(センター正面)
今日は、埋蔵文化財センターへ行ってきました。このセンターは、昭和44年に発足した横浜市埋蔵文化財調査委員会が永年に亘って市内、特に、港北ニュータウン地域や各地の遺跡で出土した遺物、報告書の保管及びその一部を展示し、加えて、研修室も備え講座や体験学習などに活用している建物であります。
パフレットによれば、横浜市全体の遺跡はおよそ2、500ケ所が確認され、神奈川県全体の1/3に達していて、これらの年代は、約20、000年前の旧石器時代から、新しいものでは、約130年前の近世末期まで、うち、最も多いのは、縄文時代の遺跡で、全体の7割にも達していると書いてありました。
また、遺跡は、市内18区全域にわたり発掘されており、最も多いのは、都筑区の429ケ所、次いで港北区の244ケ所、第3位は、戸塚区の188ケ所であります。逆に最も少ないのは、中区の17ケ所で調査確認されたとなっていました。
なお、中区の少ないのは、遺跡発掘が行われないまま開発が進んだためか、展示室の解説による地球の温暖化によって、現在の気温より2度高く海面が4メートル位高とあります。これらの関係から地盤の低い中区には、遺跡が少ないのかと思われます。
学芸員の説明によると各地域での土地開発はもとより、道路の新設などにより、遺跡が発見される度に調査を行い埋蔵の実態等を調査報告書として纏められると遺跡は埋め戻されて、それぞれ開発の目的に沿った土地利用を行っているそうであります。
従って、遺跡として保存されているところは、それなりの価値のある場所に限り保存されている。このようなことから、埋蔵文化センターは、遺跡として保存されなかった各地の埋蔵品や調査報告書を保存していると書かれています。
一方、今回、埋蔵品として展示されている古いものでは、縄文時代の中期から江戸時代までのものをショーケースに、年代別順に配置展示されていました。
中でも驚いたのは、縄文中期に、既に、装飾品の数々があったことです。また、この装飾品を付けていたのは、村の長老と思われるが、その装いがどのような状態にあったか興味深いところであります。
何れにしても、当時は、食べること住むこと「いわゆる”衣食住”」が最も優先されると思っていましてが、何と装飾品が出土していることにビックリでありました。
(装飾品の数々)
(江戸時代太刀など)
(弥生時代土偶御守?)