後藤和弘のブログ

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遥かなる我が故郷、仙台への小さな旅

2017年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム
仙台は何時も懐かしく想っている私の故郷です。昭和11年に生まれ、昭和35年に仙台を出るまで24年間住んでいた町です。
3年程前に中学校の同期会があった秋に訪れてから行っていません。
先月、箱根と伊豆の旅ので長距離のドライブに自信が付きましたので、仙台まで車で訪ねる小さな旅をする決心をしました。
東京外環道路から川口JCで東北自動車道路に入り、北へ北へとひたすら走ります。約400Kmを5時間半で到着しました。
仙台ではホテル・モントレ仙台に2泊しました。まず老人ホームにいる96歳の叔母を訪ねました。
2人の弟が仙台在住でそれぞれ夫婦とも健在です。私共夫婦と6人で両親の墓、母方の祖父母の墓、叔父の墓をお参りしました。お寺の住職をしている次男がそれぞれのお墓に般若心経と大悲心陀羅尼というお経をあげました。
久しぶりに6人そろっての昼食会は大変愉快でした。
2日目の午後に懐かしい場所を巡りました。仙台で通っていた学校を見に行ったり、昔住んでいた場所を見に行ったのです。
写真にしたがってご説明いたします。

1番目の写真は昭和17年から23年まで通っていた向山小学校です。戦争中は向山国民学校という看板が石の門柱にかけてありました。
その門柱は昔のままの石です。日本軍が昭南島を占領した戦勝祝いに生徒全員がゴムマリを貰ったのを思い出しました。
昭和20年の7月10日の夜にB29が百機来襲し、仙台の街が一面火の海になりました。高台の向山から夜が明けるまで見下ろしていました。
こんなことを思い出しながら向山小学校の坂道をゆっくり下りて来ました。

2番目の写真は私が卒業した東北大学の金属工学科の建物です。現在は青葉山のキャンパスに引っ越して使っていませんが、赤レンガの建物が60年前と同じように残っていました。
現在は仙台にも高層ビルが立ち並んでいてこの赤レンガの建物がみすぼらしく見えます。しかし空襲でも残ったこのビルは当時は非常に立派に見えたものです。私の実験室の窓もそのままありました。

3番目の写真は青葉城の石垣です。城の建物はすべて戊辰戦争のおりに焼かれてしまいこの石垣だけが残ったのです。この石垣の下を右方向に車で登ると見晴らしの良い城跡に上がれます。

4番目の写真は城跡にある伊達政宗の騎馬像です。

5番目の写真は城跡から見下ろした現在の中心街の風景です。昭和20年の大空襲で一面の焼け野原になった町がこのような風景になったのです。夢を見ている心地でした。

6番目の写真は広瀬川の評定河原橋付近から見た風景です。写真の左の小高い山に伊達政宗のお霊屋の瑞鳳殿があります。
それで評定河原橋を渡った地域を「霊屋(おたまや)下」とい地名になっています。
この霊屋下には友人達が幾人か住んでいたのでしょっちゅう遊びに行った場所でした。今回も霊屋下を車で回りましたが家々がすっかり変わってしまって友人達も消えてしまいました。茫々あれから70年もたっているのです。

7番目の写真は伊達政宗のお霊屋の瑞鳳殿のある経京ヶ峰の広瀬川に面した断崖の風景です。この写真の右手に家内が若い時に少しの間住んでいた公務員住宅があります。父親が東北大学で働いていたので一緒に少しの間住んでいました。この時見合いをして結婚した思い出の場所です。妻は鎌倉生まれ東京育ちですが偶然にもこの場所に住んでいたの結婚したのです。運命とは不思議なものです。

以上が今回の故郷の仙台への小さな旅でした。

皆様の故郷はどこでしょうか?遠方にある故郷は懐かしいものですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
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