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ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「『戦後』を点検する」

2011-11-17 10:27:02 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「『戦後』を点検する」という本を読んだ。
講談社現代新書判であったが、保坂正康と半藤一利との対談という形になっていた。
両名とも近現代史の大家なので安心して読めたが、私も彼らと同世代なので、登場する事柄についてはリアルタイムに記憶している部分もあったがそうでない所もあった。
昭和のあの時代に、ああいう出来事があった、ということはリアルタイムに関知しているが、その背景となるとやはり門外漢なわけで、そこを掘り起こすという意味で非常に興味深く読んだ。
半藤一利氏は1930年生まれ、保坂正康氏は1939年生まれというわけで、私は保坂氏に年齢的には近いが、共に戦後という時代を潜り抜けて来たという意味で共感を覚える。
私はこういうことを専門的に学んだ経験は無いが、生来の本好きという面から、人さまの知見を受け売りするに資する知識は備えているつもりである。
一つ一つの出来ごとに、自分なりの評価基準は持っているが、それにしても我々の民族の行動としては、実に不可解な部分が多すぎる。
第一、我々の先輩諸氏が日中戦争からアメリカとの開戦に至るまでの過程など実に不可解極まりない。
戦後の、「戦争への反省」という意味での評価では、当時の軍人の独断専横に全ての責任を覆い被せて、軍人以外の者は全て戦前・戦中の軍国主義の犠牲者だ、という言い方が普遍化してしまっているが、果たして本当にそうだったのか、私個人としては今でも納得し切れないものを持っている。
この両名の論旨には、流石にそういうステレオタイプな安易な評価はなされていないが、今の平成の世の政治的状況も、大戦前、戦争前の大正時代から昭和初期の政治状況に極めて似ているのではないかと思う。
つまり、経済が閉塞状況に陥って、何処にも抜け道が見つからないので、内部圧力がたまりにたまって飽和状態になっているようなもので、こういう状況下で、ある種のガス抜きとして、軍の独断専横があって、そで一気にバブルが崩壊してしまったようなものではないかと考えている。
世の中には「風潮」という言葉がある。
広辞苑によると、①風に吹かれて生ずる潮の流れ②時代の移り変わりによって生ずる世の中の傾向、となっているが、まさしくこの言葉通りの雰囲気が時代を風靡することがある。
これを私流の言葉で言い直すと、「時流」という言い方になるが、人間の集団には時と場合によって、一種独特の雰囲気に包まれる事がある。
これは「善し悪し」という価値基準では計れない出来事であって、基本的には人間の理性の及ばない領域であろうが、それで手を拱(こまね)いていては万物の霊長としての估券に関わるのではなかろうか。
そういう時代の風潮、或いは時流に敢然と刃向かうべきが、本来の人間の理性と知性であらねばならないのではなかろうか。
この世に生まれ出た人間は、全て自己愛というものを持っているわけで、「この世で一番大事なものは自分の命だ」という考えに異論を挟むものはいない。
だから自分の命を投げ出してまで他者に尽くす行為を強制するわけにはいかないが、自らが自分の命を投げ出しても他者を救おう、という思いを制止することもない。
世の中が混沌としている時に、ただただ右往左往と、人の波、あるいは人の群れにくっついて動くだけでは能が無いわけで、そういう状況下で自己愛の強い人は、何が何でも生き抜く努力をするが、ただただ時流に流されるだけの人もいる。
人の生き方としては、周りの人間と足並みをそろえて、時流に流されて、自己の思考を思い煩うことも無く、安逸な生活を送った方が精神的にかなり楽な生き方ではある。
しかし、これでは動物と同じなわけで、霊長類の人間としては、ここで理性とか知性という脳の働きが作用して来るのが自然の流れというものだ。
人間の集団は、大勢の人間の集まりなので、中には理性も知性も無く、ただ単に粗暴という人もいることはいるが、そういう人は群れのリーダーには成りきれないはずで、周りの人から疎外されて当然である。
大正時代から昭和の初期の時代に、日本の政治が混沌としていたことは否めないが、そこで本来の力を発揮すべきが教養人と言われる範疇の人々でなければならなかった。
教養人という言葉は、如何にも時代がかかって古めかしい印象を受けるが、左翼用語でいえばインテリーゲンチャということになる。
ところが、戦前の日本では、こういうクラスの人々が軍人のサーベルの音に委縮してしまって、言うべき事を言わなかったから、結果として軍人の独断専横という風潮を国民レベルで後押ししてしまったということになる。
あの時代、軍人・いわゆる青年将校と称する若者のテロが頻繁に横行したので、そのテロに脅えたと言い方も成り立つが、これは人の持つ自己愛という見地からすれば、「テロに脅えるな」と言う方が無理というものである。
が、本来、理性と知性の塊りであるべき教養人が、テロを恐れて沈黙してしまったから、軍人の独断専横を招致した、ということはいえると思う。
教養人の認知はメデイアによるところがおおいにあるが、統治するものは基本的にメデイアをしっかり掌握しなければいけない。
メデイアの殺生与奪権をしっかりっと握って、何を報じて何を報じてならないか、をしっかりと把握して、勝手な報道、何でもかんでも有ること無いこと、公序良俗を無視してまで報じていい、という放任主義は厳に戒めるべきだと思う。
人間として普通に倫理観、常識、知的センスがあれば、報ずる側にもおのずからその峻別はつくはずで、その峻別が付かないということは、報ずる側、メデイアの側が金儲けに徹し切って、金儲けの為に公序良俗を無視していることである。
そういう人間ならば当然のこと厳罰に処して良い筈である。
そういう公序良俗を理解し切れないような人間に、普通の人権を認める必要はないし、ましてや「知る権利」だとか「報道の自由」などという判ったような言い分を言わせる必要はさらさらない。
普通の社会において、常識人としての公序良俗が理解できないような人間は、人間以下の存在で、人権などという権利を主張させる必要は毛頭ない。
この教養人と言われる人たちが、メデイアに様々な情報を提供すると、それに接した下々の人々は、「偉い先生がそういうのだから間違いないだろう」と単純にそう思い込んでしまう。
メデイア、今日ではテレビや新聞、はたまたインターネット等であるが、こういうものをじっくり観察すると、テレビや新聞の報ずることは、出来ごとの最初から最後まで全部を見せるわけではなく、そんなことは物理的に出来ないわけで、出来ごとの主要な部分のみ要訳して報道される。
問題は、この要訳という部分で、情報の送り手、発信する側は、見る側の人を故意に、思惟的に、或いは意識的に誘導して、世論形成をすべく情報をコントロールしている。
一連の出来事のどの部分を切って、どの部分を報道するかは、送り手側の思うがままになっているので、そういう操作は意図も安易に出来る。
送り手側の都合の悪いことは故意に隠し、貶めたい相手の弱点は大々的に報道するなどという作為は、明らかに世論形成の単純な手法であるし、だからこそこの部分に情報公開の透明性が問われ、偏向報道が問われるのである。
そういうメデイアのもろもろの事情の上に今日の政治状況があるとすれば、如何なる時代の為政者であっても、メデイアの首根っこをしっかりと抑えつけ、「報道の自由」などという甘い餌を振り撒くべきではない。
その事を考えれば、俗に言われている教養人という人達は、このメデイアに対して、その隠された部分を表に出し、時流とか、時の雰囲気とか、民衆の願っていることに整合性があるかどうか、ということに懐疑の念を常に抱き、それをニュートラルな方向に修正する使命があると思う。
この世の人々は、人の言う事にどうしても左右されがちである。
大昔の口コミであろうと、現代のマスコミであろうと、為政者のみならず下々の人々までがメデイアの報ずることに一喜一憂しながら生きているわけで、メデイアが事件の全貌を報じていなくとも、その報じられた内容によって自己の考えを固定化しようとするのである。
私は保坂正康氏と同世代であるが、これまでの自分の人生の中で見た同胞の有り体を考えると、我が日本民族というのは実に不甲斐ない民族だとつくづく思う。
あの戦争に嵌り込んで行った過程をつぶさに見、戦後の騒乱をつぶさに見ると、つくづく我が民族の不甲斐なさが身に沁みて感じられる。
戦前の我々の先輩諸氏が日中戦争に嵌り込んで行った過程を見ると、我々の同胞が如何に不道徳で、倫理感に欠け、思い上がりもはなはだしく思考的に極めて浅はかな存在であったか思い知らされる。
戦後の世相を見ても、GHQの指示による戦後の5大改革で、治安維持法が廃止され、それによって政治犯の釈放がなされたが、その時釈放された政治犯の数は468名と言われている。
つまり、戦中に治安維持法で投獄され、敗戦によって解放された正真正銘の共産党員は僅か500名にも満たなかったという事だが、それが翌年の食糧メーデーには皇居前広場に集まった人が25万人もいたというのだから、あの軍国主義は一体何であったのか、「天皇陛下万歳」の掛け声は一体何であったのか、摩訶不思議ではないか。
あの天皇制の厳しい中の軍国主義の治世下において、隠れ共産党員が25万人もいたという事は信じられないことではないか。
言うまでもなくこれは信念を持った共産党員ではなく、世の中の時流が変わったことによる便乗的な世情の揺れ、時流の潮の目の読みに起因する大衆の心の揺らぎであったわけで、これこそが戦前・戦中の軍国主義の正体であり、ある意味で民意の具現でもあったわけだ。
我々の同胞の生き様というのは、この程度のものでしかないわけで、戦前には世界の一等国とおだてられるとホイホイとそのおだてに乗ってしまい、「おだてりゃ豚も木に登る」という体をなしたわけだ。
そして、自分の周囲を見渡すと、自分よりも貧しい国が一杯あったわけで、それを見下す心理というのも、我々の同胞に倫理観が欠けていた証拠なわけで、当時のインテリーにはそういう下等な民衆を指導する見識も無かったという事だ。
思えば、明治維新以降の我々の国民的コンセンサスは言うまでもなく富国強兵であったわけで、これはとりもなおさずその裏の心理としては貧乏からの脱出願望であったという事だ。
明治維新で階級制度が廃棄されたことを民主化と称して礼賛する傾向があるが、民主化という言葉の裏には「味噌も糞も一緒くたにする」という負の効用があることを忘れてはならない。
昭和初期の時代に、軍人が威張って、サーベルの音をちらつかせて知識人を黙らせたということは、身分制度を御破算にした負の効用が露呈したという事である。
「武士は食わねど高楊枝」という戯れ言葉は、統治する、或いは人の上に立つことのノブレス・オブリージを差し示しているが、昭和の初期においては、その真意を理解する者がなくなったという事に他ならない。
戦争に敗北して新しい統治者が出現すると、戦前・戦中には身を隠していた隠れ共産党員が25万名も皇居前広場に集結した例を見ても、日本の大衆は群れを成す小魚の大群が一斉に方向転換するのと同じで、この構図は我々の民族の偉大なるエネルギーとも言える。
この小魚の大群が軍国主義を振りかざして、アジアに、太平洋に、挑んで行ったのだが、所詮、小魚は小魚であったわけで、さんざん相手に食い散らされてしまったということだ。
ここで歴史の反省とすべきは、小魚は小魚の生き方にマッチした処世術を考えださねばいけなかったが、我々の選択は、肉食の大きな魚と同じ思考回路を執ったという点である。
こういうマッチングを検討すべきが本来ならば学識経験豊富な知識人でなければならないが、そういう階層が全ておん身大切になってしまったが故に、祖国が恢塵となってしまったといえる。
戦後においても、先に述べた食糧メーデーに見るまでもなく、国論を二分する大きな論争はひっきりなしに浮上していたが、ここでも学生と称する無頼の輩の傍若無人な振る舞いが目につく。
その振る舞いは、戦前の青年将校のテロと同次元のパターンで、青年将校は軍人であったが故に武器の携行が認められていたのでテロになりえたが、戦後の学生には人を殺傷する武器の携行が許されていなかったので、棒や石ころで武力行使の代行をせねばならず、まるで石器時代の野蛮人の立ち居振る舞いと同じことを日本の最高学府の学生がしていたという事だ。
こんな日本が良くなることはあり得ないではないか。
確かに経済成長は成し得たが、人間性の向上は経済の発展と同じ軌跡で歩んでいたかどうかは甚だ怪しいわけで、経済成長の陰で、人心の荒廃は明らかに進んでいたことは間違いないと思う。
そもそも、日本の最高学府の大学の先生と言われる人々の常識が、国民を納得させるものではなく、国民の支持の無い思考になっているのだから、そういう先生の元で教育を受けた新しい世代、次世代が、日本を高い位置にもっていく、精神の気高さを期待できるわけがない。
必然的に、繁栄の坂を転がり落ちる方向にしか知性も理性も作用しないということである。
戦後の安保闘争、学園紛争を見ても、あれが日本の最高学府の人々の立ち居振る舞いだとはとても思えないではないか。
戦前の青年将校のテロへの暴走も、戦後の学生のあらゆる段階の闘争も、全て日本人の民族性を如実に表しているわけで、昭和12年に起きたとされる南京大虐殺も、戦後の学生運動の過激さを見ると、充分に推し量ることが可能だと思う。
あの虐殺に対する中国側のいう犠牲者の数は信ぴょう性が希薄だが、だからと言ってゼロでは決してない筈で、「30万人はいけないが3万ならば良いのか」という議論にはならないが、日本の将兵が南京で無為な殺傷をいくらかしたという事は言えると思う。
問題は、それをしたのがどういう人達であったかである。
私の推測では、非常に純朴で、素直な気質で、健気に軍国主義に心酔した、人間として立派な若手の将兵たちであったと考える。
年の頃は恐らく現役兵ということであれば、20歳前後の若者で、非常に純な気持ちで、敵地に進駐して、敵の憎悪の目に曝されて、過剰に反応したという部分は大いにあろうかと思う。
平和で何でもない時ならば、ごく普通の若者が、ある特殊な環境下に置かれると、自制心を喪失してしまって、「あいつがやれば俺もやる」式の付和雷同的な無責任丸出しの暴走行為に突っ走ってしまったという事があったに違いない。
戦後の安保闘争や、学園紛争や、成田闘争の騒乱事件などを見ても、騒乱を推し進めている若い連中は、真から革命を目指しているわけではなく、ただただ棒を振りまわし、警察官と力の押し比べをし、歩道の石をはがして相手に投げつけたりと、まるで村のお祭りで青年団が集落対抗の喧嘩でもしているようなもので、本気で革命を目指しているわけではない。
日本の農村のお祭にも、結構荒っぽいお祭があるわけで、諏訪大社のお祭りとか、岸和田のお祭りというのは若者が1年に一回おおぴらに無礼講で騒ぐことが許されたお祭りで、当然、怪我人が出ることは最初から想定されている程のお祭りである。
安保闘争や、学園紛争、はたまた成田闘争のデモも、この程度のものであって、基本的に日本の若者は人を殺すことが好きな連中で、口先では平和、平和と訳知り顔に振る舞っているが、その奥底では人を殺しても何とも思っていないではないか。
浅間山荘事件や、赤城山リンチ事件や、よど号事件を見ても、日本の若者は、まさしく南京大虐殺もどきの人殺しを実践しているではないか。
そして、こういう跳ね上がりの学生を指導する先生が、またまた左傾しているわけで、「人を殺してはいけません」という事を学生に説かないものだから、偏差値の高い学生は偏差値が高いが故に、古典的な良識を理解し切れずにいる。
「血気盛ん」という言葉があるが、南京大虐殺を実行したのも日本の若者であったし、戦後の様々な闘争の中で仲間を殺し、警察官に石を投げて、成田闘争では警察官を殺したのも日本の血気盛んな学生であったわけで、学生と人殺しの関係を我々はどう考えたら良いのであろう。
私は警察官が全て善人だとは思っていないが、学生たるものが警察官の制止を聞かず、警察官に石を投げたり、警察官を殺したり、仲間内で内ゲバと称して殺し合う日本の若者・学生をどう捉えたら良いのであろう。
泥棒や強盗がそういうことをするのならば、「治安の悪化」という事が言えるが、最高学府に籍を置く学生が、そういうことをする世の中をどう考えたら良いのであろう。
この本の中で対談している保坂正康氏も、学生の時にはよくデモに行ったと述べているが、その時にデモに出掛けた心境としては、お祭り気分で、神輿の見物という程度の認識でデモに加わっていたのではないかと勝手に想像する。
あの当時の学生にとっては、デモに参加するという事がある種の若気の至りでもあったし、仲間同士の連帯感に繋がる雰囲気であったようにも見えるが、警官に石を投げたり、警官を殺した学生たちが、今は社会の中枢を担っている筈だ。
そろそろ定年で職場を離脱するものもいるであろうが、こういう学生がいる社会、こういうことをする学生の居る社会が良くなるわけがないではないか。
人間が織りなす社会なのだから、あちらこちらで失敗事例には事欠かないであろうが、人間は失敗する動物であるからこそ、その失敗をフォローし合って生きなければならないのではなかろうか。
学生が率先して社会秩序の破壊を推し進めるような社会が、それよりも良くなる筈がないではないか。
こういう学生運動にもある種の流行り廃りがあるわけで、それはやはり時流というもので、ある種の時代の流れの中のムーブメントであったに違いない。
意味も判らずデモに参加していたわけで、一人一人の学生は自分が何をすべきか真から考えることなく、ただ「人がやるから自分もやる」という程度のものでなかったかと思う。
我々日本人にとって、「人がやるから自分もやる」という何処からどう見ても明らかな自主性の無さが我が民族の特質だと思う。
最初にやって成功した人の後に、我も我もと続いていくので、それが右肩上がりの発展途上にあるときは、後に続いたものも利益に預かれるが、それが頂点に達してしまうと、自分自身の指針を見失ってしまって、結果的に「人の振り見て我が振り直す」「あいつがやるから俺もやる」という事に繋がってしまうのである。
日本が戦争に嵌り込んで行った遠因は、貧乏からの脱出願望であったことは否めないが、あの時の我々の発想では、日本は国土が狭いので海外雄飛して、資源を海外に求め、市場も海外に求めようというものであった。
領土的野心を満たさんがために国外に出ようとしたが、敗戦という結果で逆に日本の本来の4つの島に閉じ込められてしまった。
そこに海外からの引き上げと復員で国内の人口は一気に300万人も増えてしまった。
そういう状況下で、我々の同胞は、戦後のあらゆる苦難に堪え、天皇陛下の詔勅ではないが、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んでしのんで、粉骨砕身して今日に至ったのである。
我々のこの10年近い経済の停滞は、我々の経済成長が頂点に達してしまって、我々自身のこれから先の指針を見失っているという事だと思う。
今までの戦後復興には、アメリカやヨーロッパという先進諸国に追いつき追い越せという指針が明確にあったが、自分がトップになってしまうと、自分でその指針を確定しなければならなくなった。
人の振りを見てそれを参考にすることも出来ず、「あいつがやれば」と言っても、あいつは堕落してしまっているので参考にもならず、さりとて自分で自分の指針を見つけることも出来ず、暗中模索という事が続いているのが現状であろう。

「自衛隊・変容のゆくえ」

2011-11-15 20:53:02 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「自衛隊・変容のゆくえ」という本を読んだ。
岩波新書である。著者は前田哲男。
この人、以前は田原総一郎の『朝まで生テレビ』に出演していたので、顔も心の内も知っているが、我々ごとき人種から思うと、実に哀れな存在に見える。
自分の祖国を信ずることなく、自分の同胞も信ずることなく、「夢を食う獏」のように、ただ単純に万年青年のように、平和という虚像を追い求める姿というのは、健気さを通り越して哀れな姿に見える。
戦争と平和という対立軸を申し立てれば、年端も行かない幼児でも、平和を選択することは自明のことである。
しかし、平和、平和と念仏を唱えているだけでは、平和は築かれないわけで、平和という事象は、皆で力を合わせて築き上げるべきものであって、自分一人が無防備でおれば、周りは自分を回避してくれる、と思うことは完全に間違った思考である。
こういう独りよがりの独善は、逆に、先方の国益の進展を願う潜在意識を刺激して、先制攻撃をするきっかけに成りうる。
主権国家の主権というのは、その国や地域の人々の自己愛の別の表現なわけで、又それは同時に生存権でもある。
この地球上に生まれ出た人間は、たった一人では生きていけれない。
最初は両親の庇護を受け、後にはその属する家庭や地域の庇護を受け、成人に達するに従い、庇護を受けるだけではなく、自分が他者を庇護する立場にもなりうるケースも往々にして出来(しゅったい)する。
この本の著者、前田哲男氏の認識では、この「自分が他者を庇護する」という概念を全否定するものであって、国家というものは全て国民に対して何らかの庇護を上から授けるものでなければならない、という論理である。
だから彼の言い分としては、常に、上から下々の者に向かって何かを与え続けなければならないので、それが途絶えた時は「ケシカラン」という論理になるのである。
だから、国を守るための金があれば、それを福祉に回せ、という論理になるのである。
この発想は極めて近眼視的な思考であって、自分以外の他者の存在を全く無視した議論で、我々の国もあるいは個人も、他者との関係性の中で生かされているという認識に欠けている。
我々の生きている世界を190人ぐらいのクラスと考えると、その中には餓鬼大将もいれば、イジメっ子もいるわけで、気の良い奴もいれば意地悪もいる。
当然、気の合う奴もいれば合わない奴もいるわけで、その中で自己愛を基軸として、その場その場の状況を見渡しながら、自分にとって一番信頼が置け、多少の我儘も効いてくれそうな相手を選択して付き合わねばならない。
ここで「相手が気に入らない」と言って暴力に訴えることが戦争なわけで、20世紀の半ばまでは、お互いに安易に暴力に訴えて、自己の利益の維持を計ろうとしたことは歴史的事実である。
しかし、そういう辛くて重い経験を経て、20世紀の後半以降の人類は、そういう愚を悟ったわけである。
しかし、その愚の悟りには、当然のこと温度差、つまり認識のズレがあることもこれまた事実であって、皆が一様に同一の平和思考に至っているわけではない。
テレビドラマの見過ぎかもしれないが、犯罪には必ず動機があるように、戦争にも動機が必要だと思う。
その動機が、国民の納得のいくものであれば、国民はその戦争を支持する。
そして、昨今の各国の政治指導者は、ヒットラーやスターリンや毛沢東のように独裁者ではないわけで、為政者が好きかってに戦争をおっぱじめるというわけにはいかず、すべきかすべきでないか、為政者はそうとうに悩むと思う。
国民の側としては、誰一人として喜んで国家の犠牲に成るなどということは論外で、「国家の為に自分が死ぬなどということはご免こうむりたい」と思うのが普通の心情である。
為政者としては「すべきかすべきでないか」と悩んでいる最中に、国民の側としては「自分が犠牲になるのはアホらしい」と考えるのが本音であるが、ここに介在するのがメデイアであって、メデイアがどちらに軸足を乗せるかが世論形成になる。
日米開戦の時、アメリカのルーズベルト大統領は、極めて狡猾にメデイアを操作して、国民を対日戦に仕向けることに成功したが、我が方のメデイアは、為政者の側に擦り寄ってしまってイケイケドンドンと極めて無責任な報道をしていたことを歴史の教訓とすべきである。
主権国家の国民として、自分が犠牲を払わねばならないことから逃れたいという心境は、至極当然なことで、それを誰も責めることはできない。
にも拘らず、そういうアホらしいというか、健気というか、気高いというか、人の嫌がることを率先して担う人もいるわけで、そういう人が多ければ多いほど、その社会は住みやすい環境に置かれる。
この本の著者は、日本国憲法は占領軍から押し付けられたモノではなく、日本民族の根源的な平和思考の元に、自主的に出来たもので、世界に誇りうる立派なものだという認識でいる。
この論旨の中で、「押し付けでない」という部分に、我々とは大きな違和感が潜んでいて、認識のズレがあるように思う。
1945年の敗戦の状況、東京は焼け野原で、国会議事堂の周りまで畑にして、家庭菜園をしている状況下で、アメリカ軍はレーションをはじめとする栄養豊富な食料を腹いっぱい食べられる状況があった。
正真正銘、戦いに敗れて占領されたという状況下で、どうして憲法制定に自主性が持てるのだと言いたい。
占領下でいくら憲法論議しても、占領者の意向を全く考慮に入れずに、憲法論議など出来るわけは無く、好むと好まざると押し付けに成らざるを得ないではないか。
戦時中に、特攻隊員を選別する時に、自分は長男で留守家族には年老いた両親と幼い兄弟がいるので、志願出来ないという選択があったであろうか。
特攻隊員は全員志願であったと言われているが、ああいう状況下での志願が、本当の意味での自己の意思の発意であったであろうか。
この著者のような平和思考の人は、あの憲法の第9条の存在に極めて高い価値を見出しているが、人類が戦争放棄するということは、人類の生存を全否定するということに繋がっている。
まさしく「夢を食う獏」と同じで、生きた人間の思考を超越した指向である。
我々は確かに実績として、戦後66年間、武力抗争には巻き込まれてこなかったが、その分民族の誇りは充分に損失して、近隣諸国に舐められてきたではないか。
いくら近隣諸国から舐められても、バカにされても、鉄砲で人が死んだわけではないので、じっと我慢して臥薪嘗胆しているだけの存在で、相手から見ればアホな国、バカな国、打ち出の小槌ぐらいの認識でしかない。
それでも我々は鉄砲で死んだ人がいないので、平和を享受しているという認識に立っているのである。
戦後66年間も続いた日本の平和の中にも、戦争の動機に成りうる事柄は一杯あったが、我々は恥を忍んで、それに堪えて来たわけで、我々、日本民族、大和民族が恥を忍んで耐えたという実績は、本来ならばこの著者のような平和主義者の功績と言わねばならないが、残念ながらその対極にある保守陣営の得点に成ってしまっている。
我々の憲法でいう「戦争放棄」の条項は、確かに世界に冠たる新規な理念であって、従来の人類の常識を超越した、新しい考え方には違いないが、問題は、従来の思考を超越したという点にあるわけで、この部分が新しすぎて、世界からの理解が得られないという点に集約される。
この世界の常識を超越した思考でもって、現実の政治を見たとき、あらゆる点で不平不満が露呈するのは当然のことで、この著者は明けても暮れても、自分の祖国と自分の同胞に不平不満を言い募って、平和という夢を追い続けているわけだ。
平和というものは、為政者が上から下々の者に授け与えるものであって、自分たちで築き上げるものという認識には至っていない。
それは他者の存在という事に視点が向いていないからだと思う。
日本の防衛予算の増額は世界平和を乱すものだが、中国の国防費の増額は、日本の存在があるからであって、日本という国が存在するかぎり、必然的なものとする認識をどう我々は解釈したらいいのであろう。
まさしく「日本国憲法は押し付けではない」という論法と同じで、「風が吹くと桶屋が儲かる」式の荒唐無稽の論理展開ではないか。
自分の国を自分で守らない民族に、世界の人々が敬意を表しないのは当然のことではないか。
反戦という生き方も、大勢の人々の生き方の選択肢の中にはありうるが、それは自ら選択した為政者の存在を否定するものである。
取らぬ狸の皮算用をするようなもので、自分の思いに叶った為政者を選択したとしても、結局は上に立つ者に対して盾突くという生き方しかし得ないに違いない。
統治する側の人というのは、統治されている側の人々の最大公約数の夢や希望を探り当てて、それに応えて行かねばならないが、それは常に現実と理想が乖離するので、統治される側の不平不満というものは無には成り得ない。
為政者は何をやっても人々を100%満足させることはできないわけで、その中で為政者のやることなすこと全てを悪し様にののしってみても、自己の底意地の悪さのみが表に出るだけで、誰も満足させるものではない。
自衛隊も創設以来さまざまな試練を経て今日に至っているが、自衛隊という組織について、過去の歴史からもっと学ぶべき事があると思う。
この本の著者、前田哲男はその点には実に無頓着のようで、法律や米軍との整合性の矛盾を嗅ぎまわっているが、そういう視点からではなく、日本人の組織論として民族の本質に関わる問題として、自衛隊という組織の中の防衛大学の位置付けについてはより考察を深めるべきだと思う。
防衛大学が、日本の安全保障の枠組みを成す自衛隊という組織の中で、エリート集団を形作っていることの弊害である。
この部分に、過去の歴史を照らし合わせて考えるべき要因が潜んでいるが、今の日本で、誰もその点を指摘するものがいない。
発足当時の自衛隊は、確かに上野の山で浮浪者をかき集めてきたような集団であったが、今では娑婆の不景気を反映して立派な職業に成っている。
戦争前の日本でも、好景気の時は、軍人は世間から白い目でみられたが、不況に成ると娑婆にいても頭の良い奴から海軍兵学校や陸軍士官学校に雪崩を打って進学したわけで、結果として、そういう軍隊組織の中のエリート層が、日本を奈落の底に突き落としたではないか。
今の日本の自衛隊は、確かに、シビリアン・コントロールの概念は立派に息づいているが、問題は、軍隊、今でいうならば自衛隊を利用しようとする自衛隊の外の勢力の跋扈に注視しなければならない。
この本の著者を始め、日本の左翼勢力というのは、「自衛隊は違憲だ」という絵に描いた餅を崇めて、その中身の実態を知ろうとしないまま、観念論を振りかざしているが、これは極めて危険な思考だと思う。
確かに、自衛隊の本質は、戦うべき戦闘集団であって、その戦闘技術の練成という面では、防衛大学でその奥義を極めることは極めて重要であるが、そういう武装集団はあくまでも「衣の下に隠された鎧」であって、そうそうおおぴらに公開すべきものではない。
有るのか無いのか、強いのか弱いのか、遠くまで飛ぶのか飛ばないのか、という分からない部分があってこそ抑止力になるわけで、それを時と場合によって効率よく使い分ける技量というかテクニックは、マッチョな戦闘員よりも、しなやかな思考のシビリアンの方が優れているように思う。
だから防衛省がそれこそ筋肉モリモリでマッチョな戦闘員で組織を固めるよりも、柔軟な思考の一般大学出の幹部を、組織の中の適材適所にそつなく配すべき配慮が必要だと思う。
戦前の日本軍が、海兵や陸士の天下であって、そういう学校を出た人でなければ要職に就けないというシステムでは又同じ轍を踏むと思う。
自衛隊の過去の実績を見れば、その要所要所で防衛大学出の将官がそつなく任務をこなしていることは論をまたないが、防大出だけで組織を固めてしまっていいのかという話である。
やはりこういう組織には違った血を輸血しておく配慮は必要だと思う。

「悪の読書術」

2011-11-13 16:58:42 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「悪の読書術」という本を読んだ。
標題の頭に『悪』という言葉が乗っかっていると何となくオドオドしいが、著者の言い分としては、「自らの無垢さ、善良さを前提とする甘えを抜けだし、より意識的に、戦略的に振舞うモラル」という事だそうだ。
著者は福田和也という人で、慶応大学の助教授ということだが、やはり1960年生まれと言うことで、先の斎藤孝氏と同世代の学者ということになる。
この標題の付けからから見ても判るように、その内容の文章も案外廻りくどい表現が多く、斎藤氏の文章と比べると素直さに欠けている節がある。
だけれど、内容的にはかなり興味を惹かれる部分があって、結構おもしろかった。
その中で、先の斎藤氏の読書論の中では、日本のメデイアが中学生レベルのコンテンツを振りまいている、という話に引っ掛かったが、今回は「マンガを読む」という部分に引っ掛りがあった。
というのは、著者は40過ぎたらマンガを読まなくなったと述べているが、この部分が私と全く同じなので、極めて親近感が密になった思いがした。
先の文章でも、私は「読書に明け暮れた」と述べたが、小学校の頃は、その読書の大部を占めたのがマンガ本であって、町の貸本屋で日がなマンガを借りて読んだものだ。
学校の教科書がマンガで書かれておれば、もっともっと勉強してやるのに、と思ったものだ。
ところが何時頃のことだろうか、マンガなど一切合財読まなくなってしまった。
それでも社会人になってしばらくの間は、「漫画読本」は愛読書の一つであったが、自分でお金を出して買った記憶はない。
誰かの読んだお古るか、捨てやられたモノを拾い読みするかという読み方であった。
でも、それ以外のマンガは一切手に取ることが無くなった。
「漫画読本」が廃刊になったのが何時の事か定かには知らないが、私が好きだった本は全て次から次へと廃刊になってしまったが、一体これはどういうことなのであろう。
最近、没してもう半世紀以上経った母親の日記を偶然読む機会があったが、それによると小学校6年生の時に、小使いを与えたら「譚海」という雑誌を私が買って来たと記されていたので、当時、既にそういう雑誌を読み耽っていたということの証明だが、この雑誌もすぐに廃刊になってしまった。
別にそういうことを意識していたわけではないが、世間に数々ある雑誌の中で、私が贔屓にしたものが次から次と廃刊になるということは何ともさびしい思いがしたものだ。
記憶に残っているものとして「朝日ジャーナル」の廃刊と「スイング・ジャーナル」の廃刊は何とも寂しいかぎりであった。
しかし、小学生の時あれだけ好きであったマンガに、一切、見向きもしなくなったということは私の精神面に如何なる変化が起きたのであろう。
だから、昭和30年代以降のマンガ本の状況というのは一切分からない。
『サザエさん』とか『鉄腕アトム』というマンガは、社会的な常識の範囲内の知識しかないので、委しくは内容も知らない。
定年後、アメリカを観光旅行した時、たまたま偶然ツアーのスケジュールの中に入っていて『ライオン・キング』を見る機会があったが、あれが手塚治虫氏の『ジャングル大帝』というマンガが元だということはつい最近まで知らなかった。
『ジャングル大帝』と『ライオン・キング』が同じストーリーであったとしても、あれがマンガというジャンヌである限り、私個人としては素直な気持ちで受け入れることはできない。
しかし、演劇、ミュージカルとしては押しも押されもせぬ傑作だ、ということに異論はない。
マンガを嫌悪しているわけではないが、コミック誌に描かれているマンガを書く人の知的センスには嫌悪感を持たずにはおれない。
しかし、中には非常にユーモア精神の旺盛な作者もいるわけで、そういう作者は大好きである。
例えば『サザエさん』などは大好きである。小島功氏のマンガも大好きである。『ルパン3世』も好きだし、『ゴルゴ13』も好きだが、1冊の本として通して読んだことはない。
週刊誌の中の連載という形で、それをめくった折りに時々読んだという程度のことでしかない。
特に、朝日新聞のマンガの『ののちゃん』などは見る気もしない。あれは一体何なんだ。
近頃は有名な古典の作品もマンガ仕立てになって本屋に氾濫しているようだが、私にはまったく縁のない存在である。
一連のコミック誌という範疇の作品は読んだことが無いので、本来ならコメントする立場ではないが、人前でいい大人が分厚いコミック誌を抱えている図というのは、我々の世代にとっては異様な雰囲気に思えるのは当然だと思う。
こういう我々のような古い世代の固定観念を打破する動きが、本来のヌーベルバーグという「新しい波」の運動であろうが、それを行う主体は、必然的に若い世代というのも当然のことであろう。
ただ、我々、旧世代からの反逆の論理として、安保闘争や学園紛争を主導したかつての若者が、デモや様々な闘争の中で、分厚いコミック雑誌を片手に革命ゴッコを演じた結果として、一体何が残ったかと考えねばならない。
この世代、いわゆる全共闘世代も、あれから幾星霜経た今は、押しも押されもせぬ中年になっているわけで、彼らが若い時に多くの犠牲を払って指向した新しい生き方というモノが定着し得たであろうか。
確かに、新しい価値観という名の堕落は定着したが、古い物の良さを理解し切れない新しい価値観というのも陳腐そのものではないか。
こういう戦後の全共闘世代という若い世代の塊は、結果として、日本の文化に何一つ貢献するモノを産み出さず、日本の文化遺産の大部分は、そういうコミック雑誌に何一つ関わりを持たない世代から生まれて来ているのではなかろうか。
無理もない話で、全共闘世代の若者がそういうコミック雑誌を読み耽ったのは、心の癒しを求めての行為なわけで、心の糧を追求してそういうものを手にしていたわけではない。
それ故に、最初から生産性は一滴たりともその漫画の中には存在していなかったということだ。
本を読むという行為について、私自身の傾向としては、成長の過程で、その読む内容も大きく変化してきている。
マンガから遠のいたということもさることながら、加齢とともに、小説からも遠のいて、今では小説の類は一切読まなくなってしまった。
若い時は、それこそあらゆる小説を乱読して、生意気にも粋がって『罪と罰』とか、『戦争と平和』などという本を読み耽ったものであるが、今ではそういうものは縁遠くなってしまった。
それでも数年前、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を全巻通して読み切ったが、これが最後に読んだ小説ということになる。
ところが、果たしてあの『坂の上の雲』が純粋なる小説かどうかは極めて難しい。
小説か小説でないかというジャンヌ分けも実に下らない議論で、こんなことをしても何の意味もないはずであるが、読書という行為も、商売と大きく結び付いているわけで、そこが如何にも世俗的である。
この本にも取り上げられているが、芥川賞とか直木賞という文学賞の存在も、商売との結び付きで成り立っているようで、その基底にはビジネスとして、「如何に本を売って儲けるか」という下心が見え見えである。
文学界とか出版界としては、金儲けを文化・教養と絡めているので、その分、純粋な資本主義よりも何となく立派で知的な雰囲気を醸し出しているように見えるが、所詮は、こういう文学賞も突き詰めれば人寄せパンダに過ぎない。
「何なに文学賞」という付加価値を付けて、くだらない作品をより多くの人の買わせようという商売人の魂胆が見え見えである。
入賞作品なるモノを早速買って来て読んでみると、その作品が何故入賞したかさっぱり理解に苦しむようなもので、まさしく金儲け作戦に嵌められた、商売屋に騙された、という思いに苛まれる。
作品のくだらなさに腹が立つより、それを選んだ撰者の知的センスに腹が立つ。
私は本好きな人間であるが、自分が貧乏なので自分の金で本を買うということは務めてセーブしている。
しかし、毎年発表される芥川賞とか直木賞の受賞作品というのは、少なからず好奇心に惹かれて買ってみるのだが、買った後で「騙された」という慙愧の思いでいっぱいになる。
ただ、この受賞作品が私の感性に合わないということは、世の中の時流とは全く関係が無いわけで、私がいくら面白くないと思ったところで、世間一般には、こういう作品が評価されているというのが現実の姿であることは間違いない。
すると、そういう世の中のムーブメントが、私の感性とは離反しているわけで、そうなればなったで、私にとってはますます世紀末という状況に嵌り込んで行くわけである。
世間では若者の活字離れと言われて、本の需要が減り、出版界の斜陽が懸念されているが、私の見るところそうとも思えない。
街の大きな書店に行ってみると、「世の中によくもこれだけ本があるな」と思うぐらい本があるわけで、「こういう本を誰が読むのだろう」と人ごとながら心配になるぐらい本が並んでいる。
そういう本屋さんの書棚の前に立つと、「この本も読みたい、あの本も読みたい」と思うが、そういう本を全部購入していたら遠の昔に身上を潰してしまっている。
読みたい本の購入をあきらめているから、今こうして年金ぐらしが成り立っているわけで、その分、図書館の世話になっている。
図書館に行って、そこの開架式の書棚の前に立ってみると、やはり「あれも読みたい、これも読みたい」と思うが、図書館にあることが判っていれば、何時かの機会に読めると思うと安心する。
図書館の書棚の前で本を選ぶのは、全くの一瞬のインスピレーションでしかない。
図書館の規則では一人一度に10冊は借りれるらしいが、私は一度にそれだけ借りた記憶はない。
図書館の整理期間として年に1、2度10日間ぐらい休刊することがあるが、その時でもせいぜい5冊ぐらいしか借りてこない。
目一杯借りても、期間内に全部読めるわけではないので、余り欲張った行動は慎むようにしているが、今まで図書館で借りた本を全部金額に換算したら相当な額になると思う。
こういう発想は、子供の頃、貸本屋に世話になった経験があるので、あの時はマンガ本を一冊一晩で五円ぐらいだったと記憶している。
こういう貧乏体験があるので、図書館の本を金に換算する浅ましい思考を脱却し切れない。
この著作の中には、ヨーロッパには「知の階層」が厳然とあるという話が載っていたが、それはそうだと思う。
ヨーロッパの映画を見ていると、勧善懲悪の判り易いストーリーの映画においても、悪人の親玉が素晴らしい教養と知性を披露するシーンが往々にして出てくるが、こういう作品の基底には、そういうヨーロッパ文化が連綿と生きているという証拠だと思う。
或る階層ではこういう文化が主流だが、他の階層では違う文化がメインになっている、という相異は沢山あるに違いない。
ところが、日本では、そういう階層の仕分けは存在しきれていないわけで、地域性は厳然とあるが、それが文化の面にまで階層化していないことは事実である。
我々、戦後の日本人の間には、社交界というものが存在し切れない。
戦後の日本を席巻した左翼思想が、階層の存在を全否定してしまったので、日本の全国民が、全て平等という立場に立つことこそが『善』だと思い込んでしまった。
その為、昔の日本の持っていた「分を弁(わきま)える」という認識を全て棄て去ってしまったので、結果として知の低値安定化になってしまって「玉石混交」、「味噌も糞も一緒くた」という状況を呈している。
何でもかんでも隣人と一緒でなければならない、という感覚で、差別化を否定して来たので、知の階層化という現象も必然的に生まれなかったが、その結果として、日本のテレビ局が国民大衆を中学生レベルの人の群れとしか認識していないということになる。
日本のメデイア、出版界からテレビ局に至るまで、我々には知の階層化が存在していないのだから、彼らが世間に送り出すコンテンツは、全てが中学生レベルの作品でなければ国民に受け入れられず、商売にならないという関係が成り立のである。
戦後の日本の民主教育が、「分を弁える」という日本古来の思考を全否定してしまって、何でもかんでも皆平等ということを金科玉条として来たので、若者の全てに高等教育を受けさせることを目標としている。
ところが、これは勉強の嫌いな人間にとってはまさしく拷問に等しいにも関わらず、「全ての人間は高等教育を享受すべきだ」というかってな思い込みこそ『善』だと思っている。
コミック雑誌を読み耽った全共闘世代が、革命ゴッコの結果として、こういうバカな日本国民を創成してしまったということだ。

「人はなぜ学ばなければならないのか」

2011-11-12 10:10:33 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「人はなぜ学ばなければならないのか」という本を読んだ。
サブタイトルには「あなたが学ぶことの意義を語ろう」となっている。
著者は斎藤孝氏。この著者は最近メデイアに頻繁に顔を出しており、本も数限りなく出しているので、見知った学者の一人ではある。
1960年生まれということなので私とは20年の年齢差があり、何だか自分の息子に諭されている感がするが、優れた賢者であることは間違いない。
そうでなければ、あれだけの本を執筆することが不可能だと思う。
インターネットで検索してみると、彼の本の執筆量は並大抵ではない。
この本の中でも、彼のいう「学ぶ」という行為は、本を読むという行為に集約されているが、その面でいえば私も子供の頃から本を読むことに掛けては人に劣らなかったと自負している。
しかし、結果的に見て、それは人生の軌跡に何ら貢献することもなく、若い頃から老いの今日まで、終始一貫落ちこぼれの人生でしかなかった。
私の言い分としては、本などいくら読んでも、人生に益するものは何も無く、ただただ時間の浪費に過ぎないという思いでいっぱいである。
この本の著者のように、良い大学を出て、良い機会に恵まれて、モノを書けば全てべストセラーになる恵まれた環境の中にどっぷりとつかった人達には理解し難い挫折感もこの世には存在すると思う。
子供の頃から読書には親しんできたが、つい先ごろまで、つまり老齢に達するまで、自分の読んだ本を記録してみるということには気が付かなかった。
3、4年前、市民講座を受講した際、或る受講生が「身体に不具合があるので、若い時から本を読む事だけが生き甲斐だった」と言っていたのを聞いた時、「一寸まてよ、俺も若い時から本を読みつづけて来たが、果たして今までどれだけの本を読んだのだろう」と、ふと自分のことを思い出した。
それ以来というもの、図書館で本を借りてきて読むたびに、読んだ本のことを書き記すことを続けている。
読書感想文というわけではなく、本を読んだことによって、思考の中に何を喚起したかという意味で、本の内容とは関係のないもろもろの感想を書き綴ってみた。
若い時から癖で、いくら本を読んでも、読み終わって最後のページを閉じた途端、その内容を全部忘れてしまう。
今読み終えた本には一体何が書いてあったのか、綺麗さっぱり全部忘れでしまっている。
これではいくら本を読んでも、知識が蓄積されないので、まさしく時間の浪費以外の何ものでもない。
世間の人は、読書という行為を、知的で立派な趣味という風に考えているらしいが、私からすれば、いや私に限っては、時間の浪費でしかない。
ただの怠惰の言い訳にしかすぎず、家の中で本を読んでいると、何時も家内から「もっと働け!」と罵倒されている。
定年後は家に餌を運び入れる勤めも無いので、もっぱら家内の尻に敷かれっぱなしで、家内に怒鳴られる度に読書を中断しなければならない。
私の読書が知の蓄積に繋がらないのも、無理の無い話で、本を読むという時、世間の人のイメージとしては、机の前で端正な姿勢で、きちんとした格好で、集中して読んでいる姿を思い浮かべるに違いない。
ところが、私の場合はそうではなく、仰向けに寝転んで、足を机に引っ掛けて、右を向いたり左を向いたリと、ゴロゴロしながら読んでいるので、読んだ瞬間に読んだことを忘れるのもいた仕方ない事実である。
結局、時間を浪費しているだけで、得るものは何もないという結果に至る。
その本のエッセンスのようなものが、僅かに脳の隅に、澱の様にこびりつく程度でしかない。
にもかかわらず、自分の読んだ本の印象を書き溜めるという遊びは、これはこれで結構楽しいものだ。
最初はただ単に、自分はどんな本を読んでいるのだろうと、自分で自分を眺める程度の軽い気持ちで始めて見たが、それを続けているうちに、これをこれから先も続けたら一体どういうことになるのであろうと、妙な好奇心と興味が湧いて来た。
私は日記を付けるということに過去何度も挑戦してみたが、結果としてすべて失敗に終わって、今は継続していないが、旅をした時や、日常的に何か変わったことをした時には、その都度書き記してきた。
モノを書くという行為は、極めてクリエーテイブな行為だと思う。
単語を並べるだけでは、文章にはならないわけで、単語と単語を繋ぐ言葉の使い方で文章が成り立っているので、その組み合わせが無限にあるからこそ、文を綴る行為がクリエーテイブな行為であり続けるのであろう。
だとすれば、それは無限のパズルに挑戦しているようなもので、単語と単語を如何に結び付けるか、という作業は無限の喜びを秘めているということになる。
私の場合、本を読んで最終ページを閉じた途端にその内容を全部忘れてしまったとしても、何かのエッセンスだけは残るわけで、それを拠り所として新たな思考を組み立てることは、まさしくクリエーテイブな作業になるのである。
この本の著者は、私よりも20歳も若い世代なので、世俗的なことに関して我々世代よりも詳しい。
マンガ、アニメ、若者文化にも我々世代では思いもよらない知見を備えている。
その中で気になる事柄に、テレビに請われて出演する時に、局側の要求に「中学生並みの内容にしてくれ」という要求があると語っているが、この部分は実に由々しき問題だと思う。
本文の中にサラッと綴られているので、ついつい見逃しがちであるが、これは日本の文化の現実を見事に言い表している現象だ。
具体的なテレビ局の名前は出ていないが、日本の今のメデイア全体として、中学生レベルの思考能力を前提として、今の日本のメデイア界が機能しているということだと思う。
メデイアの側として、情報やインテリジェンスの送り先、届け先、対象とする相手が、中学生の知的レベルに合わせて、中学生並みの知能の人間を相手として、番組を作っているということである。
こういう現実を目の当たりにしたならば、大学教授という立場からすれば、何とか奮起する気が起きて当然だと思う。
この本の著者、斎藤孝氏も、知とは本から得るものだ、という古典的な認識から抜け切れていないように思える。
今時の携帯電話の普及やらインターネットの普及のことを考えれば、もう既に大学という場で学問を極めるという思考は古いと思う。
大学という高等教育の場が、知識を分け与える為の組織を育む場であるとするならば、それは学問のシーラカンスであって、そういう時代は過去のものだと思う。
私のような落ちこぼれの人間からすれば、大学が高等教育の場であるとするならば、倫理観や道徳を教える場として機能しなければならないと思う。
本来、こういうものは教育の場で教える内容のものではないはずで、大学の門を潜る前提として、入学者には入学する前に既に備わっていなければならい筈のものであって、大学を出たにもかかわらず、倫理観や道徳の欠如があってはならないことは言うまでもない。
世界的にいくら優秀な大学を出ても、倫理観や不道徳な心構えの高学歴のリーダーであっては、何の意味もないわけで、世間一般にそういう危機感が不足しているような気がしてならない。
立派な大学を出て、社会的に確たる社会的地位を得たならば、倫理的にも道徳的にも人から後ろ指を指されるような立ち居振る舞いをしてはならないのに、司直に手を委ねるような振る舞いをする人間があまりにも多すぎる。
高等教育というものが、心卑しき人々の人格形成に何ら役立っていないわけで、高等教育が悪行に手を貸しているような気がしてならない。
今は高校を卒業した人の90%近くが上の学校に進学する時代に、同じ時間帯を共有しているメデイア界は、中学生レベルの情報発信をしようとしているわけで、これは一体どういうことなのであろう。
このことはつまり大学の存在価値を全否定していることで、日本の国民の知的レベルは、中学生並みのままで良いということを言い表していると思う。
普通に考えて、今の日本のメデイア界で働いている人に、中学校しか出ていない人は一人もいないと思う。
メデイア界で働いている人は、全員が全て大学出の立派な学識経験豊富な人達の筈で、そういうインテリー達がメデイア界を牛耳っていると思っていたが、その彼らが送りだすコンテンツが、中学生並みのものであるとするならば、あまりにも悲しい現実ではなかろうか。
戦後66年を経て、この世代の親たちは死に物狂いで戦後の復興を成し、高度経済成長を支えてきたにもかかわらず、その子の世代になると、人としての倫理観に辟易し、自分の置かれた安逸の世界に胡坐を書き、物事に挑戦する気概を見失い、安易な方に逃避する考え方になってしまったのであろうか。
そもそも若者がメデイアに憧れをもつというところからして、若者の存在価値としてのボタンの掛け違いが潜んでいたわけで、苦労した親が、自分の子供に、自分が経験したのと同じ苦労を再び経験させたくないという発想が根底にあったから、その子の世代が自堕落になったと言える。
自分が味わったのと同じ苦労を、自分の後継者たちには合わせたくない、という考え方は、基本的に日本民族の根源的な感情であったと思われる。
アングロサクソン系の西洋人ならば、赤ん坊は一人前の人間と見做していないので、自分たちの後継者に対しても冷徹な視点で眺めておれるので、安逸で自堕落な方向に流されることを食い止められる。
ところが、それは又逆に、若者が自立している分、常軌を逸した行動にもなりうる。
日本のメデイアが中学生並みのコンテンツを流布する傾向に、大人が何も反応を示さない所に、日本民族の文化的な末期症状が見てとれる。
そういう状況に対して日本の高等教育の場は無責任過ぎるように思う。
今の日本は、今更、言葉にするのもおこがましいが、実に多様化しているわけで、情報収集とか知の蓄積という面においても、実にさまざまなツールとチャンスがいくらでもあるので、何が何でも大学に行かなくても知識の蓄積は可能であるが、それを信じず、学歴にいくばくかの価値を見出しているのはむしろ企業側である。
企業、或いは産業界が、学歴というものに一切合財信を置かず、出身学校を一切問わない入社試験を行えば、大学の在り方そのものが大きく変化すると思う。

「アメリカ帝国の悲劇」

2011-11-09 16:45:20 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「アメリカ帝国の悲劇」という本を読んだ。
相当に重厚な本で、活字も小さく、読も終えるのに骨を折った。
著者はチャルマーズ・ジョンソンというアメリカの政治学者ということだが、もう既に故人になられたらしい。
インターネットで検索して見ると、彼はこの類の著書を何冊もモノしているようだ。
要するに、アメリカの近現代史なわけで、このままいくとアメリカは世界で突出した軍事力の所為で傲慢になり、結果として世界の顰蹙を買うようになるのではないか、という警告を発している。
20世紀後半から21世紀初頭における世界の先進国というのは、完全に成熟した社会を形成している。
社会が成熟して人々が豊かな生活を営むようになれば、当然のこと、失業率は上がり、貧富の格差は広がり、若い世代は子供を産まなくなるのは必然的な流れだと思う。
私の今住んでいるところは都市の近郊の調整地域というところで、田圃と住宅地が混在しているので、我が家の周囲には水田がある。
50年前の稲作では、水を引いた田んぼに早乙女たち(一寸、オーバーな表現)が20人ぐらい一列に並んで田植えをして、秋には又同じように大人も子供一列に並んで、稲刈りをしたものだ。
ところが今では田植え機で大人が一人、稲刈りもコンバインでたった一人で10人分20人分の作業をこなしてしまう。
余った人間は一体どこに行ったのか、という素朴な疑問が出るのは当然ではないか。
自動車会社の生産ラインにおける塗装作業や溶接作業は、昔は人がやっていたが、今はそういうきつい作業は全てロボットがやっている。
そういうきつい作業から解放された余った人間は一体どこに行ったのかと言えば、当然、失業者の群れの中に吸収されている。
物つくりの社会が進化すればするほど失業者も増えるわけで、失業者がいるということは社会が成熟してしまったということである。
20世紀までの先進国、つまりヨーロッパ諸国からアメリカ、日本という先進国は、こういう状態に陥っているわけで、その後を中国やインド、あるいは中南米の国々が追い上げて来ているが、こういう国々が全て従来の先進国に追いついてしまった時、果たしてどういう社会が現出するのかは誰にもわからない。
日本でもアメリカでも、評論家とか学者という人達が、或いはメデイアが、政治家としての為政者を批判することは極めて安易なことである。
政治の部外者が、為政者の功績をああでもないこうでもないと上げつらう事は極めて無責任な態度であるが、それは同時に、為政者はそういう無責任な批判に曝されることを恐れてはならない、ということでもある。
今の日本の政治状況を鑑みると、12日に野田総理大臣はハワイで行われるAPECの会議で、日本のTPP参加を表明すると言われている。
ところが日本の政治家連中は、このTPPに日本が入ることに大反対をしている。
与党の民主党の中でも意見が2分されており、当然、自民党も反対なわけだが、ここで自民党の反対の言い分はいささか党利党略に偏り過ぎた論旨だと思う。
自民党の反対の理由が、「例外なき関税撤廃を求める会議に顔を出せば、日本の産業は一体どうなるんだ」という心配から、「TPPには入るな」という言い分であるが、これは論理的に自民党の基本路線との整合性に合っていない。
自民党の本音としては、民主党の総理大臣が行って、檜舞台に立つて話を付けるのが気に入らない、という程度のことだと思うが、こういう政治的態度をとること自体が国益を損なっている、と私は思う。
自民党の言い分を聞くと、「民主党政府がTPPに関する情報を一切示さないので、真剣に討論する機会さえ執り得ない」と言っているが、これが極めて稚拙な議論の為の議論であって、大人の議論ではない。
会議の趣旨が明らかにされているのに、「情報が一切示されない」という言い分は成り立たない。
「これから先10年ぐらいかけて関税を例外なくゼロに引き下げるにはどうしたら良いのだろうか」という議論をするのであって、会議の論旨が示されているからこそテーブルに就くかつかないか議論しているわけで、会議の結論が気に入らなければ受諾しなければ済むことである。
にも拘らず「会議に出れば日本の産業が壊滅的な打撃を受ける」という話は、余りにも荒唐無稽な話である。
この件ではまさしく国論を二分している感がするが、こういう大事な争点でも、事がどちらかに決まってしまえば、後は粛々とその方向に稼働してしまうものである。
戦後の日本社会で国論を二分した一番顕著な争点は、1960年代の安保闘争であるが、あの時、反対派の勢いというのはまさしく革命前夜を彷彿させる勢いであったではないか。
革命にもなりかねない雰囲気の中で、時の為政者、岸信介も佐藤栄作も、断固自己の信念を貫き通したではないか。
あの時に為政者に対して「断固反対」を声高に叫んでいた、知識人や、大学教授や、メデイアの首脳や、評論家という人達は、自分の言った言葉に対してどういう責任をとったのであろう。
彼らは嘘を言っていたではないか。結果としてすべて嘘だったではないか。
知識人や、大学教授や、メデイアの首脳や、評論家という人達の言ったことが全部嘘ばかりだった、ということをどういう風に考えたら良いのであろう。
戦中の大本営発表と同じで、こういう人たちの言うことには何の信憑性もないということだろうか。
知識人や、大学教授や、メデイアの首脳や、評論家が嘘を言うということを、我々市井の市民はどういう風に受け止めたらいいのであろう。
この本の著者の言っていることも、大方こういう類のことではあるが、学者という立場から為政者、統治者、政治家という人達を眺めると、確かに「油断ならない人達だ」という印象は免れないかもしれない。
無理もない話で、学者は何処まで行っても真実を追い求めようとするが、政治家にとっては真実などに何の価値もないわけで、政治家の追い求めるものは、大衆の疑似幸福感なわけで、それはあくまでも虚構の世界でしかない。
この本の著者は、アメリカが世界中に基地を拡散させて、武力で以てアメリカの国益を擁護している、ということを知らしめたかったみたいだが、主権国家である以上、国益というのは国家の存立そのものなわけで、それは何もアメリカだけが特別に国益にこだわっているわけではない。
この著者の心配は、軍事力で国益を擁護するについては、その軍事力の元のある経済力が無いことにはそれは立ち行かなくなるが、その点は大丈夫かという危惧を言っているのである。
問題はアメリカの経済力であるが、アメリカは先進国の一番走者なわけで、国内に失業者を抱え込んでいる点では他の国と同じであるが、アメリカの強さは発想の柔軟性にあると思う。
先に日本の田植えと稲刈りのことを述べたが、アメリカの農業は日本の比ではないわけで、まして中国や他のアジア諸国の比ではないわけで、この効率、合理性が、アメリカ経済の核になっていると思う。
それと同時に、金の使い方、資本の回し方にも我々の想像もつかない思い切ったことをどうどうとするわけで、金儲けのがめつさは、我々の想定外の粘り強さをもっている。
とは言っても、アメリカ人の浪費癖というのは地球的規模で見て罪悪に近いものとしなければならない。
アメリカのカフェテラスで出るコーヒーやコーラのカップの大きさなど、私にとっては半分以上無駄な量だ。
ということは、アメリカ人の大部分は、あれを全部飲み干すのではなく、大方捨てていると思うが、こういう点はアメリカ人の全部が意識改革しなければならないと思う。
ただこういうことは言えるかもしれない。
つまり、アメリカのバイタリティーは大量生産大量消費で成り立っていて、ドンドン作ってドンドン捨てるところにアメリカの活力が潜んでいるのかもしれない。
これが貧乏たらしく、チマチマと多品種小量生産で、歩留まりゼロを自慢する経営であったとしたら、アメリカのような活力な湧いてこないのかもしれない。
まあ、そういうわけで、アメリカは世界中に基地をばら撒いているが、そんなことをしておれば何時かは経済的に行き詰るのではないか、という心配をしているのがこの本である。
アメリカはベトナム戦争の後で、徴兵制を廃して志願制にした。
国家としてはこの方が数段強力な軍隊に仕上げることが可能になったのではないかと思う。
つまり、徴兵制であるとするならば、兵役に就くことが嫌で嫌でたまらない連中まで、任期中、なんとかかんとか国家が面倒みなければならないが、志願制ならば一応は兵役に就くとを自らの意思で選択した連中なので、その意味で扱いやすい筈だ。
とはいうものの、新兵獲得に徴兵係はあの手この手で四苦八苦していると述べられているが、アメリカは徴兵のシステムについても、実にうまい具合に考えている。
それは徴兵という単独の制度が独立してあるのではなく、大学と連携して、兵役を何年か勤めれば大学入学の機会が与えられるという風に、制度の一つ一つが他の制度と連携しているので、若い人にとっては選択肢が複数あるということになり、再チャレンジの機会が多くなるということだ。
それと、この本が言うアメリカ軍というのは、昔の軍隊の仕事のかなりの部分が外注化されていて、民間の企業がそれを行っているというのだから驚く。
例えば、食事に関しても、昔の軍隊ならば同じ仲間の兵隊=給養班が食事を作っていたが、今ではその部分を民間企業が行っているというのだから変われば変わるものだ。
兵隊の食事のこととか、兵舎の営繕とか、補給の仕事というのは、昔は兵站と言っていたが、今はこの兵站に当たる部分は皆民間企業に委託されているらしい。
国内の部隊ならばそういうことも考えられるが、外国に進駐した先でも同じだというのだから驚く。
戦争も時代とともに大いに進化したわけで、桶狭間の合戦や関ヶ原の合戦では、女性の出る幕は微塵も考えられなかったが、今時のハイテク兵器では、女性の方が繊細なテクニックを酷使できる分、マッチョで武骨な男性の戦士よりも、可愛い女性の方がより有力な戦闘力に成りうるかもしれない。
そして給養班の飯作りも、嫌なトイレ掃除も、内務班の清掃も、民間の企業が全部やってくれるともなれば、軍隊生活も天国ということになりかねない。
娑婆に居れば、何時首になるかも判らないアルバイトで食いつながなければならないが、軍隊に居れば軍規に抵触しない限り一応は食いぶちだけは補償されているわけで、それだけでも社会的にかなり有益な処遇だと思う。
社会が成熟すれば、必ず失業者というのは出てくると思う。
既に述べたように、合理化が進んで、昔は何人もでしていた仕事をたった一人でするようになれば、人が余ってくるのは当然のことで、それに伴って貧富の格差も必然的に生じてくる。
余った人間を吸収する企業として、アメリカでは民間軍事会社というのが出来て、そういう会社が軍隊に変わってさまざまな役務をこなすようになって来ているようである。
50年前の軍隊は、何処の国の軍隊も、基本的に自己完結型の組織であって、飯炊きから自分たちの汚物の処理まで組織内のマンパワーでこなしていたが、今のアメリカ軍は、前線で鉄砲を撃つことだけが正規の兵隊の仕事で、それに付随するもろもろの作業は全部民間会社に委託されているということだ。
アメリカ軍が軍としての様々な部分を民間企業に委託することは、それはそれで結構なことであるが、問題は、軍隊も、それから委託を受ける企業も、物つくりには一切関わり合っていないわけで、ここが大きな問題だと思う。
人間の生存にとって、自らの手で自ら消費するものを作るということは、自らの生存にとって極めて基本的な生業だと思う。
ところが軍隊という組織は、太古の時代からそういうことは一切しないわけで、究極の負の資産である。
アメリカ軍が地球規模でもって世界中に展開して、アメリカ経済はそれを支えるに足る経済成長が可能かどうかということが心配なわけで、それが可能であれば、まことに結構なことであるが、果たしてそんな楽観論がゆるされるかどうかである。
それと、アメリカ人の倫理観の認識が、大きく自己利益に毒されているように見えて、「自分さえ良ければ後は野となれ山となれ」という風潮が強く、人の為に尽くすという雰囲気の後退が心配である。
リーマン・ショックと言われるアメリカのバブル崩壊の事象は、全てアメリカ人の倫理観の問題なわけで、資本主義が余りにも行き過ぎて、金儲け主義が倫理観を越えてしまったが故の不祥事だと思う。
金儲けという行為、如何に金儲けをするかというところで、昔のアメリカ人ならばまだ額に汗して働いて金を稼ぐということに謙虚な気持ちを持っていた。
ところが、昨今のアメリカ人は、身体を働かすよりも頭脳を働かして、金利や手数料というあぶく銭で利潤を得ようと考えるところが人間の堕落だと思う。
その意味で、若い人が軍隊に入って兵役につくということは、唯一、肉体で直接国家に奉仕することだと思う。
或る意味で、身体を張って国家の危機に対峙しているからこそ、市民の称賛が得られるわけで、その延長線上に外国の地にまで遠征して国益を守っているということになる。
ところがアメリカの国益は他の周辺諸国からすれば、国家的な危機に当たるわけで、決して喜ばしいことではないので、結果としてヤンキー・ゴ―・ホームということになりがちである。
この本の標題は「アメリカ帝国の悲劇」となっているにもかかわらず、ほとんど記述されていないことに、アメリカ社会の底流に澱のように沈んで存在しているユダヤ人の問題がある。
世界の歴史を眺めていると、ドイツのヒットラーがユダヤ人を殲滅しようとした気持ちが何となくわかるような気がする。
ユダヤ人が世間から嫌われる要因が、宗教に起因していることはいた仕方ないが、そのユダヤ人の国家・イスラエルという国家の立ち居振る舞いを見ると、ヒットラーがユダヤ人を絶滅しようとした気持ちがいささかわかるような気がする。
ヒットラーのみならず、ヨーロッパの住民にとって、ユダヤ人の存在は嫌悪の対象であって、ヨーロッパ中どこに行ってもユダヤ人は嫌われているわけで、その嫌悪感を具体的な形で実践したのがヒットラーであったということだと思う。
だからこそ、第2次世界大戦後、そのユダヤ人を一纏めにしようと、元々アラブ人の土地であったイスラエルの地に、世界から嫌われ者の人々が集まって来た。
そのイスラエルに、アメリカ在住のユダヤ人が惜しみなく金を送っているわけで、その金でイスラエルは武器を揃えてアラブ人を攻撃しているので、イスラム教徒のアラブ人からすれば、イスラエルとその後ろにいるアメリカの存在は許し難いことになるのもいた仕方ない。
ユダヤ人は何処の国、何処の地域に行っても、まともに処遇されず、嫌悪され続けていたので、どうしても固まって生活し、周囲に溶け込まず、ゲットーを作り、元々頭脳は良いので、社会的には富裕層を形作るので、ますます周囲のねたみを買い、排除されるようになってしまったようだ。
ところがアメリカでは全部が移民なので、ユダヤ人も余所者という認識を意識することなく自由に振舞えたが、虐げられた経験が精神のトラウマとなって堅実に生きてきたので、アメリカ社会では富裕層を形成して、その富裕層が惜しみなく同胞のイスラエルに資金を送ったので、イスラエルが非常に軍備の整った国になった。
そもそもイスラエルの国というのはアラブ人の土地に建国されたわけで、アラブ人からすれば自分たちの土地を奪われた、という意識になるのは当然のことであろう。
そこでイスラエルも、アラブ人の心情をいくらか斟酌してやれば、お互いに殺し合うこともなかろうに、頑な態度を崩さないので、何時まで経っても血の応酬が繰り返されている。
アメリカの裕福なユダヤ人がイスレエルに資金を送るということが、イスラム圏の反発を買っているが、アメリカの裕福なユダヤ人というのも、決して額に汗して働く種類の人間ではない。
金貸しのような不労所得で潤っている連中なので、謙虚な人からすれば、大いに恨みを買う事もありうる。
2001年の9・11事件の遠因も、アメリカのイスラエル支援に対する報復という面も充分に考えられる。
中東においては、イスラエルという国家がユダヤ人の国なるが故に、国民の知的レベルが高く、アラブのべドウイン並みの人たちとは勝負にならないわけで、アラブ系の人達にしてみれば、イスラエルもアメリカも「同じ穴の狢」に見えたとしても何ら不思議ではない。
アメリカは21世紀の今日、押しも押されもせぬ、世界最強の軍事国家になっているが、軍事力というのは基本的にその国の経済力に下支えされているわけで、経済力が無ければ軍事力も維持し切れないはずである。
その意味で、今ではドルが世界通貨にも匹敵する威力を示しているので、アメリカの台頭もいましばらく安泰であろうが、問題は、アメリカ人の倫理観の退廃がアメリカの国力の維持を下降方向に仕向けてしまうのではないかという危惧である。
余りにも拝金主義に傾倒しすぎて、金儲けの為には人倫にもとる行為もなんら厭わないという思考は、完全に世紀末の思考であって、健康な人間の普通の精神状態を逸脱した発想である。
日本人の古典的な思考でそれを言い表せば、「謙虚さの欠如」という言い方が成り立つと思うが、人間の生き方というのは、基本的には個々の人間の思考に左右されると考えられる。
その個々の人間の考え方は、その人の生い立ちに大きく影響される。
アメリカ人は、アメリカ流のプラグマチィズムの中に生まれ、その中で生育し、その中で人間形成を成すが、日本人は日本的な感情と情緒の中で生まれ、生育し、大人になる。
同じように、中国人も、中東の人々も、アマゾンの人々も、それぞれの地域に根ざした環境と条件の中で生まれ、生き抜いているわけで、これを今日的な言葉で言い表すと「民族間の格差」という言葉になる。
アメリカが軍事的にほぼ世界を制覇して「世界の警察官」として君臨しているが、果たしてその事が中身のアメリカ人にとって本当に幸せなことかどうかは又別の話だと思う。
イラクでも、アフガニスタンでも、その他の中東地域でも、戦争があるようなないような非常に不安定な状態を呈しているが、その中の人々が本当に不幸かどうかは甚だ疑問だ。
幸・不幸というのは、価値観の問題なので、いくら金を持っていても「不幸だ」と思っている人もいるし、その日暮らしの人でも、「幸せだ」と思っている人も大勢いるわけで、他者には判らない部分が多々ある。
けれどもこれをメデイアが報じると、ある一種の価値観の押し付けに陥りがちである。 
日暮れ腹ヘリのその日暮らしの生活を貧乏ととらえ、その貧乏を追放して皆がこざっぱりとした清楚な服装で、優雅な立ち居振る舞いをすべきだ、と騒ぎ立てるのがメデイアであって、テレビや新聞がそういう報道すると、それを聞いた純情で素朴な大衆は、雪崩のようにそちらに駈け寄ってしまう。
「貧困の撲滅」、「格差の是正」が大儀となってしまって、それを政府に迫るようになるが、その為には金が要るわけで、無責任な大衆は弱者救済のための経済的な負担には極めて冷淡になるので、政府としては国債を発行して、経済的負担を先送りし、次世代に追い被せようとするのである。
慈悲のある国民ならば、弱者救済のためには増税も甘んじて受け入れて、痛みを分かち合う覚悟が必要であるが、自分の負うべき痛みの部分は回避したいと願うのが無知蒙昧な大衆という存在である。
アメリカという国は、やはり大きな可能性を秘めた国だと思う。
歴史というのは、為政者の失敗を羅列する学問であって、過去の失敗を食い物にして、それをああでもないこうでもないと言い募って為政者をこき下ろすことを称しているように思えてならない。
為政者の成した良い実績というのは、ほとんど歴史上の話題にならない。
不況から抜け出た実績を検証する歴史というのは、ほとんど無いに等しいではないか。
人間の織り成す社会は、良い時と悪い時がサイン・カーブのように交互に波打って現れるはずであるが、悪い実績、政治としての失敗事例は立派に歴史として語られるが、成功事例はそれが当たり前というスタンスで、話題にも上らない。
良い実績を成した為政者には、それなりの顕彰をするのが、人間の生き方としては普遍的な行為ではなかろうか。
ところが良い実績か悪い実績かという定義が人さまざまで、価値観が一定でなく普遍的なものではないので、人によって解釈が違うためそこが難しい所である。

「さらばアメリカ」

2011-11-06 09:30:02 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「さらばアメリカ」という本を読んだ。
著者は大前研一氏。
彼の文章は以前から週刊誌などで目にはしていたが、私とはいささか位相の相異を感じていた。
今、この本の奥付きによって彼の人となりを知ってみると、彼の頭脳的明晰さは私のそれとはマッチングが不適合なので、そういうものが親近感を阻害していたのであろう。
彼の場合、本人の言い方によると、アメリカの金で、アメリカに留学させて貰って、アメリカの企業で働かせてもらって、今この本でアメリカの悪口を散々ののしっていることになる。
それは或る意味で、アメリカを愛するが故に、古き良き時代のアメリカに戻ってもらいたいが故の苦言とも言えるが、そもそもある国の存在を善し悪し、善悪、正邪の価値観で評価してはならない、と私自身は考えている。
ブッシュ大統領が国連決議を経ないままイラクを攻撃した行為に対して世界の批判は姦しいが、あの9・11事件を受けて、アメリカ政府、アメリカ大統領として、何のアクションもとらずに居れるものだろうか。
国連が攻撃のゴーサインを渋ったからと言って、アメリカが指を咥えて傍観していたとしたら、アメリカ市民は納得したであろうか。
他の国は、自国が攻撃されたわけではないので、無責任にも傍観者の立場でアメリカを批判しておれるが、アメリカ政府、アメリカ大統領として、アメリカの中心部に仕掛けられたアタックに対して、傍観者でおれるわけがないではないか。
アメリカ以外の国の言う「国連決議を経るべきだ」という論拠は、所詮、無責任な良い子ぶった言辞以外の何ものでもない。
判り易い例で示せば、コンビニに入った強盗に対して、駆け付けた警官が「動くな」と言って相手がその通りの動かずにあっさり縛につけば何のトラブルも起きない。
しかし、こんな「ノ―テンキ」ことはあり得ないわけで、コンビニに強盗に入るような人間が、警察官の言うことに素直に従うわけがなく、当然のこと抵抗する。
強盗が抵抗すれば警察官も対抗措置をとるわけで、それを部外者、傍観者の視点から眺めて、故意に悪意に満ちた視点で、警察官の過剰防衛と捉えるので、「警察はひどいことをする」という評価になってしまう。
コンビニの店員も人間ならば、そこに押し入る強盗も人間であって、それを取り締まるべき警察官も人間であるので、このように人間関係が幾重にも絡み合っている社会では、人間の作為も行き過ぎたり、配慮が不足したりする齟齬は幾層にも重なり合っているのが普通である。
世界の警察官を自認しているアメリカの行動にも、こういう行きすぎた過剰防衛の部分があることは否めない事実であろうと思う。
しかし、事の本質は、最初にコンビニに入った強盗の存在なわけで、強盗さえ居なければ、警察官の過剰な行為、行動、過剰防衛ということも起きなかったにもかかわらず、世間の批評家という類の人は、アメリカの過剰防衛のみを声高に糾弾している。
私はアメリカから金を貰って弁護しているわけではないが、アメリカが世界の警察官として振舞うことを、「アメリカの傲慢な態度」という言い方で批判の矢面に立たせているが、こういう言い方は的を得た論旨ではないと思う。
悪事に対して立ち向かう警官の言動を糾弾しながら、コンビニに押し入る強盗の存在に言及しないのはおかしな論理だと思う。
コンビニに押し入る強盗が「善玉」で、過剰防衛に走る警察官が「悪玉」という構図は、我々の言う判官贔屓というもので、理性的な態度ではないと思う。
コンビニに押し入る強盗は、アメリカの繁栄の犠牲者だという論理も、おかしな言い分で、こんなバカな話もないと思う。
アメリカの繁栄はアメリカ人が築いたもので、それと同じように中国の昨今の経済的な繁栄も、中国人自身が築いたもので、かつての日本の高度経済成長も、日本人自身が築いたものである。
イラン、イラク、アフガニスタン、その他の中東の国々、アフリカの諸国家の低迷は、彼ら自身の責任で、アメリカがヘリコタ―で空からドル札をばら撒けば解消できるというものではない。
それぞれの国の繁栄は、それぞれの国の国民の努力の結晶であるわけで、他国の存在の所為ではない。
この本の著者は、アメリカは中南米において、自分の好む国家を武力で以てバックアップして、アメリカの国益を推し進めたことを糾弾しているが、確かにそういう場面もあったであろうが、そこにはその国の腐敗勢力が元々居たわけで、その国にとって売国奴に匹敵するう人達と連携する形で、アメリカの国益を推し進めたということだ。
もっと単純な言い方をすれば、その国の売国奴が祖国をアメリカの売ったということで、いわばその国の選択であったということだ。
我々の認識からすれば、そういう諸国家は民主化の度合いが極めて低く、太古の部族社会と同じで、部族長の独裁であるが故に、近代化に適応し切れない不平分子を沢山内包しているので、そういう連中がテロ集団に吸収されやすい条件が整っているのが現状であろうと推察する。
この本の著者は、戦後の日本も、対アメリカの外交においては、アメリカに如何にも安易に赤子の手を捻るように餌食にされているということを縷々述べている。
その彼が始めてアメリカの地を踏んだ時、大いにカルチャーショックを受けたと述べているが、その本人はショックを乗り越えてアメリカ社会に同化したようだが、私が見るところ、日本人とアメリカ人の発想の相異については深く考察していないのが不思議でならない。
日本は、太平洋戦争で完膚なきまでにアメリカに敗北したが、その敗北の遠因には、日米のものの考え方に発想のレベルから大きな相違点があったことを我が同胞の誰一人指摘しないのが不思議でならない。
身も心もアメリカナイズされているであろうところの大前研一でさえ、日米の発想の相異については、いささかも言及していない。
民族の個々の人間のものの考え方の根本には、その民族の置かれた地勢的な環境が大きく影響していると思う。
日本という国土の地勢的な位置は、中緯度のモンスーン地帯で、水が豊富なので稲作農業を行うことで民族は子子孫孫生き永らえて来た。
それに対比して、アメリカ人はイギリスから逃れて来た宗教的なグループが、現住民と様々な葛藤を経て今日に至っているわけで、他民族との折衝にも長けており、武力行使にも躊躇することなくストレートに自分の意思を貫くことを厭わない。
平和でなければ生きていけれない農耕民族と、人と諍う事を厭わない人達が、手に手を取って仲良く歩むことなどあり得ないわけで、他国と交渉をする、同盟を結ぶということは、こういう冷徹なリアリズムを内包しているということを念頭に入れておかねばならないと思う。
日本の高度経済成長の終焉は、1985年昭和59年のプラザ合意からと言われているが、この時日本の対米黒字は天文学的にあったので、これはアメリカ側から見て対日累積赤字なので、それを解消する為に、日本は人為的に対ドル円高政策を呑まされたということである。
事ほど左様にアメリカという国は、自分の国益擁護のためには成り振り構わず腕白坊主的な行動をするので、この本の著者の言い分によると「傲慢なアメリカ」という風に言われるのである。
繊維の問題でも、自動車産業の問題でも、農産物の問題でも、全て日本はアメリカの言い分を受け入れて譲歩を繰り返しているので、大前研一氏にすれば「日本よ!もっとしっかりせよ」という、日本へのエールになるのであろう。
何処の主権国家でも他の国との関係性の中で生きているわけで、一方の国から洪水のように工業製品が流れてくれば、自国の産業保護という対抗手段は必然的に出てくると思う。
それはすなわち国益の衝突そのものであるが、日本のかつての高度経済成長も、そういう一方通行の工業製品の流れであったわけで、アメリカ側に対抗措置が生じるのも当然のことではある。
平和な時の交渉事ならば、多少の強引さがあってもさほど問題にすることはないが、国家的な危機の時に国民が一致団結するというのは、やはりその国民の基底に愛国心が横たわっているという立派な証左だと思う。
9・11事件ではそれが見事に露呈したが、私はこれがアメリカの強さだと思う。
アメリカの国家的危機の時には国民が一致団結して事に当たる、という気風は当然と言えば当然であるがこの当然という事が我々の国では案外普遍化していない。
今回の日本の東北地方の地震、東日本大震災に関しては、我々の同胞も世界から称賛の声を聞いたが、我々は基本的には世界的にも稀に見る優秀な民族であることは間違い。
その優秀さは、物つくりの場面と対処療法のテクニックではないかと思う。
例えば、明治維新というのは西洋列強の帝国主義旋風を回避した行為であるし、太平洋戦争の敗北からの復興は明らかに対処療法の一環であったわけで、こういう場面では我々の民族の優秀さが垣間見れる。
逆に、何故、我々の民族は戦前においてアジアに進出して、それが結果として太平洋戦争の敗北にまで至ったのかという点を検証すると、我々は合理的な物の考え方が不得意で、その場の感情に押し流されて、身の程をわきまえず、他者との協調による相互扶助のメリットを理解し切れていなかったからと言える。
もっと端的に言えば、他の民族との協調関係を維持することが下手で、他の民族を支配するか、或いはその逆に隷属するかの両極端に走ってしまいがちということである。
戦前における我々同胞のアジア人を見る視点、朝鮮人や中国人に対する視点は、明らかに見下げた視線であったわけで、そういう意味では今のアメリカのように驕り高ぶっていた面があったことは否めない。
つまり、我々は物つくりには長けているが、他の人々と仲良く平和にやっていくという、政治的あるいは外交的なテクニックについては、まことに稚拙であるということである。
それもこれも民族の特質で、我々は太平洋の片隅の小さな4つの島の住人で、大陸とつながっていないので、他民族・異民族との接触が極めて稚拙だということは、地勢的な条件が民族の特質を形成している顕著な例だと思う。
だから異民族・他民族との共存共栄という感覚が非常に希薄で、他者に対して極度に恐怖心を募らせたり、その逆に尊大に振舞ったりするのである。
アメリカのように、日常生活の中で、黒人が隣に至り、白人がいたり、エスニックがいたりという事が無いので、彼らも自分たちと同じ人間だという感覚になれないのである。
他民族と共存共栄を計るというアイデアは、戦中の日本が大東亜共栄圏という構想をぶち上げて、アジアの盟主になろうとしたが、アメリカとの戦争で敗北したことによって、構想そのもの雲散霧消してしまった。
この大東亜共栄圏の構想は、戦後の日本の教育では、我が国のアジアの覇権を狙うものだという意味で全否定されてしまっているが、自分たちの先輩の考え出したアイデアを、そういう風に捉える発想こそ我々同胞の政治下手、統治下手、外交下手ということになる。
それと酷似したアイデアがASEANという形で出来上がっていることから考えると、その当時のニーズが今生かされているということではないか。
私の考えでは、我々日本人は国際社会でリーダーシップを振り廻さない方が無難だと思う。
リーダーシップを振り廻さない代わりに金も出さない、という風に振舞えば立派であるが、金だけは喜んで出してくるから舐められるのである。
太平洋の小さな島国の人間が、国際社会というひのき舞台に立たされると、どうしても「良い子」ぶりたくなるわけで、身の程をわきまえずに見栄を張りすぎてしまうのである。
我々はどうしても農耕民族で、農耕民族というのは自分の身内の感覚で他者を見がちで、自分以外の人間も自分と同じ善人だという認識から抜け切れていない。
だから相手から金をせびられると、ついつい善意で以て金を出してしまうが、これが我々の政治下手、外交下手のもっとも顕著な例である。
この地球上に生きる人々に共通にある普遍的な感情は自己愛であることは当然であるが、この自己愛を維持する為の方策は、それぞれの民族の置かれた環境によって大きく影響を受けているので、その相異が民族ごとの思考の差異となって表面化していると思う。
異民族と最初に出会ったときに、相手を「やっつけてしまえ」と考えるか、相手も「自分と同じように困っているに違いない」と考えるかの相異ではないかと思う。
我々は島国の住人であるが故に、異民族と出会うという経験は、過去のおいては極めて少なかったわけで、日本の海岸にたどり着いた人々を見つけた時、何とか生かすように意識が作用したが、陸続きの人々にとっては、見知らぬ他者は強盗か、盗賊、夜盗の類としか認識しないのも経験則から充分に在りうる話である。
だから、こういう状況を偽善ぶって善悪、正邪、善し悪しという価値感では計れないわけで、アメリカの大統領はアメリカ市民の利益を最優先に考えることは当然のことであるが、その利益獲得の方策については様々な手法があるので、「この方法が良い、いやこっちの方策の方がベターだ」という論議は当然ありうる。
国際社会というのは異民族との関わり合いの話なわけで、自分の民族の利益と他者の利益を何処でバランスをとるかということだと思う。
当然、自己の主張を他者に理解・納得させるには、それ相応のテクニックと背景がいるわけで、こちらが何も与えるものが無いのに先方に妥協ばかりを迫っても話はまとまらないのは当然である。
また衣の下に鎧を着て、「言う事を聞かなければ武力を使うぞ」、という恫喝も一種の交渉術なわけで、そういう事も十分にありる話である。
そして忘れてならないことは、国際社会というのは、法律が機能しないということである。
我々日本人は、国際的な法律、国際法があるかのような錯覚に陥っているが、確かに国際法があることはある。
しかし、法の施行という事は、厳格な罰則規定があって、違反者に対してその罰則を厳密に施行せしめる強権力が伴わないことにはいくら法だけあっても意味を成さないわけで、罰則のない規定ならば、ただの紳士協定でしかない。
アメリカがイラクを攻撃しようとしたとき、国際連合の安保理はアメリカの行動に賛意を表さなかった。
にも拘らず、アメリカ一国のみでイラク攻撃をしてしまって、「国際世論を踏みにじった」と言われているが、お山の大将が自ら独断専横しているのを、他の弱小国家がいくら束になって掛かっても勝ち目はない。
即ち、国際社会というのは完全な無秩序の中の無法地帯に等しいわけで、その中で喰うか食われるかの弱肉強食の態様が演じられているのである。
そういう中で生き延びようとすれば、善だとか悪だとか、善し悪しだとか、正義不正義などという綺麗ごとなど言っておれないわけで、ただただ知恵と才覚でもって、騙して、裏切って、寝返ってでも、とにかく我が身大切に生きる他ないのである。
我々日本人は、長い間、太平洋の東の島国の人間であるが故に、こういう赤裸々な弱肉強食の現実に曝された経験が無いので、異民族との交渉においては実に不手際で、相手の罠に嵌ってしまいがちである。
我々がアメリカに敗北して、既に66年以上も経過した。
我々はアメリカによって国土を焼土と化してしまった。
B-29による本土空襲で親兄弟を殺されてしまったではないか。
なのに何故仕返しをしようという発想が出てこないのであろう。
アメリカの行った無差別爆撃で親兄弟を殺されたのは、同胞の軍人がバカな戦争を始めたからだという論理なっているのはどうしてなのであろう。
広島と長崎に原爆を落とされたのだから、今度は日本がニューヨークとワシントンに原爆を落とそうではないかという発想にどうして至らないのであろう。
アメリカにとっては日本の仕返しは真から恐ろしかったに違いない。
だからアメリカ人は日本に対して徹底的に懐柔政策を施して、日本人のアメリカに対する怨恨の感情を完全に骨抜きにしてしまった。
こういうところがアメリカのすごい所で、我々日本人は、こういう発想そのものが理解し得ていない。
大前研一氏のような英才でも、アメリカの真意を見抜けていないと思う。
アメリカという国は、国全体として日本に対して並々ならぬ警戒心を抱いているわけで、アメリカは移民の国でありながら、あの戦時中に日本人の移民だけを隔離したという事実を見ても、その事が如実に表れているではないか。
戦後の民主教育と称する愚民化教育も、戦後の日本において進歩的と称する左傾化した知識人が、自分の祖国のアイデンテイテイ-を損なうような教育を日教組に許したという事は、アメリカとしては日本民族が精神的にひ弱な民族になることが殊のほか好ましいわけで、そういう方針をほくそえんで見ていたということであろう。
近世における日本の近代化の躍進は、アジア諸国のみならず世界的にも大いなる脅威であったわけで、そういう意味で、敗戦後の日本で、日本の教育が、日本民族の魂を抜き去るような方向を目指すことは、日本の周辺の諸国家にとっては殊の他ありがたいことだったに違いない。
戦争に負けた仕返しをする、などという教育をされた日には、彼らは枕を高くしておれないのである。
アメリカの立場から見てみれば、当初はアメリカの余剰農産物の捨て場として援助を受けていた者が、あの焼土からあっという間に復興して、洪水のように輸出攻勢を掛けてこられた日には、アメリカとしてはたまったものではなかったに違いない。
だから日本の復興に合わせて、次から次へとモグラ叩きのように難題を覆い被せて来たが、日本はまさしく男芸者のように、アメリカのご機嫌伺いに徹して、今日まで生き延びて来た。
ところが、20世紀末になると、経済力で日本がアメリカを追い越してしまったので、アメリカとしてはメンツを潰された形になったが、アメリカの強さは経済のみではなく、軍事力でも、その他の総合力でも依然日本を凌ぐパワーを秘めているわけで、日本の識者にはその部分が見えていない。
それと、もっと大事なことに日本人は気が付いていないが、それはアメリカとユダヤ人の関係である。
我々は人を見る時、安易な気持ちでその人の出身地に関心を示しがちである。
私のこれまでの論議でも、出身地の環境が個人の人格形成にも影響すると述べて来たが、これは考え直す時期に来ている。
特に、アメリカとイスラエルの関係には目を離せないと考えねばならない。
イスラエルという国には、アメリカに住むユダヤ人から莫大な金が流れていると考えねばならない。
それだけならば何ら問題はないが、そのアメリカから流れて来た金でイスラエルはアラブ人と戦争をするから、ここに注意を払わねばならない。
イスラエルという国はアメリカの51番目の州と考えても良いくらいであるが、このイスラエルが誕生以来、周辺諸国とトラブル続きである。
そのトラブルを継続させる要因として、アメリカに住むユダヤ人の送金があるからだと考えざるを得ない。
第2次世界大戦中においてドイツのヒットラーはアウシュビッツでユダヤ人を何万人という単位で殲滅させたことは歴史の負の遺産として語り継がれるであろうが、21世紀の今日においても、ユダヤ人の生き方、生き様というのは、人々の顰蹙を買うに等しいものと考えざるを得ない。
何となれば、彼らは額に汗して働くということを忌避しているわけで、肉体を働かせることよりも頭脳を働かせて金を稼ぐことを生業としているわけで、彼らの生き方がこうである限り、世間は彼らを心から受け入れることを躊躇しがちだ。



「激流中国」

2011-11-01 14:12:30 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「激流中国」という本を読んだ。
NHKが2007年4月から2008年10月まで、中国各地で取材した「NHKスペシャル」の書籍版であるが、今の中国の実情を余すことなく伝えている本だと思う。
NHKは我々の同胞から様々な批判に曝されているが、批判されても仕方のない部分を内包していることも確かであろうが、全体的にはその批判を跳ね返すだけの実績を上げていると思う。
特に「NHKスペシャル」という特別番組に対する熱の入れようは、他の民放の追従を許さないものがある。
しかし、中国の実情は断片的に他のメデイアや他の民放を通じても我々は知ることが出来るわけで、その意味では特別に目新しいというわけではないが、今の中国の姿という点では大いにうなずけるものがある。
私の個人的な体験から言うと、昭和29年頃私は高校生であったが、その時の高校の校長先生は戦中に治安維持法に抵触して刑務所入りをしていたことを自慢していた。
その校長が、新生・中華人民共和国に招聘されて、できたばかりの中国に行って、その帰朝報告で「中国には蠅が一匹もいない」ということを言った。
その言葉はあの当時よく聞いたが、今思うとすべて嘘であって、皆騙されていたという事だ。
その時から今日に至るまで落ちこぼれの私には、そんなものかなと半信半疑でいた。
しかし、落ちこぼれも落ちこぼれなりに馬齢を重ねると、中国の真の姿も垣間見れるようになって来た。
今でも、中国の真の姿が見えているわけではないし、そもそも物事の真の姿という言い方も実に妙なもので、そういうものが果たしてこの世にあるかどうかは甚だ疑問である。
しかし、中国に関する知識は加齢とともにそれなりに増えてはきたわけで、中国を語るという事は、そのまま人間の生き方それ自体を語るということに繋がると思う。
我々はともすると学校の教科書の歴史的な視点で中国を眺めがちであって、ついつい、殷、周、春秋戦国、秦、漢という時系列に従って考えてしまうが、人間の生存にはそういう区切りがあったわけではない。
たまたまその時の統治のトップに居た人の概念で、そういう国家という枠組みでものごとが語られているだけのことで、生身の人間にはそういう概念があったわけではない筈だ。
今年は彼の地では辛亥革命100周年ということであるが、日本の明治維新、これは実質、日本の近代化の革命であったわけで、それから遅れること43年後に中国大陸でも日本と同じ近代化の革命が成就したということであろう。
この43年のギャップというのは、そのまま日中の間のギャップとして残ってしまった。
中国大陸で、この日中間の43年間のギャップを埋めることが出来なかった理由には、さまざまな原因があろうかと思うが、それはお互いの民族の生き様そのものの違いだと思う。
そもそも辛亥革命というのは、日本の明治維新とは違って、近代化を目指す革命ではなく、漢民族支配を目指す復権革命であったわけで、そこには中国の近代化という命題は2番目3番目の課題でしかなかった。
第1目標は清王朝、女真族の支配からの脱却であったわけで、漢民族の政治的復権が当面の目標であったわけである。
とにかく、中国の地では漢民族が統治すべきであって、他の民族、たとえば女真族、或いは日本民族に支配されては漢民族の估券に関わるという思いで、辛亥革命が推進されたということだ。
この状況を私の言い方で言い表すと、漢民族は「アジア大陸を漢民族で以て支配しなければ」という潜在意識に苛まれているという事になる。
その為には、アジア大陸で統一国家の建設を目指さねばならないわけで、アジアを一纏めにひっくるめた統一国家の建設はなかなか難しいが、漢民族にとってはそれ以外の選択はあり得ない、という思い込みに浸りきってしまっているという事だ。
アジアを一つの統一国家として満遍なく均一化しようとしても、それは論理的に無理だと思う。
東側の海に近い所と、チベットを始めとするヒマラヤの辺りまでを一括りにして統括しようとしても、どだい無理な話だという事は一目瞭然だと思う。
それを歴代の王朝は皆同じような思考で以てアジア全土を均一に統一しようとするから破綻するのである。
過去の歴史を悔やんでも詮無い話なので余り深くは掘り下げないが、1949年中国共産党がアジア大陸を席巻した時、今でいう中国東北部、いわゆる満州には、日本の作った社会的インフラが立派に残っていた。
1945年に日本が敗北した時点で、旧ソビエットの軍隊があの地を席巻して、日本人の血と汗の結晶である社会的インフラ及び社会的基盤を根こそぎ本国に持ち帰ってしまった。
こういう事を普通は、夜盗或いは強盗と言うが、たった1週間の参戦で、彼らはそういう振る舞いを戦利品の獲得と称していたわけで、それを指を咥えて眺めていたのが中国共産党の八路軍である。
中国でも、日本でも、その他の西洋諸国でも、共産主義というのは人間の理想を絵に描いた護符のようなもので、普通に理性的な思考能力のあるものならば、そんな神がかり的な護符を真に受けるバカはいない。
共産主義の言っている事を信じるということは、人間の自然の生き方、在り方、生態を頭から否定するということで、それが証拠に旧ソビエットも崩壊し、中国共産党も改革開放と称して、共産主義の本旨をゆがめて主義主張を形骸化しているではないか。
人間は自然の法則の中でしか生きられないし、自然の摂理に従って生きているわけで、絵に描いた餅を眺めては生きていけれない。
共産主義の諸国家の成り立ちは、最初に核となった共産党員は確かに頭の優秀な、立派な頭脳の持ち主であり、出自が豊かなるが故に非常に純真で素直な思考の持ち主であった。
ところが、そういう人達は純粋で純真なるが故に、世の中の矛盾に耐えきれず、真から世直しの必要性を信じ、世直しを確実に手っとり早く実践する為には、暴力で以て既成の秩序を破壊することもやぶさかではない、いた仕方ないと結論付けた。
だが、それを実践する実行部隊の人々は、党の指導者の真意を解さないまま、「世直しを実践する為には既存の秩序を破壊しなければならない」という部分のみを実行に移したのである。
つまり、そういう名目で以て、金持ちを糾弾し、既存の秩序を破壊し、有識者を殺し、無為な殺戮を称賛し、理想の実現のためには造反有理というわけで、世の中を混乱に貶めることは、無頼漢や跳ね上がりの若者や、ひねくれたインテリにとっては、世直しという大義をバックにした乱暴狼藉なわけで、まことに痛快で、心が晴れ晴れしたに違いない。
それが暴力革命であって、そこまでは共産主義の大義でカバーされているが、その後で何を建設するのかというところで壁にぶち合ったのである。
中国共産党は最初に核となったメンバー以外は、全て地方の無頼漢であったわけで、打ち壊しの後何を作るかまでは考えていなかったと思われる。
中国共産党が始めて産声を上げたのが1921年に上海においてである。
しかし、その時でも非合法組織であったわけで、中華民国の蒋介石から追われる立場であった。
で、追われて追われて中国全土を逃げ廻ったことを称して「長征」と称されているが、この逃げ廻っている間に地方の有力者が毛沢東の元に集まって来て、その事によって中国共産党の勢力は徐々に巨大化して行った。
問題は、この長征の間に中国共産党に集まって来た連中は一体どういう人間かということである。
中共の見解としては、当然の事、共産主義の理念に賛同した純粋な党員という言い方になろうが、実際は山の中の山賊や夜盗、はたまた強盗の類の無頼漢の集団であったと考えねばならない。
古い体制を破壊して、新秩序を建設すると称して、金持ちや地主、政府の出先機関を打ち壊しても良いとなれば、人里離れた山奥の無頼漢に取ってはこれほど痛快なことはないわけで、共産党に入るものが陸続となっても不思議ではない。
だから中国共産党にも党の立ち上げの頃のリーダーには非常に優秀な人が大勢いたに違いなかろうが、そういう世代が世を去ると、次の世代は元無頼漢の連中が過去の実績で以て党を引っ張らざるを得ないわけで、当然のこと、党の理念と実践が乖離して来るようになった。
その顕著な例が改革開放という方針だろうと思う。
開国解放という言葉は、論理的に共産主義とは矛盾しているわけで、共産主義が通底に存在している限りあり得ない思考だと思う。
この時点で、もう共産主義は棄て去られた過去の思考というわけで、それでも尚共産主義を標榜するという事は、その威光を借りているにすぎず、統治の免罪符として、人々を抑え込むための方便としての意味しかないという事だ。
共産主義の社会、いわゆる旧ソビエット連邦でも、中華人民共和国でも、共産党の当初の指導者は真に共産主義に賛同し、共産主義の理念と理想を追い求めていたが、時代を経るに従い、指導者の代が変わるに従い、当初の理念と理想が現実と大きく離れて、ただたんなる覇権争いに堕落してしまった。
即ち、高尚であるべき共産主義の理念と理想が、人間の本来の世俗的な生き様に戻ってしまったわけで、人は「夢を食う獏」では居れないので、人間として太古より抱え込んだ自然の摂理に還元せざるを得ないということだ。
人間の織り成す社会は、突き詰めて言えば、人間が群れで生きる赤裸々な状態を指し示しているわけで、それが社会主義に下支えされた福祉国家であれば、それは人間の英知と知恵で自然の摂理に大いなる工夫が凝らされた社会ということが言える。
そういう進化した社会の人々は、比較的論理的な思考で社会を支え合っているが、人々の思考に古の自然のままのものの考え方が残っている場合は、太古から引き続いた自然の摂理に引き戻されてしまう。
今日の中国で、収賄が横行して、何をするにも金次第という状況が横行しているのは、この地の人々が太古の中国に戻ったということであって、共産主義というものが完全に退化したということを指し示している。
収賄、贈賄、袖の下というのは中国の人々、漢民族の有史以来の文化なわけで、アジアの大地に生きる人々は歴史誕生以来その中で生きて来たことを考えれば、それを近代的な思考で「悪」と認識する方が浅薄である。
辛亥革命で女真族の支配を脱し、満州の地に近代的な産業国家を建設しようとした日本の進出を阻止、共産主義の理想に燃えて建国の緒に就いた漢民族は、結果として共産主義の理想郷の実現には失敗したが、大部分の漢民族の生活は以前に比べれば限りなく豊かになった。
その過程において、共産主義の果たした役目は大きなものがあったことは否めず、人々の生活を向上させた実績は計り知れない功績である。
だが、21世紀の中国でも、社会の隅々に大きな矛盾が潜んでいることはさほど気にする必要はない。
矛盾を一つも抱え込んでいない主権国家などは恐らくこの世に存在していない。
我々の日本だって、数えきれないほどの矛盾を抱え込んで青息吐息でいるわけで、お隣の中国の矛盾を横目で見ながら笑っていられる状況ではない。
お互いにどの国も大きな矛盾を抱え込んで、それこそ青息吐息で生きていることは自明であるが、その矛盾が自国に及んでくるとなると、自己防衛に走らなければならなくなる。
この本の中には、中国が近代化の達成の一環として先進国の技術の取得を計る場面が描かれているが、その手法として合弁会社を積極的に作って、合弁会社として先進国から技術を導入し、その事によって技術を取り込もうとする意図が示されているが、これなども極めて注意が肝要だと思う。
日本の経営者も、狡猾さの点では世界に伍していると思うが、経営者と比べて政治家は実に弱腰で、正面からモノもよう言えない有り様を呈している。
ところが、その点、企業経営者は利益のみが価値基準なわけで、利益が上がるかどうかで手を握ったり離したりする点が政治家に比べれば実に合理的な判断をする。
とは言うものの、そういう企業家の中にも、自分たちの都合で中国に工場を作る場合があるわけで、この自分たちの都合、我々仲間内の都合であちらに工場を作るという事を見透かされると、足元を付け狙われるからその点も心して掛からねばならない。
こういうことは生きた人間の自然の原始的な、かつ普遍的な行動なわけで、人間の集団という社会の中を生き抜きための知恵であるので、良いとか悪いという価値感では計れない。
この話を引き延ばして行くと、最後は武力で自国のエゴを押し計ることが良いことか悪いことかという論議に行きついてしまうが、人が精一杯生きることを良い悪いという価値観で計れないことは言うまでもない。
この本に描かれている現代中国の諸現象は、全て、人々が今の彼の地で如何に生きるかということを提示しているわけで、それの善し悪しを超越して、我々は自らの対応を考えなければならない。
中国の現状は、21世紀中にはおそらく地球規模で大きな問題になると思う。
中国の存在そのものが地球規模の課題になると思う。
この私の下手な文章の冒頭にも述べたように、中国がアジアを均一化した統一国家を目指すことが中国の歴史そのものだという話は、私の考え方の一つであるが、それとは真っ向から矛盾する現象として、中国はビッグバーンのように世界に向かって常に拡散しつつあるようにも見える。
世界各地に散らばって存在する中国人の多さと言ったら、想像もつかないぐらい居るわけで、そういう中国人が、それぞれの国で、自分が起居する国に何らかの形で貢献をしておれば、それはそれなりに評価も出来るが、そういう中国人は大抵彼らのゲットーを作って、彼らだけ固まって生きている。
いわゆるチャイナ・タウンであるが、彼らが祖国を捨てて異郷で生きるということは、そのまま彼らの愛国心の欠如を表しているわけで、彼らにとっては自分の国という概念そのものが存在していない。
自分の国を愛しない人が、この世に安住の地を見出せないのは当然ことで、我々には祖国というものがあるから、祖国に帰りたい、祖国の役に立ちたい、祖国に為にという発想に至るわけで、それは戦時中の軍国主義にフォローされた愛国心とはまた別の祖国愛だと思う。
日々の生活の中で、改めて祖国だとか、愛国心などと、思い患って生きているわけではないが、親兄弟の為、隣人の為、職場の同僚の為、友人の為という心遣いが、日々の生活に潤いを醸し出して、それが、近隣の関係から地域の関係へと広がり、それが最後には国の為ということに繋がっている。
ところがこれが中国人のように、学校での勉強は全て自分が立身出世する為のツールで、留学の機会を運良くゲットしたならば、行った先から本国に帰らないでは、留学を受け入れた側の真意を踏みにじる行為でしかないが、彼らにはそれが理解できていない。
我々の先輩が過去に中国東北部において満州国を建国したが、あれはアジア大陸における最初で最後の近代産業国家であった。
彼らは、共産主義革命の後でも、あれだけの社会的インフラ整備を作りえず、ただ単に日本の侵略の象徴という位置付けて、感情論の標的として終わらせてしまったが、彼らの未来志向というのは、あの程度のものでしかないわけで、合理主義よりも、政治的なプロパガンダに振り回されて終わってしまうのである。
彼らは、我々の日本と比べると、国土の広さも人口の多さも勝っているので、優れた人材はかなり沢山眠っているに違いない。
しかし、彼の地が有史以来、儒教思想で凝り固まっている限り、優れた若者の輩出ということはあり得ないわけで、優れた人材は全て海外に出てしまうという現状では、この先も大いに思いやられる。
儒教の「三尺下がって師の影を踏まず」、「長幼の序」を金科玉条としておれば、優秀な若者が自己の能力に挑戦する機会を全部握りつぶしていることになるわけで、世の中が刷新されるわけがない。
若者は、年老いたものを乗り越えて前に進んでこそ、物事のイノベーションが成り立つわけで、若者が年寄りの後をくっついて回っているだけでは、世の中の進歩はあり得ない。
中国本土が改革開放で、極めて潤沢な富の集積を引き起こしかねないわけで、こういう場面で彼らのものの考え方が大きく影響を及ぼす。
こういう機会に、若者の斬新なアイデアを充分に活躍させることが大きな飛躍に繋がるが、冒険を嫌う小心者は、そういう大きな勝負を逃がしかねない。
中国の中で、今も生きている共産主義という思考、共産党員という連中のものの考え方の中には、自分の今のポストの安寧を維持する為に、先行きが不安な冒険に打って出る勇気を持ち合わせていないこともありうる。
共産主義者の社会、共産党の統治ならば、常に革新を願い、秩序の安寧は積極的に破壊するのが潜在意識の中に無ければならないが、人は一度自分の地位を得ると、その座を人に渡したくないわけで、全勢力でもって今の地位を維持しようと努力する。
中国の地に生きて来た人たちにすれば、とにかく自分自身の身の安全は自分で守らねばならないわけで、人のことに構っている時間も余裕もなく、その事は自分の立ち居振る舞いが人に迷惑を掛けているなどとは思っても見ないのである。
つまり、彼らにとっては「人の迷惑」という概念が無いので、自分さえ良ければそれで整合性が成り立ってしまうので、その迷惑が周囲のものに来てしまうということだ。
この状態は、人間の在り方としては極めて素朴な存在で、文明というのはそういう素朴な人間の自然の立ち居振る舞いを「野蛮」と称して、蔑視する思考だと思う。
しかし、人間というのは他者と自分の関係性の中で生きているわけで、人の群れの中に入って行く時、相手にどう思われるだろう、快く受け入れられるだろうか、どうすれば受け入れらるのだろう、と思案しながら中に入っていくのである。
この時の心配りの心理が、マナーであったり、エチケットであったり、品位であったりするわけで、犬や猫でもお互いに挨拶するのと同じことである。
これが人間の集団となると、様々な組み合わせになるわけで、貧乏人同士であったり、金持ち同志であったり、貧乏人と金持ちの組み合わせであったりするので、そこでは当然TPOということになるが、このTPOをわきまえていないと非常に野暮に見えることは確かである。
中国の場合、国際社会という舞台で、このTPOの概念を無視するので、仲間付き合いが非常にぎくしゃくしがちである。
特に日本が交渉相手だと、彼らは自意識過剰に反応するので、この大上段に振りかざした去勢の治め所が甚だ難しく、右往左往の対応となってしまう。
ただ我々の側として甚だ困ることは、彼らには理論整然とした論理的な話し合いが通じなくて、自分の言いたいことをただただ声高に繰り返すのみで、それを上手に手玉に取るテクニックは相当の修練を要する。
彼の地には人間が腐る程いるわけで、掃いても掃いても湧き出てくるので、あそこには人権というものが存在しない。
人間の権利、人権を考慮しなくても良い統治者は、非常に恵まれた存在で、自分の思い通りの施策が自由に実施できる。

「対話できない教師、叱れない親」

2011-10-29 17:33:24 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「対話できない教師、叱れない親」という本を読んだ。
著者はカニングム久子という人で、名前からしてアメリカ人と結婚した元日本女性だろうと推察する。
長崎県出身ということだ。
本の前半は、アメリカに渡った日本人駐在員の奥様方の子育てに対するカウンセリングを通じて、躾としての教育論から問題を掘り下げている。
日本民族の教育を考えるに就いて、我々の次の世代に対する躾という意味の教育の在り方というのは、実に由々しき問題だと思う。
巷間の話題の中には、「モンスター・ペアレント」という言葉まであって、子供の教育を語る前に、その子の親の教育から問題視しなければならないところまで来ているようだ。
その根源は、言うまでもなく戦後の民主教育の所為であることは自明のことであるが、何故、戦後の日本教育がこうまで陳腐化したのかは、当然の事、日本を取り巻く諸外国の思惑が、日本の教育を骨抜きにしたということである。
日本が第2次世界大戦に嵌り込んで行った背景には、我々自身の貧乏からの脱却を願う余りの帝国主義があったことは否めない事実だと思う。
その我々自身の願望の実現に向けた我々の努力とその成果は、その当時の国際社会にとっては、まさしく驚天動地のことであって、日本を取り巻く周辺諸国にとっては目の上にタンコブ以上の鬱陶しい有り体であったに違いない。
明治維新を経た日本が、日清・日露の戦争に勝つということは、アングロサクソン系の西洋人からすれば、想定外の出来事であって、そんな力を内包したモンゴロイド、黄色人種、猿並みの思っていた野蛮人が、白人を打ち負かす、アメリカに対して互角に戦いを挑んでくるなどと言う事はあってはならないことであった。
その日本がアメリカに負けたとなれば、その負けている間に日本人の持つ本質的な牙、刺、大和魂、民族性、優秀な資質というものを全部骨抜きにしておかなければ、自分たちの存在が危ぶまれる、という判断になるのも当然のことである。
日本人を従来の日本のままにしておけば、また何時仕返しをされるか判らないので、徹底的に民族としての骨抜きをしておかなければ枕を高くして眠れない、という心境に至ったものと想像する。
で、敗戦後の日本を統治する権限を委譲された、アメリカ極東軍司令部、いわゆるGHQのマッカアサーは、敗戦後の日本に5大改革を押し付けたわけで、その中には当然のこと教育の改革も含まれていた。
戦前の日本の教育は、天皇制を賛美する傾向がことの他強かったので、外国人の視点で当時の日本人を見ると、それが日本民族の強さの根源だと勘違いした部分が多々ある。
だから、日本を負かしたアメリカのGHQ及び元連合軍としては、何としても日本という民族を骨抜き、腰ぬけの軟弱な民にしておかねばならなかったのである。
一度は戦争で負かした日本が、しばらくして再起し、従来の白人支配の世界を再び同じような戦争の渦中に引き込むような事をさせてはならない、その為には徹底的に日本人、日本民族から、民族の魂、大和魂、肝っ玉を抜き取って、軟弱で、ひ弱な衆愚、卑屈で、日和見で、利に聡い、自尊心を欠いた虫けら同様の民のままにしておかねばならない、と考えたわけである。
このアメリカの方針は、旧ソビエット連邦も、新生中華人民共和国としての共産主義者の陣営にとってもまことに利に叶った思考であったわけで、その指針が戦後の教育改革の中で、民主化と称されて日本全国で展開されたわけである。
戦後、日本が敗北した直後、日本に進駐してきたマッカアサーは、当然のこと教育改革を指令して、教育の民主化を推し進めたが、その中で教員に組合の結成を許した。
そもそも主権国家の教育の指針というのは、国家の所管事項なのではなかろうか。
主権国家の主権者は、国民の教育に深く関わって、「自分たちの子弟には、こういう教育を施して将来こういう国民に仕立て上げる」という指針を示すことは、統治者としての専管事項なのではなかろうか。
ところがアメリカという国は我々とは国の成り立ちが違っているわけで、州によってかなり大きな自治権を認められているので、「自分たちの子弟の教育は、自分たちで考えるから国家は関与するな」というものである。
だから州の教育委員会が学校に関与しているが、我々の国はアメリカの一州にも満たないほどの矮小な国土で、アメリカの制度をそのまま日本に転化し得ないのは当然である。
だが、戦後の日本の教育界は、アメリカの制度をそのまま真似たので、国家の関与が希薄になった分、先生、組合員、いわゆる共産主義者の跋扈が甚だしくなった。
共産主義者の本質的な使命は、日本民族の内部からの弱体化であったわけで、内部から民族の魂を食い散らして形骸化した上で、革命を成功させようという狙いがあった事は言うまでもないが、それに戦後の日本の国立大学の先生が深く関わっていたことを忘れてはならない。
これはアメリカの占領政策としての日本民族の弱体化の方針と、その意図と利害得失が完全に一致していたわけで、この時に教育界に入り込んで共産主義者の教育が、今日の日本の混迷を形作っているのである。
日本が戦争に負けた時、昭和20年8月に、兵役が解除になって元の職場としての学校や、新たに学校の先生として赴任した人はかなりいたと考えられる。
そういう人は、自らの過酷な体験や、みじめな境遇を経ることによって、共産主義に共鳴した人もかなりいると思う。
そういう人は、主義主張を越えて純情で、心が清らかな人達ばかりだと思うが、だからこそ、この世の矛盾が我慢ならずに、理想の世界を追い求めていたに違いない。
こういう純情で心の清らかな人が、その理想を追い求めれば追い求めるほど、現実の乖離は深くなるわけで、それは戦前の若者が富国強兵が実現すれば豊かになれると思い違いしたのと同じように、平等社会が実現できれば人々は心豊かに生きれると思い違いしているのである。
戦前の軍国主義が否定されて、天皇陛下の為の政治が、国民の為の政治として主権在民という言葉で詠われるようになったが、国民が国民の為に政治をするのであれば、自分の祖国の国旗や国歌を心から畏敬の念を持って敬ってもバチは当たらないと思う。
民主国家で、主権在民なのだから、国民のどんな我儘も許されるというのは、論理的に整合性が成り立っていないわけで、「祖国の国旗や国歌を敬うのが嫌ならば、日本国籍を捨てて他国の国籍を得なさい」という事になる。
日本国籍を持ったままで、日本の国旗と国歌を蔑にする態度は、日本の国内では許される行為ではない。
戦後の日教組のいう「民主教育」という言葉の弊害は、人権という概念であって、人権という言葉を水戸黄門様の印ろうのように免罪符として遣う点である。
そもそも、子供に人権をあると認識して、子供も大人も同じ人権という言葉で一括りするので、論議がかみ合わないのである。
大人の格好をしていれば、すべて均一の人権があるかという話も大いに疑問があるわけで、この人権という言葉がまさしく免罪符としてあらゆる場面で権威を振りかざしているので、物事がおかしくなるのである。
つまり、生まれたばかりに赤ん坊でも、成人と同じ人権という言葉で一括りしようとするので、大きな齟齬が生じるのである。
特に、幼児期の躾の場面で、生まれたばかりの赤ん坊を一人の人格者として捉えるので、ついつい甘やかすことになり、結果として躾に失敗するという事になる。
母親の子を愛する無償の愛の対象としての赤ん坊と、その赤ん坊が後に大人の期待に応えてくれる立派で晴れがましい人間としての大人と同一視することは間違っている。
赤ん坊から大人になるまでの間に、社会人としての立ち居振る舞いを備えること、つまり躾が完備出来た人間のみに人権が備わるわけで、人間の形をしたもの全てに人権があるわけではない。
若い母親が、赤ん坊の意思を尊重すると称して、幼児期の躾をスポイルしたら、その赤ん坊は野放図な大人になり、社会的に自立できずに世間の厄介者になってしまう。
戦後、日本の教育界に君臨してきた日教組という共産主義者の集団は、彼らの基本的立ち位置が、日本民族を骨抜きにして、日本に共産革命を起こすことを最終目標としていたが故に、日本の次の世代を担う若者の教育を根本的に破壊する点にあったわけで、その目的はかなり部分成功している。
戦後66年を経過した日本は、まさしくアメリカの狙い通り、共産主義者の狙い通り、彼らの政策は見事に功を奏しつつある。
今の小学校の学級崩壊も、それらの子の親の世代の教育の結果であったわけで、そういう親を教えたのが戦後の第一世代の今の若者のおじいさんおばあさんの世代である。
今の80代の世代は、終戦の状況を身を以て体験しているので、この世代は戦後の民主化教育を何の抵抗もなく受け入れざるを得なかった。
この世代の子供の世代は、戦後復興の高度経済成長の中で、自分の子供の教育などに関わっておれなかったので、母親と学校に任せっ切りであった。
この世代の子供が、今の小学生であり中学生であるわけで、ここまで来るともう日本人ではなくて、異星人という感覚でしかない。
この本の後半ではアメリカでの実態も述べられているが、アメリカの高校生の婚外妊娠、出産、シングルマザーとうとうという言葉は一体どうなっているのであろう。
アメリカでの大人という定義は、恐らく州によって違っているであろうが、少なくと高校生が妊娠して子を産むという現象は、私の想像を越えた行為である。
これがアフリカのマサイ族だとかアマゾンの奥地の現住民というのならば納得できるが、アメリカという文明国の中で、高校生が子を産むなどという事は考えられない。
高校生が赤ん坊を連れて登校するなどという事は想像もつかない。
ならば、その赤ん坊を産んだ高校生は学校に何しに来ているのだろう。
そういう生徒に行政は教育を施さねばならないのだろうか。
父親は一体何処の誰なのだろうか。
高校生が学校に赤ん坊を連れて登校し、授乳の時間まで用意されているとなると、果たして高校生としての教育が成り立っているのであろう。
この現実を見せつけられると、改めて「教育とは何ぞや」という原点に立ち返らなくてはならない。
この問題と同時に、高校生の銃による殺傷事件のことも述べられているが、こういう現実を踏まえて、教育とは一体何なのであろう。
近代化した民主主義の世界では、何処の国でも、どの民族でも、基本的には高学歴志向である。
小学校よりも中学校、中学校よりも高等学校、高等学校よりも大学という風に、普通の人々は高学歴に惹かれる。これは一体何故なのであろう。
世の中には勉強の好きな子がいるのと同じように、嫌いな子も同じようにいると思うが、世間一般では勉強の好き子は話題に上がるが、勉強の嫌いな子は決して話題にもされない。
世の中で功なり名をなした人は、その大部分が勉強の好きな部類の人であったことは間違いないが、社会全般という大きな枠組みで捉えた時、決して「駕籠に乗る」人達だけで成り立っているわけではなく、学校の勉強など大嫌いだが「駕籠を担いだり、草鞋を編むことの好きな」人達の存在があって始めて社会そのものが成り立っていると思う。
人間に執って、教養・知性というのは無いよりは在った方が断然有利であるが、学校という施設は勉強の好きなものにだけ開かれるべきだと思う。
学校というのは、公立であろうと私立であろうと、ただで生徒に奉仕する機関ではないわけで、生徒にあることを教えるという行為には金が掛かっているので、赤ん坊を抱えて登校するような生徒に、それを享受する資格が備わっているであろうか。
正式に結婚して、たまたま「年が若い」という理由ならばまだ納得の余地があるが、未婚で、父親も判らないでは野良犬や野良猫と同じなわけで、これが果たして人権というにふさわしい有り体であろうか。
この本にも述べられているが、そういう人間は、その親も同じような過程を経ているので、代々父親も判らない子を産んでは、生活保護を受給する生き方しかなく、トータルとして社会の重荷になっている。
18歳の女子高生が赤ん坊を産む、当然、その高校生には生活能力がないので、親にパラサイトしなければならないが、その親も生活保護を受けているでは、社会に対してなんらプラス効果を果たしていないわけで、そんな社会は当然のこと生き残れずに衰退に向かうと思う。
この地球上に生まれた人は、普遍的な思考として高学歴を望むが、学歴を得て、それを生かして名を成し功を上げた人は教育の効果があったと言える。
ところが、意味もなく学校に行くでは、行政の教育投資が無駄になっていると思う。
飲み屋のオーナーや、喫茶店の店主や、コンビニの店長や、スターバックスの店長に大学教育など本当は必要ないと思う。
にもかかわらず、日本でも、アメリカでも、その他の先進国でも、大学教育というのは今では義務教育の観がする程普遍化してしまって、進学しなければならない、進学すべきだ、もっともっと充実すべきだ、という論調であるが、この風潮の中には勉強の嫌いな人間のことは何一つ加味されていない。
ただ人間は成長の過程では考え方が大きく変わるのが普通で、若い時は若気の至りで「勉強など嫌いだ」と思っていたが、社会生活を重ねるにしたがって好奇心が刺激され、自分の身の回りのことをより深く知りたいという欲求に突き動かされることも往々にしてある。
そういう時に、そういう人にも門戸を開いておくことは当然であろうと考える。
高等教育というものが、本人の確たる意思で門をこじ開ける人に開かれているのならば、大いに納得であるが、進学する人が周囲の雰囲気に吊られて、あいつが行くから俺も行く、出ておけば就職に有利だ、という発想で門を叩くのであれば、大いに疑問を覚える。
世間の学歴尊重の基底には、「大学を出た人間ならば社員として使えるに違いない」という待望論があると思うが、そもそも企業が大学出に期待を掛けることからして、機会均等を犯していると思う。
最近は差別の問題から転化して、応募要項に学歴を記す欄を無くしたという企業も出てきたらしいが、出来る人間というのは、本来学歴とは関係のない話だと思う。
如何なる国でも、学校という施設に対する期待は、自分の国に貢献する若人に学識経験を付与する使命を背負っていると思う。
自分の国に貢献する若者を仕立て上げるべき施設であって、そのことを通じて自分の祖国も立派になり、それに伴って一人一人の国民も豊かになることが期待される施設だと思う。
学校で得た学識経験で以て個人が先に豊かになって、個人が豊かになることによって祖国が豊かになるという構図も大いにありうると思う。
なので、身体の立派な若者を、ただ単に遊ばせておく施設ではない筈であるが、先進国の学校教育、特に高等教育機関は何処でも大人の遊園地化しつつあるようだ。
高校生が赤ん坊を作って、その親子が社会的に大いなる貢献をして、社会の為にな何か立派な仕事をして、納税する立場を維持できればいいが、恐らくそういうことは期待できないのではないかと思う。
避妊の仕方を知らないままセックスをするような若者が、その後、社会の役に立つ立ち居振る舞いが出来るわけがないではないか。
そういう連中に何故に行政は教育を授け、生活保護を与えなければならないのかと問いたい。
ただ日本でもアメリカでも、教育に関しては非常に視点が甘く、本質的に勉強が嫌いな子供にまで何とかして授業を受けさせようとするが、それは勉強の嫌いな子供にとっては拷問にも等しい行為だという事に気が付いていない。
人間の生き方、人の社会というのは「駕籠に乗る人、担ぐ人、その又草鞋を作る人」で成り立っているわけで、高学歴を目指すという事は「駕籠に乗る人」に成りたいからそれを目指すわけで、自分で駕籠を担いだり、その草鞋を作ることが好きな人にとっては、学歴など最初から不要なのである。
だから学校というのは本来勉強の好きな人だけが行けばいい所であるべきで、金が無かったり、勉強が嫌いだったり、先生が気に入らなければ、行く必要はさらさらないと思う。
にも関わらず、世間の人は、何が何でも良い学歴が欲しいと願っているのである。
ただ「勉強がしたい」という人には大きく門戸を開いておくべきだと思う。
そういう意味では年齢制限など最初から設けず、「来るものは拒まず、去るものは追わず」の精神でなければならないと思う。
大学というような高等教育の場も、本来ならば万人に解放されるべきで、先生方の独壇場にしてはならないと思う。
日本民族の倫理観の低下と、アメリカの婚外妊娠の蔓延などのケースを見ると、もう世も末という感じがする。

「いまこそ国益を問え」

2011-10-27 17:47:21 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「いまこそ国益を問え」という本を読んだ。
著者は桜井よしこ女史。
この著者、妙齢な美女でありながら口から出る言葉は非常に辛辣できつい言葉である。
言葉だけ、いや文章から推察する限りにおいては、とても女性とは思えないような内容である。
彼女の存在はかなり前から知ってはいたが、この本の表紙からとてもその内容が思い浮かばないくらいだ。
近頃の風潮としては、男性よりも女性の方が余程しっかりしているような気がしてならない。
この本はおもに2008年の世情が主題となっているので、少々タイミングのずれを感じるが、その論旨はいささかもブレていない。
考えて見れば、物事の真理とか根拠というふうに、核になる部分というのは時代の推移によってそうそうブレる筋合いのものではないはずで、その意味で彼女の言う論旨は全て正論ではある。
しかし、人が社会生活をする上で正論のみでは動かないのもこれまた真実ではないかと思う。
正論と偽善の間に、生身の人間の悩みがあるわけで、その葛藤を掘り下げることが、これまた「小説よりも奇なり」となるのである。
その意味で評論家というのは極めて安易な存在で、究極の極楽トンボのままで居れる。
周りの者の悪口を言っているだけで、具体的なことは何もせずとも食っていけるわけで、口先ではいくらでも正論が言えるが、物事の当事者ともなれば、そういう綺麗ごとでは成り立たないことも多々あると思う。
彼女も、国益という言葉をこれだけ前面に出してしまうと、どうしても綺麗事だけを口にする連中を敵に回さねばならなくなる。
たまたま彼女がこの本の中で、大江健三郎の『沖縄ノート』の話が出ているので、国益という言葉に固執すると、私はどうしてもこの大江健三郎という小説家の人格と価値観に不快感を覚えずにはおれない。
昭和の初期の我が同胞の政府及び旧日本軍が、実に無意味な戦争に国民を駆り立てた不合理は、いくら糾弾しても心の癒されるものではないが、軍人だからといって鬼か夜叉であるかのように同じ同胞を見做す思考というのが果たして小説家というような文化人の考え方としてあっていいものだろうか。
小説家だから想像をたくましくするという事はあるかもしれないが、事実を調べもせずに、ただたんなる自分の思い込みで、個人としての軍人を糾弾する行為は、明らかに人間としての理性を欠いた不遜で尊大な思い上がった所業だと思う。
昭和20年という時代状況の中で、アメリカ軍が敵前上陸して来る沖縄の島、目の前で文字通りの死闘が展開している中で、戦闘の渦中にある地元住民が生きる可能性を見出せず、自決しようと考えることは、当時の日本人の心情としては必然的な行為だろうと思う。
その中で、梅沢裕氏と赤松喜次氏は住民の「自決用の手榴弾をくれ」と言う要求を拒絶して、生き延びるように諭しているわけで、これは私に言わしめれば、あの過酷な状況の中における極めて希有な、大いなる美談だと思う。
それを事もあろうに大江健三郎氏は真逆に捉えて、「軍の指揮官が自決を強いた」と記述したわけで、その真意は一体何であったのだろう。
敵に囲まれた集落の中で、長老格の老人が先行きを慮って、若い指揮官に自決用の手榴弾をくれと言ってくる中で、若い指揮官が長老格の老人に、生きることを説く光景を思い浮かべると、私個人としては目頭が熱くなる思いがする。
あの戦争が軍部の独断専横で始まった事は否めない事実であり、政府の戦争指導が稚拙であったことも事実であり、そういう事実の積み重ねの結果として、日本の敗戦があったけれども、個々の将兵に敗戦の責任があったわけではない。
私に言わしめれば、『鉄の暴風』と言われる状況の中で、この二人の指揮官のとった処置は極めて優れた采配だと思う。
いくらアメリカ軍が掃討作戦、ローラー作戦で攻めて来ようとも、民間人には戦う義理は少しもないわけで、そういう意味から自決する必要もなく、白旗を掲げてアメリカ軍の前に出て行けば、命だけは助けられたにちがいない。
結果として、この二人の指揮官が手榴弾を渡さなかったので、地元住民は自決せずに生き延びたわけが、一旦死に損なったら今度は生きるために知恵を絞らねばならず、戦後の補償を得るためには、「軍に命令されて自決を強要された」と言った方が有利だったので、嘘の証言をしたということである。
これが事の真相だろうと私は考えるが、敵の攻撃、アメリカ軍の敵前上陸、『鉄の暴風』、収容所へ隔離、戦後の生活等々の混乱のことを考えると、真相の究明ということも非常な困難を伴う作業だったと思う。
そして、そういう混乱した状況を政治的に利用する人達の存在こそ憂うべき事柄だと思う。
桜井よしこはこの『沖縄ノート』を著した大江健三郎を糾弾しているが、彼女の意見には私も完全に共感を覚える。
問題とすべきは 何故、大江健三郎ともあろう者が、我が同胞を辱め、貶めようと、公的機関を使ってまで我を通そうとするのかという点である。
それと同時に、この裁判では大江健三郎の著述を、名誉棄損で告訴した梅沢、赤松両名の方が敗訴している。
要するに、大阪地裁は軍の住民への自決の強制はあったと結論つけているわけで、原告は当然控訴したけれど最高栽でも大阪地裁の判断は覆らなかった。
結論として、「命令したかしなかったか」の真実は水掛け論なわけで、物的証拠がないので、世評に迎合し、順応し、世間に受け入れやすい無難な判断になったということだと思う。
沖縄の慶良間島と渡嘉敷島において、昭和20年にアメリカ軍が上陸したが、その時島の守備隊として防衛に当たっていた日本の指揮官に対して、島民が「自決用の手榴弾をくれ」と言い募って来た。
それに対応した指揮官は「民間人の自決は意味がない」と言って諭し、延命を助言した。
ところが戦後になって、住民の復興支援の中で、軍の関与を強調すれば、支援が受けやすいという状況があったので、「軍から強制された」と虚偽の申告をしたため、それがさも真実かのように定着したという事だ。
この一連の情勢の変位の中で、戦後の沖縄で、軍の強制で犠牲になったという言辞を弄すれば、支援が受け易かったという背景そのものが既に世論の左傾化を示している。
既にこの時点、昭和20年の敗戦、沖縄の場合、島全体が占領された時点で、つまり昭和20年6月の時点で、沖縄の人々の心は日本民族に対する離反、祖国に対する不信感が歴然と表面化しており、彼らの深層心理の中では完全に日本民族、大和民族に対する怨嗟の感情が醸成され、左傾化していたということである。
無理もない話で、沖縄という島のおかれた地勢的な位置からして、沖縄は如何なる国に所属しようとも、何処までいっても「辺境の地」なわけで、主権の核心に成りえない位置にある。
つまり、「沖縄国」にでもならない限り、主権の中心には成りえないわけで、その意味からして何処の国に所属しようとも、辺境であることに変わりはない。
言い方を変えれば、如何なる国に所属しようとも、ひがみ根性を払拭し切れないということである。
日本に属する前は清国と薩摩に二股膏薬を貼っていたわけで、両てんびんに掛けて、都合の良い方にすり寄るという生き方しか選択の余地がなかったと言うことだ。
だから彼らは主権国家の中の、つまり今の日本の例でいえば、主権の中心から一番離れた場所で生きているわけで、そういう立ち位置に生きる彼らは、自らの存在感を誇示するために、主権者に対して反発をして、存在感を示さなければ加護が受けられないのである。
つまり、乞食に徹して、物乞いをしなければ生を維持できないのである。
昔ならば、主権から離れた辺境は、何の手当てもなく据え置かれたが、戦後の民主国家は、日本全国、津々浦々に至るまで公平に福祉を実践しなければならない。
だとすれば、乞食として物乞いを効果あらしめる為には、中央の注目を引きつけねばならず、中央の言う事に素直に従っていては存在感が薄く見られるので、強力な抵抗勢力としての演出をしなければならない。
戦前の我々の同胞は、お上の言う事に実に素直に従って、結果として奈落の底の突き落とされたわけで、沖縄の人達も、その経験を踏まえて、「金輪際、政府に騙されてなるものか」という心根で以て、住民の政府に対する不信感は抜き差しならない物になってしまった。
ここまでは沖縄のおかれた事情ということで理解できるが、小説家としての大江健三郎が、何故に、個人の名誉を踏みにじってまで、同胞を故意に貶めるような仕儀に至るのかという疑問である。
小説家として、戦前の軍部を批判し、負けるような戦争を推し進めた戦争指導者を糾弾する心情は、あの戦争で生き残った日本人ならば皆同じように共有するものだと思う。
だからと言って、それを個人の名誉を踏みにじるような文章に仕立てて、それを金儲けに繋げるでは、余りにも教養人としてあさましい振る舞いと言わざるを得ないではないか。
それと同時に、このケースの場合、名誉棄損で告訴した者が敗訴するという事は、訴えた側が嘘を言ったという事になるわけで、それを審議した裁判官の心理も不可解千万である。
そこにあるのは究極の左翼思想であって、「悪いのは我々日本人同胞の政府であり、日本の軍隊であって、こういう政府や軍隊は存在するだけで悪だ。日本人は中華人民共和国に奉仕し、大韓民国に奉仕し、朝鮮民主主義人民共和国に奉仕し、中華民国に奉仕すべきだ」という発想ではないかと考えられる。
究極の同胞不信の発想であって、言い換えれば、「日本人、日本民族というのは存在するだけで悪だ」という思考を裁判官が示したということだと思う。
大江健三郎が風評をよりどころとして著述して、後から真実が解明されて、その風評は間違っていたならば、著者としては素直に謝罪すればそれで問題は終わってしまう。
ところが、最高裁はこの大江健三郎の記述を歴史的事実として認定してしまったわけで、真実を葬り去ったという事になる。
風評を既成事実として認定してしまうと、南京大虐殺や、従軍慰安婦問題のように、どこまでも言われなき事柄に謝罪し続け、金を要求され続けることになるが、それで国益はどうなるのであろう。
桜井よしこ女史は、この本の中で、大江健三郎に関する記述はこの部分のみであるが、私としてはこの部分が一番心にひっかかった部分である。

「周恩来と日本」

2011-10-20 10:18:58 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「周恩来と日本」という本を読んだ。
サブタイトルには「苦悩から飛翔への青春」となっている。
著作者としては一人の人間が書き下ろしたものではなさそうで、王詠祥・高橋勉編著、周恩来穎超研究会訳となっている。
この体栽から推察すると、王詠祥という人が中国語で書きためたものを高橋勉氏が編集して、それを周恩来穎超研究所が日本語に翻訳したという事なのであろう。
読み始めて冒頭から余りにも大げさな賛辞が続いて、もう少しで放り出す所であった。
こういう大げさな賛辞、いわば褒め殺しのようなゴマの摺り方は、どうにも鼻に付く。
権威にへつらっているような感じがして、どうにも不愉快な感じがするが、読み進んでいくうちに、その内容に引き込まれた。
この本は、要に、周恩来が1917年大正6年から1919年大正8年まで日本に留学しようとして滞在していたが、結局は目的の学校に入学することが叶わず、その分中国革命にそのエネルギーを注ぎ込んだという話である。
如何なる立志伝中の人物でも、その人格形成の基礎には教育があるわけで、周恩来もその意味で、日本で勉学に励んで、それなりの教養知性を身につけるつもりで東京まで来たことは確かである。
ところが、彼の場合は、たまたま運が悪くというか、受験勉強の方法が悪かったのか、結果として東京高等師範学校も、第一高等学校も失敗したので、官費留学のチャンスを失ってしまい、引き上げざるを得なかったという事だ。
彼は日本に留学するについては、友人知人、或いは親戚縁者からかなり借金をして日本にわたって来たらしいが、こういう状況は今の蛇頭の有り体と全くウリ二つではないか。
日本と清王朝が戦った日清戦争は1894年明治27年、日露戦争は1904年明治37年、周恩来が日本の地に足を踏み入れたのは、日清戦争から約23年目に当たるわけで、その間の日本はまさしく旭日の勢いであったに違いない。
そういう背景があればこそ、孫文も、蒋介石も、日本に学ぼうと考えたのだろうと思う。
丁度、日本が太平洋戦争に敗北して、20年ぐらいたったころから、我々の同胞はそれこそ戦勝国のアメリカになびいたのと同じことがそこでは展開していたわけだ。
負けた国の人間が、自分達を負かした国へ渡って、何かを学び取ろうという考え方は、ある意味で当然の思考遍歴なのかもしれない。
自分達を負かした国には、何か学ぶべきものがあるだろうと考えるのは当然だと思う。
我々の近現代史を俯瞰した時、この明治の後期から昭和の初期の時代の我々同胞の精神構造、ものの考え方、国際的な場での立ち居振る舞いというのは、どうにも品位を欠いたものであるが、これは一体どういう事なのであろう。
当然、単純に思い浮かぶのは、日清・日露の戦いに勝ったが故の驕り、慢心、不遜な思考という事は誰の目にも明らかだと思う。
だとすれば、それに対する反省が内側、つまり我々の同胞の中から、目の前の行きすぎに対する自責の念が何故出なかったのだろう。
江戸時代の鎖国を解き、明治維新を経て、日清・日露の戦いに勝利したので、日本の勢いというものが、まさしく登る太陽のように眩しく見えたのは、我々日本の同胞のみならず、中国人も、朝鮮人も、そう思い、そう感じ、そう期待していたに違いない。
ところが現実の日本は、押しも押されもせぬ帝国主義であり、軍国主義者であったわけで、その萌芽がこの頃から芽生えて来たという事なのであろう。
それが対華21カ条というものに象徴されているわけで、それは合わせて中国人に対する蔑視でもあったわけだ。
周恩来という人は、毛沢東と並べられて、新生中華人民共和国の巨頭の一人であるが、この二人には毛沢東が悪玉で周恩来は善玉という構図が成り立っている。
毛沢東には悪評がついて回っているが、周恩来にはそれがない。
しかし、この両名は新生中国の車の両輪であったことは否めないわけで、この両名の連携軸の上に、中国の民衆が乗っかっていたということであろうが、その事を端的に言えば、中国人の生存競争の生の実態であったわけで、そこには人間の理性や知性の及ばない、本質そのものがモロに露呈していたという事なのであろう。
人間の本質といえば、言うまでもなく生きることであり、生き抜くことであり、子孫を増やすことであり、自己の利益を最優先することであり、自己の欲望を最大限満たすことであり、人を踏みつけてでも自分が生き残ることである。
それを中国の民の13憶が日々繰り返しているということである。
ここで、人類の発明した学問は、そういう赤裸々な人間の本質、つまり人間が生まれ落ちた時から本質的に持っている、自然の感情、自然の摂理を、理性や知性で覆い隠してカモフラージュすることである。
人間がネコやイヌと同じように自然の欲求のまま行動していては、野生動物と同じなわけで、それでは万物の霊長としての估券に関わるので、理性と知性で以て、「自然界の自然のままの生き方ではないよ」、とアピールするのが学問という自己欺瞞の振る舞いだと思う。
人間、霊長類と称せられる人類が、野生動物と同じ行動パターンを呈していては、自然界に君臨する値打ちもない。
それで、尤もらしく「考える」という行為によって、自然界の動物とは行動パターンを異にすることが、学問と称する欺瞞行為である。
だから、学問を習得した人は、元の自然の摂理を超越した思考をすべきが本来の姿であるが、どうしても人間の意思が弱いが故に、自然の摂理に従う方が楽なので、楽な道を選択してしまい、そこを克服しきれずに引きもどされてしまう。
例えば、自分がトップで、自分を支えてくれるスタッフが大勢いたとして、自分のやり方を批判し、盾突き、苦言を呈する部下は、真にトップの事を思って言っているのだろうけれど、実際の感情としては小うるさくて、疎ましく思い、疎遠にしたくなるもので、結果としてゴマを摺ってすり寄ってくる部下を重宝したくなるというものだ。
人間の歴史はこの繰り返しなわけで、誰かがトップになっても何時の間にかその組織は崩壊して、又新しい組織が誕生し、そして崩壊して行くという繰り返しが人間の歴史だと思う。
その中で大きく後世に名を残す人の存在は、良きつけ悪しきにつけ、その連続性の中で特異な動きをなした人だと思う。
人類には脳の中で考えるという機能が備わっているので、自然界の動物とは行動が同じではなく、銘々の個々が、それぞれに物事を頭脳の中で考えるという行為が出来るので、本能のみで身の処し方をしているわけではない。
つまり、銘々の個々の人間は、自分達でリーダーを選択し、選択したリーダーに従うかどうかも、自分たちの銘々の脳で考えるので、個々の人間の動きは極めて複雑怪奇になるのである。
選択されたリーダーも、自分で考える能力が備わっているので、ついてくる者を如何に使って、自分の得になるように振舞うか知恵を絞るようになる。
それが統治するものとされるものという二極分化になるわけだが、人間の社会が未成熟の状態ならば、その大部分の人は、自分が如何に虐げられても、それを天の定めだと認識して、「世の中全てこんなもんだ」と了解している。
ところが此処で教育というものが進んで、他者の行動とか有り体を知るようになると、自分との比較において不平不満が出、個人の欲望を満たす欲求が強まり、自分たちは他者に虐げられ、差別され、搾取されているから自立しようという運動になってくる。
ところが、辛亥革命までの中国では、社会のリーダーは部族のリーダーが兼ねていて、部族の中の力のある者が他者を押さえつけて君臨し、専制君主で治まっていたが、近代化して社会が成熟して来ると、そういう専制君主では統治が成り立たず、人民の中から人民の為の統治を代行する者を選出することになったので、部族のトップであろうとも統治の手法を失ってしまったのである。
人民の中から自分達を統治する人間を選出するのだから、選出された方は統治権を人民から委嘱されるわけで、それはあたかも部族のトップが持つ統治権と極めて酷似していることになり、新しい部族の専制君主制となるのである。
基本的には人民から選出された統治者は、人民の為にこそ統治権を行使すべきであるが、この部分が案外難しくて、人民の為と言いつつ、自己の利益、自我の欲求に従順な施行という事も大いにありうる。
中国という国はアジア大陸の大部分を内包するような大きな国なので、ある地方のブロックごとに自治を認めて、合州国のような形態にすればよさそうに思うが、それをどうしても中央集権的な国にしようとするものだから、必然的に地方と中央で格差が生じてしまう。
そんなことは太古の昔から判っていそうだが、それがそうならないところが人間の愚かな所なのであろう。
人間の生き方は基本的に自然の摂理に則って、「猿の軍団」の在り方に酷似しているわけで、同族の中の力のある者が周囲のものを引き連れて生き続けるわけで、他の集団を認めてそれと連携して、双方が無理なく生存し続けるという発想は、長い歴史を引きづっている部族こそ、しにくい形態であろうと思う。
アメリカのように、新参者がお互いの利益と相互扶助を認める意識があれば、そういう理想郷が実現しえるが、悠久の歴史を抱えた種属では、過去の歴史が邪魔をして、そういう発想には至らないのが中国の現状だと考える。
何処まで行っても中央集権を追い求めるので、中央と辺境では格差が生まれるわけで、そこには当然のこと不満が鬱積して、流血の騒ぎに至るというのが定番である。
だが私に言わしめれば、悠久の歴史を誇る中国人が、アメリカや日本に留学するという事も実に不思議なことではなかろうか。
今、中国経済は陽の登るが如く隆盛を極めているが、その中で中国のオリジナルのものが何一つないという事は一体どういう事なのであろう。
偽ブランド品の横行、知的財産権の侵害などという事件は、中国にはオリジナリティーが一つもないということを示しているわけで、これは一体どういう事なのであろう。
人類の発明品の中で、羅針盤も、紙も、火薬も、中国の発明品と聞いているが、20世紀以降の文明開化の時代になると、そういう人類の生存に貢献するような発明品が一つも現れないという事は一体どういうことなのであろう。
日本と中国の関係で言えば、日本の文化は中国の川下に当たることは今更言うまでもないが、その川下に、上流の中国から何故に留学に来るのかと不思議でならない。
それは、あの時代の日本の近代化に幻惑された軽率な振る舞いであったわけで、あの時代の日本、明治維新を経て、日清・日露の戦いに勝つた日本の姿に、同じ日本人も、又アジアの諸国民、諸民族が幻惑されるのも無理ない話ではある。
だからこそ孫文も、周恩来も、蒋介石も日本に来たのであろうが、やはり彼らは大陸の人間で、日本の薄っぺらな繁栄の裏側にまで洞察力を効かせて、底の浅い好景気の本質を見抜いていたという事なのであろう。
私の意地の悪い見方で言えば、目先の利徳を追って日本に来てみたけれど、得るモノを得たら長居は無用と、火傷をする前に身を翻して、さらなるジャンプの機会を追って本国に帰ったという事だろうと思う。
人間というものを人類という大きな視点で眺めると、それぞれの地域に住むそれぞれの民族は、それぞれに特異性を持っていると思う。
それはある意味で当然のことであり、人として普遍的なことであるが、人の在り方として大きく「口舌の徒」と、物つくりの得意な人という分け方が成り立つと思う。
アジアの民は、基本的に、モノ作りとして体を動かすことよりも、皆でワイワイと、人の噂に華を咲かせて政治を司る方に価値を置いている。
漢民族でも、朝鮮民族でも、文武両道と言いつつ、文治の方に価値を置いているわけで、自分達を力で守るという方には価値を見出していない。
まして物を作る人には何の価値も見出さず、そういう事をする人はとして、奴隷並みの扱いでしかなかったわけで、この考え方がアジア大陸の大部分の民族には普遍的に広がっていた。
アジアの人々の気風としては、「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という比喩の中で、「駕籠の乗る人」にばかり注目されるが、如何なる社会でも、「駕籠を担ぐ人」がいなければならないし、「草鞋を作る人」がいなければ社会そのものが成り立たない。
この世に生まれ出た人は、全て、駕籠に乗る立場を羨望することは当然であるが、誰でも彼でもなれるものではない。
日本が明治維新を経て近代化に一歩先んじたのは、この「草鞋を作る人」の存在価値を自覚した点が大きなポイントになっていると思う。
最初に西洋の進んだ文物を見て、「あれと同じものを自分で作ってみよう」という発想が、その後の日本の近代化の底力として底流に流れていたと想像する。
中国や朝鮮では、物を作る人の価値を認めず、ものを作る行為を、や奴隷のする下等な仕事として、卑下し、軽蔑して、自らそれに取り組もうとしないので、近代化に立ち遅れたに違いない。
政治・統治という時、その具体的な仕事は、皆でより集まって、人の噂話や揚げ足取りに現をぬかして、ああでもないこうでもないと議論することであって、それこそ文字通り「口舌の徒」であるが、物つくりというのは自分のアイデアを自分の裁量で実践できるわけで、その過程がやっているものにしか分からない面白さがあると思う。
ところが「口舌の徒」にはその面白さが理解できないわけで、お互いの価値観は何処まで行っても平行線のままという事になる。
中国の共産革命でも、毛沢東も、周恩来も、物つくりの本質的な意義を知らなかったと思う。
だから近代化を推し進めるに際して、大きな失敗を経験して、その経験から学んだ部分は多々あろうが、失敗に伴う犠牲という事にまで思いが至っていないと思う。
最近の事例でも、高速鉄道が事故を起こしたら、その事故を起こした車両を地中に埋めて隠ぺいするなどという発想は、まさしく物つくりの精神を軽視する思考そのものではないか。
失敗の原因を究明して、それを明日への教訓に生かすという思考に至っていないわけで、それでは未来の展望は期待できない。
モグラ叩きの原理と同じで、頭を出しかけたモグラは次から次へと叩くが、叩き続けているうちに時間が経過して、旧態依然のままの状態が何時までも続く、という事なのであろう。
今日の中国は経済成長が目覚ましい、その目覚ましい繁栄の裏側に何が隠れているかが問題だ。
この経済成長が偽ブランド品と知的財産の侵害で成り立っているとしたら、我々はそれをどう考えるべきなのでなのであろう。