故郷に住んでいるお友達が来月、大きな手術をします。
遠く離れているのでお見舞いに行くのもままなりません。
せめてもと薬祖神である大己貴命と少彦名命にちなんで病気平癒や健康のご利益が有ると有名な上野公園にある五條天神社へお守りをいただくため参拝して参りました。
手水舎です。
八角形の台座には蓮の形の手水鉢、柱も八角柱で屋根は正方形。
鳳凰がのってます。
形も珍しいですが、神社なのに蓮がモチーフとはチョッと不思議な印象でした。
こちらが本殿。
五條天神社は、日本武尊が東征の際に上野忍が岡に創建されたといいます。
ご祭神は大己貴命(別名:大国主命)、少彦名命の2柱。
寛永18年(1641)に菅原道真公を合祀、寛永寺創建にあたり神職瀬川邸に殿座、後の震災の後、現地に昭和3年遷座されたそうです。
毎月10日には病気平癒の祈祷「医薬祭」が行われます。
上野公園の他の寺社仏閣とは異なり、境内にはピーンと張り詰めた空気が漂う厳粛な雰囲気でした。
きっとご利益があると信じ、名前と住所を告げどうかよろしくお願いいたしますと一心に願って参りました。
ご朱印をいただきました。
拝殿左に建っていた神楽殿でしょうか?
気付かなかっただけかもですが、何も表示がありませんでした。
五條天神社と同じ境内には花園稲荷神社があります。
五條天神社と花園稲荷神社は共にパワースポットとしても有名だそうです。
鳥居(入口)は別なのですが、同じ敷地内。
てっきり境内社かと思いきや、五條天神社の兼務社であって別の神社でした。
赤い鳥居が続く参道。
ご由緒
古くから此の地に鎮座し、「忍岡稲荷」が正しい名称ですが、石窟の上にあった事から俗称「穴稲荷」とも云われていました。
承応三(1654)年、天海大僧正の弟子、本覚院の住僧晃海僧正が霊夢に感じ廃絶していたお社を再建し上野の山の守護の神としました。
幕末、彰義隊の戦いでは最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。
後、明治六年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、「花園稲荷」と改名、五條天神社が現地に御遷座になるに及び、社殿も南面して造営され神苑も一新されました。(旧社殿は俗称お穴様の処です)
お穴様の左奥にありますお社は、古書に弥左衛門狐と記され、寛永寺が出来る時に忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐れみ、一洞を造り社を祀ったと云われます。
社地はお穴様を中心にし約二千坪(今の精養軒や韻松亭を含む6600㎡ありましたが、明治の上地の為、現在は五條天神社と併せて約一千坪になりました。)
恋愛・縁結びの神様として有名な花園稲荷神社。
五條天神社とはうって変わってこじんまりとした境内は、良い意味でごちゃごちゃしていて庶民的な印象でした。
御祭神 : 倉稲魂命(別名:豊受姫命)
社格 : 村社
創建 : 不詳
ご朱印は五條天神社でご拝受できます。
拝殿の前には穴屈稲荷があります。
入口には鉄格子の扉がありました。
中は撮影禁止です。
病気平癒にご利益がある神社を探し、私がたどり着いたのが五條天神社。
友人の病気を知らされてから「福徳の森」の中にある日本橋のパワースポットでも有名な「薬祖神社」で3度ほどお参りしてきましたが、社務所などない小さな祠なので手を合わせるのみでした。
同じ御神体2柱が祀られていてる五條天神社のお守りできっとパワー全開!
手術の成功と術後の回復に必ずご利益があると信じております。
医薬祖神 五條天神社
東京都台東区上野公園4-17
TEL : 03-3821-4306
時間 : 9:00~17:00
アクセス : JR上野駅(上野公園口)から徒歩4分
御祭神 : 大己貴命(別名:大国主命)、少彦名命
相殿神 : 菅原道真公
社格 : 旧村社
創建 : 伝景行天皇朝(伝・約西暦110年)
子供のころ近くに住んでいたので、懐かしく拝見しました。
小さいころはいわれも知らずに駆けずり回り😅
でも、空気が他と違うのは感じていました✨
引っ越してからもお詣りに伺いました。
ご友人のご病気がよくなるといいですね。
ありがとうございます、きっとご利益ある事と信じております。
神社の境内が遊び場…私も子供の頃を思い出します。
そういえば最近では遊んでいる子供をほとんど見ることがありません。
お互いいい子供時代を過ごしていましたね😊
私も友人が大腸癌になり抗がん剤治療を頑張っているのでお参りに行きお守りを頂いてきました。
ご利益ありますよ。
確かにご利益ありますね。
私のお友達も5年経った今もバリバリ仕事してとても元気です。