鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

菜飯

2021年09月30日 09時13分09秒 | 食べ方








大根は人の思春期同様に急成長する時期があるのか、私の大根は部分的に間引きのタイミングを失して育ち過ぎた。
近所のプロによれば、間引き時に残す大根には土寄せをしないと曲がってしまうという。
雪融け後に耕運するのが早すぎると1年中いつまでも土がこなれないと聞いたことがある。
私の大根畝の場所は、傾斜があるかどうか分からないほどなのだが、低い場所の畝3列分で、それを実証してしまった。
高い方の場所は耕運機をかければフカフカにこなれて気持ち良い程だけれど、下の方は何回かけてもこなれない。
それでもアスファルトを突き破って育ったど根性大根の例もあるように、大根はどんなに土が固くてもだいじょうぶとか。
土寄せしようにも固くてひび割れているような土では、抜くのも力が必要で、そもそも土寄せができない。
徐々に間引き菜を煮菜にしたりして、できるだけ食べ尽くそうと思っても食べきれるものではない。
昔のわが家だったら鶏をいつも飼っていたから良い餌として利用できただろうけれど、近頃は豚も牛もそもそも家畜がいない。
引っこ抜くのが大変だった最後の大根間引き菜を、お隣の奥さんから教えてもらった通りの菜飯にしてみた。
さっとゆでて、よく絞って、細かく切って、塩を振って、揉み込んでから、熱々ご飯と混ぜて出来上がりというのであった。
冷蔵庫に入っている玄米飯をレンチン温め2回して、混ぜて味見すると、美味しいというほどではない。
玄米が悪いのか、簡単そうでもそこそこ修練が必要なのか、センスの問題か、こういうときは同級生から分けてもらったキムチの素。
韓流ドラマによくある、ご飯にナムルだかキムチを入れてかき混ぜて、ボウルに顔を突っ込むようにしてスプーンで食べるシーンそのまま。
いくらかマシになって完食できたけれど、もっと色々と残り物を混ぜておにぎりにしたら少しはマシだったのか、それはまたの機会だ。
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栗はもう終い

2021年09月29日 13時13分17秒 | 食べ方






他所のはどうか知らないけれど、早生(わせ)だと言われているうちの栗は、今朝3個しか落ちていなかった。
猛烈な台風が近ずいているというから、毬(いが)だけ残っているものなどを含め総てを落としてくれたら始末がいい。
落ち始めから、1個だけリスかネズミかが齧った形跡はあったが、他は一つ残らず私一人で拾い集めている。
虫喰いや、小さすぎるのや、はち切れて鬼皮が破れているのなどは人様に差し上げられないので、自分で食べるしかない。
一度だけ栗ご飯をやろうと剥き始めたが、手を切りそうで、切ってしまったら農事その他に支障もきたすので10個足らずでやめた。
栗の少ない栗ご飯(玄米だけれど)でもそれなりに旨かったが、栗は蒸して包丁で真っ二つをスプーンでほじくるのが簡単でいい。
虫喰い穴のあるものでも、半分くらいは可食部分が残っている。
拾ってから一旦水に浸けた状態で浮くのは捨てるし、虫の白い糞にまみれているのは水に浸ける以前にはねて捨てる。
捨てるのもゴミ収集に出したなら焼却処分されるので害虫駆除になるだろうけれど、毬と一緒にウチの処分場所に捨てたり、藪に投げたりする場合、虫には幸いだろう。
虫喰い穴がきれいだったり気づかなかったりで水に浸けておくと、芋虫がけっこう出てくるものだけれど、今年は1匹しか見ていない。
毛虫の中には水面を移動(泳ぐ)することのできるのがいるという記事を先日見たけれど、この芋虫は重いから水中では万事休す。
ボウル一杯の不細工栗をおやつ代わりに食べ続けて四日目になるけれど、ようやく先が見え始め、1週間で完食となりそうだ。
これでうちの栗はもう終い。
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フレンドリーなアマガエルもいる

2021年09月28日 07時18分38秒 | 身の回りの生き物のこと






オオナルコユリ(大鳴子百合)の実が黒くなって落ちる前の深緑色に目がとまり、撮ろうとしていた。
そうしたらどこからかアマガエルがぴょんと私の左腕に跳び乗ってきた。
そうかい、それなら撮らずばなるまいと右手だけで何とかシャッターをタップした。
指が短くてゴツい手なので、私は片手でスマホを操作するのは苦手だ。
右腕に乗ってきたのなら全く画像は撮れずに、しばらくにらめっこでもするしかないところだった。
もう蛙ネタはやめようと思っていたのに、向こうからフレンドリーに来られては、すっかり蛙ブログの様相だ。
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追い詰めて撮る邪道

2021年09月27日 00時21分21秒 | 身の回りの生き物のこと








田んぼ脇の斜面を草刈りして、農業用水路に落ちた草を熊手ですくい上げているときに見つけたのが、近ごろ珍しくなったトノサマガエル。
大きなU字溝となってしまった農業用水路だけれど、女たちが洗濯したり野菜を洗ったりする小川で、子どもにはサワガニやドジョウ獲りをする遊び場だった。
それが数十年前の大圃場整備で景色すら変わってしまい、小川はカエルも落ちたら上がれない用水路になってしまった。
こいつらは普段から水の中にいる生活ではあっても、用水路では生き延びられないのではないか。
上がれなくて水路内を逃げるのを上から追いかけて、隠れたつもりのところを撮った。
逃げ疲れたせいでもあるだろうが、ゆっくり草ごと引き上げたら、されるままじっとしている。
岸に上げ、さてじっくり撮ろうと構えたら、荒く刈った草の中に潜り込んで身を隠したので1枚しか撮れなかった。
2枚目3枚目も私から逃げるためにぴょんぴょん跳んでいたのを、ちょっと珍しい柄だったので、跳び疲れさせて撮った。
最後の画像は40センチ余りの小さくて細いアオダイショウかシマヘビ。
すぐには藪のないところだったから、こいつも追いかけて先回りしてフリーズさせた。
蛙の天国は蛇の天国でもあって、これでも小さいアマガエルなら捕食可能だ。
スマホを正面から構えて近づけていったら、二股の舌をペロペロ出してこちらを窺うから大したもんだ、一丁前だ。
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正面から撮れないこともある

2021年09月26日 09時49分49秒 | 身の回りの生き物のこと








蛙を見るたびに、急ぎ足の時でさえ、ついついモデルに良さそうかどうか見極めようとしてしまう。
茶系と緑系の迷彩服仕様アマガエルが2匹いたので後ろ姿を撮った。
どのアングルが良さそうかとスマホを動かすものだから、それを察した茶系が垂直に逃げ出した。
強く危機を感じたら即、ぴょんと跳んで危険回避行動をするはずだが、それほどでもないと見切ったようだ。
それなら緑系を撮ろうと構えるけれど、すぐに横を向き逃げ腰で、どうしても正面からは撮れなかった。
やはりこちらの気の乱れを不穏な気配として察知するようだ。
猫を撮る岩合さんのように、じっくり構えて撮るべしか。
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ヤマアカガエルの一時静止

2021年09月25日 07時03分09秒 | 身の回りの生き物のこと




日頃の私の行動範囲内でときどき見ることのできる最大種の蛙が、このヤマアカガエル。
ウシガエルの鳴くのは以前から夏の夜に聞こえたものだけれど、近ごろ耳にしないということは、外来種も侵入するだけではないようだ。
青蛙くらいなら掴むのは平気だが、7〜8センチあろうかというサイズのグニャグニャした体は苦手だ。
こいつは蛙らしい跳躍力を持っているので、見る限り、どこかにじっとしていることがなくて、撮ろうとしてもほぼ無理。
ところが、何回かの跳躍を繰り返しても草むらに入れない場所で、直線的に近づかず、遠回りに時間をかけて接近してみた。
そうしたらどういうわけか、一時静止のまま、接写もさせてくれた。
2枚目は1枚目をトリミングしたのではなくて、それだけ近づいたもの。
角度を変えたかったけれど、逃げられるとがっかりなので、一つの方向からだけ撮った。
死んだフリということでもなく、大きな目を開いたままのフリーズ状態はパニックなのだろうか。
それとも、それなりの状況判断による間なのか。
後ろ脚の横縞がなかなかで、全体に地味お洒落の感じが良い。
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間引きのニーナ

2021年09月24日 00時07分08秒 | 食べ方








ニーナというのは、西洋人女性の名前ではなく、煮た菜っ葉のことで、つまり煮菜なのだけれど、ここらではニーナと言う。
子どもの頃は、どんぶり鉢にテンコ盛りのニーナがしょっちゅう食卓に上り『またニーナか』と口には出さなかったものの不満だった。
『今日は何ゴッツォダイ?』とヒトから聞かれれば、ここらでは食事の貧しさを表す表現として自嘲気味に『ニーナだこてぇ』と応えるのが王道。
私の最近の課題の一つが間引き菜をどうやって食べるかだ。
初めの間引き菜は味噌汁の具にしたけれど、育って来たこの頃のはどうしたらさばけるかと考えて、思いつくのはやはりニーナ。
『ニーナ』と外国ドラマなんかで呼ぶシーンがあれば、この辺りの人はきっとほぼ確実に最初は煮菜を思い起こすはず。
こんなに食えるかという量でもニーナにすれば空気が抜けたようにしぼむはずで、とりあえずザク切りにしてやってみた。
手順も調味料も適当に、多少は経験を積んだことの直感で味見もせずにやっつけたら、汁が多すぎた。
これを煮詰めたら濃くなりそうなので火を止めて、昔からある丼鉢に入れてみたが、ここまで縮むかという位に少ない。
昔の母親の味ではなく、かなり薄味の汁は絶妙に旨い。
昔は自作の味噌だったし、自作しなくなってからも出汁入りのような味噌ではなかったはずなので、そこが違う。
それにしてもテンコ盛りだったのは、どれほどの量を煮ていたのかと、母の台所姿を想ったりする。
お盆に載っているのは、お隣から彼岸の料理として頂いた栗おこわと麹漬けナス。
一旦仏壇にあげてから、すぐにお下がりをいただくと、さすがに元管理栄養士の味。
最後の画像は、いつも車で通る農道脇に咲いていた彼岸花。
ウチも赤いのだけいつもの場所に10数本咲いている。
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釣舟草(ツリフネソウ)

2021年09月23日 01時21分21秒 | 身の周りの植物






裏庭の隅に、この先は藪と示すように、ミョウガやシャガの群生を縁取って咲いているのがツリフネソウ。
昨年まではほとんど意識していなかったのに、今年はなぜか目に留まった。
キアゲハが来て、パタパタを止めないでいるということは、吸蜜をしているに違いない。
調べてみると、奥の渦巻き状部分に蜜があるとのことで、これは明日早速舐めてみるべしだ。
この命名は釣り人の乗る舟ではなくて、舟を吊り下げているように見えるかららしいが、それなら吊舟草としたらよかろうに。
花が毒という記述は見なかったけれど、渦巻きをちぎってチューブから押し出すようにしたら良いか。
かなり夢中のキアゲハには接近できたが、動きを止めないからスマホでは難しい。
その点アマガエルは、そっと近づけばなんの問題もない。
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昨夜の捕物

2021年09月22日 12時42分00秒 | 






床について、うとうとしているときに『バタッ』というような音が遠い廊下の方から聞こえて来た。
戸締りはちゃんとしただろうかと咄嗟に考えて、ニホンミツバチの飼育箱を並べている物置の屋根裏窓を開けっ放しにしておいたのを思い出した。
何かの動物か、考えられるのは確実に居ると言われていて目撃証言もあるハクビシン。
『こらっ』と大きく叫んでから電灯を点けたが、反応がない。
かなり獰猛でもあるということなので、枕元においてある肩たたき玉の付いた孫の手を持って、ぐるっと回っている廊下を音のした方に進む。
音のした辺りには何もいないので戻ってみると、寝室に使っている部屋の廊下をかなりの存在感のものが飛び回っていた。
飛び方からコウモリではないなと思ったが、ひらひらとは漂わずかなり速い動きとずんぐり体型なので蛾とようやく納得した。
障子に当たる時の音がかなり大きいから、私を起した音の正体も納得。
網を1階から持って来て、ようやく捕まえ容器に入れた。
背中の珍妙な文様はなかなかに好奇心と想像力を刺激する。
朝になってから検索したら、やはり背中の文様からすぐにクロメンガタスズメと判明した。
こいつは幼虫の方がずっと馴染みがある。
年老いた王の立ち姿とでも言おうか、泥棒顔の落ちぶれ男が毛布を羽織ってさまよっている姿とでも言おうか、シックで高級な織物を羽織っている呪術師が一番良さそうか、などと想う。
容器の中ではおとなしいが、セミより大きいこの姿は、美しくも怪異。
2枚目の画像は、先日採って来たノブドウの葉が枯れたので、実だけを集めて静物風に置いてみた。
暖色系の派手な色合いでなくても惹かれる色の組み合わせはあるものだなと、ノブドウにもクロメンガタスズメにも感心する。
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お供えの花にホソヒラタアブ

2021年09月21日 01時06分06秒 | 






彼岸の入りということで、お墓に行って花を供えていたら、目の前にホソヒラタアブがやって来た。
こちらに頓着なく花に止まり、スマホを構えても動じる気配がない。
今までにも経験はあるけれど、そっと近づいて息をつめて撮ったものだった。
こうも人馴れしているのはなぜかと考えるに、こちらがもう危険な気配を発さないようになっていて動きも鈍いからか。
おしゃれな文様にはしっかり見覚えがあり、ホソヒラタアブに間違いないだろうとは思いつつ検索してみた。
葉っぱの上に産卵し、幼虫はアブラムシを食うことで有名らしい。
花虻だから害虫ではないと思ってきたけれど、しっかりと益虫なのだった。
毎年お墓用にヒャクニチソウの種を蒔いていたのに、今年は育てそびれたのでスーパーで花を買い、ついでに解凍サンマを買った。
生サンマではないからクチバシは黄色くないけれど、焼く時に脂が落ちてかなり燃えた。
太いようでいて焼いたら痩せてしまったのは解凍さんまの特徴だろうか。
わるくはない味だったけれど、1匹では全く足りず、2匹焼くべしだった。
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畑に地下茎

2021年09月20日 10時02分03秒 | 農事




カボチャ畑には収穫できない未熟果がまだあるのだけれど、いつまでも3個ほどのために置いとくわけにはいかない。
秋野菜を移植する時期も終わりに近いので、蔓を片づけ苦土石灰を撒いて耕運機をかける。
その途中、耕運機が跳ね上がり危ない動きをしてびっくりした。
大きな石などが埋まっていたり、木の太い根が伸びているとそうなるのだけれど、竹やぶの近くなので、またか、と判断できた。
今までにない太さの地下茎で立派な根節竹だ。
スコップで掘ったが、切れそうな手前まで耕運機の刃が食い込んだのか、1mくらいで抜けてしまった。
蓮根のように節目からひげ根が生えて新しい地下茎も生え伸びるので、毎年いつも耕運機の跳ね上げが起きることになる。
竹やぶ側に2mほどの鋼矢板を埋め込みたいくらいのものだ。
もしもそうやったなら、障害物に阻まれた地下茎は引き返したり、潜ったり、鋼矢板に沿ってみたりの迷走をするのだろうか。
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野葡萄(ノブドウ)

2021年09月19日 08時52分52秒 | 身の周りの植物




山本山高原に上がる道すがら、つづら折れというほどの坂道ではないのに、連れの一人が酔ったから車を止めてと申告してきた。
いい歳をしてって、もうそれも超えてるのに、そうかそういう人間もいるのかと新鮮だったりする。
そうして一服したり、ゆっくり走らせたりしているときに見つけたのが、この葡萄。
ドライブ慣れしている方のもう一人が、山葡萄(ヤマブドウ)だというのだが、少し変だなと思いつつ反論はしない。
子どもの頃に山で遊びながら採って食べたのとは、違う気がした。
房状になっていない、この程度の生り方の粒を集めて、道の駅などで売られている山葡萄酒を作るのは大変だろうに、とも思った。
ブログを書くにあたって調べてみたら、やはり私たちが見て撮って蔓を持ち帰ったのはヤマブドウではなくてノブドウ。
ヤマブドウは葉っぱが大きくて、実はしっかり房状に生る。
ノブドウの葉はクワ(桑)の葉に似ていて、実の付き方はたよりなくランダム。
実がもげてしまっている枝先がけっこうあるのは、野鳥が啄んだものと思われる。
この程度の色合いと生り方では、見た目が良くても味見をする気になれなかった。
車酔いした同級生は持ち帰ったノブドウの葡萄蔓と山栗の付いた枝を素敵に活けた、という話はもう一人から聞いたけれど、画像は送られてこない。
2枚目の画像は、カボチャがあるという目印の棒につかまっているアマガエル。
こんな細い棒を登って、何か得るものでもあるのだろうか。
『え、なんか用ですか?』と言っているようだ。
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蕎麦の花にハナムグリ

2021年09月18日 08時18分08秒 | 












こんな蕎麦畑ができたらどんなに良いだろうと羨むばかりの花畑を観に行ってきた。
隣の小千谷市の山本山高原の展望台からは、眼下に信濃川と耕地整理された田、遠くに越後三山が望める。
昨日は台風前の暑さと薄曇りで、霞む山々はどれがどの山やら何となくあれがあれで、こっちがあれだろうという感じ。
詩人西脇順三郎の石碑があって、『この山上は青春時代より散策し郷里の偉大なる存在を感ぜしところなり』とある。
蕎麦の花にハナムグリが潜り込んでいた。
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青蛙

2021年09月17日 08時43分43秒 | 養蜂




青蛙というのは、アマガエルやトノサマガエルなどの青い(緑色)蛙のことを総称してのこと。
画像の蛙は秋海棠(シュウカイドウ)の葉に居て、完璧な保護色だったけれどこういうのを見逃す私ではない。
などと言いながら、見逃していたらわからないわけで、偶然何となく見つけたに過ぎない。
でかいモリアオガエルだなと思ったけれど、青蛙と言うにふさわしいと見とれた。
アマガエルの5倍くらいはありそうだった。
調べてみると黒目の周りが金色なのでシュレーゲルアオガエルのようだ。
モリアオガエルなら金色ではなくて、もっと赤っぽいらしい。
アマガエルとモリアオガエルとシュレーゲルアオガエルを並べて一度に撮ってみたい。
それなら次の機会には捕まえて、飼っておくべしだ。
モリアオガエルがいつも泡の塊を作る池が、近くのお寺の裏にある。
あそこあたりなら獲れそうなので坊さんに訳を言って、しかし、じつはこれこれしかじかでと説明するのが難しい事案ではある。
アマガエルはどこにでもいるので見ない日はなくて、とにかく愛いやつらだ。
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カボチャの出来

2021年09月16日 07時30分00秒 | 農事






出来を『しゅったい』とか『しゅつらい』と読むことがある。
カボチャの出来(でき)なら、出来具合ということになるが、カボチャの(しゅったい又はしゅつらい)なら、なんとカボチャが出現というような意味合いになる。
いきなりの能書き垂れをしてしまったけれど、『しゅったい』と読むこともあるのはかなり前に知ったのだけれど使ったことはない。
『しゅつらい』と読むこともあり、こちらが元だというのは本日調べてみて知った。
重版出来という熟語は目で見たことはあっても、意味だけ分かっていて『じゅうはんしゅったい』とは認識していなくて声に出したこともない。
本題に入るための前置きが脱線気味になった。
画像のカボチャは同じクリユタカなのに出来(でき)も色も違うので撮ってみた。
大きいのは直径24センチ4.2kgでヘタがコルク状になってきたので収穫して追熟もほぼ完了したもので、採れた時からこの色。
真ん中のは直径19センチ2kg、これが理想的な色らしいがなんだか軽すぎる気もしつつ追熟中。
小さいのは直径15センチ1.2kg、これが生っているのに気づかずに蔓を切ってしまったのでやむなく持ち帰ったけれど熟さないだろう。
メロンみたいで見た目に面白いけれど、ズッキーニ代わりに食べようにもおいしくなさそうなので、飾っておいて腐るに任すしかない。

開ききっていないサトイモの葉の凹みに居場所を決めたアマガエルがいた。
徐々に巻いた葉が開いていって弾かれるのか、なんだなんだ良い場所だったのにという様子で移動するのか。

蟻筏は完全に難破船状態になった。
崖に近ずいたのに、まだ上陸をためらっているような弱ったアリが数匹。
葉っぱに張り付いたまま水没して力尽きたと思われるのも数匹。
壁に1匹『早く来いよ』と言うように身を乗り出しているのもいる。
壁と縁にかなりたくさん上陸した集団が二日前にはいたのだけれど、それらは約束の地に向かったのかどうか、もう見当たらない。
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