生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

阿弥陀様と月影

2018-02-27 07:54:18 | 日々の暮らし
昨日は寂しい思いや、暗くなったことがありました。

ある人が何かに苦しめられて毎晩うなされていると打ち明けられました。

年配の女性がしがみついているのが見えました。

どうも生き霊のようです。

恨みを抱いているのか、欲を持ってとりついているのでしょうか。

できる範囲で阿弥陀佛様のお力をお借りして
お祓いさせて頂きました。

さて、人はこのような
場面にあうと何気に
寂しさを感じてしまいます。




『しかしこの寂しさは

人を真面目にする。

しんみりさせる。

正直に何かを求めさせる。

謙遜にしてくれる』

(武者小路実篤)

「寂しさ」を知っている人は、しんみりとしながら、こわがらずに自分と向かい合おうとする人です。

あの人は暗いといわれても構うことはない。

寂しさを知る人は謙虚になれると述べています。

仏教用語に「寂寞(じゃくまく)」があります。

生きることのもの寂しくひっそりしていることの意味があります。

賑やかばかりでなく、寂しさも感じさせる人が信頼されるようです。

『すこしも暗黒がないとしたら、

人間はその身の堕落に

気づかないであろう。

すこしも光がないとしたら、

人間は救いを願わないであろう。

自分のみじめさを知らずして、

神を知ることはできない』

(パスカル)


人に暗いところがあるのは、人間としてまともに生きている証拠である。
暗いから、神はほど遠いと自覚すると述べています。

親鸞も同じ事を述べています。

自分は『煩悩具足の凡夫』と
だから阿弥陀様にすがるしかないと述べています。


自分の暗いところは、
誇りに感じなさいと説いています。

人の世は一人では生きていけません。

寂しさと孤独も必要なものだと思います。

また、どんな辛い時でもあなたは見守られていますと

法然上人(ほうねんしょうにん)が言ってます。

「月影の

いたらぬ里は

なけれども

眺(なが)むる人の

心にぞ澄(す)む」

この和歌の意味は、

阿弥陀仏の慈悲で救わ

れるのは、厳しい修行

をした僧侶とか財力の

ある人だけでなく、

すべての人が、平等に救われるものだと説いています。

太陽はまぶしすぎますが、月の光はすべての人がゆったりと穏やかに眺められる。

そんな月の光のような

優しい心をもてば、

いつもあなたは見守られている。

と言うことでしょうか。

今日は寂しさと暗さ、

どんな時も、

あなたは誰かに

見守られているというお話をさせて頂きました。

今日の善き日に


合掌



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