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日本初の洋式公園発祥の地

2015-09-05 09:32:17 | 日記
 今日は、山手公園に行って来ました。テニスコートに面した所に、「日本初の洋式公園発祥の地」とありましたので、「横浜山手公園物語 著作者 鳴海泰一」を調べてみると、次のような記述がありましたので、投稿いたします。
 我が国の公園制度は、明治6年(1873)に明治政府の「太政官布達第16号によって始まる。「三府を始、人民輻湊の地にして古来の勝区名人旧跡等、是迄群集遊観の場所(東京に於いては、金龍山浅草寺、東叡山寛永寺境内の類、京都に於いては、八坂神社、清水の境内、嵐山の類、総て社寺境内除地或は公有地の類) 従前高外除地に属せる分は、永く万人偕楽の地とし、公園と可被相定に付、府県に於いて右地所を択ひ、其景況巨細取調図面相添、大蔵省へ可伺出事」
 こうした政府の強引とも思われる布達によって、その年のうちに、東京の上野、芝(増上寺)、深川(冨岡八幡社)水戸の偕楽園、新潟の白山神社、大阪の住吉神社、宮島の厳島神社など25の公園が生まれた。しかし、それらは元々お寺や神社の境内として一般に使われていたが「公園」と名前を変えただけで、新たな公園を作ったものではなかった。
 江戸時代の社寺は境内地を始め、朱印地(寺社領)黒印地(年貢・課役の免除)が多くて優遇されてきた。そこで明治6年の地租改正のときに、実際に社寺が使用されている境内を除いて、残りを政府に無償で公園として差し出させることとしたのである。
 その真意は、地租改正によってこれまで無税であった寺社に課税すると、境内を開発して利益をあげようとして開発する恐れがあるので、人々がこれまで楽しんできた境内を「永く万民の公園」としたいので、政府に届け出るようにという趣旨である。
 同時に、その意図のなかに外国人からの要求にあるような公園を設けることで、庶民の不満を和らげて明治政府の恩恵を示そうとしたのである。従って、最初に公園とする場所は、手っ取り早い社寺の境内(府県管轄)が多かった。
 明治7年(1874)の「神奈川県治一覧表」によると、神奈川県で次の6ヶ所が公園となっている。ただし、開設年と面積の記載はない。
 1 久良岐郡横浜村 山手・外国人用
 2 久良岐郡堺町通 彼我公園
 3 多摩郡府中駅丸山 丸山
 4 多摩郡百草村 八幡社地・百草
 5 橘樹郡大師河原村 平間寺境内 川中島
 6 高座郡宮山村寒川神社内 宮山
 大政官布達から30年後、更地に日本人が西洋の公園をモデルとして設計し、初めて本格的な洋式公園として明治36年(1903)に造られたのが、2003年で開設100年を迎えた日比谷公園である。
 しかし、その太政官布達の3年前に独自に洋式に設計されて造成されたのが山手公園なのである。それがたとえ外国人を対象としてものであっても、やはり我国初の公園でということであろう。と記述されていた

(山手公園に隣接する風致地区見取り図)

(洋式公園発祥の地の碑)

(史跡記載内容)

(横浜市の公園発達史年表)

(国指定名勝 山手公園およびテニスコート)

(山手公園内)

(山手公園内)

(山手公園内)

(山手公園内)