JR根岸線石川町駅を元町方面と反対方向へ歩いて行くと亀の橋があって、その交差点から左に入ると地蔵坂であります。「横浜の坂 著者 小寺 篤 発行者 今野繁光によると次のような記述がありましたので、投稿いたします。
その道は本牧方面へ行く道路で、左側は傾斜で崖になるので人家はすぐに尽きる。そこのところに地蔵堂はあるのだが、トタン葺きの小さなあばら屋で扉もどこかのあまりものを持ってきたようで格子の骨もくずれかけ、わずかに御影石で造られたこれは由緒あり気なお手洗いがわずかに物置然とした小屋の存在を救っている。
蝋燭をあげている一人の老爺の姿でもなかったならば、やはり気がつかないで通り過ぎてしまったことだろう。お地蔵様は二体、狭い土間に並んで鎮座していた。この地蔵堂については、東野伝吉に書いたものがあるので、拝借しよう。
「横浜に地蔵坂と云うかなり古い時代にできた坂があり、トンネルが開通するまでは、関内たりから本牧方面へ抜ける要路であった。江戸末期あたりであろうか、そこに地蔵尊が作られ、明治の末から大正の初めにかけては、馬に人参や地蔵尊に上がった供物用の菓子などを与えるという。馬の好きな堂守りがいた。その人が亡くなり、後に別の人が引き継いだのだが、大正12年の関東大震災で崩壊したので、氏家さんという人が再興した。やがて空襲の炎にあおられはしたものの、今なお路傍にそのまろやかな顔を見せている。
土地の人とはこれを「満願地蔵」とよんでいるが、なにを祀ってあるのか、どんな経緯で建立されたのかははっきりしない。しかし、明治29年生まれ、まもなく80歳になろうと云う老婆は、わたしの問いかけに、「ワタシガ娘ノコロハ、荷車ノ荷物ヲ馬力デ坂上マデ引キ上ゲル仕事ヲ専門ニヤル人ガイテ、ワタシラハソノコトヲ≪先駈ケ≫ト呼ンデイマシタ。デスカラネ、アノ地蔵サンハタブン馬ヲ祀ッテアルノダト思イマスヨ」(「昭和25年5月29日」)
だが、わたしのあった老爺は、これは子安地蔵だと言った。もとはもっと坂の上の方にあったのを、こんな下の方へ移ってきたのだという。地蔵はとりわけこどもの安泰を守ってくれるものとされ、子安地蔵の信仰は普及してきて、広く民間に受け入れられたものであった。
「安産祈願もされました」と老爺は語っていた。この人がこの堂の世話をしているのだろう、道をよぎって反対側の家へ帰っていった。雨の中をひらひらと飛んでくるのは、坂の上の崖上に散る桜の花片であった。などと記載されていた。
(文中の地蔵さんの位置と思われる場所)「左階段は(小坂入口至るイタリア館)」
(現在の安置されている地蔵さんの位置 「亀の橋交差点」)
(中村川の上を走る首都高速神奈川三号狩場線「亀の橋交差点」)
(地蔵坂の中間付近)
(地蔵坂上り)
(地蔵坂を山手本通りから下方へ背の景)
その道は本牧方面へ行く道路で、左側は傾斜で崖になるので人家はすぐに尽きる。そこのところに地蔵堂はあるのだが、トタン葺きの小さなあばら屋で扉もどこかのあまりものを持ってきたようで格子の骨もくずれかけ、わずかに御影石で造られたこれは由緒あり気なお手洗いがわずかに物置然とした小屋の存在を救っている。
蝋燭をあげている一人の老爺の姿でもなかったならば、やはり気がつかないで通り過ぎてしまったことだろう。お地蔵様は二体、狭い土間に並んで鎮座していた。この地蔵堂については、東野伝吉に書いたものがあるので、拝借しよう。
「横浜に地蔵坂と云うかなり古い時代にできた坂があり、トンネルが開通するまでは、関内たりから本牧方面へ抜ける要路であった。江戸末期あたりであろうか、そこに地蔵尊が作られ、明治の末から大正の初めにかけては、馬に人参や地蔵尊に上がった供物用の菓子などを与えるという。馬の好きな堂守りがいた。その人が亡くなり、後に別の人が引き継いだのだが、大正12年の関東大震災で崩壊したので、氏家さんという人が再興した。やがて空襲の炎にあおられはしたものの、今なお路傍にそのまろやかな顔を見せている。
土地の人とはこれを「満願地蔵」とよんでいるが、なにを祀ってあるのか、どんな経緯で建立されたのかははっきりしない。しかし、明治29年生まれ、まもなく80歳になろうと云う老婆は、わたしの問いかけに、「ワタシガ娘ノコロハ、荷車ノ荷物ヲ馬力デ坂上マデ引キ上ゲル仕事ヲ専門ニヤル人ガイテ、ワタシラハソノコトヲ≪先駈ケ≫ト呼ンデイマシタ。デスカラネ、アノ地蔵サンハタブン馬ヲ祀ッテアルノダト思イマスヨ」(「昭和25年5月29日」)
だが、わたしのあった老爺は、これは子安地蔵だと言った。もとはもっと坂の上の方にあったのを、こんな下の方へ移ってきたのだという。地蔵はとりわけこどもの安泰を守ってくれるものとされ、子安地蔵の信仰は普及してきて、広く民間に受け入れられたものであった。
「安産祈願もされました」と老爺は語っていた。この人がこの堂の世話をしているのだろう、道をよぎって反対側の家へ帰っていった。雨の中をひらひらと飛んでくるのは、坂の上の崖上に散る桜の花片であった。などと記載されていた。
(文中の地蔵さんの位置と思われる場所)「左階段は(小坂入口至るイタリア館)」
(現在の安置されている地蔵さんの位置 「亀の橋交差点」)
(中村川の上を走る首都高速神奈川三号狩場線「亀の橋交差点」)
(地蔵坂の中間付近)
(地蔵坂上り)
(地蔵坂を山手本通りから下方へ背の景)