さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

50歳記念の同窓会

2015-03-29 23:32:53 | ただの日記
私は、中高一貫教育の女子校で育ったのだが、入学した時同学年だったクラスメート達(つまり元の学年)の同窓会に、50歳にして初めて出席することができた。

私は高校2年の7月にアメリカに留学し、帰国して一学年下がって高校2年の9月からやり直したため、元の学年の卒業を見送らなければならなかったのは非常につらかったことを覚えている。卒業後は、両方の学年から同窓会の招待はいただくのだが、新しい学年の同窓会に一度出ただけ。出席したいと思っても、何か別の予定とぶつかっていることも多く、結局初出席がこんな歳になってしまった。


場所は、横浜みなとみらい。


ランドマークタワーも望めるオシャレなレストランを貸切に。70名以上はいただろうか、一学年144人しかいない中ではかなりの出席率である。それに嬉しいことに、昔お世話になった先生方が沢山いらしてくださったのである。一番若い先生でも59歳。私、まだ皆さんと同じ50代よ!と嬉しそうにおっしゃる。そして、我々が入学した時に、新入教員として入ってこられた先生なぞは4月から校長先生になるのだ。まだ教員をされている先生は少なく、定年退職された先生方の方が多かったのだが、みなさま引き続き輝いておられるのが嬉しかった。こういう先生方にご指導いただいたからこそ、我々も50歳なんてなんのその、人生これからよとばかりに頑張れるのである。

会場はごった返していたので、あまり沢山の人とお話できなかったのが残念なのであるが、一様に言われたのは、私の見かけがかなり変わったということ。バスケ部だった友人には「みんなどこか面影があるけど、あなたは変わった」とはっきり言われ、「そりゃぁ30キロ太ったからでしょ。」と言ったら「そういうんじゃなくて、何か・・・女らしくなった!」「へ?」想定外の反応にびっくり。こりゃぁ、是非わが同僚に聞かせてやらねば。そこで私はこの友人に会ったら話したかった話をぶつけてみた。「昔音楽の授業で、魔笛のあらすじを書いたプリントを読まされた時、『イシス、お尻す』と言ったまま笑いが止まらなくなっちゃったでしょ?」こんどは彼女が「へ?」と言う番だった。全然覚えてなかったらしい。それは残念。「私、去年「魔笛」の合唱を歌ったんだけど、あなたのことを思い出して話したくてたまらなかったのよ。」・・そんな彼女も今ではれっきとしたクラシック音楽愛好家とのことである。

生物部の友人には「このまえ、ちょうど貴女のこと思い出したの」と言われ、息子さんのイモリの研究の話が始まったので、イモリと私に何の関係があるのか、しばらく脳みそに「?」マークを思い浮かべながら聞いていたのだが、イモリのオスがメスを呼び寄せるために分泌するフェロモンの名前がソデフリンという名前らしく、紫のしっぽを振って求愛するんだそうだ・・と言うところあたりで何となく分かってきた。私は昔から古代史が好きで、額田王の話をよく彼女と話していたのだ。フェロモンのソデフリンから、額田王の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」を思い出し、それで私を思い出してくれたようだ。「ぼろぼろになってる井上靖の額田女王の本を本棚から引っ張り出して読みながら、どうしてるかなァと思ってたのよ。」と。

嬉しいネェ。私が彼女に20年前のこの写真を見せたのは言うまでもない。


また、数日前に急にfacebookに私が表示されたと言ってきてくれた友人がいた。彼女とは小学校の学習塾から一緒だが、facebook上の私の写真はバイオリンを弾いてるため、本当に私なのかどうかちょっと戸惑ったようだ(昔は弾いてなかったからね)。むろんすぐにfacebook友達になった。

体操部時代の友人が、未だに私のことを体操部員だと思ってくれていたことも嬉しかった。体操部(新体操)は中1の一年間と、途中半年生物部にいて、中2後半で復帰。でも中3半ばで腰痛その他の理由で退部した私に、体操部員と名乗る資格はないと思っていたのだが、友人が顧問の先生の所に連れて行ってくれた。先生は「連絡が取れないからどうしているかと思って・・・毎年海の日に集まってるからさ~、絶対おいで」と。う~ん、海の日はオケの定演か合唱団の強化練が必ずあるのだけど、何とかして顔を出したいものだ。自分の連絡先を書いたプライベート名刺を沢山持ってって良かった。こうしておけば所在不明と思われることもないし。

その半年ばかり在籍した生物部の顧問の先生とも1対1でお話することができた。今もペンギンを通じて海と陸の環境保護活動に邁進する先生だが、当時の授業も毎回毎回がエネルギッシュで、私はいつも血湧き肉踊る思い出授業を受けていた。一番最初の授業はABS(アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム)の話だった。世界始めてのクローン蛙の話も、ワトソンクリックのDNA二重螺旋構造の話も、熱く語る先生の様子をよく覚えている。在籍期間は短かったけど油壺や尾瀬ヶ原に自然観察に行った思い出は忘れられない。

そして、最後はみんなで校歌を熱唱! 急に言われても、歌詞さえ表示されていればちゃんと三部合唱が成立するのが我々の誇り。礼拝でいつもオルガン伴奏をしてくれたクラスメートが今日もピアノ伴奏をしてくれた。私は三パートすべて歌えるけれど、今のパートはソプラノ。当時は高いと思った音域も今なら軽々。大好きだった音楽の先生の指揮にあわせて、30年以上歌ってなかった校歌を思い切り歌えてとても嬉しかった。大学受験がどんなに忙しくても、どんなに悩ましくても、この先生の音楽の授業は私にとって救世主のようなものだったから、当時も命かけるような気持ちで授業に臨んでいたけれど、大人になってからも頑張って音楽の勉強を続けることができたのも、その頃の経験が原点になっていると思うのである。

世界史の先生、化学の先生、英語の先生ともお話できた。4年間お世話になった現代国語の先生ともお話したかったけど、人混みにまぎれてご挨拶できず・・・でも、もし話せていたら「あの頃の自分は、本当に良く分かってませんでした。」と頭を下げるしかないんだろうなぁ。

その他、実は旦那さまが私と同じ会社らしい人とか、小学校の学習塾でい一緒だった男子と同じ職場にいる人とかも出現して、世間はなかなかに狭いと思った次第。それぞれの場所で頑張っている友人達からエネルギーをいただいて、明日からも頑張ろうと思った。
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