晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

65回目の『広島原爆忌』に思う事。「思わなくてはならない」事。

2010-08-06 23:59:30 | 日本人の意識と精神構造
又今年も、『平和の鐘』が鳴る。


そして、『平和』は一向に訪れる気配はない。。。。

そして、『原爆ドーム』に続いて、『ビキニ環礁』も世界遺産に登録された。

喜ばしいと、慶賀すべきか。
恥ずべき事、との思いを新たにするべきか。



▶ビキニ環礁、世界遺産に=核の威力伝える「証拠」―ユネスコ(時事見出し)

>国連教育科学文化機関(ユネスコ)は1日、ブラジルで開かれた世界遺産委員会で、冷戦期に米国が核実験を行ったマーシャル諸島のビキニ環礁について、世界遺産(文化遺産)への登録を決めたと発表した。
 
>米国は1946年から58年にかけて、当時国連の信託統治領だった同諸島のビキニ環礁周辺で計67回の核実験を実施。54年3月の水爆実験では、公海上で操業していた遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員らが被ばくした。
 
>ユネスコはビキニ環礁が「核兵器の威力を伝える上で極めて重要な証拠」と指摘。「平和な地上の楽園というイメージとは裏腹に、核時代の幕開けの象徴となった」としている。 
【時事通信/8月2日6時41分配信】


広島原爆ドームの登録申請の時は、かなり議論が沸騰したらしい。
そこへいくと、ビキニ環礁は(誰も知らないうちに)スムーズに決まってしまった(らしい)。

やはりこれも、いわゆる<オバマ効果>と言うやつなのだろうか?

だとすれば、かなり<一過性>な感じもする。
人類最大の『負の遺産』を、政治ショー的ミーハーに貶めても、良い物だろうか?

あるいは、八方ふさがり状態の「オバマ」大統領が、自ら打ち出していた「核廃絶」のスローガンを再度取り出して、凋落傾向の影響力を再興するべく<糸を引いた>か?


8月6日と言う様な、<シリアスな日>に当たって、薄汚い国際政治の駆け引きやらの話題なんぞ、相応しくない。


しかし、駐日アメリカ大使も<始めて>式典に参加した、この流れは、もし<本物>であればと、微かに期待してみる気持ちも起こって来る。

アメリカに「平和」やら「人類愛」やらを期待する方が、間違っているのだろうし、「自己批判」など期待する方がアホらしい位な物だが。



▶広島原爆の日 米代表が来ても…父母亡くした女性、傷今も(毎日見出し)

> 「米国代表が来ると聞き、とても嫌な気持ちでした」。米英仏代表の出席に歓迎ムードが漂う中、埼玉県の遺族代表として6日、参列した加良谷(からたに)恵美子さん(67)は複雑な心中を明かした。

>爆心地から1.1キロの自宅で被爆した。父はほぼ即死。母も約1カ月後に亡くなった。当時の記憶はないが、「恵美子はお母さんに抱かれておっぱいを飲んでいた」と姉から聞かされた。自身も右側頭部に重傷を負い、今も変形したままだ。

>広島の祖父母宅で育てられた。両親の記憶すらない寂しさを常に感じていた。

>結婚で転居した埼玉県で約30年前、被爆者団体に加入。04年にはスペインで被爆体験を証言した。5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ、日本被団協の派遣団として訪米を打診されたが、「アメリカにだけは絶対に行きたくない」
と固辞した。

>「核兵器のない世界」の実現を願う気持ちは共通だ。それでも加良谷さんは米国を許すことができないという。「愛情も知らぬまま両親を殺された。生きていたらどんな愛を注いでくれたんだろうと思うから……」

>広島には両親の写真を胸に忍ばせて来た。「外国の方のことは関係ない。ただ両親と亡くなられた方々のご供養だけを祈りに来ました」。式典でも駐日米大使には目を向けようとはしなかった。
【毎日新聞/8月6日12時57分配信】


恐らくルース大使本人には、このような声は絶対届けられないに違いない。
オバマにも。


▶石原知事、原爆「被害者に補償すべきはアメリカだ」(産経見出し)


あの<尊大>にして<無知>なる老害都知事と、この点においては方向性が一致する。

まさにその通りで、元来は日本政府が補償する次元の事では無い筈だ。


>「だから、やっぱり、そのね。『核反対』とかね、そういう政治的な主張じゃなくてね、全く無抵抗な膨大な数の市民がね、瞬間的にどれだけの被害を負って、それが長く続いているかということを情報としてもっともっと積極的に知らせる必要があると思いますな。そういう点ではね、国の中でのキャンペーンはあってもね、外国に出かけてまで行ってもね、どういうのかな、広島・長崎の悲劇の濃度の濃さってものを日本はキャンペーンしてこなかったんじゃないんですかね。私は既に核を持っている国に行ってね、もっとそういうことを、何ていうか、喧伝し、資料の展示をし、展覧会をするとか、例えば核をつくっている国にも出かけて行ってやったらいいと思う。何か、それがちょっとね、足りないような気がしますね」
【産經新聞/都知事記者会見の抜粋/8月6日23時15分配信】



常々感じていた事を、誤解される事を覚悟で言ってみる。

広島や長崎での式典で必ず為される、あの「核兵器を世界から根絶します」とか「二度と間違いは冒しません」という宣言。

被害者が<宣言>しても、意味が無いのでは無いだろうか。。。

いたいけな少年少女の、毅然とした「宣言」は、聞くたびに厳粛なる気持ちにさせられ、確かに有意義である事には、否やは無い。

しかし、もう一つ突っ込んで考えてみると、そのような<平和宣言>を聞いたからと言って、米ロが「恐れ入りました」とでも言うのだろうか。

それどころかその種の<声>は、恐らく米ロの指導者達の耳に届く事など、これまで無かったに違いない。

たとえ聞く機会があったとして、コメントを求められても、<外交辞令>に過ぎない<美辞麗句>で返答するのみである。

平和式典を否定するつもりは毛頭ない無い。
しかしこれまで、毎年式典のニュースに触れる度に、なんだか自慰行為の様にも思えてしまったのでした。


あの都知事では無いけれど、やはり日本は<国として>の発信力が弱すぎる。
世界へ向けての、日本の姿勢やあり方の発信が、へたくそすぎる。

赤門クラブのおりこうさん官僚達に取って、正答もモデル回答も無く、相手の思考を読み切って、タイミングを読み切って、ベスト・チョイスを瞬時に導き出さねばならない<外交>と言う分野は、他にもまして不得意な分野なのだと、実感して来た物であった。


私の住むフランスも、ご存知の通り核保有国である。

そして、核実験でも、余り褒められたやり方では無かった。


1958年に、ルネ・コティ大統領(あの香水王)政権下に、時の首相フェリックス・ガイヤールが核実験計画を立案。

2年後の1960年2月13日、シャルル・ド・ゴール大統領下にアルジェリア中南部サハラの砂漠地帯で「大気圏内(空中)核実験」が為された。

150キロメートル四方が、汚染されたと言う。

その後、アルジェリアの一部将軍達によるクーデターの試みが起こり、フランス政府は「核を絶対にアルジェリア軍側に奪われてはならない」と、より注意深く行動する様になる。

そして翌年61年11月7日、南部山岳地方『ホッガー地方』の花崗岩質の山肌にトンネルを穿ち、始めての密閉実験を行うに至った。

実験場のトンネルは、巨大コンクリート板で密閉され、更に翌62年5月1日、再度のトンネル型実験を行ったが、その後放射能塵が漏れ出すと言う、アクシデントに見舞われた。

誇り高いサハラの遊牧民『トウアレグ族』の定住都市「タマンラセット」の北方50キロの『ホッガー地方』は、まるで<月世界>の如き荒涼として、且つ幽玄姿で岩山のそびえるこの地方での<核実験>は、自然の造形の美と、人間の愚かさとの組み合わせが、如何しても信じられなく、人間の持つ<傲慢さ>を、改めて見せつけられる様な気がする。

    
    アルジェリア最南部ホッガー地方(タマンラッセット県)の雄大にして峨々たる山並みの光景

    

標高3000メートルのタハット山の周辺、アセクレーム高地でこの光景に接すると、核実験など「地球への冒涜」である事を実感する。



その後、1962年7月『アルジェリア』独立に伴い、協議が続けられ、『エヴィアン協約』によって、フランスはアルジェリアでの核実験を終了した。


結局フランスは、アルジェリアでは61年から68年までに、計13回の核実験を行った。

そのうち4回は<大気圏内>実験で密封型では無かった。

実験結果は良好であったと言われている。


フランス海外県ポリネシア『ムルロア環礁』に実験場が移行するのは、68年からの事で有った。

先のジャック・シラク大統領が(世界中の批判を押し切って)実験を強行した事は、記憶に新しいところである。


世界中には、この地球を何万回も消滅させる事が出来る程の「核兵器」が存在している。


一政治家が「核廃絶」を今更唱えても、現実感が無い。

ましてや、廃絶を唱えるその人物が、世界中の核兵器の大半を所有する国の、大統領で有れば、なおの事現実が無い。

そして、その国は20世紀後半を通じて、世界中で戦争を繰り返して来た。

21世紀を迎えた現在に至ってすら、戦争をやめようとしない。
止めようとしないどころか、各に変わる新型兵器を、次々と考案続けているのであれば、なおさら説得力がない。

『原爆忌』の誓いは、何時まで続くのだろう。


地球を、有りのままの姿で、子孫に伝えて行く事が、果たして出来るのだろうか。。。



コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『小泉政権のイラク開戦支持... | トップ | 8月6日付け『ル・モンド』... »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (K.T.)
2010-08-07 10:34:01
アルジェリアの山岳風景、実に雄大で引き付けられるものがありますね。
それにしても、核実験場の選定にを見ると、アルジェリアと言いビキニといい、植民地や属領に対する大国の意識があからさまに出るものだと思います。
亡父は8月10日に広島入りした調査団の一員でしたが、生涯目にした惨状を口にすることはありませんでした。たった一度、「あんな状況の中でも、人間慣れれば飯が食えるものだ。」とぽつんといった言葉が忘れられません。
また、平和式典で『過ちは繰り返しません。』と繰り返し言われることをとても嫌い「過ちを繰り返えさせません。」と何故言わぬのかと怒りを顕にしていました。「アメリカを許してもいい。但しアメリカ本土に2発原爆を落としてから。」というのが口癖でした。
返信する
悲劇に 正当な 憤りを ( 逝きし世の面影)
2010-08-07 12:25:22
朝日新聞に人類学者の川田順造氏の短いが鋭い意見が投稿されていたので紹介します。

私達の戦争2010年夏原子爆弾投下の現地、広島の記念碑「安らかに眠ってください、  過ちは繰返しませぬから」この式典に 今年は 国連事務総長や米英仏の代表がはじめて出席する。
戦争を体験した世代は 後に続く世代に 何を どう伝えるべきなのか、書家 井上有一氏が 東京大空襲を体験され墨書の大作で、その体験を 表現された。94年 ニューヨークでも展示され、造形表現として、感銘を与え、反戦作品として ピカソのゲルニカを超える作品とも評価された。
井上氏は 空襲の悲惨さを生々しく 描いてはいるが、この残虐行為を実行した米軍に対する憤りは 表明されていない。
フランコ軍と組んだ独・伊空軍の無差別爆撃への怒りをピカソは 政治的主張もこめて 博覧会展示に間に合うように速乾性工業用絵の具で 縦3・5m幅 7・8mにほとばしらせた『ゲルニカ』との違いを私は思わずにはいられない。
怒りの不在は 、広島・長崎の被爆者の証言にもうかがえる。赦しを美徳とする、日本人の特質に由来するのだろうか。
怒りだけからでは 平和はつくれない。だが悲惨な体験を『風化させず、次の世代に伝える』だけでは、よりよい未来が築けないことも確かだ。
悲劇の本質を明らかにし、それに対して、正当に憤ることが私たちには必要ではないだろうか。
戦争は何故起きるのか、過去の戦争は 何故起きたのか、 軍需と正義の危うい交差点、色々な角度から 戦争を論じ、明らかにしてしていく行為が 大切なのだと思う。
そして、原爆を投下して国にたいしてもっと憤慨すべきなのだと思う。
憤慨するには 勇気がいる。
闘い抜くには 勇気と 覇気がいる。
そして、正当に憤りを表明することから、加害者はいずれ、その罪を知るかもしれないのだ。
加害者は 投下した国は もちろんだ。
そして、この国の一般市井人が 戦争を美化した罪もあるやもしれぬ。集団の圧力は すさまじいのだから。
社会科の授業では遠い時代は時間をかけて勉強するけれど、20世紀の歴史は 超スピードで駆け抜けられた記憶がある。
まるで、考えるな、、とでも 言うかのように。
理不尽な出来事、悲惨な出来事に 正当に憤ることはとても大事なことだろう。
そして、そのためには、まず、経験者の方々が そのご経験を語られることから始まるのだと思う。
そして、二度と 悲劇や理不尽な出来事が 起こらないように、と努めることこそ人間の知恵だろうと思うのだ。
思考停止状態の近代、現代の歴史。
もちろん、学者の多くの方々も 多々、研究されておられるはず。
戦争の実態などについての著作も多々著されているはず。
あまり知ろうとしなかった 私が悪かったのだろう。

実に真っ当な意見であると思います。8~10万人が焼き殺された東京大空襲ですが空から隕石が降ってきた天災などでは無いのです。加害者が居て被害者が生まれたのだと理解するべきで、因果関係を曖昧にするべきではない。
『原爆投下』との表現も考えてみれば日本的な不思議な表現であるのですよ。
正しくは、アメリカ軍による『原爆攻撃』の表現の方が正しいでしょう。
返信する
K.T.様。 (時々パリ)
2010-08-07 21:49:50
コメントありがとう御座いました。
>>「過ちは2度と繰り返させません」と何故言わないのか。
これが総てですね。
世界を動かしている、と勝手に信じている幾つかの<超大国>は、自分達以外の<弱小>国家は<劣悪種族>だと、無意識のうちに思っているのでしょう。
大国のエゴ、というのは<小国>側の言い方だ有って、<大国>側には、当然の事をやっているに過ぎない。
私も、アメリカに原爆を2発落としたいです。
高々3千人弱被害者のの9・11で逆上する彼らに、一晩で20万人死ぬ絨毯爆撃や、65年後もまだ後遺症に苦しむ多くの人達を残す様な核爆弾を人間の頭上に落とす事、の持つ意味を理解させるには、同じ事を体験させる以外には絶対無理だと思います。
返信する
逝きし世の面影様。 (時々パリ)
2010-08-07 22:02:02
コメントありがとう御座いました。
何時ながらの力作で、感謝です。
65年経っても、アメリカの反応は変わらず、「反省スロコとは何も無い」「大使の参加は無言の謝罪になる(ので反対)」と言う声が出て来ます。
人間は、実際に体験しないと理解出来ない。
そして、大国は、小国に与える苦痛を体験する事が無く、永遠に理論でしか判断出来ないのですね。
日本人はと言えば、基本的に他者を責めません。
「死んだら総て仏になる」小乗仏教の理念がDNAに存在する故の感覚なのか、「苦しかった事は忘れて」消化する封建時代の知恵なのか、過去を水に流そうとして、恨みつらみを引きずらない(欧米人に倉ばて)ようです。
もっと、未来永劫までアメリカの罪を責め続ける必要を感じます。
「責める事からは建設的未来は生まれない」と言う理論は、被害に遭っていない人間の側の理屈です。
その点だけは、ユダヤ人を見習うべきかもしれない、と思います。
返信する
おそれながら (ましま)
2010-08-09 10:48:42
 おはようございます。
 全体の論調にやや異論があり、長くなるので本塾本文の記事としました。あしからず。
 よかったら見てください。
返信する
ましま様。 (時々パリ)
2010-08-09 18:50:06
コメントとTBありがとう御座いました。
せっかく、主題を発展させて頂きましたので、私も再度展開して、記事にしました。
TBさせて頂きましたので、ご笑覧下されば幸いです。
返信する

コメントを投稿

日本人の意識と精神構造」カテゴリの最新記事