プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

遊びとルール

2010年11月30日 08時57分59秒 | インポート

子供の頃、近所の仲間たちとの遊びから学んだものは大きかった。

例えば野球一つとっても、何処でやるかとか、ボールをどれにするかとか、金属バットはどうするかとか、投げ方を上手投げか、下手投げのどちらにするかとか、マウンドやベースの距離をどれ位にするかとか、戦力が同じ位になるようにメンバーをどのように調整するかとか、何回までプレーするかとか、みんなで決めねばならなかった。

そしてプレーをする時にはちゃんと審判を置いて、決めたルールは守った。

守らないと面白くないことも学んだ。

みんなでルールを決めて、そしてそのルールに則って戦う体験をたくさん積んで置いたことは僕の統合失調症が寛解するのに役立ったと思う。

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善悪の感覚について

2010年11月29日 08時30分39秒 | インポート

人は物事の善悪を知ることができる。

だけど最初に善悪を見分けた人はどうやってそれができたのだろう?

たぶん最初は自分が受け入れられるもの(快)は善で、受け入れられないもの(不快)は悪としたのだろうな。

それにしても快とか不快とかは生物ならではの感覚だと思う。

結局、善悪とは好き嫌いに過ぎないのかな。

人間が他の生物と違うことの一つに「辛(から)いもの」や「苦(にが)いもの」も好物にしてしまったことがあるけど、精神にも何らかの影響があったのだろうな。

おそらく人間が「辛(つら)く」ても、「苦(くる)しく」ても、かなり我慢するのはその先に快感があったという過去の成功体験に支えられているのだろうな。

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気力

2010年11月28日 08時47分38秒 | インポート

僕はよく遊ぶ子供だった。

家の中でも外でも何時間もぶっ続けで夢中になって遊んだ。

友だちがたくさんいたから遊ぶ相手には不自由しなかった。

ふと時計を見上げると、自分の体感時間よりかなり時間が経過していて、その度に不思議な気がしたものだ。

このような無理を統合失調症になるまではかなりできた。

何より気力が充実していた。

今の僕にはあの頃の集中力と持続力はない。

でも過去にそういうことができたという記憶は僕を慰めてくれる。

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チイちゃんと罪悪感

2010年11月27日 08時51分37秒 | インポート

今、中学一年生の姪っ子が二歳児だった頃の話。

おやつを独り占めした彼女に対して僕が泣きまねをしたら、彼女は泣いた。

何かを言いながら両手をぐにゃぐにゃにしながら苦しんだ。

謝っているみたいだった。

彼女は罪悪感を持ってしまったのだということが直に僕に伝わった。

僕は焦ったが、彼女によって心を洗われた。

そして二歳児でも善悪の区別がつくことを知って感動した。

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現世と来世

2010年11月26日 08時37分42秒 | インポート

現世で自由に生きて、来世も楽しみにできるなら、素晴らしいことではないか。

だけどここで問題なのは自由の「自」がよく分からないことである。

「自分」と言うが、自分とは自分一人だけで自分になれるものではない。

自分になるためには多くの他者との関係を必要とする。

そして多くの他者を持つ者はそれだけ孤独を意識するだろう。

他者として捉えているということは自分と違うことを認識しているということだからだ。

ところで来世はどうすれば楽しみにできるだろうか。

ニヒリスト(虚無主義者)には無理だろう。

結局、この世で自分だけでなく他者の自由も大切にできる人が来世も楽しみにできるのだろう。

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魅力的

2010年11月25日 07時49分18秒 | インポート

魅力的であろうとする人は、その一点において魅力的でないなぁ。

作為があると何か興醒めするなぁ。

人は一生懸命だけど自分では気づいていないような時が一番美しいのかもしれないなぁ。

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言い訳

2010年11月24日 06時49分27秒 | インポート

ふと、「もし人々の心がみな美しい光のようだったら、交わることに躊躇などしないのに・・・」などと思う僕。

すぐさま、〈本当に?うまく生きられないことの言い訳なんじゃないの?〉という声が心をかすめ、恥じる僕。

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自分に復讐されるコト

2010年11月23日 09時39分30秒 | インポート

統合失調症になって僕は自分に復讐されていた「コト」を悟りました。

精神分析学者のフロイトによると【抑圧】とは【自我】が無意識のうちに行なう自己防衛の働き、自分にとって不都合な「モノ」を【エス(本能的な欲求、原始的な衝動)】の中にしまい込む「モノ」だけど、これには限界がある「コト」を僕は身をもって知りました。

今の僕が日頃からあまり自分を殺さないで生きたいと思っているのはそういう理由からなのです。

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安らぎ

2010年11月22日 08時45分29秒 | インポート

若い頃は絶対的な愛がほしかった。

そしてそれを人間の女性に求めた。

僕だけが愛せる女性、僕だけを愛してくれる女性がほしかった。

それも本物がほしかった。

だけど今は安らぎがほしい。

一緒に生活するパートナーは精神的に寛(くつろ)げる人がいい。

パートナーは僕と相性がよければそれでいい。

今から思うと当時の僕も信と不信の両極に振れる心が不快だったから、絶対的なものに捕らわれたのではないかな。

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よい思い出

2010年11月21日 09時31分34秒 | インポート

よい思い出とは何か。

それは楽しい思い出ばかりとは限らない。

例えば、失恋は悲しい記憶である。

でも同時によい記憶である。

記憶に残る彼女の女の子らしさが今なお僕に痛みを与えても、そこには何かいいものがある。

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一番

2010年11月20日 08時15分54秒 | インポート

『旧約聖書 創世記』にはアダムとハヴァの楽園追放の物語が記載されています。ある見解によると、彼らは神に近づきたいという思いから禁断の果実に手を出したということになっています。

でも僕の理解では神とは善き存在者だからそれに近づきたいと思うことの何が悪いのかと思ってしまうのですが、禁断の果実とは善悪を知るというものだったのです。

実際、人間は己の行為の善悪を知るから苦しむのではないでしょうか。でも彼らの神に近づきたいという動機は悪いものではないと思うのです。

僕の父は生前、僕と弟に「何でもいいから一番になれ」とよく言いました。彼としては職業に貴賎はなく選んだ職業を極めた人は人間的に優れた者だという認識があったからそう言ったのだと思います。

でもかつてルシファーと呼ばれた堕天使も被造物であることを忘れ己が全ての中で一番の存在者だと驕ったから堕ちたのではなかったのか。

また競争はそれをすることが人間同士にとって何らかの利益をもたらす(「切磋琢磨」という意味を持つ)と考えられているから肯定されるのであって、単なる競争のための競争であるなら意味がないばかりか有害だとさえ思います。

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変な感覚

2010年11月19日 08時27分28秒 | インポート

彼が死んだからといって彼の住んでいた町が逃げ出してしまうわけでもないか・・・。

精神病の友だちが亡くなった後、そんな変な感覚に捕らわれたことがあった。

たまにこういう自分でもどう処理してよいか分からない感覚に襲われることがある。

こうやってその時の感覚を文字にするのは少しでもそれを理解しようとするためである。

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歩道橋

2010年11月18日 08時26分06秒 | インポート

小学校から下校する時、学校の前の歩道橋を渡れる生徒はいいなと思っていた。

歩道橋には何かしら近づきがたい畏れのようなものを感じていた。

僕にとって歩道橋の向こう側は異界に思われていた。

今でも僕は歩道橋を見るとドキドキする。

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神に近い人

2010年11月17日 07時31分26秒 | インポート

十数年前、所沢保健所で行なわれた精神科医の講演で受け取ったレジュメの中に「精神分裂病者は嘘をつかない」と書かれている箇所があった。

言われてみれば確かに僕にもそういう時期はあった。

正確に言えば嘘をつかないのではなく、嘘をつけなかったのだが。

つまり症状が落ち着いていなかった頃には嘘をつく能力がなかったのである。

でもそういう人たちは結果的に「偽りの証言をあなたの隣人に答えるな」というモーセの十戒の9番目の戒めを守ることになり、神を信じている人よりも、もっと神に近い人になっているのだ。

もはや信じる必要もなくなって、そのものになっているのだ。

「狂人はその舌に、見えざるものよりの言葉をのせていて、それを語る(I・ハルドゥーン)」。

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虫生

2010年11月16日 08時30分23秒 | インポート

僕は羽虫が家の中に入ってきた時にはなるべく家の外に逃がしてやるようにしている。

羽虫にとっては鳥などの餌食となるかも知れないので迷惑かも知れないが、僕はそれでも自由な方がもっといいだろうし、この先、出会いも待っているだろうと考えるからだ。

僕は何事もなく終わる人生がいい人生なんて思わない。

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