを繰り返して、相手が迷惑がって議論を投げだすまで大騒ぎを演じるという態度を通すのである。
人と人の潤滑油としてのモラルなどという概念は、最初から存在していないわけで、あるのは相手に自分の言い分を如何に聞かせるかであって、その為の手段は一考に厭わないのである。
今の中国が情報を操作し、検閲を実施し、当局の意向のままに大衆を操作するマシーンに成り変わっているということは、如何に民主化が遅れているかということであるが、この地では民主化ということはあり得ない話だと思う。
そもそもこの国、中華人民共和国の建国の理念は「権力は銃口から」というものであって、こういう思考の中から民主主義というものが生まれてこないことは当然ではないか。
こういう国が建国から約半世紀経って、国民のガス抜きが必要になって来たということは、既にその建国の理念が退化したということであって、それは民主化に一歩近づいた現象でもある。
だ、とするならば、中国の周辺諸国としては歓迎すべきことであるが、それは同時に、アジアの不安定要素の勃興でもあるわけで、決して予断を許すものではない。
中国でも日本でも他のアジア諸国でも、それぞれの時間は皆平等なわけで、再生日本の誕生の時期と、中華人民共和国の誕生の時期の間には少しばかり時間的なずれはあるが、その同じ時空間を共有する中で、社会の成熟度において大きな格差が生じたということは、それらの国を成り立たせている中味の人間の資質に依るところがあると言わなければならない。
日本人も、中国人も、韓国人も、それぞれに西洋列強、アメリカ、イギリス、フランスという国に、大勢の留学生を送り出している。
そういう意味ではお互いにやっていることは大差ないが、社会の成熟度のおいては大きな差が出たということをどういう風に考えたらいいのであろう。
その答えは、それぞれの民族の生い立ちに依拠する価値観の相異だと思う。
それぞれの民族の、それぞれ固有の価値観は、それぞれが住んでいる地勢的な条件の元に形作られるのは当然の帰結であって、日本は島国であるが故に、入ってくるものを拒まず出てゆくものも拒まず、良い物は素直に参考にして、自分のものとすることを厭わないが、中国と韓国はそうではない。
彼らは、自己の価値観を不動のものと考え、自分達がこの世で最高、最良の宇宙を形作っている、という概念から脱し切れなかった。
人の意見を聞く耳を持たないわけで、大衆の不満のガス抜きをするということは、大衆の意見を正面から聞き、それを真摯に受け止め、大衆の期待に応える度量を持たないから、ガス抜きということをしなければならないのである。
中国の大衆のガス抜きの為の反日プロパガンダであるとするならば、それには何の整合性も見い出せず、まさしく「風が吹くと桶屋が儲かる」式の荒唐無稽な論理展開ということになる。
中国の言う事が須らくこういう無責任極まりないものであるとするならば、我々はよくよく注意して、彼の地の言動に注意を払わねばならない。
中国がこれだけ経済発展を遂げても、尚中国の地から人々が外に溢れ出るという事は一体どういうことなのであろう。
先に読んだ蛇頭の話によると、日本に流れ込んでくる蛇頭は中国の底辺の人々で、こういう底辺の人々から上層階級で海外留学するような人まで、自分の祖国を捨てるという事は一体どういう事なのであろう。
こういう人々が、自分の祖国ではない他の国の中で、中国人のゲットーを作って彼らだけのコミニュテーを形作られては、既存の主権国家は方はたまったものではない。
庇を貸して母屋を取られる様なものだ。
この本の著者はアメリカの大学の教授で、彼女の視点はグローバルなものであり、日本にだけに限定した思索ではないが、実によく書かれた本だと思う。

「たたずまいの美学」

2011-10-09 17:35:33 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「たたずまいの美学」という本を読んだ。
サブタイトルには「日本人の身体技法」となっていた。
標題の「たたずまい」という言葉も極めて日本的な言葉だと思う。
この「たたずまい」という言葉は英語ではどう表現するのであろう。
和英辞典で牽いてみるとatmoshpereという単語が出てくるので、西洋にもあることはあるのであろう。
しかし、このサブタイトルにもある様に、日本人の身体技法に美意識を感じるのは日本人の身贔屓ではなかろうか。
日本人の立ち居振る舞いを、日本人が見れば、そこに我々の民族的な美意識が覚醒されたとしても、それは我々の側の自己満足のような気がしてならない。
現に、西洋人の日本人に対する認識は、今に至っても「イエロー・モンキー」ぐらいにしか映っていないように思われてならない。
日本人の立ち居振る舞いに美意識を感じる西洋人は極めてまれな存在であって、彼らの大部分の認識では「イエロー・モンキー」の域を出るものではないと思う。
古い話で恐縮だが、日本がアメリカと戦わねばならない状況に追い込まれたのは、ドイツと手を結んだことが遠因であったが、この時のドイツのヒットラー総統は、我々日本人を完全なる「イエロー・モンキー」としか見做していなかった。
日本が中国と戦っていたさなかには、ドイツは中国の蒋介石軍を支援しており、それが掌を返したように日本と手を組むと言う事は、彼らが如何に日本を甘く見て、その場その場の状況で使い分けをしていたかということに他ならない。
約束を誠実に守る気などさらさらなく、ドイツが成そうとしていた対ソ戦の為に、ソ連の注意を東に向けさせて、戦争準備の時間稼ぎの為だけに日本を使ったに過ぎず、ドイツとしてはまともに日本と手を組む気など最初から無かったと考えられる。
それを見抜けずに舞い上がっていた当時の我々の同胞の政治指導者の知性と理性も押して知るべしである。
西洋人からすれば、我々日本人をはじめとするアジアのモンゴロイド系の人間など、まさしくモンキー並みにしか見ていない。
ただ、世の中が進化して、アジア系のモンゴロイドでも西洋人を武力で排除する力を持つようになると、つまり今日のようにグローバル化が進むと、公式の場での交渉では、相手の尊厳を考慮して威厳をそこなうことのないように一応の礼節でもって遇することは彼らの教養として今でも生きている。
しかし、非公式の場で、アジア人がいないところでは、彼らの認識としてはやはり彼らの本音として、モンゴロイド系人種の蔑視の態度は変わらないに違いない。
日本人が同胞の立ち居振る舞いの中に美意識を感じるのは、やはり同胞としての身贔屓だと思う。
世界中に幾つの民族が存在するか定かには知らないが、それらの個々の民族は、自分たちの置かれた自然条件と、自然の環境に素直に順応しながら種を維持し続けて来たと考える。
地形とその地形に付随する気候と、その気候に付随する生成物を上手に利用することによって、種を永らえて来たと想像する。
つまり、我々日本人は、温暖多雨な地勢的な条件から稲作を開発し、その事によって子子孫孫、生を永らえて来たが、地球上の他の地域の人間は、動物を追い、家畜を飼いならして種を維持してきた人もいるわけで、そういう民族の生き様そのものがそれぞれに異なった価値観を派生させているに違いない。
稲作を生業とする我々のような民族が「ああ!美しい姿だ」と感じることと、家畜を追い回して生きている人たちが「ああ!美しい」と感じる対象は、おのずと異なっているのが当然である。
この本の中には、農作業をするときのそれぞれの民族の執る姿勢の相異が述べられているが、同じような農作業でも、農業の在り方によって、それぞれの民族の基底の格好が違うのはある意味で当然なことだと思う。
この本は、純粋に学問の見地からそれぞれの民族の立ち居振る舞いに言及しているが、私はある意味で戦争オタクで、あらゆるものを戦争と結び付けて考える癖があるが、人と人が戦うという状況に置いた時、地球上の民族では、その戦うという根本のところで非常に大きな考え方の相異がある。
このことは今の若い日本人は全く意識していないが、先に述べたドイツ人の日本人蔑視の思考も、この部分の潜在意識がなさしめているわけで、それは戦うという事の本質が、発想の次元の認識のレベルで異なっているということである。
この本の本旨は、我々、日本人の日常生活における「たたずまい」の美しさを説くものであって、決して戦いの奥義を説くものではないが、この我々の美意識としての立ち居振る舞いの「たたずまい」というものは、生存競争を何が何でも生き抜くという切実な希求とは別次元の思考である。
この本の中では、日本の古武術の奥義に関する記述があって、「コツを会得する」と言った場合の「コツ」は「骨」の意味だと説かれているが、これはあくまでも個人の武術の要領なわけで、ここで言う武術も、勝つ為の奥義を強調するのではなく、「コツ」の概念を理解することに意味を見出している。
こういう、精神性を説くことが日本文化の基底に脈々と流れているわけで、結果よりもその過程を大事にするという考え方である。
その意味で、私はこういう日本文化の精神性を頭から否定するにやぶさかでない。
華道、茶道、武道のことごとくが、結果よりもその過程を尊ぶ気風に満ちているわけで、この部分が日本文化の極めて虚構じみた点だと思う。
結果さえ納得できれば、その過程など、どうでもよさそうに思うが、我々の日本文化は、そうではなく、その結果よりも、その結果を導いた過程が大事なわけで、こんなバカな話もないと思う。
花を花瓶に生けるのに何故ああでもないこうでもないと屁理屈がいるのだ。
お茶を呑むのに何故ああでもないこうでもないと屁理屈を言った上で、心にもないお世辞を言いつつ呑まなければならないのだ。
国体の護持のためには、日本民族が絶滅してでも尚戦い続けるのだ、という信念、精神論など、バカバカしくて話にもならないではないか。
お茶など飲みたければさっさと好きなように飲めばいいではないか。
「ワビ」だとか「サビ」だとかわけのわからないことなど言っている暇に、さっさ自分で火を起こしてお茶を入れて飲めばいいではないか。
門外漢の一人として言えることは、茶道の本質が、ただお茶を呑むというだけではなく、その場における心の葛藤、言葉で言い表すのではなく、言わず語らずの内に相手の心を読む、という点に茶道の真髄があることは理解できる。
しかし、これを西洋人に理解させようとしても甚だ難しいことは論をまたないが、問題は、我々の民族の間で言わず語らずの内に相手の考えていることを推察するという、気配り、配慮、空気を読むという振る舞いである。
私のような凡人は、やはり口から出た言葉でしか相手の本音は理解できず、それでも裏切りということは十分にあると思う。
我々の同胞の間でも、私のような天の邪鬼は端から相手されないので、こういう人間に茶道や華道を理解させるということは難しいことだろうと思う。
こういう発想が日本で生まれ、日本という風土の中で育まれて来たということは、それぞれの民族のおかれた地勢的な条件が大きく作用していることは当然であろう。
ところが、お互いの民俗学の上での研究ならば、それはそれだけのことであるが、ここが国家主権と国家主権が合い塗れた場合、相手を知るという場面でこういう研究が大いに役立つ。
ぶっちゃけて言えば、戦争になった時、相手の本質を知るのに民俗学は大いに役立つ、と言うことになるが、今の日本の学者ではそういう場合の協力を潔とはしないに違いない。
私が西洋人と我々同胞ではもの考え方が根本的に違うと言うのは、そもそも発想の次元から違うわけで、同じ一つの目的を達成しようとして、それぞれが全く違う発想で以て、目的を達成しようとするということである。
その顕著な例が乗馬という行為である。
馬を乗用として使うには、鞍の存在が無ければならない事は洋の当時を問わないわけで、日本人もアメリカ人も、乗馬をするには鞍なしでは成り立たない。
厳密に言えば、裸馬に乗るということもあるにはあるが、それは特異な例であって、普通は鞍を使うことは論をまたない。
そこでアメリカの西部劇で見るカウボーイの使う鞍と、日本の殿様の使う鞍を比べて見ると、その違いは歴然としている。
アメリカのカウボーイの鞍は実用一点張りで、何処にも無駄な部分がないが、日本の殿様の使う鞍はまさしく装飾過多で漆塗りでさえある。
ジープと高級セダンの違いと見做すと解りやすい。
この違いは、まさに使用する人の認識の差以外の何ものでもないわけで、文化の発想の原点にまでさかのぼる意識の相異だと考えざるを得ない。
で、この馬に乗る、乗馬する際にも、こまごまと屁理屈を付けくわえて講釈をすることが日本においてはある種の文化と称せられているということだ。
それが華道であり、茶道であるわけで、その屁理屈に裏打ちされた立ち居振る舞いが、この本が言わんとする「たたずまい」ということだと考える。
馬に乗る、馬を移動の手段と考える、馬によって人間の能力を軽減するという発想は、農耕民族としての我々日本人には極めてなじみにくい発想に違いない。
だから馬の利用はどこまでも贅沢品としてあるので、それなりに富裕層でなければ、つまり大名のような殿様でなければ維持さえ出来ないわけで、移動の手段などという発想は、我々の側には想定さえ出来ないのである。
こういう例は他にもあって、雪の上を移動するのに、ヨーロッパではスキーが発達したが、我々の側は輪カンジキになったように、雪の上を移動するという目的は同じにもかかわらず、出来上がった手法はまるで違うわけで、これはまさしく発想の次元の相異でしかない。
この相異は言うまでもなく、それぞれに生きて、生活をする地域の地勢的な要因が大きく影響しあっているのであって、ヨーロッパを生活の場とする西洋人と、農耕民族で限られた小さな領域で固まって生活をする我々の物の考え方の相異が、地域の特性を如何なく反映している、という証拠だと思う。
だから我々日本人は、生活の中で、日本人としての生き方をしつつある中で、世界に類のない独特の立ち居振る舞いをしているわけで、その生活の中の立ち居振る舞いに美意識を感じるという感覚は、ある意味では身贔屓でもあるが、同時に我々の感覚がそれだけ繊細だということでもある。
我々、日本人の女性が和服を召すと、自然とその行動に抑制が掛かって、大股で歩いたり、機敏な動作が出来ないので、それがまた見方によっては、「たたずまいが整う」という見方も成り立つ。
「たたずまい」とは対極の位置に「はしたない行為」というのがあって、江戸の末期に日本に来た外国人が顔をしかめた行為がそれで、働く男性の尻ハショイという風俗である。
これが西洋人の感覚からすると野蛮に映ったらしい。
無理もない話で、一日中、体をはって動き回る労働者が、着物の裾をしたまで下げていては動きが取れず仕事にならなかったに違いない。
飛脚や、駕籠カキや、川渡しの人足が、上品に着物の裾をおろしていては仕事にならない。
日本人の「たたずまい」というのは日本における人々の生き様の中のTPOであったのではなかろうか。
その時の場所と状況に応じた立ち居振る舞いならば、我々の感覚として、それに美意識を感じていたということだと思う。
それが「粋」であったり「イナセ」という価値観であったと思われる。
自分たちの日常生活の中に美意識を感じるということは、そうとうに文化的に洗練され、繊細な感覚が研ぎ澄まされていたということで、それは世の中が平和でなければあり得ない状況だと思う。
激動の時代では、人々の間にそういう心のゆとりというか、精神の緩慢さというものはあり得ないわけで、目先の利益に振り回されて、生活の中に美意識を感じる、などという意識は生まれてこないと思う。
だから、日本では目の前の合理性よりも、心のゆとり的な精神性が重んじられるので、さきに述べた華道や茶道のように、日常生活の中の立ち居振る舞いに、ああでもないこうでもないと屁理屈を述べたてて、その議論を楽しむという、いわば遊び的なものの考え方が流行ったに違いない。
日本人が和服を召して、床の間に花を生ける、茶室で茶をたてる、筆と墨で書をしたためる、などという行為、立ち居振る舞いは、我々同胞が眺めても確かに美意識を感じる。
日本文化の良さを身を持って体験し、それに触れたことを心から幸運と思うので、それを異文化の西洋人の視点で眺めて見ると、そこには大きなカルチャー・ショックを受けることは不思議でもなんでもない。
私自身は戦争オタクで、物事を戦に例えて考える癖が付いているので、その観点からこの文化の相異を発想の次元にまで遡って考えるのが常である。
そういう見地から我々の民族の根源的、潜在的な無意識のうちの発想の仕方というものを考えて見ると、時代状況を厳密に考察しなければならないと思う。
日本文化の中の「道」という概念、茶道、華道、書道、武道というものの考え方は、江戸時代という約250年にもわたる平和な時代に熟成したわけで、押しも押されもせぬ平和の産物である。
世の中が平和だったから花を生けるのに、或いは茶を呑むのに、ああでもないこうでもないと、ただただ時間の浪費のような議論が成り立っていたわけで、そういうことを念頭において、ならば激動の時代には我々はどういうもの考え方を組み立てれば良いか、ということになる。
江戸時代に熟成した日本の文化は、昭和から平成の世になっても、根底から払拭されたわけではなく、戦後の混乱を克服した暁には見事に復活したが、この時には既に西洋の文化の波が日本を席巻していたので、文化を下支えする部分ではそのせめぎ合いが演じられていた。
だが、日本の大衆は、そういうことに無頓着なまま時流に流されていた。
20世紀から21世紀、昭和から平成という激動の時代に、我々の同胞が西洋の文化を追従し、それでいて日本の伝統的な文化も同時に享受するということは、我々の日本民族というものが極めて柔軟な思考方式を持った民族だということに尽きると思う。
私の持論であるが、地球上の人類は全て同じ時間を共有しており、それぞれの民族の近代化のスタート・ラインは皆同じ時に同じ様に出発したと考えている。
しかし、今日、このように各民族、各国家に格差が生じたのは、それぞれの民族が持つ潜在的な物の考え方の中に柔軟性の有る無しではないかと想像する。
江戸時代の末期に、西洋人は日本ばかりではなく、朝鮮にも中国にも同じように来襲していたが、我々はそれをしぶしぶとはいえ受け入れて、彼らの先進性を見て、追いつけ追い越せという発想になった。
ところが朝鮮と中国は何処までも排除することにこだわったので、その分、近代化に後れをとったのである。
この近代化の時間差は、そのまま彼らの民族の潜在意識の覚醒の時間差でもあったわけで、民族としての思考の柔軟性の欠如であった。
ただこういう文化を論じる時、忘れてならないことは、我々の民族の真面目さであって、人が誠実なことは基本的にはプラスの要因であるが、あまりにも生真面目なるが故に、それが齟齬にまで至ってしまうケースが往々にしてある。
日本の伝統文化である華道、茶道、書道、武道等々においても、初心者に対しての最初の指導は「楽しめばいい、難しい理屈な抜きでいい」、と言いながら、教えることが弱い者イジメに転嫁してしまうケースがあるわけで、最終的には金の問題に行き着いてしまっている。
日本の伝統文化の立ち居振る舞いは、確かに見る人が見れば実に麗しく、優雅なたたずまいで、心を落ちつかせるものがあるが、今の指導者の中には、それを教え普及させることを金儲けと心得ている人もかなりの数いると思う。
知らないものが知っている人から教えを乞うて対価を払うというのは充分に理解できる。
しかし、ならば金を受け取る方、つまり先生の側は、金を払う生徒に対してサービスを提供すべきであって、それが威張ったり、叱ったり、いじめたりするでは、人に教える前に自身の精神修養をせよと言いたくなる。
この我々同胞の真面目さは、その裏の意味するところは頭の固さであって、極めて教条主義的な思考の持ち主が一見すると「生真面目な」という評価に繋がりかねない。
だから、伝統的な日本文化の講釈が延々と継承されて、それを伝授する行為が金儲けとして成り立っているのであろう。

「諜報員たちの戦後」

2011-10-07 11:45:31 | Weblog
例によって図書館から借りて来た本で、「諜報員たちの戦後」という本を読んだ。
サブタイトルには「陸軍中野学校の真実」となっていた。
この陸軍中野学校が戦後の日本で注目を集めるきっかけは、1974年、昭和49年に小野田寛郎氏がフイリッピンのルパング島から帰還した時からではないか、と私は勝手に考えている。
この時、彼、小野田寛郎氏が何故に戦後も29年間もフイリッピンの孤島で戦い続けたのか、という疑問に対して、本人が言う事には「残置諜者として、任務を遂行していたので、上官の命令がない限り出頭できなかった」と言ったので、にわかに彼の所属していた部隊の本質が浮き彫りにされたという経緯があった。
彼はこの本で言う陸軍中野学校二股分校で、残置蝶者としての教育を受け、そういう命令を受領してルパング島で潜伏していたわけで、戦争が終わったことを薄々知りつつも、尚任務を遂行していたという意味では、世界的に見ても見上げた軍人魂だと私は思う。
この彼の出現で、陸軍中野学校の存在がにわかに世情を賑わしたが、基本的にはこの学校の存在は、そうそう社会に賑やかに登場してはならない存在と思う。
諜報員の養成ということは、近代国家ならば当然の施行であって、旧日本軍はそれに気が付くのが甚だ遅かったように私には思える。
どうしても、戦という場合、正面装備が話題を浚ってしまうが、これは洋の東西でも変わらない真理だと思う。
ところが、正面装備を補助する機関として、諜報員を如何に考えるかで、戦、いわゆる戦争の効率が大きく左右されることもありうる。
日本でも戦国武将は乱波という影武者、いわゆる忍者を使って敵の情報を集めるなどということはしていたわけで、それでいて乱波の存在は公式には認めていないので、彼らはいくら戦功を上げても、論功報償にはあずかれなかったのである。
忍者はそれを十分承知の上で、自分の大将に仕えるわけで、そういう意味では陸軍中野学校の存在も、決して世間で騒がれる存在であってはならないものと考える。
だが、今、戦後66年も経た時点で、この陸軍中野学校をというものを考えた時、大きな教訓がその中には埋没されていると思う。
それは、当時の日本の置かれた表向きの考え方を全面否定して、「敵を知ることが敵を制する最良の手段だ」という発想にあったようで、これは私に言わしめれば、戦争、殺し合いを生業とする人の、基本的信仰でなければならないと思っている。
ところが、当時の日本の軍部には、そういう発想はいささかも存在していなかったわけで、彼らは敵を知りもしないのに、ただ単にその場のムードで相手に挑んだので、手ひどい惨敗を期したのである。
この本を読んだので急に日本の情報戦に危惧を抱いたわけではないが、この地球上において主権国家が主権を維持しつつ存立するということは、まさしく生き馬の目を抜く修羅場において、食うか食われるかの生存競争を生き抜くということではなかろうか。
そして、この地球上に数多ある主権国家というものは、必然的に統治するものとされるものという2重構造で成り立っているわけで、人々の命はそれぞれの国の統治する側の人に預託されている。
統治する側の人が、国民の命の価値をいささかも考慮しない場合は、その国の国民は大きな惨劇を負わねばならないことになるわけで、それが日本の場合、先の日中戦争から太平洋戦争の流れであったということだ。
しかし、よくよく考えて見ると、この時、つまり昭和の初期という時代においても、日本の議会制民主主義はきちんと機能していたように思う。
確かに軍人によるテロは頻発していたが、テロに狙われる頻度は、金持ちが押し込み強盗に入られる頻度と大した変わりはなかったと思う。
つまり、あの時代のオピニオンリーダークラスの人達は、テロを恐れ、押し込み強盗に入れらる事を恐れ、見えない敵、軍人のテロという架空の恐怖に縮み上がってしまって、言うべき事を言う度胸を失ってしまったのである。
国を形作っているのは、統治するものとされるものという2重構造であるが、議会制民主主義を下支えしているものは、ものを言う人と、それを聞く人の2重構造になっている。
ものを言うべき人が、軍人のサーベルの音に縮み上がって、言うべき事を言うべき場所と、言うべきタイミングで言わなかったから、日本は奈落の底に転がり落ちてしまったのである。
一言でいって、大衆とか、庶民とか、民衆というのはバカだ。
こういうバカがものを言って、それを聞いたバカが言われたこと真に受けて、バカな行為に走るのが大衆というバカの本質である。
今回の東日本大震災において、東電の福島第1発電所の原子力発電所が被害を受けて大きな事故を引き起こした事はまことに不幸なことであるが、東電側の対応の不味さは非難されてもいた仕方ないが、この震災の復興に関連して、日本国民の支援でも随分いい加減なものがある。
口先では東北の震災復興を支援すると、綺麗ごと言いながら、福島の薪を燃やしてはならない(京都)、福島の花火は上げてはならない(愛知)、という言い草はまさしくバカの言い分そのもので、そのバカの言い分をバカな住民が真に受けているという構図ではないか。
これと同じバカが昭和の初期の日本を席巻していたわけで、ここで本来ならば教養・知性のある知識階層、メディア、大学教授というようなオピニオンリーダーが、言うべき時と場所で、言うべき事を言うべきであった。
陸軍中野学校というスパイ養成機関においては、あの時代の日本ではまさしく別世界のような教育が施されていたということは驚くべき事だが、その本質はあれから66年を経た今日でも、いささかも評価されていない。
明治維新から日清戦争までは約26年間、日露戦争までは36年という時間があった。
太平洋戦争で焼け野原から再生して今日まで66年間である。
戦後という時空間の中では、我々は自分たちだけで生きて来たわけではなく、世界の人々の相互扶助があったればこそ、生き馬の目を抜く国際社会で生かされてきたわけで、その意味で今の日本の若者が平和を願う気持ちは充分に理解し得るものである。
しかし、戦後の平和教育の中で育まれた戦後教育の中では、人の生き方のノウハウの中に、平和教育あればこそ平和の裏側の現実をいささかも教えなかったことは、今一度、考えてみる価値があるのではないかと思う。
「平和の裏側」と言った途端に、もうアレルギー反応を起こすような風潮は、まさしく、先に述べた福島の薪や花火の話と同じレベルのバカな話になってしまうわけで、こういうバカな話が大手を振って罷り通る世の中というのは末恐ろしい社会だと思う。
昭和の初期の時代に、日本全国津々浦々に至るまで軍国主義一辺倒に汚染されたということは、この福島の放射能汚染に見られるように、何の根拠もない風評被害のようなもので、この何の根拠もない風評に対して、きちんとした社会のリーダーたるべき人が、きちんとした対応をしなかったから、有象無象のバカな民衆の大群に押し切られて、日本全国津々浦々に至るまで軍国主義一辺倒になってしまったということである。
我々の先輩が時代の趨勢に抗し切れずに、明治維新を成し、近代化にまい進して、その為には富国強兵こそ最短コースだと見定めて、その道を掛け上がって来たが、その時の富国強兵は正面装備の誇示こそが、国家的なスローガンたりえたわけで、その裏側で正面装備を下支えする影武者に対する評価は、誰一人として正当に見積もっていなかった。
特に、我々日本人には武士道に対する憧憬の念がぬぐいされないので、我々の同胞のなかでは、この武士道こそが人物評価の最高の名誉とされていたが、この思いが近代というか現代というか、国家総力戦という生き方とは真っ向から対立する思考なのである。
武士道というのは戦国時代の戦い方の基本であって、対峙した相手に対して、どうどうと正面戦争を仕掛けるもので、確かに男らしく、正々堂々として、男の美学を彷彿させるが、戦いというのは勝たなければ意味がないわけで、いくら男らしい戦いぶりであっても、負ければ何の意味もない。
ところが我々の同胞は、太平洋戦争で敗れて国土が焦土と化しても尚、意味のない男の美学に酔って、その負けっぷりに価値を認めようとした。
これを称して、私は「軍人が戦争を私物化した」と唱えているが、我々の民族の基底にある武士道というのは、近代から現代の国家総力戦という新しい戦争の仕方にはマッチしていないのである。
しかし、9・11事件以降というものは、この新しい戦法も既に時代遅れとなったわけで、そういうこと言ったり書いたりすることを日本のメディアは露骨に嫌がるが、それは同時に、そういう連中は真の人間の生き様に無頓着だという事に気が付いていない。
世の中は常に変わっており、常に進化し続けているので、戦争が国軍と国軍の正面衝突という時代は既に過去のものであって、今はテロとの戦いでもわかる様に、非対称の戦争なわけで、それに対応するにはそれこそインテリジェンスで戦う他ない。
つまり、これから21世紀の戦士は、全員が陸軍中野学校のようなスパイでなければならず、身分を隠してテロリストの集団に潜入しなければならないということにある。
アメリカ映画にあるように、潜入捜査官のような戦い方が21世紀の戦争の本流になるのであろう。
こういう時代の変わり目において、我々、日本民族の対応の仕方というのは、あらゆる場面で後手後手と後追いになるような気がしてならない。
つまり、我々はどうしても武士道の精神を根底から否定し切れないので、チームによる団体戦というイメーズを思い描くことが不得意で、少数精鋭という思考に取らわれすぎるような気がしてならない。
「戦いに勝つ」ということに対して、我々は精神性をその中に見出そうとして、その戦いの過程に美学を見出そうとするが、我々以外の人間は「何が何でも勝てば良い」と、素直に結果のみを追い求めて「勝ち」にこだわる。
我々、日本人はその誕生の時からチームワークという事には不慣れな民族なのではなかろうか。
農耕民族として稲作をして生きてきた過程において、強力なリーダ-の存在が不要なコミニュティーを形作ってきたわけで、リーダーの役も回り持ちであった事を考えると、他者との諍いを如何に生き抜くか、という発想には元々不慣れな思考であったに違いない。
我々にとって「他者」と言ったところで何処まで行っても同胞であったわけで、他者が異民族などという事は、まさしく想定外の事であったに違いない。
それが近代化に伴って、清、或いはロシア、或いはいアメリカと戦うという時、相手を知るということに対して認識が甘かったに違いない。
日清・日露の時は、たまたま運が良かっただけで勝てたが、この時、自分達の勝利が「たまたま運が良かっただけだ」という認識が国民全体に欠けていたに違いない。
その事を今流の言い方をすれば、国が情報を開示せずに国民に対して隠匿したという言い方になるが、情報を開示したとしても、国民が政府を擁護する雰囲気は生まれなかったものと推察する。
民族の本質などというものは、そう安易に変わるものではない。
我々が民族として正面装備を大事にし、影武者を疎かにする思考というのは、これからも変わることのない民族の本質だと思う。
そして、戦後66年間も戦争ということに真剣に立ち向かわなかった我々の同胞の危機管理も、大きな齟齬を内包していると思う。
戦後の平和教育の中で、「戦争は悪で、何が何でもすべきではない」という思考から一歩も脱却できないということは、無知に直結しているわけで、自分がバカだと認識していないバカほど始末に負えないというのも世の中の真理である。
鳩山由紀夫や管直人が戦争という政治の一形態に対して、どういう認識を持っているか甚だ心配である。
民主党のトップのみならず、自民党においても、若い政治家の中には戦争という政治のある状態を政治としてどこまで認識しているか甚だ心配である。
自衛隊は表面上の正面装備はそれなりに整えているが、問題とすべきは、その裏側にどういう影武者を配置しているかということであるが、これは当然の事、公表すべき事ではないので、それはそれでいた仕方ない。
憂うべきは、それを取り巻くバカな国民の側で、特にマス・メディアは、情報開示を錦の御旗に仕立てて、「何でもかんでも情報を曝せ」と迫るわけで、こういうバカに対して、どこまで餌で吊り続けるかという問題である。
政治家がメディアからマイクを突き付けられて、しどろもどろに答弁している図がテレビに映っているが、あの答弁を見ていると、政治家も実にだらしないと思う。
その一方で、そういうテレビの画面に自分の顔を写すことで、自己のPRと捉えている向きもあるので、どちらもどちらであるが、もう少し絵になる答弁がありそうに思う。
取材記者からマイクを突き付けられて、そこでテレビに顔が映るのを好機に、出来るだけ良い所を演出しようとするから、答弁がしどろもどろになるのであろう。
メディアに媚びを売ろうとするから足元を掬われるのである。
メディアなど最初からインテリーやくざだと認識しておれば、彼らに足を掬われる事もないが、なまじスケベ心を出して顔を売ろうとするから墓穴を掘るのである。
中野学校というのは情報戦の本質を突く所であるが、今の日本人で、その本質を理解する人が果たして何人いるか、と甚だ心配である。

「戦争サービス業」

2011-10-05 10:17:39 | Weblog
例によって図書館から借りて来た本で「戦争サービス業」という本を読んだ。
サブタイトルには「民間軍事会社が民主主義を蝕む」となっている。
著者はドイツ人のロルフ・ユッセラーという人だ。
民間軍事会社というのは先の湾岸戦争からイラク戦争を通じて、イラクにおけるアメリカ軍の護衛にこの民間の警備会社が活躍したということで、知る人ぞ知る事実となった。
そもそもアメリカ軍を警備する民間企業という構図そのものが不自然極まりない。
民間企業を護衛する軍隊というのならば、論理的にも整合性があるが、それが逆転しているところにイラクの特異性がにじみ出ていると思う。
この湾岸戦争もイラク戦争も、基本的には国家対国家の全面戦争ではなくて、あくまでも巨大軍事大国に盾突いたテロの大規模なもの、という認識でしかないものと思う。
先の大戦、第2次世界大戦においては、アメリカはドイツのUボートによる無差攻撃に対する反発という形で参戦したが、太平洋においてはアジアを席巻する日本に対して、先制攻撃という形で参戦して来た。
アメリカ側としては先制攻撃したい所であったが、アメリカ国民がそれを許さなかったので、ルーズベルト大統領は日本を罠にかけて、「リメンバー・パールハーバー」という事態を作り上げ、その事によって戦争に入って来たのである。
しかしこの「リメンバー・パールハーバー」というフレーズを喚起することによって、アメリカは対日戦では国を挙げてそれこそ真剣に戦いに挑んできた。
アメリカがこれほど挙国一致で国を挙げて真剣に戦争をした相手は、日本以外に他には存在しない。
その後の朝鮮戦争でも、或いはベトナム戦争でも、国を挙げて挙国一致で戦ったという感じはしない。
無理もない話で、朝鮮戦争で北鮮軍が攻め入ってきたと言っても、アメリカ本土に攻め入ったわけではない。
ベトナム戦争でもアメリカ本土にベトナムの共産党がロケットをぶち込んだわけではないので、普通のアメリカ市民にしてみれば、何処遠い国の戦争ごっこのぐらいにしか映っていなかったに違いない。
それが2001年の9・11事件に対するイラクへの報復という段になると、イラクとアメリカの対立ということは最初から成り立たないわけで、軍事的にイラクにはアメリカに勝つ勝算は全くない。
それはアメリカにも充分判っていたけれど、それでも尚イラクを攻撃したということは、イラクの政治態勢を根本的にひっくり返すのが狙いだったわけで、その後に作るべき民主的なイラク政府に期待をいだいた行為であったのである。
イラクのサダム・フセインがイラク国民を抑圧していたので、その抑圧されたイラク国民を開放するつもりでいたところが、イラクの人々は基本的にアメリカと同じ価値観を持った人々ではなく、アメリカの方針に素直に納得する人々ではなかったわけである。
対日戦に勝った時のアメリカは、日本に丸腰で上陸してきたが、イラクに渡ったアメリカ兵は、丸腰で歩ける状態ではなかったわけで、「俺達がフセインを倒してやったのに何が不満だ!」という気持ちだったと思う。
この不安定というか、無政府状態というか、誰が敵で誰が味方か判らない場所で、アメリカ軍が軍としての行動をしようとすると、四方八方からテロの攻撃に曝される状況で、そこにアメリカ軍を護衛する民間警備会社の存在意義が生まれたのである。
アメリカ軍の物資を運ぶコンボイを警護する民間警備会社の要員にすれば、彼らはアメリカ軍の人間ではないので、何をしでかしても軍規に拘束されることはないので、ある意味でやりたい放題したい放題で通るということでもある。
当然のことながら、相手側の市民の反感を買うこともあって、現地の人々からすれば、アメリカ軍も憎いがそれを警護する警備会社の人間も同じように憎いわけで、テロの標的としては遜色ないことになる。
本来ならばアメリカ軍の行動を警備するのは、アメリカ軍自体ですべきであるが、イラクの社会情勢はそれを許さないところまで行っていたのである。
別の見方をすれば、物資の補給の出来ない飛び地に陣営を構える作戦そのものの是非が問われるべきであるが、アメリカ軍は地上では身動きも出来ない状況に置かれたようだ。
しかし、軍の業務を民間の企業に肩代わりする方向は、これから先も多くなることはあっても、少なくなる事はあり得ないと思う。
日本の自衛隊を例にとっても、自衛隊が災害派遣に出動して、隊員の食事の世話や、風呂の世話などという作業は、純粋な隊員でなくとも出来るわけで、そういう部分は民間企業に委託しても充分に整合性を確保できると思う。
昨今のあらゆる先進国の軍隊では、女性の進出が目ざましいが、女性に出来る仕事ならば、民間企業に委託しても充分に整合性を見出せると思う。
補給、通信、諜報という分野で、長年国費で養成した筋肉モリモリのマッチョな男性をそんな職域で使うことはないわけで、そういう男性は、それこそ特殊部隊の要員に差し向けるべきで、軍隊、軍部の仕事というものを仔細にオペレーションリサーチすれば、当然、軍の人間でなければならない仕事というのは絞られてくると思う。
大抵どこの国の軍隊でも、給養班というのがあって、兵員の飯作りに励んでいると思うが、こういうセクションならば民間に委託してもなんら不思議はないが、そうなればなったで、新たな問題は、その民間企業を何処まで監視し、管理できるかという点に関心を向けなければならない。
20世紀までの軍隊は、何処の国の軍隊でも、自己完結型の組織であった。
司令官から飯炊きまで、一つの組織の中で完全に機能し、職務が遂行可能であった。
それは国と国が同じ立場で戦争を遂行するイメージが生きていたからであって、今のように非対称の戦争ということになると、昔の軍と言うイメージそのものが時代に合わなくなってしまって、イラクにおけるアメリカ軍の行動をどういう風に見るべきか、指針が失われてしまっている。
アメリカ軍が最新鋭のハンビーに機銃を据えて物資を運ぶコンボイを警備しても、自爆テロや火炎瓶の攻撃に対処できないでいるわけで、戦闘で死ぬ兵士よりも、戦後処理の部分で死ぬ兵士の方が多いなどと言うバカなことになっているのである。
こういう状況下で、世界のメディアは、アメリカ軍の行動や行為を非難する論調がかしましいが、本当にそれでいいのであろうか。
私の個人的な思いとしては、アメリカはイラクや、イランや、アフガニスタンに何ら関わり合うことなく、さっさと引き上げて、現地の事は現地の人間に任せればいいと思う。
何も世界の警察官ぶらなくても、放置しておけばいいと思う。
しかし、それで済まないところが悲しいわけで、その原因は、こういう地域には地下資源が眠っているという現実があるからである。
と言うことは、その基底の部分に、人間の欲望としての我欲の尽きることのない欲求が潜んでいるということになる。
先進国アメリカの我欲の追求も、人間としての基本的な在り様の一つではあるが、この地球上の、いわゆる低開発国の人々の在り様も、何とも言葉では言い表せない状況を呈していると思う。
基本的に我々先進国の人間は、イラク、イラン、アフガニスタイン、その他アフリカのさまざまな国々を、我々と同じ主権国家の一員と見做して話をしているが、この前提そのものが間違っているのではなかろうか。
イラク、イラン、アフガニスタインを、我々と同じ価値観を共有する民主主義の政治体制の元に導こうとしても、それは未来永劫あり得ない話かもしれない。
それを阻害する要因としては、宗教の存在を否定することは出来ないが、彼らが今の自分達の宗教に固執する限りにおいては、我々と同じ価値観を共有する民主主義の体制の確立と言うことはあり得ないと思う。
イラク、イラン、アフガニスタインの人も、アフリカの奥地の人々も、アマゾンの奥の人々も、ヨーロッパ人も、中国人も、日本人も、人類の起源という観点から見れば、同じ時空間を共有しているわけで、お互いの歴史的時間は皆同じだと思う。
世界の4大文明の発祥には時間差があったとしても、誕生の時から比べれば、微々足るもので、その差異は無視してもいいと思う。
つまり、世界のあらゆる民族にとって、文化・文明の出発点、スタートラインは皆同じであったと言ってもいいと思う。
しかし、21世紀の今日、イラク、イラン、アフガニスタインとヨーロッパ先進国、およびアメリカ合衆国との文化とか機械文明の格差は一体どうして出来上がってしまったのであろう。
ヨーロッパやアメリカは、こういう未開な人々の地の下に眠っている地下資源が欲しくて欲しくて仕方がないが、その上に暮らしている未開人は、その使い方さえも知らないわけで、ただ自分たちが宝の山の上に生きている事だけは概念的に理解しているが、その地下資源の真の価値は知らないままでいる。
アメリカを始めとする先進国は、こういう土地の人々に民主的な国家を作ってもらって、その国家と合理的なおかつ人道的な整合性のある商取引をしようとしても、それを狙っているのは何も物分かりのいい先進国のみではないわけで、如何なる汚い手段を使っても、何が何でも横取りしたいと思っている国もあるわけで、混乱は一層複雑になる。
こういう未開な国では、国家の軍隊というものが極めてあやふやな存在で、国家の基盤そのものが非常に不安定なものだから、軍隊もある意味で私兵に近く、暴力団に極めて近似しているわけで、果たして我々の認識で本当に軍隊と言えるかどうか大いに疑問である。
こういう地域に、先進国の石油掘削会社が事業をしようとすると、本来ならば、その国の軍隊に保護を求めるのが筋であるが、その軍隊があてに成らないとなれば、自国の警備会社、いわゆる民間軍事会社に保護を依頼しなければならないことになってしまう。
ここで、国の主権を代行する正規の軍隊ならば、国際的な規約も、その国の憲法も、その国の軍規も、それはそれなりに機能するが、民間軍事会社となるとそれを規制するものは何もないわけで、そこでは完全に無法地帯ということになってしまう。
中近東でも、アフリカの奥地でも、南米大陸でも、いわゆる未開の地域というのは、正直なところ救いようがないと思う。
イラク、イラン、アフガニスタインを始めとして、世界の未開地に先進国の善意の人々がNPOとして入り込んでいるが、アメリカ軍が世界の警察官ならば、彼らは世界の救世主であるが、それほどまでして彼らの面倒をみる必要はないと思う。
今の先進国は、かつてはより良い社会の建設を目指して、殺し合って殺し合って、殺して殺されて、今日を築いたわけで、今の地球上の未開の人々は、その先進国の歩んだ過程を今トレースしていることになる。
先に進んだものが、自分達の行程を憐れみの目で見る必要はないと思う。
この本が危惧している問題提起は、民間軍事会社を使う立場、要するに主権国家の為政者の側が、こういう企業に軍事を委託することによって、真に経費節減と同時に安全保障が担保できるかどうかである。
軍事の根本原理は専守防衛だけではないはずで、その中には当然、先制攻撃も入っているが、こういう戦争はあくまでも20世紀までの戦争という意味で、古典的な戦争と言える。
ところが東西冷戦が消滅した今、こういう古典的な戦争はあり得ないようになったので、新しい時代の新しい戦争をイメージしなければならない。
それは非対称の戦争で、テロとか、クーデターとか、民族解放とか、という実態の極めて曖昧な掴みどころのないアメ―バーのようなものとの戦争で、こういう諍いは先進国ではあり得ないが、未開な地域では国家そのものが極めて不確定的な存在で、その中で国家の枠をきちんと確立した国というと、結局はサダム・フセインのイラクのように民主化の遅れた国ということになってしまう。
ところが先に述べたように、先進国の国家の存立には、こういう未開地の地下にある膨大な資源に依拠しているので、それがために先進国も関わりを持たずに居れなくなったのである。
そこでは社会のシステムがきちんと整っていないので、テロやらクーデターが日常茶飯事で、そこで自己の利益を確保、あるいは維持しようとすると、民間軍事会社にその警護を委任しなければならなくなった。
企業から施設の警備を委託された民間軍事会社の方は、自分のところの社員は、金で命を売り渡しているわけで、死んだからと言ってそれが統計の数字に表れるわけはない。
死んだら死んだで、そのまま放置されるのみで、それは金で命を売り渡したものの当然の帰結であることは論をまたない。
だが、そんな事とは全く無関係に、民間軍事会社の人間であろうとも、その国籍は大きな価値を持っている。
民間の人間であろうと軍の人間であろうと、テロをする側から見れば、人質としての先進国の人間の価値は、国籍が大きく物をいうわけで、傭兵でも、正規の軍人でも、NPOの人間でも、その人の国籍によって価値が大きく違っている。
同じ人質であっても、先進国の人間の命は大きな価値を産む事になる。
テロ組織の側の人間からすれば、アメリカ人の死体を凌辱すれば、彼らの評価は大きく上がるわけで、イスラム文化圏内における存在感を大きくアピールすることになる。
人間の命の価値も、そこにメディアの介入がなければ、価値は生まれないわけで、いくらアメリカ人を人質にとって大きな身代金を提示しても、メディアが報じてくれない事には、それは価値を生み出さない。
そういう意味では彼らは決して未開人ではないわけで、非常に狡猾なネゴシエーターでもある。
中近東やアフリカの奥地、南米の奥地の人々が未開人のままであることは、基本的には彼ら自身の生き方の選択の結果である。
先にも述べたように人類のスタートラインでは皆同じであったわけで、それが21世紀の今日、これだけの格差が生じた事は誰の責任でもない。
その中で、アメリカが世界の警察官ぶるのは、アメリカ人の陽気さの表れであろうが、「こういう人々を何とか救済しなければ」と言って活躍しているNPOの人々の行為も、矢張り先進国の人々の勝手な思い込みと同時に、驕り高ぶった僭越な行為だと思う。
後進国の人々の世界は、それはそれなりに小さな宇宙を形成しているわけで、そこへ先進国の人々が勝手に善意に満ちた愛の手を差し伸べることは、そういう人々を頭から見下す行為だと思う。
彼らが先進国の基準からすれば未整備な環境で生きていようとも、それが彼らの宇宙なわけで、それを先進国から見た価値観で「可哀そうだ」という感想は、先進国の驕りだと思う。
今の日本の若者は非常に心が優しいので、大自然の法則に抗うことを避けたがる傾向があるが、大自然というのは極めて非情なわけで、人間の善意とか行為などというものは、いとも安易に跳ね飛ばされてしまう。
そういう場では、人間の善意も行為も何の助けにもならないが、今の日本の若者は、その真実の根幹の部分を知らな過ぎる。
だから言葉の上の綺麗ごとに惑わされて、未開の人々、低開発国の人々、抑圧されている人々を救済しなければならないと思い込んでいるが、それは無知による思い込みに過ぎず、彼らの小宇宙に土足で踏み込むような行為なのである。
だからイラクに進駐したアメリカ軍は、イラクの民主化という戦後復興の行動にさえ、訳の判らないテロリストの餌食にされているので、ここではそれぞれの双方の宇宙観が異なっているのである。
まさしくキリスト教文化とイスラム文化の衝突なわけで、そこには共通の価値観、宇宙観が存在していないので、無用な殺傷が絶えないのである。
それを解消するには、アメリカはイラクから撤退して、イラクの事はイラク人に、現地の事は現地人に任せるべきである。
彼らがいくら同胞どうしで殺し合いをしようとも、傍観者を決め込んで、手を出さない事だ。
ただアメリカがそうしようとしても、他の国が手を出して、そこの利権を手に入れようと画策するので、アメリカとしては傍観者に徹し切れないことになる。
今の先進国だって、過去には熾烈な殺し合いを経て今日があるわけで、後発の国が、今、そういう殺し合いを演じていても、先進国の人間が聖人ぶって、殺し合いの非を説くことは僭越な行為だと思う。
我々が歩んできた道を、彼らも踏襲しつつあるわけで、歴史から学ぶべきは彼らの方である。
人間の生と死は、人類誕生以来の大課題なわけで、人が死を悼む行為は普遍的なもののようにみえるが、個々の例では必ずしもそうではなく、肉親同志で殺し合うケースも、国を越え民族を越えて何処にでもあるわけで、ならば人の死を憐れむ感情というのは一体何なんだということになる。
親子兄弟で殺し合う人間という種において、その同じ種が、「戦争で人と人が殺し合うことはいけません」などと言ってみても何ら説得力がないではないか。
日本の進歩的と言われる文化人の類は、こういうスローガンを声高に叫んで悧巧ぶっているが、そういうことを声高に叫ぶ人というのは一種のパフォーマンスを演じているだけで、人気取りであると同時に、それが糊塗を凌ぐ手段でもあるわけだ。
要するに、平和主義者という職業なわけで、そういうことを言っておれば食っていける世の中というのは、イラクやイランやアフガニスタンとは別の宇宙に生きているということでもある。
私の価値観でいえば、究極の詐欺師であり、世の中を惑わす瞽女と同じだ。

「蛇頭の生まれし都」

2011-09-30 09:38:11 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「蛇頭の生まれし都」という本を読んだ。
著者は田雁という中国人である。
この著者自身、蘇州出身で、蘇州大学を出た後、東京大学に留学し、その後サンフランシスコに在住となっている。
この著者の生き様そのものが、既に華僑の生き様と軌を一にしているわけで、中国の文化人は、他の国に留学しても、その国で習得した知識を自分の祖国に持ち帰って、自分の祖国に貢献するという発想が全くないのは一体どういうことなのであろう。
祖国の大学を出て、そこで修めた学業だけでは物足りなくて、もっと高度な技能知識を他の国の大学に留学して習得する。
そこで習得した先進国の優れた技能や知識を自分の祖国に持ち帰って、祖国の文化レベルの向上に役立てるという思考に至らないのは一体どう事なのであろう。
留学という学問の習得の手法というか、文化の伝播の在り様というか、こういうことにも留学生を送り出す側と受け入れる側で当然のこと話し合いがあると思う。
文化の高い方から低い方への伝搬というか、役割というか、使命のようなものが基底にあって、その合意の上に留学生の受け入れということが行われていると思う。
中国からの留学生を受け入れる側は、そこで習得した技能知識を中国に持ち帰って、中国の人々の文化を引き上げ、その人達が少しでも良い生活が出来るようにと願って、留学生を受け入れていると思う。
ところが現実には、そういう留学生は自分の祖国を出た以上、自分自身の利益追求に汲々しているわけで、高度な学問の研鑚という行為も、ただ単に自己の付加価値を高めているだけで、それは金儲けの手段としての学問を身につけているだけである。
先進国に留学して、そこで習得した学識経験を本国に帰ってから普及させ、人々の生活改善に役立たせる、という話が全くないのは一体どういうことなのであろう。
中国出身の文化人の本も数多く読んだが、その全てが祖国を出て、外国で勉強し、祖国の外から自分の母国を批判し、対中史観をマイナスの方向に煽っているではないか。
中国の外から対中批判をしているので、ベストセラーに成りうるということはありうる。
中国の中に居ては決して書けない、本の中味の内容もさることながら、中国人が外に出なければ自分達、中国人の事が書けないという状況も実に不可解なことである。
で、私がどうにも我慢ならないことは、中国人の留学生という場合、彼らとても本国で期待されて、大勢の中から選抜されて、外国留学という切符を手にしたのではないかと想像する。
革命前の中国ならば、大金持ちは誰に遠慮することもなく、金に飽かせて誰でも何時でも何処へでも留学できた筈だ。
ところが革命後の中国では、そんな自由はあり得ないはずで、国を出るなどということは仮に一時的な出国であろうとも、共産党の厳しい審査を経なければ、外国に行くなどということはあり得ない筈である。
にもかかわらず、留学生として中国共産党が認めたということは、党としてその本人に大きな期待をかけ、帰国後は祖国の為に大いに貢献してくれるであろう、という期待を背負って派遣されたに違いない。
それに反し、本人は祖国を出たならば、自分のこと以外何の関心もないわけで、ただただ自分の身が有利になるように、学問という免罪符の価値を高めるべく指向するのである。
中国から日本の大学に留学して、そこで学業を修めた後、アメリカにわたって、アメリカで一旗揚げるというケースがままあるが、このケースをもう少し考察すると、こういうケースでは日本側に留学生を受け入れる義理はないわけで、そういう中国人を日本国民の血税で勉学させることは、国税の無駄遣いそのものである。
そういう留学生に対しては、留学中の学費を返済してもらっても良いと思う。
中国人の日本への留学ということは、日本で学んだことを、祖国、母国に帰って、中国社会に還元することが暗黙の了解事項としてあったのではないかと考える。
この本の著者も、完全にそういう軌跡をトレースしているわけで、日本の大学で学業を修め、アメリカに住んで、一番身の安全な場所から、祖国の実態を批判しているわけである。
彼は、自分の国でも大学を出て、その事によって日本への留学のチャンスをつかみ、日本で自分の知識に箔を付けて、アメリカに住んで自分の国の同胞の実態を暴いて、それを売り物にしているのである。
まさしく彼の説く、蛇頭の生き方そのもので、蛇頭というのはどちらかというと無学文盲に近い人達の集団だが、彼自身のしている事も、その蛇頭の生き方とそっくりである。
中国人にとって、教養人も無学文盲の人たちも、同じ中国人である限りにおいて、彼らの共通認識として普遍化している事は、中国人には祖国という概念がない、ということだ。
教養のある無しに関わらず、中国人には祖国・母国という概念がない。
自分の国という概念がないので、当然のこと、主権という概念も理解し切れない。
ある意味では人類皆兄弟なわけで、極めて自然に近似しているが、その事は同時に、兄弟は他人の始まりということも、人類の過去の実績が示している事も忘れてはならない。
中国人が自分の祖国という概念を持たない事は、中国人だけの問題では済まないわけで、他人の持つその概念をも、中国人は認めないということである。
この本で言っている蛇頭というのは、何も日本に来るだけのものではなく、たまたま日本を対象としたものを蛇頭と言っているだけで、中国人は世界に向けて噴き出しているのである。
噴火口から流れ出る溶岩のように、地中から湧き出たマグマは四方八方に流れ出しているのである。
何故、中国という噴火口から人々が湧き出るように外に出たがるかと言えば、矢張り貧乏からの脱出を願っているわけで、水が低い方に流れるように、誘蛾灯の明りに群がる虫のように、我も我もと豊かさを求めて国を捨てるのである。
中国人が自分の祖国を大事にしない、自分の国の事を何とも考えていないということは、この地球上の諸悪の根源だと思う。
国を出た中国人が、海外で得た知識や経験を携えて、それを祖国の発展の為に使うという気持ちを大勢の人が持てば、世界は中国を寛容な視線で眺めると思うが、現状のままでは中国人は何時まで経っても蔑視され続けるであろう。
この本にも述べられているが、蛇頭の悪事、偽造パスポートの作成や、クレジットカードの詐取、ピッキングという窃盗、こういう悪事は見事にやりとおしているが、そのエネルギーと知恵をまともに使えば彼らも信頼を得られるのに、そこが実に不可解なところである。
偽ブランド品なら作れるのに、本物は出来ないなどということが不思議でならない。
人間の生き様というか、人間の社会では、矢張り根本的な面で他者に対して誠実に接するということが大事だと思う。
物つくりでも、サービスでも、相手に対して誠実に接するということが大事で、我々日本民族は、比較的均一性が高いので、社会生活の中でも、相手も自分と同じ日本人だという認識で生きているが、中国人の場合は異民族が常に自分の周辺に居るわけで、彼らにすれば何時寝首をかかれるか判らない、という不安感に苛まれていると思う。
だから一瞬も油断が出来ず、常に自分自身の身を守り、自分が巻き添えをくわないように身構えて、他者のことよりも先ず我が身の事を考えるという思考に凝り固まっていると思う。
それが民族として上から下までそういう意識で生きているので、上は上なりに、下は下なりに、我が身の保身のみを最大の人生目標として生きて来たに違いない。
自分の身を守るのは自分自身であって、国家や、主権や、法や、規律や、倫理や、社会や、共同体や、隣近所ではない、ということを骨の髄まで知りつくしているので、当然のこと、祖国愛や、国に殉ずるなどということはあり得ない。
そもそも、国という概念こそが人為的なものであって、人間が人間の都合によって便宜的に作り上げたものなので、それを順守するということは、自ら積極的のその人為的なものに身を委ねるということである。
自然の摂理とは真っ向から対立して然るべきものではある。
その意味からすると、それにとらわれない中国人というのは、極めて自然人に近いということになるが、地球上の人々が皆素直にその人為的な約束事に身を委ねようとしている時に、中国人だけが天衣無縫に自然人の立ち居振る舞いをされては、周囲のものが迷惑をこうむるのは火を見るより明らかである。
人類が乗り物を開発し、安易に誰でもが何処へでも行けるように成ると、中国人はそれこそ噴火口からあふれ出た溶岩のごとく、地球規模で広がって、世界各地にチャイナタウンを作った。
世界中にチャイナタウンがあるということは、中国の人々は行った先で現地の人々と同化しなかったということである。
中国人は何処に行っても中国人だけでコミュニティ―を作って、現地の人々と交わるということをしなかったということである。
中国人が先進国の中にチャイナタウンを作るということは、基本的に、そこの住人は違法滞在者と見做していいと思う。
違法でなく、正規の手続きを経て入国したのであれば、自分達で群がって住む必要はないわけで、相手先の社会に溶け込んで、普通の社会生活を続ければいいが、それが出来ないから自分達で固まって相互扶助しながら生きているのである。
問題は、こういう中国人が、相手先の法を犯してでも自己の欲求を追い求め、金を稼ぎ、故郷に錦を飾りたいという願望の実現思考であって、これを目の当たりに見る受け入れ側から眺めると、そういう風に健気に生きる人達を救済しなければならない、という極めて人道的な善意に満ちた安直な好意の跋扈である。
そもそも、近代的な先進国というのは法治国家なわけで、法律が全ての国民の上に君臨して、国民はその法を順守することが暗黙の了解事項となって国というシステムが成り立っている。
ところが、中国から渡ってくる蛇頭の集団というのは、最初から法の存在など眼中にないわけで、その意味でも完全な自然人であって、自分の国にも法律があり相手国にも法律があって、法の元での自由という概念そのものが最初から欠落している。
だから、こういう蛇頭の進出を食い止める最良の方法は、入国管理法という法律に抵触したものは直ちに本国に送還することである。
本国に送還された者が、自分の祖国の法律でどう裁かれるかは我々の関知することではないし、してはならない。
ひとことでいえば、法律の厳正な施行ということであるが、こういう措置を取ろうとすると、我々の側から必ず、それを批判するものが現れて、「違法に入国する蛇頭に対しても人道的な措置をとれ」と物分かりに良い綺麗ごとを言う輩が現れる。
まさしく蛇頭の利益を擁護するような発言が、人道的と称する綺麗ごとの耳触りのいい言葉でメデイアを席巻する。
こういう風潮は日本のみならず、アメリカにも、イギリスにも、ドイツにもあるわけで、違法入国者を法に基づいて処置すると、「人道的に許されない」と、法治国でありながら法の施行を否定するような発言が人道の名の元に出てくる。
ただ21世紀の世界を俯瞰して見ると、そういう不法入国者が社会の構成員として定着してしまった感が無きにしも非ずである。
彼らは不法な存在であるが故に、不当な低賃金で、俗に3Kと言われる、人の嫌がる仕事を担っている部分は否定しようがない。
日本のように人件費の高い国では、そういう人の嫌がる仕事をする人間がいないので、その分、違法滞在の人を安い賃金で使うが、彼らにしてみればそれはそれなりに高額な所得に成るわけで、大いにメリットがあるということになる。
我々が憂うべき事は、我々の同胞がこういう違法な滞在者に対して同情という感情で以て、法の順守を甘く見る点である。
「彼らは可哀そうな立場なのだから、少々の法律違反は寛大に扱え」という趣旨であるが、彼らが可愛そうという認識そのものが最初から間違っているわけで、彼らは虎視眈々とあらゆる可能性を探って、それでも合法的に成りえないからこそ、違法であることを十分承知しながら滞在を続けているのである。
その意味で完全に確信犯であって、悪いということを十分知りながら、それでも自己の欲求に屈して、荒稼ぎをしよと企んでいるのである。
そういう人間に対して、我々が何故に同情しなければならないのだ。
こういう同情は、我々日本人だけの一人よがりなものではなく、先進国の住民には大なり小なりこういう考えの人間がいるものであるが、この違法入国、不法滞在に甘く寛大な処遇をするから、結果的に「庇を貸して母屋を盗られる」ことに成るのである。
世界各国にある中華街・チャイナタウンの存在などまさしくその顕著な例である。

「人間の地平から」

2011-09-28 08:04:17 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「人間の地平から」という本を読んだ。
サブタイトルには「生きること死ぬこと」となっている。
著者は川田順造となっている。
奥付きによると、現在は神奈川大学の日本常民文化研究所所員ということらしいが、東大出の相当な学識経験者ということだ。
冒頭からいきなりアフリカの奥地で起きた自分自身の交通事故の経過説明から始まっている。
その過程で、フランスで骨折の手術を受けたが、そのフォローを日本の国内で施術した。ところが、その時の日本側の医師の対応が極めて不味かったという話から説き進んでいる。
西洋の学問の洗礼を受けた人の、典型的な思考パターンではないか思う。
「日本は、何でもかんでも劣悪で、西洋先進国を見習うべきだ」という発想は、我々の明治維新以降の根源的な潜在意識となってしまっているようだ。
だから本来、我々の同胞が学問を治める本旨は、その深層部分を掘り下げて、「我々は世界的なレベルで真に劣等民族か?」ということを再認識すべきが日本における知識人の使命にならなければ可笑しいのではなかろうか。
私は自分に学歴がないので、高学歴の人には反射的に敵対的な感情を持ってしまうが、自分に学歴がないが故に、人の学歴が気になってしょうがない。
私自身は無学の身であっても、それを克服してひとかどの人間になってやろう、という欲望もないので、自分の人生に十分満足している。
しかしながら、世の中には立派な学歴を持ちながら、愚にもつかないことを言ったりしたりする人が余りにも多いので、世の教育、特に高等教育が日本人の在り様にどういう効果をあらしめているのか不思議でならない。
高学歴志向というのは、我々日本人ばかりではなく、地球規模で、どこの国でも、どの民族でも潜在意識としては高学歴志向を秘めていると思う。
出来うれば、可能な限り、高学歴を目指すというのが生きとし生ける人類の基本的な願望のようだ。
地球規模で見て、人々が、学校教育は高ければ高いほど良いと思う背景には、その教育の実績が立身出世の免罪符となっているからであって、立身出世することによって富を得ることができるので、富を得る手段として高学歴を目指すというのが基本的なパターンではないかと思う。
こういう考え方は、何も我々日本人だけではなく、あらゆる国、あらゆる民族に共通した思考なわけで、いわばグローバル化したコモンセンスでもある。
日本が、江戸時代を脱して明治維新を経て、学校教育を充実させて、国民の知的水準を底上げしたことは、その後の日本の発展に大いに貢献したと考えられる。
この時には、日本民族の底辺の知的レベルの底上げにも力を注いだが、社会のトップの人材養成にも力を注いだわけで、高等教育にも並み並みならぬ努力を傾注した。
ところが21世紀の今日では、日本という国を、地球規模で眺めた時、かなりハイレベルの先進国の仲間になってしまっているので、教育に対する考え方も見直す時期にあると思う。
国民のというよりも、若い世代の80%も90%もが高等教育を受ける状況というのは、どう考えても正常な状況ではないと思う。
江戸時代から明治時代までは「駕籠に乗る人、担ぐ人、その又草鞋を作る人」という社会的分業というか、階層の役割分担というか、分をわきまえるというか、そういう生き方に誰も疑いを持たず、それを社会全般が受け入れていた。
しかし、人間の根源的な願望としては、誰もが「草鞋を作る人」よりも「駕籠に乗る立場」を欲するわけで、その目的達成の手段として、高等教育を目指すのである。
これは地球規模で見て世界中で皆同じだと思う。
ここで私が問題にしたいことは、その高等教育がモラルの向上に関しては何の影響力も持ち合わせていないという現実である。
これも地球規模で見て万国共通のようであるが、民主主義の度合いによって、程度の差は顕著に散見できる。
この本でも冒頭に「フランスの医療は素晴らしいが、日本の医療は駄目だ」と説かれているが、これも明らかに西洋コンプレックスの表れであると同時に、我々の側のものの考え方の唯我独尊的な独善でもある。
「ヨーロッパは素晴らしいが、日本は駄目だ」という自虐的な思考の顕著な例だと思う。
この本の著者は、基本的には民俗学者であって、世界のさまざまな民族を研究しているが、それはそれで立派な学問であろうが、そういう人文科学という面から考えると、教育とモラルというテーマで社会を掘り下げて眺める学問もあっても良いのではなかろうか。
民主政治というのは、突き詰めれば衆愚政治になるわけで、大勢の人の言うことを聞いておれば、事態はなにも進化しないわけで、事態を何とか打開しようとすると「独裁だ」とか、「民主的手法を逸脱する」とか、「結果がでないのは為政者が悪いからだ」という論理が罷り通っているが、こういう現状に対して学識経験者はきちんとした筋の通った発言はしない。
大抵は、大勢の人のいう言い分に加担するわけで、そういう烏合の衆に対して「あなた達の言っていることは間違っているよ」ということは決して言わない。
大勢の人の言い分が、「多数派のエゴイズムで独善だ」ということは、決して言わないが、こういう状況下で、学識経験豊富な知識人といわれる人たちが正論を言わず、多数派の言い分を由とするから、世の中が混沌とするのである。
高等教育を受けた知識人が多数派にくみするのは、言い方を変えれば、或る意味の保身であって、正論を持っていながら、それを言うべき時に言わずに、嵐が行った後になって「あの時は、私もそう思っていた」と、後から言うようなものである。
高等教育を受けるような人は基本的に頭が良い。
戦前、陸士や海兵に進んだ人は頭が良いといわれていた。
戦後、高度成長の最中、銀行や証券会社に蝟集した大学出は秀才の誉れ高き人たちであった。
こういう優れた秀才たちが、結果としてどういう実績を残したかと問いなおせば、日本を焼け野原にしたのはそういう秀才たちであったし、戦後の経済を未曾有の低迷に追い込んだのも、日本の最も優秀といわれていた秀才たちであったわけで、ならば日本での秀才というのは一体どういう社会的貢献をしているのかと改めて問いただしたい。
教育というのはタダでは出来ない話で、国民の底辺のレベルアップの為の初等教育に掛かる金ならばいた仕方ないが、高等教育というのは一部の選抜された特に優秀だという人に集中的に投資されているわけで、その投資に対する見返りは当然考慮に入れてもいい話だと思う。
つまり、費用対効果という意味で、そういう人にはある一定の期間、国家に対する義務を負わせても良いのではないかと思う。
この本の作者の本職は民俗学者だ。
ぶっちゃけていうと、アフリカの奥地や、南米の奥地に分け入って、そこの現住民の生活をつぶさに観察して、それを論文に仕立て上げて、そのことを民俗学の研究と称しているわけだ。
国内では、日本でも僻地といわれる地方に行って、そこでもやはり同じようにその地の人々の生活を観察して、研究と称しているわけだが、その研究の実態は、現地の人々の邪魔をしているに過ぎないのではなかろうか。
和船の櫓の漕ぎ方がどうのこうの、苗床の均し方がどうのこうの、ということは東京大学を出た人にとっては学問の対象かもしれないが、そういう学問は知のセンズリ・自慰行為に過ぎず、人類の未来に対する貢献は何一つないわけで、ただただ研究費と称する金を浪費しているに過ぎない。
市井の無名の大衆は、学者の視点から見ると研究対象となる立ち居振る舞いを、日々の生業としているわけで、それだからこそ「草履を作る人」として、社会のすそ野を形作っているのである。
そういう人の上に、学校で選抜された人が、社会のリーダーに成るべく高等教育の機会を与えられるのであるからして、高等教育を受けた人は、当然、社会に貢献、恩返しをする気持ちを抱くべきだと思う。
それが倫理観というものではなかろうか。
社会が、優秀な人を選抜して、その人に社会のリーダ-たるべき学識経験を積む機会を与えた結果として、立身出世という形で社会のトップの座を占める様になったならば、その働きというのは社会に還元されて然るべきだと思う。
ところが社会が複雑になってくると、皆が皆、「駕籠に乗る立場」を渇望するわけで、その目的達成の為に高等教育を授かろうと考えるので、目的と結果が逆転してしまった。
我々が普通に言う「優秀な人」という場合、それはおおむね学校秀才を指しているわけで、この学校秀才というのは、学校というフィールドの中では確かに優秀かもしれないが、そういう人が社会に放り出されても、尚優秀の名をほしいままに出来るかというと、案外これは難しい。
学校というフィールドの中で培われる教養・知性というものは、ただ単に知識の量を増やすことだけではないはずで、その増やした知識で以て、人々が大勢うごめいている社会を、少しでも良い方向にしよう、しなければという方向性も同時に育まれていて当然だと思う。
問題は、この住みよい社会、良い社会、よりよい社会という、共通の目的である筈の物が、その人の受けた教育のレベルによって、とんでもなく幅が広いという点にある。
我々レベルの、ほぼ無学に近い大衆では、為政者の言うことを素直に受け入れて、それに協力することが良い社会の建設に繋がると単純に思い込んでいるが、高等教育を受けた人たちは、そう単純に為政者の言うことを信じず、為政者の立ち居振る舞いには常に批判的な態度を示している。
その結果として、世の中は一向に安定せず、不安定要素のみが浮草のように漂って、激動の世紀を呈することになる。
我々日本人のみならず世界の人々が高等教育に一種の憧れのようなものを抱いて、「教育は高ければ高いほど素晴らしい」と漠然と思っているようで、金と機会さえあれば、少しでも高みに登りたいと考えているようだ。
だが、これは高くて高度な教育を受ければ、それに応じて高給が得られるのではないか、という幻想に踊らされている姿である。
こういう発想自体が極めて幼児的な思考で、知識をいくら貯め込んでも、洞察力は全く進化していないという顕著な例だと思う。
当然と言えば当然で、学校というフィールドの中で「優れた人」という評価は、教えられたことを如何に覚えているか、という記憶力の競争の場であって、教えられたことを如何に応用するか、という洞察力はそこを出た後から身に付くことで、学校に居る間は評価の対象に成りにくい。
普通の社会の人達は、本人の持って生まれた資質を評価することなく、その人の出た学校の評価で個人を評価するので、世の中がいびつになるのである。
こんな解り切ったことを、本来、優秀であるべき人たちに解らない筈はない。
そんなことは重々判っているが、それでも世の中が少しも改善の方向に向かわないのは、当事者が自分の身の安全を最優先のこととして、事に当たるからであって、まさしく絵に書いたような保身の構図である。
何よりも我が身が可愛いわけで、自分の不利になることは、身が裂けても進言しない、という保身の術に固執しているからである。
人間の持つ自己愛というのは、最も基本的な自然の人間の在り様なわけで、自然の感情をそのまま素直に表した表現であろうが、文化というのは、その自然を如何に克服するかにかかっている。
足を踏まれたから条件反射的に踏み返す、というのは極めて自然人の立ち居振る舞いである。
殴られたから素直に殴り返すというのも、これと同じ自然の在り様であって、殴られた時に一寸考えて「何故、俺は殴られたのだろう」と考える時間差こそが文化の度合いと言うもので、知識人と言われる人ほどその時間差が大きい。
それと同じで、人間は自己愛が強いのは当然であるが、その自己愛をほんの少し他者を愛する方に向ければ、世の中はうんと住み易くなると思う。
ここでごく当たり前の人でも、教育を積む、いわゆる高等教育を受けて学識経験が豊富になればなっただけ、他者を思いやる気持ちが醸成されて然るべきではないか、というのが私の思考である。
ところが世の中の人というのは、いくら高等教育を受けて学識経験が豊富になっても、他者を思いやる気持ちが一向に旺盛になることはなく、自然のままの自己愛に耽っているから世の中は一向に進化しないのである。
平成23年3月11日の東日本大震災で福島県で原子力発電所の事故が起きて、被害が広範に及んで、未だに被災したままの人がいて、そういう人はまことに気の毒だとは思うが、だからと言って「直ちに原子力発電は禁止すべきだ」という議論はあまりにも拙速すぎると思う。
「原子力発電は危険だか直ちに止めましょう」では、まさしく幼児の発想ではないか。
確かに3・11の大地震で原子力発電所が大きな事故を引き起こしたことは事実であって、その対応の不味いところがあったことも事実であるが、たった一度の事故で、原子力発電を全否定する発想というのは余りにも子供じみている。
そういう単純な思考を声高に叫ぶ人に限って、「ならばそれを除いた発電と電力の需要をどう管理するのだ」という問題には頬被りするわけで、原子力発電を止めた後の対応については何の対策も持ち合わせていない。
ただ眼前に原子力発電所の事故があり、その被害者が巷に溢れており、復興は遅々として進まないので、大騒ぎを演じているが、今の日本にも原子力の専門家というのは履いて捨てるほど居る筈だ。
本来ならば、そういう人たちが、大衆と称する無知蒙昧な、有象無象の人の集団をコントロールすべきであるが、そういう専門家は専門家なるが故に、それぞれに一家言持っているわけで、話は簡単にまとまらない。
世の中の民主化が進んで、それぞれの階層から高等教育を受ける人が多くなって、学識経験の豊かな人が輩出するということは、それぞれの専門家が多くなるということで、そういう状態になると専門家は専門家なるが故に、自分の意見に固執して、「我こそが一番正しいのだ」という思い込みから抜け切れない。
言い方を変えると、意見の集約が出来ないということになるわけで、方向性が一つにまとまらないという結果を招く。
民主化の結果として、意見を持った人がそれぞれに自分の意見を言うことが許されれば、口角泡を飛ばす議論ばかりが盛んになって結論が何時まで経っても出ない。
結果として、事は一向に進展しない。
これを多少とも強引に意見の集約をしようとすると、独裁だとか、非民主的だとか、主権の侵害だとか、まさしく「風が吹くと桶屋が儲かる」式の議論が輩出する。
こういう状況を丸く治める知恵を育むことが高等教育であり、学識経験というものではなかろうか。
立派な大学で、高額な費用を掛けて高等教育を授かったものが、こういう場面で自らが口から唾を飛ばして議論の輪に入ってしまっては意味を成さないではないか。
そういう立場のものは、鵜飼いの鵜匠のように、それぞれに勝手に言いたい放題の事を言っている個々の鵜を、手綱さばきよろしく集約させるべきではないのかと思う。
それぞれの専門領域の中で、それぞれに自分の意見を開陳することは極めて優れたことであるが、それを一つに集約するのは、やはりそれぞれの学会なり業界の責任であって、それをコントロールすべきは、やはり政治の使命だと思う。
ここで問題となるのが、メデイアの使い方であって、メデイアを治世のツールとして十分に使い切る手法は極めて難しいと思うが、我々、日本人は「メデイアを統治のツールとして使い切る」という発想に思いが至っていない。
その事は同時に、我々日本人は、統治におけるメデイアの使い方において、発想の原点のところに、そのノウハウさえも持っていないということである。
我々は、同胞を統治するのに、メデイアを如何に使い、如何に使い切って、政治のツールにするかということを考えたことがない、ということだと思う。
明治維新以降の数ある教育機関の中には、優秀な人材が数多く輩出しているであろうが、メデイアを如何に統治のツールにするかと考えた者が居ないということは一体どういうことなのであろう。
という本を読んだ。
サブタイトルには「生きること死ぬこと」となっている。
著者は川田順造となっている。
奥付きによると、現在は神奈川大学の日本常民文化研究所所員ということらしいが、東大出の相当な学識経験者ということだ。
冒頭からいきなりアフリカの奥地で起きた自分自身の交通事故の経過説明から始まっている。
その過程で、フランスで骨折の手術を受けたが、そのフォローを日本の国内で施術した。ところが、その時の日本側の医師の対応が極めて不味かったという話から説き進んでいる。
西洋の学問の洗礼を受けた人の、典型的な思考パターンではないか思う。
「日本は、何でもかんでも劣悪で、西洋先進国を見習うべきだ」という発想は、我々の明治維新以降の根源的な潜在意識となってしまっているようだ。
だから本来、我々の同胞が学問を治める本旨は、その深層部分を掘り下げて、「我々は世界的なレベルで真に劣等民族か?」ということを再認識すべきが日本における知識人の使命にならなければ可笑しいのではなかろうか。
私は自分に学歴がないので、高学歴の人には反射的に敵対的な感情を持ってしまうが、自分に学歴がないが故に、人の学歴が気になってしょうがない。
私自身は無学の身であっても、それを克服してひとかどの人間になってやろう、という欲望もないので、自分の人生に十分満足している。
しかしながら、世の中には立派な学歴を持ちながら、愚にもつかないことを言ったりしたりする人が余りにも多いので、世の教育、特に高等教育が日本人の在り様にどういう効果をあらしめているのか不思議でならない。
高学歴志向というのは、我々日本人ばかりではなく、地球規模で、どこの国でも、どの民族でも潜在意識としては高学歴志向を秘めていると思う。
出来うれば、可能な限り、高学歴を目指すというのが生きとし生ける人類の基本的な願望のようだ。
地球規模で見て、人々が、学校教育は高ければ高いほど良いと思う背景には、その教育の実績が立身出世の免罪符となっているからであって、立身出世することによって富を得ることができるので、富を得る手段として高学歴を目指すというのが基本的なパターンではないかと思う。
こういう考え方は、何も我々日本人だけではなく、あらゆる国、あらゆる民族に共通した思考なわけで、いわばグローバル化したコモンセンスでもある。
日本が、江戸時代を脱して明治維新を経て、学校教育を充実させて、国民の知的水準を底上げしたことは、その後の日本の発展に大いに貢献したと考えられる。
この時には、日本民族の底辺の知的レベルの底上げにも力を注いだが、社会のトップの人材養成にも力を注いだわけで、高等教育にも並み並みならぬ努力を傾注した。
ところが21世紀の今日では、日本という国を、地球規模で眺めた時、かなりハイレベルの先進国の仲間になってしまっているので、教育に対する考え方も見直す時期にあると思う。
国民のというよりも、若い世代の80%も90%もが高等教育を受ける状況というのは、どう考えても正常な状況ではないと思う。
江戸時代から明治時代までは「駕籠に乗る人、担ぐ人、その又草鞋を作る人」という社会的分業というか、階層の役割分担というか、分をわきまえるというか、そういう生き方に誰も疑いを持たず、それを社会全般が受け入れていた。
しかし、人間の根源的な願望としては、誰もが「草鞋を作る人」よりも「駕籠に乗る立場」を欲するわけで、その目的達成の手段として、高等教育を目指すのである。
これは地球規模で見て世界中で皆同じだと思う。
ここで私が問題にしたいことは、その高等教育がモラルの向上に関しては何の影響力も持ち合わせていないという現実である。
これも地球規模で見て万国共通のようであるが、民主主義の度合いによって、程度の差は顕著に散見できる。
この本でも冒頭に「フランスの医療は素晴らしいが、日本の医療は駄目だ」と説かれているが、これも明らかに西洋コンプレックスの表れであると同時に、我々の側のものの考え方の唯我独尊的な独善でもある。
「ヨーロッパは素晴らしいが、日本は駄目だ」という自虐的な思考の顕著な例だと思う。
この本の著者は、基本的には民俗学者であって、世界のさまざまな民族を研究しているが、それはそれで立派な学問であろうが、そういう人文科学という面から考えると、教育とモラルというテーマで社会を掘り下げて眺める学問もあっても良いのではなかろうか。
民主政治というのは、突き詰めれば衆愚政治になるわけで、大勢の人の言うことを聞いておれば、事態はなにも進化しないわけで、事態を何とか打開しようとすると「独裁だ」とか、「民主的手法を逸脱する」とか、「結果がでないのは為政者が悪いからだ」という論理が罷り通っているが、こういう現状に対して学識経験者はきちんとした筋の通った発言はしない。
大抵は、大勢の人のいう言い分に加担するわけで、そういう烏合の衆に対して「あなた達の言っていることは間違っているよ」ということは決して言わない。
大勢の人の言い分が、「多数派のエゴイズムで独善だ」ということは、決して言わないが、こういう状況下で、学識経験豊富な知識人といわれる人たちが正論を言わず、多数派の言い分を由とするから、世の中が混沌とするのである。
高等教育を受けた知識人が多数派にくみするのは、言い方を変えれば、或る意味の保身であって、正論を持っていながら、それを言うべき時に言わずに、嵐が行った後になって「あの時は、私もそう思っていた」と、後から言うようなものである。
高等教育を受けるような人は基本的に頭が良い。
戦前、陸士や海兵に進んだ人は頭が良いといわれていた。
戦後、高度成長の最中、銀行や証券会社に蝟集した大学出は秀才の誉れ高き人たちであった。
こういう優れた秀才たちが、結果としてどういう実績を残したかと問いなおせば、日本を焼け野原にしたのはそういう秀才たちであったし、戦後の経済を未曾有の低迷に追い込んだのも、日本の最も優秀といわれていた秀才たちであったわけで、ならば日本での秀才というのは一体どういう社会的貢献をしているのかと改めて問いただしたい。
教育というのはタダでは出来ない話で、国民の底辺のレベルアップの為の初等教育に掛かる金ならばいた仕方ないが、高等教育というのは一部の選抜された特に優秀だという人に集中的に投資されているわけで、その投資に対する見返りは当然考慮に入れてもいい話だと思う。
つまり、費用対効果という意味で、そういう人にはある一定の期間、国家に対する義務を負わせても良いのではないかと思う。
この本の作者の本職は民俗学者だ。
ぶっちゃけていうと、アフリカの奥地や、南米の奥地に分け入って、そこの現住民の生活をつぶさに観察して、それを論文に仕立て上げて、そのことを民俗学の研究と称しているわけだ。
国内では、日本でも僻地といわれる地方に行って、そこでもやはり同じようにその地の人々の生活を観察して、研究と称しているわけだが、その研究の実態は、現地の人々の邪魔をしているに過ぎないのではなかろうか。
和船の櫓の漕ぎ方がどうのこうの、苗床の均し方がどうのこうの、ということは東京大学を出た人にとっては学問の対象かもしれないが、そういう学問は知のセンズリ・自慰行為に過ぎず、人類の未来に対する貢献は何一つないわけで、ただただ研究費と称する金を浪費しているに過ぎない。
市井の無名の大衆は、学者の視点から見ると研究対象となる立ち居振る舞いを、日々の生業としているわけで、それだからこそ「草履を作る人」として、社会のすそ野を形作っているのである。
そういう人の上に、学校で選抜された人が、社会のリーダーに成るべく高等教育の機会を与えられるのであるからして、高等教育を受けた人は、当然、社会に貢献、恩返しをする気持ちを抱くべきだと思う。
それが倫理観というものではなかろうか。
社会が、優秀な人を選抜して、その人に社会のリーダ-たるべき学識経験を積む機会を与えた結果として、立身出世という形で社会のトップの座を占める様になったならば、その働きというのは社会に還元されて然るべきだと思う。
ところが社会が複雑になってくると、皆が皆、「駕籠に乗る立場」を渇望するわけで、その目的達成の為に高等教育を授かろうと考えるので、目的と結果が逆転してしまった。
我々が普通に言う「優秀な人」という場合、それはおおむね学校秀才を指しているわけで、この学校秀才というのは、学校というフィールドの中では確かに優秀かもしれないが、そういう人が社会に放り出されても、尚優秀の名をほしいままに出来るかというと、案外これは難しい。
学校というフィールドの中で培われる教養・知性というものは、ただ単に知識の量を増やすことだけではないはずで、その増やした知識で以て、人々が大勢うごめいている社会を、少しでも良い方向にしよう、しなければという方向性も同時に育まれていて当然だと思う。
問題は、この住みよい社会、良い社会、よりよい社会という、共通の目的である筈の物が、その人の受けた教育のレベルによって、とんでもなく幅が広いという点にある。
我々レベルの、ほぼ無学に近い大衆では、為政者の言うことを素直に受け入れて、それに協力することが良い社会の建設に繋がると単純に思い込んでいるが、高等教育を受けた人たちは、そう単純に為政者の言うことを信じず、為政者の立ち居振る舞いには常に批判的な態度を示している。
その結果として、世の中は一向に安定せず、不安定要素のみが浮草のように漂って、激動の世紀を呈することになる。
我々日本人のみならず世界の人々が高等教育に一種の憧れのようなものを抱いて、「教育は高ければ高いほど素晴らしい」と漠然と思っているようで、金と機会さえあれば、少しでも高みに登りたいと考えているようだ。
だが、これは高くて高度な教育を受ければ、それに応じて高給が得られるのではないか、という幻想に踊らされている姿である。
こういう発想自体が極めて幼児的な思考で、知識をいくら貯め込んでも、洞察力は全く進化していないという顕著な例だと思う。
当然と言えば当然で、学校というフィールドの中で「優れた人」という評価は、教えられたことを如何に覚えているか、という記憶力の競争の場であって、教えられたことを如何に応用するか、という洞察力はそこを出た後から身に付くことで、学校に居る間は評価の対象に成りにくい。
普通の社会の人達は、本人の持って生まれた資質を評価することなく、その人の出た学校の評価で個人を評価するので、世の中がいびつになるのである。
こんな解り切ったことを、本来、優秀であるべき人たちに解らない筈はない。
そんなことは重々判っているが、それでも世の中が少しも改善の方向に向かわないのは、当事者が自分の身の安全を最優先のこととして、事に当たるからであって、まさしく絵に書いたような保身の構図である。
何よりも我が身が可愛いわけで、自分の不利になることは、身が裂けても進言しない、という保身の術に固執しているからである。
人間の持つ自己愛というのは、最も基本的な自然の人間の在り様なわけで、自然の感情をそのまま素直に表した表現であろうが、文化というのは、その自然を如何に克服するかにかかっている。
足を踏まれたから条件反射的に踏み返す、というのは極めて自然人の立ち居振る舞いである。
殴られたから素直に殴り返すというのも、これと同じ自然の在り様であって、殴られた時に一寸考えて「何故、俺は殴られたのだろう」と考える時間差こそが文化の度合いと言うもので、知識人と言われる人ほどその時間差が大きい。
それと同じで、人間は自己愛が強いのは当然であるが、その自己愛をほんの少し他者を愛する方に向ければ、世の中はうんと住み易くなると思う。
ここでごく当たり前の人でも、教育を積む、いわゆる高等教育を受けて学識経験が豊富になればなっただけ、他者を思いやる気持ちが醸成されて然るべきではないか、というのが私の思考である。
ところが世の中の人というのは、いくら高等教育を受けて学識経験が豊富になっても、他者を思いやる気持ちが一向に旺盛になることはなく、自然のままの自己愛に耽っているから世の中は一向に進化しないのである。
平成23年3月11日の東日本大震災で福島県で原子力発電所の事故が起きて、被害が広範に及んで、未だに被災したままの人がいて、そういう人はまことに気の毒だとは思うが、だからと言って「直ちに原子力発電は禁止すべきだ」という議論はあまりにも拙速すぎると思う。
「原子力発電は危険だか直ちに止めましょう」では、まさしく幼児の発想ではないか。
確かに3・11の大地震で原子力発電所が大きな事故を引き起こしたことは事実であって、その対応の不味いところがあったことも事実であるが、たった一度の事故で、原子力発電を全否定する発想というのは余りにも子供じみている。
そういう単純な思考を声高に叫ぶ人に限って、「ならばそれを除いた発電と電力の需要をどう管理するのだ」という問題には頬被りするわけで、原子力発電を止めた後の対応については何の対策も持ち合わせていない。
ただ眼前に原子力発電所の事故があり、その被害者が巷に溢れており、復興は遅々として進まないので、大騒ぎを演じているが、今の日本にも原子力の専門家というのは履いて捨てるほど居る筈だ。
本来ならば、そういう人たちが、大衆と称する無知蒙昧な、有象無象の人の集団をコントロールすべきであるが、そういう専門家は専門家なるが故に、それぞれに一家言持っているわけで、話は簡単にまとまらない。
世の中の民主化が進んで、それぞれの階層から高等教育を受ける人が多くなって、学識経験の豊かな人が輩出するということは、それぞれの専門家が多くなるということで、そういう状態になると専門家は専門家なるが故に、自分の意見に固執して、「我こそが一番正しいのだ」という思い込みから抜け切れない。
言い方を変えると、意見の集約が出来ないということになるわけで、方向性が一つにまとまらないという結果を招く。
民主化の結果として、意見を持った人がそれぞれに自分の意見を言うことが許されれば、口角泡を飛ばす議論ばかりが盛んになって結論が何時まで経っても出ない。
結果として、事は一向に進展しない。
これを多少とも強引に意見の集約をしようとすると、独裁だとか、非民主的だとか、主権の侵害だとか、まさしく「風が吹くと桶屋が儲かる」式の議論が輩出する。
こういう状況を丸く治める知恵を育むことが高等教育であり、学識経験というものではなかろうか。
立派な大学で、高額な費用を掛けて高等教育を授かったものが、こういう場面で自らが口から唾を飛ばして議論の輪に入ってしまっては意味を成さないではないか。
そういう立場のものは、鵜飼いの鵜匠のように、それぞれに勝手に言いたい放題の事を言っている個々の鵜を、手綱さばきよろしく集約させるべきではないのかと思う。
それぞれの専門領域の中で、それぞれに自分の意見を開陳することは極めて優れたことであるが、それを一つに集約するのは、やはりそれぞれの学会なり業界の責任であって、それをコントロールすべきは、やはり政治の使命だと思う。
ここで問題となるのが、メデイアの使い方であって、メデイアを治世のツールとして十分に使い切る手法は極めて難しいと思うが、我々、日本人は「メデイアを統治のツールとして使い切る」という発想に思いが至っていない。
その事は同時に、我々日本人は、統治におけるメデイアの使い方において、発想の原点のところに、そのノウハウさえも持っていないということである。
我々は、同胞を統治するのに、メデイアを如何に使い、如何に使い切って、政治のツールにするかということを考えたことがない、ということだと思う。
明治維新以降の数ある教育機関の中には、優秀な人材が数多く輩出しているであろうが、メデイアを如何に統治のツールにするかと考えた者が居ないということは一体どういうことなのであろう。

「組織の興亡」

2011-09-24 07:49:47 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「組織の興亡」という本を読んだ。
サブタイトルには「日本海軍の教訓」となっており、日下公人と三野正洋という人の対談という形になっている。
奥付きによると、日下公人氏は東京大学経済学部を出てから日本長期信用銀行に勤めたとなっており、三野正洋氏の方は、現在日本大学の工学部の教授ということで、両名とも組織論には相当に造詣が深いということが伺い知ることができる。
私はこういう知識人の足元にも及ばない無学文盲に近い不甲斐ない人間だけれど、やはり生きた人間の一人として、自分なりの考えというものは持っている。
そして、自分で本を読み、自分なりに思考を巡らして、自分なりの思いを綴ることの楽しみを持っている。
この本の表題である「組織の興亡」ということは、何故日本海軍は存亡の憂き目にあったか、という考察であるが、今まであった組織が壊滅するということは、その組織の構成員がバカであったの一語に尽きる。
今まで何もない所に、強力な目的意識を持った組織を作り上げるということは、悧巧で、知的で、優秀な人材がいたからそういう成果を築き上げれたが、一旦出来上がった組織を壊滅させるという事態は、その組織の構成員が上から下までバカだったとしか言いようがないではないか。
その意味で、昭和の大日本帝国軍人は全てバカだった、と言い切るしかない。
負ける戦争ならば、バカでもチョンでもアホウでも、軍人でなくともその辺りに寝起きしているホームレスでも、乞食でもできるではないか。
本来、優秀であるべき陸軍士官学校や海軍兵学校を出た人たちが、政治に関与したから、自らの戦闘集団という組織を壊滅状態にまで落としこんでしまったではないか。
近代国家の政治というのは、シビリアン・コントロールが究極の政治形態であるにも関わらず、軍人が政治に介入したから、こういう事態を引き起こしたわけで、日本が奈落の底に転がり落ちるまでの間に、日本の知性と理性は、如何様に機能していたのであろう。
私は昭和15年生まれで、私の受けた教育は全て戦後の民主教育である。
その中では、先の戦争の責任は全て軍人の責任として軍部に覆い被せられていた。
ここでも我々は、戦争への行程への責任と、戦争での敗北の責任を分けて考えなければならないと思う。
我々が太平洋戦争、ここでは本当は大東亜戦争というべきであると思うが、通俗的には太平洋戦争といわれているので、便宜的にそういう呼称を使うが、この部分では、本来、外交手腕でことを決すべき場面であった。
戦前という時代状況の中で、本来ならば外交交渉でことを解決をせねばならない所で、問題解決が頓挫するとそこに軍部が入りこんで、武力行使をするので、全体の印象として軍部に掻きまわされて収拾がつかないという状況に陥ってしまった。
本来ならばここで外務省が前面に立って、相手側と上手に外交交渉をすべき状況であるが、この外務省が昔も今も極めて無責任なるが故に、軍部が嘴を挟まざるを得ない状況になってしまうのである。
国の統治がシビリアン・コントロールであるとするならば、国益擁護の最前線に立つべき外務省は、よほどしっかりした心構えいなければならないはずである。
しかし、日本の外務省の人間が、果たして本当に日本の国益のことを考えて身を処していたであろうか。
昭和16年12月8日に、日米開戦の宣戦布告の文書を手渡す時の不手際も、外務省の人間が如何に誠実さを欠いているかの見事な事例ではないか。
ああいう失態は、対米戦の前の日中戦争の際にも、多分、数多く散見していたに違いなく、それが昔も今も日本の外交交渉に連綿と引きつがれているに違いない。
そういうことを考えると、我々が奈落の底の転がり落ちた大きな理由を、軍人や軍部にのみに覆い被せることは卑怯な態度だと思う。
陸軍士官学校や、海軍兵学校というのは、陸軍軍人或いは海軍軍人の高級将校を養成する為の職業訓練校であった。
旧日本軍の幹部養成の在り方として、基本的には徴兵制で集めた兵隊の中から優秀な人材を選抜して高級将校に仕立て上げるのが本旨であったが、優秀な人材を早急に集め、一刻も早く最強の態勢を作ろうと計って、部外から出自に全く関係なく、一回のペーパーチェックをクリアーすれば、後はエスカレーター式に高級将校になる道が開かれたということだ。
昭和の軍人の悪弊は、この「出自に全く関係なく一回のペーパーチェックをクリアーすれば」という部分にあったわけで、その事は今日でも大部分の日本人は認識していないと思う。
これこそ究極の民主化であったわけで、世界でいずれの国も経験したことのない斬新的なことであった。
つまり、江戸時代約250年の間の武士階級というのは、人口の5%にも満たなかったと思うが、彼らは金銭的にいくら貧乏していても支配階級だという矜持は持ち続けていた。
「武士は食はねど高楊枝」という戯れ言葉が、それを端的に示しているわけで、「いくら貧乏でも曲がったことまでして安逸な生活はしないよ」、ということを誇示していたのである。
ところが、明治維新の文明開化では、四民平等がうたわれて、出自を問わず、一回のペーパーチェックをクリアーすれば、将来、高級将校になる道が開かれたわけで、武士のみならず商人、百姓、職工、エタ、卑人まで、このたった一回のペーパーチェックに臨んだわけである。
つまり、そういうクラスまで職業軍人になる機会均等が実践されたので、それが職業軍人の知性や理性の底値安定につながったわけで、そもそも明治、大正、昭和の初期の時期に、職業軍人を目指そうという発想そのものが極めて水飲み百姓の根性である。
今は百姓という言葉そのものが差別用語らしいが、百姓根性そのものが人として実に卑しい思考だからこそ、その言葉を差別用語として認定したのであろう。
その対極には武士道という言葉があるが、百姓根性と武士道では、それぞれにその出自を暗黙の内に物語っているではないか。
人間の歴史の中では、あらゆる民族が戦闘集団としての軍隊を持っていると思うが、その中でも先進国の軍隊の将校、つまり文化的に進化した国あるいは民族の軍隊の指揮命令系統を司る人は、基本的に貴族の出身者がなる。
平民や農奴クラスの人がそういう職域になることはごくまれなケースであったが、日本の軍隊は、そこを大きく門戸開放を行ったわけである。
結果として、昭和の初期においてバカな軍人が数多く輩出したというわけで、彼らが自らの組織そのものまで壊滅させてしまったということだ。
これが優秀だといわれた、陸軍士官学校、海軍兵学校の卒業生の成れの果てであり、彼らの実績である。
戦後、あの戦いに生き残った彼らは、一体どういう気持ちで自分の母校に思いをはせているのであろう。
何度も言うが、負ける戦なら誰でも出来る。
軍人が戦争する以上勝って当然である。
勝てない戦ならば最初からしてはならない。
問題は、あの昭和16年の12月の時点で、日本はアメリカと戦をしても勝ち目はないということが解る人には解っていた。
解っていたけれどそれに突き進んだ。
戦いには勝敗が付きものだと言うが、それは後知恵であって、負けると解っていれば、手を出してはならない。
やってみなければ解らない、あわよくば幸運に助けられるかもしれない、という楽観主義で戦いに臨てはならない。
昭和の初期の段階で、軍人が政治を翻弄して、国を奈落の底の突き落としたことは誰もが認めざるを得ないが、その中においても、日本の帝国大学は何の支障もなく機能していたわけで、そこでは学生も教授も真摯に授業をしていたに違いない。
ところがこの時代、日本の帝国大学に進学した人たちというのは、一体どういう人達だったのであろう。
陸士とか海兵という士官養成機関は給料が貰える方であるが、旧制大学では矢張り授業料を納めなければならなかったにちがいない。
だとすれば、そこに籍を置く学生は、それが払えるだけの金持ちでなければならないわけで、そういう人達はそういう人達で、軍人の政治介入をどういう視点で眺めていたのであろう。
戦後になって、映像でも何度も見た、神宮外苑の学徒出陣の式典の様子(昭和18年10月)を見ると、東大をはじめとして約2万5千名の学生がこの出陣式に参加し、その内3千名が帰らなかったといわれている。
彼らは、今更、言うまでもなく、日本の最高の知性と理性であったわけで、そういう若者が学生の兵役免除が切れるまで、つまり国家が戦争遂行の人出がなくなって、今まで兵役を免除していた学生まで刈り出さねばならなくなるまで、のほほんとしていたということでもある。
昭和18年と言えば戦争もいよいよ佳境に入って、日本の敗色が濃くなるころで、この時期に至るまで日本の最高学府の人達は、自主的に兵役について、国家に殉じようという人はいなかったということでもある。
兵役についてしまうと、今度は部内のシステムで、大学出にふさわしい職域に配されるということはあったろうが、自らの意思で、国家に殉ずるという発想は、最期の最後まで湧いてこなかったみたいだ。
徴兵で集められた兵隊は、どこまでいっても烏合の衆であるが、帝國大学の学生ともなれば、当然そういう人間とは資質が違うわけで、それなりに有意義に使わねば国家的損失になるのだが、どうも統治する側もされる側も、そういう発想には至っていないみたいだ。
私はそういう状況に、極めて強い憂いの感情を持っているが、帝国大学の学生やその卒業生が、軍人の政治介入や、高等教育を受けた人材の活用という面で、何の考慮も払っていないということは、極めて由々しき問題だと思う。
戦争をする、戦争を遂行するという現実に際しても、高い教養と知性や理性が必要なことは言うまでもないが、我々の国では、その事に最高学府の人達も、軍部の人達も一向に気が付いている風にはみえない。ここが我々日本民族の根源的な問題はなかろうか。
政治に、知性や理性が何に一つ反映されていないわけで、そこにあるのは国益と称する自己欺瞞でしかない。
それは詰まる所、戦争或いは政治の私物化でしかない。
政治の稚拙さも、戦争の稚拙さも、学校教育では何とも是正の仕様が無い。
あの昭和の初期の時代に、我々はいくつも帝國大学を擁していたわけで、そこでは絶えず知性と理性に磨きがかけられていた筈であるが、それがあの当時の政治と軍部の行動に何に一つ影響を与える力を発揮できないでいた。
陸士、海兵という学校は、何処まで行っても職業訓練校である。
この認識は、昔も今も日本人の中には存在していない知覚で、陸士、海兵が職業訓練校だという認識が醸成されない限り、シビリアン・コントロールの概念は成り立たない。
シビリアン・コントロールを実りあるものにするためには、旧制の帝国大学のような所で、理性と知性に充分な磨きのかかった人材を育成しなければならず、そういう人に国の舵取りを任せなければならない。
昭和の初期に軍人が政治に介入した時、旧帝国大学出の知識人は一体何をしていたのか、と問いなおすべきである。
こういう状況下で影響力を示せ得る階層は、言うまでもなく政治家であって、その政治家をフォローすべきが本来ならばメデイアでなければならなかった。
ところが、こういう階層の人達は、軍人の張り子のトラの象徴であるサーベルの音に震え上がってしまって、言うべき事も言えなくなってしまった。
私の世代のもう少し上の世代の人は、「子供の頃は軍国少年であって、将来の夢は軍人になる事で、日本が負けるなどということは信じられなかった」と述懐している。
こんな小さな子供までを軍国主義者にする社会を一体どう考えたらいいのであろう。
それにはメデイアの影響が大いにあったことは否めないが、メデイアというのはどうして、こう無責任な態度でいれるのだろう。
メデイアは政治の当事者ではないわけで、「あれが悪いこれが悪い、ああすればいいこうすればいいと」、言いたい放題のことは言いまくるが、それには一切責任はついていないわけで、間違ったからと言って、会社がつぶれるような制裁は受けない。
だとすれば、メデイアで報道を担当するものは真に厳正中立で、事実を事実としてのみ報道するのは当然であるが、我々の場合、ここでも非常に好意的にというか、皆の為に役立とうとか、善意に満ちた報道をしてしまう。
それが戦意高揚というポーズになり、国策に忠実たらんと鼓舞宣伝することになり、結果として虚偽の報道になってしまうのである。
それが先般問題となった100人切りの報道なわけで、前線で抗戦中のある士官が、新聞記者の前で、ほら吹きの真似をして多少大げさに自慢した話を真に受けて、それに輪を掛けて誇大に報道したものだから、それを敵国側からすれば、格好の攻撃材料になったわけで、金寄こせという訴訟に繋がったわけである。
この問題においても、当然、メデイア側に良心があるとするならば、その報道の真実を明らかに公表すれば、無用の摩擦は避けられたにもかかわらず、メデイアの側はそれをしなかった。
それは損得の問題ではなく、良心の問題であるが、日本のメデイアの関係者の中には、こういう良心の欠けた人材が余りにも多すぎる。
メデイアの使命は、統治者を監視するという意味が多分にあることは理解できるが、だからと言って自らの良心をドブに捨ててもいいということにはならな筈で、昭和初期の日本のメデイアも、当然のこと自分の目で見、自分の耳で聞いたことを素直に報道すればよかったが、この部分で非常にモノわかりよく体制側にすり寄ったので、日本の全国民が見事に軍国主義に洗脳されてしまったのである。
「組織の興亡」という場合、如何なる組織も、烏合の衆という体裁はありえないわけで、組織の構成員というのは極めて学識経験豊富な優れた人士が多いはずである。
そういう優れた人士でなり立ている組織が、何故つぶれるのかという点は、実に不可解な部分であるが、旧帝国軍隊の崩壊のみならず、日本の組織はあらゆる組織が崩壊の危機にさらされでいる。
その理由が私にとって極めて不可解極まりないことである。
学識経験豊富ということは、高等教育をつつがなく終了している、というか修めているわけで、ならばそこで習得した学問は、個々の人間の人生に如何ほど役に立っているかということに尽きる。
単純に考えて、旧軍隊では陸士、海兵という学校で習得した教養・知性が、その後の卒業生の人生を統御しているわけで、その結果として組織が崩壊してしまったということは、彼らの習得した学問は一体何であったかということになるではないか。
戦後の民間企業でも、バブル崩壊にともなって崩壊した会社は数限りなくあるが、そういう優良企業の経営も、ただその辺りのホームレスのような烏合の衆がしていたわけではなく、旧軍と同じように、それ相当に立派な大学を出た人達がやっていたに違いないが、それでも企業が潰れるということは、高等教育で学んできた教育が何の役にも立っていないということではないか。
教育というのはタダで出来ているわけではなく、陸士、海兵という学校でも、あるいは帝国大学でも、国費がそこでの教育には投入されているわけで、金と時間と労力を限りなくつぎ込んで、立派な高等教育を施しても、それを受けた卒業生が組織をぶっ潰すような実績しか残せないような教育であるとするならば、何の意味もないではないか。
旧制大学の卒業生でも、軍人の政治への横暴を抑え込めない、批判できない、軍人のサーベルの音に恐れおののいているようでは、帝国大学の高等教育が泣くというものではないか。
軍人が腕力で威張り散らせば、それをシビリアンは言論で抑え込み、メデイアは報道で批判し、国益というものをもっと真剣に考えるべきではなかったかと思う。
ただ、陸軍の独断専横は目に余るものがあったが、それに同調することの非を、当時の誰もが認識していなかった。
確かに、中国大陸で陸軍が少し実力行使すると、「勝った勝った」と有頂天になり、実際よりも誇大に報道するので、内地の日本人はそれを真に受けるわけで、その虚実を当時の知識階層、学識経験者といわれる人々は是正しなければならなかった。
そもそも我々同胞の中国人蔑視、シナ人蔑視の思考がどこに原因があるか、と言うことから考察を始めなければならないと思うが、個人的には日清・日露の戦役に勝利を治めたところにあると思う。
この二つの戦役で、日本の大衆、つまり徴兵制の元でかき集められて、兵役という型で大挙して中国の地に足を踏み入れた事が、我が同胞の中国人蔑視、シナ人蔑視の原因だと思う。
日本の大衆が、中国の現状を目の当たりにして、中国人、シナ人何するものぞという心境に至ったと考えられる。
そういう価値観が当時の日本の全国、津々浦々に浸透してしまったので、我々の貧困からの脱出には、中国を足掛にすればいいという発想に繋がったものと考える。
昭和初期の日本陸軍の行動も、陸軍が好き勝手に専制君主になろうとしてわけではなく、その背景には、当時の日本国民の潜在意識が潜んでいたと思う。
その時の潜在意識を今ひも解いてみれば、「我々の貧乏からの脱出のためには、中国を足掛かりにして、多少迷惑を掛けてもいた仕方ない」という、ご都合主義であったに違いなく、これが当時の日本国民の本音であったと思う。
しかし、それは自分にとって、我が日本にとってまことに都合の良い言い分であることは間違いなく、相手の心情を推し量ったものではない。
だが、我々日本としては、中国、シナに対してはまことに傲慢で、先方にしてみれば腹に据えかねる行為であったろうが、我々は中国の戦争では負けた訳ではない。
ソ連に対しては、終戦のわずか1週間前とはいえ、正真正銘の敗北であったが、ソ連邦の戦争の仕方には、それこそ人倫にももとるが、実力で領土を蹂躙された以上、何とも仕様がない。
組織の興隆に構成員の受けた教育が何ほどの力にも成りえないということは、組織の維持管理には教育とは別の次元のカリスマ性が必要ということなのであろうか。
ということはトップのカリスマ性が大きく組織の維持に関わり合っているということなのであろうか。
宗教の団体ならばそういうこともありうるかも知れないが、目的意識を持った組織で、リーダーのカリスマ性などということはあり得ないし、あってはならないと思う。

「モルジブが沈む日」

2011-09-22 07:46:57 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「モルジブが沈む日」という本を読んだ。
サブタイトルには「異常気象は警告する」となっている。
翻訳ものであるが、そうとうに重厚な読み物であった。
内容的にはサブタイトルにもあるように、「今の地球は異常気象ではないか」ということで、温暖化が進んでいるように報道されているが、この温暖化は本当なのかどうか、ということを追い求めた内容であった。
温暖化がもし本当ならば、北極や南極の氷が解け出して、標題の言うように、モルジブという国は水没してしまうであろう、ということを述べている。
異常気象は地球規模であちこちにあらわれていて、その事例がかなり詳しく述べられているが、その一つ一つが、地球の温暖化に関連するかどうかは、結論としてはまだ判っていないということである。
この異常気象も、地球の大きなサイクルの中の変動の一環ではないか、あるいはそういう大きなサイクルから逸脱した、特異な現象かどうかの確定は、今のデータでは難しいということのせめぎ合いになっているということである。
地球の誕生は、何億年という単位で存在し続けているが、今、我々が直面している異常気象は、あくまでも我々の生きている何十年という単位の変化なわけで、それは地球規模での比較をすれば、僅かに一瞬の出来事なわけで、地球の気候変動のサイクルからすれば、比較検討さえ成り立たない瞬時のことかもしれない。
その変動に元の所に、人間による化石燃料の使用が、炭酸ガスを排出しているので、この炭酸ガスが異常気象の根源だ、という考え方の是非が問われようとしている。
地球上における人類の繁殖が、炭酸ガスを限りなく排出させているので、その炭酸ガスが地球上の異常気象の元だという論理であるが、考えて見ると、地球上の生物の中には既に絶滅したものも数限りなくあるわけで、その端的な例は恐竜である。
この恐竜の絶滅は、恐らく宇宙規模の変革がこの地球上に起きたからと考えられる。
巨大な隕石が地球と衝突して、地球上に大きな気候の変動が起きて、それで恐竜も自分の生命を維持できなくなったと思える。
地球に巨大な隕石が衝突するということも、地球の誕生以来の何億年という単位の時間の中ではありうることで、隕石が地球上に落ちてくれば、恐らく大きな気候変動を伴うと思う。
素人考えでも、隕石が地球と衝突した衝撃で、地球上の砂や石が舞い上がり、それが天空を覆い、太陽の光をさえぎって、異常気象を呈するとも考えられる。
その異常さの振幅は、我々の想像を超えるものであろうが、その程度は誰にも判らないわけで、氷河期になったのか、それとも温暖な気候になったのか、皆目見当もつかない。
しかし、地球の歴史は、そういう気候あるいは天候の変動を、内に秘めたまま今日があるわけで、その中には生命体の誕生と消滅も当然内包されていると思われる。
恐竜の消滅も、当然、その時間の流れの中の出来事であったわけで、石炭あるいは石油の存在も、そういう地球の生成の結果であったわけで、65億年という時空間の中でも、決して変わることのない真理は、命あるものは必ず死ぬと言うことである。
65億年の地球の歴史の中で、人類の誕生というのはわずか200万年前になる。
その200万年の内、199万年までは、まさしく猿並みであったわけで、人としての格好が付くのは、僅かに最後の2千年ぐらいの間でしかない。
この最後の2千年の内でも、人間が化石燃料を使って炭酸ガスを際限なく放出するようになったのは、これも最後の最後の僅か100年に過ぎない。
しかし、地球の生存にとって最大の問題点は、人間の生存ではないかと思う。
この地球上に人間さえ居なければ、地球の温暖化という問題はあり得ず、全ての現象が、自然の輪廻転生のままに、自然界の変動幅の中に収まるに違いない。
ところが、ここに人間の存在という因子を加味すると、自然界の変動幅に異常をきたしてしまうわけで、特異な現象ということに成りがちである。
この特異な現象というのも、ある意味で20世紀や21世紀の人間が未だ経験していないというだけのことで、自然界の自然の変動幅の中には、既にあったものかもしれない。
この本の中にはトルネードや、ハリケーン、大洪水のことが異常気象として捉えられているが、それは人間が体験したという意味で、想定外の被害を見て異常だと思っているにすぎず、その場に人間というものの存在がなければ、如何なる被害も、如何なる災害も、如何なる天災もありえないわけで、それはただ単に自然の営みそのもので済んでしまう。
大きな川の傍に人間が家をつくるから、大水でそれが流され、人が死ぬわけで、そんな川の傍に家を作らなければ、災害には成らずに済んでいる。
地球が誕生して65億年といわれているが、その間にきっと様々な生命が誕生し、そして消滅した生命も数えきれないほどあったに違いない。
しかし、約200万年前に誕生した人類という生命は、決して絶えることなく増殖する一方であった。
今、知的な文化人の間では、絶滅しそうな動植物の保護という動物愛護の運動が、さも文化度の度合いを計るバロメーターのように言われているが、これもまさしく人類の驕りそのもので、自然を冒涜する発想だと思う。
この地球上に存在するあらゆるものが、いずれは消滅するという発想こそが、自然に対する敬虔な態度だと思う。
この植物、この動物を、今ここで絶やしてしまうと、後はいっさい同じものが生まれない、というのは明らかに何の疑いもなくこの世の真理であるが、それこそが自然の営みであって、地球上の生命の誕生とその対極にある消滅の現実であって、それでこそ自然の営みというものだと考える。
「これは貴重な種だから絶やしてはならない」というのは人間の側の勝手な思い込みに過ぎず、知識人の驕り以外の何ものでもなく、自然を冒涜する発想だと思う。
20世紀後半から21世紀にかけて、人類が使う化石燃料が炭酸ガスを放出するので、それが地球温暖化の原因だという論法は、まだ結論が出たわけではないが、わずか100年の経験から、65億年も生存し続けた地球の気候を推し量ろうという発想は、発想そのものが不遜だと思う。
しかし、私レベルのアホな人間の思い付くこととしては、人間が自分の生活の便利さにかまけて化石燃料を使い続ければ、大気中の炭酸ガスの量が多くなることは間違いない。
そうなればきっとその揺り戻し、炭酸ガスの量の増加に伴う新しい兆候というか、従来の人間がまだ経験したことのない現象が現れるということは充分予想される。
その変動の幅が、自然界の変動の幅の中の収まるかどうかは、誰にも判らないわけで、今起きている現象は、今生きている人々がまだ経験したことのない大事件ではあるが、真に未曾有な出来事かどうかは、誰にも判らない。
問題は、こういう状況で、人的被害が出るということなわけで、人さえ死ななければ、大事件でも大災害でもないわけで、人が死ぬから大騒ぎをしているのである。
アフリカの草原でライオンの足にとげが刺さると、そのライオンは餌が取れずに餓死する。
同じように草原にいる野牛の群れは、病気や怪我で俊足に走れない個体が、肉食動物の餌食になるが、犠牲になった個体を、その仲間が悼むかというと、そういうことはないわけで、死を淡々と受け入れている。
しかし、人類だけは仲間の死を悼み、特に身内の死に対しては、その死を悼む感情は並々ならぬものがある。
これは一体どういうことなのであろう。
人の死を極度に忌み嫌い、生に固執する我々、人類の生き様というのは、どういう風に解釈したらいいのであろう。
地球の誕生が65億年前だとすると、その間に色々な生命が生まれては消え、消えては生まれていたと想像する。
恐竜などもその端的な例であるし、我々、人類の先祖も、限りなく類人猿に近い者から今の我々のよう完全なるホモサピエンスに至るまで、様々な種が生まれては消え、消えては生まれて、最期に生き残ったのが今の人間と言える。
この最期に生き残った人間は、際限なく増殖の道を歩んでいるわけで、死ぬことを罪悪ととらえ、忌み嫌い、生への確執がとめどもなく強く、何が何でも生き抜くことを善と見做している。
そして、その増殖した人々は、これ又、際限なく化石燃料を使うわけで、地球上は炭酸ガスで覆われてしまう。
そうなれば当然のこと、地球は炭酸ガスで充満して息が出来なくなってしまうので、今の内に何とか手を打たねば、という発想に陥るのも自然の流れではある。
この地球上に生を受けた人間が、仲間の死を悼む感情を持つようになったということは一体どういうことなのであろう。
人間というのは、母親の体内から生まれ落ちた時は、正常な分娩であったとしても完全に未成熟な個体で、その個体が親と同じ成熟した個体になるまでには約20年を要する。
この約20年間という間は、親の庇護の元に生きているわけで、その親の庇護という無償の愛の中で、他者を労わるという感情が醸成される。
生まれ落ちた時から成人に達する間に、それぞれの個体は親の愛情に育まれて、親の愛と指導と労わりの中で生育するので、近親者が死んだという時には、当然、そういうものが断ち切られる悲しみを感じる。
ここで大いなる愛を失うということを実感として体験するわけで、それが積み重なって他者の死を憐れむ、という感情が蓄積されたのであろうか。
他の人間以外の動物は、生まれ落ちた瞬間にもう立ち上がり、餌も自分で取るわけで、親の愛情に育まれるということは無いわけで、他者の死に対しても何の感情も湧かないに違いない。
それに引き換え人間は、他者の死を我が事のように憐れむ感情を持っているので、死者に対してより以上の愛情の発露を指し示すことを厭わないのである。
だから、生きた人間の基本的な潜在意識として、長寿願望があるわけで、いつまでも長生きしたいという思いが誰かれなく持つということになる。
そのことによって、死ということは生きた人間の最悪の事態なわけで、生きた人間は誰も彼もが死を悼み、死から逃れようとし、他者の死を憐れむのである。
地球上に生存するあらゆる人々、つまり人間の集団というのは、基本的に死を忌み嫌い、死から逃れるべく知恵と才能を酷使するわけであるが、いくら手を尽くしても、それから逃れることはできないわけで、ならば死んだ人を少しでも崇め奉って、その魂を救済しなければと考えるのである。
その結果として人間は災害を少しでも避けて、人々が死に直面しないように、手を尽くし工夫を凝らしているのだが、自然の威力はそういう人間の努力をまるで意に介していない。
最近、大災害が多発して、「気候が異常になったのではないか」という発想は、その根本のところに人間の命の消滅が数限りなくあったので、大騒ぎになっているに過ぎない。
トルネードであろうが、ハリケーンであろうが、大洪水であろうが、熱波であろうが、大寒波であろうが、そこに人間の存在さえなければ、災害でもなんでもないわけで、ただたんなる自然の輪廻転生に過ぎない。
そういう考え方に立ってみると、人間が化石燃料を使うから、炭酸ガスが増え、それが異常気象の元だという論拠は、極めて希薄になる。
ただ私が不思議に思うことは、アフリカの奥地というよりも、未開な地域というか、当たり前の国家の体をなしていない地域の人々が、旱魃で食糧難に陥り、何千何万という難民が出ているということである。
それを国連が食糧援助と称して救済しようとしている。
が、国連の名の元で行われている食糧援助ということが、果たして本当に必要かどうか甚だ疑問に思っている。
人が死にかけているから、何が何でも救済しなければ、生かさなければ、ということが果たして本当に善なのであろうか。
これはイスラム教徒とアメリカの対立の構図にも当てはまるが、近代的に進化した国が、食うや食わずの未開発の国や民族を、支援或いは援助することが果たして本当に善なのであろうか。
アフリカの食糧難民の上に、アメリカや国連が空から飛行機で食糧を撒き散らしたとして、その難民たちが生き永らえるものだろうか。
しかし、世界の知識人、有識者、学識経験者、賢者、大学教授、有名なジャーナリスト、或いは評論家という人々は、「こういうアフリカの難民を救済すべきだ」と言っているが、その発言は自分が良い子ぶって理想論を振りかざしているだけではなかろうか。
この類の人達は、大見栄を切っているだけで、そういう風に発言しないと、自分が干されてしまうからそういう風に見栄えの言い、大衆受けのする、理想を絵に描いたような事を言っているのではなかろうか。
そもそも人類の誕生は200万年前に遡ると言われているが、その時はアメリカ人を唯一の例外として、中国人も、日本人も、イヌイットも、マサイ族も、イギリス人も、フランス人も、アポリジニも、スタートラインは皆同じであったはずである。
それ以来、200万年という時間を共有する間に、一方は飛行機から食糧を落とす側に、もう一方は地上でそれを受け取る側に身を落としているわけで、この立場の相異が生まれたのは一体何なのだ、ということを誰も問い直そうとしない。
先進国が後進国を援助しなければならないという発想は、人間としての極めて傲慢な思い上がりだと思う。
地球上に最初に人類が登場して以来、他者に淘汰された人類、民族は数限りなくあったに違いない。
近代化に乗り遅れた民族は、淘汰されるのが自然の流れであって、そういう人々を救済するという発想は、自然の摂理を冒涜するものだと思うし、ただ単に「良い格好シイ」の自己満足の域を出るものではない。
現在の社会では、アメリカとアラブ諸国、先進国と後進国、開発国と開発途上国という色分けが歴然と存在するが、西洋先進国、アメリカ、日本という先進国があって、その後を中国とか韓国、インドが追い上げているが、それはその国、或いはその民族の一人一人の努力があってなされた実績なわけで、先進国においても過去にそういう努力があったればこそ先進国たりえたのである。
結果的に、後進国を搾取した部分がゼロではなかろうが、それを跳ね返すことこそ後進国の努力すべきことでもあったわけである。
そこの部分の努力を怠ったからこそ、食糧を投げ与える立場と、下で受け取る立場の相異があるわけで、大きな自然界の流れの中で捉えれば、他から食糧を分けて貰わねば生きていけれない民族は、とうに昔に淘汰されてもしたかのない立場だということである。
世界の知識人が「そういう人々を救済せよ」と声高に叫ぶのは、自分の身を傍観者の位置に置いて、「良い格好シイ」のポーズを振りまいているにすぎず、売名行為か偽善者なのであろう。
地球上の人間が際限なく増殖するとなれば、結果として、自然界に対して何らかの影響が出ることは必然的なことだろうと思う。
その結論が今の時点でははっきりとは判らないので、皆が疑心暗鬼に陥っているが、人間の際限ない増殖が、自然界に何の影響も及ぼさないということは、あり得ないと思う。
アメリカ大陸の大西洋と太平洋の海沿いの部分、日本を含む中国大陸の海沿いの部分の人の集まりのことを考えれば、このエリアで消費される化石燃料のことを想像するだけで、自然界に影響が出ない筈がないではないか。
私の極めて素人っぽい思考では、地球上にある物質のトータルの量は、ロケットで宇宙に放り出さない限り不変だと思う。
例えば水を例にとれば、地球上で何処かに大雨があれば、他の場所では旱魃になっているのではないかと思う。
温暖化で、南極や北極の氷が解ければ、水位が上がるというのもそれとの関連だと思う。
だとすれば、石炭と炭酸ガスの関係にもそれが成り立つのであろうか。
燃やした石炭の質量と、それで出た炭酸ガスの質量は同じということになるのであろうか。
しかし、そういうことは自然界からすれば何の違和感もないわけで、太陽の熱で蒸気が発生し、それが雨になって地上に降り注ぐという循環を律儀に行っているだけで、降る量が多少多くなったり少なくなったり、時期が早かったり遅かったり、多少ずれることもままあるわけで、そうそう驚くべき事ではなかったかもしれない。
ただ地上の災難というのは、人間にとっての災難であるだけで、自然界からすればごく普通のサイクルに過ぎないのかもしれない。
自然界はごく普通に輪廻転生を繰り返しているだけなのに、人間の方は絶え間なく増殖をしているわけで、ほんのわずかな時間単位で、人間の数が級数的に増えるのだから、そこにごく自然の成り行きで、風が吹いたり雨が降ったりすると、人間側にとっては未曾有の大災害になってしまうのである。
人間の数が級数的に増えることについても、人間側では何の対策、増殖を抑制する何の対策も取ろうともせず、「そういうことは人間の良心に反する極悪非道なる振る舞い」という感覚で語られている。
人間の集団を先進的な人々と後進的な人々という分け方をすると、限りない増殖を招いているのは、後進的な人々なわけで、この後進的な人々の存在は、先進的な人々の社会をも壊滅的な状態に追い込みかねない。
極く普通に考えて見ても、アメリカの農業は極めて効率的で、わずかな人間が巨大な機械を酷使して膨大な穀物生産を行って、アフリカの飢えた人々に空からそれをバラまいている。
だが、同じ人間でありながら、何故アフリカの人々には、アメリカ人と同じことができないのだ。
何故イラクの人々は、アメリカ人と同じ生産活動ができないのだ。
これを私流の荒っぽい言い方をすれば、アフリカの人々も、イラクの人々も、その他の後進国といわれる人々も、基本的にそういう人たちは馬鹿で、頭が悪く、怠け者だから、同じ人間でありながらこういう差が出てくるのだと言いたい。
前にも言ったように、人間のルーツをたどれば、地球上の如何なる民族も、そのスタートラインは同じであったわけで、同じスタートラインで同時にスタートを切ったにもかかわらず、21世紀の今日、これだけの差が生じたということは、それぞれに民族の個性があったわけで、その個性の中には、頭の悪さや、頑固さや、回転の鈍さや、進取の気性が欠けていたり、根っからの怠惰であったり、人間の資質として負の面を含んだ部分が多かったものと推察する。
地球上の如何なる場所に住みついた民族であろうとも、自己保存、生存競争を生き抜くという先天的な使命は、潜在意識として刷り込まれているはずで、21世紀において先進国と後進国の間にこれだけの差異が生じたということは、それぞれの民族の個性が大きく関与していると思う。
イギリス人のピューリタンが新大陸に渡ったのも、フランス革命も、明治維新も、ロシア革命も、中国の革命も、それぞれにそれぞれの民族が死に物狂いに生存競争を生き抜こうとした結果であったわけで、今の後進国といわれている国々に、或いは民族に、こういう歴史を持っているかといえば多分持っていないと思う。
その結果として、食糧を空からばら撒く側と、下でそれを受け取る側の相異が生まれたわけである。