生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

寂寞(じゃくまく)

2019-02-08 02:30:18 | 日々の暮らし

この世はすべて明暗、正負(+-)である。 人は何気に寂しさを感じてしまう時があります。 『しかしこの寂しさは 人を真面目にする。 しんみりさせる。 正直に何かを求めさせる。 謙遜にしてくれる』 (武者小路実篤) 「寂しさ」を知っている人は、しんみりとしながら、こわがらずに自分と向かい合おうとする人です。 あの人は暗いといわれても構うことはない。 寂しさを知る人は謙虚になれると述べています。 仏教用語に「寂寞(じゃくまく)」があります。 生きることのもの寂しくひっそりしていることの意味があります。 賑やかばかりでなく、寂しさも感じさせる人が信頼されるようです。 『すこしも暗黒がないとしたら、 人間はその身の堕落に 気づかないであろう。 すこしも光がないとしたら、人間は救いを願わないであろう。 自分のみじめさを知らずして、神を知ることはできない』  (パスカル) 人に暗いところがあるのは、人間としてまともに生きている証拠である。 暗いから、神はほど遠いと自覚すると述べています。 親鸞も同じ事を述べています。 自分は『煩悩具足の凡夫』だから阿弥陀様にすがるしかないと述べています。 自分の暗いところは誇りに感じなさいと説いています。 人の世は一人では生きていけません。 寂しさと孤独も必要なものだと思います。 また、どんな辛い時でもあなたは見守られていますと法然上人(ほうねんしょうにん)が説いています。 「月影の いたらぬ里は そひなけれども 眺(なが)むる人の 心にぞ澄(す)む」 この和歌の意味は、 阿弥陀仏の慈悲で救わ れるのは、厳しい修行 をした僧侶とか財力の ある人だけでなく、すべての人が、平等に救われるものだと説いています。 太陽はまぶしすぎますが、月の光はすべての人がゆったりと穏やかに眺められる。 そんな月の光のような 優しい心をもてば、いつもあなたは見守られている。 と言うことでしょうか。 「富を得たものはその分の悩みを背負うもの必ず負がついて来る。 その負を先に払うか死んでから払うか…。」     (三輪明宏) ゴッホや宮沢賢治は死んでから作品が評価されました。 今日は明暗と正負について述べました。 あなたはいつも誰かに 見守られています。        合掌

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