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ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「つながる読書術」

2011-12-22 17:22:08 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「つながる読書術」という本を読んだ。
著者は日高隆氏であるが、知らない人なのでウキぺディアで検索してみた。
本文中にもちらりと述べられていたが、本人は学生時代は学生自治会の先鋭的な闘士であったようで、私とは対極の思考の持ち主にように察しられた。
いわゆる全共闘世代のシーラカンスのようなものではないかと勝手に想像している。
若い時には共産主義に傾倒して、ユートピアに憧れを抱き、風車に立ち向かうドンキホーテを演じていたということであろうが、その残滓が完全に消え失せてはいないように見える。
若い時にある特殊な思考に身も心もささげたという実績は、そう簡単に消え去るものではないようだ。
私自身の体験からしても、若い時の5年間の自衛隊生活というのは今に至っても自分自身の心の糧として息づいているわけで、それと同じことがこの著者についても言えていると思う。
若い時に精神の襞に沁み込んだ左翼思想、既存の体制に対する批判精神というのは、いくら歳月を経ても完全に転向出来るものではない筈である。
それが彼の文章の端はしに滲み出ている。
しかし、私が驚いたのは、彼は年間600万円も本を買うという事だが、ウキぺディアの説明のニュアンスから察すると、どうも彼には虚言癖があるようなイメージを抱かざるを得ない。
「年間600万円も本を買う」という本人の言葉が真実かどうかはさておいても、600万という数字は、中国の白髪3千丈という類の誇張した言辞ではないかと思うが、それはともかくとして多額の本代を払っているという事は真実であろう。
本文の後半部分で、「図書館については良い印象を持っていない」という本人の弁は、正直な本音の言い分だと思う。
図書館の愛好者である私自身は、自分自身の立ち位置が、作家や出版社にとっては疎ましい存在に違いないという危惧は持っている。
私は近年、自分の金で本を買った記憶がない。
本は数え切れないほど読むが、自分で金を出して買った本は一冊もないわけで、全部図書館で借りてきた本なので、作家や出版社には申し訳ない気持ちでいる。
そして、本を読むという行為は、私にとっては遊びの部分であり、社会貢献の一部分でもある自分史の発行に関しても、出版社に委ねることをせず、全部自分達で編集、校正、印刷、製本をメンバーのボランテイアー活動でしてしまっているので、出版社の儲け口を与えていないという意味で、これも出版社に対して申し訳ない気がしている。
自分史の出版を自分達の仲間内で自主制作してしまっているので、出版社としては商売を取られたようなもので、申し訳ないという思いがしている。
事ほど左様に私は、本を読むことに関しては公共の福祉に頼っているので、本屋さんや出版社に対しては申し訳ない気で一杯である。
この本の著者と私では20年の年齢差があるが、これだけ年齢差があると、書く文章にも隔世の差が出来てきて、大いなる違和感を感じずにはおれない。
我々のような凡庸な人間にとっては、本を読むという事は普通の人がパチンコをしたり、麻雀をしたり、カラオケをするのと同じようなもので、心の慰めでしかない。
そういう意味からして読書が知識の源泉という位置付けではないので、それが紙の媒体であろうが、デジタル信号という媒体であろうが、活字を追い求め、如何に記憶にとどめておくかという問題は、2次的なことである。
基本的に、教養というのは一度記憶に留めた知識を如何に表現化するかという事だと思うが、彼の場合、貯め込んだ知識を再披瀝することで、それを金儲けに繋げているわけで、その意味では確かに「つながる読書」であった。
ところが私の場合の読書はあくまでも遊びなわけで、最初から金儲けなど眼中にないわけだから、その意味で自由闊達に対象を選択できる。
私も出来れば自分の読みたい本を自分の金で購入して、読んだ後は自分の本棚に並べて、それを眺めて悦にいった気分でいたいのは山々だが、なにしろ貧乏なのでそういう余裕がないだけの話である。
金は無くとも本は読みたいわけで、それがため図書館に走るということになるのであるが、この図書館というのが解放され過ぎている感がする。
若い母親が赤ん坊同伴で来るのはまだ許せるが、ホームレスがあの汚い服装のままで椅子を占拠し居眠りしている図は何とも言いようの無い不快感を覚える。
ホームレスに「図書館に来るな」とも言えないように思う。
しかし、普通の市民からすれば、薄汚いホームレスが使ったスペースを、後から使うという事はやはり気分的に嫌なものだと思う。
図書館というものが公共施設として誰でもが差別なく利用できるという制度を逆手にとって、ホームレスの安楽の場所となっては、納税者としては甚だ困る事だと思う。
ホームレスの立場からすれば、無料で使える冷暖房完備の施設なわけで、本を一冊でも膝元に置いておけば1日中幸せな気分で居れるに違いない。
赤ん坊同伴の母親の入館ということも、私達が若かった頃にはあまり見かけなかった光景だと思う。
こちらの方は、それこそ行政サイドが入館を拒否することもできないわけで、ある意味で究極の民主主義社会でもあるということになる。
図書館から本を借りて読むという行為は、基本的には貧乏人の発想であり、思考であるが、図書館の利用の仕方を見ると、まさしくその通りの浅ましい利用の仕方をする人がいるものだ。
私の利用している図書館では1枚のカードで一人10冊まで借りれるらしい。
私は一度に10冊も借りても、期限内に読み切れないと思うので、そんなに極端なことはしない。
しかし、若い母親と思しき人達が、外車で乗り付けて、目一杯の10冊を借りて、他人のカードでも目一杯借りて、大きな袋に入れて抱えて帰っていくが、ああいう姿を見ると、人間のあさましさ、さもしさを目の当たりにした思いがする。
外車を乗り回すほどの余裕があれば、「本ぐらい自分の金で買え」と言いたくなるが、車に掛ける金はあっても本に掛ける金は無い、という現実なわけで、これはそのままその人の教養のありのままの姿ということであろう。
本を読むという行為は、様々な欲望を満たす手段としての行為であることは間違いないわけで、知識を増やすという動機もその一つではあるが、それのみではない。
読書が娯楽という人もいるわけで、こういう人たちにとっての読書というのは浪費以外の何ものでもない。お金の浪費、時間の浪費、努力の浪費、スペースの浪費、等々、本を読むという行為そのものが浪費そのものなわけで、出版界としてはこういう顧客を開拓しなければ、出版界そのものが尻すぼみになることは当然の帰結である。
本を読むという浪費を促進するツールとして、デジタル機器が登場してきたわけで、こういうモノの出現は、時代の趨勢であって、避けようがない。
ならば出版界も読者の側も、新しい機器に如何に対応するか、と知恵を絞らざるを得ないのは当然の成り行きである。
この著者は、国会図書館が蔵書の全てをデジタル化することに一抹の危機感を抱いているが、これも時代の趨勢と見做さなければならない。
18世紀から19世紀に起きた産業革命は、従来の価値観を根底から覆してしまったが、20世紀末から21世紀初頭のデジタル革命も、この世の価値観を根底から覆してしまった。
こういう場合、我々日本人の発想だと、「時代の趨勢に乗り遅れた人を救済しなければならない」と偽善ぶった議論が出てくることが最大の問題である。
「乗り遅れた人は、自分で這い上がれ」という発想には至らないのである。
時代の趨勢に乗り遅れた人は、自己責任で乗り遅れたのであって、自分の未来予測が間違っていたか、油断していたか、怠けていたから乗り遅れたわけで、こういう発想をすると、我々の同胞は極めて嫌な顔をするが、この民族性が日本を腑抜けにするバックボーンだと思う。
戦後の復興がなって、日本にモーターリゼーションの波が押し寄せて来た時、「車は走る凶器と化すから利用しない」という人は、自分の未来予測に自分で蓋をして、交通事故の増加傾向を同胞の付和雷同性の所為にして自分を弁護していたが、これと同じことが産業革命や知識のデジタル化についても言える。
私のように、後期高齢者と言われる世代になると、さすがに電子機器を使いこなすには頭脳がついてこれないが、ゆっくり使う分にはできないこともない。
しかし、こういう世代はもう先行きが短いのは自明のことなわけで、新しいデジタル機器に挑戦するよりも、従来の紙の媒体に頼った方が楽なことは当然である。
これこそが時代の趨勢に乗り遅れる最大の理由なわけで、デジタル・ディバイスそのものだと思う。
この本の言うところによると、今、日本では年間8万冊の本が出ているそうだが、いくら国会図書館が蔵書のデジタル化を進めても、全てをデジタル化することは並大抵ではない筈である。
この数字。年間8万冊の本が出版されるとすると、書く側の人も8万人以上おり、それに輪を掛けて読む人がいることになるが、果たして本当にそんなに本を読む人が居るものだろうか。
私は自分では殆ど本を買わないが、図書館に行ったり、大型書店を覗く度にいつも思う事は、一体これだけの本を読む人が果たして本当に居るのだろうかと、不思議で不思議でならない。
出版業界の裏事情等私が知る由もないが、返品も数多くあるという事は聞き及んでいる。
ところが、一度、本としてできたものを返品するという事は、普通の商品ならば根源的なミスなわけで、商品として価値のない物を売ろうとしたという事ではないかと思う。
だとするならば、その本を出版しようと考えた企画立案者や出版のゴウサインを出した人は、そのミスの責任を負わなければならないと思う。
そういう事を考えれば、この資本主義尾社会の中での出版業界の在り方というのは当然のこと売れる本を出すという単純な結論に帰着する。
本として売れる条件というのは当然のこと、著者の知名度に大きく影響されるわけで、知名度の高い人の本ならば消費者も買ってくれるが、知名度がなければリスクは大きくなるということっである。
よってゴーストライターの出現ということになるのであろうが、軽い内容の本ならば、それはそれで由とすべきだと思う。
出版業界のみならず、エンターテイメントの世界でも同じであるが、日本の内側といわず世界的にも数限りない賞が設けられて、年に一回表彰式が執り行われているが、これも基本的には出版界や映画界において、作品に大いなる付加価値を付けるための仕掛けに過ぎないと思う。
優秀な作品を顕彰するという大義名分は、如何に作品を消費者に買わせるかという、商売のテクニックをカモフラージュする煙幕に過ぎず、何ナニ賞受賞作品という付加価値を高めて、その作品を消費者に買わせようという魂胆だとにらむ。
ただ、そういう著名な賞を受賞した作品だから、内容もそれに応じた価値があるかというと、これは甚だ難しいわけで、作品の良さというのは読む側に認定権があるわけで、人が良いと言ったから自分も必ずそれが良いとは思えないものも数多くある筈だ。
そもそも人が書いた作品を、良い悪いと評価すること自体おこがましい言い分だと思う。
自分の感性に「合うか合わないか」という見方ならば成り立つであろうが、「良い悪い」という評価はあり得ないと思う。
ある人が一生懸命書いた作品を他者が読んで「良い悪い」という評価をすることは余りにもおこがましく傲慢な態度だと思う。
自分の感性に「マッチするしない」、あるいは自分にとって「面白かったかそうでないか」という評価が言えるが、「良い悪い」という評価をするには、評価する側にそれだけの器量があるかどうかが問題だと思う。

「シベリア神話の旅」

2011-12-20 18:03:32 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「シベリア神話の旅」という本を読んだ。
図書館に本を返却に行ってふと新刊書のコーナーを見ると購入したばかりの本が並んでいたので、その中から選んで借りて来た。
表紙にシベリア鉄道の列車の写真があったので、ついつい衝動的に手が出てしまったが、家でゆっくり読み始めて見ると、さっぱり面白くなかった。
しかし、そう思いながらも最後まで読んでしまたった、という事は結構おもしろかったのかもしれない。
要するにシベリアの民話を集めたものであって、民話であるから荒唐無稽な話ばかりで、読んでいても面白くないと感じたに違いない。
ところがシベリア各地で採取した民話の内容にはいささか興ざめな部分があるが、問題は、それを語る側の人々の存在がどうにも不可解に見える。
今の中国は50近い民族を内包していると言われているが、シベリアにもそれと同じような状況があるらしく、シベリア各地にいる土着の人々は、それぞれに民族が違っているようだ。
私の認識では、シベリアに居る土着の民族は、朝鮮族ぐらいしか思いつかないが、どうしてどうして全然違う民族がそれぞれの地域に散らばって生きたようだ。
私の関心は、そういう人々がロシア革命と、その後の第二次世界大戦から冷戦の時代をどういう風に生き抜いてきたか、という方が興味の対象になる。
ところが、そういう人々の根も葉もないうわさ話の類としての民話は集められているが、そういう人々の生の生活体験というのは一言も述べられていない。
表紙のシベリア鉄道の列車の写真を見ても、この鉄道の存在は恐らく彼らの生活に何らかの影響は与えたと想像するが、そういう話には一言も言及していない。
幼児に聞かせるおとぎ話のようなものに、知のシーラカンスが興味を持つわけがない。
こういう現住民に対して、ロシア革命の成した影響、大二次世界大戦で、ヨーロッパ戦線から中国東北部に戦力を移した時に、現地人は如何なる影響下に置かれたか、という現実の問題には大いに興味があるが、私にとって民俗学の昔話などに興味が湧く筈もない。
シベリアという地域は、ロシアにとってはどこまでも未開地なわけで、そこを如何に開発するかはロシアの抱えている根本的な命題の筈で、旧ソビエット連邦の時、ソ連に体制下で、これらの諸民族は如何に生かされていたのかが最大の関心事である。
こういう民族は中国には50もあると聞き及んでいるが、アメリカではネイテイブ・アメリカンと称して、本来は大威張りで大地に君臨できたものが今では居留地というエリアに押し込められた形になっている。
アマゾンの奥地には今でも文字や火を持たない未開人がいると聞き及んでいるが、こういう現実をどういう風に捉えたらいいのであろう。
アフリカの奥地では新しい国家が次から次へと誕生しているが、その大部分は、こういう未開な諸族の未熟な国家建設なわけで、当然未開なるが故に不要な殺傷が数限りなく起きているという事だと考える。
そういう諍いが日常化していると思うが、彼ら自身、人間の命の尊さに無関心だし、人権についての意識が希薄なので、無益な殺生にも鈍感である。
そういう未開な民族の中に近代文明は何の前触れや予兆もなく浸透して行くわけで、此処で価値観の格差や、民主化という概念のアンバランスが生じるわけで、そういう結果として無用な殺傷が必然的に起きると言うことになるのであろう。
未開な民族が精神的に未開なまま文明の利器に触れると、物質文明の間違った使われ方が行われ、そのことによって、それこそ無用な摩擦が生じると思う。
その格好の例が、イラクやイランというアラブ諸国と西洋先進国の文化の衝突となっている例である。
アラブ人がアメリカに反感を持つのは、自分達の怠惰を棚に上げて、アメリカの物質文明の進化に怨嗟の気持を抱いているわけで、これは生き方の違いの問題であり、価値観の違いであるわけで、アメリカが空からドル紙幣をばら撒けば是正されるという話ではない。
そういう事が、このシベリアの現住民とロシア人の間にあるのではないかと思うのだが、そういう話は一言も出ず、ただの子供騙しのうわさ話、昔話、年寄りのくりごとのような話を読んでも、私としては面白くもなければおかしくもない。
しかし、こういう人々は、物質文明とは無縁のところに住んでいるわけで、欲望というのもそれに応じて少なく小さいので、彼ら自身は幸せな人生を送っていると言えるかもしれない。
快適な家も、豪華な車も、便利なテレビも、機能的に優れたパソコンも、最初からその存在すら知らなければ、そういうモノを欲しいという欲望も起きないわけで、日暮れ腹ヘリの、ごくごく自然な営みの中で心安らかに生きれるとも言える。
我々は文明の利器に取り囲まれて、見るもの聞くもの、皆自分のものにしたいという欲望に突き動かされて、あくせく働いているだけで、そういう衝動に突き動かされなければ、極めて心穏やかに、自然のままに、生を維持できるに違いない。
どちらが真の人間の幸せかは本人の選択次第だろうと思う。

「ナチを欺いた死体」

2011-12-16 18:10:24 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「ナチを欺いた死体」という本を読んだ。
いつものように借りた本を返却しに行って、ふと新刊書のコーナーを見ると、購入したばかりの本が並んでいる中にあった。
相当に分厚く重厚な本であったが、まだ誰の手垢もついていない新品の本で、読み始めると面白くて止まらなくなってしまい、家内が用があって呼んでも聞こえなかったので、てんやわんやの大喧嘩になってしまった。
それほど熱中して読み耽った。
ヨーロッパにおける第2次世界大戦において、枢軸側が破竹の勢いでヨーロッパ東部に攻め入ったが、その中で連合軍側、特にアメリカとイギリスは、地中海側からヨーロッパに攻め入ろうと考えていた。
ドイツ、イタリアという枢軸側がアフリカ戦線で連合軍側におされぎみで、アフリカに地歩を維持できなくなったころ合いを見計らって、連合軍側はアフリカからヨーロッパに攻め入るコースを必然的にとっていた。
そういうコースは有史以来何度も例があるわけで、その中でも普遍的な手法は、シチリアを占領支配して、そこを足掛かりとしてヨーロッパ本土に攻め入る、というコースが有史以来の人類の普遍的な原則であったようだ。
人類の普遍的な原則であるからには、誰が考えてもそういうコースになるわけで、枢軸側も連合軍側も、発想は同じになっていた。
シチリア島の重要性は枢軸側も連合軍側もその時点では同じであったが、そこを現実的にはドイツが占領中で、ドイツはその普遍的な価値観に基づいて、そこの防備を強化していた。
連合軍側も、地中海からヨーロッパに攻め入るにはそこにあるシチリア島を足場にしなければならないので、そこを自ら占領すべく画策したわけで、その為に考えられたドイツ欺瞞作戦がこの「ミンスミ―ト作戦」という欺瞞工作であった、いう事だ。
シチリア島に上陸して、橋頭堡を作りたい連合軍側は、この地のドイツ軍の兵力をできるだけ殺ぎたいわけで、その為に偽情報を流して、連合軍はギリシャと地中海西部への上陸を画策している、とドイツ軍に思い込ませたわけである。
ドイツ軍側に対して、連合軍はギリシャと地中海西部に上陸するから、そちらの兵力を強化すべくシチリアの兵力をそちらに回すように仕向け、騙したわけである。
その為に、浮浪者の死体に軍服を着せて、偽の命令書を持たせてスペインの沖合で流したのである。
当然のこと、その偽の命令書がドイツ軍の目に留まって、ドイツが連合軍の動きを察知したと思わせるべく、細心の注意が払われたわけで、その過程が縷々記述されているので、その部分が並みの推理小説よりも格段に面白かった。
人を騙すという行為は、我々の知性からすると、人間のシテはいけない行為の筆頭に来ることであって、普通の社会人の倫理感ではシテはならない最たるものである。
ところが、人を騙すという行為は馬鹿では出来ないことで、非常にち密な頭脳労働を要する行為であって、究極の頭の良さが求められる。
こういう行為を我々日本人は詐欺という言い方で糾弾しがちであるが、この詐欺という立ち居振る舞いに対しても、我々日本人とアメリカやヨーロッパ人のようなキリスト教文化圏の人では発想の元の所から考え方に相違があるように思う。
昔、アメリカ映画で『ステイング』というのがあって、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが共演する詐欺師の話であったが、この映画もメチャメチャ面白かった。
架空の場外馬券売り場を作って、ギャングの親分から架空の競馬で大金を撒き上げるという痛快極まりない話であったが、この中でも詐欺を悪い事だという認識に立っておらず、騙される方がバカだ、という認識に立ってストーリーが展開している。
我々の卑近な例で詐欺と言えば、あのオレオレ詐欺が身近な例であるが、これに対する普通の人々の普通の反応は、引っ掛からないように被害者の立場に立って、被害の出ないようにという発想であって、騙された人が可哀そうだという認識である。
ここでは「騙された方がバカだ」という認識は微塵もないわけで、騙された人は気の毒だ、可哀そうだという被害者意識のみが顕著で、騙した側が如何に悧巧だったかという視点は全く見られない。
オレオレ詐欺とは次元の違う話であるが、以前、香港へツアー旅行した時、いかがわしい土産物屋に連れていかれて、そこでロレックスの時計を買った。
日本に着いた時にはもう動かなかったが、明らかにインチキ商品であったにも拘らず、私が知らぬ振りして買ってやったのは、相手に対するサービスのつもりであった。
ツアーで極めて安い料金で香港旅行ができるのは、こういう商売屋がツアー会社と組んで、客を融通し合いをしているからと考えたので、わざと騙されてやったわけで、最初から偽物だと承知で買ったので惜しくもない。
究極の偽物として今でもそのまがい物のロレックスは記念に取ってある。
人を騙す行為は、人倫も執る卑劣な行為であって、普通の社会的な倫理観としてはもっともなことで、それが許される行為という事はあり得ず、犯罪として扱われるのももっともな事ではある。
この本で描かれていることは、全て謀略という言葉で言い表せるが、国と国、或いは民族と民族が戦争を極限まで回避しようとすれば、最後は相互の謀略を張り巡らすということになるのではなかろうか。
外交交渉というと聞こえがいいが、要するにこれは謀略の一環なわけで、お互いの国益を賭けて話し合いをしているわけで、何処かで妥協すれば、その妥協に見合うだけの目に見えない利害があるからこそ妥協案を呑むわけで、そうそう聖人君子の腹蔵の無い話し合いなどというものはないと思う。
そういう意味で、我々は西洋列強と様々な駆け引きを経て今日に及んでいるが、その分、あらゆる場面で彼らの術中に嵌っている部分があるのではなかろうか。
この本の内容も、完全に成功した例なので、戦後、公開されたが、こういう謀略をそのまま公開する行為はお互いの利害得失が付いて回るわけで、そうそう何でもかんでも公開されているわけではないと思う。
この事例を見ても、我々、日本民族というのは、こういう謀略には極めて稚拙で、戦時中に関東軍の起こした様々な謀略も、全てネタばれしてしまっている。
ネタがばれてしまうような謀略では、謀略の意味を成さない。
ただの犯罪に過ぎず、そのただの犯罪を普通の犯罪としてきちんと処理しなかった所が、昭和の時代の奇態な部分で、それが高じて日本は焼土と化してしまったという事だと思う。
こういう事は我々、日本民族は基本的に不得意で、我々は正面から「やあやあ我こそは何の誰べえの家臣の……」というように、大音上で名乗りを上げての公明正大な正攻法しか価値を置いていないわけで、これは極めて小児的な正義感としか言いようがない。
しかし、この謀略の話は実に面白い。
一人の浮浪者の死体に、イギリスの高級将校の服を着せて、偽命令書を持たせて海に流し、ドイツ軍の兵力の軽重を動かしてしまったという事だ。
それにイギリス政府も秘密裏に協力し、ドイツ軍がまんまと騙されてしまうということは、連合軍側も枢軸側も、組織が組織として実に円滑に機能していたということでもある。
情報が伝達ゲームのように途中で歪曲されることもなく、そのままドイツの作戦本部の上層部まで、脚色されることもないまま、上がっていってしまったということである。
この時代の連合軍と枢軸側のスパイ合戦というのも実にすさまじいものではなかったかと思う。
スパイと二重スパイを上手に使いこなす、使い切るという発想は、我々日本人には思いもつかない発想であろうと思う。
我々は敵のスパイを見つけたならば、その場であっさり抹殺して、それで良しとしてしまうが、捕獲したスパイを自分達で使うということは、我々の思考では思いつかない発想である。
日本におけるスパイといえば、当然のこと、リヒアルト・ゾルゲであるが、あのゾルゲを上手に使い切れば、たった1週間の参戦で北方領土をソ連に取られることもなかったかもしれない。
ゾルゲを使い切るという意味は、ゾルゲを日本側に転向させてソ連の情報を得るという意味ではなく、ゾルゲに偽情報を掴ませて、ソ連をして8月15日過ぎまで日ソ不可侵条約を守らせるという意味でのことである。
しかし、このリヒアルト・ゾルゲの存在は、あの第2次世界大戦に今までの評価以上に大きなものがあったかもしれない。
ゾルゲはスターリンからはあまり評価されていなかったようだが、スターリンがヨーロッパ戦線で勝利を得た背景には、ゾルゲの送った情報が大きなウエイトを占めていたのではなかろうか。
ゾルゲの嗅ぎつけた「日本は南に出る」という情報があったればこそ、ソ連はヨーロッパ戦線に大きな兵力を集めることが出来たわけで、この情報がなければソ連は自分の国の東と西に兵力を分けねばならず、ヨーロッパの勝利という事はあり得なかったに違いない。
ヨーロッパで勝利を治めておいて、即刻、その兵力を全部東に回して、戦線が整った段階で日本に対して宣戦布告をしてきたわけで、これも突き詰めれば究極の謀略でもあったと考えられる。
その意味ではこの本に述べられているミンスミート作戦と同じレベルの功績があったに違いない。
もっとも国際条約を破る、同盟関係を破るというのは、国際政治・外交の中では普通のことで、条約を結んだから安心だ、同盟を取り付けたから安心だ、というのは余りにも無知に等しい。
ソ連という立場に立ってみると、リヒアルト・ゾルゲのソ連に対する貢献は実に大きなものがあったように見える。
ここで私としては尾崎秀美の存在が大きくクローズアップされるわけで、彼は何故に祖国を売ったのであろう。
ゾルゲの功績は尾崎秀美あってのもので、彼は何故に自分の祖国を共産主義国のソビエット連邦共和国に売って、スターリンに媚びを売ったのであろう。
それほど彼は自分の肉親や、友人や、同僚や、親戚縁者や、政府或いは軍人、その他自分の同胞が嫌いだったのだろうか。
私の勝手な推測としては、尾崎秀美という人物は、共産主義体制のソビエット連邦の実態を知らずに、それこそ敵の実態を知らないまま、ただ単に共産主義という理想を夢見て、そのユートピアの建設にあこがれていただけに人物ではないかとさえ思えてくる。
国を売って金を得るという発想は、我々日本民族に限っては、尾崎秀美以外に出てこないであろうと思う。
スパイという事を考えて見ると、ヨーロパではスパイというのは普遍的に存在するわけで、イギリスでもドイツでもソ連のスパイが政府の組織の相当な高位な部分にまで浸透しているが、こういう祖国の利害を敵側に売り渡す行為、祖国のために敵側の情報を探り出す行為、というものに対する思いというのは一体どうなっているのであろう。
単純に想像すれば、自分さえ良ければ人の事など知ったことではない、という事かも知れないが、自分が生きるという事をそんな風に捉えることが可能なのであろうか。
この本に出てくる、騙す側も騙される側も、決して個人の私利私欲で罠に嵌ったわけではなく、祖国のために良かれと思ったが故に騙し、騙されたわけであって、それはスパイの発想とは、また別のものである。
謀略を仕掛ける側は、それによって自分達のコストを最小限にすることが目的であって、最小のコストで最大の効果を引き出すべく知恵を絞るわけで、この知恵で勝負するという発想は、我々には極めてなじみの薄い概念ではないかと思う。
「孫氏の兵法」を引き出すまでもなく、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というのは古今東西変わることのない真理だと思うが、我々は「敵を知る」という事すら受け入れようとせず、敵の真の実態を知れば知るほど、現実から離れた自分達の思い込みを募らせるだけで、合理的な思考から遠のいてしまう。
先に述べた尾崎秀美にしても、ソ連の実態を熟知したうえでゾルゲに協力したわけではなく、ソ連の事態は知らないまま自己中心的な思い込みで協力したとすれば、アメリカの実態を知らないままイケイケドンドンと唱えていた軍国主義者と全く遜色ないという事が言える。
これは一体どういう事なのであろう。
日本とアメリカと対比して眺めた時、どこをどうとっても日本に勝ち目は無かったのに戦争に嵌り込んだ経緯は一体どういう事なのであろう。
日中戦争から対米戦に至るまで、我々の民族は謀略という事とはまったく無縁な正攻法のみであったわけで、スパイの暗躍する場もなかったという事だ。
詐欺、或いは謀略という発想が成り立たないという事は、我が民族は思考が極めて単純で、騙しのテクニクというものが処世術として成り立っていないと言うことだと考えざるを得ない。
戦後に起きた不可解な事件で、下山事件とか、三鷹事件、松川事件というのは旧国鉄がらみの事件であって、共に共産党員が関与しているのではないかと言われている。
ところが、その確証は無いわけで、そのことから推察して、あれはGHQが行ったのではないかと私自身は考える。
共産主義者であろうとも日本人であるからには、あれほど緻密に事件を固めれなくて、何処かでネタがばれそうでならないが、そうでないところを勘案すると、ああいう事件は、キリスト教文化圏の人達の発想でない事にはあり得ないような気が。
日本の昔の関東軍の起こした事件は、発生の時から既にネタばれしているわけで、我々の考える謀略は如何に下手で杜撰かという事を如実に露呈している。
それに比べ、真犯人がこれほど判らないような事件は、我々の発想からは生まれないような気がする。
人間のモノの考え方というのは、そのモノの環境に大きく支配されると私は考える。
東洋では、特にアジア大陸で支配的な思考は儒教思想で、これは「年上のものを敬いなさい、3尺下がって師の影を踏むな」という教えに代表されるように、年長者に従順であることを強調して説いているが、これでは文化文明の進歩は阻害される。
若者が年老いたものの思考を踏み越えて前に進むから文化文明が進化するわけで、それを否定する思考では進化はあり得ない。
それが近世には見事に現れているではないか。
西洋のキリスト教文化圏では、個人という資格で老いも若いも同じ条件下でものを考えることが許されていたが、儒教世界のアジアでは、年寄りを敬う余り、老害が顕著に出て、進歩が阻害されたではないか。
詐欺とか謀略を嫌悪する我々の民族の純朴性は、アジアの民には案外理解されずに、アジアの民、いわゆるモンゴロイド系の人々は、上から熾烈な支配には案外柔軟に対応しうるが、同じモンゴロイドの日本人から親切にされると、今まで人から親切にされたことがないので、その親切という事が理解不能になっているようである。
満州国を建国するについては、下手な謀略で一気呵成に建国にまで持って行ったけれど、我々の理念はあくまでも五族共和であり、王道楽土であったわけだが、こういう綺麗ごとは相手に通用しなかったという事だ。
相手からすれば、日本のスタンドプレーで、日本は満州国を踏み台にして搾取抑圧する、というイメージでしかなかったわけである。
そもそもアジアのモンゴロイドの間には、西洋の紅毛碧眼の人々はまさしくエイリアンに等しく、最初から人間ではないという認識で接している節があるが、これが同じモンゴロイド系の日本人だと、大陸の文化の川下にある倭の国、野蛮人の国というイメージで見るものだから、極めて横柄な態度にもなるのである。
本来、日本に対して横柄で、上位に立ったもの言いがしたいところが、軍事的なパワーでは太刀打ちできないので、そこで彼らもジレンマに陥り、対応が対処療法になってしまったのである。
元々、我々は人を騙すということを、人にあるまじき卑劣な行為という価値観があるので、常に正攻法で立ち向かってしまう。
正攻法で、最初から本音をぶつけるので、逆に相手の反応も大きなものになってしまいがちである。
アメリカサイドでは対日戦に関して、日本が日露戦争で勝利した時点からすでに日米開戦があることを想定して、オレンジ作戦と称するマニュアルを作って、毎年そのマニュアルを時世に合せて修正していたと言われている。
それに引き換え日本の対米戦の対応は、開戦の間際の間際まで、すべきかすべきでないか迷っていたわけで、謀略などの入り込む隙間など微塵もなかったことになる。
それに引き換え、戦後の我々の同胞の中では、戦争という事を机上で論ずるだけでも、それを軍国主義の復活と捉えて糾弾したがる人士がいるが、これは一体どういう事なのであろう。
スパイがスパイとして、自衛隊の配置を他の国に渡して、それなりに金を受け取るというのであれば、それはそれなり違法、或いは非合法であったとしても納得出来る話ではある。
しかし、そうではなくて自分は非日本人として、非日本人の発想を臆面もなく日本という国の中で吹聴しまくって、それで以て糊塗を凌ぐという点が鼻持ちならない。
自分達の国を自分達で守ろうと言うと、それを軍国主義と決めつけるわけで、中国や韓国、はたまた北朝鮮が日本の主権を侵すと、「日本政府の対応が悪い」という言い草を呈するわけで、そう言いつつ日本という国でのうのうと生きているという事は一体どういう事なのであろう。

「ダイヤグラムで広がる鉄の世界」

2011-12-11 09:11:04 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「ダイヤグラムで広がる鉄の世界」という本を読んだ。
我々の世代にとっては、この標題の『鉄の世界』という表現には少々違和感を覚えずにはおれない。
『鉄の世界』という意味は鉄道ファンの世界という意味で、鉄道フアンを『鉄』と省略していう部分が、我々世代には面白くない。
鉄道フアンならばきちんと「鉄道フアン」と全部声に出したとしても、何ら不具合はないわけで、それと『鉄』と縮めて表現したとしてどんなメリットがあるのであろう。
言葉の乱れというのは何も我々日本人だけの問題ではなさそうで、地球上の如何なる民族も、如何なる国家も、大なり小なり言語の乱れという問題は抱え込んでいると思う。
言語が人々のコミニケーションのツールである限り、伝言ゲームのように、意識するしないに関わらず、意図するしないに関わらず、少しずつ変化することは避けられないと思う。
それはそれで仕方がないが、我々の場合、故意に業界用語を使って粋がる傾向があって、この本の場合もで、鉄道フアンと真面目に言うよりも「鉄」と省略して表現した方が何となく一般人から注意を引く狙いが見え見え見えな部分がある。
そういう愚痴はさておいて、如何なる業界でも、その業界の事を深く深く掘り下げて行くと実に面白い。
ただそれは個人の好奇心を満たすにすぎないことであったとしても、好奇心の人一倍強い人にとっては、あらゆる業界を深く広く知ることは、興味の尽きない無限の魅力に満ちた世界だと思う。
鉄道と言えば、地球上のあらゆる子供が、特に男の子であればなおさら蒸気機関車の運転手にあこがれるのが普通の幼児体験ではないかと思う。
普通の男の子に「大きくなったら何になりたい?」と聞けば、大方の子供ならば蒸気機関車の運転手や、飛行機のパイロットというのが我々世代の幼児の普通の思考であった筈である。
そういう意味で鉄道会社の社員でなくとも、鉄道に興味を持っている人は、この世には一杯いるわけで、その鉄道趣味人の中にも様々な態様があるみたいだ。
ただただ列車に乗って喜んでいる人、列車の写真を撮るために全国を走り廻っている人、模型を作って喜んでいる人など、様々な人が鉄道というものを趣味としているのが現状だと思う。
私は、そういう趣味人とも一味違った意識であって、鉄道という業界の裏表を深く広く知りたいと言う、ただただ基本的な好奇心に押されて、知識の幅を広げたいというだけである。
このダイヤグラムという言葉も、随分前から知っていて、実物も見た事があるが、それを見ても鉄道会社の運転手か車掌さんぐらいしかその意味を理解できないのではないかとさえ思う。
鉄道マニアの人ならば常識であろうが、門外漢にとっては何の意味もない代物だと思う。
ダイヤグラムのみならず、マニアにとっては鉄道に関するものならば何でも好奇心を刺激するであろうが、鉄道の業界そのものがマニアにとっての垂涎の的である。
そういう意味で鉄道業界に就職する人も大勢いるであろうが、鉄道の業界も極めて裾野の広い業界なわけで、皆が皆自分の望み通りのポジションを得たわけでもなかろうと思う。
昨今は少子化でもあり、不況でもあって、若い人の就職難というのは慢性化しているが、若い人がなかなか職業に就けない背景には、そういう人達が結構選り好みしているケースが多々あるように見える。
新しい職を得るについて、誰でも楽でペイが良くて、休暇を好きなだけ自由に取得できるような職場が良い事は判り切っている。
しかし、そんなに自分にとって都合のいい職場など、そうそうあるものではなくサラリーマンの大部分は不本意ながら職についても、その職で一生懸命仕事を続けているうちに、その仕事に愛着が湧き、要領も得、面白さもわかってくるわけで、最初から自分に適した仕事等そうそうあるものではない。
若者が自分に適した仕事が見つかるまでアルバイトで食いつなぐ、などという事は怠惰の典型的な例であって、適していようがいまいが、目の前の仕事に精一杯ぶち当たって、打ちのめされるまで挑戦してみて始めて若者だと思う。
若者がある意味で「迷える羊」であることは、人生の経験が少ないという意味で当然なことではあるが、そういう若者にアドバイスすべき立場の人達、例えば学校の先生とか、就職指導の人とか、大学の教授とかが、若者におもねって、本音を言わずに、耳触りのいい無責任な方便をいって言い子ぶった言辞を弄するから若者がその気になってしまうのである。
この世に自分の天職などというものがそうそうあるものではない。
最初は少々気が進まなくても、その仕事に一生懸命打ち込んでおれば道が開けてきて、この道一筋で頑張って見ようという気になるのであって、自分に合った仕事等そうそうあるものではない。
その意味で、鉄道業界に就職できたとしても、全ての人が自分の希望する職種に就けるとは限らない筈である。
しかし、マニアというのは本職よりも部分的な知識については詳しいこともあるわけで、こうなるともう趣味の域を出てしまっている。
私も鉄道フアンと名乗るにはいささかおこがましいが、鉄道のことが好きな部類ではある。
何時の事だかさっぱり記憶に無いが、かっての日本が満州国を支配していた頃、あの地では南満州鉄道というのがあって、超特急アジア号というのが走っていた。
この南満州鉄道、いわゆる満鉄というものに非常に興味があった。
この鉄道はある意味で日本の満州支配のツールでもあったようで、この鉄道の経営から満州という国における経済の状況まで、非常に広大な裾野をもって運営されていたので、それを掘り下げて研究することは極めて意義深い物があると思う。
その中でも私が特に気になっていたことは、中国東北部というのはいわゆる寒冷地なわけで、その寒冷地の鉄路には日本内地とは別の何か目新しいアイデアがなければ鉄路が鉄路であり得ないのではないかということであった。
つまり、ツンドラ地帯で、立ち木の生育も内地とは違うわけで、湖も凍ってその上をトラックが走ると言われているが、そうであるとするならば鉄道のレールにも何らかの対策を講じないと線路が線路として維持できないのではないかと思うが、そこの部分が解らない。
普通の道路でも、冬季には凍りついているが、雪解けになれば当然道はぬかるんで、往来に難渋するであろうが、鉄道でも同じことがあるのではないかと思う。
その意味で旧ソ連、昔のロシアのシベリア鉄道は何かの対策を持っているかもしれないが、日本人の私としてはそこが気になって気になって仕方がない。
砂利の上に枕木を並べ、その上にレールを敷いて、列車が通るたびにレールが浮き沈みしていることは目で見れば判るが、冬のシベリアではどういう状況なのか不思議でならない。
鉄道の技術も日進月歩の勢いで進化しているが、人間はどこまで早さを求め続けるのであろう。
新幹線が登場して、東京・大阪が3時間で結ばれると、日本の人口分布は地方に拡散すると思われていたが、我々の選択はそうではなかったわけで、益々東京一極集中が顕著になってしまったが、これは一体どう説明すればいいのであろう。
新幹線網が整備されればされるほど、東京一極集中が激しくなるとは誰も予想しなかったに違いない。
これは一体どういう事なのであろう。
普通に考えれば、東京と地方が早く短時間で結ばれれば、東京の機能が地方に分散しても何ら不思議ではなく、そう考えられたから交通網の緊密化が図られたのである。
ところがその結果は、事前の大半の思惑と逆の結果を招いたわけで、そういう結果になった理由は一体何であったのだろう。
その根底には、我々日本人のもの考え方の潜在意識として、価値観の偏在があるような気がしてならない。
ということは、人々の生業は基本的に虚業と実業に大きく分けられると思う。
物を作る仕事は、どこまで行っても実業の基本であって、農民から大工さん、それからそういう人々に道具を提供する職人という部類の人々まで、どこからどう見ても実業の代表例である。
ところがそれに反し、役場の吏員や学校の先生、銀行員や会社の管理部門というのは、自分では全く物つくりをしない虚業の具体例でしかない。
物作りの現場は、ある程度の土地のスペースが入用で、広大な土地を必要とする関係上、地価の高い都市部には入り込めないが、机と電話一本で商売の成り立つ虚業の世界では、そういう広大な土地を擁することもないので、情報の集まり易い都会の方が立地条件としては優れている。
結果として都市集中を後押しする形になる。
日本の社会全体が底上げされてくると、物作りの地方と管理部門の都市機能が歴然と分離されてしまい、人間の基本的願望として、楽して儲けたいという心理があるとすると、猫も杓子も管理部門にあこがれて、結果として地方でこつこつと物作りに励むよりも、都会に出て派手な生活に憧れを抱く人の数が多くなったという事だと思う。
東京一極集中の裏側には農山村の過疎化の問題が隣り合わせにあるわけで、この現実は明らかに人々が農村の不便な生活を見限って都会に出たという事を如実に物語っているではないか。
都会と地方の行き来が便利になれば、地方でも文化的な生活が都会と同じように享受できるではないか、という考え方は理屈としては成り立つが、人間の生の感情、情緒、深層心理は、やはり人の大勢集まる場所で人と同じ様に楽しみを享受したいという潜在意識に動かされてしまうのであろう。
冷静に理性的に整合性のある思考をすれば、東京と他の都市が短時間で結ばれれば、何も人のゴミゴミする都会に出なくても、地方でも十分機能を果たせるであろうが、矢張り夕誘蛾灯に惹かれる蛾のように、都会の青い灯赤い灯に吸い寄せられるのが人間の業なのかもしれない。
真に理性的で、合理的な思考をする先進的な人は、都会と田舎の生活を使い分けて、人生を二倍楽しんでいる優雅な人も大勢いるようだ。
それが出来るのも交通機関が極めてよく整備されたからである。

「日本の空を問う」

2011-12-08 10:19:42 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「日本の空を問う」という本を読んだ。
伊藤元重氏と下井直毅氏の共著となっているが、学者先生の机上の論旨であって、具体的な話を欠いているので、余り好奇心を満たすものではなかった。
人類の大きな流れとして航空需要というのは右肩上がりになっているのは世界的な傾向であるが、それに日本は立ち遅れている、という事が言いたいのだと思う。
近年、アジア諸国では空港の整備を急いで、ハブ空港として、空港を使いやすくして、それにともなって経済効果を上げるという政策が推し進められて、経済の発展に成功している。
こういう空気を日本もいち早く感じ取って、1962年・昭和37年の池田内閣の時に、そういう方向を目指したが、此処で立ちはだかったのが日本の民衆の私利私欲という根源的な生き方との衝突であった。
言うまでもなく、成田闘争を指しているわけであるが、この闘争は国益と私欲のせめぎ合いであって、民主主義の根幹を問う闘争であった。
当時の政府が、羽田空港は将来手狭になる事が解っているので、何処かに新しい空港を作らねばならないと決断することは、至極当然な成り行きであった。
あの時点における未来予測としては決して間違った判断ではなく、日本の将来のことをごく普通に考えれば当然の帰結だと思う。
香港、シンガポール、韓国のインチョン空港などのハブ空港としてのアイデアも、恐らくこの頃から芽生えていたに違いないと勝手に想像する。
第2次世界大戦後の経済発展の先行きを見れば、アジア諸国でも日本の復興の様子を横目で見ながら、日本の真似をして自国を経済的に大きく伸ばそうと考えるのはごくごく普通の思考だと思う。
ところが日本では、そういう為政者の未来志向に対して、「そういう社会的インフラ整備する必要はない、水飲み百姓に農作物を作らせて、殺さぬよう生かさぬようにしておけばいい」という江戸時代の思考に舞い戻ってしまったわけで、それを推し進めたのが他ならぬ地元住民、地元の水飲み百姓の我欲と保守性の権化としての反対派の存在である。
この私自身の言葉にも多いなる矛盾が込められており、成田闘争というのは一筋縄では括れない大きな課題を内包している問題である。
成田闘争の発端は1962年・昭和37年、池田内閣の時、羽田空港が将来手狭になるので何処かに新しい空港を作らねばならない、ということから始まったのだが、反対派の言い分としては、「地元に何の説明もないままに建設場所が決まってしまったからケシカラン」というのが表向きの反対理由である。
しかし、この言い分は、ただただ反対せんが為のその場の言い逃れ的な言い分であって、本当は土地を取られたくないというのが本音であったろうと思う。
土地と共に生きている農民にとって、農地を取り上げられるということは自分の身を切られるよりも辛いということはよく理解できる。
だから、ただで召し上げるのではなく、それ相応の補償も当然考慮されているにもかかわらず、それでも自分の生活を変える事は嫌だ、という心境は察して余りあるものがある。
しかし、反対派の言い分は、その本音の部分を後ろに追いやって、為政者の方が地元に何の説明もしないまま空港建設を決めたことが気に入らないという論旨である。
反対派の言い分がもし本当にそうであるとするならば、変な論理になってしまうではないか。
政府、為政者、行政が基本的インフラ整備、例えば道路を作る、鉄道を敷く、橋を架ける、河川を改修するという時、アイデアの段階ではまだ地元に説明できないと思う。
もしそれが許されるならば、入札価格の漏えいと同じことになり、その予定地域を目聡い不動産屋が買い占めてしまって、地価高騰を招く恐れが十分あるわけで、資本主義体制下の自由主義の元での自由競争下では逆に弊害のみが大きくなると思う。
空港でも、基地でも、火葬場でも、ゴミ焼却所でも、普通の市民にとっては自分の住んでいる場所から離れた所にある分には何の問題もないが、それがいざ自分の住んでいるところの近くに出来るとなれば、反対したくなるのは当然だと思う。
だから、そういうものを作ろうとすれば、どうしても人の少ない、人口密度の低い地域に持って行かざるを得ないのは当然で、そういうもろもろの思惑を考慮した結果として、成田・三里塚に決まったわけで、「地元民に相談もなく建設が決まったから反対だ」という言い分は見当違いの言い草だと思う。
ここで、本来ならば民意が問われるべきで、民意というのは本質的には自分の土地を取られたくない、というのが本音であることをはっきり認識すべきである。
「政府が地元民に相談なく決めたから反対だ」という言い分は、自分達の補償金を吊りあげるための方策であって、本音の部分では金さえもらえれば交渉に応じるつもりであったにちがいないが、そこを素直に声に出来ないところに、少なからず人間としてのプライドが掛かっていたのであろう。
守銭奴のようなさもしい人間に見られたくないというミニマムのプライドであったに違いない。
ここで本来ならば日本の知識階層の智恵が機能すべき所であったが、戦後の日本の知識階層というのは、その須らくが、政府・為政者に抵抗することが彼らの使命と思い違いしている所に日本の悲劇が潜んでいる。
あの時点で、日本の航空需要が右肩上りで延び、羽田空港のキャパシテイ―が追いつかなくなることは知識階層の人ならば当然わかっているにもかかわらず、政府・為政者の側に弓を引く行為というのは、無責任もはなはだしいと私には思える。
ここで日本の戦後の民主主義の本質が大きく問われていたのである。
政府の施策に対する不満のはけ口としての反対運動と、もう一方では、国民の利益を追い求める政府の施策への提言、という合い交わることのない命題を如何に捉えるかということに行きつくと思う。
あの時点で、「羽田空港が手狭になるから何とかせよ」という要求は、政府、或いは為政者の勝手な思い込みや欲望や、利権がらみでそういう案が出たわけではないと思う。
やはり、日本という国の未来の事を考えれば「そうだよなあ!?」という一般論としての要望というか、渇望というか、国、或いは日本国民、或いは日本民族の将来のことを思えば、誰でもそのアイデアに異存はないものと思われる。
だから成田闘争の反対派の連中も、そのことを頭から否定することはできないので、一番焦点の曖昧な言い分として、「政府が勝手に決めた」ということを争点に持って来ているのだと想像する。
ただ民主主義の社会では、何か事を起こそうとすると、そのアイデアに対して反対意見というのは必ず出てくるわけで、だからこそ民主主義が正常とも言えるが、反対が強くて物事が先に進まないでは困るわけで、そこでその事態を解決すべく乗り出して来るのが、本来ならば知識階層という人達でなければならない。
落語風に言えば、店子の喧嘩に割って入って、双方の言い分を仲裁するご近所のご隠居、という役割の賢者としての学識経験者の存在がなければならないと思う。
ところが戦後の日本では、こういう立場の人たちが、全て反政府側、反体制側、反自民党についてしまうわけで、その根本のところにはいわゆる左翼思想に順応してしまっているということだ。
それを煽りに煽っているのが言うまでもなくメデイアであって、メデイアとしては対岸の火事は大きいほど面白いわけで、日本中が内乱状態になればなるほど、メデイアの本領が発揮できると思違いをしていたのである。
日本の空港が、今日、アジアでも後れをとっているのは、言うまでもなく成田闘争が大きく関わりあっているわけで、戦後の我々の同胞が、国益よりも自分の利益優先に物事をとらえる思考に陥ったからである。
こういう戦後思想の実情は、ある意味で戦前の思考回路への反動と言えるかもしれない。
戦前は、為政者のいうことにまことに素直に順応してきたが、それが結果としては大失敗であったわけで、国策に一生懸命協力したら見事に裏切られ、結果として国家に嘘をつかれたことになったわけで、国を信じられないという気持ちは解らないでもない。
この本は航空政策を論ずるに当たって、成田空港の本質を掘り下げることに関心が薄く、総論のみで貫かれているが、日米開戦から70年経った今、アメリカのウオー・ギルト・プログラムからの脱却を真剣に考える時期に来ていると思う。
日本の経済成長の在り方というのは、基本的には日本のインテリジェンスが問われていることだと思う。
2011年・平成23年3月11日に起きた東日本大震災からの復興でも、政府は増税をして復興資金を得ることを考えているが、こういう時にこそ知恵を出すべきが有識者と言われる人々の筈である。
ところが不思議なことに、こういうレベルの人は、どういう訳か政治家や官僚を見下す傾向があって、何でもかんでも悪いことは政治家の所為にかこつけているが、政治家に良いアイデアを提供しない有識者という人達の言い分も嘆かわしき存在だと思う。
有識者という立場から政治家というものを眺めると、それこそ狐か狸ぐらいにか見えないと思うのは当然だと思う。
学者とか大学教授というのは、ある意味で霞を食っているような存在で、米一粒、大根一本、釘一本、自分の手で作るわけではなく、他人が言ったこと、成したこと、政治家のしようとしたことに事如くケチをつけて糊塗を凌いでいるわけで、この世な中における究極のナマカワものという位置付けだと思う。
だから成田闘争に関連付けて考えれば、彼らとすれば、農民の反対も心情的によくわかっているに違いなかろうが、ならば目の前に迫っている、羽田空港のキャパシテイ―不足にはどう対応するのだ、というアイデアを提供しても良い筈である。
彼らの立場としてはそうすべきだと思うが、彼らは自分で汗をかくことはせずに、ただただ声の大きい反対運動の方に擦り寄って、数の多い方に身を置けば大勢の人の意見を代弁しているという快感の酔えるわけで、有象無象の大衆に肩入れする思考は、学者や大学教授らしくない付和雷同的挙動ではないかと思う。
学者や大学教授という連中は、霞を食っているような存在なので、農民の声に無批判に迎合しているが、水飲み百姓の潜在的な思考回路も極めて狡猾で、油断も隙もない部分を見落としてはならない。
農民とか水飲み百姓という言葉を並べると、こういう人達はさも弱者で、虐げられた人々であるかのような印象を受けがちであるが、決してそんなことはない。
反対運動の真の理由が「政府が地元に無断で決めたということにある」と言っているが、物事を決める時に案の内から可能性のある地域にもれなく声をかければ、地価高騰を招いて、出来るものも出来なくなる可能性だってあることを充分承知しながら、こういう言い方をするわけで、如何に水呑み百姓がしたたかという事が如実に表れているではないか。
戦後の日本で大きな混乱を招致した背景には、いわゆる知識階層の反政府、反体制、反自民というポーズが大きく影響を及ぼしていると思う。
如何なる運動も、政府の施策に対する反対の意思が混乱の元になるわけで、如何なる施策も硬貨の両面のようにメリット、デメリットは隣り合わせにあるわけで、政府のしようとすることに反対があるからと言って何もしなければ世の中は一歩も前に進まないわけで、それはそれで又政府の尻を叩く運動が起きてくる。
一つの事柄に相反する意見が対立した場合、賛成派、反対派の意見を集約すべきが本来の知識階層の役目なのではなかろうか。
この時に、全ての知識階層が全部反対側に擦り寄ってしまうから、世の中は反対意見ばかりで、賛成意見を述べる事が人民の敵であるかのように取り上げられることになってしまう。
日本の航空事業を考えるとき、成田空港がすんなりマスタープラン通り出来上がっておれば、成田がアジアのハブ空港になりえたことは間違いないが、あの中途半端な在り方ではハブ空港になり得ない。
そして夜間や早朝の飛行禁止措置も空港の在り方に大きな縛りをかけていることは言うまでもない。
周辺住民の騒音対策ということはよく理解できるが、為政者側は日本国全体の利益を考えて空港を建設しているが、地元住民は自分の損得勘定のみで、公益を阻害していることに気が廻っていない。
自分達が先に住んでいたから、後から来るものは俺達の既得権益を侵してはならない、というわけで、自分達の我儘が如何に公益を阻害しているかということに思いが至っていないではないか。
自分さえ良ければ、後は知らない、俺たちさえ従来通りの生活が出来れば、公益など知ったことではないという言い草である。
こういう心理こそが百姓根性というもので、彼らはそうであるからこそ、卑しい心根とみられているのである。
日本の航空行政を語るについては、成田空港の完全なる整備を真っ先にすべきで、それが完成しない限り、日本にハブ空港というのはあり得ない。
成田の事例があるから、関空も中部も海に作らざるを得なくなり、結果として建設費の高騰を招き、それが使用料のアップに繋がり、その先に航空会社が敬遠する事態を引き起こし、事業そのものが先細りになってしまったものと考えざるを得ない。
日本の航空行政の低迷は、成田闘争の反対派の横暴によって大きくその進展が阻害されたと言える。
それはとりもなおさず、民主主義の生の姿でもあるわけで、民主主義を野放図にしておくと、究極の衆愚政治に繋がり、国民、市民、大衆というのは天に唾してそれが自分に降りかかってくる構図である。
自分の目先の損得勘定のみに振り回されて、10年後、20年後、30年後、50年後の近未来に思いが至っていないわけで、これが究極の水飲み百姓の百姓根性というものである。

「テレビ作家たちの50年」

2011-12-04 09:21:21 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「テレビ作家たちの50年」という本を読んだ。
日本放送作家協会編となっていて、大勢の人のコメントが集められていた。
テレビ放送の開始は1953年・昭和28年ということらしいが、私の自分の年でいえば13歳で、中学生になったころである。
この年頃の記憶というのは案外残っているもので、私も街頭テレビとか、プロレスの中継というのは鮮明に記憶の中にある。
街の電気屋さんの店先に、如何にもこれ見よがしにデンと受像機が鎮座しており、我々子供は大人の頭越しに覗いたものだが、そんな状態では放送の内容までわかる筈もなく、画面に何かちょろちょろ動いているのが見える程度でしかなかった。
我が家の父は、若い時に電気関係の専門学校を卒業していたので、ラジオに関んしては専門家であった為、テレビに関しても非常に親近感を持っていたのであろう、我が家がテレビを購入したのはかなり早い時期だったような気がする。
今の皇后陛下のご成婚の時が、1959年・昭和34年で、この時にはもう既に家でこの御成婚のパレードをテレビで見ていた記憶がある。
パレードの馬車に暴漢が駈けよるシーンも記憶の中に残っている。
そしてアメリカのケネデイー大統領がダラスで狙撃されたシーンもテレビで見ていた。
テレビの発達は、私の成長とほぼ同じ軌跡を歩んでいるわけで、私はテレビを見る立場として、テレビの発達とともに歩んできたという事だ。
この本は、そういうテレビ番組を作る側の人間の苦悩を書き綴ったものであるが、私の関心はテレビの存在そのものに視点が向きがちである。
今、家で取っている新聞のテレビ欄を見ると、名古屋地方に限っても、NHKを始め民放各社を合わせると地上波、BS合わせて14局もある。
この14局がほぼ一日中24時間、電波を出しッ放しにしているという事だ。
14×24時間=336時間放映し続けているわけで、これだけの時間、優れた番組を提供する事は理論的にあり得ない筈である。
この本を読むと、初期のテレビ放送は、午後2、3時間、夕方から夜に掛けて5時間程度の放映だったと述べられているが、1日8時間労働というわけでもないが、テレビ放送も一日8時間程度で良いのではなかろうか。
今の日本人で、果たして本当にテレビを見ている人がいるであろうか。
身動きとれない病人でも、つまらない番組を我慢してみる程のテレビ好きもそうそういるものではないと思う。
中学生や高校生が、テレビの前に座り込んで、だらだらとつまらない番組を見ているようにも思えないし、主婦が茶の間に腰をすえて昼メロを際限なく見ているとも思えないし、今の人は自分の関心のある番組だけを選択して、好きな物を好きなだけ見て後は切り捨てていると思う。
製造業の現場では、こういうことを無駄と称して、どんな些細な無駄も排除するように思考が働き、その事によってコスト削減という概念を成り立たせている。
テレビ業界の例に置き替えれば、誰も見ない番組を作り、それを放映するということは、無駄そのもので、そういう無駄を排せばコストを大いに節約できるということになるが、そういう発想には至っていないようだ。
テレビ創生期に、大宅壮一氏はテレビを評して『一億総白痴化』という言葉を呈し、『電気紙芝居』と称したが、極めて言えて妙な言辞である。
この本はテレビの存在価値を説くものではなく、テレビに関わって来た人達の苦労を忍ぶという趣旨が強いが、それはあくまでも作る側の葛藤であって、コンテンツを受ける側の、つまり視聴者の視点とは大きくずれており、そういう人の思惑とは必ずしもマッチするものではない。
私自身、メデイアの内側に知った人がいるわけもなく、そういう事情には全く疎いが、如何なる事柄にも常識の範囲というものがあるわけで、その範囲内であれば、そう大きな齟齬には至らないと思う。
ところが、組織という人間の集団は、往々にして常識の範囲というものに無感覚、無関心になりがちで、それが倫理観の喪失という事に繋がりがちである。
そもそもテレビ放送というものを根源的に考えて見ると、映像を不特定多数の大衆に、無制限に流し続けることに社会的な意義が果たして本当にあるかどうか、という点からして考え直すべきだと思う。
技術的には確かに可能で、だからこそ今日それが罷り取っているわけだが、技術的に可能だからそれを金儲けのツールとして、無制限に金欲者が行使してもいいかどうかという問題に突き当たる。
民放テレビ局というのは、報道機関という仮面を被った広告塔に過ぎないわけで、この報道機関という側面と広告塔の側面がきちんと峻別されないまま、その時その場の都合によって、使い分けされてしまうので問題がややこしくなってしまうのである。
商品の広告宣伝のツールとしての映像配信であるとするならば、報道機関としての使命とはまた別の価値観を考えねばならず、そこを毅然と峻別すべきだと思う。
如何なる理由があろうとも、この名古屋地域だけで14局ものテレビ局があるというのは多すぎるし、それらが全てほぼ24時間電波を出し続けているというのも過剰だと思う。
テレビ放送の初期のように、一日の放映時間を8時間程度に縮小すべきである。
この本の筆者たちは、作品の、つまりテレビ放送のコンテンツの中味の出来不出来には言及しているが、テレビの存在そのものについては一言も述べていない。
無理もない話で、自分がこの世界で録を食んでいる以上、自分の住んでいる世界が自分では自覚できないのも当然ではある。
私の問題提起は、この部分にあるわけで、テレビの台本を書く人が、今日的な状況の中で、テレビの置かれた位置に無関心でいることの方が根源的に重要なことであって、だからこそテレビ局のコンプライアンスが問われているのだと思う。
かつてフジテレビでは「面白くなければテレビでない」というコンセプトで局運営がなされていたと聞くが、このフジテレビの経営陣には、テレビ放送というものが報道機関という認識が欠けていて、自分達は広告宣伝塔という認識でいたのではないかと思う。
そもそも新聞・ラジオ・テレビというメデイアには、娯楽の要素も少なからず入っていることは承知であるが、それは人のうわさ話や、流言飛語や、風評という極めて根拠の曖昧なことをさも自分の特ダネかの如く振舞うことの快感さであって、一言でいえば卑しい人達の言う、卑しい心根の、卑しい振る舞いに他ならない。
だが、そういう風評や、噂話を金ツルに繋げるというのだから、その心根の卑しさ・浅ましさは、人後に落ちるほどのもので、余りにも下品な思考だと言わなければならない。
メデイアの情報の送り手として彼らは、人の知らないことを知っているという有利な立場にいるわけで、どうしても意識の内に態度が横柄になりがちである。
江戸時代にはまだメデイアという概念が存在せず、口コミが主体であったが、この時に瓦版という紙を媒体とするマスメデイアが登場した事によって、情報というモノの価値が急浮上した。
マスメデイアの登場によって情報を握ったものの優位性も確立された。
しかし、この時点でもまだその情報のコンテンツの中には娯楽的な要素も潜んでいたわけで、マスメデイアというのは無味乾燥な情報に、さまざまな色つけをして、それこそ流言飛語、風評というようなモノまで確立させてしまったに違いない。
そしてその後に起きた明治維新で、富国強兵が国是となると、メデイア界は一斉にその国是の宣伝にこれ務めたわけで、結果としてイケイケドンドンの風潮を醸成したという事だ。
この時に、瓦版も、その後の明治初期の新聞という紙の媒体も、基本的には今でいう「面白くなければテレビでない」という潜在意識で凝り固まっていたに違いない。
当時は当時で、「面白くなければ瓦版ではない」「面白くなければ新聞ではない」と言う論理であったものと想像する。
つまりメデイアに関わっている人の使命観は、基本的に「面白くなければメデイアではない」というものだと言う事になるわけで、まさしくヤクザ屋さんの興業の世界と酷似しているという事だ。
口先三寸で、在る事ない事言いたい放題、オオカミが来るオオカミが来るとから騒ぎばかり起こして、善良な市民の生業に支障をきたすような事を吹聴しては、自分は高給を食んでいるのである。
そもそも子供の頃に、何々の職業につきたい、という希望なり野望を臆面もなく言う子は、その時点で心卑しき存在だと思う。
中学に入る前の餓鬼が、医者になりたいだとか、パイロットになりたいだとか、弁護士になりたい等という具体的な職業を口にすること自体、マセタ行為だし、大人気なく、心卑しき振る舞いだと思う。
そういう餓鬼に限って、頭脳明晰で成績もよく、先の見通しにもそつがなく、人生航路を周到に進んで行くであろうが、そのことが天真爛漫な子どもの生き方とは対極を示しているわけで、そういうぬかりの無い子が数年後には社会の中枢を担うわけで、結果として社会全体としてコンプライアンスがぐらつくことになる。
頭の良い子は身の処し方にもそつがないわけで、最小の努力で最高の収入を得ることに長けているに違いなく、それをテレビ界に反映させれば「面白くなければテレビでない」等という発想にモロに繋がると思う。
人の生き方として一番唾棄すべき考え方で、若い時からそういう生き方に洗脳されたればこそ、「面白くなければテレビでない」という発想がテレビ界を席巻しているではないか。
普通の子供が、普通の教育を受けて、普通に生育すれば、普通の倫理観から外れるような発想に至るわけがないではないか。
テレビ業界というのは、民放とNHKという対立軸があるが、そのどちらも普通の一般企業に比べると高収入だと思う。
テレビ業界はあくまでも虚業なわけで、実業に比べて虚業の方が高収入を得る、と言う状況そのものがおかしいと思う。
民間テレビ局が広告塔として、クラインアントから膨大な広告料を撒き上げていること、そういう状況そのものがおかしいと思う。
ただテレビで宣伝すると売上が伸びるという現実があるので、テレビ局と、クラインアントと、番組の質的低下という三位一体のレベル低下のスパイラルに落ち込んでしまうのである。
私が大企業の経営トップならば、自社のテレビコマーシャルは厳密に審査して、社のイメージに抵触するモノ、公序良俗に触れるモノ、偏向した内容のものならば、厳然とスポンサーの地位を下りるが、どうも民間テレビ局のクライアントになっている企業には、そういう自意識、節度ある意識が欠けているように思える。
こんな虚業の世界が、実業の世界よりも高収入であることの方がよほど不可解であるが、世間では一向にそういう点の不合理を突く機運が出てきていない。
この文章の冒頭の部分では、テレビの創生期の事を少し述べたが、当時はテレビを作る側、放送を送り出す側も生放送で失敗が許されず、そういう苦労が数限りなくあったという話だが、それでも50年、半世紀も時が経過すると、そういう昔話も古典化してしまって、そういう過去の実態を知らない世代が組織の中枢を占めるようになる。
これはテレビ界だけの話ではなく、あらゆる組織に共通した事であろうが、こうなると当然の事、価値観も時の推移と共に変化するわけで、価値観の変化がシステムの進化をも引きずってくる。
例えば、仕事のアウトソウシングトいうような事が起きて、番組製作を外注に委ねるような事になると、大本の局は今まで以上に大きな権力で以て下請けの企業を押さえつけると言う事になる。
システムが複雑になればなるほど、事故の頻度も多くなるのは当然のことで、それへの対応に追われるということが日常化してしまう。
どの局もどの局も一日24時間も放映し続ければ、何処かでミスが出るのも必然的なことで、コンテンツを受け取る側としても、それだけの放送は全く必要に思っていない、という事が解っていない。
我々の生きている社会は、資本主義体制の中の自由競争での経済活動なわけで、ある程度の競争はお互いの企業が切磋琢磨する動機づけにはなるが、あまりにも多くの企業が参入する過当競争では、企業の提供するサービスの劣化が必然的に起きるので、それは文化としての退化を促しがてしまう。
テレビ放送で企業のPRをする、つまりCMを放送というコンテンツの中に紛れ込ませることで、大きな利益が得られるという事がわかった時点で、我も我もと、守銭奴的な成り金が雲霞の如く放送業界に参入するということである。
こういう金儲け至上主義の経営者が、放送業界に君臨したことによって、「面白くなければテレビでない」というコンセプトが生きてきたわけで、これを文化の退化と言わずにどう言えばいのだ。
66年前に日本を敗北に導いたアメリカは、戦後の日本占領政策を進めるに当たって、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(“War Guilt Information Program”、略称“WGIP”という確たる路線に沿って行われた。
一言でいえば、日本民族から大和民族としての誇りと自尊心と進取の気性を抜き去って、骨抜きの民族にすべく3S政策(セックス、スポーツ、スクリーン)というものを推し進めたが、戦後の日本の知識階層は、それがアメリカの謀略だとも気が付かず、まんまとその罠に嵌ったのである。
テレビ創生期に大宅壮一氏が『一億総白痴化』と言い、『電気紙芝居』と論破したにもかかわらず、当時の日本の知識階層では、誰一人テレビの蔓延に警鐘を鳴らしたものがいない。
確かに、当初は、絵が動くだけ大いに驚いたもので、その次にはそれに色が付き、それが今ではデジタル化して、鮮明な映像が見れるが、そのコンテンツの進化は、テクノロジ―の進化ほど先鋭的ではなく、見るに堪えない番組が余りにも多すぎる。
実に見事にアメリカの日本民族愚民化政策が成功を治めているわけで、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの見事な成功例である。
メデイアの関係者からは、日本にはテレビ局が多すぎる、放映番組が多すぎる、放映時間が長すぎるという指摘は一切出てこないということは一体どういうことなのであろう。
テレビを見る人が、自分で見る番組を選択しているから、本人の意思に任せればいいということであろうが、まあ普通の人が一日に3時間テレビを見るとして、残りの21時間の無駄なテレビ番組の存在はどういう風に考えたらいいのであろう。
一人一人の視聴者は、自分の好きな番組を選んで、それだけ見ればそれで済むが、誰も見ない番組を作る無駄はどういう風に考えたらいいのであろう。
製造業ではこういう無駄はあり得ない。
作ったものを一度も使われなまま廃棄する物作りというのはあり得ないわけで、適正な数を適正な時間と場所に提供するのが物つくりの真髄であるが、虚業としてのメデイア界では、誰も見ない番組を延々と作り続けているわけで、到底普通の精神の者には理解し難いことである。

「老いを創める」

2011-11-30 17:46:27 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「老いを創める」という本を読んだ。
著者は日野原重明さん。
聖路加病院の院長を務められた方で、100歳近い年齢にも関わらず、尚矍鑠と活躍されていることで全国的に有名な方である。
だがこの本は約10年前の発刊で、いささか賞味期限切れという感がしないでもない。
お医者さんの立場から今の長寿社会に思いを寄せて書かれているが、矢張り死は忌むべき事という捉え方で、古来の人間の発想から一歩も出るものではない。
天から与えられた人間の命は、一刻一秒たりとも無駄にすべきではない、という趣旨で貫かれているが、それはそれで極めて立派な整合性が成り立つ。
しかし、「天から与えられた命は粗末にすべきではない」という命題は、五体満足で立ち居振る舞いに何の不自由も感じない人のことであって、そうでない人には、そういう人とは別の願望があると思う。
身体に欠陥があって人の介添えなしでは立ち居振る舞いもままならない人は、 生きたいという欲求よりも、死にたいという欲求の方が強いと思うが、そういう人に対して健常者が「死に急いではならない、精一杯生を全うすべきだ」と説くことは彼らに拷問を強いるようなものだと思う。
この世に生まれいでた人間は、基本的には誰でもが長寿願望を持って当たり前ではある。
その意味では、身体に欠陥を持った人でも、健常者と同じであろうと思うが、長寿を全うするのに他者の介添えが無ければそれがなし得ないということが自明であれば、自分の置かれた状況から逃げたいと願うのも自然な感情だと思う。
自死を逃避と捉える人もいようが、「死にたい」と願っている人に対して、「死んではならない」と説くことは、まさしく本人に対する拷問に相当するのではなかろうか。
生きるということが死ぬことよりも酷な場面が人生には数々あるわけで、その度に死んでいては、命がいくらあっても足りないであろうが、これは五体満足な人の贅沢な悩みなわけで、他者の介添えが無い事には立ち居振る舞いがままにならないという状況は、基本的に自尊心の問題に直結していると思う。
普通に健康な人が、他者の介添えが無ければ自分で自分の下の世話も出来ないという状況におかれたとすれば、その人の自尊心は粉々に破壊されてしまうと思う。
自分自身の体験からしても、ガンの手術で入院して、術後、最初の排尿は、カテーテルでベッドに寝たままでも何の差し障りのないように手当てが成されていたが、矢張り無意識のうちに自分で立ってトイレに行こうとして看護婦さんに叱られてしまった。
たが、これこそが正常な人間の健全な精神状態で、正常な羞恥心が残っている証拠だと思う。
ガンになった時、私は俄然、前向きな生き方を選択して、「ガンなど何するものゾ、受けて立ってやる、どんな治療法でも正面から挑戦してやる。矢でも鉄砲でも持ってこい」という心境に至った。
それから約10年が経過、こういう憎まれっ子は神様も避けて通る様で、未だにお迎えが来ない。
ガンに挑戦した時はまだ現役で、子供も片付いていなかったので、切実に「死んではならない、今、ここで死ぬわけには行かない」と思ったが、それから10年が経ち、名実ともに肩の荷が下りた状態の今ならば、何時お迎えが来ても素直に応じられる心の準備はできている。
文字通り、余生という感がするが、余生だからと言ってただぶらぶら無意味に過ごしてもつまらないので、最初の内は地域のボランテイアなどもしたが、矢張り加齢が進むと、約束通りに行動出来なくなって、そういう物も整理して、身の丈にあった活動に絞り込んだ。
ここまで来る間に、当然の事、母と父を見送って、父の老いた生き様を見て、つくづく老醜という実態を認知した。
老いを語るとき、世の有識者は老醜という言葉を避けて通っているが、痴呆とかボケ、老人性徘徊という言葉は、全て老醜を意味しているわけで、介護する側はたまったものではないはずである。
私の信念は、人たる者、老醜を曝してまで生きるものではない、というものである。
この著名な著者も、「他者の老醜を甘んじて受け入れよ」という論旨であるが、いささか無責任すぎると思う。
自分は、功なり名を成した立場で、秘書が何人もいて身の回りの世話をしてくれるので、他者を介護する真の意味を真に理解されていないと思う。
老老介護という言葉があるが、年老いた夫婦がお互いを介護し合う状況が目に浮かぶが、こういう状況を美談仕立てにするなどということは無責任の極みだと思う。
介護される側は、一刻も早くお迎えが来てくれることを望み、介護している側は、一刻も早く死んで呉れることを願っているにも関わらず、それは口に出来ないわけで、お互いに本音を隠して、騙し合いの日々を送っているのである。
我々の社会が、今まで人類が経験した事の無い高齢化社会になってしまったわけで、そうなればなったで過去のイメージで人間の生き様を語ることも根本から見直すべき時に至ったと思う。
人間の長寿願望というのは十分に達成されたわけで、これからは人生の幕引きを如何にするか、という新たな課題を真摯に語り合う時期に入ったと思う。
長寿者の数が増えたことを喜んでいる時期はとうに過ぎたわけで、これからは少子化を如何に維持し、高齢者に如何に自死を勧めるかを課題にしなければならないと思う。
今、世界は地球規模で不況に見舞われているが、考えて見れば、当然、そうなるべくしてそうなっている。
日本の米作りを見ても、僅か50年前までは、一家総出で、村中総出で、田植えをし、稲刈りをしていたではないか。
それが今では田植え機で、或いはコンバインで、たった一人で全部をしているではないか。
残った人は一体何処で何をしているのかと考えれば、世の中に仕事にありつけない人が出るのも当然ではないか。
これと同じことが日本全国で起き、地球規模で起きているわけで、地球全体が不況に曝されるのも当然のことだと思う。
工業のテクノロジ―の進化で、昔は大勢の人間が群れをなしてしていた仕事を、合理化という名目で、たった一人か二人の人間が同じ効率を上げてしまえば、労働市場において人余りになるのは当然のことで、余った余剰労働力を吸収する場が無い限り、不況に陥るのは当然の成り行きではないか。
産業革命で、物つくりの現場が人員削減を指向するようになれば、この時点で、物つくりの概念に大きな変化をきたしたことになり、それは人間の古来からの考え方を大きく変えたことになる。
ところがそういう状況に至っても、人間の精神面の進化に関しては、産業革命的な、或いはコペルニクス的な思考の変革はなかったので、地球上の人々は、人類誕生以来の古色蒼然たる長寿願望から抜け切れていないのである。
人間の数の伸び方は、まさしく級数的な勢いで伸びているわけで、第2次世界大戦後、医学の進歩で、益々その度合いが急カーブになっているが、このままいけば地球は人間の住む余地が無くなってしまうに違いない。
第2次世界大戦までは、人類は戦争をすることで、大量の死者を出していたので、それが人口増加の安全弁でありえたが、今は戦争も合理化されてピンポイント攻撃で、無駄な死者をできるだけ出さないようになっているので、人口削減には結びつかない。
社会全般の合理化で、あらゆる場面で労働する人の数は極力減ったが、その余った労働力を吸収する場が無いわけで、こういう状況であれば、当然、社会全体に劣化が進行するのも必然的な流れだと思う。
こういう余った労働力が介護の世界に浸透してくれば、受け皿としては大いに結構なことであるが、介護という仕事は、する方もされる方も基本的には忌み嫌われる定めにある。
成人の普通の人が、他人に下の世話を委ねることを好む人はいないし、同時にする側も好き好んで他人の下の世話などする人はいないわけで、結果として、できれば避けて通りたいのが本音だと思う。
ところが、ここで「老人の介護」という大義名分が顔を出すと、人間が基本的に持っている潜在意識としての本音が言えなくなってしまい、「家族で面倒見れなければ、社会全体でそれをしなければならない」という責任転嫁の議論になるのである。
生きた人間ならば、誰しも他人の下の世話などしたくないので、結果として、金で吊って、金を出すからそれ専門の人に委託するという風になるのである。
これは人類誕生以来の古典的な死生観に捉われているからこういうことになるわけで、ここで発想の転換を計って、「死を希望するものは、所定の手続きを踏めば晴れて安楽死が出来るよ」というシステムを作れば、人々は大いに助かると思う。
今の日本では年間に約3万人に近い人が自殺しているらしいが、まことに結構なことだと思う。
死にたい人はドンドン死ねる世の中にすべきだと思う。
死にたくないという人に「死ね!」というわけではない。
死を切実に願っている人に、背中をちょっと通すだけのことで、死にたくないと思っている人に、無理やり死を強要するわけではない。
人の命は尊いというのは、地球誕生以来の人間の普遍的価値観であったが、何億年前、何千万年前、何百年前の価値観が、21世紀の価値観と同じであっていいわけない。
人間が地球誕生以来の歴史の中で、火の使い方を覚え、文字の使い方を覚え、原子力の使い方を学んで今日があるわけで、こういう文化文明の進化の中で、死生観だけが普遍であっていいわけないと思う。
自分の人生の幕引きを、自分の意思に委ねられる新しい死生観を、そろそろ考えだしてもいい時期に来ていると思う。
長生きだけが人間の求める道であってはならないと思う。
短じかくとも自分が納得した人生であったとすれば、月日の長さよりも、その密度に価値があると思う。
密度の濃い人生を送った方は、それなりに燃え尽き症候群として、自死を選択するにやぶさかではないと思う。
誇りある人間ならば、自分の老醜を他者に見せるべきではないと思う。
昔読んだ本で、野生の像は死期が近づくと、自ら群れを離れ、孤独の内に自分の生を全うすると読んだことがある。
我が家の忠実な飼い犬は、極めて我がままで自立心旺盛であったが、15、6年家の中で飼われていたが、死期が来たのであろう、ある日突然家出して、家人が家の周囲を3日間探しまわったが、ついぞ姿を見せなかった。
何処かで孤独死したに違いないと思うが、これが自然の生きものの自然の死だと思う。
人間だって、死期が近づけば自分の人生の幕引きを自分の意思でして然るべきだと思う。
つまり、安楽死を認めることこそ、一番人間的な思いやりのある行政措置に違いない。

「男おひとりさま道」

2011-11-25 07:32:50 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「男おひとりさま道」という本を読んだ。
著者は上野千鶴子女史で、東京大学大学院教授という肩書だが、どうにも鼻に就く文章であった。
文章の流れとしては、夫婦が年取って奥さんに先立たれた時、残された男はどう生きるのか、という趣旨で貫かれているが、一人になった時の生き様など、他人からとやかく言われる筋合いは毛頭ないと私は個人的に考えている。
どこで野垂れ死しようとも本人の勝手だ。
野垂れ死こそが自然界の生きものの自然の姿であって、家族に看取られての大往生というのは、極めて幸福な幕引きに違いないが、だからと言って皆が皆それを望むのは傲慢な思想で、人間の思い上がりだと思う。
街中や田舎の神社などに幾つも幾つも野垂れ死の死体が転がっているので、行政はどう対応するのだ、という話ならばまだ耳を貸す気が湧くが、人が何処でどう死のうと、本人の勝手だと思う。
そもそもこの地球上に人類が誕生して以来、人類の長生き願望は根源的な欲求であったわけで、この地球上に生を受けた人間は、猫も杓子も長生きを希望するものが自然で、人は長生きすべく努めなければならないと思い込んでいるが、これは人類のただ単なる思い込みに過ぎない。
この地球上に生まれいでた生きとし生きるものは、須らく、幼年期を経て青年期生に達し、壮年期を経て老年期に至るわけで、最後は命が尽きて御臨終という事になるが、これは自然界における自然の流れであって、宇宙の中の摂理そのものである。
ところが人間は何時も自分の頭脳で考えるという行為をするものだから、自然の流れに対して抗しよう、抗して見よう、何とか自然の摂理を克服できないだろうかと考える。
日本においても、江戸時代の封建主義の社会の中では、家督は長男が引き継いだが、家督を引き継いだ長男は、その代償として老親を死ぬまで介護することが必然的な暗黙の了解事項として残った。
老親も、身体が丈夫な時は何の問題もないが、身体の自由の効かない老人を介護するとなれば、いつの時代でも、どの民族でも、どの社会でも、その事が重荷であることに変わりはない。
封建主義下の個人の家でも、いくら長男が家督を引き継いだとしても、介護を要する老人を抱え込めば、重荷を抱え込むことに変わりはない。
一家の中の介護される側よりする側に大きな問題が内在するわけで、その介護する側の労力の軽減を図ろうとして考えられた制度が、介護保険制度であろうと思うが、私が不思議に思う事は、介護を受ける側が真に心から介護されることを願って生きているかどうかという点である。
介護される人、介護される側が、他人に下の世話までして貰いながらでも長生きを願っているかどうか、という疑問である。
私自身ならば、人様に下の世話、つまり自分のオシメの交換まで、他人の手を煩わせてまで生を維持する気はさらさらない。
その前にさっさと自死を選びたいが、今の日本では、この自死が認められていないのがまことに残念である。
世間の普通の人は、命は大事にしなければ駄目だと説く。人の命は何ものにも代えがたい貴重なものだと説く。
この世に無駄な命など一つもないと説く。若者の命も老人の命も、それらには命の軽重はないと説く。
もっともなことで全く異論を差し挟むことはできない。
しかし、現実の人間の社会には、生きることに疲れた人もいるし、生きる希望を失った人もいるし、何の為に生きているのか判らない人もいるわけで、そういう人の命も全て同一の価値だ、というのは健康な人間の驕りではなかろうか。
人間が地球上に誕生して以来、連綿と引き継いできた価値観を、何の疑いも持たず古色蒼然としたカビの生えた思考のまま未来に引き継ぐという事は、学識経験を積んだ文化人、教養人の怠慢ではなかろうか。
『楢山節考』のように、70を過ぎて、家族のお荷物になるような状態になったならば、健康で意識もしっかりしているうちに自分の身の振り方を手配し、そういう気持ちを醸成し、自死を選択する勇気を持つべきではないかと思う。
個人的な話であるが、私の父方の祖母は、それこそ田舎の字も読めない時代遅れのお婆さんで、農作業のしすぎで腰も曲がってしまっていたが、子供(孫)の私が行くと「よく来た!よく来た!」と喜んでくれたものだ。
そのお婆さんの口癖が「早く死にたい、早く死にたい」というものであったが、その背景には家族問題が潜んでいたことは言うまでもなく、どこにでもよくある嫁と姑の軋轢があったことは子供心にも判った。
しかし、そのお婆さんの「早く死にたい」という言葉は本音であったと思う。
これでも判るように、「早く死にたい」というのは本人の希望であって、他者が「あなた、早く死になさい」というわけではない。
何時までも生きたい人は、そうするに誰に遠慮がいるものか。
自分自身で健康管理に気を配り、良い病院を探し、良い治療を受けて、幾つになっても健康で長生きを目指せばそれはそれで誠に結構なことで、目出たいことである。
問題は、もうこの世にいても何の喜びもなく、ただただ自分の老醜だけは人に見せたくない、と願っている人の扱いである。
自分のオシメの世話を、他人様にしてもらう事だけは断じて受け入れられない、という人の場合である。
こういう人が、こういう自分の我を押し通すことも立派な人権問題ではなかろうか。
私のお婆さんは、私が行く度に、私に哀願するかのように「早く死にたい!早く死にたい!」と子供の私に懇願していたが、こういう人に対して、何故、赤の他人が、「死んではならない」、「下の世話など人にさせてでも死んではならない」という権利があるのだろう。
「家族が駄目なら介護保険で面倒見るから生き続けよ」と、本人の意思を無視してまで、惨い言葉を投げ掛けるのであろう。
私自身もガン、舌癌を体験して、生死の境をさ迷ったというと大芝居じみた言い方になるが、本当の気持ちとしてはそう大層に構えるものでもなかった。
確かに、当時はまだ現役だったので、いろんな心配事は残っていたが、頭の中で「自分はひょっとしたら死ぬかもしれない」と思ったことは事実だ。
だから、それ以降は何時死んでもいいようにという、開き直った生き方で生きているが、だからと言って、特別に死ぬ前に駆け込みでしておかねばならないことも特にはなかった。
若い時から遊びに遊んで、遊び呆けた観があるので、今更、遊ぶという事もなく、淡々と時の流れに身を任せるだけで十分で、特別なことをする気にもならなかった。
会社の定年を迎え、それと同時に家のローンも返済し、借金が一銭もない身になり、子供も無事に巣立ってくれて、孫も出来、特別に出世したわけでもなく、まして女性にもてたわけでもないが、平凡な人生ではあったが、自分には充分にふさわしい人生であったと思えば、何時お迎えが来ても応じられる腹つもりは出来ていた。
まさしくPPK(ピンピンコロリ)で逝ければ、何時お迎えが来て直ちに応じるつもりである。
直近のニュースにあるように、国際宇宙ステーションに167日間も滞在していた古川聡さんの帰還を見てもわかるように、人類のなしたテクノロジーや科学の進化は目覚ましい物がある。
なのに、生命の輪廻に関しては、人類誕生以来、人々の考え方が一歩も進化しないという事は一体どういうことなのであろう。
まさしく高等教育の敗北ではなかろうか。
人類は誕生以来、死を忌み嫌って来たが、それと同時並行的に、学問を掘り下げて、理念や理想を追い求め、精神の進化を究明しつつ、人間の心の内側から、頭脳の中味にまで学問のメスを入れて、科学としての進化はとめどもなく進んだが、死を忌み嫌い、自死を避けたがる心理は一向に受け入れ難いのは一体どういうことなのであろう。
立派な大学で、立派な高等教育を授けられれば、人間誕生以来の思考に何時までも固執していることに懐疑的な発想が出て来ても不思議ではないが、一向にその気配はない。
いずれ、この地球は人間の生存だけで破滅に至ってしまうのではなかろうか。
これから先の世の中では、当然、過去の戦争で経験したような、人間の数の削減はあり得ないわけで、人間の数は級数的な増え方になると思う。
日本は確かに少子化で、人の数は減る傾向にあるが、地球上には未だに発展途上国は一杯あるわけで、そういう地域はこれから人間の数が級数的に増えるに違いない。
昨今は人権意識が姦しいが、人権、人間の生きる権利というのは、ある意味では我欲の追求でもあるわけで、努力しない者にも食い物を与えよ、という怠惰の勧めでもある。
子育ての出来ない親は、人間の資格がないと思うが、人間の形をしている限り、親にも子にも人権があるわけで、社会が面倒見なければならない。
様々な人が生きる社会は、その様々な人が何かかにか他者と係わり合って、他者の為になっている部分があるから存在価値があり、生き続けるわけで、その様々な人々の中に、何にも社会に貢献することが無い人がいたら、いびつな社会が出来上がると思う。
刑務所には入ったことがないのでよく判らないが、たとえば、犯罪者でも自分の犯した罪を悔い改めながら、軽作業を課せられているという。
なれば死を宣告された死刑囚は、社会に対して反逆し、大きな罪を犯して、社会に対しては何も貢献することがなく、負の貢献、生きていること自体が社会の負担なのだから、一刻も早く死刑を執行すべきだ、と私は思う。
しかし、立派な大学で立派な教育を受けた知識人や文化人と称する人々は、往々に死刑反対を唱える。
死刑というのは人類誕生以来続いてきた刑罰だと思うが、こういう知識人や文化人と称せられる人々は、犯罪者の命を切り捨てる方向だから反対するわけで、命を救うという行為に自己陶酔しているということである。
年取った老人の介護問題は、笑い事や綺麗ごとでは済まされない。
私自身、父親の最期をみとったが、最後の3ヶ月間は正に途方に暮れるという言葉そのものであった。
父の最後の姿を見ていると、日本も早急に安楽死の制度を考えるべきだとつくづく思う。
死にたくないという人に「死ね」というわけではなく、もう充分に生きたのだから、老醜を曝す前に自分で自分の幕引きをしたいという人に、行政が素直に応じるだけで済むではないか。
「自分で自分の人生の幕を引きたい」という人に、「あなたは良く生き抜きましたね、ご苦労さん」と、素直に応じることが何故それ程嫌悪されなければならないのだろう。
この部分を解明すべきが立派な大学で学識経験を積まれた知識人であり文化人なのではなかろうか。
そういう人々が、人類誕生の時の考え方から抜けきれず、旧思想のしがらみに固執し続け、千年も2千年も前と同じ思考回路であったとしたら、理性や知性の敗北と言わなければならない。



「日本海軍400時間の証言」

2011-11-22 09:09:17 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「日本海軍400時間の証言」という本を読んだ。
NHKスペシャル取材班が著した作品で、サブタイトルは「軍令部・参謀たちが語った敗戦」となっている。
この番組は、海軍反省会のテープが見つかったというところから、海軍反省会なるものがあったという事で、その存在が明らかになり、そのテープの内容が本に起こされ、その過程をNHKがスペシャル番組として取り上げたという経緯がある。
そもそも旧日本海軍のエリート達が、戦後密かに集まって反省会を開いていた、という点からして大きなニュースであったわけで、それが平成の世まで秘密であったことの方が本当は問題だと私は考える。
反省会が公開されなければ、真の反省には成り得ないではないか。
一つの失敗があって、その失敗の原因を究明して、再び同じ失敗をしないように究明した原因を公開して、他の人達に周知徹底しなければ、反省するという意味を成さないではないか。
この秘密の反省会に出席していた人達は、その大部分が旧海軍のエリート中のエリートの人達であったわけで、そういう人達は真の反省という意味を、真に理解しないまま、秘密の反省会をいくら開いても、その内容が秘密のままであれば、それは後世の教訓には成り得ないと言う事を知らなかったのであろうか。
海軍のエリートと言われる人たちがこの体たらくでは、勝てる戦争も負けて当然だ。
この海軍反省会の存在は、NHKの藤木達弘プロデューサ―が靖国神社の真向かいにある歴史博物館・昭和館の戸高一成氏に出会わなければ、その存在も世に知られることは無かったに違いない。
端的に言ってしまえば、海軍の生き残りのエリートがいくら反省してみたところで、それは歴史の中に埋没してしまって、後世に何の教訓に残さないまま消滅してしまうという事だ。
先にも述べたように、旧海軍のエリートと言われる人達が、反省会の内容を非公開のままにしておく考え方、発想、思いが果たして良い事かどうか、というのが最大の問題だと私には思われる。
幸いにして、この反省会の存在はNHKのスペシャル番組として、その内容と共に世間に知らされたので、歴史のジグソ―パズルの幾つかのピースを埋めることが出来たに違いない。
その事によって、海軍反省会というその中身が本として出版され、私はその上下2巻に目を通したが、私の感想としては旧海軍の高級将校の反省と言うよりも愚痴を聞く、というような印象しか受けなかった。
そもそも同じ海軍という組織内であっても、海軍省の本省とか、軍令部というようなセクションと、現場の戦闘部隊では同じ組織内の人間ではありえないような意識の隔たりがある。
こういうセクションに身を置く人達は、下々の兵隊たちの存在など全く意に介していないわけで、そういう下々の兵の存在は、自分が身を処すためのツールでしかなく、何人死のうが何百人死のうが、自分と何ら関わりの無い事柄でしかないと思っている。
この意識は日本の官僚に皆共通する認識であって、海軍の軍人だからというわけでもなく、陸軍だからとうわけでもなく、自分が官僚だからであって、官僚であるからこそ、下々の世情には何ら関心を示さないのである。
この地球上に生きる人間は、須らく社会という人間集団の中で生きているが、それを具体的に言い表した言葉に「駕籠に乗る人、担ぐ人、その又草鞋を作る人」と言い古るされたフレーズがあるが、官僚というのはこの言葉でいう「駕籠に乗る人」である。
世間一般の普通に譚力のある人は、須らくこの「駕籠に乗る人」になる為に努力を重ねるのである。
世の中の移り変わり、いわゆる歴史の変遷というのは、この「駕籠に乗る」ということの価値観を、大きく揺さぶって来たわけで、時代によってその籠に乗る立場の認識が大きく変化するわけで、昭和の初期の日本では、それが軍人になって立派な軍人、具体的に言えばここでいう海軍省や軍令部というところで仕事をすることであったのである。
そういう地位を得るためには、一気にそういう地位に行けるわけではなく、海軍兵学校というエリート養成学校で、そういう訓練を受けて、それをクリアーした者だけが海軍という組織の中で駕籠に乗る地位と名誉を得ることになる。
一旦そういう地位に胡坐をかいてしまうと、駕籠を担ぐ人の苦労や、草鞋を編む下積みの努力に何ら注目することなく、自らの保身にのみ身をやつすことになるのである。
私が冒頭に述べたように、海軍のエリートが集まっていくら反省会をしても、その反省会からえた教訓を発表する場を設定しないことには、反省会が反省会足りえないではないか。
ただの愚痴の言い合いでしかないではないか。
そういうことが判らない海軍のエリートと言われた人たちは、何を以てエリートと言われたのであろう。
彼らをエリートというのは、本人達が自分で自分のことをエリートと云っている風にも見えない。
だとすると、周囲の人間が祭り上げた虚像としてのエリートであって、実態はエリートでも何でもなく、只の無能な官僚ということであったのだろうか。
この本のみならず、様々な書籍で海軍がアメリカとの開戦に嵌り込んで行った経緯が語られているが、その中で常に言われていることに、「海軍はする気が無かったが陸軍に押し切られた」という事がまことしやかに語られている。
そういう雰囲気を象徴して、「陸軍悪玉、海軍善玉」説が世間には跋扈している。
そういう風説の中で、海軍が開戦を止められなかったという点で、この反省会には「やましき沈黙」という言葉が出ている。
言うべき事を言わなかった、というやましさを含んだ沈黙があったから、開戦を阻止出来なかったという風に語られているが、そのやましき沈黙の裏には、私の言葉でいうところの「時流」というのがあったように思える。
世の中の風潮に逆らってまで自己の信念を述べる勇気がなく、自分ではおかしいなあと思いつつも、それを表明出来ずに沈黙してしまうことを自戒を込めてやましき沈黙という言葉で表している。
日中戦争から太平洋戦争の開戦まで、我々の同胞の中にも非常に冷徹に国際情勢を見て、日本がアメリカと戦っても勝ち目はない、という事が判っていた人はかなりの数いる。
しかし、そういう人達も、国民世論のイケイケドンドンという風潮に逆らえず、時流に迎合せざるを得なかったという点は実に不可解千万である。
本来、エリートを言われるような人達は、並みの人間よりも頭脳明晰、学術優秀であればこそエリートたり得ているのに、そういう人が肝心のところでエリートの本領を発揮し得ないという事を我々凡人はどういう風に考えたらいのであろう。
この本の中にも旧海軍の失敗の要因はつつがなく指摘されている。
①組織優先で個人の軽視。
②失敗した時の責任の所在の曖昧さ。
③流れ身を任せた結果のやましき沈黙。等々の指摘は、その全部が旧海軍の組織崩壊の遠因になっているわけで、旧海軍のエリート達が現役の時にその弊害を知らない筈はないと思う。
頭脳明晰、学術優秀な兵学校の卒業生が、こういう自分たちの組織の、組織としての幣害を本当に知らなかったとすれば、これは実に由々しき問題だと思う。
これをもう少し違った視点で眺めると、そういう人達が組織崩壊の萌芽を本当に感知、或いは察知・認知していなかったとすると、兵学校の教育は一体何であったのかという根本的な疑問に突き当たる。
兵学校で特に有名な「五省」は一体何であったのかということになるではないか。
①至誠に悖(もと)とる勿(な)りしか
②言行に恥じる勿りしか
③気力に缺(かく)る勿りしか
④努力に恨み勿りしか
⑤不精に亘(わた)る勿りしか
という文言は、兵学校ばかりではなく、我々一般の凡庸な者までが、自分の心の拠り所にして生きていたにもかかわらず、エリート中のエリートがそういうものを無視して世渡りをしていたのかと思うと、実に悔しい思いがする。
昭和16年の秋の時点で、御前会議が5回も開かれて、非戦を、不戦を、戦争回避を、最後の最後まで検討したにもかかわらず、海軍主導の真珠湾攻撃で対米戦の火ぶたが切られてしまった。
この時に、最後の最後まで海軍が開戦に反対していたとしても、多分国内でクーデターが起きて、結果的には遅かれ早かれ対米戦に至ったであろう、という歴史上のIFにはかなり説得力があるように見受けられるが、私の凡庸な思考では開戦はいた仕方ないと思う。
問題はこの作戦の稚拙さである。
結果論ではあるが、千鳥が淵の戦没者慰霊碑の傍に掲げられたモニュメントを眺めると、日本軍の太平洋の戦域の地図をみて、日本軍はどういう戦争をしていたのだ、と思わない同胞は一人もいないと思う。
軍人のみならず市井の一般の婦女子でさえ、我々の同胞の軍隊が、太平洋の全域に戦線を拡げれば、勝てる戦争も勝てるわけがない、と当然思うに違いない。
これが優秀であるとされていた、海軍兵学校を優秀な成績で出た、優秀な軍人の戦争だと考えたとしたら、どういう風に思いを馳せたら良いのであろう。
海外の軍事評論家が旧日本軍を評価した言葉が、「日本軍の下士官兵は世界一優秀であるが、高級幹部は世界一愚劣だ」というものだが、この言葉を兵学校や陸軍士官学校を出た諸氏はどう受け止めるのであろう。
こういう評価は当然の事、本人の耳にも届いていると思うが、どういう思いで聞いていたのであろう。
海軍の弊害の一番最初に来る項目が、組織優先で個人の軽視ということであるが、これは完全に官僚としての弊害の最たるもので、官僚であらんが為に、自分達が戦う集団という本質を忘れてしまっているという事に他ならない。
明治維新以降、近代日本を築いてきた官僚は、真の日本の未来を見据えて、様々施策を講じて来たが、昭和の初めという段階に来ると、官僚であることが立身出世の本質と捉えられたので、自分は官の立場で何をすべきか、ということの本質が失われてしまった。
社会基盤、インフラがある程度整備されてくると、官としての施策にも優先順位が大事になり、優先度の低い物はそうあわててしなくても良いようになった。
そこに大正時代の軍縮も重なって、軍部としても余剰人員を抱え込むようになってしまったので、何とかその余った人間の身の処し方を考えねばならず、その為には何処かで戦争を必要としたのである。
しかし、何人(なんびと)も「人が余ったので戦争をする」という事は口には出せないが、平たくぶっちゃけて言えば、そういうことであったと思う。
日本が太平洋戦争に嵌り込んで行った時と今では、価値観が全く違うわけで、この時代、昭和16年当時は、国の為に殉ずる行為は素晴らしく立派な愛国心の発露と見做されていた。
だから、そういう風潮に上手く便乗して、多くの若者を戦場に送ったものが、優秀な軍人という評価を得ていたのである。
私が個人的に旧日本軍の高級将校、高級参謀にむしょうに腹を立てていることは、本来、勝つ戦争をしなければならないこういうクラスの戦争指導者が、戦争に負けてしまったという点にある。
負ける戦争ならば、何も海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人がやらなくとも、誰でも彼でも、女子供でも出来るではないか。
戦争のプロフェショナルであるべき海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人が、戦争指導して、結果として負けたということであれば、その学校での教育は一体何であったかという事に尽きるし、それだけでは済まされない。
彼らは戦争に勝つ事を期待されて、その前提の元に、教育を受け、俸給を受け、恩給を受けているわけで、それが戦争に負けたでは、自分たちの使命を果たしたことにはならず、俸給も恩給も国に返納して然るべきではないか。
民間企業に例えれば、とんでもない杜撰な経営をして、先の見通しも見誤り、原料の確保も販売の手法もないまま、ただ作れば売れるであろうという専門家にあるまじき判断で経営を推し進め、会社が倒産したにもかかわらず、退職金も年金もまるまる受け取っているようなもので、こんな不合理な話もないと思う。
郵便配達が郵便を届けるように、お巡さんが泥棒を捕まえるように、学校の先生が児童に教えるように、軍人ならば戦争に勝って当たり前なわけで、それが出来ないならば「給料を返納せよ」となって当然ではないか。
この問題は次の責任の所在の不明確さという点にも通じるわけで、これも内側からの内部告発という形でしか改革はあり得ないが、海軍に限っては内部からの告発という事はあり得ないであろう。
考えて見れば当然のことで、現場から遠く離れた軍令部が現地に過酷な命令を出したにしても、軍令部の人間には現地の苦労は何も分からないわけで、理論のみで押し切られてしまったとしても抗弁の仕様もない。
ところが命令する方もされる方も、同じ学校の同級生、同窓生で、共に訓練に励み、苦労を重ねた仲なので、お互いに判りあってしまうので、計画の無理、無駄を真剣に検討する手間を省いてしまう事になる。
結果として杜撰な計画、作戦となってしまうわけで、それが敗北に繋がってしまうという事になると思う。
こういう事が並みの人間の間で起きるならば何ら問題は無いが、事は、日本で最も優秀とされる海軍兵学校のOBの間で起きているわけで、そういう人達には自分たちの仲間意識の癒着がことの成果に如何に影響を及ぼしているか、という事に全く無頓着な点にある。
組織の内部からは、自分たちの責任の所在の隠ぺいし、失敗の反省が全く無い事に対する悔悟の念が微塵もないことの不自然さに誰一人気が付いていない。
本来、優秀であると言われて来た人たちの、この規範というのは一体何なんなのか、という疑問に誰ひとり応えていない。
例えば、開戦初頭の真珠湾攻撃は、想定内の成果を上げて成功と言われているが、これを成功というのであれば、戦争のド素人の発想の域を出るものではない。
戦争のプロフェッショナルの視点から見れば、あれは成功とはいえない筈であるが、彼らは当然のこと成功成功と有頂天になっているわけで、こういう部分が海外の軍事評論家が「日本の高級将校はバカだ」と言う所以である。
ミッドウエイ開戦では日本側は空母を4隻も失っていながら、その最高責任者の責任を追及することもしていないではないか。
真珠湾攻撃で被害を受けたアメリカ太平洋艦隊のキンメルは、彼自身は何の落ち度もなかったに違いないが、厳粛な処分を受けているわけで、自軍があっさりと大きな被害を受ければ、責任を問われるのはいた仕方ない。
しかし、そういうことは我々の側にはあったであろうか。
虎の子の空母を4隻も一度に失えば、当然のこと責任追及されてあたりまえだし、左遷、或いは降格されても仕方がない処置だと思うが、彼らはお互いに同窓生、同級生なわけで、ここでも庇い合いという美しい友情に支えられて、国は奈落の底に転がり落ちて行ったのである。
問題は、こういう事が優秀と言われている海軍兵学校のOBの認識にいささかも反映された形跡がないということである。
ここで五省の一番最初の至誠に悖(もと)とる勿(な)りしか、真心に反する点は無かったか、という自己批判の気持が一切表面化していないと言う事は一体どういうことなのであろう。
司令官として、連合艦隊司令官として、あれだけのミスを犯せば職責を辞すぐらいの謙虚な気持ちがあっても良かったのではなかろうか。
本人にその気がなかったとしたら、職制を通じてでも、その地位と職責を剥奪すべきであったと思う。
国家と国家が死ぬか生きるかの戦争をしているのだから、個人的な感情や同情で、戦争のプロフェッショナルが人事を握って貰っては、天皇陛下も、陛下の赤子である国民も、たまったものではない。
作戦に失敗した司令官は、槍で串刺しにしてでも、後の司令官に作戦を成功に導いてもらはない事には、血税で戦争のプロフェッショナルを養成した意味がないではないか。
戦争に負けるような戦争のプロであるとするならば、今まで受け取った俸給を全額返上せよと言いたくなる。
ここで反省会の中で語られているやましき沈黙というフレーズであるが、これは対米戦をするかどうかの決断の時に、「アメリカと戦争しても勝ち目はない」という事を、言うべきタイミングで言わなかったことへの悔悟の念の表明であるが、当時者にしてみれば、言うべき時と場所で素直に言えたら、本人の胸のつかえやさまざまに思い悩むこともなかったに違いない。
海軍が素直にその事を言ってしまえば、陸軍がクーデターを起こしたかもしれないが、それでも戦後の在り方というか、負け方には大きな違いがありえたかもしれない。
少なくとも日本の祖国が恢塵になることも、邦人が300万も命を落とすことはなかったかもしれない。
そういう意味で、負けることが判っていながら、日本を恢塵にするまで戦い続けねばならなかった海軍の高級将校も実に哀れな存在であった。
そういう事態を回避できなかった日本海軍の高級将校の存在は、やはり海外の軍事評論家のいうように、「高級将校はバカだった」というフレーズに見事にマッチしてしまうではないか。
我々、同胞の中での海軍の高級将校に対する評価は、「海軍兵学校を優秀な成績で卒業した立派な軍人」という評価であるが、戦争に負けたという事実を以てすれば、負けるような戦争をした軍人が優秀であるわけがないではないか。
この文章の冒頭にも述べたが、この海軍反省会は旧海軍の軍令部という海軍の機構の中でも最も高い位置にある生き残りのメンバーが集って反省をしているが、その反省した内容が非公開であったならば、それは後世への歴史の教訓に繋がらないではないか。
反省と言うからには、失敗の原因を追及して、後世のものが二度と同じ失敗をしないように、その失敗の内容を、つまり失敗の傾向と対策を伝えない事には、真の反省には成りきれないはずである。
にも関わらず、ここに集った旧海軍のエリート中のエリートは、その単純なことに全く気が付いていないわけで、いくら時間をかけて議論したところで、内容を秘密にしたままでは、反省会に成り切れていない。
ただの愚痴でしかない。
そしてここの集った人達は、大方の人が兵学校出身の人達ばかりなので、あくまでも同窓会の延長でしかない。
大日本帝国海軍が何故消滅したか、ということは日本の敗戦によってその存在を否定されたからに他ならないが、彼らの口からは自分たちの組織崩壊に関する記述は一切ないわけで、自分たちはあくまでも「駕籠に乗る」立場で、「担ぐ人や草鞋を編む人」のことまでは気配りが廻っていない。
特攻攻撃は誰の発案かという事は詮索されているが、そういう事態に至れば、それから先に勝ち目は無いと言う事を誰一人言い出していない。
まさしくやましき沈黙であって、誰一人として本音を言っていない。
本音を言うと、すぐに相手を非国民と罵倒して、排除しかかるという態度は一体どういう事なのであろう。
我々の同胞の仲間内では、よくこういう事が起こるが、自分と違う意見を言うと相手を排除するという思考は、自分が弱いということをカモフラージュするための方便であったのかもしれない。
やましき沈黙というのは、この延長線上の思考で、気の弱い人は自分と違う意見を聞くと排除の行為に出るが、気の大きい人の場合、自分と違う意見を聞いてもそれを自分の内側に内面化してしまって、自分が相手に擦り寄ってしまうという事なのであろうか。
大勢の人が、右向け右で右を向いている時に、自分一人が左だと内心思っていたとしても、大勢の人に自分を合わせてしまって、後から「人に追従したのは間違いだった」と後悔するのである。
こういう事は我々レベルならば許されるが、海軍のエリートとしてこうであったとしたら決して許されることではない。
しかし、現実には海軍のトップクラスの人も、我々と同じ失敗をしていたわけで、ならば世間の人々がいう「海軍兵学校を出た人は偉い」という評価は嘘で、間違っていたという事になるし、現実に間違っていたからこそ、日本は戦争に負けたという事だ。

「今、読書が日本人を救う」

2011-11-20 09:17:05 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「今、読書が日本人を救う」という本を読んだ。
著者は元NHKのアナウンサーであった鈴木健二氏だが、彼の顔はそれこそ日本中になじみの顔で、知らない人は似非日本人で、日本のテレビを見たことのない人と言わねばならない。
サブタイトルには「鈴木健二の『読書のすすめ』」となっている。
私自身は自分でもかなり本好きな人間だと自負しているが、世間の立派な大学者や著名人が「本を読め、読め」という言葉を鵜呑みするほど初心な思考ではない。
しかし、この本の著者が幼少のころは身体が弱くて本ばかり読む少年であったという実態は、そのまま受け入れざるを得ないが、その本が講談本や落語の本だったという点は大いに共感を覚える。
そして彼の幼少の記憶の中に『譚海』という雑誌の名前が出て来た時には何とも嬉しくなってしまった。
というのも、私の生母は没して既に60年を経ているが、その母の日記を読む機会が最近あった。
その母の日記の中に、病気静養していた母が、私(当時小学校5、6年)に小使いを与えたら、この本を買って来たと記されていたので、私自身、随分マセタ子供だったのだなあと改めて思ったからである。
その後、この雑誌は廃刊になってしまって、私の同世代の中には、この『譚海』という雑誌の名前をほとんど聞いた事が無かったので、その頃から俺は落ちこぼれていたのかなと、コンプレックスを感じていたからである。
しかし、この鈴木氏は、「はしがき」の中で、テレビを見ることと本を読むことを対比させて、テレビばかり見ていると思考力が落ちることを強調するあまり、「テレビが悪いのではなく、テレビを見る人間が悪い」というフレーズが記述してあった。
半分冗談のようなニュアンスが感じられなくもないが、本音だとしたらいささか反論したくなった。
NHKでテレビ放送が始まる前からテレビに関わってきた著者の経歴からして、テレビを愛する人間としての真面目な論議であるとするならば、テレビの堕落を視聴者の所為にするなどという、いい加減なことを言う筈もないわけで、テレビを作る現場ではそれぞれの人が一生懸命仕事に取り組んでいる、ということを強調したかったに違いない。
彼の言い分としては、「今の日本人は、テレビを見る時間を半分にして、その半分の半分の時間で本を読み、残りの半分を身体を動かすことに使えば、心身ともにより健康になるよ」という事が言いたいようだ。
尤もな事だと思う。
しかし、私に言わしめれば、そもそも日本にはテレビ局が多すぎると思うのだけれども、テレビ局で36年も過ごした彼には、そういう発想は根底に無いみたいだ。
NHKは言うまでもなく、半分国営放送みたいなものだが、彼にはそういう意識はほとんどないようだ。
しかし、視聴料で運営されているという事は十分理解されているが、にも拘らず民放との差異については一言も語られていない。
彼がNHKを退職して、テレビのコンテンツを送る側から、受ける立場に変わったという事は十分理解されているからこそ、テレビの堕落が気にかかるという事なのであろう。
だから、送り手から受け手に立場を変えて見ると、今のテレビが如何に見るに耐えない代物か、ということを痛感されたに違いない。
これは彼に対する批判ではないが、今の日本のテレビ界の実情というのは余りにも無策ではなかろうか。
彼はテレビ番組を作る側に身を置いていたので、作る側の苦労を擁護したい気持ちは十分理解できるが、そんな苦労をしてまで放送しなければならないほどの意義深いコンテンツがあるのだろうか。
私に言わしめれば、テレビに携わる人がそんなにまで苦労に苦労を重ねて世間に送り出すに値する有意義な作品というのはそうそうあるものではないと思うが、テレビというものが存在し続けるためには、無理にでもそういうものを捻り出し、あたかも意義があるかの如く振舞わねばならないという事だと思う。
これはNHKのみならず、日本のあらゆる組織について言えることだが、組織の存立の為と称して、しないでも済む仕事まで無理やりこじつけてしているようなところがある。
組織の本来の存在意義を無視した仕事や、あたかも有意義で本来の仕事であるかのようにカモフラ―ジュしてまで、無駄な浪費以外の何ものでもないような事をし続けている。
あたかもそうしなければ組織崩壊に曝されるような、自転車操業でいつ倒れるかもしれないという不安感に苛まれて、そうなってはならじという強固な信念で、継続し続けるという事が往々にしてある。
一度出来上がった組織は、その組織としての使命と意義が果たし終えた後も、目的が果たされたからと言って、組織が解体されることは決してあり得ない。
その顕著な例が大日本帝國軍隊であったわけで、あの日本の軍隊という組織は、組織としての目的を見失ってしまったので、無謀な戦争に嵌り込んで行ったと考えられる。
あの戦争を振り返った時、軍人の中にも「勝てない」という事を知っていた人もいたのだが、だからと言って止めることもできなかったわけで、一度出来上がった組織はアメ―バーの自己増殖のように、増殖の過程がコントロール不能になってしまうのである。
旧国鉄の解体も、旧電信電話公社の解体も、組織としての自己増殖をコントロールし切れなくなった時に、民間移行という組織解体によってしか組織の自己増殖を止めることが出来なくなったではないか。
放送界の事情は、NHKだけではなく民間企業にもあって、適正な競争があるように見えているが、この競争が適正ではなく過当競争になっているので、お互いに共食いの現象を呈して、コンテンツの低値安定というか、低俗化という談合に陥っているように見えてならない。
正確な数字は知り由もないが、日本にあれだけのテレビ局が一日24時間テレビ番組というコンテンツを流し続ければ、内容が枯渇することは火を見るより明らかではないか。
しかし、如何なる業界でもそうであろうが、こういう過当競争を業界の内部から改善しようとすると、談合と言われ、カルテルと言われるので、業界の中からの改革は、タコが自分の足を食うようなもので、そう安易には実現し得ない。
鈴木健二氏も自らが業界内に身を置いていたので、自分の身の回りのことは目に入らなかったに違いないが、放送業界そのものが知性や理性や整合性の飽和状態に陥っていたと思われる。
テレビ番組が低俗化していると云うよりも、テレビ局の数が多すぎて内容を満たすコンテンツが不足しているということである。
悪貨が良貨を駆逐するように、容量一杯に玉石混交で中味が飽和状態になれば、その中では不具合なものを排除する機能が働かなくなって、良質のものが悪質なものに淘汰されてしまい、全体の質が劣化することは必然的なわけで、トータルとして低俗化が免れない。
だから、テレビ番組の内容を云々するよりも、テレビ局の数を適正にする方が先で、テレビ局の過当競争を適正化すれば、番組の内容も必然的に正常化するものと思う。
素人考えでも、今のテレビ局が一日中番組を垂れ流しておれば、一つ一つの番組が良心的になるわけがないではないか。
そういうテレビ業界にいた人が言う、テレビ離れを進める忠告は、実践に即した考えであろうが、そういう人が本を読むことを勧めるというのも、何だか対極的な発想の転換に依るのかもしれない。
彼の場合は放送の本番に立ち向かう前に、数々の資料としての本を読むという行為が、同時並行的に行われていたのかもしれないが、それは彼の生来の頭脳がなせる技であったことは間違いない。
普通に常識のある人ならば、自分の過去や生い立ちを自慢たらしく語る人はいないわけで、誰でも控え目に目立たないように語ってこそ奥ゆかしさが醸し出されるので、その意味で言葉の端はしに謙遜が隠されていてこそ教養人の語り口なのである。
私も本好きを自負しているが、根が阿呆だから、本を読み終えて最後のページを閉じた途端にその内容をすっかり忘れてしまって、今読んだ本には一体何が書いてあったのかさっぱり思いだせないので、私にとっての読書は時間の浪費に過ぎない。
余りにも記憶に残らないので、それでは本を読んだ意味が無いと思って、最近では読んだ本から受けたインスピレーションを書き止めておくことにしたが、これをやり始めたら結構面白くなって、本を読むことがより楽しくなった。
鈴木氏も、先に読んだ斎藤孝氏も、親から引きついたDNAとしての生来の頭脳が、並み以上に優れているので、そういう人から見れば本を読むという行為が御飯を食べるのと同じくらいの平易なことかもしれない。
ところが、本を読むという行為は、誰でも彼でもそう安易に行える行為ではないと思う。
それは頭脳の善し悪しとは別次元の事で、人の潜在能力が千差万別であることには異論が無かろうが、だとすれば「本を読め」と言われたからといって、誰でも彼でもがすぐにそれに取りかかれるとは限らないと思う。
本が読めない、読まない、読むことが嫌い、出来ない人でも、社会にとって有益なことをする人は掃いて捨てるほど居るわけで、読書は良い事だ、本を読むことは有益なことだ、という発想はある種の思い込みでもある。
テレビばかり見ていると弊害が出るというのは真理であって、まさしく正論であろうが、だとすればそのテレビ番組の中味を再検討、再認識すべきは国家プロジェクトですべきであって、一刻の猶予もないという事に尽きると思う。
人間の社会には、太古の時代から優れた個人はいると思うが、統治者や為政者は、往々にして失政ということをしでかすにも拘らず、個人的に優れた人物が、その失政をただしたという記録は無い。
歴史の中に個人の実績は埋没してしまって、統治者や為政者の失政という事実は、継承され記録されるが、そのシステムの中で個人の発した啓蒙というカンフル剤の存在は忘れ去られてしまう。
過去の歴史から未来の教訓を掘り起こそうとすれば、時代の節目節目で作用したであろう、個人の意見としてのカンフル剤の存在を研究しなければならないと思う。
昨今のテレビの堕落にも、見る側の選択はスイッチをONにするかOFFにするかの選択でしかなく、テレビ界の品質向上に資する努力は、テレビ局の数を適正規模に淘汰することから始めなければならない。
鈴木健二氏の言うようなテレビ漬けの人間が果たしてこの世にいるかどうかもはなはだ疑問である。
第一、我々自身の身の回りを見ても、朝から晩までテレビばかり見ている人が本当に居るであろうか。
身動きできない病人だとて、そんなことはしていないと思う。
つまらない番組ならばスイッチを切っていると思う。
あくまでも見る側は自分の意思で見る番組を選択しているわけで、自分の意思で選択した番組が低俗な物ばかりであったという嘆きは充分にありえる。
こういう状況であれば、確かに「テレビを見る人が悪い」という論旨は整合性を持つようになるが、これは情報の送り手と受け手の商売の仕方、つまり金儲けの手法の善し悪しを論ずるようなもので、その基底の部分に如何に金儲けをするか、という根源的な資本主義の原理原則が横たわっていると思う。
テレビの堕落は、目に見える形でその自堕落な生態が確認できるが、出版界においても、出版の堕落というのは世間の人々を大いに蝕んでいると思う。
昨年だったと思うが、東京都がアダルト本は特別なコーナーで扱うように条例を出して話題を提供したが、出版界でも大人の知性や理性が問われるような低俗なコンテンツは山ほどあるわけで、こういう議論が湧きたつこと自体、現代人の精神的堕落を指し示していると思う。
過去にチャタレイ裁判というのがあって、「チャタレイ夫人の恋人」という小説が道徳の規範に合うか合わないか大論争になったが、これは日本の知識人が、自分たちの倫理観の枠組みを自分で決められないという事を指し示している事例である。
ある物事を表現するのに、それがエロかグロか、公序良俗に反するかどうか、子供に見せられるかどうか、学識経験豊富な知識人が自分たちで答えを出し切れないということである。
公序良俗という価値観も、時代の推移と共に変化するのが当然で、昔は良かったが今は許されないとか、その逆に昔は駄目であったが今は許されるという事も大いにありうる。
しかし、戦後のチャタレイ裁判というのは、何が良くて何が悪いかを大の大人が決められなくて、上から下まで大騒ぎを演じたということである。
これは、統治者や為政者の権力が絶大な時は、上からのツルの一声で治まってしまうが、民主化された社会では、そういう上からの押し付けに下々のものがああでもないこうでもないと屁理屈を並べて抵抗する姿である。
下々の、大勢の、有象無象の大衆が、上から押し付けにああでもないこうでもないと屁理屈を並べて盾突いた結果が、民主化と称する文化の自堕落に繋がっているのである。
上からの価値観の押しつけに抵抗した図が、チャタレイ裁判であったわけで、その結果として、従来の常識であった公序良俗の価値観の枠組みの箍(たが)がはずれてしまったので、後は何処までも民主化と称する自堕落が浸透して、今日のエログロナンセンスに行き着いたのである。
テレビ局が、この狭い日本の在り余るほどあるのと同じように、出版社も矢張りテレビ局と同じように、この狭い日本に在り余るほど存在している。
当然の事、過当競争をしているわけで、そうなればなったでそのコンテンツの質的低下は免れない。
コンテンツの質で競争し合うのであれば喜ばしい現象であるが、お互いに生き残る為の生存競争も兼ねているので、生きんが為にはどうしても売れる本にしなければならず、その為には人の関心を引き付ける刺激的な内容にしなければならない。
結果として、良心の負のスパイラルに嵌らざるを得ず、公序良俗に抵触するぎりぎりの選択に追い込まれてしまうという事になる。
私の子供のころは、女性の陰毛を不特定多数の目に曝すなどという事は考えられなかった。
ところが今は雑誌や週刊誌のグラビアに堂々と掲載されているわけで、昔の規制は一体何であったのか、という屁理屈になるが、考えて見れば、普通に健康な人ならば、あるところにあって当たり前のもので、規制する法の論理が不可解という事になる。
雑誌や週刊誌のグラビアに載っている健康な女性の裸体と、エロ・グロを何処で見分けるかという課題はかなり難解なテーマだと思うが、鈴木健二さんや斎藤孝氏は、こういう愚劣極まりない問題は思考の中には無いのではなかろうか。
私にとっては、読書という事を考えると、こういう方面にも思考が傾いてしまって、我ながら自分の未熟さに嫌気がさしてしまう。
だが鈴木健二氏が自分で言うところによると、彼は「寝転んで本を読む癖がある」とこの本の中で述懐しているが、この部分を読んだ時には思わず抱腹絶倒してしまった。
こういう事が私にはしばしばあって、これは実に困ったことだ。
まだ現役の時、通勤の電車内で吊革に留まりながら本を読んでいて、いきなり抱腹絶倒のフレーズに出会うと、思わず吹き出し笑いをしてしまって、まことに困る。
過去にそういうことがたびたびあって、その度に身の置き所に困ってしまう。
この「寝転んで本を読む」というのは、私程度の愚劣な人間の振舞いかと思っていたところに、鈴木健二氏ともあろう者が、私と同じ本の読み方をしているのかと思うと、それこそ噴飯もので思わず笑いこけてしまった。
「本を読めば悧巧になる」というというのは、こういう頭脳明晰な人の思い上がりか、独りよがりな思い込みに過ぎず、私ごときものは本をいくら読んだところで、バカが悧巧に化けるという事はあり得ない。
バカは本の読み方もバカなわけで、バカがいくら集まっても、ゼロがいくら集まってもゼロであるのと同じで、決して悧巧になることはあり得ないと思っている。
本来、鈴木健二氏や斎藤孝氏のように生来的に恵まれた頭脳の持ち主が、つまらない世俗的なことに思い悩む煩わしさから免れるために、様々な書物を読むという事は、文化の振興に大いに貢献するであろうが、我々レベルの箸にも棒にもならないものがいくら本を読んだところで、世間に益する事はあり得ない。
今の日本人が、これから本を読めば世界がいくらかでも良くなるというのは幻想にすぎない。
鈴木健二氏は、テレビ誕生前からラジオというメデイアを通じて、本を読むという事を普及せしめるべく努力を重ねられてきたであろうが、その結果として今日の日本人が、鈴木氏の期待に応える存在かと問い直せば、答えはそうではないと言える。
テレビは誕生以来日進月歩で進化し続けて今日の姿を呈しているが、それと同じ進化は出版界もしているわけで、テレビ漬けの人間がいる一方で、読書漬けの人間もそれと同じだけ居たに違いない。
だが、出版界の進化は一向にカウントされずに来ているように思う。
テレビを見るという行為は、ながら族という言葉もあるように、テレビを見ながらでも他の仕事を同時並行的にし得るが、本を読みながら他の仕事こなすという事はあり得ない。
そういう私は、本を読みながら自転車に乗っていて、止まっているダンプカーに顔面衝突した事があるが、こういうことはまず普通の人ではありえない。
どんな卑猥なエロ本だとて、他の仕事をしながら読むという事はあり得ないわけで、本を読むからには全ての仕事を止めてからでなければし得ない。
せいぜい寝ながらしかできないわけで、その意味から読書という行為は構えてかからねばならない。
構えて読書をするという意味では、卑猥なエロ本を読む時は、隠れて薄暗いところで自分一人で読まねばならず、読んだ後も読んだことを隠さねばならず、その本の処分にさえ無い知恵を絞らねばならない。
問題は、そういう人に隠れ読まねばならない発禁本がこの世に出るということの不思議さである。
最近はインターネットのコンテンツにもそういう卑猥なものが数限りなくあるわけで、人間の希求する知性とか知性というは一体何なんだと不思議に思う。
この世に出て来た発禁本は、見つかった時点で没収されるが、発禁本を出す側を、出す前に取り締まろうとすると、出版の自由を侵すだとか、表現の自由を侵すだとか、公権力の横暴だとかと、学識経験豊富で本来ならば理性と知性の権化と称されるような革新的な人々が反対するわけで、結果としてエログロナンセンスの極致に至るという事だ。