中井久夫著『精神科医がものを書くとき』より引用。<o:p></o:p>
統合失調症問答<o:p></o:p>
(略)<o:p></o:p>
――かりにそうだとして、あなたはどうお考えですか。<o:p></o:p>
二つの可能性があると思うのです。一つは、前頭葉とか、そういう部分の機能が衰えていて、だから、必要に応じて血液を配るシステムが少ししか配らないということ。もう一つは、前頭葉なり何なりが暴走しようとするので、血液供給を少なくして暴走を食い止めようとする安全装置が働いているということ。いずれも、むろん憶測です。そもそも脳の血液を合理的に配分しようとするシステムが何かはわかってません。そういう問題意識も、まだこれからですね。<o:p></o:p>
――後者のほうは、原子炉の暴走を食い止めるのに、炭素棒とか何とかを突っ込んで減速を試みるというのに、似ていますね。<o:p></o:p>
そういえばそうですね。脳には原子炉なみの安全装置が仕組まれていても不思議ではないでしょう。暴走すると大変なシステムですからね。そういう目で精神障害を見てゆくと新しい見方ができそうですね。患者には、頭がやたらにいそがしくなって制御できないという感じを持つ人がかなりいます。意欲がなくなって疲れやすくなってくるという人もいますがね。<o:p></o:p>
――後者の人たちの場合は、安全装置のほうが先に働いてしまった?<o:p></o:p>
そういうことになりますでしょうかね。<o:p></o:p>
(略)<o:p></o:p>
――鬱病は、どうですか。<o:p></o:p>
安全装置の発動として考えますと、こういう考えはどうでしょうか。私の友人の神田橋條治氏が、鬱病でいちばん辛いのは、いちばん得意な能力がいちばん低下したと感じることだと言っています。これを聞いて、はっと思ったのは、統合失調症の発病の直前には、ふだんできたらいいなあと思っている能力――得意になりたいと憧れている能力――が、ぐっと出てくるように感じられることです。<o:p></o:p>
――どういうことを考えられたのですか。<o:p></o:p>
鬱病は、暴走のかなり手前で制動を掛け、システムの火を落としている。統合失調症では、この制動が働かなくて、暴走の直前に行ってしまう。原子炉の暴走の直前にも規定の出力の数百倍の出力が出るそうですが、それと似た状態が現れます。だから、発病への路は、誘惑的なのです。あの状態を返してくれ、治さないでくれ、治してもいいが、あの状態だけには戻りたいという人が出てくるほどです。<o:p></o:p>
――その瀬戸際の状態に留まって、すばらしい詩を書いたり、科学の発見をしたりするということはありませんか。<o:p></o:p>
あると思います。実際に、そうではないかという詩人や数学者もいます。でも、私は、人に勧める気にはなれませんね。第一に大変苦しい。それから、その瀬戸際にとどまれるかどうかは、個人差があって、私の経験では数時間の人から、二、三年の人まであります。そして自分で左右できません。それから、第三に、そこでは、それまでの知識と経験の蓄積を総動員はできるけれど、その時から勉強を始めては遅いのです。新しいものを外から入れることはできない状態です。<o:p></o:p>
――発病寸前にすごく勉強を始める人がいますね。でも、稔るところまで、病気は待ってくれませんね。もっとも、稔った人は、精神科医に来ないのかもしれません。<o:p></o:p>
一般に安全装置が働いて成功した場合は、医者に来ないでしょう。<o:p></o:p>
う~ん。<o:p></o:p>
午前中、マーク・ブキャナン著・水谷淳訳『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』という本を読み終わったのだけど、そこに「臨界状態」という言葉が出てきて、気になりました。<o:p></o:p>
この本の内容もとても興味深かったです。<o:p></o:p>
統合失調症も「べき乗則」で説明可能なのではないかと思ったりしました。<o:p></o:p>
興味のある方は一度読んでみることをお勧めします。<o:p></o:p>
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