ネタを全部出し尽くして書くことがなくなったのでここらで今年の3月4日から昨日までブログに載せてきた記事を『統失哲学』というタイトルでまとめてみようと思います。
ええ、本にするのです。
よって誠に勝手ながらしばらくブログを休止させていただきます。
今まで応援してくれた皆様ありがとうございました。
それではまたね。
ネタを全部出し尽くして書くことがなくなったのでここらで今年の3月4日から昨日までブログに載せてきた記事を『統失哲学』というタイトルでまとめてみようと思います。
ええ、本にするのです。
よって誠に勝手ながらしばらくブログを休止させていただきます。
今まで応援してくれた皆様ありがとうございました。
それではまたね。
先ほど、少し暑かったけど自転車屋に行ってきました。
数日前に後輪タイヤがパンクしていることが判明したのですが、かなり擦り減っていたので後輪タイヤだけ新品に交換してもらいました。
行く前に電話で確認したら代金は4千円から5千円かかると言われたのですが、結局、4千円で済みました。
これからも大切に乗りたいです。
愛する者に少しでも良い生活をさせたい。
そういう人情を排して厳密な科学的データだけを根拠にして行動を決める。
たぶん非人間的だがこういう数字を重視した政策の方が結果的に地球環境には優しいのかもしれない。
けれども果たして人間とは生存だけを考える生き物なのか。
いずれそういう不満が爆発するのではないかと危惧している。
だいたいこの地球上にできるだけ長く居座ることにどんな意味があるのか。
そういう実存的な問いが頭をもたげてくるのは僕だけであろうか。
人間的に成熟した人は頭で理解するより心で理解する。
知的というより感情的に理解する。
だから数字より本質を大切にする。
頭の働きの鈍い人はその分、感情が発達する見込みがある。
損得に敏感でないため思いやりの心が育ちやすい。
「無差別」とは「差別のないようす」という意味だけど組み合わせによっては悪い言葉になるよね。
「無差別殺人」とか「無差別爆撃」とか。
A:差別してはいけません。
B:はい、先生! だから皆殺しにします!
「自分のものだから大切に扱う」という者もいれば「自分のものだからぞんざいに扱う」という者もいる。
また「他人のものだから大切に扱う」という者もいれば「他人のものだからぞんざいに扱う」という者もいる。
だから問題の本質は自他の区別にはないのかもしれない。
本当に優しい人は分け隔てなく親切だし、本当に優しくない人は分け隔てなく不親切だから。