後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

キリスト教の簡単な説明(5)何故イエスは馬小屋で生まれたか?

2017年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム
佛教は日本人が約1500年も馴染んで来た宗教です。一方、ザビエルが約470年前に伝えたキリスト教は未だに日本人に馴染んでいません。
明治維新以来、数多くの宣教師がやって来ましたが、信者の数は総人口の3%を超えたことがありません。
その理由の一つはその教えが日本人には理解しにくいからです。
そこで私は無謀にもキリスト教を簡単に分かるように以下のような記事を書いてきました。
キリスト教の簡単な説明(1)何故イエスは処刑されたか?(2017-11-05)
キリスト教の簡単な説明(2)水を葡萄酒に変えたイエス(2017-11-08)
キリスト教の簡単な説明(3)イエスは何故生き返って来たか?(2017-11-12)
キリスト教の簡単な説明(4)何故イエスは異教徒に話しかけたか?(2017ー11ー21)

私はキリスト教を理解するには聖書の中に書いてある幾つかの場面を抜き出して、それらが起きたいきさつを説明すればキリスト教が理解出来ると考えています。
今日はイエスの降誕を待つ、「待降節」の初日の日曜日です。
そこでイエスが何故馬屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされたか、その経緯を簡単に説明します。
結論を先に書けば、ヨゼフとマリアがベツレヘムに行って戸籍登録をする途中だったからです。宿屋が満員で馬小屋に泊まっていた間にマリアが赤子を生んだのです。寝かせる場所は飼い葉桶しかなかったのです。ユダヤ人全員の戸籍登録は全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出たのでこのようになったのです。
その経緯はルカによる福音書の第2章に以下のように書いてあります。
2:1そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。 2:2これは、クレニオがシリヤ(ユダヤが含まれていた)の総督であった時に行われた最初の人口調査であった。 2:3人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。 2:4ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 2:5それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。 2:6ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、 2:7初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間は満員だったので彼らのいる余地がなかったからである。

1番目の写真はヘリット・ファン・ホントホルスト が描いた《キリストの降誕》です。
1620 年頃、油彩/カンヴァス、95.5×131cm、フィレンツェ、ウフィッツィ美術館
写真の出典は、http://classicalchronicle.blog.fc2.com/blog-date-201003.html です。

2番目の写真は飼い葉桶に寝ているイエスの絵画です。出典は、http://webchapel.jp/2016/12/
です。

3番目の写真はクリスマスの飾りつけです。
出典は、http://www.bourgognissimo.com/Bourgogne/1ARTL/BR_032_4.htm です。
イエス・キリストが誕生した場面を再現したものです。「キリスト生誕群像」とも言います。
クリスマスの時期欧米では、教会の中や街角に設置しされ、自宅で飾るためのセットも売られているそうです。

さてイエスが馬屋で生まれたことは事実として広く信じられていますが、その日時については全く不明です。
そして何時の頃からは分かりませんが、北方ヨーロッパの冬至祭を便宜的にクリスマスにするようになりました。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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