ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

ぴったり

2019-08-23 08:13:11 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題
「ぴったり」8月18日
 女優東ちづる氏が、『戦争起こさないための教育を』という表題でコラムを書かれていました。広島出身の東氏は、小さい頃から「平和教育」を受けてきたことに触れ、『大人になって、「平和教育を受けて育ってよかった」と心から感じている』と述べていらっしゃいます。
 その上で、ドイツの学生たちとの対話で受けたカルチャーショックを次のように語っています。『彼らは「戦争は悲惨だ、残虐だ」という私とは違い、戦争はなぜ起こったのか、ヒトラーはなぜ大きな過ちを犯したのか、原爆はなぜ阻止できなかったか、なぜ今も戦争行為が絶えないのか、今、そしてこれからの自分たちに何ができるのかを発言したのです。そのために、過去の戦争の歴史を時間をかけて深く学び、考え、自分の言葉での議論を重ねてきていると言いました(略)私は感情的に戦争を知ったつもりになる「平和教育」を受けたので、戦争について思考停止状態で空気のような平和に慣れ、現状の変化に鈍感になっていたのでしょう。猛省です』と。
 手前味噌になりますが、東氏がカルチャーショックを受けたドイツの教育は、私がこのブログでしつこいほど繰り返してきた、論理的分析的な「戦争阻止教育」そのものだと言ってよいと思います。そういえば、一昨日もノンフィクション作家保阪氏のコラムに関連してこのことを書いたばかりでした。
 拙著「断章取義」でも、5回にわたって我が国特有の情緒的平和教育の限界を指摘し、戦争が起きるメカニズムについて学び戦争への道を歩みだす第一歩を阻止するために何をすればよいかを学ぶ学習を構想することの大切さを主張してきました。今回の東氏の気付きとまさにぴったりと一致するものです。拙著の宣伝をするわけではありませんが、ぜひ一度読んでいただきたいと思います。
 蛇足ですが、ナチスと大日本帝国の戦争は、共に連合国によってニュルンベルク裁判、東京裁判で裁かれましたが、その実相は大きく異なるものだったと考えます。しかし、共通していたのは、国民も共に創り出していった「空気」が戦争への道を進む後押しをしたことです。遠くでかすかに聞こえた戦争の足音に気付きながら、「わざわざ自分が声をあげる必要はない」「まさかそんなことにはならないだろう」と傍観者的な態度で見ないふりをしていた結果が、戦争へと向かう激流に、大河になっていったということです。
 無責任な傍観者となり結果的に自分が加害者と被害者になるという悲劇を防ぐためということで考えれば、論理的分析的な戦争阻止教育は、民主、自由、人権を守り抜く主権者教育の中核をなすべきものでもあるのです。
 
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