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レンレンのひとりごと…

毎日のお弁当・手作り料理・手しごと・おでかけ。そして、ひとりよがりな日常のプチエコと黒猫万君との日々…。

新島八重の育った会津を旅するバスツアーvol.4~阿弥陀寺と七日町通りそしてこづゆ

2013-11-26 |   ├ 福島

大河ドラマ館の次に向かったのは、

昔ながらの蔵や木造家屋、洋館のお店が立ち並ぶレトロな町・七日町です。

 

大正浪漫の雰囲気の漂う七日町通りは、

藩政時代には城下の西の玄関口として問屋や旅籠、料理屋が軒を連ねていました。

以降昭和30年代頃まではにぎわっていましたが、時代と共に衰退しました。

しかし再び現在、大正浪漫を感じられる通りとして甦り、観光客に人気の通りとなっています。

 

ちなみに七日町、何て読むと思いますか?

×「なのかまち」、○「なぬかまち」だそうです。

現に「なぬかまち」で入力すると一発で変換できました。

 

 

 

阿弥陀寺(あみだじ)・御三階(ごさんかい)
福島県会津若松市七日町4-20
TEL : 0242-27-7445

1.御三階 / 2.阿弥陀寺 本堂 / 3.新撰組隊士 斎藤一(藤田五郎)の墓 / 4.鐘つき堂 / 5.お地蔵達

 

「戊辰(ぼしん)戦争の悲しみを残す阿弥陀寺」

阿弥陀寺は慶長8年(1603)蒲生秀行の時代、下野国に生まれた良然が開山しました。

明治元年の戊辰戦争後、会津藩戦死者の遺骸は、西軍の命で放置されたまま、さわることを許されませんでした。

幾度もの嘆願で埋葬が許可されたのは、翌2年2月のことでした。

埋葬地は阿弥陀寺と長命寺に限られ、阿弥陀寺には1300柱にものぼる遺骸が埋葬されました。

春・秋の彼岸には手厚い供養会が行なわれています。

 

御三階は元は鶴ヶ城本丸内にあったもので、明治3年に移築され仮本堂として使用されました。

内部は4層で、秘密の会議が行われたといわれます。


また、斉藤一の墓、萱野権兵衛遥拝碑もあります。

 

 

 

寒い夕暮れ時、バスツアーで仲良くなったかずいちゃんと立ち寄った雰囲気の良いお茶屋さん。

コーヒーでも飲もうかとメニューを見ていたら、彼女が「会津に来たらこづゆは外せない。」って言うじゃない。

予備知識全くなしの私、何の事かさっぱりわからなかったけど便乗して同じものを注文してみました。

 

こづゆとは、食材は内陸にある会津地方らしく乾物が中心であるが、

江戸時代後期から明治初期にかけて会津藩の武家料理や庶民のごちそうとして広まり、

現在は正月や祝い事などの冠婚葬祭で、必ず作られるといっていいほど伝統的で

かつポピュラーな郷土料理である。  Wikipedeaより

 

わぁ~美味しい~♪  しかも身体が温まる~♪

干しホタテ貝柱でとった出汁に醤油味のお汁、具は細かく切ったたっぷりの根菜類やキクラゲ、糸こんにゃく、

そしてこれまたたっぷりの丸い小さなお麩がはいっていました。

食べた事がありそうでなかった、どこか懐かし郷愁を感じるお汁でした。

食べても食べても、まだまだ何杯でも食べられそうな美味しさでした。

 

 

 

やまでら茶屋
福島県会津若松市七日町3-32
http://gendosu.ddo.jp/yamadera/
TEL : 0242-26-8079
営業時間 : 11:30~19:30
定休日 : 火曜日、第2水曜日

 

店内ではアンティークや古着、籐の籠なども置いており、とても雰囲気のあるノスタルジックな趣です。

観光客はもちろんですが、地元の常連さんも立ち寄る素敵なカフェでした。

帰り際に、おばあちゃまや可愛らしいワンちゃん、ご主人や女将さん総出で楽しいお話し。

皆さんでこづゆの作り方を教えて下さいました。

そうそう、こづゆに欠かせない小さな麩、白玉麩っていうそうです。

やまでら茶屋さんでも売っていたので2つお土産に買って来ました。

その後あちこちのお土産屋さんで白玉麩を見かけましたが、やまでら茶屋さんが一番お安かったです^^

 

 

会津観光はまだまだ続きます。

この後は東山温泉のご紹介です。

 

 

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やまでら茶屋甘味処 / 七日町駅
昼総合点★★★☆☆ 3.1

 

 

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