NPOな人

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江戸の自治(1)

2010年03月27日 | エコでボランタリーな江戸の町
毎日、新聞やテレビでは事件や事故のニュースが多くてうんざりしますね。では、江戸時代はどうだったのでしょうか。私が学生の頃(昭和30~40年代)、封建制社会は士農工商という身分制度にしばられ、年貢の取り立てが厳しく、飢饉と一揆と打ち壊しに明け暮れていた悪い社会であるというようなトーンで教えられていました。加えて、テレビでは毎週決まって半七や伝七、銭形の親分が極悪人をこらしめていましたので、江戸時代は犯罪が多かったと刷り込まれていたように思います。

初めて全国規模の人口調査が行われた享保6年(1721年)の江戸では、町方人口は501,394人という数字が出ています。武士は国元との出入りが激しく統計もありませんが、町方と同程度の人数がいたと推定されますので、これ以降幕末まで100万人以上が江戸に住んでいたと思われます。

その町方を取り締まる町奉行所は南北に所在し、それぞれに与力25騎、同心120人が配置され、ひと月交代で業務を行っていました。その職掌は、江戸府内の武家・寺社を除いた市民の行政、司法、警察の事務のほか、消防、土木上水道までと範囲はかなり広かったようです。

一方、警視庁の統計によると平成20年の刑法犯の認知件数は、212,152件(うち凶悪犯は1,186件)です。平成21年12月1日現在の東京都の人口は、12,907,189人ですから、人口60人当たり約1件の犯罪が発生していることになります。

もし江戸時代に、現在と同じ率で犯罪が発生していたと仮定すると、その数は約100万人を60人で割った約16,666件となりますが、南北町奉行所を合わせて250人しかいなかった役人で年間1万6千件以上の犯罪に対応することなど不可能です。江戸時代は、私たちが想像するより遥かに犯罪が少なく安定した社会であったと思われます。また、そうした社会を支えるためには町方による自治の仕組みが出来ていたのですが、それは明日のブログで紹介したいと思います。

余談ですが、同心に従って歩く小者は非公認・半黙許の手先で、時代劇でおなじみの御用聞きは全くの非公認の手先で陰のものであり、誰が何という御用聞きをつかっているか御奉行様は御存じなかったようです。こうした小者は博徒などが兼ねていたこともあり二束の草鞋と言われる所以ですが、往々にして庶民に迷惑をかけていましたので、たびたび使用禁止令が出ています。

因みに、伝七親分が物語のラストで親指と人指し指で「よよよい よよよい よよよいよい」とやりますが、イスとテーブルが置かれた一杯飲み屋なんて江戸時代にあるわけがありませんので、時代劇はエンターテイメントとして楽しむだけにすべきでしょうね。
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