後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

国指定特別天然記念物の阿寒湖のマリモの楽しいお話

2016年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム
高齢者の方は憶えていらっしゃるでしょうが、阿寒湖にしか育たないマリモが急に騒がれ始め、とても持て囃された時代がありました。
なにせ球のような形に育つ、美しい緑の藻なのです。
今日は、あの頃を懐かしいと思う方々へ阿寒湖のマリモの楽しいお話をお送りします。

マリモは戦後の暗い世の中に明るい夢を与えたのです。新聞が大々的に書きたてたものです。
あれは1952年頃のことでした。その1952年に、この非常に珍しい阿寒湖のマリモを、国が特別天然記念物に指定したのです。
マリモが大きな球状の集合体を形成するのは日本では阿寒湖と青森県の小川原湖だけなのです。非常に珍しい藻の一種なのです。
そして、ヨーロッパ北部、ロシア、北アメリカ等にも分布しています。

特別天然記念物に指定された翌年の1953年には、「マリモの歌」も一世を風靡したのです。日本中のラジオから毎日のようにこの歌が流れていたのです。

1 水面(みずも)をわたる風さみし
  阿寒(あかん)の山の湖に
  浮かぶマリモよ なに思う
  マリモよマリモ 緑のマリモ

2 晴れれば浮かぶ水の上
  曇れば沈む水の底
  恋は悲しと嘆きあう
  マリモよマリモ 涙のマリモ

3 アイヌの村に今もなお
  悲しくのこるロマンスを
  歌うマリモの影さみし
  マリモよマリモ 緑のマリモ
(作詞:いわせひろし、作曲:八洲秀章、唄:安藤まり子)

流行歌とともに、次のようなアイヌの伝説もつたわって来ました。

その昔、阿寒湖畔の小さな村に美しい娘セトナがおりました。セトナはその村の酋長の娘で、酋長が定めた男と結婚する約束がありました。ところが、セトナはそのしもべ、マニベといつしか恋仲となってしまいました。マニベがしもべであるために、二人の恋はついにかなわず、やがてセトナは約束の男と結婚することになりました。
けれども婚礼の夜、セトナはマニベを忘れることはできず、遠くから聞こえるマニベのかなでる美しい草笛に誘われて湖畔にさまよいいで、月淡き湖に二人は丸木舟で沖に漕ぎ出しました。 この世に結ばれぬ運命を故郷の湖底に結ぼうと身を投げたのです。
酋長をはじめ村人も、二人の深く清い心をそのとき初めて知り、二人の永遠の幸せを祈りました。
セトナとマニベの激しい恋の魂は、まもなくマリモの姿と変え、湖の中で永遠に生きて行き続けていると伝えられています。
阿寒湖では、いまでも相愛の男女がマリモに祈りをささげると、いつまでも幸せになるといわれています。

あの頃、私は阿寒湖のマリモを一度は見てみたいと憧れていました。
ところが、それから何年もたってから瓶の水の中に入れたマリモが売り出されたのです。
日本では阿寒湖のマリモは特別天然記念物です。採集は厳禁です。
しかしマリモに憧れる人々が多かったのです。輸入業者が採集が禁止されていないロシアから天然マリモを輸入して、瓶の水に入れて売り出したのです。その上、釧路湿原のシラルトロ湖で採取したマリモ糸状体を人工的に丸め、育てた球状のマリモを「養殖マリモ」として売り出したのです。
養殖まりもは、1年間で約1ミリ~2ミリ大きくなると言われ、天然まりもは1年間で約4ミリ~7ミリ大きくなると言われております。最近はネットの通販に簡単に手が入るのです。
美しい緑の球体を見ていると、不思議にこの世の憂鬱を忘れ、癒されると言います。

私はマリモに憧れて阿寒湖まで何度か旅をしたことがあります。
なにせ阿寒湖の沖にある チュウルイ島にはマリモ展示センターがあり巨大なマリモが展示してあるのです、。
何回か訪問し、巨大な球体を作って何十年も生きているマリモに何故かひどく感動したものです。それは本当に不思議な植物です。

そんな旅をした、2012年の9月に撮った阿寒湖の風景写真を示します。








そしてチュウルイ島のマリモ展示センターにあるマリモの写真を示します。

このマリモの写真の出典:http://tomato-tabi.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_224/tomato-tabi/E381BEE3828AE382822.JPG
さらに、最近、販売されているマリモの写真を示します。

販売されている養殖マリモの写真の出典は、http://shop-n.co.jp/SHOP/marimo_004.html です

この阿寒湖はベニザケの陸封型の湖沼残留型のヒメマスが生息し、2005年11月、ラムサール条約登録湿地となったそうです。

マリモが大きな球状の集合体を形成するのは日本では阿寒湖と青森県の小川原湖だけです。しかし、球状にならないマリモの生育が確認されている湖沼は以下のように報告されています。
•北海道:釧路湿原内の中小湖沼(シラルトロ湖・塘路湖・達古武沼)・チミケップ湖
•青森県:左京沼・田面木沼・市柳沼・姉沼・内沼
•山梨県:山中湖・河口湖・西湖
•滋賀県:琵琶湖
よく観察すれば糸状の毬藻になる藻を見つけることが出来るかも知れません。
今日は自然の不思議さの一つのマリモのお話をお送り致しまいた。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
======参考資料=========================
マリモ発見の歴史;https://pucchi.net/hokkaido/marimo/marimohistory.php より抜粋しました。

国内で球状マリモが発見されたのは阿寒湖が最初でした。その美しさと希少さゆえに、天然記念物、そして特別天然記念物に指定されました。開発に伴いマリモの生息域が減少したため保護活動も進められてきました。

世界的には1753年にカール・フォン・リンネがスウェーデンでマリモを採取し学名を付けたのが記録に残る最初ですが、国内でマリモが最初に発見されたのは1897年のことでした。札幌農学校(当時)の川上瀧彌(かわかみたきや)氏が、阿寒湖西部の湾であるシュリコマベツ湾で発見したものでした。川上氏はこれに「毬藻(まりも)」と命名し、翌年に農学校学芸会雑誌などで湖底に大小の球状の藻が羅列していたことを報告しました。

1919年には植物学者・吉井義次氏が阿寒湖で本格的な研究を行い、マリモが世界的に見て貴重だと断定、2年後の1921年3月3日に国指定天然記念物になりました。しかしその後、マリモが国民の間に知られるようになるとマリモの違法採取が相次いだことから、1950年以降のマリモ調査に基づき1952年3月29日の国指定特別天然記念物へとつながりました。

1955年に全国各地からマリモが阿寒湖に戻されましたが、生息域は減少。最初に発見されたシュリコマベツ湾周辺では"絶滅"したとされています。現在は環境省レッドリストで最も絶滅が危惧される「絶滅危惧I類(CR+EN)」に分類され、マリモ保護の観点からマリモ生息域への立ち入りやマリモの移動・持ち帰りは禁止されています。

阿寒湖のマリモを巡る歴史 阿寒湖においては、シュリコマベツ湾上流の森林伐採と開発や、ウチダザリガニによる巣作り・食用の影響で減少傾向にあります。それは阿寒湖に限った話ではなく、例えば標茶町のシラルトロ湖は多数生息している地ですが、土産用マリモはここ出身であることから徐々に減少、釧路町の達古武沼に至ってはあまり確認されなくなったということです。

阿寒湖のマリモ関連年表(主なものだけ掲載)

1897年:川上瀧彌がシュリコマベツ湾で発見
1898年:川上瀧彌が植物学雑誌で発見記録を掲載し「毬藻」と命名
1919年:吉井義次が調査、飽別発電所供用開始、阿寒湖は湖面低下へ
1921年:天然記念物指定
1923年:保護のためマリモを他の湖沼に移植
1941年:シュリコマベツ湾のマリモ全滅
1950年:マリモ保護会発足、第1階マリモ祭り、電力利用による水位低下による被害を調査開始
1952年:特別天然記念物指定
1953年:然別第1発電所竣工、阿寒湖水位低下阻止へ
1957年:チュウルイ地区にマリモ保護監視人常駐
1961年:観光船のマリモ生息地航行自主規制
1978年:チュウルイ島マリモ展示観察センター竣工
1995年:チュウルイ島マリモ展示観察センター改修
2002年:阿寒湖畔エコミュージアムセンターにマリモ研究室設置
2005年:阿寒湖ラムサール条約登録

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