横田予防医学研究所

現代医学で原因未解明とされている慢性諸病は
今だ本当に解明されていないのか?
その答えを述べたいと思っています。

座して死を待つのか? それとも・・・その98

2008-07-28 10:42:56 | Weblog
 私は先に、“達磨さんが転んだ”のゲームを、人間の一生を100年として一年を1メートルとして100メートルという風に設定して述べました。
 寿命が90歳、100歳、泉重千代さん並の120歳あるいはそれ以上であるならば、ほぼ大往生と考えても良いのではと私は思うのです。

 ところが、寿命が一桁台~五十、六十歳台で亡くなられる方もおられます。
 そして今後、このような、いわゆる“若死”する人が激増するであろうと、私は酸性腐敗便学説の上に立って現行の生活(ことに食生活)環境を見渡しました時、予測するのです。

 厚生労働省はまだこのことに気づいておりませんが、このような若い世代の者たちが親たちよりも早死にする、いわゆる“逆さ仏”が頻発するような世の中は、例え大往生された場合でさえも悲しみは深いのですが、それ以上に遥かに大きな悲しみと、我が国の国家としての活力の大幅な低下をもたらすものであります。

 私は、慢性病の根本原因である酸性腐敗便の産出・吸収は、一過性の出来事であるのだと結論しています。したがって、上記のような年齢で酸性腐敗便が直接原因で若死にされた人々も、酸性腐敗便学説の知識をご自分乃至周囲の人々が持っていて、これに対する適切な対処がとられたならば、上手くクリアできて、長生きすることもできたはずであると確信しております。
 酸性腐敗便の存在とその害についての無知ゆえに、何台もある人生の中で遭遇する病気というハードルの、最初に近い部分の台でこけて転んでしまうことは、そのハードルの正体を明らかにできたと確信する私どもにとっては、自らの研究成果の啓蒙に対する力量不足を痛感し、極めて残念でならないのです。
 そのハードルでつまづかなければ、それに続くあと何台かのハードルを必ずや跳ぶ事ができたはずであると私どもは判断しているからです。

 このような若死にの問題に関しては、できるだけ早期に対策の手を打つ必要が当然あるのです。
 ただ、このようなことの病巣の根は非常に深いものがあると考えられるのです。
 例えば、人間が生きてゆく上で何が大事であるのかという価値観が、近年相当に変化してきております。問題の根はこのような部分にまで及んでいると私は考えています。
 私が何を言わんとしているのか、抽象的で判りにくいと感ぜられる方がおられるかも知れませんが、その説明はここでは割愛させて頂きます。